”勝利”の先を得るために、彼女は剣を手に取った 作:第37番型眼鏡
「もうそろそろ時間かな……」
自室のベッドに横たわっていたツムギは、古風な懐中時計を眺めながら呟いた。
本日の軍務は無し、緊急の呼び出しさえ無ければしばらくぶりに身体を休められる日だ。そういう時、普段のツムギなら軽く鍛錬に勤しむところなのだが、今日は午前中から先約があるため素直に部屋で寝転がっているのである。
約束の時間が近いことを知ったツムギはベッドから起き上がった。もう普段の軍服は着込んである。隻腕となってからは服を着るにも時間がかかるから、余計に当たり前の大切さを実感する。
部屋を出る前に鏡で簡単に身だしなみを確認。特に問題なし、けれど結えないため仕方なく下ろしたままの黒髪が鬱陶しい。表情にも出ていたのか、鏡の中の自分が嫌そうに藍色の目を細めていた。
「可愛い服も着づらくなったし、色々と嫌なことだらけ」
箪笥には数こそ多くないが、外行き用に購入したお気に入りの服も仕舞いこまれている。だが隻腕となってしまった今、それらを着こなせるかは別の話だ。剣士としては少々隻腕に浪漫の欠片を感じるものの、十八歳の少女としてはまったく歓迎すべきことじゃない。
戦いの中で傷物になるなど最初から覚悟の上だ。全部ひっくるめた上で、それでも"最強"を目指してみたいと決意したのは自分の意志……頭では分かっているが、たまに割り切れないときがある。
「……よし、早めに行きますかね」
もうあの敗北から一か月以上が経過したのだ、いい加減に鬱屈した感情の切り替えにも慣れている。たまに執念深く、敗北の後悔と共に後ろ向きな気持ちが顔を出してしまうだけで。
右腕側を隠すようなケープを掛けて部屋を出る。目指す先は
◇
薄暗い廊下を抜け、指定された部屋へとツムギは入った。
室内も廊下同様に薄暗い。周囲には新西暦でも動くような簡易的な仕組みの機械が無造作に置かれ、中央には清潔そうな診察台がポツンと置かれている。まるで物置のような雑多な印象を与える部屋だ。
「すみませーん、ヴァルゼライド総統閣下の命により参じましたツムギ・ムラサメ中尉です。どなたかいらっしゃいますかー?」
控えめに声を掛けるものの、気配も反応もまったくない。
よもや部屋を間違えたのではないかとツムギが首を傾げた、その時だ──不意に現れた殺意へ反射的に身体が反応し左手で抜刀した。暗がりへと切っ先を向ければ、影からぬっと現れたのは見知った相手だ。
「……ヘイゼルさん、あなたでしたか。驚かさないでください」
「なんだ、腑抜けていたと思っていたがつまらん奴だ。相も変わらず夢想を追い求めているとみえる」
拳を下ろしながらジン・ヘイゼルは心底残念そうに語るのだった。
どうやらいつの間にかジンに試されていたらしい。一拍置いて状況を把握したツムギは剣を仕舞い、傍のベッドへと腰かける。先ほど向けられた殺意など既にどこ吹く風だ。
「今回の件について、実は全然話を聞く暇も無くて知らないのですが……あなたが来たという事は、
「そうだ。まったく
「
「こちらの話だ、忘れろ」
はぁ、と生返事を返すしかないツムギであった。
それにしても、とツムギは思う。以前に出会った際と比べてどうもジンの様子が変わっている。傲岸不遜な物言いも、超人じみた体術も健在であるのに、どこか覇気が無いというべきか……端的に言って"熱意"が抜けてしまったように見えるのは気のせいではないだろう。
「何か嫌なことでもありましたか?」
「……自分の
吐き捨てるように言い放った後、ジンはもう普段通りの鋭さを取り戻していた。
「いい加減に本題へ入るぞ。やる事は至極単純、貴様に義手をくれてやる」
「義手、ですか? ありがたいですが、重たいだけの鉄の棒をぶら下げてもあんまり意味が無いような……」
隻腕となってしまったツムギだが、特に義手を付けようとは考えていなかった。何せ生身の腕と比べれば可動域など比較にならず、むしろデッドウェイトになるとしか思えない。剣士としては最低限五指が自由に動く程度はできなければ装着する意味が見出せなかった。
というのが新西暦における基本的な義手事情だったはずなのだが、ジンは大きく呆れた様子だ。
「貴様、知恵遅れの類か? ……と言ってやりたいのは山々だが、この技術は最近の産物か。ほれ、儂の腕をよく見てみろ」
あげられたジンの左腕を見れば、生身ではなく鋼のモノとなっている。しかし五指は人の指と何ら遜色なく動いており、肘周りなどの間接も特に問題なく動いているように思えた。
「今は
「え、これが義手ですか、信じられない……? いえ、それよりもいつの間に義手へ?」
「答える義理は無い」
素っ気なく返されてしまった。ツムギはそれ以上の詮索を諦め、素直に
ジンはテキパキと道具を揃え、ツムギの左腕の長さを計測していた。横に置かれた黒光りする義手が存在感を放っているが、やはりあれもアダマンタイトなのだろうか。一瞥しただけでは分からない。
「施術に時間は掛からん。これが終われば貴様の忌々しい面を拝むのも終いよ」
「酷い言い草ですね、蛇蝎のように嫌われることをした覚えはありませんが」
「どうしようもない
吐き捨てる老技師は今にも施術を放り出してツムギを殺しに来そうな、剣呑な目つきをしていた。瞳の奥に映っているのは一種の同族嫌悪……なのだろうか? 諦観と嫌悪、負の感情が渦巻きながらも職務には忠実なようで、すっかり準備は整っていた。
「では施術を始めるとしよう。貴様には過ぎた力かもしれないが──それで滅びるならば貴様も所詮、その程度だったという事よ」
不穏な発言にツムギが「えっ」と返す間もなく、淡々と施術は始まった。
◇
施術は思いのほかアッサリを完了した。
ギシギシと音を鳴らしながら鋼の五指がたわみ、そして開かれる。
肘から先を動かした感触は良好、ツムギの思考と反射にほぼ遅れなく付いてくる。重さはあるが、慣れてしまえば依然と変わらぬ剣技を放つことは十分可能だ。
取り付けられた義手はもはやほとんど腕と変わりなく、ツムギは珍しく興奮を隠そうともしなかった。
「すごい……すごい技術ですね、これは! まさか
「やかましい、子供のように騒ぎ立てるでないわ。貴様が言うほど万能な技術ではない、それはよく理解しているだろう?」
「えっと……これ、アダマンタイト
取り付けられて理解したが、この鈍い色をした鋼は明らかに見知ったアダマンタイトとは違う。ではただの鉄かと言えばそんな訳はなく……ツムギの知らない材質であるのは間違いなかった。
単に動かすだけなら問題ない。けれどもし、この謎の物質で
「帝国でも秘中の秘、本来ならば貴様如き一兵卒にくれてやる材料で無いのは確かだ。こいつの名は……いや、自分で勝手に調べておけ」
「それくらい教えてくれてもバチは当たらないでしょうに」
「これだけ便宜を図ってやったというのに、この上まだ求めるつもりか? 話にならんわ、出直してこい」
突き放した物言いはあくまで変わらず。老技師は荷物を手早く片付け立ち去ろうとしたが、その背中にツムギが声を掛けた。色々と言いたいことはあったが、ここは素直に真っ直ぐに。
「沢山の事を、ありがとうございました。これで私はまだ戦うことができます」
「礼など要らん、気色悪い。好きに戦い好きにくたばればいい、それが貴様に似合いの末路よ」
今度こそ、ジン・ヘイゼルは去っていった。その背中には名残惜しさや惜別の類は一切感じられず。どうにも彼らしいとツムギは笑った。一方的な関わりから始まった間柄だったが、振り返ってみれば何度もあの偏屈な技師に助けられた。
……理由は分からないが、彼が
◇
その後は特段大きな波風も無く、比較的穏やかに時間は流れて行った。
ヴァルゼライドが総統の地位に就いてからのゴタゴタもおおよそ終息の兆しを見せ、いよいよアドラー帝国は新たな指導者による統治が本格化しようとしていた。これに加えてヴァルゼライドは国策として以前の血統派が作成した悪法、無為な特権などを段階的に全撤廃し、民からの支持率はもはや天井知らずの状態となっていた。
「かくして世は事も無し、ヴァルゼライドはあの大虐殺の夜を機に英雄となって誰からも望まれるままトップに立ち善政を敷く──まったく見事な英雄譚だよ、少々
「はぁ……言いたいことは分かりますが」
チトセ・朧・アマツの賞賛なのか皮肉なのか判別し辛い言葉が室内に響いた。大人しく聞いているツムギは曖昧な相槌を打つしかやれる事が無い。
状況は、以前にツムギがチトセの居室を訪問した時とは逆の構図だった。すなわち、今回はチトセの方が用件あってツムギを呼び出しており、議題に関してはもはや改めて切り出すまでもない。
「あのアスクレピオスの大虐殺によって数多の人間が大切なものを失った。直接の原因では無いとしても、粛清の一端に加担した我々もまた責はしかと背負わねばならない」
そこでチトセは自虐するような笑みを浮かべた。隻眼となり右目には眼帯を付けているが、彼女の美貌と威圧感は益々磨かれるばかりだ。
「とはいえ、私はマトモな仕事をほとんど出来ず仕舞いだったがな。愛しい飼い犬に噛まれた挙句、無様に倒れて気が付けば病床の上だ……どうだ、笑える顛末だろう?」
「ゼファーさんに関しては残念でしたね。あの魔星たちが暴れ回っていた以上、おそらく生きてはいないでしょう。痕跡も出ていないのでしたっけ?」
「……ああ、まったくもって惜しい限りだ。あともう少しだけ早く、自分に正直になっていれば違った結末を得られたかもしれないのにな」
後悔と共にポツリと吐き出した時のチトセは、
だがチトセは次の瞬間には毅然とした態度を取り戻し、
「すまない、話が逸れてしまったな。今回君を呼び出したのは他でもない、魔星と
「あまり話せることはありませんが……」
ヴァルゼライドとの密約もある以上、下手な事は言及できない。そもそもツムギだって知っていることなどたかが知れているのだ。改まってチトセに呼び出されるほど情報価値のある人間とは思っていないが……どうやらチトセはそう考えてはいないらしい。
「総統閣下を除けばあの場で唯一魔星に挑み、かつ生還した
「結果論ではありませんか?」
「そうかもしれない。だが誰もが壊滅的な被害を受けた中でヴァルゼライドだけは正反対に一人勝ち……裏があるのではと勘繰りたくもなる」
しかし、その物言いでは。
感じたことをツムギが率直に舌へ乗せる前に、笑い含みにチトセが手で制した。
「言われずとも承知している、これはある種の嫉妬さ。奴だけが大成功を収めたことに思う所があるから裏や理由を探ろうとしているようなものだ。しかし天秤で培ってきた嗅覚に匂うんだよ、英雄閣下は重大な隠し事をしていると」
「隠し事……
「だがアスクレピオスの大虐殺も、英雄の誕生も、
なるほど、勘が根拠なチトセの理論だが大まかには当たっている。特務らしく事前の調査も十分なようだ。
少なくともヴァルゼライドは魔星の出所を知っているようだし、巨大な理想があるらしいこともツムギは把握している。もしかしたら大虐殺からの総統就任すらマッチポンプだったのではと、チトセと同じことを疑ったことも無くはない。
「……私が戦闘をしたのは女性型の魔星、通称ウラヌスの方です。しかし彼女との戦闘において──」
「戦闘において、何だ? 気付いた事はあったのか?」
ヴァルゼライドとの密約を裏切り、ここでチトセに知り得る情報すべてを暴露するか。
迷いが生じる。しかし右腕に取り付けられた義手と、あの英雄が心底から『国家と民の為に行動している』ことは間違いなく信じられる。だから彼女は一秒の葛藤の後、頭を横に振ってみせた。
「──いえ、特筆すべき話題はありませんでした。彼女は明確にこちらを見下し、会話すら億劫と表して憚らない相手でしたから。とかく星辰奏者より強力で凶悪な
「……そうか、残念だよ。であれば仕方ない、都合よく有益な情報が転がっていると考える方が甘かったか」
元より根拠が欠如した推論であることを自覚しているからか、思いのほかアッサリとチトセは引き下がった。特にツムギを疑ったり追及することもなく見切りを付けて次の話題へと移っていく。
「ところで、今の天秤は
「おや、私は
「くくっ、意趣返しとは手厳しいな。だが状況が変わった、現在は再建のために一人でも有用な部下が欲しいのだ」
まさかの
「申し訳ありませんが、こちらも事情が変わりました。謹んでお断りさせていただきます」
「なんだ、そうなのか。今なら空席の副隊長の座だって狙えるだろうに」
「権力に興味はありません、興味があるのは強くなることだけです。そのためには、ある程度自由に動ける立場の方が好ましいと最近気が付きました」
「ふむ……ロデオン殿に話を聞いてみても良いが、まあ無理強いをする事でもないか。相分かった、先ほどの話は忘れてくれ」
結局この話し合いは何一つチトセの思うように進まなかったのだが、何故か本人は愉快そうに笑ってばかりだ。以前と比べて少し丸くなったのかとツムギは思う、もしこんなチトセをゼファーが見たらどう感じるのだろうか、とも。
あるいは、手痛い敗北と喪失によって逆に開き直ったのだろうか。転んでもただでは起きない姿はアマツの女傑に相応しいかもしれない。
「しかし一つ忘れないでくれ。私はヴァルゼライドを全面的には信用できないし、そのために軍属として、個人として、奴には目を光らせていく。君も気が変わるか、あるいは新しい情報を手に入れたなら気兼ねなく声を掛けてくれ」
「ええ、それはもう」
「感謝する。ああ、それから──良い義手だな、その右手は」
「ええ、自慢の右手です。カッコイイでしょう?」
「ああ、まったくだ。それの作者をぜひ私にも紹介して欲しいくらいさ」
軽く掲げた義手は鈍く輝き、意味深に笑う二人の女を映していたのだった。
すみません、モチベーションが落ちていて投稿が遅れてしまいました。