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トレセン学園の中にはトレーナー用の執務室が用意され、ある程度認められれば個室が与えられる。彼もまたその中の一人であり、専用の部屋ともなればトレーナーの好みに合わせた内装の変更も認められる。
その一室は任侠映画に出てくるような“事務所の一室”を思わせる内装に仕上がっていた。置かれている調度品はどれも高価……そうに見えるもので統一され、間違って引き戸を開けてしまえば入口から見える執務机に着く、部屋と同じくどう見ても堅気に見えないトレーナーが真っ先に目に入る。
「ひぃ!?部屋を間違えましたぁ!」
「…………」
小柄なウマ娘……彼の担当しているウマ娘と同期の、彼とは数歳ほどしか歳の離れていないプライズがあわてて扉を閉めて逃げて行ったのは当然の反応であった。そんな反応をしても無反応を貫いたのは彼が慣れていたから。
<もう少し、親しみやすくした方がいいんじゃない?>
「うるさい」
体が透けて更に室内でふよふよと浮いている担当ウマ娘とよく似た巫女服姿の少女に呆れたように言われてようやく彼は声を発した。その声も深く、低く、なぜ教育機関にいるのか首を傾げてしまうようなものだった。
<けどさぁ、そんな格好をしても私みたいなのは怖がらないんだよねぇ>
「それはお前が図太いからだろ……」
<逆にそんな堅気じゃない格好をして怖がる人外いる?いや、ウマ娘もある意味人外だから意味あるかな>
「俺の格好のことはどうでもいいだろ。もうこれで慣れてんだよ」
<ちゃんとお祓いしてもらったら?フクちゃんに頼めば安くやってくれるよ?>
「あいつにはそっちの才能皆無だって言ってたのはおめぇだろうが。というか言うならお前がやれよ」
<いやぁ、幽霊が自分でお祓いとか自殺行為でしょ>
事情を知らない他人が見れば、彼――眞島という――トレーナーが虚空に向かって会話をしている異常者に見えてしまうが、彼は望んでもいないのにこの世のものが見えてしまう、憑いてしまう体質であった。今話している少女は眞島の担当しているウマ娘に取り憑いている亡霊そのものである。
<まぁまぁ。フクちゃん担当している間は私が守護霊になってあげるからさぁ>
「お前が来てから肩凝りがひどいんだよ」
<そのあたりはギブアンドテイクってことで>
「おめぇよりひどい怨霊が寄り付かないだけだろそれ……」
眞島はため息をつく。出来ることなら今すぐこの亡霊を祓いたいぐらいだったが、担当のためにそうもいかず、彼は取り憑かれたままにしていた。なお、お祓いに関しては数度本職や時折学園にいるそういったことが得意なウマ娘にしてもらったことがあり、やろうと思えばいつでもできる。
「はぁ。それに肩よりも今は頭がいてぇよ」
<皐月賞は残念だったねぇ>
執務机の上に置かれた担当の競争成績を見ていた。そこにあるのはどれも1着の文字がない。つまりは未勝利のウマ娘の成績だった。これではクラシックの一角、皐月賞に出場することはできない。だが、それらの成績を見てなお、彼は決して担当ウマ娘が劣っているわけではないと感じている。
「距離がこれまでのは合ってねぇ」
<やっぱり?>
デビュー戦時点で彼は現在の担当が短距離等は厳しいと見抜いていた。強面ではあるが彼は学園との契約年数からそれなりに教官たちに顔が利き、現在の担当の走り方や適正の“芽”に関しての情報を得ていた。
「距離が短すぎんだよ」
<だよねぇ。これまで、私たちの家系のウマ娘って短めの距離とか一瞬の瞬発力が強い子多いし、フクちゃんも瞬発力はそうなんだけど、ウマソウルさんの感じだと違うっぽいんだよね>
なんでもないことのように亡霊が言い、眞島は一瞬知っていたのなら言え、と声を荒げそうになったが抑えた。
「………知ってたのかよ」
<なんとなく?ほら、私幽霊だから人の魂とか感じるんだよねぇ。そこからぴぴーんって>
「まぁいい。まずはダービーを狙う。それからだ」
日本ダービー。クラシック2冠目にして、3冠の中でも特別と見られるそのレースの距離は2400m。クラシック級のウマ娘にとっては長い長いレースだ。
<フクちゃんがダービーウマ娘になったら成仏しちゃうかもなぁ>
「簡単にしないだろお前は」
<わからないよ?ほら、感極まってさぁ>
「勝手にしてろ」
<扱いがぞんざいじゃない?>
「勝手に取り憑かれてるんだから妥当だろ」
そもそもとして四六時中見張られているような状態なのだからこれぐらいで済ませているのは感謝してほしいと眞島は思ったが言わなかった。
担当のこれからのメニューやスケジュールを調整し直すか、と彼は机の上のパソコンに向き合ったが、そこでまたしても部屋の扉が開けられた。ノックなしなあたりまた間違えて入ってきたか、と思い目線を入り口に向けたが、今度は違った。
「……ブライアン」
「久々だな、眞島」
眞島の強面に怯むことなく入室してきたのは“元”担当ウマ娘のナリタブライアンであった。ドリームトロフィーリーグへの移籍後は担当を外れており、現在はフリーで走り続けている。
「なんの用だ。またサボりで来たなら出てけよ。エアグルーヴがうるせぇ」
「いや違う……お前の今の担当のことだ」
真の強者との死闘を愉しむ彼女から現在の担当の話が出てくるとは思わず彼は面食らう。ナリタブライアンは執務机の近くに設置された応接用のテーブルに着き、黒革のソファにドカッと座っる。その座り方は眞島に劣らないほどの威圧感だった。
<うわぁ、あなたの担当なのも納得>
亡霊が余計なことを言うが、眞島以外には聞こえていない。
「どういう風の吹き回しだ?後輩のことを心配でもしてるのか?」
「そんな殊勝な考えをすると思うか?私が」
「だろうな」
ナリタブライアンは話しつつ、テーブルの上に置かれていた最後の一枚となっていた煎餅を躊躇いなく取ってバリバリと豪快に食らう。それは眞島が後で食べようと取っておいたもので心の中で「それ、俺の……」と若干涙目になっていたがここで言わないあたり、彼の本性が漏れ出ていた。
「んっ……相変わらず美味いなこれは」
「……そうかよ」
「…?」
「それで、なんだってフクキタルの話をしにきた。お前が」
煎餅の犠牲を仕方なく流して彼はナリタブライアンに続きを促す。
ナリタブライアンは促され、躊躇うことなく言った。
「味見させろ」
「弱い者虐めとは三冠ウマ娘がどうしたんだ」
「それは本気で言ってるのか?」
「当たり前だ。少なくとも、今のフクキタルじゃあお前には逆立ちしても届かない」
現在、眞島が担当しているマチカネフクキタルは成績などを抜きにしても、そもそもクラシック級となったばかりのウマ娘であり、ドリームトロフィーリーグにいるナリタブライアンとでは経験値が違いすぎる。ナリタブライアン自身の能力も現在は全盛期ほどではないと言っても、彼女は史上数少ない“クラシック三冠”を達成した強者であり、傍若無人な振る舞いが多少看過されるのはその実績あってこそだ。
眞島の態度を受けて彼女は何故だ、と言わんばかりの顔だ。
「去年の種目別競技会あれはなんだったんだ」
マチカネフクキタルがデビューして現状唯一の“勝利”を上げられ眞島は苦い顔をする。種目別競技大会において、確かにマチカネフクキタルは勝利した。しかも、圧勝というオマケつきで。非公式戦とはいえ中央トレセンの非公式戦は重賞並に勝つのが難しい。そこで圧勝したというのは間違いなくマチカネフクキタルの実力があったからだ。
「あの豪脚は悪くない」
「本人にそう言ってやれ」
「言ったが逃げられた」
そりゃそうだと亡霊は呆れたような顔をする。トレーナーである眞島に負けず劣らずナリタブライアンは怖いだろう。そんな彼女にいきなり声をかけられた亡霊の妹が不憫だった。
「……前にやたらビビってた日があったのはそれか。なんであれ、ダメだ。まだお前とは走らせられない」
「…………そうか」
サングラスを上げ、窓からの逆光を受けながら言う眞島にナリタブライアンはただただ残念という態度でソファから立ち上がる。そのまま彼女は執務室の外へと出ようとする。が、その前に一度立ち止まった。
「眞島」
「なんだよ」
「アレを腐らすな。……“異次元の世代”だったか?あいつの周りは」
ナリタブライアンから出た“異次元の世代”という言葉に眞島はピクリとする。ブライアンが来る前に間違えて扉を開けたプライズ、彼女もまたそう呼ばれているフクキタルの同期だ。他には、サイレンススズカやタイキシャトル、メジロドーベル。いずれも、只者ではない少女たち。彼女らとは友人であるというマチカネフクキタルはそんな友人たちとは違う、その他のウマ娘と“今”は思われている。
その呼び方が担当を余計に惑わせているが故に、彼は“異次元の世代”という呼び名が嫌いだった。
「マチカネフクキタル。ヤツもいずれそう呼ばれるだけの素質はある」
「そうかよ」
「わかっているのか?」
「あいつの素質は高いのはわかっている。けどな、あいつの問題はそこじゃねぇんだよ」
元トレーナーの声質が変わったことにナリタブライアンは気がついた。これ以上はこの部屋にいることはできないと肌で感じ取る。同時に、彼女は口元を喜色に染める。
「…そうか。悪かったな。また来る」
「今度から菓子ぐらいは自分で買ってこい」
手を振りナリタブライアンは出て行った。眞島はため息をつきながら椅子に座り直す。扉が半開きとなっていたため、亡霊が閉め直した。
<なんだったんですか?アレ>
「どうせ、“ヒマつぶし”ってやつだ。あいつが10割後輩が心配でってことはない」
<あ、全くないわけじゃないんだ>
「気まぐれみたいなもんだがな。少しぐらいは心配だったんだろうよ」
今のマチカネフクキタルにこれ以上プレッシャーをかけさせたくない彼はナリタブライアンが引き下がってくれたことにホッとした。
「人は、強烈な体験をするとそれを基準にしちまう」
<え?>
マチカネフクキタルのデビュー戦はサイレンススズカという極光に灼かれてしまった。それが何もかも狂わせてしまった。元々は短めのダートで小手調というところを少しでも本来得意そうな距離に近づけて、という選択を眞島…トレーナーがしたために。
昨年の秋の種目別競技大会の勝利。それをマチカネフクキタルが喜んでいたが、その場でだけだ。以降の日常ではまるでなかったかのように彼女は振る舞っていた。
「あいつが前に進むためにはもう、ただの“勝利”じゃダメだ。G1、それも一生に一度のクラシック三冠の一角、そのどれか。そして、“異次元の世代”をぶっ潰す。特に、サイレンススズカ…あいつを乗り越えないと、フクキタルに自信がつかねぇ」
亡霊は黙り込んだ。妹の状態は彼女もしっかり認識できている。
絶望的なまでの実力差。それが友人であり、よく知っている相手であり、共に努力してきた相手。そんな相手に見せつけられるように負けて、以降は公式戦では一度も勝てず、非公式戦で圧勝しもマチカネフクキタルが感じたものは――。
――いやはや、皆さんがいなかったから運良く勝てたんですよ!
“運”がよかった。これまでの公式戦も位置取りの“運”が悪かったから。勝利を勝利と、本当に思えていなかった。
違う。そうじゃない。これはお前の実力で勝ち取った、と眞島は言いたかった。だが、言えなかった。言葉で解決できるのであればとっくに、それこそ、友人であるサイレンススズカたちが解決してくれている。
<春前の種目別競技会、出れば?>
「……出ても前の繰り返し」
<この前ね、フクちゃんがお昼時にお友達と話してるの聞いたんだ。そこで、プライズさんが出るって>
プライズ。マチカネフクキタルの同期の中で唯一G1未勝利。だが、外から見ればあの異常なウマ娘も尋常ではない相手だ。
「あいつに勝負を挑めってのか」
<だって、一番弱いでしょ。あの子>
容赦ない亡霊の言葉に眞島は考える。確かにその通りであった。類まれなる根性やその年齢から来る観察眼、レースコントロール、そして豪快な追い上げから勘違いされがちだが、プライズの自力は決して高いものではない。たた一点、異常なまでの“早仕掛け”がプライズというウマ娘の評価を曇らせている。それを眞島はこれまでのトレーナーとしての経験から見抜いていた。
プライズは世間的に見れば“強いウマ娘”だが、他の“異次元の世代”と比べればそうではない。だからこそ、眞島は今のマチカネフクキタルでもレース運び次第で十二分に勝てると考える。勝てれば少しは弾みになると考えるが、彼はその思考を一旦止める。
そう思って、マチカネフクキタルの
<あなたもフクちゃんを信じないんだ>
眞島の耳元で、亡霊が囁いた。
「んなワケ…!」
<信じてあげてよ、あの子を。走り出せてすらいない私を信じて追いかけてくれたあなたが>
ほどけるように亡霊の気配が消え、彼は室内を見渡すがその姿は見えなくなっていた。言うだけ言って、と眞島は思うも、己が今どういった思考をしていたか理解し、恥じた。
「情けねぇ。今のをブライアンに見られたら窓破って落ちてるな」
そんなことするわけないだろう、と脳内で元担当が言ったが眞島は無視して頬を叩いた。気合いを入れ直したのだ。
そうして、亡霊と入れ替わるように、執務室の扉が開かれる。
「トレーナーさん!お疲れ様です!」
底抜けに明るい声と、表情。抱えている影をまるで塗りつぶすかのようなマチカネフクキタルは眞島の背後から差し込む夕陽に照らされていた。彼女もまた栄光を掴めるはずのウマ娘。掴ませてやりたい、と眞島は強く思う。
「いやぁ、おマチさんに教えてもらった鯛焼き屋さんで運良く残り2つを買えまして!トレーナーさん、どうですか!?」
はしゃいだ様子で鯛焼きを差し出すマチカネフクキタルに眞島は強張っていた表情を緩めて、彼にしては優しげな笑みを浮かべる。
「茶を入れてやるから座れ。ミーティングついでにもらう」
「了解です!」
軽くスキップしながら座る彼女を見て、眞島は座っていた椅子から立ち上がった。
<朴念仁>
「(うるせぇよ!職業倫理ッ!)」
戻ってきた亡霊に心の中で一喝しつつ、だったが。
また不定期更新に戻ります。