『ベル────』
あの時の事は、鮮明に思い出せる。
あれは、最善だったのか?
もっと良い方法があったのではないか?
もっと、力があれば。
もっと、早くに駆けつけていれば。
もしも、もしも、もしも……
そんな有り得もしない『たられば』を語っても意味の無いことだって事は、分かってる。
──それでも、考えてしまう。
もし、あなたが生きていたのなら。
僕達は、どうなっていたんだろう。
『ギャオオオオオオオオオオオッッ!!!』
『きみ、は────』
一匹の蠍が雄叫びをあげる。
古代を生きた漆黒の獣の叫びは、辺り一面を吹き飛ばす突風となって襲いかかる。
その、因縁の怪物と呼ぶべき存在と、一柱の女神の間にその少年は佇んだ。
あなたは、僕のことを覚えてないだろうけど。
僕は、あなたの事を忘れたりはしないから。
ただの自己満足なのかもしれない。いや、実際そうなのだろうけど。
それでも、僕は────
『──────一万年分の恋をしよう』
あなたを救います。
天に最も近い場所である、バベルの塔最上階。
オラリオ全域を見渡すことの出来る領域は、一柱の女神の私室となっている。
露出の多い魅惑的なドレスを身にまとい、片手にはワイングラスを揺らす。
その女神の所作一つ一つが、下界の人間達、いや神々でさえも魅了されてしまうほどに完成されている。
女神の顔を見れば、たまらず膝を地面につけて頭を垂れるだろう。
その女神、フレイヤはワインを口に含むと、ふぅ、と一息こぼした。
その仕草は、まるで芸術品のようで。美の女神の権能である『魅了』を使っていないにもかかわらず、万人を虜にしてしまうだけの威力を秘めていた。
ワインを飲んでいるからか、はたまた別の理由があるのか、その両方か。フレイヤの頬は上気したように紅い。
鈍色に輝く瞳は都市をじっくりと見下ろしていた。しかし、彼女の瞳に映る景色は発展したオラリオでは無い。
昨夜の一件。夕日が傾き出した時間帯に、突如陽の光とは別の要因でオラリオは光に包まれた。
都市外に突如として出現した極大の炎の柱。ちょうどガラス面から見える位置に出現した炎をフレイヤも目撃していた。
それは、暗闇に呑まれかけた都市を明るく照らした光。
強く眩しく、熱い炎の奔流。
「──ふふっ」
もう一度グラスに口をつける。残り僅かとなったワインを一気に口へと運び、音を立てずにグラスを置いた。
唇に付着したワインを軽く舌を出して舐める。艶かしい仕草をする彼女の瞳は、トロン、と蕩けている。
(────
それが、フレイヤが率直に思ったこと。
部屋の隅に控えている侍女、ヘルンは悪寒を感じ取った。
それは、後ろ姿しか見えない目の前の神から発せられるもので。
思わず身体が膠着してしまうほどの、心胆から湧き上がる不気味さ。
存在の格が違うと、理解してしまう。
「『英雄』……そう、彼は『英雄』。暗黒期、誰もなし得なかったことを成し遂げ、あの二人を退けた、誰もが認める『英雄』」
当時は、接触することが叶わなかった。それが後悔の痼となって身体に残り続けている。
「私達が求めるのは『未知』。下界の可能性────すなわち、『英雄』」
何人もの冒険者がバベルの下へ向かって歩いている。その集団を眺めるフレイヤの瞳に映るのは、魂の色。
今まで何人もの人間を見てきた。いくつもの色を見てきた。その中には、興味を引かれるものもあった。オッタルも、アレンも。彼らは皆、フレイヤが見定めた者たち。
暗黒期が終わりを告げ、英雄が都市から姿を消し、『娘』とミアが働く酒場に彼が現れた。
聞いていた特徴とは違った。しかし、直感で理解した。彼がそうなのだと。
そして、自身が下界で使うことの出来る権能を用いて、彼の魂を覗き込もうと試みて。
「──
見ることは、叶わなかった。
でも────
「今は、あなた」
冒険者の集団の中に揉まれながら。しかし酷く目立つ純白の髪を持つ、未だ穢れを知らない白い兎がこちらを見ていた。
(本当に綺麗……そして、本当にそっくり)
「さて、どうしましょうか……」
美の女神たらしめる万人を惹きつける尊顔。
それが今、美しく、艶めかしく。
そして、酷く不気味に、口角が歪曲した。
「……アイズはどうしている?」
「ダンジョンに潜っているようだ」
黄昏の館。その団長室に、フィンとリヴェリアは居た。
机の傍らには、以前に行った遠征の内容、ファミリアの出費、また、次に控えている遠征の書類など、多くの紙が塔を築いていた。
それら全てに目を通すべく、フィンは団長としての業務を全うしながら、リヴェリアとの会話に臨む。
「……アレをどう見る? フィン」
次の書類へ伸ばそうとした手を止める。
『アレ』については、フィンも把握している。
数瞬の思考の後、手に取ろうとしていた書類とは別の書類へと手を伸ばす。
「『ヘファイストス・ファミリア製の魔剣の試し打ち』。ギルドはそう発表している。だが……」
「あそこまでの威力の魔剣なんて、聞いたこともない。それこそ、『クロッゾの魔剣』とも比べ物にならない」
資料には、昨夜の炎の柱についての報告書。改めて目を通したフィンは、やはり腑に落ちない点が多すぎた。
「そもそも、ギルドの対応が早すぎる。都市中が目撃していたとはいえ、だ」
「市民や大半の冒険者は誤魔化せるだろうが、歴の長い冒険者や、鋭い神々は疑っているだろう」
確認を終えた資料を横へと置くと、両肘を机へと乗せる。
フィンの表情は、実に清々しく、笑ってすらいた。
「リヴェリア」
「なんだ?」
「
片目だけを開いて問いかけてくるフィンからの言葉に、「ふむ」と自身の記憶を漁る。
それはもちろん、『彼』の記憶。
思い出すのは、七年前。オラリオで最も長い一夜となったであろう日の、18階層での事。
あの日を忘れることなど、一日たりともなかった。
『堕ちた英雄』との死闘。
あれほど濃密な時間を過ごしたことは無い。『英雄』の誕生に立ち会えたことに感動すら覚えた。それほどに、あの日の記憶は強く残っている。
その中でも、彼が使っていた魔法。
近くで見ていた訳では無い。彼は自分達とは離れた場所で戦っていたのだから。しかし、魔法の性質、威力は概ね記憶している。
「……私が見たアルの魔法は、確かに炎系統の攻撃魔法だった。しかし、あそこまでの威力ではなかったぞ」
リヴェリアが見たアルの魔法は確かに炎系統の魔法だ。しかし、昨夜の炎程の規模ではなかった。むしろ、彼の魔法は連射型だろう。それでも、リヴェリアの魔法程の威力はあると見ていたが。
やはり、記憶を振り返ってもそこまでの威力ではなかった。そう伝えたものの、フィンの中では彼の仕業であると半ば確信しているようだ。
「いや、やはり彼の魔法だろう」
「どういうことだ?」
「僕も彼の戦闘は見たことがある。その時はザルドとの戦闘だった」
思い返すのは、初めてアルを目にした時。
「その時、彼は魔法を使用していた……鈴の音と共にね」
「っ」
「数秒程しか鳴っていなかったが、その後に繰り出された一撃はザルドを圧倒するものだったよ」
美しいと感じた。
血なまぐさい『冒険者』という職に身を置き、野望のために『人工の英雄』への道を歩き出したフィンは、目の前で戦っている英雄を、その魔法を、その全てを、かつて自身が求めていたものへと重ねた。
あの、離れた自身すら焦がすほどの熱量の一撃を。
あの、メラメラと煌めき輝いていた炎の奔流を。
そして、リヴェリアは思い出す。
あの、『大鐘楼』を。
ダンジョン全体を揺らし、貫いた異次元なまでの一撃を。
「……スキル、か」
ポツリと呟いたリヴェリアにフィンは軽く目を閉じる。
それは、同意していることを如実に表していた。
「鈴の音」と「大鐘楼」。違いこそあれ、性質は同じであり、『威力の増幅』という結果を同じくしている。もはや確信だ。
昨夜の一件がアルのものだとわかった今。彼らのすることは決まっている。
『何もしない』
当然の結論だ。
ギルドが隠している、または何らかの不祥事が起きた。それならば、フィンは探りを入れるだろう。
しかし、それがアルならば、彼らは何も考える必要などない。
何故、彼が都市外にいるのか。
何故、それほどの魔法を使う経緯へ至ったのか。
疑問は生じる。知りたいとも感じてしまう。しかし、考えるだけ無駄だ。
「「まあ、アルだから」」
期せずして、二人の思考は一致した。考えるだけ無駄だと分かっているから。
彼の人となりを理解しているからこそ、心配する点など存在しないことを理解しているから。
どんな形であれ、結論を出してしまえばもはやこの問題を追求する必要など無い。しかし、フィンは未だに作業を再開しようとはしていなかった。
何かを考えるような、悩むような仕草を見せるフィンにリヴェリアは首を軽く傾げて声をかける。
「いや、大したことじゃないんだ。ただ……無性に体を動かしたい、と思ってしまってね」
はは、と笑いながら言ったフィンの言葉に、なるほどとリヴェリアは思う。
実際、アイズは触発されてダンジョンへ潜って行った。
彼女は理解していたのだろう。あの炎がアルのものであると。
彼を『自分だけの英雄』だと、そう信じている彼女だからこそ、証拠などではなく言い表せない何かで確信していた。
そして思ったのだろう。
彼が見ている景色を共に見たい。
彼との間に漠然と広がっている距離を埋めたい。
彼に追いつきたい、と。
そして、彼女と同じように真実にたどり着いた今。
フィンは、冒険者としての初心に返った。
団長としての雑務などなかったら、今にも飛び出してしまう勢いだ。
あの日から、フィンのレベルは上がっていない。
ステイタスはもはや上限と言ってもいい。故に必要なのは『偉業』のみ。
それも、Lv6での偉業。
今までの遠征ですら認められなかったのに、今動いたところでどうにもならないことはフィンがいちばん理解している。
それでも、動かずにはいられないのだ。
英雄の背中を見てしまって、動かない冒険者が、『英雄候補』足り得るはずもない。
年甲斐もなくソワソワしているフィンの姿を見て、リヴェリアは嘆息する。
フィンとは長年の付き合いであるが、このような姿を見るのは実に久しい。それに、彼の気持ちも分からないこともない。
(しょうがないやつだな)
組んでいた腕を解き団長席まで近づくと、山のように残っている資料を一枚手に取る。「リヴェリア?」と心底不思議な声と目を向けてくる同僚に視線は資料へ向けたままに告げた。
「お前は少し働きすぎだ。一度、気分転換でもしてくるといい」
「……いいのかい?」
「私の分は既に終わっていたからな。手持ち無沙汰で悩んでいたところだ」
不器用な気遣い。すぐに彼女が何を言いたいのか分かったフィンはそっと口角をあげる。
「じゃあ、お言葉に甘えようかな」
「あまり羽目を外すなよ、フィン」
「分かっているさ」
既に昼を迎えている今、日帰りとなるとあまり深い場所までは潜れないことは分かっているものの、暗に「中層辺りで留めておけ」と伝えたが、聞いてわかるほどにテンションが上がっている彼を見ると少し頭を抱えたくなった。
(フィンが単身でダンジョンに行くことなど無いから、しょうがない、か……?)
自身でもよく分からない結論でどうにか納得する。
壁にかけてあった槍と最低限の装備を身につけたフィンが「行ってくる」と声をかけて扉を開いた。
ワクワクと。子供のような表情を浮かべた彼を見て、思わず口にする。
「ティオネにバレないようにな」
その忠告は功を奏したのか、フィンがダンジョンへ向かってから少し経過し、ホームの中には
それを止めようとして、犠牲になった某凡人が居たとか居ないとか。
都市の憲兵として、長年オラリオの平和維持に貢献してきたガネーシャ・ファミリア。
その主神である、ゾウのような、マンモスのようなマスクを着けた原始人のような見た目をしている男神ガネーシャ主催で行われた神の宴。
ガネーシャ・ファミリアのホーム『アイアム・ガネーシャ』自体が宴の会場となっている。
その宴に招待された神々をまず出迎えるのは、入口であるガネーシャ像の股間だ。
見慣れた眷属や神は平然と通るものの、新参者の神達は一度その場で足が止まる。本当に趣味が悪い。
その最大の関門を抜けた先に広がっているのは広大なパーティ会場。タキシード姿に身を包んでいるガネーシャ・ファミリアの眷属達は、皆一様に顔をガネーシャと同じようなマスクで覆っている。
テーブルに広がるのは今回のために用意された特別豪華な料理。大手のファミリアでも度々見かける程度の料理だ。
そんなもの、最近眷属ができたばかりのバイト生活の貧乏神の目が怪しく輝かないはずもなく。
「ほっ、ささっ、とうっ!」
小柄な体型にそぐわない豊満な胸を揺らしながら無駄のない動きで日持ちの良さそうな料理を自前のタッパーに詰め込んでいく女神が一柱。
美しい潤蒼のドレスに身を包み、それに負けないほどの魅力を発揮している。
長い髪はツインテールに結ばれており、両耳には赤と青の宝石が付いているイヤリングがそれぞれつけられていた。
その美神にも負けず劣らずの魅力を現在進行形で行っている奇行で全てを台無しにしてしまっている女神ヘスティアはタッパーの中身限界まで詰め込む気なのか、更なる美食を求めてテーブル間を旅している。
もちろん自分が食べることも忘れてはおらず、口の中には溢れんばかりに料理が詰め込まれていた。
「な〜にやってんのよアンタはっ」
「ぶぎゅっ!?」
口の中のものを咀嚼しながら次の料理へ手を伸ばそうとしたところで突然頭に強い衝撃が走った。
予想外のことに思わず口の中のものを吐き出すところだったが空いている手で口を塞ぎなんとか防いだ。
物言いたげな顔で振り返ると彼女の表情は途端に変化した。
炎を連想させる真っ赤な髪。深紅のドレスを身に纏う、神ヘファイストスがそこにはいた。
「ヘファイストス!」
「ええ、久しぶりねヘスティア。元気そうでなにより。それより、そんなみっともない真似は止めてちょうだい。そんなにいいドレス着てるんだから」
「ていうか、そんなお金どこにあったのよ」とヘスティアが身に付けているドレスを見ながら口にする。
何故か胸を張りながら「トップシークレットさっ!」と自信ありげに答えると疑念の目線をヘスティアへと送る。
「いやぁ、よかった! やっぱりここに来たんだね。ここに来て正解だったよ」
「何よ。言っとくけど、お金は一ヴァリスも貸してあげないからね」
「か、借りないよ!! ボクだってバイトしてお金貯めてるんだぜ!」
「そのバイト紹介したの、私なんだから。しっかり働いてて貰わないと困るわよ」
「ううっ」
呆れるような目で見下ろされたヘスティアは借りてきた猫のように萎縮してしまう。
若干悔しそうに歯を噛み締めているが言い返せる点が何一つ存在しないので何もできなかった。
「そこまでにしてやってくれ、ヘファイストス」
丁度ヘスティアの真後ろから凛とした声が通り抜けてきた。
コツコツ、と近づいてくる足音すら懐かしく思えるほどに、先程聞こえた声は覚えがありすぎるものだった。
ツインテールを振り回す勢いで振り向いた先に映った神物を目にした瞬間、ヘスティアは心から嬉しそうに表情を明るくする。目をキラキラと輝かせながら、空いた口で目の前を歩いてきている神の名を口にした。
「────
「久しぶりだな、ヘスティア」
「あなたがこんなところに来るなんて珍しいわね」
美しい青に染め上がった長髪、青と白を織り交ぜた最高品質のものであると一目で分かるほどのドレスを着たアルテミスは柔らかい笑みを浮かべながらヘスティアの元へ近づく。
ヘファイストスも、珍しいものを見たような目でアルテミスの方へ歩いていく。
「アルテミスに会えるなんて思わなかったよっ」
「私も会えて嬉しいさ。ヘスティアも
「ああ! 最近だけどね!」
「アルテミスって基本都市外で活動してなかったっけ?」
疑問をそのまま口にしたヘファイストスへとアルテミスはヘスティアの肩に手を置きながら向き直る。
「特に問題がある訳でもなかったから、一度眷属達とオラリオに戻ってきたんだ。そこへ丁度招待状が届いてな。あまり気は乗らなかったが、子供達に色々言われてな」
「あらそうだったの。じゃあその子達には感謝しないとね。こうしてあなたと会えたんだもの」
アルテミスがパーティに参加していることが徐々に周りの神々にも感知され出した。
やはりアルテミスが居るのは珍しいのか、二度見する神や、声を掛けようとする神など反応は様々。
昔、まだ天界にいた頃にアルテミスをナンパした神や着替えを覗こうとした神などがニヤニヤといやらしい目で、今なお話題を咲かせている三柱の元へと足を運ぼうとして。
コツコツ、と。
その音が、匂いが、気配が。
視界に映る鈍色に輝く髪と美しい尊顔、そして完璧という感想以外出てくるはずもないプロポーション。
鼻から脳天へと突き刺さるような甘い香りが。
神格の差を感じさせる覇者の気配が。
一般神の足を止め、そして意識を奪う。
「ふふ……相変わらず仲が良いのね、貴方たち」
「え……フ、フレイヤっ?」
「……」
悠然とした歩みで近づいてきたフレイヤにヘスティアは困惑の声を上げ、アルテミスは眉間に皺を寄せる。
あまり歓迎されているとは言えない反応を見せられたとしても、フレイヤは柔らかい笑みを保ったままその場に佇んだ。
「な、なんで君がここに……」
「ああ、すぐそこで会ってね。フレイヤから声を掛けられたのよ。久しぶりねって。じゃあ一緒に回りましょってなったのよ」
「ヘファイストスとは話したかったのよ。それに貴方達ともね、ヘスティア、アルテミス」
ヘファイストスがヘスティアの疑問に答える。
常に薄い微笑を向けている美神が気に入らないのか、アルテミスの目が更に鋭くなるが、ヘスティアはそれに気づかずに唇を尖らせる。
「ボクは君のこと、苦手なんだ」
「同感だ」
「うふふ。貴方たちのそういうところ、私は好きよ?」
「やめてくれないか。ボクはまだいいとして、アルテミスは君とは相性最悪だってことくらいわかるだろう?」
フレイヤを筆頭とする美神とヘスティアやアルテミスなどの処女神は根源的に相性が悪い。
美神はその美しさ故に多くの男を虜にしている。それ故、そういった方面の経験は豊富だ。むしろ積極的な神が多い。
反対に、処女神は穢れを許容しない。ヘスティアはまだマシな方だが、アルテミスはそれが顕著に出ている。
天界時代には、彼女は恋愛全否定、男は処すべき精神だった。
それを理解しているヘスティアだからこそ、無駄なやっかみに巻き込まれるのはごめんだったのだが、当の本人は「ふふっ」と変わらぬ微笑を振りまきながらアルテミスへ顔を向ける。
いや、正確にはアルテミスが来ているドレスに、だ。
「そのドレス、見たことは無いけどとても綺麗ね。どこの物なのかしら?」
「……贈り物だ」
嫌そうな顔を隠さず、しかしどこか嬉しい記憶を呼び起こしているように爽やかな笑顔を滲み出させる。
その表情を見て、ポカンと目を丸くするフレイヤは、数瞬の後に今までの飾った笑みではなく無意識に出た笑みを浮かべた。
「ふふ……誰からの贈り物なのか、とても興味深いけど。聞いても意味が無さそうだからやめておくわ」
処女神たるアルテミスが男からの贈り物を受け取りはすれど身につけることなんてあるはずは無いと、この場にいる神達は同じ思考に至る。
故に、誰も予想は付かないだろう。
この贈り物が、アルテミスにとっての
青と白が混ざりあっている部分へと手を添え、アルテミスは密かに頬を染めながら柔らかく笑った。
「……あなた、そんな顔出来たのね」
ヘファイストスの呟きは空気へと溶けていく。
天界では見ることが出来なかった神友の新たな一面。
不変であるはずの神でも感じることの出来る明確な変化に驚きはするものの、ヘスティアは一人慈しむような視線を向けた。
そんななんとも言えない、しかし心地の良い雰囲気が流れ始めた場へと、ドタドタと足音を踏み鳴らしつつ大きく手を振りながら走ってくる女神が居た。
「おーい! ファーイたーん、フレイヤー、アルテミスー、ドチビー!」
その声を聞き入れたヘスティアは「訂正するよ、フレイヤ」とフレイヤへと言葉を飛ばすと。
「君なんかよりもずっっと大っ嫌いなやつが、ボクにはいるんだよっ」
「あら、それは穏やかじゃないわね」
心底不快な表情を惜しみなく前面に出し、向かってくる女神の方へと視線を飛ばすとツインテールが逆立つ程に威圧的に視線を尖らせる。
「ぬあぁぁにしにきたんだァい、ルルぅぅぅおキィ〜!」
「すごい顔よヘスティア」
とても女神がするとは思えない、下界の人間の女神へのイメージが崩壊するほどの表情をするヘスティアに呆れた視線を向ける。
対するロキはニマニマと変な笑いを浮かべながらヘスティアの格好を舐めまわすように見る。
「いやぁ〜、なんや貧乏神が貧相な格好でここに来るって聞いたからな。どんなみすぼらしい姿してるんか見に────」
勝ち誇った顔をして近寄って来たロキはパーティ用の黒いドレスを着こなしている。
独特の口調でヘスティアに視線を向けていたロキは歩いていた足を止め、ニマニマとした笑みを凍らせた。
流石に異変に気づいたヘスティアが「どうしたんだい?」と疑いの目を残したまま、少しの気遣いを含めた声を投げかけると、ワナワナと肩を震わせる。
「なっ、なっ、なんやそのドレスっ!」
「? これがどうかしたのかい?」
「白々しいっ! そないな高級なドレスどこで手に入れたんやっ! ドチビにそないな物買う金なんかないやろ! しかもなんやそのイヤリング!」
「……ニヤリ」
人差し指をヘスティアの着ているドレスと両耳のイヤリングを行き来しながら指す。唾を撒き散らしながら信じられないものを見たようにはき散らすロキを見てニチャリと何かを思いついたように胸を張って前へと進み出る。
思わず一歩後ろへ下がってしまったロキを見てますますヘスティアの笑顔は深くなった。
「いや〜、細身の君が羨ましいよロォキィ〜。ボクは何故だか着られるドレスが少なくてねぇ。このドレスも、わざわざボ・ ク ・のために発注してくれたのさっ。君みたいにまっっ平な体型なら、困らなかっただろうねぇ〜。いやぁ〜羨ましいなぁ〜!」
「すごい顔よヘスティア」
思わぬカウンターを決めることが出来たヘスティアはニパァ! と満面の笑みを浮かべる。
対するロキは致命的な一撃を食らったかのように顔を真っ青に染め上げ、産まれたての小鹿のように膝を震わせる。
「ふ、ふんっ! そんな脂肪の塊ぶら下げながら言われても、男誑かして金巻き上げたようにしか聞こえやんわ〜」
威勢を張るものの、その声は酷く震えたもので。
「キミみたいな、絶壁を見せびらかすようなヤツに言われたくないねっ」
「かっ……はっ……」
ついに決定的な何かが壊れたロキは膝から崩れ落ちる。
なんとか床に手をついたのは2大ファミリアの一角の主神としての意地か。
フレイヤですら、哀れみの視線を向けていた。
そしてロキを降したヘスティアは、それはもう凄く清々しい顔で笑っていた。
「そ、そういえばロキ、貴方のファミリアの名声よく聞くわよ? 上手くやってるみたいじゃない」
ピクっ、と肩を震わせ勢いよく顔をあげると、(これやっ!)と活気が一気に戻ると一瞬で立ち上がる。
「いやぁ、大成功してるファイたんにそないなこと言われるなんて、ウチも出世したなぁ〜。どこぞの貧乏神とは比べもんにならんくらいに、なっ」
「……! っ……!!!」
声にならない声を上げながら苛立ちを表すように足を何度も床へと踏みつけるヘスティアを横目にヘファイストスは「忙しいわね、アンタ」とため息をつきながらつぶやく。
そんな言葉は届く訳もなく、目の前で見下ろしてくる
「今の子達はな、ちょっとウチの自慢なんや」
声のトーンが変わり、本心を伝えてくるロキは恥ずかしそうに手を頭へ乗せる。眷属の話を始めた彼女の声には彼等を愛していることが見え隠れしている。
ヘスティアは苛立っていた気持ちを幾らか抑えると聞きたかったことをロキへと投げかけた。
「ねぇ、ロキ。君のファミリアに所属しているヴァレン何某について聞きたいんだけど」
「あっ、剣姫ね。私もちょっと話聞きたいわ」
「ファイたんのお願いならウチは話さん訳には行かんなぁ〜」
本当に、いちいち腹立つなこいつ、と拳を握りしめ溢れる殺意をなんとかこらえるヘスティア。
「なら、ヘスティアの質問に答えてあげてちょうだい」
「か〜っ、しゃあないわ〜」
両手を後頭部へと持っていき「んで、なんや」と、「早く言え」と言わんばかりの声と糸目をヘスティアへ向ける。
「その噂の剣姫は、付き合っているとか、そういう男はいるのかい?」
「あほぅ、アイズはウチのお気に入りや。嫁に出さんし、誰にもくれてやらん」
「よっっっっしゃっ!!!」
「貴方の情緒どうなってるの?」
渾身のガッツポーズを決めるヘスティア。
「ただ」と、何か話の続きがあるようにロキが口を開くと。
「好いとる……て訳やないと思う。でも、憧れとるっちゅうか……」
「なんだい、その煮え切らない言葉は」
頭をガシガシと乱暴に掻きむしるロキは言葉で表現することが難しいことを思い浮かべる。
「付き合ってないし、伴侶も居らん。でもな、目標にしとる男やったら居る」
「ほっ、本当かいっ!? 誰なんだい!?」
「
ヘファイストス、アルテミス、フレイヤがロキの口にしたその単語に息を呑む。唯一、その単語に聞き覚えのないヘスティアは「白き、英雄?」とその言葉を反復する。
「ドチビが知らんのは当然や。あいつが出てきたんは7年前。新参者のドチビが、引きこもりのドチビが知ってるわけない」
無知なヤツに合わせて喋んのは疲れるわ! と深く息を吐いて疲れたことをアピールするも、ヘスティアの頭の上には「?」が浮かぶばかり。
対して、三柱の反応は様々だった。
ヘファイストスは、何かを思い出したようにこの後のスケジュールを脳内で確認する。
アルテミスは、
そしてフレイヤは、唇を舌で舐めて微笑を浮かべた。
「この話はこれで終いや」と、疑問の尽きないヘスティアの思考を強制的に終了させる。
「ドチビの質問に答えたんや。ウチからの質問にも答えろ」
「それはいいけど……な、なんだい」
「ドチビの
「ベル君の……?」
何故、ロキのように巨大なファミリアを築いているヤツが自分のたった一人の駆け出しのことを気にするのか。
「ま、まさかっ! ベル君は渡さないぞっ!」
「違うわアホ」
慌てた様子のヘスティアに対して即答で返す。「じゃあ、なんだい?」と訳が分からないという表情を見せる。
「ウチは見たことないけど、似てるらしいやんか」
「……誰とだい?」
「英雄」
「──そう、か」と。誰にも聞こえない声量で納得の声を漏らす。突然下を向いたヘスティアの様子を無視して話を続ける。
「で、どうなんや? 血縁か? 何かしらの繋がりはあるんか?」
「……さぁね。そもそもボクがその英雄君のことを知ったのは今なんだ。そんな話、ベル君から聞いたこともないよ」
「そか。まあええわ」と、初めから期待していなかったのか、あっさりと引く。
「ほんなら、ウチはこの辺で帰らせてもらうわ。今日はこんくらいにしといたるわドチビ」
「ふんっ、次来る時は、そんな貧相なもの見せないでくれよ!」
「うっさいわボケぇぇぇぇ!! 覚えとけよごらぁぁぁ!!」
会場全体に響くほどの怒声を上げ、地団駄を踏みながら出口へと向かっていく。
その後ろ姿を舌を出して下瞼を引っ張りながらヘスティアは見送った。
「じゃあ、私も帰らせてもらうわ」
「あら、もう帰るの?」
「ええ。知りたいことは知れたし」
「?」
グラスをそばを通った給仕へ渡し、フレイヤもロキの跡を辿っていく。
「私もそろそろ帰ろう」
「会えて嬉しかったよアルテミス! またお茶でもしようぜっ」
「ああ」
そうして残ったのはヘスティアとヘファイストスのみ。このまま流れで解散となるだろうと予想出来たが、ヘファイストスは何かを感じ取っているのかヘスティアの方へジト目を向ける。
ヘスティアは居心地が悪そうにモジモジとし始めた。
「そのぉ……ヘファイストスに頼みたいことがあるんだけど……」
やっぱりか、と思いながら眼帯をつけていない紅い左目がすっと細まる。
「この期に及んで、また頼み事ですって? 一応聞いてあげるけど、な・ に ・を、私に頼みたいですって?」
また金を貸してほしいなどとほざくのであれば、本当に金槌で脳をかち割ってやろうと思う。汚物を見る目で見下ろしてくるヘファイストスに、覚悟を決めたヘスティアが告げる。
それは、零細ファミリアのヘスティアが大手ファミリアのヘファイストスに頼むようなことでは無いものの、縋るように、それでいて懇願するように望みを放つ。
「ベル君に……ボクのファミリア……ううん。ボクの家族の子に、武器を作って欲しいんだ!」
オラリオに複数存在する診療所。
その大手と呼ばれるのは、やはりディアンケヒト・ファミリアが挙げられる。
ロキ・ファミリアを筆頭に、数多くのファミリアとの取引をしているここは、もちろん規模が大きい。
その診察室の奥に存在する病室……の、地下。
たった一室のみ存在するこの部屋は、
その場所に、2人。
片方は、都市最高の治療師と言われているディアンケヒト・ファミリアの団長であり、
そして、もうひとり。
患者用のベッドに腰掛けるのは、処女雪を連想させる純白の髪、血のような深い赤目、スラリと伸びた細身のまだ幼さを残している青年。
処置は既に終わっているのか、珍しく脱力する仕草を見せながらアミッドは患者の前に立つ。
「いつも通り、問題は見られませんでした」
「ありがとうございます、アミッドさん」
「異常なし」。その患者にとっても治療師にとっても喜ばしい事実に、しかしアミッドは呆れたように頭を手で抑える。
「『大精霊の血』……もはや
「い、いや……あはは」
「ベヒーモスの亜種……しかも、
皮肉を混ぜた言葉に流石に気付いた青年は「あはは……」と苦笑を零す。
「一応、傷は負いましたよ」
「どうせすぐに回復したんでしょう。それで、ベヒーモスの毒は?」
「なんか、全然効きませんでした」
「化け物ですね。おめでとうございます、人間卒業ですよ」
「酷い……」
彼女の今の口調を親しい者が聞けば、驚いて口を開けるだろう。
それは、親しい者にも見せない1面。
同じ境遇である彼にのみ見せる、彼女の『素』。
「それにしても」と。青年の姿を見つめる。青年は気恥しそうに視線を背ける。
「
「注意はしてるんですけど……気づいたら壊れてて」
「貴方の全力の動きについていける魔道具があるのなら見てみたいものですね」
部屋の隅に置かれた机まで歩いていくと、その上に置かれてあるものを持ち、青年の元まで戻ると、それを差し出した。
「アスフィさんからです。『次の魔道具まで待て』と。次こそ耐えうるものを作る、とかなり燃えてました」
「ありがとうございます」
そのローブを受け取ると、青年はベッドから腰を上げる。軽く体をほぐしてから畳まれたローブを広げ身につけた。
その瞬間、見えるはずの青年の顔が認識できなくなる。
それに対して大した反応を見せないアミッドは「そういえば」とあることを思い出す。
「もうすぐ怪物祭ですから、魔道具が届くまではそちらを楽しんでみてはいかがですか?」
「そうですね。流石に
「では」と、ローブを一度外してアミッドと向き合う。
「ありがとうございました、アミッドさん」
「気をつけて行ってください、ベル」
ローブを被り直した青年の姿は、一瞬で掻き消える。まるで、元からそこにはいなかったかのように、地上への道を音を置き去りにして通り去っていった。
そして。
怪物祭が、始まる。