”勝利”の先を得るために、彼女は剣を手に取った 作:第37番型眼鏡
家系の定めなど知ったことかと飛び出したツムギであったが、そんな彼女にも尊敬するムラサメの剣士が一人存在する。
その名はクロウ・ムラサメ。紛れもなくムラサメの一族が輩出した剣士の中でも特上の部類に入る男であり、世が世なら最強の懐刀の名をほしいままにしただろう者であった。
ツムギは自らの才覚に絶対の自信を持っているが、さりとて彼と打ち合って勝てるかといえばまったく断言はできないし、それは星辰奏者となってからも変わらない。単純な身体の使い方、気配のずらし方、剣の振り方握り方に術理を通す勘働きまで……あらゆる基礎を向こうは高次元で習得しているからこそ、たかが身体能力が上がる程度で上回れるとはとてもとても思えないのだ。
故にかつてのツムギは彼こそが紛れもない最強だと信じていたし、自らが最強の名を目指すうえで最後に挑むべき相手は彼だと考えていた。まだ幼い少女だった時分の狭い世界における認識だったが、そう的外れでも無かったはずだ。
己の信じる最強との対決に向け、可能な限り彼の剣を盗み、自身を高め、そしていずれは超えてみせようと決意を固めていたのだが、そこに転機が訪れた。否、
それこそが
とんだ不条理、そう呼ぶしかないだろう。誰よりも鋭い刃であったはずの男は瞬く間に鈍ら扱いされ、偶然
なのだが、しかし。いいや、やはりと言うべきか。
剣士たちの中に天才が現れるように、星辰奏者の中にもやはり才ある者は現れる。十全に星の力を振るい、培った技術と融合させてしまう新世代の凶刃たち。議論の余地なく利刀と呼ぶしかない存在の一人こそ、今日この時にツムギが戦う男だった。
「私にとって、あの時のあなたの姿は衝撃でした……故にこそ、ムラサメの利刀を絶望せしめた技術の冴えを見てみたい。私の手で、乗り越えてみたい」
アドラー首都郊外、森の中で瞑想しながらツムギは呟く。
誰に向けた言葉でもなかった。深いところにある己の記憶を手繰り寄せながら、述懐するように言葉が漏れる。かつて自身の憧れが心折られたその日のことを。
「──あなたほどの人が、最前線から退く? またご冗談を」
記憶の中のクロウ・ムラサメの姿は誰が見てもそう分かるほどに消沈し、打ちのめされていた。
「いや、冗談ではない……俺はな、ツムギよ。身の程というものを知ってしまったんだ。剣一本でどれだけやれると
「でも……」
「くどいぞ。そしてそれ以上、願うなら言わないでほしい。他ならぬおまえの口からは……」
ツムギは晴れて
それでも能力差など感じさせない働きをしていたこの剣豪が、これほどまでに心を折られるなど、ツムギは想像だにしなかった。いったいどれだけの怪物に遭遇してしまったというのか。
「
「それは──」
「すまない、おまえに語ることではないな。これではただの八つ当たりだ。どうあれ、分を知ってしまった以上俺は退くことを決めた。完全には引退する気もないが……こうしておまえと会うのもこれが最後になるだろう」
その瞳には惜別の念と共に、一抹の嫉妬の感情が乗っていることに気が付いてしまったから。
引き留めるための言葉をツムギは紡ぐことができなかった。代わりに、震えそうな声色で
「あなたの仇とも言うべき、星辰奏者の名は?」
「……知ってどうする?」
「勝ちます」
寸分の間もおかず真っ直ぐな即答が口をつく。
「あなたの剣技を盗んだ弟子として、ムラサメの
「ふっ、俺は弟子など取った覚えはないのだがな……だが良いか、ならばおまえにだけは語っておこう」
こうして告げられた名こそ
憧れを叩き折った技術の冴え、それを己が手で超えられるかを試したい。最強を目指すための糧としたい。
だからこそ相手の土俵に自ら降りた。暗殺者を相手に主導権を渡すなど馬鹿の行いかもしれないが、さりとて真正面からぶつかればツムギに有利すぎる。自分自身が有利な状態で勝利しても"最強"の名は遠のくだけだから。
「──だから私はあなたに勝つ。いと罪深き
静かな決意を宣した直後──ツムギの聴覚が
音、爆音、轟音、破裂音、他にも他にもあらゆる音の詰め合わせ。それらがまるで一斉に起き続けているかのようにツムギの耳へと飛び込んでくる。周囲にはまったく音源など見当たらないにも関わらずだ。
予兆なく向けられた聴覚の大暴走にもツムギは動揺を表さない。反射的に耳を塞ぎそうになる両手を意思の力で押さえつけ、けれど異音を聞き取ったからすかさず右手を刀剣へと伸ばした。
「……石ころ?」
神速の抜刀により叩き落されたのは何の変哲もない石ころだ。精度も速度もまったく脅威ではない、しかし奇妙なのは
攻撃を受けているのは間違いない。故にこの牽制にも何らかの意図があるのか考えそうになり、
「なるほど、これは──」
納得、そして間髪入れずに思索を捨てて身体をずらした。理由は、そうしなければここで終わると直感したから。
その直後だった。一秒前までツムギの背中があった地点に強烈な蹴りが叩き込まれていた。強烈な風切り音、まともに喰らえば一溜りもない威力だ。しかしそもそもゼファー・コールレインはいつの間に背後へ接近していたのか。
「チィッ!」
「おっと」
続けて放たれたナイフの連撃を捌きつつ飛びのいて数メートルほど距離を取る。聴覚への妨害は既に無くなっていたものの、足元が微妙に砂状化していることに気が付いたのだ。もし近接戦の有利を疑わなければ文字通り足下を掬われていた、嫌らしい手管である。
これが裁きの天秤が誇る銀狼の刃、副隊長の実力かと武者震いが止まらない。一つ一つの技を取ればとても必殺とは呼べない小技ばかり、けれど適切に組み合わせ運用すれば致命的な刃となって胸元へ滑り込んでくる。その研鑽と判断力がどうにも堪らないものだから、ツムギは笑みを抑えることができなかった。
──なるほどこれは極上だ、糧にし甲斐のある獲物に相違ない。故に必ず粉砕しよう、これを乗り越えてこそ"最強"への階を一つ昇ることができるから。
「初めまして、ゼファーさん。ツムギ・ムラサメと申します、順番が前後してしまいましたが本日はよろしくお願いいたします」
「ご丁寧にどうも……あんま痛いのも嫌ですし、ここらで手打ちってことにしときません? 俺の負けってことでいいんで」
「却下で」
情けない提案をにべもなく切り捨てた。ほんの数手で鮮やかな手腕を見せつけておいてこの様とは、確かにかの剣豪が心を折られるのも納得というべきか。超人とはまるで思えない覇気の無さはいっそ堂に入ってる程である。
どうあれ、これほどの男をツムギが黙って見逃す手は無い。必ず今後への糧にするし勝ってみせる。その気概を充溢させながら剣を構え──彼我の距離を一足で詰め切った。
「ッ!?」
対峙するゼファーからすればまるで魔法のように見えたことだろう。真正面に相手を捉えていながら、まるで相手を見失ったかのように易々と詰め寄られるなどあり得ない。どのような術理と歩方がそれを可能とするのか、剣士ではない暗殺者には欠片も意味が分からなかった。
さりとて簡単に討ち取られる銀狼でもありはしない。生来の臆病さは異常事態を前にも完璧な反応を見せ、咄嗟に飛びのくことで続く剣舞からは逃げ延びた。殺意は無いと言ってもあの剣に斬られれば痛いのだから当たり前だ。
「
「うっせぇ、んな余裕が無いことくらい見りゃ分かるだろうが……!」
鋼と鋼の噛み合う音が高らかに響く中で両者の視線と言葉が交錯した。
ツムギが踏み込んで以降は明らかに彼女の独り舞台だ。すなわち、攻める剣士と守勢に専念する暗殺者に固定されてしまっている。正面からの戦いを得手する者と、あくまで不意を突いての一撃必殺を得手とする者では妥当な結果だろう。
刀剣とナイフでは間合いに差もある。修めた技にも違いがある。そもそもゼファーは一点特化型で、それさえ用いれば痛みを伴うから極力使いたくはない。だからここまでの
「もう少し自信を持っても良いのではありませんか? あなた程の強者がこれでは、涙を呑むしかない人間も増えるでしょうに」
「馬鹿抜かせ。一撃必殺に失敗して、守ってばっかな暗殺者が一体何を誇れってんだ」
「たった一度の失敗ですべてが無価値に帰すことなんて早々ありませんよ。失敗したならもう一度、次は上手くやると決めて頑張ればいい。このように」
剣がこれ見よがしに振りかぶられた。その技は既にゼファーも見ている、速さと威力に特化した単純故に強力な斬り降ろしの技。マトモに防御すれば腕が痺れて数秒は使い物にならなくなる。
だから回避を取ったゼファーの判断はどこまでも正しくて、それ故に正しい選択を先読みしたツムギの蹴りが腹に炸裂して吹き飛ばされた。
なんてことは無い、振りかぶられた剣はただのフェイントだったという話だ。ただそれがあまりにも真に迫り、「これからおまえを斬り伏せる」と雄弁に語っていたものだから、ゼファーの
「
地面をゴロゴロと転がって衝撃を緩和しながら愚痴を吐く。やはり訓練だろうが模擬だろうが痛いものは痛いのだ。勘弁してくれと毒づきながら立ち上がりナイフを構えた姿に、ツムギが即座に追撃をかけることは無かった。
「強いですね。模擬戦闘という点を差し引いても、これまで私が相手にしてきた
「ハッ、そいつはどうも。皮肉にしても嬉しいね」
「いえ、皮肉などではありませんが……」
純然たる事実のつもりでツムギは語っていた。星辰奏者となった人間はその殆どが強烈な身体能力と
翻ってゼファーはといえば基礎技術を高いレベルで修めている。これは精鋭である
「自覚が足りないのでしょうかね。いっそ私のように"最強"でも目指してみませんか? 目標に向かって一直線の内は多少の自己嫌悪くらい忘れられますが」
「悪いがお断りだ。大儀だの最強だの弛まぬ修練だの、そういうのはできる奴が勝手にやっててくれ。俺が悪いがごめんだね」
「残念。あなたの所作は見れば見るほど機能美すら感じるのに」
おおよそ戦い方を理解した上で断言するが、ゼファーの実力は高い。なのにその強さを一切誇らず、あまつさえ『守勢しかできない自分は弱い』などと
なるほどこれは、クロウ・ムラサメが無力感に苛まれるのも道理というものとツムギは納得し改めて剣を構えた。このような模擬戦闘ではなく、本当の命のやり取りの中で勝利を掴んでみたいという欲求を必死に抑えながら。
「ならせめて、私の糧となってほしい。『立派になれ』などと無責任なことは言わないので、私の剣であなたから勝利を奪わせてほしい」
「勝手に言ってろ。悪いが一方的にボコされるのも嫌なんでな、おまえの懐にある勝利ってヤツを奪い取ってやる」
この戦いを嫌がる者、糧にする者、思惑は様々だ。
それでも共通する思想として、この戦闘に全力を尽くすべきと判断したから──互いに示し合わせたかのように星へと捧げる
『創生せよ、天に描いた星辰を──我らは煌めく流れ星』
人型の超新星が編み上げられ、爆発し、そして煌めきながら容赦なく激突した。