”勝利”の先を得るために、彼女は剣を手に取った   作:第37番型眼鏡

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星辰奏者および発動体(アダマンタイト)について、ラグナロクの一問一答を下に独自解釈を突っ込んであります。


#15 剣と氷の戦い

発動体(アダマンタイト)を複数持つことは可能なのですか?」

「アダマンタイトを複数持ちたいだと?」

 

 ツムギからの思わぬ質問に、ジン・ヘイゼルはオウム返しに聞き返した。

 ある日の訓練場でのことだった。既に一度勝負を付けてはいたものの、ジンは相変わらず身体を動かしにやってくるし、ツムギも以前程ではないが今でも訪れる。そうして偶然出会ったときは、少し言葉を交わすこともあった。

 ただ、今回は少々毛色が違っていた。普段ならツムギが調律した武装の出来をこき下ろして終わりなのだが、その後にツムギが先の問いを投げかけたのだった。

 

「……何故、そのようなことを聞く?」

星辰奏者(エスペラント)の弱点は能力の発揮にアダマンタイトの武装を要求されることです。手元から離れてしまえば如何な超人といえど、パフォーマンスは落ちてしまう。ならば予備の武装を用意しておけば万全と考えたのですが」

「なるほど、自殺志願ならば直接そう言え。儂がこの場で頭蓋を砕いてくれるわ」

「つまり不可能ということですか?」

 

 怪訝そうなツムギへジンは一つ大きなため息をついた。懇切丁寧に理屈を教えてやる義理など無いが、先達として己の愚かさを自覚させる必要があると彼は感じていた。普通なら真っ先に引っ掛かる落とし穴だが、彼女はきっと調律技術の方ばかりに目が行ってしまい注視しなかったのだろう。

 

星辰奏者(エスペラント)の持つアダマンタイトとは、いわば星辰体(アストラル)を介して異能を発揮するために後付けされた身体器官よ、武装という形に騙されるな。聞くが、便利だからと腕や心臓を増やした者を貴様は見たことがあるか?」

「……ないですね」

「それが答えだ。無論、再改造手術を行えば後付けで増やすことも不可能ではないが、成功確率は著しく低い。成功例なぞたったの一つだ、心当たりはあるだろう?」

 

 つまり、現状成功例はヴァルゼライドただ一人。

 彼だけは操る七刀すべてが発動体となっているが、本来それは異常なのだ。あまりに危険な措置を繰り返して得た力だけに常人が続くことはまず不可能。

 そんな無茶を成し遂げたヴァルゼライドへ改めて畏敬と驚愕を抱きつつ、さらに疑問をぶつけていく。

 

「でも、二つで一対の武装を扱う人もいるじゃないですか。アレはどういう理屈ですか?」

「戯け、その例は二つ揃って発動体一つ分になるよう調整し、片方を失えば相応に出力が落ちるデメリットを背負っているにすぎん。一を一つか、半分を二つ持つか、それだけの違いよ。メンテナンスの手間を考慮すればどちらを取っても一長一短だ」

 

 結局のところ両者に差異はほとんど無いのだ。ならば個人の戦闘スタイルに合わせて武装を調整するのが最良という、現在の星辰奏者(エスペラント)論に落ち着くわけで。最新鋭の人間兵器だからこそ無謀な改造はご法度である。

 

「なら……現在一つの発動体を持っている人が、後から発動体を二つに別けることは?」

「可能だ、相応の準備と知識はいるが現実に成功例は存在している。やりたいならば叡智宝瓶(アクエリアス)に相談すれば良かろうよ、勝手にしろ」

「ありがとうございます、これは良いことを聞けました。ちなみに、今ここで相談に乗ってもらうことはできますか?」

 

 叡智宝瓶(アクエリアス)最高峰の天才科学者は「ふん」と鼻を鳴らした。

 

「甘えるでない、こうして貴様に答えてやっただけ望外の幸運と理解しろ。他に下らぬ問いが無いなら儂はもう行くぞ」

「もうありませんよ。貴重なお時間を頂きありがとうございました」

「……ふん」

 

 もう一度嫌そうに鼻を鳴らしてジンは去っていく。その背中に呑気に「ありがとうございましたー」と言いながら、ツムギは笑みを抑えられなかった。

 ヴァルゼライドとの戦いで得た新たな知見、これを活かさぬ手は無いだろう。

 

 ◇

 

 時は戻り、凍り付いた街の一角にて。

 先ほどまでの攻防が嘘のように氷の女王と剣士の間は静まり返っていた。真正面から現れたツムギを攻撃するより先に、どうやら自らの諧謔(かいぎゃく)を満たすことをウラヌスは重視したらしい。

 

「情けないわね、哀れがすぎて直視に耐えない。結局怯えて逃げ回るしかできないようなら時間の無駄、この私の手を煩わせる前に死になさい」

 

 挑発……というつもりすらおそらくないのだろう。あくまで自分の物差しで居丈高に突き付けているだけであり、故にツムギは一切耳を貸す気がない。それよりも、彼我の間に横たわる五十メートルという距離をどう詰め、いかにして止めを刺すかに全精力を傾けていた。

 攻撃を防ぐ手立てはある。なので肝心なのは接近後の振る舞いだ。ウラヌスは周囲に絶対零度が如き極寒領域を展開しており、長時間留まればそれだけで全身が壊死して敗北に直結する恐るべき能力だ。

 

 近づいて斬るしかないツムギにとって致命的な相性の悪さ。

 それでも接近戦を仕掛けるしか勝ち筋がないなら、極寒での活動限界時間(タイムリミット)を見極め踏み込むしかない。

 

「十秒……いや、長くて五秒と見積もる方が良いかな」

 

 猛攻を凌ぎながら五十メートルを踏破した後、五秒であの怪物を斬り捨てる──言ってて頭がおかしくなりそうな無理難題だ。常人なら勝てる訳ないと諦めるところだが、ツムギの心は今こそ燃え上っていた。

 だってそうだろう? 相手はツムギより遥か格上、能力の相性も悪く授かった天賦さえ十全には発揮できない。完璧にツムギが不利な状況だからこそ、ここで勝てば誰もがその勝利に頷くしかない。

 

 紡いだ地力が問われる場面、この逆境を前に燃えないようなら剣士(ツムギ)じゃない。

 

「余興は終わり、精々無様に足掻いて私の無聊を慰めることね。貴様を生かしている理由など、それ以外に無いと知りなさい」

「私を仕留められない言い訳はそろそろ出切った? お望み通りにこちらから行きますよ」

 

 更に一段階ウラヌスの怒気が膨らむが、怒りを覚えているのはツムギも同じだ。好き勝手喋らせていればつらつらと、いい加減に耳が腐りかねない物言いも聞き飽きた。改めてこんなのが主にならなくて良かったと安堵してしまうほどに。

 ならば後は怒りすらも炎へくべる薪へと変えて踏み出すのみ。そのときになって初めて、ツムギは僅かに自身の手が震えていることに気が付いた。きっと寒さのせいではない。

 

「……心を束ね、技を疑わず、己が身体(うつわ)の手綱を握れ」

 

 人並みに恐怖はある。氷の怪物を相手にこの剣一本でどこまでやれるか疑いそうになった。

 それでもツムギにできることは心を乱さず、己が技を信じることだけ。故に臆する心すら起爆剤とし、剣士は地を蹴り駆け出した。

 

 ◇

 

「愚かな、自棄になって突撃するしか道が無かったのね」

 

 愚直なまでの正面突撃に対してウラヌスは嘲りの言葉を隠そうともしなかった。

 結局ツムギが選べた手段はそれだけ。確かにこの距離なら詰め切れる可能性もあるだろう、しかしそれ以前に魔の惑星たるウラヌスの脅威を完全に忘れてしまっている。

 

「ならばいいだろう、私が下等たる貴様に引導を渡してやる」

 

 そう、広範囲攻撃を得意とするウラヌス相手に『接近する必要がある』時点で終わっている。故に今一度力量の差を知らしめるべく、ウラヌスは容赦なく氷を集束させていく。

 残り四十メートルと少し──そこがツムギの墓場となるのだ。

 

「逝け」

 

 四方から一斉に放たれた氷杭の数は百を優に超え、さらに次弾の装填が矢継ぎ早に行われては放たれる。氷のガトリング砲が如き攻撃はまさしく怪物の真骨頂であり、無尽蔵の力を持つが故の力技だった。

 当たり前にツムギでは防ぎきれない。彼女は二本の腕と一本の剣があるのみ。星光があったところで焼け石に水、この物量を捌き切るなど当然不可能。

 

「……なに?」

 

 そう、これで終わりとウラヌスは信じ切っていた。

 だから眼前で繰り広げられた光景──すべての氷杭を叩き落しながら迫るツムギの姿に小さく驚きの声を上げてしまったのも仕方ないことだろう。鋼と氷を打ち付け凄絶な音色を立てながら、剣士は止まらず直進し続ける。

 いったい何が起きている。混乱する心を他所に、強化されたウラヌスの視力は冷静にツムギの動作を追った。飛来する氷杭を剣で弾いて、それと同時に殺到する氷杭が命中直前に空中で叩き落されたのが確認できる。いや待て、何だそれは、一つ一つが生易しい威力でも速度でもないというのに、何故そうも簡単に斬り払うことができるのだ?

 

「私を凌辱して殺したい……そんな殺意が伝わりすぎるのよ」

 

 理由はひとえに素体(カナエ)の悪癖が原因だった。とにかくツムギを嬲りたい欲求が出過ぎるあまり、最初から攻撃はどれも腕や足を狙ったものばかり。フェイントや緩急といった技術も当然なく、規模が巨大なだけで極めて稚拙な戦術しか取れていない。

 およそ七割ほどが四肢のどこかを狙っていると理解し、さらに殺意の発露と収束を見極め、ウラヌスの攻撃パターンを把握できれば──剣筋と分裂させた剣閃をその予測通りに振るえばいい。後は勝手に氷杭が飛び込んできて逸れてくれるのだから、不可能など微塵もなかった。

 

 無論、言うは易く行うは難しだ。ツムギの星辰光(アステリズム)が剣閃分裂という線を面へ変えられるものだったこと、攻撃の癖や特徴を見抜く観察眼・吸収力に長けていたこと、単純に修めた剣技がずば抜けていること、土壇場で冷静さを保てる胆力があったこと……あらゆる要因がかみ合った故の奇跡である。

 

 ならばこのままジャイアントキリングが決まるのかと問われれば、答えはまったく否である。

 

「理解したわ、ひとまずそういうものだと認識しましょう。で、だから? 奇跡を一つ起こした程度で図に乗らないことね、人間風情が」

 

 無尽蔵に氷杭を飛ばすことなどウラヌスにとって児戯に等しいのだ。よって、児戯を勇んで乗り越えた程度で調子に乗られては上位種としての沽券に関わる。ならばと業腹ながら対応レベルを一つ上げ、より殺意を持ってウラヌスは迫る敵を睥睨する。残り、三十メートル。

 

「さて、どう出る?」

 

 余裕ある言葉と同時、突如としてツムギの足元から氷の棘が無数に生えた。ノータイムかつ予備動作の無い一撃はさすがにツムギも反応できず、反射で叩き落したものの幾らかが身体へ突き刺さる。足、腕、腹に刺さった棘が蒼から赤へと染まろうとするが……それよりも早く右手の剣が動いていた。

 剣の一振りで突き刺さった棘をまとめて粉砕し、何事も無かったかのように行軍を続けていく。だがその判断が早すぎる、ほんの一秒程度も止まっていない。まるで()()()()()()()()()()ような対応ぶりにウラヌスの顔が醜く歪んだ。

 

「何故、この私の攻撃があのような弱小の輩に防がれる? 身の程を知れよ蛆虫め、誰の許しを得て大和の使者たる私に逆らうつもりだ……!」

 

 さらに再干渉による氷棘の連続攻撃すら何食わぬ顔で乗り越えられ、ツムギが迫る。

 どうなっている、これでは道理が通らぬではないか。蟻が象を倒すなど、そんな不条理が罷り通って良いはずがない。しかしこれでは、小人が巨人を倒す図式が成立してしまいそうで──

 

「ふざけるなァッ!」

 

 肥大しきったプライドが命じるまま、脳裏を過った可能性を全力で否定した。

 だが、ほんの一瞬でも『負けるかもしれない』と考えさせられた、それ自体が屈辱だ。怒りのままに左手へ星を集束させ、身体が凍結自壊していくことも構わず即席の砲塔を作り出す。無論その間にも攻撃の手は緩めず、迫るツムギを牽制しながら必殺の一撃をチャージして。

 

「消えなさい、塵屑ごときがーーァ!」

 

 残り二十メートル──もはや発射と同時に着弾するような距離で、ウラヌスは狙いを誤ることなく砲塔に籠められた氷の弾頭を開放した。

 数瞬視界が蒼に染まり、けれどその前からウラヌスは結果を確信している。これは無理だ、いかなツムギとて弾くなど到底不可能な質量と速度を誇っている。加えて至近距離という関係上、見てから判断することもまずできない。

 

 後は無様に死んだ愚か者の末路を見届けるのみと、そう思っていたのに、なのにどうして、

 

「今のはさすがに肝が冷えました、危なかったですね」

「……貴様、何故いまだに生きているッ!? どういうことだ!」

 

 ツムギ・ムラサメはまだ生きているというのだ──!

 あり得ない、いったいどうなっている、まさか己は夢でも見ているのではないかと、逃避しかけた頭はツムギの後方へと流れて行く()()()()()を見て再起動を果たす。あり得ない、そんなことが可能なのか? 超高速で迫る氷の弾頭を斬り捨てるという、気狂いじみた絶技が。

 

「ふざけるなよ、今ので死ぬのが人の理だろうが! それを貴様、どうして」

「確かに大した一撃だったよ、質量も速度も一級品。でも、そういう攻撃が来ると分かっていれば逆利用だってできる」

 

 再三のことだがウラヌスの殺意は素直すぎた。ここで殺す、次はこうする、そのような心情の動きが伝わりすぎてしまうのだ。まして今回の砲撃などはあからさまに「今から必殺技を打ちますよ」と喧伝しているようなもの。

 そして、あくまで氷という物理現象の形を取るのなら、理論上斬って斬れないことはない。恐るべき一撃は途方もない運動エネルギーを秘めていたが、それ故に壊れない物体へ直撃すれば秘めたパワーがそのまま我が身へ跳ね返る。

 

 つまり答えは簡単で。迫る氷弾に対して適切な角度で刃を入れ、集束させた剣閃で軌道を僅かに逸らし、後は勢いによって自分から二つに割れるよう誘導した。少々刃は欠けたが被害などその程度、費用対効果を考えればお釣りがくる結果だ。

 残り十メートル、ついにツムギはウラヌスの間近にまで到達した。あらゆる攻撃はただの剣士を止められず、ついに蟻が象を倒す快挙は目前だ。だが己の危機を前にウラヌスは未だ不動であり、逃げる素振りすら見せず──勝ち誇ったように快哉を上げた。何故なら、

 

「もしや勝てるかも、などと都合の良い夢もこれにて終い。我が氷の花園を刮目し、絶望と共に散りなさい。貴様に勝利など訪れない!」

 

 ウラヌスが常に纏っている極寒地獄がいよいよツムギへ牙を剥くからだ。

 ただでさえマイナスを突破していた周辺温度は一気に絶対零度付近まで低下、もはやあらゆる生命が活動不可避な極限地帯に他ならない。この場に飛び込んだが最後、十秒と持たずに人は死ぬ。

 ならば打つ手なしとツムギが諦めるかといえば、それは否だろうとウラヌスは考えていた。癪だがここまで生き残ってきたのだ、何かしら対応策があるのだろうと認めるしかない。

 

「ほらね」

 

 極寒地獄の一歩手前でツムギが剣を蹴った瞬間、ウラヌスは己が予想が的中したことに歓喜した。

 

 予想外の位置から足で剣を蹴り飛ばすという奇策。驚異的な精度で矢のように飛来する剣にウラヌスは確かに虚を突かれ……それがどうしたと難なく拳で弾き飛ばした。

 剣士が武器を手放し、あまつさえ足蹴にするのには驚かされた。だが侮るなかれ、ウラヌスら"人造惑星(プラネテス)"は星だけでなく身体能力すら星辰奏者を超えるのだ。一直線に飛んでくるだけの剣など、余裕で叩き落せなければ上位種は名乗れない。

 

 これで今度こそ終わった。一度限りの秘策は呆気なく防がれ、今やツムギは発動体(アダマンタイト)を失った哀れな人間にすぎない。殺すことなど赤子の手をひねるより容易いこと、むしろ簡単に殺してはつまらないと攻撃を緩めた程だ。勝者であるウラヌスにはそれだけの権利と傲慢さが許される。

 

「終わってみれば何を恐れる必要があったのか」

 

 嘲笑いながらツムギを見やる。愚かな下等種はまだ諦めていないようで、自ら絶対零度の領域へと踏み込みウラヌスを目指している。しかし無駄だ、発動体を失い基準値(アベレージ)に戻った状態では自殺にすぎず──待て、何かおかしい。()()()()()()()()()()()()()

 迫る、迫る、肉迫する。ほんの僅かに攻勢を緩めた慢心を咎めるようにツムギは間近だ、残り五メートル。

 

「無様にもまだ足掻くか、ツムギィィ!」

 

 またしても起こる意味不明な事態、これにも仕掛けは存在した。

 ツムギの発動体は剣だけじゃない、鞘と二つ揃って一つなのだ。片割れの剣が手元を離れた時点で出力は相応に落ちたが、鞘が残っている以上基準値(アベレージ)までは戻らない。

 そしてツムギの星辰光(アステリズム)である剣閃分裂能力は、斬れる武器さえあれば発動できる。たとえばそう、鞘の先端に気持ちばかりの切っ先があるだけでも、彼女が斬れると認識していれば剣閃として問題なく分裂するのだ。

 

「き、さ、まァァァッ!」

 

 すぐさま氷杭を放つが近すぎる。これでは敵手へ殺到するより前にウラヌスが斬られてしまうし、付属性の低さから最悪自傷に繋がりかねない。ならば一度距離を取って仕切り直すのが最良だ。ツムギが命を賭して踏破した五十メートルを無に帰してやればそれで終わりと怪物はほくそ笑み……既に右足が、一歩後ろへ下がっていたことに気が付いた。

 何故? 決まっている、この状況を脅威に感じたからだ。

 脅威とは? つまり一人の星辰奏者ごときに恐れを成し、身体が無意識に逃げ出してしまったという訳で。

 

「私が、逃げようとした──? あり得ないあり得ないあり得ない、あってはならないのよそんなことは! どうしてこの私が、選ばれし存在が、人間如きに背を向け逃げようとしているのッ!」

 

 なんて無様だ、信じられない。その瞬間に逃げるという選択肢は怒りよって塗り潰された。

 だが葛藤の間にすらツムギは迫る。残り二メートル、あと一歩の距離。鞘を握るツムギの右手が振り上げられた。斬られる。

 

「どこまで大和(カミ)を、貴種(アマツ)を、馬鹿にすれば気が済むのだ、いい加減に弁えろォォッ!」

「ッ!?」

 

 土壇場だった。しかしウラヌスは怒りによって奇跡を掴む。

 届かないと踏んだはずの氷杭の一つが爆発的に加速し、ツムギの右肩下を貫いたのだ。千切れかけた右手は急速に力を失い、もはや怪物を斬るにはとても耐えない。ここに来てついに剣士は最悪の致命傷を負ったのだ。

 

 だからツムギは、余力でほんの少しだけ鞘を振るい──躊躇なく自身の右腕を斬り落とした。

 

「な──」

「礼を言うわ、これで少しリーチが伸びた」

 

 さしものウラヌスも絶句する。いや、こればかりは誰であっても彼女と同じ反応をするだろう。

 この場の勝利を得るために狂気(ツルギ)を手に取ったツムギは、もはや何も躊躇わない。

 斬り飛ばした右手を左手で掴むと、最後の一歩を詰めることなく遥か格上(ウラヌス)へ己が刃を届かせた。

 

 ◇

 

 手応えはあった。

 最後の一撃はほとんど破れかぶれに近かったが、それでも剣閃分裂能力によって確かにウラヌスを斬り抜いた。しかし結果を確認するより先に絶対零度による活動限界時間(タイムリミット)が来てしまい、一目散に離脱するしかなかったのだ。

 

「利き腕をくれてやったのですから、大人しく死んでて欲しいものですが……」

 

 血の滴る右腕の断面を抑えながらツムギは呟く。これで勝てれば完璧だ。

 しかし同時に、こうも思うのだ。たかだか一回二回斬った程度で、怪物は大人しく死んでくれるのかと。嫌な予感を覚えながらそちらを見やれば、

 

「グッ……やってくれたな、ツムギ……!」

 

 やはりと言うべきか、ウラヌスはまだ生きていた。

 見るも無残な姿ではある。右腕は斬り落とされ、腹部を真一文字に切り裂かれ、さらに首筋にも深く裂傷が刻まれている。人間ならば間違いなく戦闘続行不可の重症だが、こと生命力にあふれたウラヌスならば死因にまでは至らない。現に彼女は今も激しく星を明滅させながら、離脱したツムギを殺すべく殺意を滾らせ続けているのだから。

 

「殺す、殺してやる……! 諧謔も拷問も等しく無しだ、貴様はこの世から消さねば気が済まん!」

「これは……さすがにマズいかも」

 

 奇跡に絶技を重ね掛け、さらに奇策と運すら味方に付けて届かせた刃ですら殺しきれなかった。右腕を失った今、再びあれ以上の奇跡を求められても不可能だ。

 

「おいおい相棒、派手にやられたじゃないか。人間如き楽勝と笑ってたのは誰だったかねぇ?」

「マルス……黙っていろ、貴様もまとめて凍てつかせるぞ」

「おお、怖い怖い」

 

 さらに、ウラヌスの背後からやって来たのは赤の巨躯。明らかにウラヌスと同じ怪物だと知らしめる鬼面の()()()は、地に転がるウラヌスの右手を本体の切断面とくっつけてやる。雑な修復方法だが、果たしてウラヌスの腕は元通りだ。

 

「ここで援軍まで来るとは……どうやら本当に年貢の納め時なようで」

 

 逃げられるとはとても思えない。

 では勝てるかといえばそちらはもっと無理だ。鬼面がどのような存在かは知らないが、ウラヌスより劣る事は無いだろう。戦力差があまりにも大きすぎる。

 

「なら、そこの女は譲ってやるよ。ちょいと見覚えのある奴だが、あんたに花を持たせてやるとも」

「いいぞ、殊勝な心がけね」

 

 現状、詰み。

 生きて帰ることなど不可能。それこそ都合よく最強の援軍が現れるでも無ければ死ぬしかない。ならば最期は剣士として生きて死のうと、覚悟と共に鞘を左手に握りしめ──

 

「──いいや、そこまでだ。よくやってくれたムラサメ中尉、後は俺が引き継ごう」

「ヴァルゼライド、大佐……」

 

 悲劇の出番は来なかった。

 脇役たちの暖めた舞台へ、満を持してご都合主義(最強の英雄)が現れたのだ。




これにて新西暦サーガでも有数のターニングポイントである、アスクレピオスの大虐殺はひと段落です。
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