白き英雄譚   作:ラトソル

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怪物祭3

 昼下がり。

 

 冒険者達は軒並みダンジョンへと潜っており、一般市民の人通りが最も多くなる時間帯。

 ワイワイと活発なメインストリート。闘技場には怪物祭の準備を進めるガネーシャ・ファミリアの団員の姿。

 

 そこかしこには、近日開催される『怪物祭』の宣伝のための張り紙がみられ、露店や酒場もそれに向けての準備を行っていた。

 

 眼下に映るその景色を見て、笑みを零す男が一人。

 

 屋根から屋根へ、認識阻害のローブを携え誰にも知覚されることなく高速で移動する。本来ならさらに早く移動できるが、あえて抑えているのは街並みを眺めるため。

 

 アミッドの元を離れ、ベルは目的の場所へと向かう。

 その道中には人々の笑顔。

 

 七年前とは比べ物にならないほどの活気に溢れるオラリオは、近づく『怪物祭』に向けてさらに盛り上がっている。数日後には、街中が人で埋め尽くされ、冒険者も市民も、神々も笑い合うこととなるはずだ。

 

 小さな子供が走り回っている。その後に続くように複数の子供が走っているのはかけっこか、鬼ごっこか。

 あんな風に、子供が自由に外を出歩けるようになった。その事実が、たまらなく嬉しくて。

 

「────」

 

 それでいて、平和のために走らせてしまった彼女のことを思うと、後悔で埋め尽くされる。

 

 後悔、というものが、「出来たのにしなかったこと」に対するものなのなら、ベルが抱くものは後悔とは違うものなのだろう。

 なぜなら、「出来なかった」のだから。

 意識が浮上した時には、既に手遅れだった。

 

『ア、ル────』

 

 路地裏で見つけた彼女は、酷く冷たく、白く、薄かった。

 いつ消えてもおかしくない、命の灯火。もう、生きることに執着のない淀んだ瞳。

 

 今も、時折夢に見る。

 彼女達が表に出ることが出来なくなったのは、自分の責任だから。その考えは、彼女達には否定されてしまうけど。それこそが、自身の原罪だと。

 

 いや、今考えたところで過去が変わることは無い。

 

 目的の場所、バベルが近づいてきたことで余計な思考を頭を振って消す。

 バベルは地下に行けばそこはモンスターが潜むダンジョン。しかし、上階には神々のスペース、そして商業系、鍛治系ファミリアの店がある。

 

 堂々と、しかし周りの視線を集めないようにバベルの入り口へと辿り着くと、他の客などに紛れてゆっくりと歩き出す。

 

 見えてきたのはヘファイストス・ファミリアの出店ブース。ガラス張りのショーケースに一本一本を美しく飾っており、その武器や防具の前には恐ろしく多い0の文字。

 一般の冒険者では手を出すことすら考えさせられない、上級鍛冶師の中でも指折りの者の傑作達。大手ファミリアならともかく、駆け出し、いや第二級たちでさえ、指をくわえて眺めることしか出来ない。

 

「いつかこんな武器を持ちたい」「この武器に相応しい冒険者になる」。そんな志を胸に、ダンジョン探索へのモチベーションとしている者も少なくない。

 

 誰もが恍とした眼差しでそれらを眺めている中、ベルは一瞥するだけに留め先へ進む。

 奥へ奥へ。武器や防具を求めた客や団員であろう従業員達の姿が減り、そして完全に消える。

 薄暗い道へ出ると、突き当たりにはひとつの扉。見るからに関係者以外立ち入り禁止だとわかるような扉。それをゆっくりと開けると音を立てずに入っていく。

 

 扉を閉めると、先程とは比べ物にならないほどに暗い。もはや闇。間違えて入った者も、思わず引き返してしまうだろう。

 平衡感覚も機能しないような暗闇だが、ベルの目には確かな道が広がっている。卓越したステイタスは、視力、いや暗視にも作用する。

 

 それほど歩くことはなく、すぐに第二の扉が目の前に迫り立ち止まる。先程まではすぐにドアノブを捻っていた。しかし、今はドアノブに手をかけることなく、右手で二回扉を叩いた。

 軽快な音が木霊し、無音の世界を彩る。

 

「ヘファイストス様」

 

 そして、一言を発する。扉の奥にいるであろう神物の名を口にする。

 それから数瞬とかからずに、「入ってちょうだい」と女性の声が聞こえてきたのを確認し、ようやくドアノブへと手をかけ、ガチャりと捻る。暗黒の世界に徐々に光が差し込み、一瞬目が突然の光に驚きクラっとするも、すぐに適応した瞳は視界をクリアに保つ。

 

「失礼します」と声をかけヘファイストスのいる主神室へと足を踏み入れる。主神室と言っても、豪華な椅子や机がある訳ではなく、最低限の書類と仕事机、そしてヘファイストス専用の鍛冶場へと繋がる扉。

 

 何度か来たここはやはり景色に変わりはない。あるとすれば、いつもに比べて困ったような表情で笑っているヘファイストスと、その傍で頭を床へ擦り続ける我が主神の姿だろうか。

 

「ちょっと待ってちょうだいね。先にこのバカを追い出すから」

 

「いや、その……何してるんですか?」

 

「まあ色々とね。ていうか、さっきから続けてるそれ、なんなの?」

 

「土下座……」

 

「ドゲ……何?」

 

「これをすれば何をしたって許されて、何を頼んでも頷いて貰える最終奥義……ってタケから聞いた」

 

「タケ……?」

 

「タケミカヅチ……」

 

「ああ……面倒くさいことを吹き込んで……」

 

 顔に手を置き、疲れたように、呆れたようにため息を吐くヘファイストスを横目に、ベルはこの光景にどうリアクションすればいいのか戸惑う。

 

 何故、ヘスティアが土下座するような場面になっているのか。

 そして、いつもは明るく陽気な彼女が、ここまで真剣になっているのは、決まって眷属(僕達)のためであると知っているから。

 

(ここまでして……)

 

 神会(デナトゥス)、そして近づく怪物祭。それが何を意味しているのか、ベルは知っている。

 一生の相棒となるナイフとの出会いを。

 

「……ヘスティア、教えてちょうだい。どうしてあんたがそうまでするのか」

 

「今あの子は変わろうとしてるっ。一つの目標を見つけて、ベル君は、高く険しい道のりを走り出そうとしてる! 危険な道だ、だから欲しい! あの子を手助けしてやれる力が! あの子の道を切り開ける、武器が!」

 

 胸に刺さるその言葉。自分では無い自分への言葉のはずなのに、何故だか僕に向けての言葉のように聞こえる。

 

「ボクは彼に助けられてばっかだっ! ていうか、彼にひたすら養ってもらってるだけだ! ボクは彼のことを家族だと思ってるのに、神らしいことは何一つだってしてやれてない!」

 

 それは違う。僕は貴方に多くを貰った。

 ホームに戻れば貴方はいつも出迎えてくれた。

 折れそうになった時、貴方は僕を救ってくれた。

 あなたがいてくれるだけで、僕は力が湧いたんです。

 

「何もしてやれないのは、いやなんだよぅ……」

 

「僕からもお願いします、ヘファイストス様」

 

 気付けば、声が出ていた。

 ベルが口出しするとは思っていなかったのか、予想外の方面からの援護射撃に思わず眼帯の着いていない左目を大きく見開く。

 

 きっと、ヘスティアの言葉はヘファイストスに届いているだろう。だって、ヘスティアの言葉は、嘘偽りない本心からの言葉だと、誰が見てもわかるものだったから。

 

 ベルへと向けていた視線を、未だ頭を下げ続けているヘスティアへ向ける。数秒、数十秒と見下ろし続け、最後には諦めたようにため息を零す。

 

「……分かったわ。作ってあげる」

 

「い、いいのかいっ!?」

 

 思わずというふうに顔をあげたヘスティアを見て、今度は笑みを零した。

 

「ただしっ、どれだけ掛かってもいいけど、ちゃーんとお金は払ってもらうわよ」

 

「わ、わかってるさってえええええええぇぇぇっっ!? べル君ッ!?」

 

 ベルが居ることに気づかなかったヘスティアは、驚きのあまり飛び跳ねて後退する。しかし、何時間も土下座の体勢を保っていた反動からとてつもない足の痺れが響いた。

 

「あ、足ぐぁぁぁッ」とのたうち回る主神の元へ駆け寄る。その光景を見て、燃えるような緋色の髪を持つ女神は、一人思考に耽ける。そして「そういうこと……」と結論着けた。

 

「ヘスティア」

 

 土下座の反動が未だ襲いかかっている神友の様子はお構いなく語りかける。

 

「その子はアルよ。今回は私だけだったからいいとして、不用意な発言は控えた方がいいわ」

 

「はっ!?」と、やってしまった顔で固まったヘスティアだったが、続けて驚愕の目線を向ける。

 

「へ、ヘファイストスっ!? 君はこの子のことを知っているのかい!?」

 

「いいえ、()()()は知らなかったけど、今確信したわ」

 

 それはさておき、と。ベルの手を借りてゆっくりと立ち上がるヘスティアを見下ろしながら、今後について話し合う。

 

「あんたの眷属()につくる武器についてだけど。少し時間を貰うわ。先約があるの」

 

 すぐには取り行えないことを告げるも、作ってもらえるという事実だけで満足なヘスティアは二つ返事で構わないと口にする筈だった。

 

「いえ、僕の方は大丈夫ですので、神様の方からお願いします」

 

「あら、いいの?」

 

「僕は他の武器もありますし、急を要することでは無いので。あちらは主武器も支給品だと思うので、早めに渡した方がいいかと」

 

「あなたが言うならそうしましょうか」と、突然の二人の会話に着いていけないようにツインテールを振り回しながら二人を交互に見る。

 

「べ、あ、アル君」

 

「ベルでいいわよ。もう知っちゃったし」

 

「そ、そうかい。じゃあベル君。ベル君はここに何をしに来たんだい? ていうか、いつからヘファイストスと関わりが……?」

 

 ベル……もとい、アルの正体を知るものは少ない。そして、アルと関わりのある存在も同じくらいに少数だ。

 彼の存在は、トップシークレット。故に娯楽好きの神々が知ればいい玩具となってしまう。そんな彼が、ヘスティアの神友とはいえ、神と関わりを持っていることに疑問が尽きない。

 

 思わず問いかけた疑問は、ベルではなくヘファイストスが答える。

 

「ああ。彼の専属鍛冶師なのよ、私」

 

「──え」

 

「あ、そうだ。久しぶりに()つ?」

 

「いやいや、僕は鍛治のアビリティ持ってないですし」

 

「四年前からちょくちょく教えてるじゃない? それに()()()()()つくっちゃって。あれを見た時の私の気持ち分かる? 三日は鍛冶場から動かなかったわよ」

 

 やはり突然始まった二人の会話。しかし間に挟まれたヘスティアはそれどころではなかった。徐々に肩の震えが増していき、ヘファイストスの言葉が脳裏に反芻する。3度ほど木霊した後、抑えきれなかった感情が爆発した。

 

 

「ええええええええぇぇぇぇぇぇぇッッッッッ!!?」

 

「うっさい!!」

 

「ぎゃぶっ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早朝はバベルへと向かう冒険者で道が埋め尽くされているが、今は違った。

 周りを見渡せば人、人、人。そしてメインストリートの両脇にはびっしりと並んでいる露店。

 冒険者も、一般人も入り乱れた人混み。八百屋などは少なく、花やアクセサリー、歩きながら食べられる一品ものが立ち並んでいた。

 そしてそこかしこに見えるのは象頭が描かれたガネーシャ・ファミリアのエンブレムと、モンスターを表す凶悪な獅子のシルエットを用いた旗。

 祭り日和だと言うように、空は雲ひとつなく、太陽が地上をこれでもかと照らしている。

 

 怪物祭の開催日である。

 

 誰もが家から出て、冒険者達は祭りということをいいことに、酒を飲み、騒ぐ。形はどうあれ、年に数回しかない行事のひとつとなれば、その盛り上がり様も頷ける。

 

 いつもなら走って移動できる道をゆっくりと時間をかけて人波が進んでいく。その様子をじっくりと眺める銀の瞳が喫茶店の2階にはあった。

 

「……」

 

 落ち着いた木目調の内装の店内で、女神は通りを一望できる窓際の一席に着いている。

 彼女の斜め後ろに控えている猪人の男は純粋に喫茶店へと赴いたとは到底思えない覇気を放っていた。

 

 テーブルに置かれているコップを手に取る女神は、人も神も関係なく目を奪う容姿を隠すようにローブを羽織っているが、品を提供しに来ている店員はその滲み出す美しさに魅了されてしまう。

 

 窓の外に視線を落とし、多種族の者を一人一人じっくりと眺める。時に笑みを零し、時に息を吐く。完成された『美』を持つ彼女は、その仕草だけでも価値のあるものだ。

 

 ギイィ、と。

 

 突然響いた軋むような音と共に、こちらへと近づいてくる足音が二つ。窓の外を俯瞰することを一時中断し、近づいてくる足音を鳴らしている原因へと顔を向けた。

 

「よぉー、待たせたか?」

 

「いえ、少し前に来たばかり」

 

 手を上げて気軽に声をかけてくる相手に対し、女神フレイヤは微笑みながらソプラノ音の声で返す。

 ずかずかと音を立てながら歩いてくるのは赤い髪を後ろで結わった、絶壁を誇る女神。

 糸目がデフォルトの、フレイヤと並ぶ二大ファミリアの片翼、ロキ。

 ヘラヘラと笑いながら席に着くとフレイヤに視線を向ける。

 

「なあ、うちまだ朝食食ってないんや。ここで頼んでもええ?」

 

「お好きなように」

 

 乱雑にメニューを開きペラペラとページをめくる。注文を聞きに来た店員を少し待たせ「これとこれ」と指さしながら注文する。メニューを横へと置き、下がっていく店員を横目で見ながらフレイヤは視線を横へとずらす。

 

「ところで、いつになったらその子を紹介してくれるのかしら?」

 

「なんや、紹介がいるんか?」

 

「一応、彼女とこうして面と向かって会うのは初めてだもの」

 

 ロキの後ろに控えているのは、金色の髪、金の瞳を持ち、いつもとは違う私服姿に身を包みつつも、鞘に収めた剣を携えている、第一級冒険者の中でも知名度の高いアイズ・ヴァレンシュタイン。

 

「んじゃ、しゃーない。うちのアイズや。これで充分やろ? アイズ、こんなんでも神やから、挨拶しときぃ」

 

「……どうも」

 

 視線を窓の外からフレイヤへと向けると不器用に頭を下げる。対面するフレイヤは微笑を浮かべ、その美しさにアイズは少し引き込まれかけるも、それまで。何も無かったかのように表情を戻し、オッタルを一瞥すると、再び窓の外へと視線を向ける。

 

「ふふ、可愛いわね」

 

「せやろ? やらんで」

 

「ふふ……それで、こんなところに呼び出した理由をそろそろ教えてくれない?」

 

「んぅらちょい久々に駄弁ろう思ってなぁ」

 

「嘘ばっかり」

 

 不敵に笑うフレイヤは、フードによる影も相まって不気味に映る。

 ロキも挑発するような笑みを向けるも、相手も同じような表情を向けてくることから、数秒ほどの膠着を経て空気が一変する。

 今までのようなふざけた印象などどこへ消えたのか。肩肘をテーブルに乗せてロキは上体を乗り出す。

 

「率直に聞く。何やらかす気や」

 

「何を言っているのかしら、ロキ?」

 

「とぼけんなや、あほぅ。最近動き過ぎや、自分。興味ないとかほざいてた宴に急に顔出すわ、情報収集もこそこそするわ……何を企んどる」

 

「企むだなんて、そんな人聞きの悪いこと言わないで?」

 

 どれだけ圧をかけて問いただしても、フレイヤの態度は依然として変わることは無い。変わらない微笑を浮かべ、何も知らないような返しをする。

 ロキ自身、その反応は予想出来てはいたし、何より彼女の目的にも薄らとした予想は立てていた。

 

 乗り出した体を元に戻し、ドカッと音を立てながら椅子へと体を預ける。

 心底呆れたようにため息をこぼし呆れた顔でフレイヤを一瞥した。

 

「男か」

 

 フレイヤの微笑みが僅かに深まる。それが肯定を表している事だと悟ったロキはさらに息を吐いた。

 

「神の宴に来たのも、その子がどこの眷属か突き止めるためっちゅうことか」

 

 フレイヤなどに見初められてしまったまだ見ぬ子供を哀れに思いつつ、しかしそれには少しの違和感を覚えた。

 

(こいつやったら、英雄(アル)を狙う思ったけど、そこはあてが外れたか)

 

「で?」

 

「……?」

 

「自分が見つけた子供ってのは? いつ見つけた? 教えろ」

 

 命令形で急かすロキに、態度は崩さず、そしてその日のことを思い出すように窓へ視線を傾ける。眼下には数多くの市民がごった返していた。

 

「……強くはないわ。貴方や私のファミリアの子と比べても、今はまだとても頼りない。少しのことで傷ついてしまい、簡単に泣いてしまう……そんな子」

 

 でも、と小さく、けれど芯に届く声で呟いたフレイヤは続ける。

 

「綺麗だった。透き通っていた。あの子は見たことの無い色をしていた。そして、そっくりだった。だから目を奪われた。見惚れてしまった……」

 

 フードで隠された白く美しい肌は、少しばかりの高揚を見せるように赤く染まる。透き通ったソプラノ音には熱が篭もる。

 

「見つけたのは本当に偶然。たまたま視界に入っただけ……あの時も、こんな風に……」

 

 当時を思い出すようにその時の自分を再現する。窓の外を眺めていると、大勢の市民を映していた銀の瞳が驚きに見開かれる。今まで不規則に動いていたフレイヤの瞳は一点で止まり、その動きを追うように規則的な動きになった。

 

「……あの子は」

 

「ごめんなさい、急用が出来たわ」

 

「はあっ?」

 

「また会いましょう」

 

 同じく窓の外を眺めていたアイズは瞳に映った純白が過去の憧憬に重なり身を乗り出しそうになったところで、しかし今の姿とは異なることで自制する。

 状況についていけていないロキと視線を動かさないアイズを置き、フレイヤは静かに椅子を下げると出口へと歩いていく。オッタルは固まっているアイズを一度横目に視界に入れると、すぐに視線を逸らし主の元までついていく。

 

 こうして二柱の女神の密会は、密かに、不気味に終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

「凄い……」

 

 思わず零れた感想は、初めて見る怪物祭の反響に対してのものだった。

 歩くだけで一苦労。そんな体験をするなど終も思わなかったため、その衝撃と興奮は壮絶なものだ。

 

 いつもと変わらずにダンジョンへと行こうとしていたベルは、進路を変えて怪物祭が行われている方へと足を向けていた。

 ベルは元々怪物祭のことは知らなかった。

 オラリオに来てまだ1ヶ月少し。冒険者になってまだ1ヶ月も経っていない。そんな彼が怪物祭について知らないのも無理はなく、知る要因もまた奇妙なものだった。

 

 それは西のメインストリートを歩いていた時のこと。

 

『おーいっ、そこの白髪のアル〜!!』

 

 聞いたことのある猫人の高い声が耳へと届き、その意味不明だが自分に当てはまる容姿に一応振り向いて確認する。

 

『えと、僕ですか?』

 

 指を自分に向けて確認すると『そうニャ!』とこれまた響く声を上げながら手を振ってくる。こっちに来いと言うことだろうと思い、来た道を少し遡る。

 

 すると、突然こちらへ近づいてくるやいなや、顔をじっくりと前、後ろから舐めまわすように見てくる。顎に手を置き「むむっ」という声を出しながら再度正面へ戻ると。

 

『やっぱアルに似てるにゃ』

 

『アル……?』

 

『私たちの同僚です』

 

『ぶにゃっ!?』

 

 薄緑の髪を持ちウェイトレス姿のエルフが現れると、目にも止まらぬ手刀を猫人の頭へと容赦なく振り落とした。

 突然の攻撃を受けた猫人は頭を抑えながら涙目でエルフへと詰め寄る。

 

『急に何するにゃ、リュー!!』

 

『アーニャ、突然のことで彼も驚いている。少しは配慮すべきだ』

 

「すみません」とこちらへ頭を下げてくるエルフ──リューと言ったか──に慌てて両手を突き出して謝罪を止める。

 彼女が頭を上げたのを確認すると、先程リューが言っていたことが少し気になってしまった。

 

『あの、アル、さん? って、豊穣の女主人にいる、男の方ですか?』

 

『そうです……しかし、貴方は本当に似ている。失礼ですが、名前を聞いてもよろしいですか?』

 

『あ、はい。ベル・クラネルです』

 

『──ベル・クラネル……そうですか』

 

 ベルの名前を呟き、少し考える素振りを見せるリューにどうしたのかという視線を向けると、「いえ、お気になさらず」という彼女の言葉でその心配は消える。

 

『それで、どうして僕を呼んだんですか?』

 

『ハッ!! すっかり忘れてたニャ!! これニャ!』

 

『へっ?』

 

 そういってアーニャは懐に入れていたものをベルへと手渡す。渡された物が財布だということに気づき、そして何故渡されたのか疑問に思うも気にせずにアーニャは続ける。

 

『あのおっちょこちょいに渡して欲しいニャ』

 

 渡されたが財布と彼女の言葉を織り交ぜるも、しかし内容が全く理解できない。

 

『アーニャ、それでは言葉足らずだ……失礼しました、クラネルさん。その財布ですが、怪物祭に向かったシルの忘れ物でして。私たちは仕事で動けないので、貴方に代わりに届けて欲しい、と』

 

『ニャ』

 

『あ、なるほど。分かりました』

 

 詳しい説明を受け、ようやく理解したベルはその依頼を二つ返事で受ける。『ありがとうございます』と頭を下げ感謝を向けるリューに、やはり感謝を受けなれていないのか気恥かしそうに頬を指でなぞる。

 

 そうして、ダンジョンへと向かうことを中止し、現在はシルがいるであろう東のメインストリートの方に居た。

 

 シルの髪の毛は特徴的な色をしている。それを頼りに周りを見渡すが、鈍色の長髪の女性は一人として見当たらない。

 

「ベル君っ、次はあの屋台に行こうぜ!」

 

 元々ベルは一人で行動していたが、今は空いていた右腕には腕が絡まっている。子供のように幼い声で楽しげに笑っているのは主神である女神ヘスティアだ。

 

 シルを探している途中、後ろから名前を呼びながら駆け寄ってくるヘスティアと合流し、共にシルを探している。もっとも、探しているのはベルだけで、ヘスティアはベルとのデートを楽しんでいるだけだが。

 

 途中、ベルの迷宮探索アドバイザーであるエイナとばったり遭遇し、何やらヘスティアが牽制していたものの、修羅場という程ではなく。

 そしてヘスティアはエイナの耳元で何かを囁き、困惑しているエイナを見てどこか悲しげな、それでいて納得するような仕草を見せていたのが印象的だった。

 

 今ではそんな表情は消し去っており、子供のようにはしゃぐ神様の姿はなんとも微笑ましい。

 その笑顔を見ていると、昔におじさんと行っていた鬼ごっこを思い出す。

 

『ハハハハハハハッッッッッ!!』

 

『ひ、ヒィィィィッ!!?』

 

 木を利用してどうにか撒こうとしたところで、おじさんは迂回などはしない。ただそこには何も無かったかのように突進して木を吹き飛ばし最短距離で迫ってくる。ある意味純粋な笑顔で襲いかかるおじさんはトラウマだったりする。

 

(実はおじさん凄い冒険者だったりしないのかな……? こっちに来たら絶対……)

 

 幻視したのは上層でたむろしている駆け出し達に特訓という名目で地獄を見せるおじさんの姿。屍の山がそこかしこに作り上げられ、『撫でただけだぞ……』と呟きながら次の獲物(冒険者)を探しに行っていた。

 

(うん。おじさんはこっちに来ちゃダメだな)

 

 頭の中で犠牲となっていた存在しない冒険者達に手を合わせると、ヘスティアが訝しんだ目でこちらを見てくる。「いえ、こっちの話です」と遠い目をしながら言ったベルにさらに心配になるも、それは次の瞬間に吹き飛ばされることとなる。

 

「──モ、モンスターだぁぁぁぁッ!!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 闘技場の周りを囲むように立っている数本の塔。

 その内の一つの頂上に、ローブに身を包んだ者が佇んでいる。

 

 バベルほどでは無いとはいえ、現状を把握するために辺りを見渡すことには適している場所と言える。

 

(脱走したモンスターは……あと一体か。アイズがほとんど討伐したんだ)

 

 眼下には、風を纏い気配を辿って駆け回っている少女の姿。以前に比べて風の使い方が洗練されているのを見ると、いよいよLv6も近いことを実感してしまう。

 

 そして視線をダイダロス通りへ向ければ、土煙がそこかしこに上がっており、モンスターが暴れている形跡が見て取れる。本来なら動くべき。しかし。

 

(僕の出番は無い、かな)

 

 見れば、今は動き回っている様子は見れず、1箇所で止まっているようだ。つまり、そういうことなのだろう。

 

 後は自分に任せ、僕は退散しよう。そう思い、地面へと降りようとした時、僅かに地面が揺れるのを感じる。

 

(地震……? いや、この気配……地下か)

 

 単なる自然現象では無いことを察知。地下から感じる存在が地上へと出てきたことを確認した。

 複数の場所に同時に出現したソレは、一箇所を除き、その場にいる冒険者では対応出来ないであろうことを理解すると、少し膝を曲げ、もっとも近い場所へと体を向けた。

 

 義母(はは)の願いを守るために、あえてその一箇所のみは残しておく。

 

 けれど。

 犠牲は出したくないから。

 

「──【駆けろ(ライトニング)】」

 

 何かが弾けた音とともに、その場所にいた存在は姿を消した。

 

 

 

 

 

 

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