”勝利”の先を得るために、彼女は剣を手に取った 作:第37番型眼鏡
愛とか夢とか決意とか、そういうものが大事だというのは良く分かる。
人を動かすための動力源はやはり心の動きだ。空っぽの人間がいったい何を成せるというのか。強大な感情とは時に人を羽ばたかせ、不可能すらも捻じ曲げ大きなことを成し遂げさせると歴史が証明している。
そして、たまに思うのだ。どうしても譲れない信念を持つ者同士がぶつかったとき、果たしてどちらに軍配が上がるのだろうか、と。旧暦の中華領から伝わった故事に『矛盾』という言葉があるが、共に折れない強固な心がぶつかった際にどちらも根負けしなければ、その先に待つものはいったい何か。
もう飽き飽きするくらい宣しているが、私は"最強"を目指している。
勝利と勝利を無限に重ねたその果てに、輝く王座を一目見たいと望んでいる。
強くなるための努力を怠った覚えはないし、胸に燃える決意の炎は決して熾火などではない。儚い夢と言われようが構わない、それだけの覚悟なくして挑める頂きでは無いのだから。どこかで敗北したって構わない、たった一度の敗北で微塵に砕けるなどあり得ないのだ。何度だって再起して、次の勝利をもぎ取ろう。
しかし、もしだ。
私以上の
技術で負けるのは良い。いっそう剣技を磨いて出直そう。
経験で負けるのも構わない。これから経験を積んだ先で必ず打倒してみせよう。
だが心で負けてしまったら……言い訳の余地なく「この人には勝てない」と認める他ない相手と出会ったとき、私は私でいられるのだろうか? 『矛盾』とは最終的に一方は壊れてしまう定めであり、その壊れる側にツムギ・ムラサメという女がいないか不安になってしまうのだ。
……らしくもない弱音だと思う。
自分でも呆れてしまうほど敗北主義者じみた論理展開だった。まったく、普段の私ならば一顧だにしないことを長々と。こんなことを考えてしまった時点で惰弱と言われればぐうの音も出ない。
ただ、今この時ばかりはほんの少し弱音に駆られることを許してほしい。
「あなたと戦えるとは光栄です、アドラーの誇る"英雄"様」
七刀を背負った金髪の偉丈夫。"彼"の眼光に射抜かれてしまえば、太々しさに自信のある私とて思わず身を竦めてしまうのだから。
◇
剣士の間に言葉は不要、語るはただ剣戟のみ。
などという言葉が使われることも少なくないが、ツムギはどちらかと言えば普通に喋るタイプであった。剣を介して会話するより、直接話す方が分かることなど万倍多い。
「大佐は、信頼されていますね」
それに、これから打倒する相手の為人を知るというのも、嫌いではないのだ。
剣を鞘へ納めたままツムギは眼前のヴァルゼライドへと語り掛ける。本来ならばすぐにでも剣を抜きたいところだが、この貴重な機会を無駄にする気もなかった。
果たして、当の本人はツムギの言葉に「すまないな」と生真面目に返した。
「今回は俺の勝手な願い故、極力他者の割り込む余地を作らなかったが……君にとってこの場はアウェー同然だろう。俺の不徳の成すところだ」
この場に居るのは当事者二人の他に、ヴァルゼライドの
明らかに場の空気が一方に傾いていることを男は謝ったが、ツムギはそのような真摯な謝罪を笑い飛ばした。そんな事は最初から百も承知の上でここに立っている。
「逆風の状況で"勝利"を掴んでこそ燃えるというもの。むしろ、その信頼を私の剣がこれから踏み躙ると考えれば面白くなってはきませんか? 少々悪趣味だという自覚はありますがね」
「……要らぬ気遣いだったようだな。ならば良し、相手に取って不足は無い」
戦意を纏いヴァルゼライドの気配が変わる。殺意が無くともこの威圧感、常人が彼に相対すれば足が竦んで動けなくなるだろう。それを直に浴びてツムギは僅かに微笑んだ。
英雄の強さを支える戦闘スタイル、その独特な剣術はツムギもしかと聞き及んでいた。七刀を用いた変幻自在の抜刀術。ムラサメの歴史を紐解いたところで先駆者など居るはずも無し、故にツムギにとっても正真正銘の初見となる剣術だ。
「来い──いいや、挑む側として、往くぞ」
「ええ、挑ませてもらうとしましょう」
互いに挑む者同士、この戦いに臨む気概に貴賤はない。
ヴァルゼライドはあくまで無手のまま腰に差した刀の一本へと手を掛け、ツムギもまた同様の構えを取る。狙いはあまりにも分かりやすい。鏡合わせのような膠着が一秒、そして、
『行くぞッ!』
神速の抜刀がぶつかり合い、ここの勝負は始まったのだった。
◇
アルバート・ロデオンは珍しく不機嫌さを隠そうともしなかった。
「どうしてこうなった」、アルバートは呆れのまま息を吐いた。ツムギ・ムラサメとクリストファー・ヴァルゼライド、接点などまるで無いような二人がこうして模擬戦闘を交わすというのが青天の霹靂なのだから無理も無い。
異例のマッチだからか、他に観客の姿は一人だけだ。故にアルバートは仕方なく、ヴァルゼライドに次いで付き合いの長い
「これもおまえの策略か、ギルベルト? 俺の部下にいきなり手を出してくるとはいい度胸じゃねぇかよ」
「そう怒ってくれるな、ロデオン。君に怒られるのも慣れたものだが、今回に限って言えば事前に連絡はしていただろう? 無論、君がそれを伝えない可能性も当然織り込んではいたがね」
「おまえな……そういうところだぞ」
ギルベルト・ハーヴェスがこのような物言いをすることは、東部戦線に居た頃からの腐れ縁であるためよく知っている。この男は常にあらゆる物事を見透かしたような言動を放ち、しかもその予測が掌から出て行った場面をアルバートは見たことが無かった。
あらゆる全てを思うがままに操作してしまう炯眼の男から"手紙"が届いた時点で、遅かれ早かれこうなる定めだったのだろう。仕方ないとひとまず割り切り、アルバートは話を続けた。
「しかしおまえもクリスも、一体どういうつもりだ? ツムギは確かに剣の名手だが、かといって
「ほう、これは意外だな。君ならてっきり可愛い部下の肩を持つと考えていたのだがね」
「そりゃそうしたいのは山々だけどな。クリスをよく知ってる奴ほどそう思うもんだ、おまえだって分かるだろ」
贔屓でも何でもない厳正な評価を聞いたギルベルトは「ふむ」と一拍置いてから、
「私の見立てを語るなら、才能の面で大佐は中尉の足下にも及ばないだろうな。
「シビアだな」
「私はただ事実を語っているだけさ」
涼やかに断ってから更に評価を続けていく。
「実際、ヴァルゼライドもその事実をよく把握しているとも。だから彼は自分に足りない才覚を補うべくこの場を設けたのだから」
「そう、そこが解せないんだよ。今のあいつは誰もが認める改革派の英雄だ、なのにまだ貪欲に強さを求めるだと?」
才能が無いと語られたヴァルゼライドの剣技だが、これとて既に練達の域を超えた次元に到達している。さらに帝国の擁する
そして、だからこそアルバートには理解できないのだ。
「これ以上強くなったところでどこの誰を打倒する必要がある。神話の化け物にでも挑むつもりかよ、あいつは」
「……帝国に蠢く黒幕を気取った輩は思いのほか多い。そのような回答では不満かな?」
「ああ、不満だな、俺だけ置いて好き勝手やりやがって。どうせ聞いたって答える気は無いんだろ? おまえ達が目指してるものを暴き立ててやるからクビ洗って待ってろ」
どうしてもそこが不満だから、付き合いの長い戦友相手に苛立ちが勝ってしまう。大事を成すつもりなら自分も巻き込んでくれればいいものを、勝手に蚊帳の外に追いやられてはさもあらん。
そんな内心の不満をいったん押し込み、アルバートは意識を視線の先の剣士二人へ戻した。今のところ睨み合いが続いているが、今すぐにでもこの膠着は解かれ凄まじい斬り合いが始まることだろう。
「んで、さっきの話の続きだが。ギルベルトはこの戦いどっちが勝つとみる?」
「無論、ヴァルゼライドの方だろう」
何の迷いもなく光の信奉者は即答した。
おまえはそうだろうなとため息をつき、アルバートは無言で続きを促す。
「才能、環境、生まれや育ち……そのような差異など総じて誤差だと彼が証明しているのだから。ツムギ・ムラサメの才覚と努力は私も認めるところだが、それとて英雄には及ばぬよ」
「じゃあなんだ、おまえはクリスの奴が若輩を叩きのめすのを観戦にし来たってだけかよ」
「まさか」
心外そうに呟きながらギルベルトは目を細めた。
期待するように、祈るように、そして何かを嘆くような微笑と共に。
「もし彼女が、私の予測を遥か超えてヴァルゼライドに勝利することがあれば……いや、むしろ私はそれをこそ望んでいるかもしれないな。意思の力で羽ばたく奇跡をどうか見せてほしいとも」
すべてを見通す視線の先には剣を鞘へ納め、そして手に掛けた剣士が二人。
いよいよ始まる──両者がそう考えた瞬間には、既に二人の剣士はともに踏み込み抜刀していた。瞬き一つの間に彼我の距離はゼロとなり、気が付けば剣と剣のぶつかる音が木霊する。
「先手を取ったのはツムギ……か? おいおい、さっぱり追い切れなかったぞ」
「抜刀する際の踏み込みと身体の捻り、それに単純な抜く力の作用だろう。常人ならばもはや視認すら出来ない速度だろうな」
もはや音速の壁すら超えているのか、鉄の床には斬撃の後らしき線が伸びている始末。少女から繰り出される一撃とは思えない威力の抜刀術は、ムラサメの名に相応しい完成度だ。
だが、それを受けるヴァルゼライドの判断も早かった。彼は速度で勝ち目が無いとみるや即座に迎撃の体勢を取り、ツムギの剣を受け止めることを選択した。刃をぶつけ合った事で戦況がワンテンポ止まるが、英雄にはまだ片腕と六本もの剣が残っている。
英雄の左手が柄へと伸び、抜刀。七本の剣を用いた自在な抜刀術がヴァルゼライドの強みであり本領だ。あたかも七人の剣士に刻まれていると錯覚するような猛攻はツムギを退かせるのに十分な脅威を持っている。
それからの十数合は一方的な様相を呈していた。翼のように広げた二刀と、それらを納刀し抜刀する手管を以てヴァルゼライドはひたすら攻める。元々
「こうしてみると、なんだか残酷っつうか……ああは言ってもツムギが一方的にやられるとは」
「さて、それはどうだろうか」
火花を散らし合う計八本の剣を眺めながら、観客たる二人は試合の行く末を予想する。
戦況は圧倒的にヴァルゼライドに傾いていた。鍛え上げた剣技は若き天才すら蹂躙するのかとアルバートは複雑な心境で見守り、片やギルベルトは愉快そうに戦況の推移を見届けている。
戦況が動いたのは、弾き飛ばされたツムギが自分から踏み込んだ時だった。
初撃を除けば、これまで守勢だったツムギが初めて見せた攻勢だ。ヴァルゼライドはそれを迎え撃つべく右手の剣を納刀、左手の剣で防ぎながらカウンターを取る体勢を取った。あくまで油断はなく、七刀流という強みを最大限に押し付ける構えはツムギにも有効なはずだったが、しかし。
ガキンと、凄まじい音が響いた。
あまりの音に一瞬虚を突かれたアルバートだったが、宙を舞う剣を目にして何が起きたかを理解した。
「……武器を弾いた!」
目の前で起きた状況を前に、ただただ事実を叫ぶしか出来なかった。
起きた事象は簡単で、袈裟懸けに放たれたツムギの剣を受け止めた左の剣が不自然に手元から離れただけ。その直後に放たれた抜刀はヴァルゼライドの肩を基点に飛び越えるように回避し、背後から次の一撃を見舞っている。
信じがたいのは、
「剣筋が変わったな……今のもそれが原因か?」
「私もあのような動きは見たことが無いな。独特の軌跡は威力よりも当てることを重視したものか?
守勢に回っていた際のツムギの剣は、良くも悪くもムラサメらしい真っ直ぐ鋭いものだった。
けれど今はまったく逆、相手の虚を突きながら確実に動きを通すような、そんな代物を織り交ぜている。先ほどヴァルゼライドの剣が手元を離れたのも、おそらく予想外の衝撃を逃がすために剣を手放さざるを得なかったのだろう。
だが武器の一本がヴァルゼライドの手元を離れたところで残りはまだ無数にある。故に一回きりの奇策が決まったところでツムギの不利は変わらない──そうアルバートは読んでいたのだが。
「どういうことだ? 今度はクリスの方がやけに押されてやがる」
ツムギがひたすら攻め、ヴァルゼライドが守勢に回る様は先の攻防とまるで逆だ。反撃の糸口すら掴ませず、抜刀されるそばから見切り、弾き、勢いづかせない。けれど奇妙なのは、何故こうも唐突にツムギが優勢に立っているかだ。先ほどまでの劣勢は演技だったのかと思わせるほど軽快に、自由に斬り込んで止まる気配がない。
さらに、ツムギは剣だけでなく鞘まで用いた疑似的な二刀流まで披露している。翼のように広げた構えから繰り出される太刀筋は、明らかにヴァルゼライドの繰り出す剣技と似ているようで──
「ふむ、なるほどな」
「おい、一人で何を納得してるんだよ、説明してくれ」
「要するに、ついさっきまでの彼女はヴァルゼライドの剣を見極めていたのさ。彼の剣は独特で他に類を見ない、それ故に守りに徹して観察を行ったのだろう」
「いや、その理屈は俺も理解できるが……ほんの数分の打ち合いでそんなことが可能なのかよ」
初見の剣技だからむやみに攻めず、観察して相手の動きを理解したらそれを潰すように立ち回る。至ってシンプルで隙のない理屈だ。
ただし、それをこの短時間に行ったとなれば話は大きく変わる。ヴァルゼライドほどの手練れを前に机上の空論じみた動きを実現し、圧倒するとなればただ事では無い。今もツムギは未来予知でもしているのかと疑うくらい、最小の動きで剣を掻い潜っては手傷を与えている。さらに太刀筋の中には明らかにヴァルゼライドの技を昇華したと思しきものがあり、それらがより効率的に英雄の剣を阻んでいた。
「才能ある剣士とは、いったいどのような要素を持ち得ればそのように評されると思う?」
「藪から棒に何だよ……そりゃあ、単に剣術を綺麗に決められるから天才、なんて単純な話じゃないのは分かるさ。勘働き、呼吸の読み合い、フェイント、力加減、身体能力に精神的な素養、あるいは秀でた一芸まで、全部ひっくるめての評価になるだろ」
俺は持てなかった要素ばかりだ、愚痴るように零したアルバートへギルベルトは首肯した。
「そう、決して剣を振る綺麗さだけで才能は決まらない。ではツムギ・ムラサメ中尉が誇る才能とはいったい何か? この戦いを見て確信したが、まず間違いなく"吸収力"に違いない」
「"吸収力"?」
「要するに、相手の動作を学び取る速度が神懸っているのさ。培われたムラサメの技術という基盤の上に、相手の動きから読み取った癖や強みを上乗せして放っている。対峙する側からすれば堪ったものではないだろう、鍛え上げた技術を即座に盗まれ守破離の概念を無視してくるのだからな」
「それは……」
つまり、古典的な言い回しだが『戦いの中で成長している』というヤツなのだろうか。だけど確かに、戦闘に目を戻せばギルベルトの言葉は的を射てるように思える。今のツムギはヴァルゼライドの戦闘スタイルすら己の中に取り込み、それ故に相手の動きや呼吸を合わせることに成功しているように見えた。
本来ならば付け焼刃にしかならない猿真似のはずが、極まれば敵手を貫く必殺の矛となる。なるほど、これは確かに凶悪極まりない才能だ。戦えば戦うだけ彼女は他者の技術を吸収し、自分を高めていってしまう。終わりなき成長性の怪物に他ならない。
「これはヴァルゼライドにとって未知の難敵だな。弛まぬ努力と才能、そして特異性を兼ね備えた若き天才剣士とは相性が最悪さ。意思の力で上回ったとして、即座に仕留めきれなければいずれ学習され再び上回ってしまう。星辰光があればまた別だが、今回はそれも無しだ」
「いたちごっこって訳か。成長って言えばクリスの奴も大概だと思うが、どうなるやら。あまり無理はし過ぎないで欲しいもんだがな」
激化していく戦闘を眺めながら心配そうに呟いたアルバート。
死線認識能力を持つ彼の瞳には理解できてしまうのだ。夥しい範囲が黒く染まった戦場と、呼応するように膨らむ殺意のやり取りが。もはや本気で挑まねば勝負にならない次元に推移しつつある戦いを前に、そっと息を吐くのだった。
ヴァルゼライド閣下なら出来た。