競技ウマ娘としてデビューするにはどうすればいいか。事前に夫からは「選抜レースに出てトレーナーにスカウトしてもらう」という回答をもらっていた。この選抜レースというのは年に4回行われる行事のようなものらしく、私やタイキちゃんたちが受けるのは5月末に行われるレースだ。
それまでの間にデビューを目指す生徒たちは学園の教官(競技関係の先生)からコーチングを受けたり、早い子だともうこの段階でスカウトされて、選抜レースに向けてトレーニングを行うという子もいる。聞いた話だと「成功体験」を得るためだって。結局のところ、結果が物を言う世界である以上は勝利をしたことがあるだけでアドバンテージだ。
ひどいと、選抜レースの時点で才能の無さを嘆いて辞めてしまう子もいるという。それを考えればまだ仕上がっていない相手を「狩る」目的で選抜レースに出ることもある。デビューするためには選抜レースに出なければいけない大前提があるとはいえ。
夫のおかげでトレーナーがついているウマ娘とそうでないウマ娘の能力が段違いなのは身に染みている。もはや色々と出遅れてる私がなんとかこの学園に入れたのも夫の指導があったからだ。
走法、レース勘、考え方、効率の良いトレーニング。何より、夫の場合は担当するウマ娘の得意とすることを「特化」させることが得意だった。苦手なことも克服させて、と考えてしまいがちだけど、夫はむしろ、欠点を得意なことで塗りつぶすという考えの持ち主だ。もちろん、だからといって欠点を放置しすぎることもないけど。
競技以外だとそんな感じの方針だからリトちゃんがやりたいことなんでもやらせていた。そのために結構キツイお仕事をたくさんしてもらってしまい、申し訳なかった。
話を戻すと、私の身体は「本格化」である程度は若々しいけど、やっぱり積み上げたものがないので、当然スタート時点の能力が他の子たちよりも劣っている。特に持久力がどうしようもない。ごはんをいっぱい食べて、走って、筋肉つけて、肺活量上げて…とやっても、他の子たちはとっくに鍛えているので、差が埋まらない。夫曰く、私の素質は高いらしくいずれは追いつけてしまうだろうとのことだが、年齢と本格化がいつ終わるか全く読めない関係上、そんなに悠長に基礎だけに時間をかけられない。
地盤がぐらっぐらのまま、強引にやっていくしかないという無茶苦茶な状態だ。それでも最低限、本当になんとかやっていけるだけの力を付けてくれた夫のトレーナーとしての実力が凄まじい。まさか旦那に吐かされるとは思わなかったよ。リトちゃんには内緒だけど。
こんな私の強みは「年齢」だと夫は言っていた。弱みでもあるけれど、やっぱり「子供」と「大人」では頭の回り方が違う。咄嗟の素早い判断とか、閃きは劣るかもしれない。でも、無茶だと思える作戦でも「材料を揃えて、やれると確信して、実行に移せる」のは大人のやり方だ。そして、失敗をしてもそれを糧として悔やまずにすぐ反映できるのも大人の特権だとも。
今の私に足りないのは何よりもスピード、スタミナ、パワーだ。筋力が足りずトップスピードが伸びず、更に加速にも時間がかかり、トップスピードに到達しても維持するのが大変だ。それらを補うために、夫は持ち前の粘り強さと頭の回転をデビューからジュニア級までは最大限活かせと教えられた。
――最近は鳴りを潜めてたけど、ライズはワガママだからね。「私が勝つのっ!」ってぐらいワガママさを出せば粘り強く走れると思うし、今の君はだいぶ大人だからそうやって熱くなる自分と一歩引いて“レースをコントロールする”自分を置けるはずだよ。
デビューしてからしばらくは基礎に充てる。デビューしてしまえばこっちのものだと夫は言っていた。それにしても、ワガママだって自覚はあったけど、面と向かって言われるとそんなに聞かん坊だった?って思っちゃった。いやまぁ…だからこうして今娘がいるわけだけど。
「プライズ、随分難しい顔してるけど」
「あ、ごめんなさい。ドーベル先輩、大丈夫ですよ」
だいぶ長いこと頭の中で考え事をしていたせいか、ドーベル先輩が心配そうに声をかけてきた。トレセン学園に入学してあっという間に5月半に入ろうとしている。ゴールデンウィークは地元に帰って夫にトレーニングをつけてもらって若干のパワーアップをしたものの、やっぱりスタミナが伸びない。速度は多少上がったみたいだけど、周りの子には及ばない。
今私たちがいるのは学園内の練習コースのうち一つだ。当たり前というか、学園内には幾つかコースが作られていて、今いるところは最長2000mの短距離-中距離用の練習場だった。ここで私は時折、タイキちゃんやドーベル先輩と併走トレーニングを行なっている。
「ならいいけど。もう一本、行く?」
「はい。お願いします」
軽いストレッチをした上で、ドーベル先輩と一緒に走り出す。ドーベル先輩の走りはしなやかで、まだがちゃがちゃしている私と比べても洗練されている。幼少期からメジロ家でトレーニングをしていたということから分かる通り、もうこの時点で実力差がある。
この一ヶ月で色々聞いた限りだとドーベル先輩は人前が苦手、“だった”らしい。去年色々とスズカ先輩やフクキタル先輩、タイキちゃんの4人で青春的な何かがあって、多少改善されたので、選抜レースも心配はないそうな。
マイル戦ではぶつかることもこの先あるかもしれないと思うと、この子は非常に強力なライバルだ。ライバル、となれるかも怪しいほどの実力差だけど。
「少しペースを上げるよ?」
「はい…!」
一段階、走るペースが上がる。既にこの時点で、時速50kmは超えている。私の限界の速度は今、65kmに届かないぐらい。競争ウマ娘の最高速度が時速80kmと考えれば遅いのが容易にわかるだろう。
加速が一拍遅れる。反応速度の問題ではない、筋力的な問題でドーベル先輩の隣からずれていく。並ぶために少し食いしばる。スタミナがもっていかれる。前目につけて走るのは恐らく無理だとここ数日の併走やタイキちゃんと走ってわかっているので、しんどい。
タイキちゃんは恐らく私なんかよりも遥かにすごい素質の持ち主だ。特に瞬発力とトップスピードが今の時点でも高い。去年まではそういった能力の高さがあったのに、色々と気が散りがちで上手くいかなかったらしいけど、今は改善されていてただ純粋に速いと、スズカ先輩が語っていた。
そう、スズカ先輩とも併走…というか追いかけっこをしたが、彼女はもはや先輩4人の中で別次元だ。「私の方が早い」と私たち5人の中で言いがちなその言葉通り、無茶苦茶早い。スピードの上限値が明らかに私含む他4人よりも高い。特に左回りとなった時、飛ばしすぎて5バ差つけてしまい、ドーベル先輩に怒られていた。ドーベル先輩はお母さんかな?
フクキタル先輩は…これまでの3人と比べるとまだ常識的な範囲内だ。占いが絡まなければわりといい子で、親切。実家が神社ということなので、礼儀正しくもあってご両親がしっかり育てたんだろうなぁ…と思った。速さもクラブに入ってたりした子ぐらいで、これから伸びるのかなと思う。それでも私より早いけどね!
「ふっ…ふっ…ふっ…!」
「スパートかけるねっ!」
「は、いっ!」
残り百数メートルで全開走行。ドーベル先輩の瞬発力はびっくりするほど高い。つい先日フクキタル先輩とスパートだけの練習をしていたけれど、曲がりながらすごい加速をしていたのはびっくりした。今は直線だけど、あっという間に離されていく。
私?私はもうスパート、というにはあんまりに加速をしてノロノロとスピードを上げていく。トップスピードのたどり着く頃にはもうゴールだ。
「はぁっ…はぁっ、はっ、ぅ…ふぅ、ふぅ…」
「大丈夫?プライズ」
「だ、だいじょぶ、です」
息も絶え絶え、身体は熱い、けれども頭は意外にも動いている。酸素が足りないのに、苦しいのに。ドーベル先輩も肩で息はしていても、私ほど満身創痍じゃない。勝てるのだろうか、この子に。敵うのだろうか、みんなに。不安になる。
「お疲れさま、プライズ、ドーベル」
私たち走りを見ていたスズカ先輩がタオルとドリンクを差し出してくれる。今日は私のために2人がトレーニングを見てくれている。2人もまだデビュー前だというのに、先輩だから、と。いい子すぎないだろうか。
タオルで軽く汗を拭いて、ドリンクを一口含む。そういえば本格化を迎えてから汗っかきになってしまった。おかげで去年、シーツがびしょびしょになって夜中に洗濯機を回すハメになってしまって困ったことがある。…だから布団の中ではダメだって。
「――プライズ?」
「え?何か?」
「ううん、少し、機嫌が悪いのかな……って」
「そんなことないですよ?すいません、ぼっーとしてて」
表情に出ていたらしい。スズカ先輩に指摘されて取り繕うように私は笑った。
「そう?それで見ていた感想だけど」
「はい」
「ドーベルの方が早かったわね」
「はい――んん?」
「確かにアタシのほうが早くゴールしたけど…」
にこにこと、素直にそのままの感想を言ったスズカ先輩の話はそれ以上…なかった。おもむろに彼女はジャージの上を脱いで体操着だけになると、こう口にした。
「だから、私も走っていいかしら?」
ここのところスズカ先輩と過ごしてわかったが、この人だいぶ走ることしか頭にないらしい。ドーベル先輩と双璧をなすクールな先輩、として中等部では人気があるとリトちゃんから聞いたけど、実際の中身はなんというかその…うん、とっても素直な子だった。自分の欲求に。
そんなスズカ先輩にドーベル先輩はなんともいい笑顔になる。
「スズカ、今日なんのために練習場抑えたんだっけ?」
「……走るためよね?」
「えぇ、もちろん。けど、誰のためにか憶えてる?」
ぴく、っとスズカ先輩は僅かに固まってから私へこっそり視線を移した。なんとも言えない顔をしていらっしゃる。
「思い出した?」
こくん、とスズカ先輩は頷いた。うん、素直だ。
「で、プライズの走り方とか、外から見てどうだった?」
「がちゃがちゃしてたわね」
「具体的にお願い」
「でも、私フォームとかそこまで」
ドーベル先輩が頭を抱えていた。いや、確かにがちゃがちゃしてるのはわかってたけど、具体的なアドバイスとかはないらしい。というか、スズカ先輩、さてはフォームとかそういうの、詳しくない?すごい走ること好きなのに?
「先輩からあれだけフォームのこととか本読むように言われてたのに…!とにかく、何か感じたこと、もっと言って」
「うーん…そうね、強いて言うなら……」
先輩とは?ドーベル先輩の更に先輩に何かスズカ先輩は指導されていたのだろうか。スズカ先輩は私をじっと見ながらしばらく考え込んだ。見つめられるの苦手なんだけど。
「ドーベルがスパートをしようとしたとき、ついていけてなかったわ。それで追いつこうとして余計にスタミナを使っていた…かしら?」
「はい、そうですね」
「パワーとスタミナかな…」
「速さも足りてないわね」
「スズカ、言い方」
「いえ、事実ですから大丈夫ですよ」
結局、ここなのだ。スピードとスタミナとパワー。フォームがガタつくのもスタミナ不足が原因だ。ただ、それは少しだけ走りのペースを変えれば多少は誤魔化せる。さっきの併走は「先行」をイメージして早いペースで走っていた。私の場合、早いペースで前について行こうとすれば当然スピードは足りない。
なら、今の私に可能な「作戦」は限られる。
私に今あるのは大人であることと、諦めが悪いことだけ。その諦めの悪さが少しでも長続きさせるにはどうすればいいのだろうか。温存するしかない。先行のペースじゃ、無理だ。子供たちと同じようには走れない。なら、ただ1人、自分自身のペースで走るしかない。
試そう。失敗はまだたくさんできる時期なんだから。
「――先輩、すいません。試したいことがあるんです。お二人とも一緒に、模擬レースをしませんか?」
「え?模擬レース?でも、プライズ」
「大丈夫です。失礼ですけど、スズカ先輩もお願いします。おもいっきり逃げていいので」
「……?いいの?」
「はい。ドーベル先輩は“先行”で走ってください」
「わかった。でも、プライズ、無茶はダメだよ」
「はい」
ごめん。無茶します。
プライズのお願いで模擬レースをすることになり、アタシとスズカとプライズでスタート位置に並んだ。スターターはいないので、私はスタートを言うことになった。プライズはしばらく一緒にいてわかったけど、まだ基礎が整ってない。アタシ自身、メジロで多少は鍛えていて、他の同学年の子たちよりもほんの少し、出来上がっているのはわかってる。それを抜きにしても、プライズはまだ身体が仕上がってない。
本格化は間違いなく迎えているらしいけど、それにしたって…このままデビューすればきっと……でも、この子はどこか焦っている。いや、急いでる?まるで、もう今年デビューしないと後が無い、そんなふうに見える。どういう家庭なのかとかまだ全然知らない。何か事情が絶対ある。
けれど、聞けていない。踏み込みすぎて、それで去年大惨事になったんだ。フクキタルのことで、それはよくわかってる。
「よーい…スタート!」
スタートを口にする。足は止められない。今のアタシにはその勇気がない。
模擬レースが開始すると途端にスズカがマイペースに飛ばし始める。もう言うのは諦めたけど、マイペースに走るスズカは本当に早い。変に先行で一緒に走らせるとすっごい窮屈そうなので、基本的にスズカは私たちと一緒に併走をすることはない。強い「逃げ」としてはいい仮想敵にはなってるけど。
あの速度を維持するスタミナも、まだマイルが一杯一杯みたい。もし中距離でもあれが出来たらスズカはどうなってしまうんだろう。
アタシは、先行でそれを追いかけ始める。あの速度に今はついていってもすり潰される。だから終盤のコーナーまでは我慢するしかない。プライズはどう走るのかな。試したいことがあるって言ってたけど。
そう思って横をちらりと見たが、プライズの姿はない。どこに、と後ろに目を向ければかなり離れたところに…って、ものすごい出遅れてる!?
動揺しつつも、私は前を向く。やっぱり、疲れている。あの子、すぐに我慢をして無理をする癖がある。そういう“躾”をされているのかもしれない。けど、考えなし、というわけではないはず。この模擬レースはあの子が試したいことがあるからやっているんだ。
中盤を通り過ぎ、終盤へと差し掛かる。スズカは相変わらず飛ばしている。スタミナは保つ…というか何も考えてないんだよね。実際のレースになると大丈夫なのかな…?私もそろそろ巻こう。そう思って足を踏み込もうとした。
「え?」
ひゅん、っとアタシの横を小さな影が通り過ぎていく。明るい栗毛。プライズだ。どういうこと!?あの子、こんな…速い!?
さっきの併走の時とは比較にならない速さで私を追い抜いたプライズは私との距離を離して…いや、違う!あの子のトップスピードは変わってない!アタシたちと比べれば少し足りない。それなのにこんなに差を感じるのは…!
「あの子…っ!」
単純な話だ。スパートを“早掛け”したんだ!あの子のスタミナは低い。今はまだ、あんな本番のようなスパートに耐えられないぐらいに。なのに、ぐんぐんと、ゴールへ向かっていく。スズカの速度には届かないからスズカには追いつけないけれど、私は“出遅れ”た!
やられた。と思った時にはもう遅い。もうあの子のスパートはとっくに終わっている。
「くっ!」
間に合わないと思いながらもアタシも続く。ゴールした時には、余裕そうなスズカと、とんでもなく消耗しているプライズがいた。
「げっほ、ゲホッ!ふっ、ひゅっ…ぅ…はっ、はぁっ、はぁっ!」
「はっ、はっ、プライズ…!ちょっと、大丈夫!?」
咳き込むほどの無茶をしたプライズに声をかける。スタミナを超えて、根性だけで最後は走っていたと誰もが見てわかる。練習でやっていい動きじゃないよ!
「はぁっ、はっ、はぁ…ふっ…ふぅ…ふっー…」
プライズはそれでも、息を頑張って整えていく。もしかして、これ初めてじゃない?
「ふぅ…大丈夫で「大丈夫じゃないでしょう!?」うっ!?」
思わず声を荒げた。こんな無茶をするプライズに怒りと、なんで止めなかったというアタシへの怒り。この子は私たちより長く生きてる、そんなふうに思ったこともあったけど、違う。この子はもっと、幼い!
「あんな走り方…!喉を痛めて、呼吸がしづらくなって、走ってるうちに呼吸できなくなったらどうするの!?」
「え、えっと」
「とにかく!保健室に行くよ!スズカ、悪いけどプライズの荷物とかお願い!」
「わかったわ」
私は軽いプライズを抱えて保健室へと向かった。思わずタイキみたいなことしたけど、構ってられない。
保健室に向かいながら少し頭が冷えてくる。冷静に、さっきのレースを思い返す。確かに、とんでもない無茶だ。でも、これはプライズが考えた“作戦”だ。出遅れたのも単に“追込”の位置で走るため。そして、道中引き摺られてスタミナを削られるなら、と届くギリギリのラインで全てをぶつけて、大まくり。それも、出来るだけ早めに。今のプライズにはあまりにも厳しい。身体が追いつかない危険な策だ。
でも、それができる身体が仕上がったら?――こんなの、スズカとは別の意味で強烈な相手になる。それに、今でこそこんなにプライズの身体は出来上がってないけど、兆候はある。4月の時点ではもっとプライズは体力がなかった。なのに、今は、根性だけだった部分もあったけど、1600m、マイルの距離を強引にだが走り切れるだけの力がついてきてる。この子の成長速度は異常だ。まるで、時間を早送りしているかのように。
今は選抜レースまで時間がない。けど、選抜でトレーナーがついてすぐにデビュー、少なくとも短距離はこの戦法で一回限りは通用する。最速で未勝利から抜け出し、そこから全てを調整に回せれば。
抱えているプライズを見る。バツが悪そうに目を逸らしている。
またしてもアタシはこの子の底が見えなくなる。やっぱり、生き急いでるようにしか見えない。同じ時間の流れにいるはずなのに、どこか、別の時間に生きているように見えてしまう。プライズの右耳にある耳飾り。ビルの形をした女の子がつけるには無機質すぎるそれは、妙に年季が入っているように見えた。
「ほぅ…これはこれは…また無茶苦茶だねぇ」
メジロドーベルがプライズを連れ去ったあとの練習コースに1人の生徒がコースに立ち入ってコーナーのあるバ場を見ていた。荷物を片付けていたスズカはその少女を知っている。
――アグネスタキオン。学園内では指折りの素質を持つ者でありながら、大問題児。教室を勝手に占拠、不可思議な薬品を勝手に生徒へ試飲し“発光”させる。授業は気まぐれに出席。なぜまだ学園にいられるのか不思議な生徒だ。
そんな彼女と、スズカはほんの僅かに接点がある。タキオンは速い。スズカが認めるほどに。光みたい、と彼女はタキオンの走る姿を見て思うほどに。
確か、ルームメイトがいなくなって、最近は研究室(不法占拠した理科室)を根城にしていると聞いていたな、とスズカは思い出す。興味のある相手の情報はよく知っているスズカだった。
「――タキオン」
「ん?おや、スズカくん。どうしたんだい。君から声をかけてくるとは珍しいねぇ」
アグネスタキオンにスズカが声をかければ、ゆらりと彼女は立ち上がりスズカを見てくる。焦点が確かではない。ハイライトが見えないどうみても正常でない瞳を前にしてもスズカはそれらはどうでもいいと言わんばかりに話を続けた。
「無茶苦茶って、どういうこと?」
スズカの関心は常に“速さ”に向けられる。
「君はもう少し追ってくる者に目を向けたほうがいいねぇ」
「そうかしら?」
「あぁ、意外と簡単に足を掬われるものだよ?例えば自分自身とかねぇ。…まぁ、そんなことを今の君に話したところで時間の無駄か。それで、何が無茶苦茶かというとね」
タキオンはもう一度その場にしゃがみ込み、指を差した。指先にあるのは一箇所だけ大きく抉れた芝生だった。何も珍しい光景ではない。スパートをかければこれぐらいはよく起こる。怪訝な顔をするスズカにタキオンは何も気にすることなく話を続けた。
「この抉れた部分、誰が抉ったと思う?君たちのあの小柄な後輩くん…プライズくんといったか。彼女がやったんだ」
ぴくりと、スズカに少しだけ驚きが見られる。
「あの子が?」
「あぁ。あの子は見ての通り、異常なほどに基礎ができてない。まぁ、それを補ってあまりあるほど、“早送り”しているかのように成長しているが…まさかねぇ…もう“領域”の片鱗を掴んでいるとは」
今度こそスズカは驚いた。“領域”。それは“経験“と“時間“を重ねた、強いウマ娘――それこそG1ウマ娘だけがたどり着ける一つ上のステージ。限界を超えたその先の、科学では説明できない力を発現するウマ娘最高の神秘だ。未だスズカですら見えていない。
G1ウマ娘としては持っていて当たり前、とも言える最高の能力。G1ウマ娘であることを証明する一つのステータス。それを、あんなに身体が出来上がっていないはずのプライズが持っている。ありえない、とスズカは珍しく困惑した。
「ククッ…生き急いでるねぇ。まるで明日にはもう死んでしまうと言わんばかりに。私だってあそこまで急ぎすぎてない。面白い。今まで見たことがないウマ娘だ。是非とも一度、話を聞きたいね」
生き急いでいる。プライズという後輩にスズカはそこまで目を向けていない。ドーベルやタイキに可愛がられている。これから一緒に走る相手。ただ、幾分か自分達より出遅れて、無茶している子。そんな印象しかない。しかし、タキオンにこうまで言われてしまえば、流石のスズカも多少は考える。
「タキオン…あの子は」
「あぁ、もちろん無理なことはしないよ。ただ……いや、歳をとればとるほど、人間
頑固になる。私も君も今のうちに色々と変えていかないとねぇ」
「は…?」
「じゃあ私はこれで失礼するよ。久々にカフェも誘ってオカルトな話でもしようかねぇ」
ははははっ、と笑いながらタキオンはその場から去っていく。取り残されたスズカはタキオンが直前に言ったことにただのアドバイスだけとは思えないニュアンスを感じ取ったが、それだけで、裏に何があるのかはわからない。
が、一つだけ、気になったことがある。
「明日には…死ぬ」
タキオンの言い方はまるでプライズが病人かのような言い草であった。しかし、知ったところでスズカが何かを出来るかのといえば、なにもできない。
人の事情に踏み込みすぎても良いことはないのだ。
「………フクキタル」
未だに謝罪もできていない相手の名前を言いながら、スズカは荷物を持って遅れてコースを出て行った。
保健室に連行されて金髪のどえらい美人な保健医さんに診てもらったら特に問題はなかった。ヨシ!
「全く……プライズ、本当に、無茶しないでよ」
「うっ…ごめんなさい。でも、今はこれしかないって思って」
そんなふうに言ってしまうとドーベル先輩は呆れたように肩を竦めて、私の頭を撫でて、かがんだ。
「身体がまだ出来上がっていないのにあんな走りをしない方がいいってだけだよ。これからプライズが成長して、身体が出来上がればあれぐらいのロングスパートもしていいと思うけど」「そうですよね」
「そう。だから、練習で、あんな無茶をしちゃダメだよ」
じゃあ本番ではいいのかな?
「本番でも、あんな走り方は危ないからね」
「うっ…はい」
バレてる。ん〜私、結構わかりやすいのかな。しかし困ったね。どうあがいても選抜レースまでには私の身体は間に合わない。だからさっきのやり方でまくるしかないって思ってるんだけど。選抜レースまでほんのすこしあるから、少しは身体の仕上がりもよくなるはず。本番ではもうちょっとマシに動けると思っておこう。
プライズが模擬レースでベルちゃんを置き去りにした状況は「彼方orアナボ+ノンストが発動」をイメージしていただけるとわかりやすいかもしれません。距離Sもなければスタミナも足りない、現時点でもスズカさんのスピードがぶっ飛んだステータスなので絶対に追いつけませんでしたが。
※なお、スズカさんのスピードはデビューどころかスカウト前なのでまだまだ伸びます。