今年の梅雨は短く、だいぶ暑くなり始めていた。学園ではクラシック級以上のウマ娘は合宿を行うらしいけど、私たちはデビュー直前のジュニア級なのもあってそのまま学園でトレーニングを続行らしい。
「タキオンさんはどうしたんですかルックさん」
「タキオンは夏ダメでね。夏の間はもっと涼しい研究室に引きこもるよ」
「いいの、それ…?」
「じゃなきゃ引きずってこっちに呼んでるよ」
暑くなってきたと同時にタキオンさんがチームの打合せなどへの参加率が激減した。それいいのだろうかチームリーダー。ちなみに、チームというだけあって“チームレース“というURA協賛の特殊種目もあるのだけれど、参加できるのはクラシック級の後半かららしく、未だチーム名すら私たちは決まってない。そもそも、チームレースは全距離走れる子が集まらないとダメなので今だとどう頑張ってもマイルと中距離しかメンバーがいない。
そのうち増えるのかなぁ?
「さぁて、今日は練習の前に打ち合わせするわけだけど、ここで発表がありまーす」
ルックさんがそんなことを言いながら「はい」と私とドーベル先輩にそれぞれ紙を手渡した。その内容はついに待ち望んでいたものだった。
「なんと、2人のデビュー戦が決定しました〜!」
どんどんぱふぱふ〜とルックさんが口で言いながら拍手する。私とドーベル先輩は紙面に釘付けになる。そこに載っているのはそれぞれのデビュー戦のコース内容。私の方は芝1600の左回り。場所は新潟レース場だ。最近のトレーニングで、なんとか無理せずにしっかり根性以外も使える距離だ。
ドーベル先輩はどうなんだろう。
「……………」
「ドーベル先輩?」
ドーベル先輩を見ると、なぜか彼女はワナワナと震えていた。え、なにごと?
「トレーナー」
「なにかな?」
「私の出場予定のこれ、間違いじゃないよね」
「うん。もちろん」
「センチョクってどういうこと?」
センチョク。いわゆる1000mレースの愛称で、新潟レース場の名物みたいなもの、だったかな。たぶん同日開催のレースなのかな。でも、それって短距離だから、マイル以降が得意なドーベル先輩はどうしてこの距離?
この意味をルックさんは答えてくれた。
「最初に言っておくと、枠が余ってたとか、プライズのほうを優先したというわけじゃないからね?」
「トレーナーだとそれも有り得そうだから怖いんだけど」
「信用ないなぁ」
「片付けて3日で部屋をひどい状態にできる人を信用できるとでも?」
「ハイ……スイマセン」
情けないぐらい丸くなってる!ルックさん…部屋は綺麗に使おうね…。
「で?なんでセンチョクなのか理由は」
「端的に言うとドーベルにわかってもらうためかな。君の強みをよりね」
ルックさんはそう言うといきなり席を立ってドーベルさんの横に隙間なく並んだ。ドーベルさんが少し体を傾けて離れようとすると、わざとルックさんがさらに体を傾ける。
「ちょ、ちょっと!なにして」
「それ、レースでもする気?」
一転してひどく冷たい声がルックさんから出て、私たちは固まる。ここまでルックさんをトレーナーとして練習に励んできてわかったことがある。タキオンさんは彼女を熱血と言ったことがあったし、普段の生活がずぼらだったり、何かこぼしたりとおっちょこちょいだったりして、なんか抜けてそうに思えてしまうけど、そんなことはなかった。
トレーナーとして本気の彼女は徹底的に私たちのことを絞り上げるし、強みを最大限伸ばして弱点は無理に伸ばさず最低限必要なレベルまで引き上げる、と言っていたがその“最低限”のレベルが高すぎた。
夫のトレーニングは非常に厳しかった。一年間でなんとか合格するために。それでわかっていたはずだった。教え子としてあるべきトレーナー像を継承したルックさんがどうなっているのか。
「ドーベルは人が苦手だよね。特に男。同性にも人見知りする。観客いると尻込みするでしょ?」
「ッ……!それは」
「選抜レース。頑張ってたけどわかったよ。それがなかったら君もサイレンススズカ級に警戒されてる結果出してた。君の強みは終盤での広い視野と鋭い差し脚。尻込みした結果力が半減してる。それをデビュー戦で自覚してほしい」
私は全然わからなかったなぁ。ドーベルさんの選抜レースはまぁ圧倒的だった。強烈な豪脚、けれど優雅に。名門メジロの名に恥じない走りだった。それなのに、まだ、もっといけたとルックさんは言う。
ドーベル先輩が人見知りなのは知ってて、それを多少克服したというのも聞いたけれど、完全じゃないし、レースにまで影響を及ぼしているってルックさんは言ってる。
「だから、かなりの接近戦になるセンチョクでそこをまずは“潰そう”か?」
にっこりと、とっても優しそうな笑顔をルックさんは浮かべる。タキオンさんのトレーナーである所以が見えた気がする。ドーベル先輩は私に寄りかかっている。いや怖いよね、今のルックさん。
「わ、わかったから…その顔やめて」
「え?どの顔…?」
「…も、もういい…」
自覚がない狂った人って怖いよね!
「まっ、ドーベルの脚なら新バ戦のセンチョクぐらいぶっちぎれると思うよ。タイキシャトルが来たらわからないけどね」
「あ、それならタイキちゃんのデビュー戦はダートの1600って言ってたので大丈夫ですよ」
「おっ、そっか。じゃあ遠慮なくドーベルは頑張ってほしい」
「まるでアタシがタイキに負けるみたいな…」
「正直に言えば厳しいね。今の君とタイキシャトルはタッパが違いすぎる。あの子はスプリンターとして既に一級品になりえる足を持ってるからね。おまけに本能的にレースをよくわかってる。今の君たちの中で一番強いのはタイキシャトルだよ」
「スズカ先輩ではなくて?」
「サイレンススズカは将来的に最大の脅威だけど“今”はただ“速い”だけ。現実的な最大の脅威はタイキシャトルだよ。そもそも、5人での練習でサイレンススズカに届きかけたのは彼女だけだって、君たち自身が言ってたじゃないか」
ごもっともだった。タイキちゃんの素質の高さは知ってるのでそりゃそうだよねとなってる。それにしても、公式戦を練習代わりにってバレたらすっごい反感買われそうだけど、ドーベル先輩は基本一生懸命だし、ルックさんはしれっと心にもないこと言えるだろうし、大丈夫そうかな。
ドーベル先輩は真っ正面から厳しい、なんて言われたので考え込んでいるのか黙ってしまった。私も実を言えばかなり気にしてる。自身が速いと言って憚らないスズカ先輩に対してはある種“しょうがない”なんて思ってしまうところがあったけど、タイキちゃんには本人の気質もあって、そんな気持ちは湧かない。
「……まぁ、今は、だから。これからのことはわからないよ」
「いいよ。事実だから」
励ましの言葉をドーベル先輩は受け取らない。強い子だよね、ドーベル先輩は。
「とりあえず、アタシがセンチョクに出るのはわかったよ。けど、短距離は練習でも正直走ったことがあんまり」
「もちろん調整はちゃんとするよ。仕掛けどころに関しても伝授する」
「じゃあ、よろしく。トレーナー」
「よろしくされました。それじゃ、プライズだけど」
ドーベル先輩への話はそこまでで終わり、あとは私に対してのお話だ。
「まぁ、君はここしばらくのトレーニングで培ったものをどこまで活かせるか試してほしい」
「それだけ…ですか?」
「うん。状況を見て“早仕掛け”もやっていいよ」
え?でもそれって無茶って言ってたよね?私が疑問を浮かべてると、ルックさんが補足してくれた。
「たぶん、今のプライズなら“一呼吸分”早くスパートかけられるよ。全体がスパートに入る直前に仕掛けて、ギリギリ保つと思う。競り合いになっても根性で君ならなんとかなるよ」
本当にそうなのかな?いまいち自覚がない。確かに成長は少しづつしてる気がするけど。けど、1秒でも早くスパートを1人かけ始められたらそれだけでも違う。
「それに、まだデビュー戦のレベルなら君を“気にしすぎる”と思うからね」
「…?」
「囲んだり、全員でマークしたりとはできないけど、プライズが何をしでかすかわからない、って思ってきっと動きが鈍くなる。レースがスローペースになる。端的に言えば、初めてタキオンの走りを見た君みたいにどうやってもスパートが遅れる可能性が高い」
見過ぎてスパートがかかったのを見てからスパートをかければ絶対に間に合わない。それこそ実力が上でないといけない。けど、デビュー戦の相手はそこまで私との差は大きくない。つまり、トレーナーさんの言った通りの展開になる可能性が高い。
「なるほど、わかりました。それなら、私は自分がどこまで出来るか、試してみます」
「それでいいよ。それじゃあ、そのあたり踏まえて今日からトレーニングしていくから、よろしくね」
「「はい」」
こうしてデビュー戦に向けて私たちのトレーニングが始まった。
「いいタイムだ。スズカ」
「ありがとうございます」
サイレンススズカのトレーナーとなったのはタイキシャトルのトレーナーとなった桐生院葵の同期の男性トレーナーであった。冴えないような、冴えているようなボヤけた印象を受ける二十代後半の男性で、実績に関してもURAファイナルズと呼ばれる数年前に新設されたレースにて初代チャンピオンに輝いたウマ娘を育成した実績を持ち、彼の代のトレーナー陣の中では有望株とされている。
サイレンススズカは彼にスカウトされてからというもの、好きなように走らせてもらっていた。今もトレーニングといいつつコースを思うように、好きなように走っていただけである。それでも好タイムを叩き出すあたり、高い素質が誰から見てもあった。
「疲れや、足に違和感はないかい」
「ありません。もっと走ってもいいですか?」
「いや、今日はここまでにしよう」
「え?」
「このあとも自主練で走る気だろう?」
「よくわかりましたね、トレーナーさん」
「顔に書いてあるよ」
サイレンススズカの自主練という名のオーバーワークを見越して、トレーニング中の走る量は周りから見れば異常に少ないと言っていい。これではせっかくの素質が、とサイレンススズカの練習を偵察していた先輩トレーナーたちは思ったが、彼は違った。
「(もう彼女は自身の走り方を知ってる。フォームも微修正だけでいい。あとはどれだけ彼女が“気持ちよく”走れるかという環境づくりだけだ)」
ウマ娘としてのサイレンススズカは現時点で既に、ある程度の完成度を誇っていた。あとはどれだけ彼女の能力が時間の経過と共に伸びていくのか。トレーナーとして必要とされるのはサイレンススズカが走るための環境づくり、そこだけだ。
「では…お疲れ様でした」
「うん。走るのはいいけど、ちゃんとケアはするんだよ。あっ、あと食事はちゃんとメニュー通りにね」
「はい」
トレーニングは終わりとなり、その場からサイレンススズカは立ち去っていく。彼女を見送りながら、トレーナーは短くため息をついた。その様子を見て、ずっと彼の横でタイムを記録し続けていたウマ娘が無垢な青い瞳で見上げてきた。
「大丈夫ですか?トレーナーさん」
「あぁ、ごめん。疲れたわけじゃないんだ。チヨ」
チヨと呼ばれたウマ娘は特徴的な白いメンコがついた耳をピコピコと動かしながら既に走り去ったサイレンススズカの消えた方向に目を向けた。
「わぁ。もう見えなくなっちゃいましたね」
「速いね。言うだけのことはあるよ」
「そうですね…もしスズカさんが私たちと同じ世代だったらと思うと、少しゾッとしますね」
「僕もそう思う。だからこそ、少し怖いんだ」
「怖い、ってどういうことですか?」
「あのまま、無限に彼女が速くなり続けたらどうなると思う?」
トレーナーの言葉に、チヨはうーん、と頭を悩ませた。URAファイナルズ、中距離初代覇者として君臨し、今は半ば引退のうえでトレーナーと四六時中行動しサブトレーナーのような立ち位置になりつつある彼女は選手とトレーナーの双方の立場から考える。
まずは選手として。もしサイレンススズカの底の見えない素質が本当に底が見えず速くなり続けたら。情けないと彼女は思いながらも“折れる”と考える。サイレンススズカのレースのスタイルは完成されれば最強と思える“逃げの完成形“だ。先頭で走り続け、レースを圧倒的スピードで”轢き潰す“。そのうえで、更に差す。そんな動きがもう、おぼろげながら見えている。
完成を見るのは当分先だろうとわかっていても、今の時点で選手としては脅威的だ。
次にトレーナーとしてはここまでの素質を持つウマ娘を育てられるとなると楽しくてしょうがない。おまけにサイレンススズカは既に自身の走りを理解しており、トレーナーとしては基礎的なことをある程度省略して、高次な教えをしやすい。最高の育成選手だ。
だというのに、チヨのトレーナーは何か不安ごとがあるかのようにため息をついた。何故だろうと深く考える。そうすれば、チヨは自らの歩んだ道のりで起こった出来事を思い出し、トレーナーと同じく苦い顔をした。
無限に彼女が速くなる。そうだろう、本当に“スピード“はそうとしか思えない。でも、彼女の身体は?
ガラスの身体に悩まされたライバルとの病室での一幕がよぎる。
「いずれ、スズカさんの身体は故障する、そういうことですか」
「僕はそうだと思ってる。君は知っているよね。ウマ娘が時に、僕たちヒト、ウマ娘の想像を超えてくることを。君もそうだった」
「そ、そんな、私は」
「謙遜することはないよ。だから、スズカもこのまま行けば、自身の身体の限界を超えた速さを身につけてしまうかもしれない」
「ッ…!待ってください、それって」
「だからね、僕は悩んでいるんだよ」
人間もウマ娘も、無意識下で身体が耐えられるようにリミッターをかけているのは変わらない。しかし、レースにおいて、ウマ娘は時折そのリミッターが外れてしまうことがある。スズカほどの能力持つウマ娘がもしそうなれば、その先に待ちうける光景は彼らには容易に想像できた。
「じゃあ、トレーナーさん。どうするんですか…?」
「きっと、彼女を“長く走らせる”だけなら逃げの当たり前のセオリーを教えてしまえばいいんだろうね。あとは彼女の好きなように走らせない。完全に管理して、出場レースも極力絞る」
無理をさせない。単純明快な話だ。が、それでは意味がないとトレーナーは言外に込めていた。
「でも、それでは勝てない。ストレスも溜まる。彼女の幸せにはならない」
「…だから、一つだけ約束したんですか?」
「そう。サイレンススズカとのたった一つだけの約束」
トレーナーはサイレンススズカと契約するにあたって、ひとつだけ絶対に守るように伝えた約束があった。それを守る限り、無理のない範囲で好きに走っていいとも言った。
その約束は――。
「食事だけは徹底管理し、体を頑強なものへ変えていく。上手くいってくれるといいけど」
「最高速度を僅かに犠牲にしてでも、ですよね」
「ダートウマ娘ほどまで行くのは厳しいけれど、やらないよりはね。骨密度、筋肉の付き、何がなんでもスズカの体を強くしていく」
おそらく、その過程で一時的にサイレンススズカは壁に当たる。伸び悩む時期ができてしまうかもしれない。しかし、それを耐えきればきっと…と彼は考える。
「私も頑張って支えます!何せレースでは先輩ですから!」
「頼り甲斐がでてきたね、チヨ」
「えへへ」
チヨの頭を優しく撫でるトレーナーはこれから始まるサイレンススズカの“3年間”が無事に終えられるように祈っていた。
「(どうか、チヨのように大きな壁が立ちはだかっても、彼女がチヨのように前に進めるよう……)」
ベルちゃんのデビュー戦が千メートルなとこは史実
スズカさんの危ない芽は早めに摘んでいくスタイル
今作メインメンバーの各トレーナー
・プライズ、ベルちゃん→(目が)正気じゃないし発光するUMA娘トレーナー
・スズカさん→アプリトレーナー(チヨちゃんとグッドエンド済み たらし)
・タイキちゃん→桐生院トレーナー(ミークとグッドエンド済み パルクールができる)
・フクキタル→???