ハッピーセットは知らない。
マルゼンスキーという少女が、ハッピーセットというウマ娘を知ったのは実を言うとデビュー前の感謝祭だった。
真っ白いちびっ子が白目を剥きながら、駿川たづなに追いかけられていたのだ。
肩に身長の半分以上はあるエレキギターを担いで、ハッピーセットは校舎内を爆走である。一緒に青ざめた涙目で、ヴァッサゴという赤毛ツインテのウマ娘がベースギターを抱きしめながら逃げている。彼女たちを追いかける駿川たづなは両腕にプラーンとしたジャーマンケーキとムシャムシャを捕獲していた。それはもうこれでもかというほど目立った。
これにはマルゼンスキーも二度見せざるえなかった。
結局何だったんだ、と後でマルゼンスキーが仲が良い駿川たづなに話題に出すと呆れた顔で教えてくれた。
ハッピーセットが主導として、突発的に感謝祭のステージをジャックしてロックンロールライブを始めたそうだ。
うーん、これはロック! ええやん、許したろ!
そう言って観客たちは一度許した。
だが、彼女たち。
バンド名『モブウマ娘ーず』が歌い出したものが問題だった。
彼女たちが歌い出したのは海外の超有名なアーティストが作った曲──。
──の改変だった。
『ロールオーバーベートーベン』
彼女たちは歌い始めた。
『ベートーベン』を当時レースを賑わせていたレジェンドウマ娘『シンザン』に変えて。
要は『シンザンをぶっとばせ!』という意味にして歌を歌い出したのである。
なお感謝祭に来ているのだ、観客のほとんどがシンザンのファンである。
無駄にうまい歌唱力で、会場を沸かせ、会場を真っ二つにした。
この出来事は、当時のファンたちから頭ハッピーセット事件と呼ばれた。
新たな新星を待つファンたちと、シンザンを神聖視するファン。
まるでそれはロックンロールファンとクラシックファンを直接ぶつけ合わせるほどの戦争の火種であった。
現場はシンザン派に推しウマ娘を推し始める謎のレスバトル会場となった。
シンザン派も負けてない。
じゃあ超えてみろやァ!! と大声でシンザン推しのみんなが叫んだ。
この世界で『シンザンを越えろ』というスローガンが生まれた世紀的瞬間である。
そうして、会場の有様にブチギレた駿川たづなが事態の収拾を図るために主犯の『モブウマ娘ーず』を確保しに走ったというのが事の経緯である。
ちなみに余談だが、このライブのおかげでGⅠに出れるくらいの人気と認知度を得た『モブウマ娘ーず』なのであった。会場で撮られたライブ映像は謎に価値が高騰し、ある意味伝説となっている。
マルゼンスキーはその話を聞いてお腹を抱えて笑った。
ひとしきり笑って、涙を拭き終わって。
そして、少し考えた。
マルゼンスキー自身にとって走るということは、ただ単純に気持ちの良いことだった。
風を切ることが気持ち良い、自分はどこまで行けるのだろう。
ただそれだけだった。
他人の入る余地のない、素敵な競技。
それがマルゼンスキーにとってのレース。
誰かに勝利したいという、凄まじい熱意を持ったウマ娘たちがいることを、そこで認識した。
そして、願わくば自身にもそんな熱意が湧いたらいいな、という思いが生まれて初めて芽生えたのだった。
自分が本格化を迎え、デビューをした時。
同時期に『モブウマ娘ーず』のメンバーがデビューしたと聞いて、楽しげに微笑んだ。
◇
ハッピーセットは知らない。
マルゼンスキーという少女が、ハッピーセットというウマ娘のレースを意識したのはハッピーセットのメイクデビュー戦だった事を。
マルゼンスキーは自分が走るのも好きだったが、他人が走る姿を見るのも好きだった。
その時、本当にたまたま今日はレースを見に行きたい気分だなと思ってレース場へ向かったのだった。
今日はどんなレースかしら、どんな素敵なことが起こるかしら。
そう思って覗いたレースにそいつはいた。
あろうことか、パドックから真っ白いちびっ子が実況解説に噛みついていたのだ。
その子の名前は、頭ハッピーセットである。
『3番ハッピーセット。まずまずな仕上がりですね』
「誰の頭がハッピーセットじゃ!?」
『言ってませんよ!?』
「うるしゃい! 今日は僕が勝つからな、ちくしょう!!」
『な、なかなかの気性難なウマ娘ですね……』
パドックは自分の調子を観客に伝える場なので、当時の本人はちびっ子なりに精一杯自分が絶好調だぞ! と必死に伝えているつもりなのである。
ちなみに後でトレーナーとヴァッサゴに叱られてからはやらなくなった。一部ファンは悲しんだ。ちなみにマルゼンスキーも結構好きなパフォーマンスだったので続けて欲しいと思っていた一人である。
レースが始まる。
ゲートが開き、レース前半。
『おっと最後方にいた3番ハッピーセット、落ち着かない様子! 掛かってしまったか!?』
スタートこそ良かったものの、ハッピーセットはものの見事に掛かっていた。目を強くパチパチと瞬きながら落ち着かない様子で足をすすめている。
マルゼンスキーは息を呑んで、ハッピーセットの一挙手一投足から目が離せなくなった。
はっきり言って拙い走りだ。まさにジュニアのウマ娘と言った感じ。
到底、学ぶものを見出すのも難しいレベル。ジュニアにしては少し他の子より身体能力が高いくらい。
マルゼンスキーは本格化を迎える前からクラシック、シニアなどのウマ娘と併走することも多かったから、その手の技術の有無の審美眼は磨かれていた。
だけど。
見ているだけで感じたのだ。
凄まじい熱意を。
このレースで走る誰よりも、何よりも勝ちたいという小さい体からは考えられないほどの熱量が伝わってきたのだ。
──勝ちたい!
一歩ハッピーセットが足を踏み出すたびに、その思いがマルゼンスキーの胸の内に響いた。
目の前のターフからビリビリと、波動のように気持ちが伝わってくる。
それはマルゼンスキーがウマ娘の本能として最も知らない感情だったから、なおさら自分の中に目覚めたざわつきに戸惑った。
他のウマ娘にだって勝ちたい渇望を強く持った子だってたくさんいるはずだ。
なんで彼女のレースを見たこの時だけこんなに胸が騒ぐのだろうか?
自問自答する。わからない。
レースも後半に差し掛かる。前半に掛かったせいでスタミナが無くなりかけているのか、ハッピーセットは苦しそうな表情だ。
それでも速度は落ちない。
マルゼンスキーにはハッピーセットが足を踏み出すごとに、ターフが震えるように揺れて見えた。
勝ちたい勝ちたい、勝ちたい! その感情がターフを揺さぶっているように見えた。
決着がつく。
ハッピーセットが他のウマ娘を全て追い抜いて、ゴール板を抜けたのだ。
いつの間にか息を止めていたマルゼンスキーは、ほっと息をついた。
「僕の、勝ちだ! デビューはもらったぞ、おー!」
「……ああ、そうね。あの子は、私の同期だものね」
ストン、と納得のいく理由が見つかった。
他のウマ娘との違い。
同じ時代、同じ世代を共に走る者。
トレンディドラマのような、運命的な出会いを期待している。
ターフで全身を使って、嬉しそうに騒ぐ白いちびっ子を見てマルゼンスキーは自分の胸を押さえた。
あの子に追いかけられたら、私もレースの中で新しい楽しみを見出せるかもしれない。
ターフからくる新緑の風を感じて、一度感じた胸の高鳴りは強くなるのだった。
◇
ハッピーセットは知らない。
マルゼンスキーという少女が、どれだけハッピーセット達と同じレースを走るのを楽しみにしていたのかを。
日常で『モブウマ娘ーず』に声をかけようと思っても、トレセン学園のどこで練習しているのかと思うほどすれ違わない。マルゼンスキーは同じレースを走る相手でも、物おじせずに普段通り話しかけられるタイプのウマ娘だ。
親しくなりたいという気持ちが大きくなる。
普段と少し違う気持ちにドキドキする。
どうしようかしら。そう思って一度担当のトレーナーに相談をした。
マルゼンスキーの担当トレーナーは言った。
であればとびっきりの出会いが演出できるな、と。
マルゼンスキーは思い出した。
自分の大好きなトレンディドラマを。
最初にとびきり衝撃的な事件で出会い、どんどん主人公の女の子が相手を意識して惹かれていく展開。
とびっきりの印象を植え付けてあげなきゃね。
そう思って、今まで以上に充実したトレーニングに励む日々だった。
楽しくいつも通り走ることと、後ろを突き放す走りのスキルを学んでいく。
……そのマルゼンスキーのあまりにも強すぎる能力に、周囲のウマ娘の中で敬遠されていることをヒシヒシと何処かに感じながら。本当に一緒のレースを走っても大丈夫だろうかと一抹の不安を胸に隠しながら。
──運命の日が来る。
12月前半。
吐息が白くなる頃。
胸の不安とワクワクが入り混じった時。
GⅠレース『朝日杯フューチュリティステークス』が始まる。
マルゼンスキーとハッピーセット達『モブウマ娘ーず』とパドックで初めて直接顔を合わせた。
今回のレースも余裕余裕! と謎の余裕を見せるハッピーセットに出会う。ハッピーセットはジュニア級の中では確かに精鋭と言えるくらい仕上がっていた。そのハッピーセットを諌める他の子達もいい感じの仕上がっている。
だがそれでも、マルゼンスキーには届かない。
なぜなら、マルゼンスキーは本格化が始まったばかりのこの時期に、すでにシニアのウマ娘に勝利できるほどに研ぎ澄まされていたのだ。
まさに『怪物』だった。
成長の余地をまだまだ残した『怪物』そのものだった。
レースに参加したウマ娘達は分かってしまった。
会場にいた観客全員も分かってしまった。
──格が違う。
ぽきりぽきり、あっけなく心が折れる音がレース前にその辺で叩き売り状態である。
それがわかっていないのは頭ハッピーセットだけであった。
レースが始まる。
開始直後、マルゼンスキーを潰すために、心が折れたウマ娘たちがせめて道を塞ごうと努力した。
──捻じ伏せる。
作戦を逃げにしていたウマ娘たちが、先行策に見えるほどの大逃げの展開になる。必死に追い縋ろうと、死に物狂いで足を回す。だが、追い比べ状態にすらならない。
──捻じ伏せる。
観客がマルゼンスキーの名だけを呼ぶ。
そんな圧倒的なレース展開でも、マルゼンスキーは背中からビリビリと波動を感じた。
声が聞こえた。嘶きが聞こえた。
『勝ちたい』
諦めていないウマ娘がいるのか?
ちらりと、後ろを見る。
ああ、よかった。
先頭を行く自分を睨みつけるように、最後方から真っ白なウマ娘が飛び出してきた。
心が軽くなった。
──だからだろうか?
その日、マルゼンスキーは今まで使ったことのなかった『領域』に踏み込みんだ。
自分でも何が起こったのかわからないくらい、体が自由に動いた。
今まで使っていなかったギアが、一段階上がるのを感じた。
体の中で紅蓮の焔が湧き上がり、レースの中で劇的に成長をする。
『スーパーカー』が目覚める。
そして、ゴール板を駆け抜けた。
後続とは10バ身以上の圧倒的な大差勝利。
LAPタイムは当時の日本レコードタイム1.21.1。
それでいて余裕を感じさせるミドルペース。
後に『紅焔ギア/LP1211-M』と『領域』は名付けられた。
「マルゼンスキー!!!!」
自分の中の新たなステージに驚いていたら、後ろから名前を叫ばれる。
恐る恐るマルゼンスキーは振り返った。
そこには。
ギラリとした視線、勝利への飽くなき渇望。
走り終えた後のマルゼンスキーの不安を全てどこかに飛ばしていく
こうしてマルゼンスキーは転生者の伸びていた鼻っ面をたたき折る。
そして同世代問わずウマ娘たちの心を、意図せずに叩き潰したのだった。
◇
ハッピーセットは知らない。
マルゼンスキーという少女が、GⅠ後にどれだけ不安に思ってトレセン学園の日々を過ごしていたかを。
──『モブウマ娘ーず』にどれだけ救われたのかを。
今まで併走を頼んでいたウマ娘たちが、露骨にマルゼンスキーを避けるようになった。
マルゼンスキーは自身のトレーナーに相談して、なんとか相手を用意してもらうことにした。
それでも、マルゼンスキーと併走したいウマ娘がとたんにいなくなってしまう。
クラシックとシニアのウマ娘ですら、つぶれてしまうからと断る有様。
面と向かって同世代じゃなくて本当に良かったと言われたこともある。
同世代にただ楽しんで走るだけならレースに出ないで、と言われた。
GⅡレース『スプリングステークス』に出走を表明したはずなのに、なかなか相手が集まらない。マルゼンスキーが出るからという理由で、レースを避けるウマ娘たち。
どう反応していいかわからなくて、曖昧に笑って過ごす日々。
そんな中でマルゼンスキーが折れなかったのは生来の性格もあったし、白いちびっ子の睨みつけを思い出していたからだ。
ある日、我慢できなくなった。
マルゼンスキーはハッピーセットを探した。
自分はレースに出てもいいんだよね?
そう聞きたくて、必死に探した。帰ってくる答えを想像するのは怖かったけれど、関わりなんてほとんどないのに、自分でもどうかと思うのに、探さずにいられなかった。
いない。
どこにもいない。
トレセン学園中を探した。
それでも見つからない。
彼女も、折れてしまったのだろうか?
嫌な予感がマルゼンスキーの中で大きくなる。
普段トレセン学園の生徒が行かない場所まで迷子の子供のように歩いた。
そして。
見つけた。
いつかの感謝祭の様に『ロールオーバーベートーベン』を歌いながら。
『ベートーベン』を『マルゼンスキー』に変えて、ドヤ顔を晒しながら。
大きな荷物を持って、マルゼンスキーをぶっとばせっ! と意気込んで、どこかに旅立つ四つの背中を見つけた。
一緒にGⅠレースを走ったメンバーだった。
追いかけないとと思った。
だけど見つけたはいいが、足がすくんで動かなかった。
マルゼンスキーは世間じゃ『怪物』と呼ばれているが、強いだけの普通の女の子だったから。
彼女たちにさえ、一緒に走りたくない、そう言われたらきっともう走るのが楽しくないから。
──結局、声をかけることはできなかった。
マルゼンスキーは呆然と、旅立つ四つの背中を見送ることしかできなかった。
雨が降る。
傘もささずに道の真ん中に突っ立っていると、知らない男性が声をかけてきた。
どうやら、この辺りでバーガーショップを経営している店長らしい。
気もそぞろなまま、店に案内されてタオルを渡される。
温かいコーヒーを出してもらった。
案内したバーガーショップの店長は何も語らずに、マルゼンスキーを放置してグラスを磨いている。
聞き覚えのある音楽が流れる。先ほど聞いたような曲だ。
マルゼンスキーはなんとなく店内のジュークボックスに視線を向けた。
その近くに色紙が一つ堂々と飾られていた。
『モブウマ娘ーず!』と中心に書かれて、先ほど見送ったハッピーセットとヴァッサゴとジャーマンケーキとムシャムシャの名前が記載された物。それはハッピーセットがいつかビックになるから置かせてくれ! と言って仕方なしに店長が置いていた物だった。
その色紙をじっとマルゼンスキーが見つめていると、バーガーショップの店長さんが口を開いた。
「その色紙、初めは迷惑だなと思ったよ。とんでもない奴らがきやがった、って」
「……?」
「でもね。その色紙は未来で値も付けられない程すごい価値になると思うんだ」
「どうして、かしら?」
ニヤリと、どこかのドヤ顔に似た顔で。
謎の自信に溢れた雰囲気で。
妙な確信を持った様子で。
『モブウマ娘ーず』ファンの店長は言い放つ!
「いつかスーパーカーをぶち抜く連中の名前だからな! 何があったか知らないが、腑抜けてる場合じゃないぜ、マルゼンスキー!!」
唖然としたマルゼンスキーの心の中で、消えかけていた熱が湧き上がる。
彼女たちのファンが、自分との対決を望んでいる。
それだけ分かれば、もう迷う事なんてない。
──だって、自分はウマ娘なのだから!
「ふふ、……最高にチョベリグな気分だわ♪」
「ちょべ……?」
「ターフを疾走するスーパーカー。そんな異名に違わない走りで、簡単に抜かせてなんてあげないわ!」
「あ、ああ! それでこそ箔がつくってもんだ!」
バーガー食いな、と注文してもいないのにマルゼンスキーに美味しいハンバーガーの提供が行われた。この後以降、ウマ娘があまり来ずにトレセン学園にいるよりも心落ち着くので常連になるマルゼンスキー。地味に『モブウマ娘ーず』が修行でいない間の店の経営を支えたのだった。
メニューにはいつの間にかバーガーショップであるのにティラミスとナタデココが追加されていた。ウマ娘の中で最高にナウいとマルゼンスキーの言に踊らされた店長。売上は推して知るべしであったのは間違いない。
◇
ハッピーセットは知らない。
マルゼンスキーという少女が、ハッピーセットに声をかけられるまでどれだけ焦れていたのかを。
『スプリングステークス』
パドックへ向かう道、地下バ道にて人を待つ。
真っ赤な勝負服に身を包み、下を俯いて人を待つ。
無言で、静かに。
マルゼンスキーの明るさを知っている者が見れば、不安になる程静かに待っていた。
スプリングステークスの出走表はあえて見なかった。
見れば誰が出走登録したのか簡単にわかるから。
ドラマのクライマックスみたいだと思った。
ドキドキして、結末を待つ。
5人。
自分を含めて5人だ。
レースが開催できる最低限の出走者数。
他のウマ娘たちがマルゼンスキーとの勝負を避けた結果である。
もし、もしも。
もしも彼女たちが来なかったらどうしよう。
レースの開催が近づくにつれて、どうしても不安になってしまう。
バーガーショップでの店長と話をした後、最低限の調子を取り戻したマルゼンスキーではあったがやはり不安なものは不安であったのだ。
担当のトレーナーはマルゼンスキーの不安を見抜いて、出走者を教えてくれようとしたが、マルゼンスキーは拒否をした。
だって、マルゼンスキーは信じていたから。
きっと来てくれると信じたから。
足音がした。
誰かが後ろから近づいてくる。
ああ、この波動は。
この勝利への渇望、熱を感じさせる波動は。
初めて彼女のレースを見たときに感じたソレだった。
「マルゼンスキー」
振り返ると、真っ白なウマ娘ハッピーセットがいた。
本当に小さくて、だけど気の強そうな瞳を自信でキラリと輝かせている。
声をかけられてから、自分が何と言葉を返せばいいか考えてなかったことに気がつく。
「……あら、ハッピーセットちゃん」
「誰が頭ハッピーセットじゃ!」
「言ってないわよ!?」
思わず吹き出しそうになる。本当にこの子はこういう謎のツッコミをしてくれるんだと思った。
「「……」」
そのあと一瞬間が出来る。
お礼を言うべきなのか、良いレースにしましょうと言うべきか。
お礼にしては、こっちから一方的なものだしハッピーセットちゃんも困っちゃうわよね。とか悩んでいると。
ふんす、と鼻息が聞こえた。
ハッピーセットはまるで子供が背伸びをするように、身長差のある私の顔を見上げながら、やはり謎の自信に満ち溢れたドヤ顔でマルゼンスキーの度肝を抜く。
「聞いて驚け! 僕は二位以下のウイニングライブの練習をほとんどしてこなかった!」
「ええっ!?」
急に何を言い出すのこの子は!? と心底驚く。
そして。
──心の導火線に火をつけた。
「だから勝つ! このレースは勝つ! 次のレースも勝つ!!」
目の前の少女から溢れんばかりの勝利への渇望が伝わってくる。
どこを見ているマルゼンスキー、と。
ハッピーセットの魂の熱量が溢れて、マルゼンスキーのウマソウルに薪を焚べる。
一緒に走ろう、さぁレースをしよう!
宣戦布告される。
「よそ見してる場合じゃないぜ!」
『怪物』と呼ばれた。
もうトレセン学園でマルゼンスキーと共にレースを走りたがる子は消えた。
そんなマルゼンスキーに、一緒に走ろうと思ってくれるウマ娘が目の前にいた!
レースの前なのに、涙がこぼれそうになる。
でも、ここまで宣言してきたライバルの前に涙なんて見せたくない。
何度もパチパチと瞬きをして、不敵に笑う。
このレースに参加しないウマ娘たちはなんて不運なんだ。
枠が余っているなんてとっても勿体無い。
だって、このレースは。
──最っ高に、気持ち良いレースになるって決まっているんだから!
言いたいことを言ったのか、ハッピーセットがマルゼンスキーの横を通ってパドックへ向かう。
誰とでも名前を呼ぶときにつけていた『ちゃん』付けを止める。
だって、彼女は私のライバルなんだから。
それに宣戦布告されたのだ。こっちも言い返してあげなきゃね!
「ハッピーセットのお陰で調子はバッチグーよ。レースの後に一位のあたしが二位以下の振り付けを教えてあげるわ!」
「う、うるしゃい! 僕が勝つからそんなことは起きないもん!」
格好をつけるようにハッピーセットはマルゼンスキーを振り返ることはなかった。
その背中をクスクスとマルゼンスキーは笑って見つめて見送った。
そのマルゼンスキーの背中に、再び声がかかる。
「ハッピーセットちゃんはすごいでしょ」
「!」
赤いツインテのウマ娘ヴァッサゴがいた。
そしてジャーマンケーキとムシャムシャの姿も。
あの時、返事が怖くて追えなかった背中たちだ。
「すんごいアホなことばっかするし、人のポテトは勝手に食べるし、頭ハッピーセットだし。だけど、どこか憎めなくてねー」
たまにめちゃくちゃ暑苦しいし、と語るヴァッサゴの言葉に、目を瞑って腕を組みながらジャーマンケーキとムシャムシャが頷く。
ヴァッサゴはどこか呆れているように肩をすくめながら言葉を続けた。
「私たちはさ、マルゼンスキーさんみたいに飛び抜けた魅力も強さも持ってない」
「そんなことは……」
「ううん、私たち自身が一番わかってる。一度、マルゼンスキーさんの走りを見て心折れちゃったもん。……でも!!」
ずびしっ! と、マルゼンスキーの胸を指差しながら、ヴァッサゴたちは宣言する。
「今日私は勝つよ! 勝つまで走る、ダメだったらまた修行して挑む!」
「正直もう海は見たくないんだけどね。でも、今日は私が勝つからねー」
「もうムシャクシャするのはごめんです……。今日は私が勝ちますから」
そうして、呆然とするマルゼンスキーの横を通り過ぎる。
通りすがりに3人が声を合わせて一言。
「「「私たち5人いれば、重賞レースだって出来る! 貴女も気持ちよく走って!」」」
そうして彼女らもパドックへ向かっていった。
無言で、マルゼンスキーは上を向く。
ポタリと、滴が落ちたが見たものは誰もいなかった。
◇
レースが始まる。
いつも通り、気持ちよく思いっきりスタートダッシュを決める。
ちらりと、ハッピーセットたちの顔を見る。
全員と目が合って、不敵に笑い返される。
ふふ、と笑みが溢れた。
彼女たちは、本当に仕上がっていた。
以前とは比べ物にはならないほどの研ぎ澄まされ具合。
クラシックであるのに、シニアに挑めるほどの力を感じさせる。
だが、マルゼンスキーも何もせずに彼女たちを待っていたわけではない。
彼女も以前よりはるかに体が出来上がっていた。
成長する『怪物』とは、まさに彼女のことだろう。
──かっ飛ばすわよ!
最高のレースにする。
その思いが、今朝までのマルゼンスキーよりもはるかに強さを高めていた。
レース前半。
後ろから四人全員分の勝利への渇望の波動がビリビリとマルゼンスキーの背中を叩く。胸の奥のウマソウルが暴れ出す。マルゼンスキーは生まれて初めて掛かりそうになった。だが強靭な肉体と黄金の精神力でその胸の高まりを、まだだ、まだ掛かるな、まだだ! と鎮めて自身のレース展開をする。
ここで掛かって、無様なレースにしたら、台無しだもの!
レース中盤に入る。
踏み込みの音が聞こえた!
四人が仕掛けてきた、とマルゼンスキーには見ずともわかった。
ヴァッサゴとムシャムシャがマルゼンスキーの前を奪うために、以前とは比べ物にならない加速力でバ身を縮めてくる。そして、その息遣いに隠れてジャーマンケーキが差し切るために身を低く沈めて加速するのを感じる。
マルゼンスキーの頬が染まって、紅潮する。
ああ、嬉しい。嬉しい!
こんなに楽しいレースは初めてだわ!
そして。
ビリビリと、一歩踏み出すたびに最後方から蹄鉄の音が響く。
ハッピーセットが普段の何も考えてなさそうな顔を引き締めて、マルゼンスキーを睨みつけるように前を狙ってくる。
──ぶるり、マルゼンスキーの胸の中でウマソウルが活性した。
早過ぎるレース展開。
そうじゃないとあたしに追いつけないと思ったんでしょ!
でも。
でもでもでも!
──そう簡単に抜かされてなんてあげないんだから!
『領域』に踏み込む。
世界が変わる。
大好きな父の持っている真っ赤なスーパーカーのように、凄まじい加速力を再現する。
クラッチを踏んで、ギアを上げる。
今までそこまで上げてはダメと戒めていたけど!!
行ける、今まで行けなかったところまで!!
ねぇ、だってそうでしょう?
一瞬だけ、白と視線を交える。
追いついてきてくれるでしょ?
──ハッピーセット。
爆発的に加速する!!
今までよりもさらに速くターフの緑が後ろに流れていく。
今が過去最高。
いえ、まだまだ上がっていっている。
なのに。
足音が聞こえる。
蹄鉄を鳴らす、気性難な息づかいと嘶きが!!
後ろから痛いほどの波動がマルゼンスキーの背中を打ち付ける。
一人、一人と道中のウマ娘たちを追い抜くたびに、まるで魂が爆発するような音が聞こえる。
『モブウマ娘ーず』全員が修行で培ったアオハル魂が、今まさにここで燃焼されていっているのだ。一人一人の想いを爆発させて、ハッピーセットはマルゼンスキーに迫ってくる!!
残り400。
どんどん気配が近づいてくる。
すごい、すごい!
でも、だから!
──あたしも負けたくない!!
背後でおそらく最後の爆発が響く!!
残り200。
マルゼンスキーの中からレースに不要な余分なものがどんどん昇華されていく。
レースの中で成長して、ここでさらに仕上がっていく。
なのに、足音がすぐ後ろから聞こえる!
勝ちたい、勝ちたいと魂を響かせる足音。
その強い想いにレース中のマルゼンスキーとハッピーセットのウマソウルが共鳴して、初めてウマソウルがマルゼンスキーに囁きかける。
負けたくない、負けたくない!!
違う!
──勝ちたい!! と叫んだ!!
残り50。
横にハッピーセットが並ぶ。
見ている余裕なんてない!
勝ちたい、あたしは勝ちたい!
生まれて初めてこんなに必死になったと思うほど、死ぬ気で足を回す!
残り10。
譲らない、決して譲らないわ!!
勝つのは、勝つのは勝つのは!!
あたしが、あたしがあたしが!!
「僕が!」
「あたしが!」
残り0。
「「勝つッ!!!」」
ゴール板をほぼ同時に駆け抜けた。
限界だったのかハッピーセットが呼吸音を響かせて、ターフに転がった。
お互いに、勝敗が気になって掲示板を食い入るように見つめる。
映る。
書いてある文字は、──ハナ。
一着と二着を明確に分ける言葉。
腕を天に掲げる。
会場が、歓声に沸いた!
『凄まじい接戦を制したのは、一着マルゼンスキー!!』
勝利の実感が湧いてきて、胸の内が踊って、最っ高に気持ちよくて。
何度も何度も空に手を突き上げる。
生まれて初めて感じた、勝利の充実感。
でも。
嗚咽が聞こえて、はたと固まった。
前回、大差負けしても睨みつけて戦意を失わなかったハッピーセットが泣いていた。
息が止まった。
足がすくんだ。
そんな時に、ゴールして追いついてきた三本の手に背中を押されてツンのめる。
振り返ると、清々しそうな笑みを浮かべ、──涙をこぼすヴァッサゴたちがいた。
覚悟を決めてマルゼンスキーはハッピーセットの前にいく。
また、この子と走りたい。
手を差し出して、その想いを伝える。
「あのね、本当に楽しくて。こんなレース初めてで」
「うるしゃい」
「あ……、そのごめんなさい」
時が止まったかと思った。
おろおろと、行先を失った差し出した手が、宙ぶらりんに揺れる。
だけど、そんな手をガシリと小さな手が捕まえた。
捕まえてくれた。
「次は、僕が勝つ……!」
「!」
会場が歓声で溢れる。
ああ、本っ当に最高ね!
先ほどの不安なんかどこか遠くに飛んでいってしまって。
自信満々に、──
「いいえ、次もあたしが勝つわ!」
マルゼンスキーは立ち上がらせたライバルの掴んだ手を確かめるように振ってから、何度も頷いてみせるのであった。
サクラチヨノオー√の現役時代マルゼンをイメージして書いてます。
このマルゼンは多分ダービーに出る。
そして特別ライブをやって『Gamble Rumble』歌って踊ってほしいと思う作者なのでした。
この作品の出演キャラたちに似合う曲だと思う。
予想以上に反響が多くてびっくりしました。
感想お気に入り評価ここ好きありがとうございます。
思い切ってマルゼン視点まで書いたんですが、正直自信はないです。
スポ根って感じで、そこまで主人公と関わらないライバル関係がもう少し上手く表現したかった。
やっぱみんなマブイチャンネー好きなんすねぇ。
もっとマルゼンSS増えろー!
追記。
色紙の部分のビッグをビックと書いてるのは、わざとです。
その方が頭ハッピーセットらしいかなと思ってます。
誤字報告は全て拝見させていただいています。
作者自身の誤字が多く大変気を遣っていただけてありがたいです。
本当に、いつもありがとうございます。