「なぜ俺を助けた」
「高山君に今死なれると、なにも変わらないと思ったからさ」
「だから、俺になにかを変える力なんてねえよ」
「自虐は良くないよ」
「うるせえ」
「ま、今は特に用はないし、帰らせてもらうね」
「帰れ帰れ」
「またね」
「もう会わねえよ」
風と共にルークスは去っていった。
俺もよろよろと立ち上がって、歩き出す。
早く修司の見舞いに行かねえと。
――修司に近づかなければ、また
いや、それでも、俺は修司の往く道を見ていたい。
見ていられなければ、そもそも俺が意思を持って存在している意味すらないんだ。
結局、ルーお姫様が警告したとおりになってしまったな。
メインストーリーに迂闊に近づけば、酷い目に遭う。
見るだけのつもりだったのに、観測するだけで運命に引っ張られるのだ。
今度巻き込まれそうになったら、全力で逃げよう。
いや、今回も全力で逃げようとした上でこんなになっているのか。
どうすれば、いいんだろうな。
たかくんっ。
ああ……。わた……。
俺の、最初の敗北の記憶。
「こわいよ……たかくんっ……」
「大丈夫。僕が護るから」
そう、僕が護る。僕は選ばれて、力を手に入れたんだ。主人公なんだ。だから大切な幼馴染のわたを護れる。
僕たちの前には、水色の髪をした女の人、スイム・スーが立ち塞がっている。わたを狙う敵だ。
わたは、特別な力を生み出す存在で、僕たちは今、異能者達がわたの力を狙う争奪戦に巻き込まれている。
なんとかの巫女とか言われてたけど、そんなことはどうでもいい。
わたを傷つけるのなら、その障害すべてを僕が蹴散らそう。
「ふふふ~、
そうだ、今僕たちが巻き込まれているふざけた非日常は、巫争奪戦といわれるものだった。でもわたはわただ。巫なんてものじゃない。
「それはそうと~、気持ちよくさせてくださいね?」
ゾクリと、嫌な感覚が背筋を過ぎた。氷柱が入った様ななんてレベルじゃない。毒々しい汚染された水が体を撫で過ぎていく様な、今すぐ吐き戻しかねないほどの不快感と恐怖が襲う。
あいつの目を、見たくない。気持ち悪い。恐い。
でも、大丈夫だ。僕は能力に覚醒した主人公。頑張れば勝てる。
「ほうら~これ防げますか~?」
スイムは空中に水の槍を六本生成し、先端を高水圧で回転させながら射出してきた。
僕は前方に手を
「うふふふ~防げるんですね~。偉いですよ~」
そうだ。僕は戦える。
後はどうにかあいつに近づいて、凍らせることができれば倒せるはずだ。
「たかくん、がんばってっ……」
わたも応援してくれている。涙目で怯えながらも、僕を信頼してくれている。
大切な女の子が応援してくれるのなら、男は無限に頑張れるんだ。
負けられない。絶対に勝つ。
「それなら~、これはどうですか~?」
「が……ぼっ……」
は……? え、なん、な、わけが、わか――っ!?
混乱が支配する。僕は、なんだ、水の中にいるのか。溺れているんだ。水を多く飲んだ。息が苦しい。
突然水の一滴もない地上で水中に放り込まれたんだ。息を止める準備もできなかった僕とわたは藻掻いた。藻掻くだけじゃ水から脱出できない。
「やる気あるんですか~? そうやって数秒動揺してる内に、私は十回以上あなた達を殺せてましたよ~?」
水の中なのに、スイムの声だけが透き通るようによく聞こえた。
――ナメるなッ!
僕とわたの顔から数メートル先の水の外まで、一直線に存在する水を凍らせ、割り、空気を確保する。
咳き込んで水を吐き、空気を思いっきり吸う――時間も
おい。
おい、ちょっと待ってくれよ。
出力が、
僕の氷の
けれど、周囲すべてを凍らせることができるような出力はない。
属性司者の最大出力は決まっているはずだから、これ以上の出力も発揮は無理だ。
つまり最初に与えられた強さの時点で、僕とスイムには大きな差があるということ。
そんなの。
そんなの、勝てるわけが……。
いや、弱気になるな。
勝とうと頑張れば勝てる。
ヒーローは、強い想いを力にするんだ。
僕はわたを護るんだ!
されど、水の空間を何度も展開されて、自分とわたの呼吸を確保するのに氷の
膠着を、打ち崩すことができない。
「坊やの力はもう全部わかりましたし、そろそろ飽きてきたのでフィニッシュにしましょ~」
呼吸を確保することしかできない僕は、スイムに勢いのある水流を放たれれば、容易くわたと離れ離れにされてしまう。
「だがぐんっ……」
わたは僕に両手を伸ばしながら、泣き顔で暴流に呑まれ上に流されていく。
僕も暴流に押さえつけられて、這い蹲って動くことすらできない。
どうして。
どうして動けない。
動けよ。
出力を上げられないとか知らない。
覚醒しろよ。
するんだよ。
勝つんだ。
主人公ならできるだろ。
選ばれた者ならできるだろ。
なんでできないんだ。
気合いを出せ。
根性を絞れ。
やってやれないことなんてない。
やればできるんだ。僕は力を得てヒーローに成ったんだから。
なんで。
僕は。
わたが溺れていく。
わたが苦しんでいる。
わたがどんどん遠くに流されていく。
待って。
待って待って!
行かないで!
手を伸ばす。
届かない。
届いて。
届いてくれよ。
水の中を藻掻く。這い蹲ったまま惨めに
遠ざかっていく栗色。
もう栗色の点しか見えない。
人一人が見えなくなる位置まで水を発生させられるスイムの出力は、
なにもかもが、遠く遠く離れている。
しばらくして、帰ってくる栗色。
十を過ぎたばかりの少女が、透き通った水の空から降りてくる。
帰ってきたのは水死体。
まるで眠っているかのように、安らかに瞳を閉じている。
毛質が細い栗色のたおやかな髪が広がる。
綺麗で
「ああッ! 綺麗です~! これが好きなんです~! イっちゃいますッッ」
背を仰け反らせ絶頂する
「エクスタシィ!!!!!!!!」
水色のナニカは、わたを殺して得た報酬の快楽でとても気持ち良くなっている。
あいつは! わたを殺して! 気持ちよくなってやがる!
「これですこれですこれです~! ほんっとうに、美しいです。坊やもそう思いますよね~?」
「この私の技術を見てくださいよ~。私神業級の職人なんですよ~。溺死って死ぬときに苦しみ藻掻くから死への過程が醜くて、死後も死体が膨れ上がって、これもとってもすごく醜くなってしまうんですけど~、私がちゃんと属性神で体内を操作して表情も肌も整えさえすれば~、あら不思議~。こんなに美しい芸術品の完成です~!」
「ああ~、ほんとう、このためだけに生きてますよ~。気持ちよすぎます~。何度もイっちゃいますよ~イグッ」
「黙れ」
黙れよ。
「あなた、その様子ならまだ楽しめそうですから、殺さないでいてあげます~。感謝してくださいね~」
「ふざけるなあああああああ!!!!」
水色は栗色を伴って、水に乗りどこかへ去って行った。
「ああああ…………」
根こそぎに気力が、熱が零れていくような声だけが喉から漏れ出た。
呆気なく。
本当に呆気なく。
僕は大切な
そうか、と、ようやく気づく。
愚かな勘違いした
過去の想起は終わり、俺の視界は今に戻る。
「たかくんっ。大丈夫、わたはここにいるからねっ」
目の前に踊る栗色。
ああ、そうさ、わかってる。
これは幻覚だ。幻聴だ。
俺の浅ましく弱い心が創り出した拠り所。
だって、十一歳の時のまま姿が変わっていないから。それに目の前にいても触れることもできないから。
それでも今こうして見えて聞こえているのなら、話していたい。
誰になんと言われようと、わたと、そしてリリュースと会話ができているのなら俺はそれでいい。
二人を、忘れたくないんだ。
あの女のせいで全身濡れ鼠になっていることに今気がつき、着替えてから修司の家に向かった。
「異能力だよ! 異能力!」
修司の見舞いを終えての帰路、変な女に絡まれた。
「私見たよ見たんだよ水がバーッて氷でザーって風でブワーって!」
青い制服を着た、黒髪を肩まで伸ばしている巨乳女が何か喚いている。
「ねえねえ教えて教えて。あれなに異能力だよね異能バトルだよね」
俺がスイムにボコられていたのを見たのだろうか。
で、この頭ファンタジー少女は興味をそそられて俺に接触したと。
この少女は属性司者ではないだろう。属性力を初めて見た様子なのと、彼女には属性力を感じないから。体の動きも素人にしか見えない。
非日常に憧れる一般人か。
ふざけんな。苦しいだけだあんなの。
「教えて話して話してくれるまで帰さないよ」
「うるせえ黙れ失せろ」
俺は今むしゃくしゃしてるんだ。
「なんでもするから!」
「そんなこと口にするな。本当になんでもされるぞ」
「異能バトルに関われるなら本望だよ」
なぜ、そんなものに目を輝かせられるんだ。俺はこんなにも逃げたくて堪らないのに。逃げたくても逃げられないというのに。
スイムの顔が浮かぶ。あの狂った女の愉しそうな顔が、俺を逃がさない。
「こんな力がいいのか!?」
俺は本当にとてもむしゃくしゃしていたから、痛い目に遭わせて怖がらせて遠ざけよう、と考えてしまった。
手を翳し、少女の小指をほんの僅かに凍らせる。
つもりだった。
「あぐっ……」
「あ」
勢いあまって小指全体を強く凍らせてしまった、属性力を注がれた氷は、少女の小指程度なら瞬時に壊死させる。この女の子の右手小指は、二度と動くことはない。
「俺は、なんてことを……」
悪役にしかなれない、言い訳の効かない悪を為した。
敵役以外の者がやってはいけないことを、やったら誰からも嫌われる悪を、俺はやってしまったのだ。
これじゃ負け犬どころか、悪人だ。
女の子の体を傷つけるなんて許されない。それも少しの怪我でもない。指一本だ。
小指でも、指一本が使えなくなるというのはかなりの痛みとストレスだ。日常生活に結構な支障をきたす。日々の中で要所要所でストレスを受けることになるのだ。コップを持つのとか大変になると聞いたことがある。
それをわかっている筈なのに俺は、一時の癇癪でこの子を傷つけた。
「ご。ごめ――」
「氷使いだー!」
それでも少女は、目を輝かせた。
「痛くないのかよ……」
「痛いよ! めっちゃ痛い。これは異能力について話してもらわないと割に合わないね」
話しても割に合わないと思う。
変なやつだ。怯える様子も、俺を責める様子もない。
「クレープでも食べながらお話ししよ」
「わかったよ……」
少女の背について行く。
俺はもう、この少女に逆らえない。傷つけた負い目が拒否を許さない。
「私、
「
「なら高山くん、クレープ買って」
「ここぞとばかりだなお前」
「いやならいいけど」
「買うよ」
公園にクレープの屋台があったので、そこで買ってベンチに座る。
「高山くんのせいで左手が使いにくくなったから食べさせて」
右手で食べられるだろう、とは言えなかった。なんで俺なんかに食べさせてもらいたいのかはわからないが。
「おいしいね」
なんで。俺はお前を傷つけたのに。許される範囲を超えて傷つけたのに、なんで、そんな相手に笑顔を向けられるんだよ。
それから、
「すごい! 本物の異能バトルの世界だ! いいないいなー私も属性神に選ばれないかなー」
「甘く見るなよ。実際に人死にが出てるんだ」
「甘く見てるつもりはないけど、それでもやっぱり異能バトルが好きなんだもん」
「まともな倫理観はあるか?」
「失礼な。あるよ。人が死んだら悲しいし、回避できるならしたいと思う」
「ほんとかよ……」
疑わしいもんだけどな。
「でも、やっぱり好きなんだよ。異能バトルの世界にいれば、なにか望みを果たせているような気がするんだ」
夢中の表情は、夢見る少女そのものだ。
なんでよりにもよって、
「高山くん、なにか悩んでない?」
「なんだ藪から棒に」
「あの水使いの人にいじめられてたっぽく見えたから。遠くからで話は聞こえなかったけど」
「いじめられてたって……」
あれをいじめで済ますなよ。
「さすがにそこまで説明する謂れはない」
「んっ」
と壊死した小指を見せつけてくる夢中。
俺は話した。スイムに大切な女の子を殺されたことを、もう戦えない負け犬だということを。
「高山くんは真面目過ぎるんだよ。もっとおバカになりなさい」
「うるせえバカ」
「なんだとー!」
「はははっ」
「なんだ」
ふと、夢中は穏やかに微笑んだ。
「笑えるんじゃん」
「……え」
「笑えるなら、大丈夫だよ」
「――――」
夢中と話すのは、楽しいかもしれない。
……それがどうしたという。俺は
もう俺は、
わたやリリュースの時と同じように、悲劇しか起きないんだ。
すでに俺自身の手で傷つけてもいるしな。
「私いつもこの公園辺りにいるからさ、また異能関連でなにか起こったら呼びに来て。私も一緒に行くから」
夢中とは、二度と会うことはないだろう。