熱い、熱い、熱い。
何処にいても感じる灼熱。見渡せば家屋は崩れ、燃え盛り、一面を赤く染めあげている。
肌を焦がす炎。逃げ惑う市民、冒険者。高笑いする神々。
響き渡るは、悲鳴、怒号。少年少女の泣き叫ぶ声が。蹲り顔を押えて嗚咽を漏らす母親が。人波を掻き分けながら前へ前へと突き進む顔を涙で濡らす冒険者が。
そして、それ等をかき消す程の、死の咆哮が。
大穴から溢れ出すモンスターが蔓延る街中で、何処を見ても目に映る、数えるのも馬鹿らしくなるほどの
鼻を刺激する悪臭。それは燃える辺り一面から漂ってきて、人が焼け焦げている匂いだと分かった。
モンスターに蹂躙され、死に挑む冒険者は羽虫を払うが如く無惨にもその命を散らしていく。そんな間にも、またひとつ、光の柱が天へと突き刺さる。
満身創痍の体にムチを打ち、視線だけでも前へ。そうやって向けられた瞳に映ったのは、黒く吹き荒れていた暴風が散っていく瞬間だった。
カーテンの隙間から注がれる光が瞼を刺激し、自然と意識が覚醒する。十分な睡眠を取った身体から倦怠感は感じられず、続けてくる眠気から逃れるように上体を起き上がらせた。
「ん────」
腕を上げ、体を伸ばすように蹴伸びする。腰を捻れば面白いほどにバキバキと音が鳴り、不思議と気持ちのいい感覚だ。
数秒ベッドの上に座り、どこでもなく視線を泳がせると、消え去った眠気を合図に体をベッドから引き離した。
優しい光が注がれる窓際へと近づき、換気の意味を込めて窓を開く。僅かに入ってくる風は季節も相まって心地よく、気分をスッキリとさせるものだった。
未だ外からは人の声は聞こえず、同じ棟で生活をしている同僚達もまだ起きていないだろう。
洗面台へと向かい、水をひとすくいすると、冷たい水を顔へと一気に掛け、意識を完全に覚醒させる。備え付けられているハンドタオルを使い、顔についた水気を程よく拭き取り、鏡に映る自分の顔を見つめた。
「────よしっ」
今日も頑張ろう────そう心の中で宣言し、今日も日課へと出かけたベルの頭からは、やはり夢の内容は消えていた。
◇◇◇◇
「おらおら! 今までサボってた分働くニャ!」
「仕込みはた〜っぷり残ってるニャ。これ全部おミャーが……終わってる、だと……!?」
「なんであんな早く動いてるのに周りの被害ゼロなのよ……風のひとつも起こさないって人間じゃないわ」
「いや、あれはもう神の領域ニャ。下処理神ニャ」
「「「ダッサ……」」」
「ああ、また山積みにされてる野菜が細切れに……」
「ある意味怪奇現象よね」
開店前の朝方。怪物祭から数日が経過した今も、豊穣の娘達からの弄りはやまず。それがまた日常のように感じられ、ベルの口角は自然と緩む。
「よ〜しっ」
「シルさんなんで包丁を持って腕まくりしてるんですか一体今から何をする気なんですか正気ですか今すぐその振りかぶった姿勢を解いてください」
「朝イチの会話がそれって酷くないですか!?」
顔は至って真剣に、まな板の上の食材と睨み合いとてもでは無いが食材のカットどころか色々カットしてしまうような過剰な大振りを見せたシルにここ最近一番の冷や汗を流しながら静止を促す。その対応に、辛辣ですっ、というように頬をふくらませながら腕を組むシルの手には未だに包丁が握られていた。
「シルが料理?」
「正気か?」
「あの持ち方が正解と思ってる時点で正気じゃないでしょ」
「シル、何事にも挑戦する貴方の姿勢は素晴らしいのですが、物事には例外が存在するのですよ」
「リューに言われてる時点でお終いニャ」
「リューに言われちゃ示しつかないよね」
「ていうかリューも
「なっ……訂正しなさい! 私は料理が出来ないのではないっ、少し苦手なだけですっ」
「あれを苦手っていうのは強欲でしょ」
「リューはポンコツニャ」
「0と1を履き違えるんじゃないニャ」
「〜〜〜〜〜〜っ!!!」
用意された食材のカットなどのすぐに出来る下処理を全て終え、スープなどの出汁取りへと移行しようとした時には、既にリューの顔は真っ赤に燃えていた。やはり、
「〜〜っ、アル、何を笑っているのですか!! あなたもですかっ、あなたも私はポンコツだと言うのですかっ」
「ん〜……なんとも言えない、かな」
「くっ……!!」
みんなの標的がリューへと変わり、腕を捲ってまな板の前に再度立ち向かうシルの両手をアーニャとクロエが焦った顔を隠さずに止める。右手に握られていた包丁を、シルの白く儚い指を傷つけないように優しく、しかし迅速に抜き取ると、手の届かない位置へと置いた。
「でも、僕はリューのこと尊敬してるよ」
「……えっ、あ、えと、その……」
各々作業中にも関わらず、全員が一時手を止めると、一直線に向かったのは既に準備されていたコーヒーが置かれている机。いつにも増して黒い色からなかなかの比率で作られていることが分かるそれを、砂糖やミルクを入れることなくコップ一杯分を一息に飲み干すと、例外なく空になったコーヒーカップを壊れない程度に強く叩きつけた。
「あっっっっっま」
「危なかった……意識が持っていかれるところだった……」
「ありがとう、コーヒー」
「誰だよコーヒーに大量の砂糖入れたヤツ」
「誰もいれてないよ〜」
「一日で何回飲ませる気よ」
「胸焼けしそう……」
「焼ける胸なんて持ってないでしょ」
「なんで私に飛び火した!?」
怪物祭の一連の騒動が終息し、傷付いたオラリオの街並みも市民や冒険者の協力もあり元通りへと近づいてきているこの頃。
ベルがリューに対して砕けた言葉や対応を見せるようになってから、彼女達は糖分過多で死にかけていた。本人たちにとっては、ただの会話なのかもしれない。いや、リューにとっても心臓が持たない発言を多々受けている様子は見受けられるが。
しかし、第三者からの二人のやり取りの評価は────リア充爆発しろ、である。
神々が良く口にしている言葉の意味をようやく正確に理解してしまった彼女達は口々にそう宣う。時折垣間見える新婚のような初々しさ。砂糖を凝縮させてさらに砂糖をかけたような甘すぎるやり取りに胃もたれしてしまう。店主であるミアでさえ、コーヒーの大量発注を決めたほどだと言えばその被害と破壊力が伝わるだろう。
リューとベルのやり取り。会話の内容こそ毎回異なるものの、最後は大抵がリューの撃沈で終わりを告げる。思惑なんてあるはずもなく、二人はただ会話をするのみ。しかし周りから見た会話の内容や対応での評価は異なる。
(((初めて来た時はもっと
女性に囲まれた職場に男一人。そんな環境に数年もの間身を置き、毎日ではないにしろ同じ屋根の下で生活をする。それほどの刺激を受け続けていればいくら純粋無垢なベルといえども、当初は女性とのスキンシップに慌てふためいていたベルの反応は消え去ってしまった。それでも魂の純白さは損なうどころか輝きを増し続けているのだから驚きである。
そんな異性を意識し始めた少年のような反応を失って成熟したベルはもはやただのモテる紳士野郎である。
『男として、女の扱い方は覚えておけ』
『え』
『男の作法を教えてやる』
『ぐえっっっっ!!?』
慌てふためき、赤く染めた顔を両手で隠そうとするもエルフ特有の長い耳の先まで赤くなっていることからあまり意味を成してはいないが、逃げるように顔を下へと逸らすリューとは異なり、ベルは突然自身へと訪れた強烈な寒気と震え、そして在りし日のトラウマがフラッシュバックする。
「アル、どーしたニャ? 腹でも壊したニャ?」
「
「アルが壊れた!!」
「なんかブツブツ言ってて気持ち悪ぃニャ……」
「魔法を使った僕よりも速いなんて……これが神々の言う『ちーと』ってやつなんですね! ハハハハハハハハハハ!!!!」
「アル〜〜〜〜〜!! 帰ってきなさいよ!!!」
「本格的にヤバいっ、おら! いつまでわちゃわちゃしてるニャ、リュー! さっさとアルを元に戻すニャ!!」
「……はっ!? アル、良くは分かりませんが戻って来なさい!! そちらに行ってはダメだ!!」
長く鋭い耳の先を僅かに赤く染めながらなんとか現実に戻ってきたリューが、普段とは全く違う笑い方を見せるベルの両肩に手を添えて前後左右へ揺らす。あまりにも高い笑い声は揺らされた反動からか、徐々に音量を下げていき、怖いほどの笑みもなりを潜めていく。どさくさに紛れベルの尻に手を伸ばしたクロエの顎をリューが蹴り飛ばした間に、ようやく目の焦点があってきたベルの瞳に輝きが戻った。
「あ、あれ、リュー? 僕は……え、クロエさんっ!?」
「何があなたをそうさせていたのか分かりませんが……目が覚めて何よりです、アル。ああ、そこにいる猫は放っておいて結構です。後で私が処理しますので」
「処理って何!?」
心底安心したといういつも通りの柔らかな表情で凄まじい内容を口にしたギャップからベルの背中に悪寒が走る。
白目を向けて口を半開きにしているクロエを同じ猫人の従業員が片足を掴みあげて引き摺るように端へと運んで行った。
「……何の騒ぎだい、こりゃ」
酒蔵の方へと作業に行っていたミアが帰ってくると目の映った光景に呆けたように辺りを見渡す。
山積みにされた野菜は既に下処理が済み、スープの煮込みもされている。しかしそれは半分ほどで、残りの細かな作業は手がつけられておらず、キッチンに置かれた大量のカップには黒い水滴が僅かに見て取れた。
視線を移す。そこにはやはりと言うべきか、ベルとリューがセットで佇んでおり、それを中心として騒ぎが起こっていることが分かる。
「またコーヒーの発注をしないとね……」
両手を強く叩き合わせ、ビリビリと空気をふるわすほどの轟音を鳴らせたミアが作業に戻るように声を掛ける。距離をとって静かにしていた者や、嬉々としてからかうように参加していた従業員達も、ミアの姿を確認するとすぐに自身の作業へと取り掛かりに戻って行った。
「アンタらもいつまでイチャイチャしてんだいっ」
「「アギャッ!!?」」
作業に戻る周りを他所に、ベルの体に触れていたことに気づき赤面しだしたリューと、それを見て困ったように頬をかき始めたベルの頭に拳骨を叩き込む。床が抜けていないことが奇跡と言えるほどにその衝撃は凄まじく、人間から鳴ってはいけないような鈍い音が僅かに木霊した。
「ぐっ……いちゃ……いちゃ、なんて……していませ、ん」
「耐久が全く仕事してない……」
「あたしに口答えするってのかい?」
「「「理不尽……」」」
叩かれていないにもかかわらず、その衝撃を目の当たりにした彼女達は自らの経験が脳裏に浮かび上がり、反射的に頭に両手を添える。
あまりの痛みにリューとベルの顔は苦痛に歪み、喋ることさえスムーズには行えないほどだった。
────耐久 B742 から B744
(う、嬉しくない……)
久しく上がることのなかった耐久の数値がこんな形で上昇してしまうことに僅かにやるせなさを覚えるものの、自分の中で絶対に勝てない相手トップ3に固定されているミアに対して抗議の目線を送れるはずも無く、精霊の血による回復を待つばかりであった。ちなみに一位はアルフィアである。彼女には何故かどう頑張っても勝てる自信がベルには無かった。
「アンタらのせいで商品でもなんでもないのにコーヒーに予算が搾り取られてんだよ!」
「「え、どうしてですか??」」
「マジかこいつら」
夢の国から大脱出に成功したクロエがちょうど聞こえてきた内容に戦慄し、ガチトーンで引いた瞬間であった。それに同調するように他の従業員達が揃って肯定するように首を縦に振り、その様子を見てますます困惑の色を見せる二人だった。
「来ちゃいましたっ!!!」
時は過ぎてその日の夜。ダンジョンへと潜っていた冒険者達が地上へと帰還し、一日の疲れを癒しに酒場は大盛況を見せている。今日の戦果を自慢する者や、嘘か真か定かでは無いような武勇伝を声高らかに叫ぶ酔っ払い。仲間内だけで楽しそうに会話をするグループ。客層はそれぞれだが、総じて言えることは、この酒場では笑顔が絶えることは無い。店主であるミアの理想とした店そのものだろう。
退店する客は少なく、逆に入店者が後を絶えない。ようやく一席空いたと思えば直ぐにその席は埋まり、新規の注文が飛び交っていた。
そうなれば、当然仕事量は昼とは比べ物にならず、洗い物は山積みになり、キッチンは行ったり来たりの往復を繰り返す。
怪物祭の被害が出た建物の復興が終わりつつある影響か、いつもよりも気持ち程度ではあるものの、客が多く感じる。
しかし一気に客が入ってきたピークは過ぎ去り、今は卓上にある料理をちまちまと酒を飲みながら楽しんでいる客ばかり。酒の注文は飛び交うものの、ある程度の収まりを見せつつあった。
余裕が見せ始めたことから、「ミギャアアア!!!」と不満げに叫びながら絶妙なバランスで積み上げられているいくつもの洗い物を捌いていく猫人から視線を逸らし、料理提供を済ませちょうど入ってきた新規入店を案内しようとしたところで、見知った顔と声が感じ取れる。
「ご来店ありがとうございます、レフィーヤさん」
「覚えていてくれたんですかっ!!」
腰まで伸びた栗毛を一束に束ね、エルフ特有の長い耳を見せる少女は、先日縁が出来たロキ・ファミリアのレフィーヤ・ウィリディス。
カウンター席がちょうど3席ほど並んで空いていたため、一番端へと案内すると、拳を胸の前につけながらベルが自分の名前を覚えていたことに感激したように詰め寄る。予想外の反応に面食らったベルは少し上半身を逸らしたがすぐに体勢を戻し「もちろんです」と答える。
「むしろ、こちらのお願いを覚えていてくれたんですね」
「も、もちろんですっ! 本当はあの日にでもこちらにお邪魔したかったのですが、ロキから二日は安静にするように言われまして……」
本当にお伺いしたかったんです……と、心から残念そうに顔を下へと向けたレフィーヤの態度に、やはり違和感が凄いとベルは思った。
(出会い方の違いでここまで差が出るんだ……)
案内した席にちょこんと腰掛けたレフィーヤに注文を聞く。エールとおつまみを少しと言われ、注文を通すために戻っていくベルをレフィーヤが見つめると、姿が見えなくなった途端に髪をセットしだした。
それから数分と経たずにキッチンから出てきたベルの姿を見てパァっと表情を明るくさせたレフィーヤは、続けてベルの持つトレイに乗せられたエールと料理の数を見て首を傾げる。
「あ、あのっ。どうしてエールを二つも……?」
「ミアお母さん……ここの
「えっ!!?」
「僕もレフィーヤさんと話したかったですし。レフィーヤさんさえ良ければ、御一緒しても構いませんか?」
「ど、どどどうぞ!!」
慌てながらも隣の席を差し出すレフィーヤに、ありがとうございますと言うと料理をカウンターに置きながら自分も隣へと腰掛けると、エールの入ったジョッキを掴み、レフィーヤへと向ける。
「乾杯しましょうか」
「は、はいっ」
カンッと耳触りのいい音色が響き、丁度いい比率で作られた泡が揺れるのを目で楽しむと、少し口に含んで音を立てないようにゆっくりとジョッキを置く。緊張しているからか、レフィーヤはエールを一気に喉に流し込み炭酸が刺激したのか、噎せたように咳き込む。
心配するベルに大丈夫ですと告げると、少し恥ずかしそうに頬を紅く染めながら、えへへと顔を綻ばせた。
(え、天使?)
アーディが魅せるものとはまた別の種類の顔面兵器の存在を知ってしまったベルは一時思考を放棄するも、すぐ様回復させ、気を取り直すようにおつまみへと手を伸ばした。
「身体はもう大丈夫なんですか?」
「はいっ。二日間安静って言われましたけど、正直あの時くださったエリクサーで完治していましたので」
本当に、ありがとうございました、と。両手を膝に添えて深く頭を下げる彼女はやはりベルが知っている誇り高き妖精の姿で。
「で、でもっ、やっぱりあのエリクサーってお高いですよね!? 頑張ってお金貯めてお返しします!」
今の貯金額が心許ないのか、しょんぼりとした顔つきはひとりぼっちになって泣きそうになっている子犬のそれで、過去には見ることのなかった彼女の一面を見ることが出来たことに役得のようなものを感じる。
「前も言いましたけど、あのエリクサーは貰い物ですので、本当にお金は結構ですよ」
「エリクサーを無料で貰うって、何をすればそんなことになるんですか……」
「僕は使いませんし溜まっていくばかりなので、良かったらレフィーヤさんが使ってください」
水と雷を応用した光の屈折により基本は周りから見えないようにしているポーチ型の魔導具に手を伸ばし、備蓄されている大量のエリクサーの中から三本ほど取り出してカウンターに置く。美しく高価な装飾を施された瓶は中身がなくとも価値があるほどのもので、ガラスが奏でる軽快な音が鳴る一方で、レフィーヤはこれでもかと目を見開き口を半開きにさせながら震える指でエリクサーを指差す。
「え、ええ、エリクサーが三本……!! ていうか、どこから出したんですかそれっ!?」
「魔導具です」
「あ、そうですか……」
一介の酒場の従業員が持っていて良い量では無いエリクサーの数に瞠目する。しかも、先の口ぶりからまだまだエリクサーを持っている様子に見えるため、驚きが巡り巡って魔導具という単語に安らぎさえ感じた。
受け取れない、と腕を交差させて口早にそう言うレフィーヤに対し、「腐らせても勿体ないので」と言い、無理矢理にでも三本のエリクサーを押し付け、半ば強制的に納得させられたレフィーヤは渋々、そして申し訳なさそうにエリクサーを手に取る。
(この魔導具の中は物が腐らないようになってるからそんな心配ないんだけど)
やはりアスフィさん特製の魔導具は凄い、と一人納得している前で、二大ファミリアの一角に属しているとはいえエリクサーはやはり珍しいのか、目を輝かせながら様々な角度からエリクサーを眺める妖精がいた。その光景を目にし、ベルは反射的にエリクサーを追加で五本取り出す。
「まだまだどうぞ」
「もうお腹いっぱいですよっ!?」
物を渡したくなる衝動に駆られ、無意識的に取り出したはいいものの、肝心のレフィーヤはもう限界のようで、頑なに受け取ることは無かった。
「えっと……アル、さん? は、ここで働いているんですよね?」
「そうですね」
日頃から外出の際には持ち歩いているのか、小さめのバッグに震える手でエリクサーを収納し、大事そうに膝の上に置くと、レフィーヤからの質問がベルへと飛んでいく。
「どれくらい此方で?」
「ん〜……五年、くらいですかね?」
「普段はこちらに住んでいるんですか?」
「家……という訳では無いんですけど、他にも住んでいる場所があるので、気分次第ですかね」
「お、お付き合いされている女性はいらっしゃるのですかっ!」
「いませんよ?」
他愛もない話し合い。レフィーヤは気づいていないが、ベルは突き刺さるひとつの視線に気が気では無い様子だが、気の所為だと決めつけてレフィーヤとの会話を楽しむ。
「アルさんって、私よりも年上……ですよね?」
「言いながら自信無くさないでくださいよ……20です」
「だ、だって、凄く若く見えますしっ。正直、アイズさんと同じか一つ上くらいかと……え、二十歳!?」
「すごい反応……」
「え、あ! いや、幼く見えたわけじゃないですよ! 確かに童顔だなぁって思いましたけど、お若いなって思っただけで!」
「グハッ」
童顔……童顔かぁ……と表情を無にして呟き続けるベルを前に、どうすればいいのか反応に困るレフィーヤが手をわちゃわちゃとさせて慌てると、一度残ったエールを一息に飲み干し、「と、とにかく!」と空気を断ち切るように告げる。
「私の方が年下なんですから、敬語とか敬称はやめてください!」
「敬称……かぁ」
ん〜、と悩み、エールを口に含みながら考えるのは「レフィーヤ」と呼ぶ自分の姿。
(違和感が凄いな)
敬語は……まあ、無しにしてもいいかもしれない。しかし、彼女のことをレフィーヤと呼ぶのには抵抗というか、これじゃない感が否めなかった。
今の彼女とは違う、レフィーヤさんとの記憶。染み付いた思い出とその半数を埋め尽くす理不尽なトラウマから、やはりレフィーヤ呼びは慣れる気がしなかった。
思案するベルを、どこか不安そうにレフィーヤが下から見つめてくる。
(一度呼んでみてから考えるか)
想像で呼ぶのと、実際に呼んでみることでは違うものがあるのかもしれない。そう思い、よしっ、と意味もないが深呼吸を挟み、正面からレフィーヤの顔を見て口を動かした。
「レフィー……」
『────生き……て』
「────あ、え」
突然脳裏に響いた音と光景。顔やシルエットは曖昧で、ノイズがかかったかのように不鮮明なそれは、聞いた事の無いはずの声。
しかし、何故か聞き馴染みのあるような声にも思えて……そんな声、聞いた事ないと、決めつけている自分もいて。
「あ、アルさんっ!?」
様々な感情が込み上げてきて、不鮮明ながらに入ってきて正体不明の情報は、ベルの思考を放棄させるものに十分で。
しかし、目の前に座る少女からの焦ったかのような声と体を揺らす小さな手の感触に朧気な視界に色が灯る。
「な、泣いて……!!」
視界は戻るも、意識は浮上してきた途中のようで、思考が定まらずに耳に入ってきた言葉を確かめるように無意識的にゆっくりと右手を頬に置き、そのまま目元までスライドさせる。覚醒し始めた意識が最初に感じたのは手に触れた液体の感触。それは目元に行くにつれて増えていき、源泉が目であることが分かった。
(泣いてる……?)
疑問が埋め尽くす。どうして僕は泣いているのだろうか、と。
「……なんで泣いてるんでしょう?」
「私に聞くんですか!!?」
全くもって分からない。何を見たでもなく、感じた訳でもないのに、どうして自分は泣いているのか。でも、泣いたという事実は目の前に座る少女を心配させるに足りる要因となってしまっているので、まずは不安を消し去ろうと、少し冗談めいた口調で言った。完全に安心してくれている訳では無いが、疑問は残りつつも、安堵の方が勝っているように見える。
テーブルに置かれた紙ナプキンを一枚拝借し、目元を傷付けないように優しく涙を拭う。ただ涙が溢れただけであり、取り乱した様子を見せないベルは苦笑を浮かべた。
「敬語は良いんだけど、レフィーヤって呼ぶのは違和感が凄いかな」
「違和感、ですか?」
「そう。泣いちゃうくらいの違和感」
「そんなに嫌なんですか!?」
レフィーヤも、その言葉は冗談だと分かっていたため、少しオーバーな反応を見せて場を和ませた。しかし彼女からしても、さん付けで呼ばれるのは、それこそ違和感があるというものだ。
むむむ、と聞こえてくるように目を瞑って考え込むレフィーヤは、数秒ほどして顔を上げると、閃きました! というような輝いた目を見せたあと、少し恥ずかしげに顔を伏せる。
「ファミリアの皆さんには呼んでもらってないんですが……レフィ、って呼んでもらってもいいですか?」
呼び捨てがダメなら愛称で。名案だと思いつつも、家族以外から呼ばれ慣れていないその呼び名に恥ずかしさを覚えるが、ベル自身も良い案だと納得する。それと同時に自分がその名で呼んでもいいのかと遠慮も見せつつ、左奥から聞こえてきた柱が砕ける音が耳を貫いた。
「うわっ、えげつない顔してるニャ!?」
「柱を握り潰すって何!?」
「何ウチの店壊そうとしてんだいこのポンコツエルフは!!」
続けて聞こえてきた頭蓋が砕けてもおかしくない轟音とともに床へと叩きつけられたような音が鳴り響く。ヒュッと喉が鳴り、誰が犠牲になったのかは分からないが、青くなった顔の前で両手を合わせて瞑目する。
突然の奇行に困惑の表情を浮かべるレフィーヤは、どうやらあの地を砕くような音は届いていなかったようで安心した。なんでもないよ、とベルが宥め、咳払いをしつつ思考を切り替える。
「じゃあ、レフィって呼ぶけど……本当に良いの?」
「大丈夫ですよ。別に隠してる訳でもないですし」
「そっか。じゃあ、レフィ」
「はいっ、アルさんっ」
数える程しか会っていない。初めてあった時は顔を覚えていないだろうことから前回の怪物祭が初邂逅であろう。それでもその出会いは衝撃的なものであり、レフィーヤの記憶に強く残ることとなった。
戦闘らしき戦闘は見ていないものの、自身を救ったベルの姿はアイズとはまた違った憧憬のものとなり、少しでも親しくなれたことに表情が緩み年相応の笑顔を見せた。
まだ店にいる客は多く、酒の追加注文が飛び交う中で、レフィーヤは長居することはなく、一時間と少しほど会話を重ねた後に帰宅した。店の外まで見送り、こちらに笑顔で手を振るレフィーヤは、エリクサーが三本入っているバッグを細心の注意を払って抱き抱え、傍から見れば不審者のような挙動を見せながら歩いているさまを眺め、ベルは苦笑をしながら手を振り返した。
「……」
仕事へと戻ろうと、厨房に入りまず目に映ったのは頭から煙を巻き上げながら気絶しているリューの姿で、ベルはただただ手を合わせることしか出来なかった。
◇◇◇◇
目を瞑り、集中する。これから来る強敵……超えなければならない壁。
ダンジョン37階層。白壁に囲まれたワンルームは縦に、横に広く、生まれ落ちるであろうモンスターのサイズを物語る。
恐ろしいまでの静寂で、その広間に佇むのは二人の女性。
内一名……アイズは、直前に遭遇した
18階層で起きた冒険者の殺人事件。たまたま居合わせたアイズ達ロキ・ファミリアは、事件解明に協力し、犯人と接敵する。
アイズのことを「アリア」と呼んだ赤髪の女は、Lv5でも最上位に位置するであろうアイズを圧倒し、窮地へと追い込む。
何故、「アリア」を知っているのか。自身の出自を知っているかもしれない相手に動揺を隠せないままに追い込まれたアイズは、これまた突如現れたローブを纏った謎の人物に救われる。
『なんだ、貴様らは』
赤髪の女も知らない様子を見せた、二人の人物。顔は見えず、アルと同じ認識阻害の効果が付与されたローブを身にまとっているのだろうと感じ取る。
変声機を使っているのか、男とも女とも言えない中性的な声色で話す2人から特徴は見て取れない。あるとすれば、2人の使う武器がそれぞれ剣と、極東の刀であろうことか。
片方の人物から団長と呼ばれた人物は、迷うことなくその場から立ち去る。方向からして、大量発生していた食人花の方へ向かったことは確かだった。
『一人だと? 舐められたものだな』
『そちらこそ、図に乗るなよ……怪人』
『──貴様、使徒か』
『さてな』
合図はなく、同時に駆け出した両者がぶつかり合う。アイズも戦闘に入り込もうと膝に手をやるが、思った以上にダメージが大きく、上手く体が動かせない。
改めて実感した自身の弱さに歯がゆい思いを噛み締め、繰り広げられている戦闘に意識を向けた時、目に映るのは切り飛ばされた片腕が宙を舞う姿だった。
『チッ、Lv6……いや、7か!!』
『逃げられるとでも?』
一瞬の攻防。片腕を切り飛ばされた赤髪の女は痛みを感じさせず、しかし僅かに焦った表情を見せる。早期撤退を決めた女は、地中から大量の食人花を繰り出す。突発的な出現にも冷静に対処するローブの人物は、アイズの目に追えない速度で刀を一閃させ、数十にのぼる食人花を一掃する。
その僅かに生まれた隙に赤髪の女は姿を眩ませ、追随するように謎の人物も姿を消した。
戦闘自体長いものではなかった。しかしアイズはかつての戦闘経験から、目の前で戦っていた二人の人物は自分よりも高みに上っていることを察知する。
特に、刀を使っていた人物。
(フィンたちより、強い)
「……来る」
「何?」
伸び悩むステイタス。時々とはいえ、アルに師事を受けているにもかかわらず、辿り着きたい背中に、隣に並びたい憧憬に、一歩たりとも進めていない焦り。
そして、新たに現れたアイズよりも強いであろう二人。焦燥感は留まることなく、そして冒険を決意させる。
地面が揺れる。常人なら立っていることも難しいほどの揺れはその勢いを増していき、二人の前方の地面一体が隆起し、ヒビ割れ、地中から生まれ落ちる階層主を彩る演出となる。
息を呑み、そしてアイズの思惑に辿り着いたリヴェリアに手を出させないことを伝え、愛剣であるデスぺレートに手を置く。
七年前のあの日から、アイズの目標は変わらない。
アイズより、そして世界中にいるどの冒険者より、遥か高みを歩き続けるアル。彼の隣に立つために、彼と共に歩むために。
ガラガラと、隆起し崩れた地面が降り注ぎ、砂煙となるもその巨大なシルエットを隠すことは出来ず。
37階層、
覚悟はした。ここを超えなければ、恐らく次は無い、と。これは、岐路だ。アイズ・ヴァレンシュタインという女が、守られるだけの姫に成り下がるか、巨悪に立ち向かう剣姫になるのか。
現れたウダイオスは、こちらに背を向けている状態で生まれた。
(今が
自身の全力。【テンペスト】と詠唱しようとし、同時に感じた違和感がその言葉を形作らせるのをとめた。
こちらを振り返ることの無いウダイオス。その横に、続けて地面から地響きを起こしながら現れたのは、巨大な大剣。
「ウダイオスが武器を使うだと!?」
一歩下がった位置で俯瞰しているリヴェリアが驚愕の声を上げる。しかし、アイズが感じた違和感はそれとは別で。
(ウダイオスが明らかに戦闘態勢に入ってる。相手は、
こちらに意識を向けることなく、生成された大剣に骨だらけの手を添え抜き放つ。明らかにそちら側に驚異となる存在がいるであろうことを感じ取り、一度状況の俯瞰をすることに決めたアイズは意識外からの攻撃にも対応できるようにデスぺレートに手を添えたままウダイオスの行動を観察し────バチッと、何かが弾けるような音が聞こえた時には、全てが終わっていた。
「……え?」
大剣を振り上げ、今にも絶大な一撃を繰り広げようとしているウダイオスの動きが止まる。音が消えたような錯覚に陥り、緊張が場を支配した。
汗が頬を伝い、地面へと落ちる。目が離せない。
自分の心臓の音しか聞こえないほどの静寂。それを破ったのは、他でもないウダイオスだった。
砕けるわけでもなく、巨大な体が上下に真っ直ぐ滑り落ちていく。魔石は真っ二つに切り落とされ、地面に落ちた上半身が轟音と共に砕け散っていく。
有り得ないほどに、呆気ない決着。感想も何も、二人の喉は音を発することはなく、崩れていくウダイオスの奥にいるであろう存在に全神経を注いだ。
ウダイオスの体が崩れ去り、灰へと還り始め、それに伴う音は木霊し続け徐々に音を小さくしていくと、誰かが歩いているような音が聞こえてくる。
こつり、こつり。その音は聞こえる度に大きさをまし、こちらに向かってきていることがわかった。
リヴェリアは異常事態を察し、杖を構え迎撃の体勢を作り上げる。対してアイズは、既にデスぺレートから手は離し、自然体で前を見つめた。
感じる。アイズは異常なまでの察知能力を見せる。それは他でもない、彼を見つけるためだけの第六感。
「────アイズ?」
先程まで階層主がいたとは思えないほどに気の抜けた声が響く。その声に聞き覚えがあったのか、杖を構えていたリヴェリアは呆気に取られたような表情を浮かべ、アイズは複雑そうな表情を浮かべた。
「────アル」
アイズの憧憬、目標。その人物が、黒く輝く刀に雷を纏わせ歩いていた。
ベル(アル)
所持金 10369800250ヴァリス
所持武器
《ヘスティア・ナイフ》
みんなおなじみ神様のナイフ
《鳴月》
ヘファイストス作の短刀。ヘスティア・ナイフと対称的な白い刀身。鍛冶神お手製なのでもちろん切れ味、強度共にトップクラス。
《■■》
ヘファイストス作の刀。
《■■の■》
ベルが鍛った最初にして最高の魔剣。ヘファイストスが歯ぎしりした