「孝、これからは僕と共に戦う仲間になってくれないか」
スイムとの因縁に決着をつけた俺は、一晩安静にし三割ほど回復した体を引っ提げ、修司の家に来ていた。
リビングのソファで向かい合い、修司はそんなあり得ないことを言ってくる。
「言っただろ。俺には無理だ。俺はそんな大層な人間じゃない。光の仲間になれない、ただの友達だ」
「やはり、駄目かな」
「一回だけって、言ったじゃないか。俺に求めないでくれよ、頑張ることをさ」
「……うん、わかった。ごめんね孝」
「いや、いい……俺が情けねえだけだから」
一時だけの頑張り。ただの、気まぐれ。俺は負け犬だなんだといいながら、極端に逃走へ徹することすらできなかった。そのくせ一度頑張っても続かない。気力がそこで尽きる。中途半端な、一番駄目なタイプってやつ、なんだ。
「孝、ここ最近の
「気づいてたのか」
「気づくさ」
道理で俺が
そういえば、お姫様もやけに疑問もなくナチュラルに俺の参戦を受け入れてたな。
「戦いたくないってことは、見たいだけなんだね」
「そう、見たいだけだ」
「そうなんだ」
特に嫌な顔もせず、修司は納得する。
「……止めないんだな」
「孝がしたいことなら、止めないよ。もし危険が迫ったら僕が対処すればいいだけだしね」
「俺三回死にかけたけど修司来なかったぞ」
俺の自業自得だけどな。
「孝なら乗り越えられると思ったんだよ。本当に駄目だったら助けに入るつもりだった」
「かなり苦しんだけどな……」
「孝はそれでも乗り越えた。やっぱりやれる人だよ」
「過大評価が過ぎるぞ。スパルタも酷い」
「お茶です」
「ありがとう」
修司に続いて礼を言い、川さんが淹れてくれた緑茶を二人で啜る。
そう、この場には川さんと、お姫様と夢中もいる。聖戦に関わった以上、一度全員で集まることになったんだ。
「たかしくん、わたしもたかしくんが戦いたくないなら戦わなくていいと思う。だってたかしくんは、昨日のはともかく、否が応にも巻き込まれてるってわけじゃないでしょ。逃げようと思えば逃げられる辛く苦しいことなんて、逃げちゃっていいんだよ」
「お姫様……」
自分は逃げられない宿命を生まれながらに背負っているから、お姫様はそう言ってくれるのだろう。
彼女の価値観は、俺に優しかった。
「たかしくん、それでも
満面の笑顔が、美術品のような
「ねえねえ聞いてわかったことがあるんだよっ!」
夢中が突然大声を出した。さっきまでムムムとか言いながら額に皺を寄せていたのに。
「私! 記憶がないっ!!」
「は?」
「まなちゃんどういうこと?」
「またトンチンカンなこと言いだしたな。今すぐ嘘でしたって謝れ」
「さすがにこんな掻き回すだけの変な嘘つかないよ」
「……本当に、記憶がないのか?」
「うん」
「わたしはまなちゃんを信じるよ。友達だもん」
お姫様がそう言うなら、とりあえず今は文句を引っ込めておこう。
「まなちゃん、逆になになら覚えてるの?」
「えーと……家族については覚えてないね。おかーさんもおとーさんも知らないし、学校もどこに通ってたのかわからないし、わかってることといったら、高山くんと一緒にいた方がいい気がすること、ぐらいかな」
「それでよく今まで過ごしてこれたな」
「まなちゃん、異能のバトルにすごくこだわってるけど、それについては?」
「それは最近自分で好きになった趣味だから関係ないと思う!」
「趣味かぁ」
お姫様は思考停止したような表情で緩い声を出した。
「違和感なく今まで過ごしてたけど、記憶のある最近って外
「どういうことだよ……」
よく考えたら俺も夢中についてはなにも知らない。俺の知っていることといえば、
「まあでも特に困ったことはないし問題ないよっ」
「それでもさすがに野宿はどうなんだ」
「なら高山くん
「嫌だなぁ」
「本当に嫌そうに言わないでよ」
「いやいやいや問題大有りでしょもっと真剣に考えようよ!」
お姫様が慌てて体を割り込ませてきた。
「でも困ってないし」
「困ってないって言ってるしな」
「えぇ……」
「僕も夢中さんの記憶については、取り返しがつかなくなるような深刻なことにはならない予感はするかな」
「しゅうじくん……」
「よし、
「記憶の問題は時間が解決する場合もあるしね」
「そうかなぁ……」
「不安になったら一度病院へ行ってみるのもいいと思うよ」
お姫様はまだ納得していなかったけれど、修司がそう締めて緑茶を啜ったので、一旦話は終わりとなった。
――ここに今、ダーシウム・ローレンスという一人の男の話をしよう。
彼は、幸せだった。
「ダー。ダー、ねえ、起きて」
「……おはよう、セリア」
「おはよう」
「朝ごはんできてるから早く着替えて来てよ」
彼は、幸せだった。いや、幸せだと認識すらしていなかった。
暖かさに包まれた、普通の日々だった。幸せだと認識すらせず、幼馴染のセリアと学生生活を送る毎日。
セリアは気立てがよく、いつも彼の世話を焼いてくれた。彼は、腐れ縁の母のような存在だと、そんな愚かな認識で彼女を見ていた。
だからダーシウムは、幸せだったのだと、後になって思う。
「ねえ、ダー、来て」
スクールを卒業する日。彼はセリアに手を引かれ、校舎裏に連れ出された。
向かい合って立ち、夕暮れに横顔を照らされながらセリアはダーシウムを見つめている。
「ダー。私ね、ダーのこと、す――」
頬を赤らめて目を潤ませた彼女が、その先の言葉を紡ごうとしたとき。
セリアは閃光に呑まれ跡形もなく消滅した。骨の一片も残らず、血の一滴すら残してくれることなく。
周囲は
なのに自分だけ無傷で、先までセリアと向かい合っていた姿勢のまま突っ立っている。
ダーシウムにはなにもわからなかった。ただ混乱だけが支配する。
これは、
下手人は属性管理教会。世に起こった属性力に関する事象を管理し平和を保つことを掲げた組織である。
闇の属性神に覚醒する予兆を察知した属性管理教会は、ダーシウムを最優先抹殺対象と認定し、核に匹敵する属性兵器を使用したのだ。
ならばどうしてダーシウムは無傷なのか。答えは簡単だ。闇の属性神で防御されたからである。闇の属性神は覚醒前の宿主を壊されることに対する防御反応を起こしたのだ。
故にダーシウム・ローレンスは生き残った。――生き残ってしまった。この瞬間から生き地獄を味わい続けることを確約されたまま。
ダーシウムは走る。
なぜ自分だけ生き残ったのかもわからないまま。ただ恐怖に突き動かされ、逃げる為に走り続けた。
俺が今まで過ごしてきた町は? 目の前にいたセリアは?
頭が焼き切れるほどの疑問と混乱に支配される中、ダーシウムは、もうセリアとは二度と会えないのだということは予感してしまって。
喪失の恐怖を紛らわせるように、先までの日常を想起する。
セリア、君はなにを言おうとしていたんだ。もし
この時彼は、ようやく気づく。今さら気づく。
ダーシウムも、そんなセリアに淡い恋心を、いつしか抱いていたのだと。
ダーシウムはいつしか、落ち伸びた先で倒れ伏していた。
食事も睡眠も取らず、ただ余計な苦しいことを考えないために動き続けたからだ。
このまま野垂れ死ぬのもいいだろうと、意識を手放したとき。
「大丈夫ですか?」
一人の女性に、ダーシウムは拾われた。
アリッサと名乗ったその女性は、飲食店を経営している若店主だ。住み込みで働かせてもらえることになったダーシウムは、しばらく仕事だけを機械のように熟し、死んだように過ごす。
「ダーシウムさん、大丈夫ですよ。貴方なら必ず立ち上がれます。私もそばにいますから」
けれど献身的に優しさを向けてくれるアリッサに、ダーシウムの心は徐々に救われて行った。
セリアへの想いを忘れないまま、幸せになってもいいと思えるようになるのは難しかったが、アリッサに支えられながら、少しずつ少しずつ前を向き始める。
そうしてダーシウムは長い時間を掛け、再起したのだ。
――――しかし、全ては陰謀だった。
ダーシウムの頭部が転がり、心臓にナイフが突き立てられる。
「ごめんなさいね、ダーシウムさん」
アリッサは属性管理教会の人間だった。
彼に近づき甘い言葉をかけ続けたのは、ダーシウムに心を許させ、精神が緩み油断しきったところを暗殺する為。
だが属性管理教会は、属性神というものを甘く見ていた。最大限に警戒してなお、認識が甘すぎたのだ。
ダーシウムの首は闇の属性神によりまだ空間を越えて繋がっている。心臓も闇に包まれ活動をし続けていた。
「あ゛あああああああああああああああああああああああッッッ――!!」
己の唯一となっていた女に殺されかけた絶望で、遂に闇の属性神が本覚醒を果たした。
どうして。どうして? どうして――! 俺はただ、普通に幸せに、安らかな毎日を過ごしていたかっただけなのに! この仕打ちはなんだ!? 生きることは苦しむことなどという戯言は知らない、いらない、聞こえない。
苦痛よ消えろと慟哭する。
ダーシウム・ローレンスの、もう苦しみたくないという渇望が全てを覆う。
アリッサは闇に呑まれ消滅、息絶えた。ダーシウムは、己の手で、暖かかった拠り所を殺したのだ。
「――本当に、大好きだったのに…………」
彼はアリッサに救われ過ぎたのだ。それが裏返った反動の、深く強い絶望がダーシウムを終わらせた。
「苦しみなどいらない。不幸などいらない。――幸あれ」
ダーシウム・ローレンスは、
彼は、誰も信じられない、ただ苦しみへの忌避を渇望する者と成り果てたのだ。
「本当に泊まる気かよ……」
「当たり前でしょっ! 私にまた野宿させる気なの?」
「今まで野宿続けてたんだろ」
「それをどうなんだって否定したのは高山くんだったと思うけど」
夕刻、聖戦に巻き込まれるのを避けるために、俺は一旦帰宅しようとしているところ。観覧はしたいがもう戦いたくはないからな。
夢中は修司の家からずっとくっついてきている。
「ご両親にどう挨拶しようかな」
「仕事ばっかりでいないぞ」
「え、うそ。じゃあ二人きり?」
「そうなんだよなぁ」
「嬉しそうに言ってよっ」
家に着いた。
「ほえーほんとに誰も居ないね」
夢中は
「おい漁るなよ……」
「大変だよ高山くん、お惣菜もレトルトもないよ」
「それがどうした」
「晩御飯食べられないよ」
「俺が作るから良いんだよ」
「高山くん料理できるの!?」
「俺をなんだと思ってたんだ」
「俺は負け犬だから料理なんて面倒なことも頑張れませーんとかいうのかと」
「許さねえ……」
「待って待って! 包丁持ち出すのは駄目だよ!」
とりあえず飯を作ろう。修司たちと一緒に食べてから帰宅することも勧められたが断ってしまったからな。今夜の戦いの前に、修司がヒロインたちとだけ過ごす時間も必要だろうと思ったから。
いつもは適当に簡単なものを作って済ましているが、スイムを斃した記念にハンバーグでも作るか。俺の戦いはもう終わったんだし、ゆっくり料理して食事するのもいいだろう。
勝手に棚から取ってバトル漫画を読んでる夢中を尻目に晩飯を完成させると、テーブルに呼ぶ。夢中は寝っ転がっていたソファから立ち上がって席に着くが、漫画を読みながら食おうとしたので没収した。
「おいしいっ」
ハンバーグを頬張って笑顔を見せるその様子が、誰かに似ている。
誰だろう。
そうだ。わたに似ているんだ。
「ねえねえ、今さらだけど天谷くんと一緒にいた方が安全だったんだじゃない? また誰かに襲われた時に一番強い人が近くにいる方がいいでしょ」
「いや、俺を襲う理由を持ってるやつはもういない。残ってるのは闇属性のリーダーと、土屋と、風属性のガリオン・ルークスだけだ。その内面識があるのはルークスだけだが、一度助けられたりと俺への殺意は感じない。だから、もう襲われる心配はあまりしなくてもいいはずだ」
スイムは俺が聖戦へ組み込まれたと言っていたがあの時は修司が死んだと思われていたからだ。ヒーローが生きていることが分かった以上、
「高山孝ィ……」
そのはず、だったんだけどな。
玄関が粉砕された。破片が散らばる。俺の家が滅茶苦茶にされる。
夜11時40分前頃、修司の戦いを見に行こうと身支度をしていた俺たちの元に一人の男が現れた。
「なに、貴様だけ救われてんだァ……?」
姫墜劇の主導者。闇属性のリーダー。確かルークスが呼んでいた名前は、ダーシウム・ローレンスだ。
「心配しなくていいって言ったじゃん! 嘘つき!」
「これは俺の判断が甘かった……」
「まあ異能バトル見れるっぽいから良いけど」
「ならなんで一回怒った?」
「おい、聞いてんのかよ負け犬モドキがァ!」
「聞いてる。モドキってなんだ。俺は負け犬だ」
「不幸ぶるな。弱者ぶるな。恵まれた奴が」
「それより聖戦が始まるのは深夜零時のはず、儀式のルール守らなくていいのかよ」
「なにがそれよりだ。誤魔化すな。逃げるな」
「逃げてねえよ。答えたら話に応じてやる」
「儀式の時間は早めた。
「そういうことか」
逃げよう。戦いは全力で避けるんだ。それに属性司者に俺が一人で勝てないことは変わらない。スイムだって修司がいなければ散々遊ばれた挙句に殺されるところだったんだ。
「夢中」
「え、逃げるの? バトル見せてくれないの?」
「言ってる場合かバカタレ」
手を引いて、だと動きが遅くなる。夢中を適当に担いで離脱する。
「そういえば水の人との戦い途中で気絶したまま決着見れなかったんだけど!? 今回ぐらい見せてよ!」
「今さら蒸し返すな!」
「逃げるなア! 話に応じると言っただろうッ!」
ダーシウムが一回跳躍するだけでこちらの背に追いつかれ、拳が飛んでくる。夢中を担いだままどうにか腕で受けた。
「ぐっ……敵の言うこと真に受けんなよ。そもそもなんで俺なんかを狙うんだ」
「俺が、
今より詠唱の場、世界の時は引き伸ばされる。
『属性の祖よ、人に、
聞いたことのない文言だ。
『苦痛の果てに抱いたものは、嫌だ、
安らぎは
苦しみの無い
幸あれ。幸福と安らぎ以外の概念などいらぬ。
苦痛よ、消えろ』
詠唱には、人の弱さと祈りが、悲しいほどに込められていた。
どうしてこんなにも、ああ、共感してしまう。
詠唱とは口にした人間の在り方そのもの。己の詠唱なのではないかと思うほど共感するのなら、似た者同士ということだ。
ダーシウムは鈍色をした無形の
鈍色の手甲に包まれた拳が目の前に迫っていた。ダーシウムは先までよりスピードも身体能力も上がっている。逃げても引き離せない。避けられない。
「っ――
俺が発生させた属性神の氷結と衝撃が、奴に正面から直撃したように見えた、にも関わらずダーシウムは止まらない。
直撃していなかったんだ。氷結によって残留した
「
手甲に覆われた固い拳に頬を殴り飛ばされた。口の中が切れ、鉄の味が広がる。金属のような手甲が舌に触れたのもあってどちらの鉄の味かわからない。歯も何本か飛んでった。夢中も手から離れて飛んでった。意図的だ。退避させるために投げた。
「ぶへっ!」
不時着したような声と音の後、夢中が後ろで文句を垂れている。
だが俺は、
「そうだな……似た者同士のお前が、俺になんの用だ。同族嫌悪か?」
俺はお前に共感しかないけどな。嫌悪感は俺の命を脅かしていることに対してしかない。
「それもある。だが第一に――」
「俺と同類の屑の癖にッ、簡単に! あっさり救われておいて! 負け犬ぶってるのが許せねえんだよォォ!!」
――。
「簡単……?」
「ああそうだ! 貴様は簡単に救われているッ」
修司と運命的な出会いを果たすまでの絶望の日々が、スイムから逃れられない生き地獄がフラッシュバックする。
「なんの根拠があって、んなこと抜かしてやがる」
「貴様は信じられる光と邂逅し簡単に救われた。そして因縁の相手との決着までつけられた。これが恵まれていなくて何という!?」
鈍色の拳が乱打と飛んでくる。手を翳し氷結を向けても、先程と同じで
為す術なく殴られていく中、どうにか我武者羅に拳を振るっても、ダーシウムの周囲を浮遊する金属片が自立移動し楯となって阻んできた。
ダーシウムが苦痛を受けないために編み出しただけあって、あらゆる防御が完璧だ。
そもそも技量からしてダーシウムの方が上。急所だけは紙一重で死守するが、何度も殴られるサンドバッグにされていくだけにしか状況を持っていけない。
ダーシウムは、強い。熟練の属性司者で、儀式を遂行しようとしている者達のリーダーでもあるのだから。前に言ったように、成り立てでも瀕死でもない属性司者相手に俺が勝てる道理はない。
ダーシウム・ローレンスは確かに俺と同類だ。しかし同等ではないということを忘れてはならない。
ただ今の時点で俺が命を落としていないことから、
俺を殴り続けながら、ダーシウムは夢中に視線を向ける。
「そのうえ女まで侍らせているときた! いいご身分だなァ!」
「っ……ぐ、が……修司のことは、ともかく、スイムと決着をつけたところで救われたわけではない。何も気分が晴れることもなかった。それに夢中は異常者だ。女として見てなどいない」
「ともかくなどという言葉で誤魔化すな。貴様は光に救われている。
「なに、言ってるんだ。救われるのはいつだって、目の前にあるなにかにだろ」
「違う。この世に俺が救われると思えるものなど存在しない。なにを試しても心高まることはなかった」
このまま殴り続けられたままでは、たとえ急所を護れても他がぐちゃぐちゃに潰れて死ぬ。すでに骨がいくつも折れている。血も
「貴様には信じる光がある。己の唯一を見出せるほど幸福なことはないだろう。だが俺にはない。なにも信じられない。なにも好きになどなれない。苦しみしかこの世には存在しないのだ」
熟成され腐乱した亡者のような言葉だ。救われたくて、救われなくて、ただ藻掻いている者の言葉。
でも
「だから貴様は、簡単に救われてやがるっていうことだッ! 俺たちみたいな最底辺の負け犬は、奇跡の力に頼るしか救われる道などないというのに!」
だけど、その俺が
「簡単なんかじゃねえ! 修司と出会う前の日々も、スイムに勝つのも、決して簡単なんかじゃなかった!」
俺は苦しみ抜いたんだ。
「だが貴様は運命に出会った! 宿敵に打ち勝った! 俺は違う! 貴様は自分を負け犬だなんだと
俺は負け犬だ。スイムに勝とうが失った事実は変わらず真の勝利とはいえなかった。修司を拝することを生き方と定めようが、苦しみがいつも付き纏ってくることは変わらなかった。
現に、未だに前を向こうなどと思えない。辛い戦いに身を投じようなどと思えない。逃げることばかり考え続け、光を仰ぐことで心を癒しているだけの弱い人間だ。
そのうえ修司を見ているのが楽しくて――苦しいことがゼロにならなくとも、本当に今までの日々とは景色が違い過ぎるほど楽しくて――現状に満足しているから、変われない。いや、変わろうと思えない。
自分から動く気がない人間は、今の地点から光へ上がることは不可能なんだ。
「ダーシウム、俺は光じゃない」
「嘘を吐くなァ!!」
手甲が
「それにダーシウム、お前はまだ自分に合うなにかに出会えていないだけだ。試したってこの世のすべてを網羅したわけでもないだろう」
なんでもいいから言い返したくて、一般的な正論モドキが口から漏れる。
「普段の生活の中で、自分になにが合うか試すことの数だって限られる。本当にこの世のやれることすべてを試すことなど叶わない。手を伸ばした範囲に合うものがなければ、救われることなんて不可能だ」
ああ、そうだろうさ。わかってるよ。
気を窺い隙を突いた渾身の
「なら、お前はどうしたら救われるんだよ。なにがしたいんだよ」
「もう知っているだろう? 姫墜劇を完成させ、奇跡の力により苦痛の無い世界へと至る、それが俺個人の到達するべき場所だ。まだ見ぬ
絶望の底なし沼に溺れたダーシウムには、もうそれしかないのか。
「故に俺は一人の少女を、ルー・リーンバーグを犠牲にする。こんな非道を為すことでしか、俺が苦しみから解放される術はない」
「酷いことだと自覚があるのなら、お姫様の為に今すぐ儀式を取り止めろ」
「そんな正しいことを選べるような人間だったら、どれだけ良かっただろうなァッッ!」
また殴られた。もう痛まない箇所がない。何故こんなに殴られなくてはならないんだ。戦いたくない。逃げたい。現状への不満ばかり。ほら俺も負け犬だ。
「お前が忌む苦痛の道へお姫様を追いやっているとしてもか」
「そうだ。俺が憎む
なんて自分勝手なんだ。ライバルトと同じようなこと言いやがって。結局修司以外の属性司者は全員、自分勝手で我が侭な
ダーシウムの望む方法は認められない。けれど心根は激痛が走るほど解ってしまう。そんな相反する感情が氾濫して、頭ん中ぐちゃぐちゃだ。
――ああくそっ。さすがに殴られ過ぎた。意識が、遠くなっていく。このままだと、数分も持たないまま、死んじまうぞ…………。
「また他人に助けてもらおうとしているのか? 屑が」
お前が言うなよ。