幼き剣姫の一撃により、大最悪はその機能を停止した。18階層に轟いていた咆哮も、全てを焼き尽くす禍々しい炎も、全てが消え去る。
残っているのは、モンスターの残骸である大量の灰。
その大量の灰の傍らで、少女は少年に抱き抱えられていた。
労いの言葉をベルからかけられ、喜びの感情を隠さないアイズは、見るものを魅了する程の笑みを浮かべ、ベルに抱きついた。
その時間は、少女からすれば至福のとき。自分の中での英雄である父親でさえ、アイズの英雄にはなってくれなかった。だが、ベルは、なってくれた。アイズの英雄に。その存在に抱きしめてもらえるのは、格別なものだろう。
その時間は、数秒しか経っていないが、アイズは永遠のようにも感じた。このまま続いて欲しいとも感じた。
「アイズ」
それでも、その時間は続かない。ベルの腹にうずめていた顔を離し、ベルの顔を見る。
「まだ終わってない。リヴェリアさん達の加勢に行かないと」
「あ……そうだった」
幸せな気持ちでいっぱいだったアイズはすっかりアルフィアの存在を忘れていた。その様子に苦笑するベルだったが、アイズを地面へと降ろし、先程一瞬莫大な魔力を感じた方角を見やる。
「行こう、アイ────」
横に佇むアイズへと手を差し伸べる。その気配に気づいたアイズもベルに倣って左手を伸ばした瞬間、ベルの全身を悪寒が支配した。
「っ!?」
今まで感じたことの無い程の悪寒。首に刃が突きつけられている程の死の気配。鳥肌が瞬時に湧き立ち、呼吸が荒くなる。
アイズはまだ気づいておらず、手を途中で止め様子が変わったベルのことを不思議そうに見ている。
その間にも気配が近づく。震える身体を動かし、その危険信号の矛先へと意識を向ける。
上だ。見上げた空には、赤く濁った水晶だけがあるはずだった。
ベルの視界には、黒くておぞましいものが自分たちの立つ場所へと向かって落ちてくるものが見えた。
止めていた手を伸ばし、アイズの全身を抱き抱えると、ようやく気づいたアイズは上空を見上げ、ベルはその場から横へと跳ぶ。
その直後に、落ちてきた何かは地面へと激突し、爆発音にも似た音と衝撃を生みながら巨大なクレーターを作り上げる。
土煙が広がり、砕けた地面が散り散りと飛ぶ。風圧で木々は吹き飛び、その場には巨大なクレーターのみを残して更地と化した。
「〜〜っ!?」
飛び散る石や風圧からアイズを守るために抱きしめて背中で飛び散るものから守る。音と衝撃を感じ、アイズはベルを強く抱き締め声にならない叫びをあげた。
数秒経ち、飛び散る石は地面を転がるだけの無害なものとなり、風も収まる。それでも舞い上がった土煙は未だ顕在で、ゆっくりと視界がクリアになっていくものの、まだしばらくかかりそうだ。
「アイズ、大丈夫?」
「……うん、ありがとう」
防御が間に合ったからか、幸いにもアイズにもベルにも傷はない。アイズに傷がないことにホッと息をつくも、それも一瞬。
意識はすぐにクレーターの中心にいるであろう存在に集中していた。
まだその姿は見えないものの、強化された第六感が警報を鳴らしている。
それは気配だけでも過去に出会ったことの無いほどの埒外の怪物であることが分かる。
アイズをそばに置き、決して離れないようにして怪物がいるであろう方向を向く。
その姿よりも先に、音が聞こえた。
ズシン、ズシンと地面を踏み潰しながら重い何かが歩いてくる。一歩踏みしめるごとに地面が揺れ、気配が近づいてくる。それに加え、何かを引きずるような音も聞こえた。ギリギリと、鋭利なものが地面を削る。
アイズの体は震え、両目を見開き、呼吸を荒くしてベルの体にしがみつく。ベルは冷や汗が頬を伝い、アイズの手を強く握る。
土煙が薄れてきて、黒いシルエットが見えてきた。
最初に見えたのは、地面に線を作る大剣。地面を深くえぐるそれは、見るだけでもとてつもない重量であることが分かる。
次いで、両手足。人間ではありえないほどに発達した筋肉は、大木を超える。
そして、頭から生える二対の角。赤黒く染まった2本の角は、先端を鋭く伸ばし、岩をも砕くだろう。
瞳が揺れる。呼吸が荒ぶる。
ベルは知っている。目の前の怪物を。
それは英雄譚にも出てくる怪物。
それは、ベル・クラネルの冒険者人生における最初の冒険であり、最大の好敵手。
「ミノ……タウロス……」
隣でアイズが震える口で呟いた。漆黒のミノタウロスは、息を荒くし、何かを探すように首を動かす。
アイズの声が聞こえたのか、今まで動かしていた首をピタリと止め、こちらを向くと、恐ろしい顔を歪に歪め、一歩こちらに踏み出す。
ミノタウロスの視界にはベルのみが映っていた。それ以外はどうでもいいとでもいうかのように、鋭い眼はベルを離さない。
踏み出した一歩が地面に着くと同時に、その足下の地面が陥没し、ミノタウロスの身体がぶれた。
(速っ……!?)
ベルほどではないものの、あのような巨体が出せるであろう速度を大幅に超えたそれは、完全にベルの予想外であり、反応が遅れた。
アイズはその動きを追えていないのか、ミノタウロスが先程までいた場所を見ていた。
「……!!」
隣で呆然としているアイズを突き飛ばす。もう目の前まで迫っているミノタウロスは、禍々しい大剣を左斜め上へと斬りあげた。回避は間に合わない。回避できたとしても、余波がアイズに向かってしまう。瞬時に受け流す姿勢に入るため、二本の武器を構える。
大剣とナイフがぶつかり、受け流すためナイフの角度を変えようとしたところで、圧倒的力により強引に押しつぶされた。
(受け流せない……!?)
ステイタスの自動更新により力のアビリティもトップとなったはずのベルの腕力を軽々と超える斬り上げは、受け流すことさえ許さない。
構えたナイフはそのままベルの腹部にまで押され、拮抗さえ許さずに大剣を振り上げた。
「ガッ……!?」
振り上げられた大剣の速度に比例するように、とてつもない速さで空へと吹き飛ばされる。攻撃の衝撃は内部にまで浸透し、肺の中にある空気が全て吐き出され、尋常じゃない痛みが全身を駆け巡る。
「っ〜〜!?」
ようやく思考が動いたアイズにまず襲ったのは、体を強く突き飛ばされた衝撃と自身の魔法の最大出力に匹敵するほどの風圧。思わず目を瞑り、両腕でその身を守った。
ちらりと目を開けると、先程まで前にいたはずのミノタウロスが自分達が立っていた場所で大剣を振り上げた姿勢になっており、代わりにベルの姿がなかった。
「──アル!!」
何が起きたのか全く理解ができていなかったが、ベルがいないことからあの怪物に吹き飛ばされたことが容易に想像できた。
アイズは怪物を憎んでいる。
どのような存在であれ、真っ先に感じる感情は、憎悪であり、憤怒である。今、埒外の怪物を目の前にして。アイズは、自分の中に初めて芽生える感情に戸惑いを感じた。
それは、純然たる恐怖。
こちらに意識を向けていない目の前の怪物の姿を見るだけで身体は小刻みに震え、右手に握るデスぺレートを落とす。
上手く息が出来ずに過呼吸気味になり、脚は体を支えていることが不思議な程にガクガクと震えていた。
そんな少女の様子など気にも止めない漆黒の猛牛は、ベルを弾き飛ばした方角へと歩き出す。
「────ぁ」
絞り出した声は消えるほどにか弱く、ミノタウロスの鈍い足音にかき消された。震える足腰は限界を迎え、膝から崩れ落ちる。怪物の姿が見えなくなった頃には荒い呼吸も徐々に回復したが、未だに身体は震えていた。少女には、ただ呆然と眺めることしか出来なかった。
一瞬で空中に弾き飛ばされたベルは呼吸もままならず、激痛に顔を歪める。木々が生い茂る場所に居たはずが、既に森を超え、更地へとその身を飛ばしていた。
徐々に近づいてくる地面。痛みに耐えながらもなんとか受身を取れる体勢を整える。地面と体がぶつかる瞬間に、なんとか受身をとることに成功するが、その勢いは衰えず、数十メートルを要してようやく体を地面に固定できた。
「がっ……はぁ、はっ……!!」
肺が求めている空気を無理やり吸い込む。何度も咳き込み、口の中では鉄の味を感じた。咳は時折赤が混ざっている。
(肋が……)
今なお駆け巡る痛みの源へと右手を当てる。あの衝撃により、肋が折れているかもしれない。それは内部にまで浸透し、内臓を僅かにだが傷つけた。
後ろには多くの人の気配がする。リューの声が聞こえた気がするが、あいにくとそちらに意識を向ける余裕などない。
ズシン、ズシンと地面を揺らしながら怪物が姿を現す。その鋭い眼光はベルのみに向けられているのが分かった。何故かは知らないが、あの怪物の意識が自分にだけ向けられているのは好都合。
置いてきてしまったアイズが心配だが、おそらく無事だ。なんとなくだが確信を持っていた。
「なん、だ……ありゃ……」
震える声で口にしたライラの言葉は、この場の全員の総意だった。
かなりの距離があるにもかかわらず、既に射程圏内に入っていると錯覚するほどの殺意。自身に向けられていないにもかかわらず、身体は震え、戦意を打ち消す。
先程まで居た『神獣の触手』を明らかに超える脅威。いや、アルフィアをも超えているだろう。
立ち上がり、武器を構えるベルとは対極に、アルフィアを除く他の冒険者達は今にも崩れ落ちそうだ。
ゆっくりと迫り来る怪物は、ベルが立ち上がったことを確認すると、にやりと不気味な笑みを浮かべ、その場に佇んだ。
「──ヴォオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!!!!」
「「「!!?」」」
怪物の雄叫びが18階層を────いや、迷宮そのものを震わせた。
ミノタウロスの足下を残し、周りの地面が割れ、えぐれ、吹き飛ぶ。
燃え尽きボロボロの炭となっていた木々は粉々に吹き飛び、空気が振動し暴風となって冒険者達に襲った。
その圧力にベルは両刀を顔の前に出して風から身を守る。手足が痺れるような感覚になるほどの咆哮は、観客が立っていることすら許さない。
「あ────」
「く、そ……」
一人、一人と地に伏し、意識を手放していく。
(────これほどか)
自身の右手がビリビリと震えているのを見て、アルフィアは目の前の怪物がかつてないほどの埒外であることを認識する。
アルフィアの所属するヘラ・ファミリアは現在の2大派閥であるロキとフレイヤのファミリアが到達した階層を容易に超えた階層まで攻略していた。その度に、数多くのモンスターに遭遇し、階層主などの強敵とも戦ってきた。海の覇王、陸の王者もその中に入っている。
だが、数多のモンスターと出会ったアルフィアでさえも見たことの無いものであり、感じる強さも桁違いであることが分かる。三大冒険者依頼に匹敵するのではないかという次元ですらある。そのような埒外の怪物が放つ咆哮に耐えうるものは少ない。アルフィア自身、正気を保てるのは自分とベルの二人のみだと思っていた。
(ほう……あれに耐えるか。なかなかの精神力だ)
現時点で立っているのはベルとアルフィアのみ。だが、かろうじて意識を保っているものが二人いた。
一人は、リヴェリア。遠距離からの砲撃を行っていたことにより、近接戦闘を行っていたものに比べればダメージは少ない。それでも正気を保てるのは奇跡と言えるだろう。いや、さすがはLv5というべきか。
そして、もう一人。
刀の鞘を地面に突きつけ、今にも倒れそうな上半身をなんとか支え、眼前のモンスターを睨みつける。輝夜だった。
彼女はLv3ではあるものの、精神面を見るならば成熟していると言える。レベルを超えた精神力が推定Lv8すらはるかに上回るであろう怪物の咆哮を耐えきって見せた。
(倒れる……ものか……!!)
荒く息をし、杖替わりの鞘は震え、今にも倒れそうな身体を、根性で支える。
(見届けねば……この戦いを……アルの勇姿を……!!)
それは、英雄を頼ってしまったか弱き自身達の義務であり、責務であると。自分たちを守るために戦っている英雄の後ろで、どうして呑気に寝ていられようか。
(次代の英雄候補達は、確かに育っているのだな)
十数秒続いた雄叫びが小さくなっていき、ついに消えた。パラパラと吹き飛んでいた小石が転がり、先程で響いていた爆音が完全に消失し、無音の世界を作り上げる。
漆黒の猛牛は鼻から息を吹き出し、興奮状態であることを表していた。大剣を握る力が強まり、ビキビキと血管のようなものが浮かび上がる。
「【ファイアボルト】!!」
先に仕掛けたのはベル。魔法による中距離攻撃により優位を取ろうと牽制も兼ねて数十の炎雷を一斉に放火する。
ベルの放つ魔法は詠唱を必要としない速攻魔法ではあるものの、Lv7を超える実力を持つベルが放つ魔法は、リヴェリアが放つ砲撃にも匹敵する威力を誇っている。故に、ミノタウロスが取るであろう行動は回避。そう決めつけていたのは決して間違いではない。
自身へと飛来する炎雷を眺めるミノタウロスは、回避するために脚に力を入れることもない。じっとその場に佇み、右手に握る大剣を振りかざした。
大剣に直撃した炎は掻き消え、その後ろに控えていた魔法は横なぎにより生じた暴風でその勢いを失っていく。かろうじて到達した魔法は本来の威力を大幅に失い、ミノタウロスの黒い肌に当たると皮膚を焦がすことなく霧散していく。
たった一振により展開した魔法の全てが意味をなさなかったことにベルの表情が歪む。予想外ではなかったが、それでも目の前にすると気は落ちる。
注意はミノタウロスに向けながらも、後ろに控える気配に意識を向ける。
(輝夜さんとリヴェリアさん以外は意識がない……)
ベルは倒れているアストレア・ファミリア達から近い場所にいた。あの怪物が狙っているのは何故か自分だけ。それでも、余波だけで地形を変えうる力は、近くにいるものを巻き込むだろう。
輝夜とリヴェリアは意識こそ保てているものの、動けるほどではなかった。ベルはチラリとアルフィアの方を見る。ベル同様に体に支障がない彼女は視線に気づいたのか見たことの無い怪物を観察していた眼をベルに向けた。視線だけで意図を理解したアルフィアは軽く頷き倒れ伏すリュー達の元へと向かった。
(お願いします────)
戦闘の余波から皆を守るために動いてくれたアルフィアに心の中でお礼を言うと同時にベルは駆け出す。
現在も上昇を続けるベルのステイタスにより、今までよりも速い速度で駆け抜ける。ベルが通った道には白い軌跡が残され、一瞬にしてミノタウロスの元まで到達した。
初めて見る速さに反応が鈍いミノタウロスの腹部に向けてナイフを振るう。漆黒のナイフと漆黒の肉体が接触し、鋭利なナイフの先端が肉体へと食い込む。ベルの『力』と『敏捷』が掛け合った一閃は、どんなモンスターでも抵抗できぬままに斬られる。今回も同様に、ミノタウロスの体には深い切り傷が刻まれるはずだった。
感じたのは、つっかかりのようなもの。他のモンスターならば容易に通る刃が、上手く進まない。
(硬い!!)
今までに感じたことの無い硬さ。それでも力を込めて強く振り切る。ようやく進んだナイフが残した傷は、少しの血を垂らす程の些細なものだった。深く切り込んだはずのナイフは規格外の耐久によってかすり傷しか与えられない。その硬さに驚愕していると、目の前に大剣が迫っていた。
(カウンター……!?)
ベルの顔面が通る場所に置くように大剣があった。
並の冒険者や階層主ですら反応できないほどの速度で移動するベルの速さを初見で対応してみせる。上体を反らしギリギリで大剣から顔を逸らす。前髪が何本か大剣にあたり、スパりと切れた。
予想外の攻撃ではあったが、ベルの脚は止まらない。自身の最大の長所でもある脚を使って縦横無尽に駆け回り、ミノタウロスの意識を撹乱させる。右、左とミノタウロスの目が動く間にベルは速度をあげて死角へと回る。完全に視界から外れたタイミングでミノタウロスへと接近し、体にナイフで線をえがいてすぐに離脱。やはり大した傷を負わせることは出来ないが、少ないながらもダメージを負わせることは出来ていた。
傷を負ったと知覚し手を伸ばしたところで、それは残された白い軌跡を掴むのみ。ベルの身体に触れることはなく、ミノタウロスの体に小さな傷が蓄積されていく。
(一撃でも直撃したら、こっちがやられる……)
未だに痛みが残る腹部。予想外だったとはいえ、ベルは二刀の武器をもって防御していた。それでも防ぎきれない一撃は、ベルが吐血するほどのもの。
ベル・クラネルの冒険者人生は、快勝であることの方が少なかった。
短期間で自分よりも格上の敵と数多く戦ってきたベルは、身体をボロボロにして、なんとか勝利をもぎ取ったところが多い。
ランクアップに必要なものは、『偉業』。それも、神々が認めるような偉業でなければならない。ベルは、六度器を昇華させている。少なくとも六度は死の間際をさまよっているのだ。他の冒険者と比べ、ベルは多くのダメージを負っていた。故に、ベルの耐久は桁違いの数値を誇っている。
そもそも、ベルに傷を負わせること自体出来る者は現在のオラリオに何人いるだろうか。深層のモンスターとて、それは容易では無い。そんな耐久値を易々と超える怪物の一撃。防御して吐血ならば、直撃すればどうなるのか。
故にベルは駆ける。ヒットアンドアウェイを繰り返し、正面からの斬り合いを避ける。それこそが最適解。目の前の怪物を倒す有効な策であった。
ミノタウロスの耐久と力はベルを超えている。大剣をいなせなかったことから、『力』にはかなりの差があるだろう。だからベルは手数で攻める。
加えて、ミノタウロスには無くて、ベルにはあるものが2つ。
駆け回るベルの左手に白い光の粒が集まり、美しい鈴の音が鳴る。
(五秒……チャージ!)
「【ファイアボルト】!!」
スキルによるチャージにより、いつもの魔法と比べて規模のでかい炎雷が放たれる。至近距離で放たれたそれはミノタウロスの横腹に直撃し、煙が立ちミノタウロスの視界を塞いだ。魔法が当たった箇所には、皮膚が焦げたのかボロっと少しだけ皮膚がめくれた。顔を覆うように立つ煙を腕を振り回してかき消すも、視界からはベルの姿がない。直後に後頭部に強い衝撃がはしる。ベルが右脚で蹴り飛ばしたのだ。
魔法。それによりベルの攻撃手段が広がり、様々なパターンでミノタウロスに攻めることが出来た。
そしてもうひとつ。
ベルの速度は尚を上昇を続ける。さらに、ミノタウロスに増え続ける傷が、だんだんと深いものとなり、明確に血が湧き出てくるものとなった。
ステイタス自動更新。モンスターであるミノタウロスは、魔石を喰らうことでしか自身の身体能力をあげることが出来ない。しかし、ベルは今この瞬間にも成長を続けている。
ベルの速さにミノタウロスの傷は増え続ける。数百、数千と攻撃を受けたミノタウロスは、不意に体をフラリと揺らした。
(いける!!)
僅かな隙をベルは逃さず。ミノタウロスの身体を斬り刻む感覚から、全力の一撃ならば深く突き刺せることができると確信する。ミノタウロスの後方へと回り込み、背中から胸へと向かってナイフを突き刺すために突撃する。確実に捉えた。そう確信したものの、ベルは失念していた。
トドメの一撃こそ、最大の隙を生むことを。
目の前の怪物が、ただのモンスターでは無いことを。
「────なっ!?」
ナイフが空を斬る。あるはずだった肉の感触がない。驚愕に眼を見開いた。ミノタウロスの血走った瞳は、ベルの体を完全に捉えていた。
(誘われた!?)
気づくには遅すぎた事実に、ベルの時が止まる。極限まで遅くなった世界で、ミノタウロスの腕が迫る。一瞬の硬着により、全ての動作がワンテンポ遅れたベルの身体に、ミノタウロスの剛腕が深く突き刺さった。
「アッ、ガッ!!!!」
ベルの体が吹き飛ぶ。地面に何度もバウンドしながら飛ばされ、左腕にはしる激痛に顔が苦痛に歪む。飛びかける意識をどうにか保ち、脚でブレーキを作りなんとか勢いを止めた。左腕に着けていた装備が粉微塵に吹き飛び、右手で左腕を掴み痛みを堪える。
(左腕が……)
可動域を超えた方向へと歪んだ左腕は折れていた。痛みに意識が向かっていた最中に、前方から地響きを鳴らしながらミノタウロスが走ってくる。
瞬間的に意識を切り替え、無事な右手を相手に向けて痛みに閉ざされた口を開いた。
「グッ────【ファイアボルト】!!!」
炎雷を十ほど展開する。それら全てをミノタウロスの顔面へと放ち、視界を塞ごうとした。避けられても、回避の準備をする時間が稼げると。そう考えて放った魔法だったが、ミノタウロスのスピードは緩まず、そのまま突進してくる。全ての魔法が迫るミノタウロスの顔に着弾し、煙が立つも、その煙の中からすぐにミノタウロスの顔が現れた。
着弾した魔法によるダメージがないような様子のミノタウロスは大剣を強く握りしめる。回避のために立ち上がろうとしたベルの体を激痛がはしった。左腕に直撃したミノタウロスの一撃は体全体にまで伝わり、負傷していた肋の傷を悪化させた。あまりの痛みにベルの体が一瞬固まる。その一瞬で目の前まで迫ったミノタウロスは大剣をベル目掛けて振りかざした。
痛みに思考が支配される中、ベルは反射的にナイフと小太刀を重ね合わせて防御の姿勢をとった。だが、不完全な姿勢での防御など怪物の前では些細なものだった。一瞬の拮抗すらなく、ミノタウロスの力により大剣はベルの防御をものともせずに身体へと直撃した。
「ごあッ!!?」
胸当てが砕け、白刀・朧に亀裂が走る。あまりの衝撃に目を見開き、開いた口からは大量の血液が吐き出された。先程とは比べ物にならないほどの一撃はベルの体を高く、遠くに吹き飛ばす。大剣が直撃した箇所からも血が吹き出し、骨は砕け受け身を取ることすらできない。
地面に勢いよく落下するも、それ以上の痛みを感じる身体は落下時の痛みを感じず。受け身を取ることなく重力に身を委ねた身体は地面を回転しながら進み、止まった頃にはそれまで握り続けていた武器を手放した。
「────ゴボッ」
仰向けで寝転がり、口から大量の血液が流れ、身体から流れ出す血と相まって血溜まりを作り上げて行った。身体のどこにも力を入れることが出来ない。
「ヴモオオオオオオオオオオッッッ!!!!」
遠くから響き渡るミノタウロスの雄叫びが鼓膜を震わせる頃には、視線がぼやけ、必死に保っていた意識が飛んでいき、視界を黒く染めあげた。
──────────────────────────────
「なんだ……あの怪物は……」
目の前で繰り広げられていた激戦。その終幕を見て、リヴェリアが絞り出した感想がそれであった。咆哮を堪え、今では完全に体を動かすことができるようになった。しかし、埒外の怪物の力を目にし、体が震える。冷や汗が次々と流れ、ポツポツと地面に落としていた。
突然都市に現れ、Lv7を同時に相手取れることが出来、何人もの命を救った、誰もが認める英雄。
間違いなく都市最強。いや世界最強であろう、アルと名乗った少年が、たったの数発で背中を地につけた。そんなもの、だれが勝てようか。
アルを吹き飛ばした漆黒の猛牛は、勝利の雄叫びをあげた後、ゆっくりとアルが飛んで行った方向へと歩いていく。トドメを刺しに行くのだろう。
「……ッ!」
それに気づいたリヴェリアは、震える足を杖で叩き、なんとか動かす。
「どこへ行く」
ちょうどアルフィアの横を過ぎようとしたところで、彼女から声がかかった。アルフィアの視線はミノタウロスの方向を向いたまま。焦ることもしないアルフィアの態度に、リヴェリアは苛立って声を荒らげた。
「アルの救助に決まっているだろう!」
「正気か? 近接戦闘ではLv4にさえ劣るお前に何が出来る」
「ッ! そうであったとしてもだ! 我々を守るために戦ったアルを見殺しにしろとでも言うのか!!」
「お前でも理解出来ているだろう。アレは規格外のバケモノだ。我々では歯が立たん」
「ッ! 」
『我々』と言ったアルフィアにリヴェリアは歯を強く噛み締める。Lv7の中でも規格外の強さを誇るアルフィアの力は、先程まで戦っていたリヴェリアは理解していた。そんなアルフィアが『お前たち』ではなく『我々』と、自らもその枠に入れて勝てないと言ったことに驚愕と同時に絶望が襲う。
アルフィアでも勝てないのであれば、誰があの怪物に勝てようか。
時間を稼ぐことすらできないだろう。それは目の前で繰り広げられていた戦闘を見ていただけでも理解できた。
今更になって自身の弱さを憎んだ。
今更後悔してどうなる。
「お前は存外落ち着いているのだな、極東の娘」
焦るリヴェリアとは真逆に、輝夜は取り乱すことなく静かであった。
アルフィアの言葉を受けて、首を横に軽く振る。
「落ち着いているものか。今にも飛び出したい気持ちを抑えているのだ」
下げている両手を強く握りしめ、爪を皮膚に深く食い込ませている。そこからは赤い血がポツリとこぼれ落ちていた。
「我々にできるのは、信じることだけだ。アイツが勝てないのであれば、我々など刹那のうちに首が落ちる」
現実を冷静に見ることが出来る輝夜だからこそ、焦ることがいかに無駄な行為かが分かった。自分達にできることは信じるだけだと。
「……勝て、アル」
英雄を頼ってしまう自分の弱さ。それでも縋ることしか出来ない状況に嫌気がさす。それでも、信じるしかないのだ。
しかし、輝夜は確信している。
あの
自分よりも他人を優先してしまうような善心の持ち主。もはやどれだけ救われてきたのか数えることすらできない。
彼は見返りを求めない。
そんなものは偽善だと、嫌気がさした。
それでも、偽善のような行いを当たり前のようにする彼の姿が、輝夜には眩しかった。
だから、信用してしまう。信頼してしまう。
どのような結末になったとしても。最後まで見届けることが義務である。
故に輝夜は下を向かない。見届けると決めたのだから。
心の中で強く願い、アルの勝利を信じた。
──────────────────────────────
意識が遠のく。
何も見えない。
水の中に沈んでいくような感覚だ。手足は何も動かず、ただ落ちていく。
────ああ、負けたのか
浮かび上がるのは、圧倒的な力を見せた漆黒の猛牛。
生涯最大の好敵手とよく似たその存在は、今のベルを遥かに超えた力を持っていた。
────アステリオス、じゃない
見た目は似ていた。最強の異端児に。しかし、別の存在であると確信した。
そういえば、と。カウンターやフェイントなどを織り交ぜていたことを思い出した。明らかに知性がなければ出来ない行為。
────異端児、なのかな
なら、対話できたのではないか、と思ったものの、直ぐにそれを否定した。無理だ。破壊衝動に駆られたあの怪物と話し合いできるとは思わない。
まあ、今となってはそんなことはどうでもいい。
負けたのだ。真剣勝負で負けた。
ならば、後に待つのは死のみ。
────悔しいな
心の底からそう思う。でも何も出来ない。
────眠たい
睡魔が襲う。水中にいるような感覚はひどく心地よい。瞼がゆっくりと閉じていくのを止めることはできない。もう、身を委ねてしまおうかと、力を抜いた。
『──ベル』
懐かしい声が聞こえた。
────おじいちゃん……?
幼い頃に何度も聞いた。英雄譚を読み聞かせてくれた、優しい声。
閉じかけた瞼を少し開けてみる。黒く染まっていた視界に光が差し込み、懐かしい姿が映った。
『そうとも言えるが、そうではないとも言える』
────難しいよ、おじいちゃん
難しい言い回しをする祖父のような存在に苦笑した。実際には顔にも力が入らないので表情筋が動く訳もなく、心の中でだが。
『立て、ベル』
────負けたんだよ、おじいちゃん。指も動かない
『剣を取れ』
────どこにあるかすら分からない
続けざまに放たれる言葉を全て否定していく。もう体は動かないのだと。それは事実であったのだから。
『お前が守ろうとした者たちはどうする』
────
初めて言葉に詰まった。そうだ、守らなければならないのだ。
『お前を英雄だと信じた少女を置いていくのか』
────!!
そうだ、僕は誓った。アイズの英雄になるんだと。なら、こんなところで死ぬ訳には行かない。
でも、そんな気持ちとは関係なく、体は言うことを聞かない。今倒れているのか、立っているのかも分からない。
どうすれば、もう一度立てるのか。
どうすれば、みんなを守れるのか。
どうすれば、どうすれば、どうすれば、どうすれば────
『──もし英雄と呼ばれる資格があるとするならば』
どうすれば────
『剣を取った者ではなく、盾をかざした者でもなく、癒しをもたらした者でもない』
『己を賭した者こそが英雄と呼ばれるのだ』
それはまだ祖父と暮らしていた時の記憶。祖父が口にした、英雄の資格。
『仲間を守れ。女を救え、己を賭けろ。折れても構わん。挫けてもいい。おおいに泣け。勝者は常に敗者の中にいる。願いを貫き、想いを叫ぶのだ。さすれば、それが、一番────』
「────格好のいい男だ」
動かなかった口が動き、鳴らなかった音が響いた。
「僕は、勝ちたい……みんなを護りたい!!」
心からの願いを叫ぶ。眠気などとっくに吹き飛んだ。目を見開き、映る視界には祖父の姿。僕の叫びを聞いて、祖父は少し笑った気がした。
『────ならば、儂の力を与えよう』
「力……?」
祖父の形をしたものが、光の粒となり形を変える。バラバラになった光は纏まり、ひとつの球体を作り上げた。
その球体は、僕の方へと向かってくる。
そしてそのまま胸の辺りへと吸い込まれて消えていった。
『我が名は、ジュピター』
頭に直接声が響く。同時に、背中が燃えるように熱い。
『稲妻のごとく駆け抜け、全てを救え』
深く潜っていた水中から体が浮かび上がり始める。手足に力が入る。ビリビリと体が痺れてきた。
『放つべき言葉は既にわかるはずじゃ』
頭の中に文字が浮かび上がる。それを口にした瞬間この空間から抜け出せることが分かった。
『叫べ。そして救え。行くのだ、ベル! 今こそ約束の時だ』
身体の痛みが引いていく。もうまもなく水中を抜け出せるほどに体が浮上していた。
みんなを救う。
生き残る。
そして、あの怪物に勝つ!!
準備は整った。あとは、言葉を放つのみ。一度深呼吸をする。軽く目を瞑ってから、喉を震わして世界に自身の声を響かせた。
「──【
次回、『終幕』