負け犬は光のヒーローをあがめる   作:ソウブ

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4 負け犬共の舞台裏

 

 

 

 俺は、今日の聖戦第一戦目を、ヒーロー番組が始まる前のテレビにかじりつく子供のように心待ちにしていた。

 けれど憂慮すべきこともあって、月が照らす時間になってもマンションの屋上から学校の周囲を見続け警戒している。

 

 そして、見つけた。見つけてしまった。

 

 属性力を垂れ流しながら歩く、真徳(しんとく)高校の男子生徒を。

 

「馬鹿野郎が」

 

 先日教室で修司を睨んでいた(むろ)くんとやらだ。

 どうやら属性神に覚醒してしまったらしい。

 向かっている方角は学校、修司たちがいる場所。

 邪魔するつもりだろう。いや、聖戦がどうこうとかは知るはずがないから、ただ修司に何かしらの危害を加えたいのだろう。

 

 あの時から予感していた、あいつは人に害を与えるタイプの弱い人間だと。

 力を持っている持っていないに関わらずいつか何かをやらかす運命を感じていたんだ。

 理屈じゃない。同じ負け犬の匂いがしたから。

 

 マンションから降りて、室の前に立ちふさがる。

 

「どこ行くんだ?」

「……なんだ君は」

「天谷修司の仲間――いや、ファンかな」

 共に戦えるわけじゃないから。友達にはなったが。

「チッ、あいつの仲間かよ」

「だからファンだって」

「邪魔するならお前も殺すぞ」

「邪魔しようとしてるのはそっちだろ」

 

 俺は修司の大舞台を見ていたいのに。つまんねえことしやがって。

 

「一つ訊いていいか、なぜ修司を狙うんだ」

「……いいぜ。どうせもうおれを止められる奴はいないんだ」

「早く言えよ」

「あいつ、川さんを、幼馴染だからって自分のヒロインみたいにしやがってるんだよ。川さんはおれのヒロインだってのによォ……」

「男の醜い嫉妬ってやつか」

「なんだと!」

 

 くだらねえ。

 メインストーリーに関係ない小物に邪魔なんてさせてたまるか。

 

「おれの願いを(わら)うな! おれは川さんのおかげで救われたんだ。愛して何が悪い!」

「嗤わねえよ。ただそれで光を穢すならお前は俺の敵だし、全力でこき下ろしてやる」

「ならお前もおれの敵だ」

 

 

『世に燻る源よ、属性の()に至れ、我ら自然の体現者』

 

 

 室の属性力(エレメント)出力が膨大へと昇華していく。

 

 

『力が欲しい。願った思いは通じたから、やはり我こそ主役なり。

 想い人よ此方(こちら)を見てくれ。立ちはだかる間男よ、下界で火刑に処されるがいい。

 阻む者などない。己は選ばれたのだから。独壇場の舞台は光輝に包まれる。

 反論などいらぬ。痛みなどいらぬ。苦しさなど皆無。

 おれは只人(ただびと)じゃない。只人じゃない。只人じゃない。我は竜なり。

 ――おれが一番だ』

 

 弱い只人(ボトムヒューマン)が、究極の生命体と成る。

 

属性神(エレメンタル)――人越の竜には誰も敵わないアルティメットドラッヘ

 

 室のひ弱で運動など大してしたこともなさそうな体が、質量保存の法則を無視しながら瞬時に膨張した。

 そして形作られるは、竜そのもの。

 雄々しき角が、鋭い爪が、凶悪な牙が、数メートルの巨躯に生えて生えて生え猛る。

 黒き竜が咆哮した。

 

「おれは最強の生命体だ。お前なんかすぐにぶっ殺してやる」

「お前みたいな弱いやつ、人を殺す度胸もないだろ」

「なんだと!」

 

 竜は爪を振り下ろしてきた。何の技術もないただの素人の振り下ろしだ。されど。

 その出力もスピードも桁違いに化け物じみている。

 紙一重で避けられたが、一歩間違えば掠っただけでボロ雑巾のように引き裂かれ死んでしまうだろう。

 

 致死の一撃が何度も襲い来る。爪を何度も振るわれるだけで、極限の集中力で避けに専念せざるを得なくなるほどの暴虐機と竜は化す。

 少しでも室に戦闘技術があったなら、俺は最初の一手ですでに殺されていたはずだ。

 

 そこらの属性力(エレメント)使いぐらいならば、容易に殺せてしまえるほどの、純粋に強過ぎる力。

 属性神(エレメンタル)に選ばれるだけで人はここまでの超越存在になれてしまう。

 なんの技量も信念もなくとも、極端に強い力さえあれば努力してきた者を殺すのは簡単だ。

 屈強な武闘家だろうと戦車に撃たれたら為す術なく死んでしまうのと同じように。

 

 別に与えられただけの力を悪いとは思わない。俺だって選ばれて与えられた側だから。だから要は、力の使い方だ。

 己の為だけに、人を傷つける用途で使うのなら、与えられた力だろうと努力して得た力だろうと悪でしかない。

 自分以外の誰か、身の回りの大切な人の為だけでもいい、とにかく他者を守る為、助ける為、救う為に使われたのなら、どんな力だって良いものだ。

 大きな力など、結局のところ暴力でしかないのだから。

 光の為に(ふる)ってこそなんだよ。

 

「俺もお前も塵屑(ごみくず)さ。選ばれていながらクソみたいなことしかできやしない」

 室は人の邪魔を、俺は光を見ることだけを、それしかできない愚か者たち。

 光に成ろうとしない、屑でいることを良しとした凡俗だ。

 

 室は竜の体に慣れてきたのか尾を振り回したり、牙で噛み殺そうとしたりと多彩に攻撃を織り交ぜ始めた。

 避けるのが先までより少し難しくなる。

 コンクリートの地面が、夜を照らす電灯が、粉砕され薙ぎ倒されていく。

 

 俺がここまで紙一重とはいえ竜の猛撃を避けられているのは、昔死ぬほど鍛錬をしたからだ。

 けれどだいぶ前に挫折してから、努力なんて一切していない。

 鈍った戦闘技能で、昔取った杵柄を振り絞って(しの)いでいるだけ。

 余裕なんてない。今にも竜の爪に引き裂かれて肉袋になりそうだ。

 だから、突破口を開くための隙が必要。

 

「室、川さんの幸せを願うことはできないのか?」

「好きな人が幸せならそれでいいなんて綺麗ごとは大っ嫌いなんだよ。

 おれの知らないところで幸せになられてもおれは救われない。

 おれはその後も一人で寂しく嫌な世界を生きていかなければならない。苦しいだけだ。おれに好意を向けてくれなければ、おれの(そば)にいてくれなければ意味がないんだ。そのうえでいつか幸せにすればいい」

「その結果川さんが苦しむ未来しかなくてもか」

「幸せにするために全力注げばいいだけだろうが」

「我が侭な子供だな」

「うるさいんだよ」

 

 感情的な人間は煽られれば攻撃が直線的になる。戦場では冷静でいることが重要だ。室はその点でも戦いに向いていない。

 おかげで多彩になっていた攻撃は杜撰(ずさん)になり、まだ避け続けられている。

 感情を爆発力に変えられる一握りの怪物もいるが、俺も室もそういうタイプじゃない。修司みたいにはなれない。

 

「愛される努力をしようとは思わないのか? 魅力を上げて真正面からぶつかって好意を伝えればいい」

「無理なんだよ。努力とか魅力を上げるとか、なにかを頑張れるような良い人間じゃないんだ。光に向かってちゃんと進める人間なんて限られてる。それが現実だろ」

 

 胸に苦しみがじくりと広がっていく。

 弱者の意見は、俺も共感できてしまう。俺も同じ側の人間だからだ。

 先までに言った正論も、俺の本心じゃない。むしろ口にしてて苦しさしかなかった。

 ああ、解るよ室。嫌だよな。苦しいよな。光になんて進んでいけないよな。

 

「だからといって人を傷つけるのは駄目だから諦めろ、と多くの人は言うんだろうな。光へ向かう努力ができないなら相応に妥協しろと。だがな、おれにはこれしかないんだ。この一つの望み以外では幸せになれない。ならば諦めて不幸になり苦しみ続けろ、という結論が突きつけられる。そんなもの、受け入れられるわけがないだろ」

 

 苦しむことこそが正しいなんて、凡人には辛すぎるんだ。

 

「だから奪うしかないんだ。正しいとか間違ってるとかどうでもいい。おれは川さんと一緒にいたい。救われたい。それだけなんだから」

 

 それでも。

 それでも俺は光に出会ったんだ。

 見ているだけで心が救われる光、天谷修司という俺のヒーローに。

 光は此処(ここ)に在ると、俺へ認識させてくれる存在に。

 奪わせない。

 この光だけは奪わせてたまるか。

 結局どれだけ同情しようと室は俺の敵で、故に潰す。

 

「さあ、負け犬同士の小競り合いなんて、もう終わらせようか」

 

 

 

 ――おれは、特に不幸な人生を送っていたわけじゃない。

 両親は仕事でいつも帰りが遅かったくらいで、愛されてはいたし、金がなかったわけでもなく、誰か身内に不幸があったことも、イジメに遭ったこともない。

 

 なのに、毎日退屈だった。

 

 毎日苦しかった。楽しいことが何もなかった。心が高揚しなかった。何にも本気になれなかった。色々試しはしたけれど、どれもすぐに飽きて、空虚な時間が続いていた。

 何にも真剣になれない、熱のない凡人。それがおれだ。

 

 何も特別なことじゃない。おれ以外にも好きなことや、やりたいことがない凡人なんていくらでもいるだろう。

 それでもなんとなくでも生きているのが大多数なのだろう。

 けれど、おれは熱を持てないのが辛くて苦しくて、嫌で嫌で仕方がなかった。

 

 雁字搦(がんじがら)めなまま苦しい日々だけが続いていく。

 今が苦しくて仕方がないのに、なんでもやってみる気概も持てない中途半端な弱い人間は、自力では現状から抜け出せない。

 

 だから苦しいまま、なあなあに時だけ進んで、このまま何も起こらずに死ぬんだと思っていた。

 

 そんなふうに無気力にぼーっと過ごしていたからだろうか。ある日、交通事故に遭った。おれを跳ねて逃げたのはプリウスだった。

 

 

 そうしておれは、運命に出会った。

 

 

 近くを歩いていた川碧唯(かわあおい)さんが、救急車を呼んでくれて、到着するまで看病してくれたのだ。

 

「大丈夫ですか!? 私がついてますから、気をしっかり持ってください」

 後に分かったことだけれど、おれは大した怪我じゃなかった。意識は朦朧としていたが、後遺症もなく全治一週間程度で済んだ怪我だったのだ。

 それでも川さんはおれの手を救急車が来るまでずっと握ってくれていて、俺を元気づける言葉を絶やさなかった。

 おれなんかを助けようと、全力を注いでくれたんだ。    

 

 涙が溢れて止まらなかった。おれは川さんに救われたんだ。心を、救われたんだ。

 この人と、未来永劫一緒にいたい、好意を向けてもらいたいという感情も溢れて止まらない。

 彼女と共にいれば、どんなことだって楽しめるだろう。

 川さんはおれの運命の人だと思った。何もなかったおれが、唯一の熱を手に入れたんだ。

 

 けれど後日、おれは絶望する。

 

 天谷修司。彼女の隣にはいつもあの男がいた。

 一目見てわかった。川さんはあいつを好いていると。

 話しかけられなかった。そんなことしても、打ちのめされるだけだと思ったから。

 彼女は既に誰か(主人公)のヒロインで、おれの入る余地なんて初めからなかった。

 

 されど、おれは唯一の熱を、救いを、諦められなかった。

 

 目の前の現実とやらがふざけている。受け入れられない。狂うほど黒い何かが燃え滾って堪らない。

 どうして主人公とヒロインとして出会えなかったのか。どうしておれはモブで、君は他の男の幼馴染ヒロインなんだ。

 

 赫怒(かくど)と憎悪は燃え上がって――それでもおれはやっぱり駄目な只人だった。

 

 なんの力も無いから、憎いあの男を睨むだけの日々。

 まだ川さんとあいつが恋人になったわけじゃないから。あいつはモテるから、あいつが他の女と結ばれれば、その時川さんに話しかければ、まだチャンスはあるかもしれないから。

 

 そんな考えを抱え続けていた時――属性神(エレメンタル)に選ばれた。

 瞬間、理解する。これは世界の根垣に繋がる力だと。神に成ったかのような全能感が脳に心に広がっていく。

 他は何も知らないが、属性神を行使すれば大体のことができるということだけは確信した。

 

 今なら奪える。

 

 この究極の力が在るならば、何もできない自分を変えられると思った。

 

 おれは救われるために、自分から前に進めるんだ。

 

 おれはできる。

 

 できるんだ。なんでも。

 

 川さんと共に在る未来を、現実にできるのだ。

 

 だから。

 

 

 

「だから、おれが前に進む、邪魔をするなァ!」

 

 愚かな竜(アルティメットドラッヘ)が、大口を限界まで開く。

 

 漆黒の口腔(こうこう)から、総てを焼き尽くす業火が放出された。

 

 究極竜の息吹(ドラゴンブレス)だ。

 

 ――避けられない。

 

 先までの爪や牙よりも、尾の横薙ぎよりさえも、攻撃範囲が広すぎる。

 

 俺程度の速度では、後ろに跳ぼうが横に跳ぼうが、前に跳んで懐に入ろうが三百六十度ブレスが捉え、瞬時に焼き殺すだろう。

 

 室のやつ、素人の癖に切り札を隠し持ってやがった。

 俺が爪や牙の猛撃に集中し、消耗してきたところを切り札で一気に焼き尽くし殺す、それが室の拙い、けれど凄まじく効果的な策だ。

 このままでは避ける術など無く、俺は数瞬後にも炭化して死に落ちる。

 

 

『世に燻る源よ、属性の()に至れ、我ら自然の体現者』

 

 

 ならば打てる手は、俺も機会を窺っていたこれ(属性神)のみ。

 俺が、昔日(せきじつ)に選ばれたとき得た力。

 調子に乗ったこともあった。俺はこれで大切な人を護れると、勘違いしていたことが、あったんだ。

 

 

『心を凍りつかせろ。矮小な負け犬は正常な心では立ち向かえない。

 凍てついた体を無理矢理動かすには、無心の地獄が必要だ。

 己は何もできないから。己は何も護れはしないから。

 闘争するは氷の像。ただ氷結させるだけの機械機構。

 勝利は信じられず、希望は凍死している。

 されどまだ見たい光が僅かに在るのだ。

 もどかしい。それでも気力は萎え堕ちて、凍えて為せる気がしない。

 ()の光を拝しても、自らの光は微塵も輝かせることは不可能な敗者。

 負け犬は、凍りついている』

 

 

 今はただの、錆びた道具に過ぎない。

 

 

属性神(エレメンタル)――星屑に堕ちた氷(ノヴァグラース)

 

 

 手を(かざ)した先に、科学的でない属性力の氷を発生させた。

 炎が浴びせられた瞬間氷は溶ける。俺の氷では竜の息吹を防ぐことは、一瞬程度しかできない。

 

 故に氷で防御しながら足元に氷を発生させ、滑って逃げる(・・・・・・)

 

 一瞬だけでも時間を稼げるのなら、この鍛えた技術で回避は可能。常に氷の壁を発生させながら高速で滑り移動する。これも昔取った杵柄(きねづか)だ。

 姿勢制御も属性力の操作も脳が焼き切れそうなほど難しい。

 

 血を吐くほどの努力の果てに得た戦闘機動。誰も護れなかった役立たずの技術だ。

 

 氷と炎が常にぶつかり合っていることで水蒸気が大量に発生し 視界が著しく悪くなっていく。

 その隙に竜の周りを滑り、背後へと回る。

 

 室は気配を察するなどということはできない戦闘経験のない常人だ。

 俺を見失い、知覚できないうちに飛び掛かる。

 

「竜の聴力を舐めるなアっ!」

 獰猛なる竜爪が背後に振り抜かれる。

 

 粉砕され木っ端微塵となるは氷の塊だ。

 俺が作り出した氷像を、室は俺だと思ったのである。

 

 氷像のすぐ後ろを追っていた俺は、室が攻撃した隙を――

 

「嗅覚もなァ」

 

 水蒸気程度で究極竜の五感を誤魔化せはしない。

 

「がっ!?」

 

 衝撃、視界が流転(るてん)、また衝撃。

 ぐごぎゃっ、なんて嫌な音が自分の体から聞こえた。

 氷で咄嗟に防御したが、あばらと内臓が幾つかいかれた感触がある。

 竜の爪に叩き飛ばされ建物の壁に衝突したのだと、瞬時に理解した。

 

 俺の居場所は最初から暴かれていたのだ。そのうえで不用意に接近してくるのを竜は雌伏(しふく)し待っていた。

 

 俺も結局、弱者に過ぎないということか。圧倒的な存在にただ超越した能力を使われるだけでこれだ。

 

「殺してやるよ。お前も、天谷も」

 

 室は殺意を、俺と、今聖戦に身を投じている修司に向けて発する。

 

 ――室くんか、なんでかいつも見てくるんだよ。理由を聞いても答えてくれない。

 ――なんだそれ。ちょっと締め上げてくるわ。

 ――待って。個性的なだけの大切なクラスメイトなんだから。

 

あいつ(修司)は、お前のような奴でも、大切なクラスメイトだと言ったんだぞ」

「知るか。おれの大切は川さんだけだ」

 

 歩み寄られても、善意を容易く踏みにじるから駄目人間は駄目人間なんだ。どこまでいっても度し難い。

 されど室の力が強いことは確かだ。一定水準を超越した力は誰が扱っても当たり前に強い。

 

 できれば楽に勝ちたかった。俺はもう頑張って苦しみたくなかったから、属性神は確実に倒せる瞬間に発動し、不意打ちで戦闘不能にするつもりだった。

 それはもうできない。属性司者ならこの程度の怪我一日安静にすれば完治するが、今重傷で動きが鈍ることに変わりはない。

 

 だから辛くて苦しいけれど、もうこの方法しか勝つ方法がなくなった。

 

「なあ」

「…………」

「川さんって不細工だよな」

「――ッ!」

 

 まず動きをまた直線的にするために精神を乱させる。大切なものを貶されれば、心の不安定な人間は容易く冷静さを無くすんだ。

 最大の殺意を以って憤怒に染まった究極竜の爪が迫る。単純故に速く強い。命中したら今度こそ氷で防御しようが命を落とす。

 

 だから俺は属性神の出力を、二段上げる(・・・・・)

 即座に常人なら発狂しかける痛みが全身を襲った。つまり俺は発狂しかけている。何もかもを放棄してのたうち回りたいくらいに苦しい。

 

 でも、こうしないと勝てないんだ。頑張らないと勝てないんだ。嫌で嫌で、嫌で嫌で嫌で嫌で仕方がないけれど。

 

 足元に氷を射出するように発生させ、先よりも速く、音速に迫る速度で前に出る。

 

 怒りに任せた素人の直線的な爪を突き出す攻撃を、紙一重で身体を捻り避けながら前へ前へ。

 竜の太い腕に身体を削られながらも、愚竜の眼前へ到達。

 

「終われよもう」

 室も、この苦しみも。

 

 (てのひら)を竜の鼻っ面に押し付け、出力を増した属性神で氷結させる。

 目を耳を頭を、脳を凍らせれば、もう竜は意識を保てない。

 蝋燭の火が消える間際の最後の根性か、室が途切れ途切れに呟いた。

 

「川さんは……滅茶苦茶、綺麗だろうが……目ぇ、腐ってんのか……」

「知ってるよ」

 

 決着。竜は頭部を氷に覆われ、倒れ伏した。

 

「はぁっ……はぁっ……」

 膝を突く。先まで痛みで溢れていた脂汗を拭う。

 室が翼の生えた竜でなくてよかった。飛行されたら、勝てたかわからない。

 

「本当に……苦しかった……もう戦いたくない」

 

 俺は出力を二段上げて数秒耐えるのが精一杯なのに、修司はこの何十倍もの出力を起こし、同じく何十倍もの痛みに耐えているんだ。本来なら狂ってのたうち回ってなくてはおかしい。一億歩譲って耐えられたとしても、苦しそうな顔をしていなければおかしい。けれど修司は平然とした顔で耐えるんだ。

 本当に修司は、常識を意にもしない光だよ。

 

 倒れ伏す竜を、いや、頭部が凍ったまま人に戻った室を眺める。

 属性司者は脳を少し凍らせた程度では死なない。致死量の属性神さえ込めなければ。

 

 殺すのは、できなかった。

 鼻をつまみたくなるような俗に醜いやつでも、憐れな一般人であることに変わりはない。

 それに、室のような弱い人間はよくいるんだ。こういう只人は、先までのように醜い所を見せるときもあれば、良いことをするときもある。全面的な悪なんかじゃないただの人間なんだ。一度悪いことをしたからって、一歩間違えば誰かが死んでいたからって、殺してはい終わりなんて、俺にはできない。

 

 もちろん、ここで見逃したことで後で痛い目に遭うかもしれない。後悔するかもしれない。結局殺す結果になるかもしれない。

 けれど、俺も愚かな只人だから、愚かな選択をしてしまうんだ。

 殺すのは、なるべくしたくない。今まで一回もしたことがないわけではないけれど、少なくとも一般人は殺したくない。殺したくないと思えるやつも殺したくない。

 俺は戦争が当たり前の国で過ごしてきたわけじゃないから。

 昔二度も戦場に身を置いたけれど、それでも通常は戦争のない日本国で過ごしてきたんだ。

 当たり前に人殺しは嫌で苦しくて、やりたくない。

 だからやらない。

 

 この苦しみを蹴散らして、敵を討ち倒せるヒーローは、心が強くて凄いんだ。

 

 一応、脅してはおこう。メモ帳に「次は殺す」とだけ書いてポケットに入れておく。

 これで恐怖を植え付けられて、二度と関わってこなければいいが。

 室や俺のような凡人は、一度死にかけて痛い目に遭えば、なかなか思い切った行動をもう一度とるというのは難しくなる。

 だから大丈夫だろう。

 

 それより早く修司の聖戦を見に行きたい。行こう。歩き出す。折れたあばらが内臓に刺さって泣きそうなほど痛いけれど。

 

 今の戦いはこの苦しみに見合う頑張りだったのだろうか。

 

 どっちにしろ、こんな小物を相手にするのなんて修司がやろうと思えば簡単にやれてしまうことだ。

 我がヒーローなら例え強敵と死闘の最中でも、室程度が奇襲したところで瞬時に一蹴してしまえるだろう。

 あんな憐れな弱い人間に彼の王道へ砂粒ほどの影響すら及ぼせはしない。だから今俺がやったことも大した意味はないのかもしれない。

 

 でも、やはり、天谷修司の物語の完全なハッピーエンドの為に、少し手助けが必要なことなのだろう。

 英雄の負担を少しでも減らすための露払いだ。

 たとえ背中を掻く程度の負担に過ぎないとしても。

 

 そうやって、苦しみを少しでも和らげるために言い訳を重ねる。俺の行動に意味はあったと。

 

 

 

 

 

「あら~。愛しの負け犬さんじゃないですか~」

 ニィィと嫌な笑みを整った小顔に浮かべる少女が、ビルの屋上で水色の髪を(なび)かせる。

 そのサファイアのような瞳には、身体を引き摺りながら己の光に向かって歩く負け犬の姿が映っていた。

「決めました~。またあの子で遊んじゃいましょ~」

 

 

 


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