豊穣の王と黒き夜 ~あるいはヨと巫女のジムチャレンジ挑戦記~ 作:野傘
夜明け前のフリーズ村。
普段であれば静寂に包まれている筈のこの時間、しかし村は常と異なる喧噪に包まれていた。
「ええい、放せ! 放してくだされ!」
村の外れ、カンムリ雪原との境界にある柵の近くにて何やら騒ぎが起こっている。騒ぎの中心に居たのはとある老人。暗闇の雪原に飛び出そうとする老人を、村人が数人がかりで押さえつけているのだ。
「村長さん、この暗さじゃ無理だ! あんたまで遭難しちまうよ!」
ジタバタと藻搔く老人を羽交い締めにしながら、村人たちは必死に老人――フリーズ村の村長を止めようとする。夜半のカンムリ雪原にたった一人で飛び出そうとするなど自殺行為、ミイラ取りがミイラになるだけだ、と。
「それが何だと言うのです! フィオが……私の大事な孫が命の危機に瀕しているのやも知れんのですぞ! なのに私が村でじっとなどしてられますか!」
だが村長はそんなこと知ったことか、と言わんばかりにもがき続ける。
村長にとってフィオはたった一人の肉親だ。彼女のためならば命だって惜しくない。そんなフィオが危険な野生ポケモン蔓延るカンムリ雪原で命の危機にあるのかもしれないのだ、じっとしていることなど出来る筈がなかった。
◆
"
村長の話によれば畑仕事を終えたのか彼女の手持ちポケモン・ドロバンコが帰って来た。しかし、幾ら待っても肝心のフィオ自身は帰ってこない。もうすぐ日が暮れるこの時間、流石に遅すぎるのではと感じて探しているのだという。
村長の言を聞き、心配になった村人たち。フィオはフリーズ村でも数少ない若者の一人だ。特に彼女は持ち前の素直さから村人たち皆に好かれており、その全員から孫のように思われていた。そんな彼女の性格上、祖父に黙って勝手に居なくなってしまうなどとは考えにくい。もしかしたら何等かのトラブルに巻き込まれたのでは、と。
そうしたことから村人たちも協力して村中を探しまわったものの、それでも彼女は見つからなかった。途中、彼女がスマホロトムを持っていたことを思い出した村長が、一縷の望みをかけて連絡してみたものの繋がる様子はなく。八方ふさがりの状況の中、ふと、ある村人が呟いたのだ。もしや何者かに攫われたのではないか、と。
村人たちは当初、"そんなことは有り得ない。村に不審者が居ればすぐに気が付く"とその考えを否定した。だが、その村人曰く"人間ではなくポケモンならばどうだ。それにかつて村の子供が雪原のポケモンに攫われたという話も聞いたことがある"、という。なるほど確かにポケモンの中には、子供を攫ったという逸話を持つ種族も存在し、実際過去の行方不明事件にそうしたポケモンが関わった例もある。村中を探しても見つからないこの現状、フィオがカンムリ雪原に住まうポケモンに魅入られ連れ去られた、というのも有り得ないとは言い切れなかった*1。
まさか、いやもしやと騒めく村人たち。そんな中、突如として村長が立ち上がり村の外へ駆けだそうとする。深夜のカンムリ雪原に飛び出そうとする村長を慌てて止める村人たち、そして冒頭のやり取りへと続く――
◆
必死になってカンムリ雪原へと駆けだそうとする村長と、そんな村長を羽交い絞めにする村人たちの攻防が続いていた――その時、
「――おじいさま?」
声が聞こえた。
村長にとって最も大切な者の声が。
村長が慌てて顔を向ければ、そこにあったのは行方不明になっていた孫娘の姿。
身につけていた服こそ汚れてはいたが、しっかりとした足取りで柵の側に立っていた。
「フィ……」
その姿を目にした瞬間、村長は緩んだ拘束を引き剥がして走り出した。
「フィオ〜〜〜〜〜〜!!」
「おじいさ、きゃっ!」
無我夢中で走り寄り、ひしと孫娘を掻き抱く。
「よかった……よかった……! 無事でいてくれました……! 貴女の身に何かあったらと思うと、もう心配で心配で……!」
孫娘の体にすがりつきオイオイと泣きながら、その無事を喜ぶ村長。そんな村長の姿を目の当たりにして、フィオは強い罪悪感を抱く。
「……ご心配をおかけして申し訳ありません、おじいさま」
「よいのです、貴女が無事でありさえすれば……!」
不可抗力ではあるものの勝手にいなくなり、祖父に多大な心配をかけたことを謝罪するフィオ。しかし、当の祖父は彼女が無事でいてくれたならばそれでよい、という。
(……わたしは何と言うことを)
ただただ自身の無事に喜んで泣く祖父の姿に、フィオは自分がどれだけ心配をかけたのかをあらためて思い知らされ、ますます強く罪の意識を覚える。
「あの、おじいさま……本当に――」
そして再び謝罪の言葉を発そうとして、しかし思い直す。
(――いえ、おじいさまが"よい"と言っている以上、これ以上の謝罪はすべきではありません)
祖父が謝罪を不要と言っている以上、これ以降の謝罪は罪悪感から逃れようとする己のエゴだ。そのような思いで謝罪をするべきではない。ならば、真に彼女のすべきこととは――。
そうして考えた後にフィオが行ったのはすがりつく祖父の体をぎゅう、と抱きしめ返すことだった。
「はい、おじいさま。フィオはただいま戻りました」
「ええ……! ええ……! おかえりなさい、フィオ……」
祖父に自身が無事帰って来た……それを伝えて安堵させることこそが彼女が思う、彼女自身がなすべきことだった。果たして抱きしめられた祖父は再度、自らの宝が無事であることを確信し、はらはらと安堵の涙を流したのだった。
再会を喜び、抱き合う祖父と孫娘。そんな二人の姿を見て、村人たちもほっと息を撫で下ろす。村に満ちていた緊迫した雰囲気は霧散し、代わってフィオの無事が確認されたことで安堵した空気が漂う。既に東の空は明るくなっており、夜明けの太陽が村に光を注いでいた。
かくしてフィオの失踪に端を発する騒ぎは収束し、フリーズ村には再び元の静けさが戻ったのであった。
◆
さて、
「この度は大変なご迷惑とご心配をお掛けして申し訳ありませんでした!」
村の一軒、一軒を回り村人へ頭を下げる。フィオが行方不明となった際には多くの村人がその身を案じ、進んで彼女の捜索を手伝ったという。ならばこそこうして無事を報告し、手間を掛けさせたことを謝罪するのは――少なくとも彼女の中では――当然であった。
幸いにして村人たちはフィオの無事を喜んでくれた。が、当然のことながらその度にフィオへ"どうして行方不明になったのか"を聞いてくる。
「それが……その、良く覚えていなくて……」
そんな村人たちに対してフィオが返した答えは「よく覚えていない」だった。
「気が付いたらカンムリ雪原で目が覚めまして……。どうしたものかと途方にくれていたところ、親切なポケモンさまと出会い村まで送ってもらったのです」
ウソは言っていない。
気が付いたらカンムリ雪原で目を覚ましたのも本当だし、親切なポケモンと出会って村まで送って貰ったのも本当だ。その親切なポケモンが誘拐の犯人であるとは言っていないだけである。
いや、アレはあくまで神による召命であって、断じて誘拐ではないが。バドレックスの名誉のために言っておくが、神が目的のために人間を呼びつけることは古今東西よくあることである。さらに信徒にとって自らの信仰する神に呼び出されることは名誉以外の何物でもない。もっと言えばバドレックスは神であり、俗世の法になど囚われない存在。そもそもとして誘拐などという下賤な罪に問われる筈がないのだ。なので、バドレックスは断じて誘拐犯ではない。誘拐犯ではない*2。
なにより、フィオはバドレックスとの謁見を村人には口外しないという誓いを立てている。故に彼の王との出来事を話すことはできない。だが、お世話になっている村人たちにウソを吐くのも心苦しい。そうした事情から彼女はバドレックスに関する情報のみを伏せ、それ以外をありのまま述べることで双方を何とか裏切らないようにしたのだ。
彼女の話に村人たちは――実際のところどうかは不明だが――納得し、それ以上追及することはなかった。
◆
村人への謝罪行脚を終え、家へと戻ったフィオ。昨夜の一件に加えて村中を巡った疲労で、今すぐにでもベッドに潜り込みたい気分だったが、しかし彼女にはまだ済ませなければならないことが残っていた。
「申し訳ありません、おじいさま」
食卓で向かい合う祖父に、ふところから壊れたスマホロトムを取り出して見せる。
「せっかくの贈り物……壊してしまいました」
祖父から贈られた
「何だ、そんなことですか。いいのですよ、こんなものは修理に出せばいくらでも直るのですから」
そう言ってホッホッホと笑い飛ばした。
「それよりも、フィオ。貴女が無事で本当によかった。いつまで経っても戻らなかった時は本当に生きた心地がしませんでしたぞ」
「それは……本当に申し訳ありません」
「いえ、いえ、謝ることはありません。何はともあれ、こうして無事に帰ってきてくれたのですから。――ええ、本当に貴女を助けてくれたという親切なポケモンに感謝しなくては」
「――はい、勿論です」
「そうでしょう、そうでしょう。――それではフィオ、貴女を助けたポケモンというのは
「それが、その、わたしも見たことのないポケモンさまでして……。何とお伝えすればよろしいか……」
「名前が分からなくとも、大まかな姿を教えて貰えれば結構です。さあ、フィオ。そのポケモンはどんな姿でしたか?」
「………………えっと」
畳みかけるような祖父からの質問に、フィオは言葉を詰まらせる。祖父は明らかに彼女を助けたポケモンについて知りたがっていた。だがしかし、そのポケモンーーバドレックスのことは誓いによって話せない。
(ど、どういたしましょう……!)
祖父にウソを吐くことはしたくない。だが"王さま"との誓いを裏切ることなんて出来ない。両者の板挟みの状態で思い悩むフィオ。そんな彼女に――
「――フィオ」
「……はい、おじいさま」
「――私に何か隠していることがありますね」
「……!」
どうやら彼女が隠し事をしているのはとっくにバレていたようだ。
「それには昨夜の出来事と貴女を助けたというポケモンが大きく関わっている――そうですね?」
「……はい」
「そして、貴女はそれをどうしても明かせない事情がある――家族であるこのジジイにさえ」
「…………はい」
「――隠し事を直ぐに話せ、とは言いません。優しい貴女が祖父である私にさえ隠したいというのなら、そこにはよほどの事情があるのでしょう。ならば、無理に聞き出そうとはしませんよ」
祖父は言う。彼女が隠し事をするなどよっぽどのこと。ならば無理やりに聞き出そうとはしない、と。しかし――
「ですが――せめて、その理由だけでも教えてはくださらんかな?」
話せないならば、何故話せないのかその理由だけでも教えて欲しい、と孫を心配する祖父としてそう言った。
「おじいさま……」
恐らくだが、祖父は彼女を助けたというポケモンが昨夜の出来事の原因であることを悟っている。そしてフィオがそのポケモンについて意図的に隠していることについても。
大事な孫娘が行方不明となったのだ。祖父にとってみればその原因を知りたいと思うのは当然のことだろう。しかし、彼はフィオからそれを聞き出そうとはしなかった。あくまで、昨夜の出来事について語れない、という彼女の意思を尊重したのだ。
だが、それでも……祖父として、たった一人の肉親を失いかけた男として、せめてその理由だけでも聞きたい、と祖父はそう言っていた。
そして、愛する祖父からの懇願とも言えるそれを――フィオが無下に出来る筈も無かった。
「――誓ったのです。昨夜の出来事は決して口外しないと」
顔を上げ、祖父の目を見つめながら告げる。
「ですが、ジムチャレンジを終えて――わたしに課された使命を果たし、この村に帰ってきた暁に全てお話いたします」
今は話すことは出来ない、だが全てを終えてこの村に帰ってきたその時には、その内容を明かすことが出来る、と。
「――そう、ですか」
「ごめんなさい、おじいさま。今、わたしが明かせることはそれだけです。ご納得、いただけないとは思いますが……」
「いいえ、良いのです。全てが終われば話してくれる、それが分かっただけでも充分。何、貴女が明かすべきと思った時に明かしてくれば良いのです、ジジイはそれまでのんびり待つとしましょう。――さあ、色々あって疲れたでしょう。今日はもう、お眠りなさい」
"全てが終わった後に"という先延ばし染みたフィオの回答に対して、しかし祖父はそれ以上追及することはなく。フィオ自身が明かすべきと思った際に明かしてくれればよいという。
祖父からのこれ以上の追及が無かったことに安堵しつつ、フィオは促されるままに食卓を後にする。昨夜からの出来事で彼女の疲労は限界に達しており、正直に言えば祖父からの申し出はまさに渡りに船であった。彼女は部屋に入った途端、ベッドに倒れ込みそのまま泥のように眠る。
王と共に旅立つその日を夢見ながら。
◆
「はあ……」
孫娘が去り一人になった食卓で、祖父――フリーズ村の村長はため息を吐く。
(まったく、幾ら"あなた様"とはいえ……私の可愛い孫を勝手に連れ去るのはどうかと思いますぞ)
思うのはフィオを助けた……そして昨夜彼女を連れ去ったであろうポケモンのこと。フィオが無傷で帰還した時から何となく察してはいたが、先ほどの問答の際の彼女の態度でその正体を確信するに至った。
頑なにその正体を明かそうとしない態度、"誓った"と語った時の決意と敬意に満ちたあの目、そして彼女の信仰を考えれば自ずと答えは見えて来る。
(――『
村人に気付かれぬまま少女を連れ出し、そして無傷の状態で還す。そんなことが出来るポケモンなぞ一匹しかいない。
『豊穣の王』・バドレックス。カンムリ雪原を治める偉大なる神王。彼の神はかつて眠ったままの村人をその力で以って導き、自らの御前へと召喚したという。そのことを考えれば、(恐らくこの世における唯一の)信仰者であるフィオを自らの許へ招き寄せたとしてもおかしくはない。
では何故『豊穣の王』はフィオを招き寄せたのか、だが。それも先程の彼女の言を思い出せば、薄っすらとだが推察できる。
("課された使命"……ですか。まったく……フィオは特別な力などなにも持っていない、ただの女の子なのですぞ)
どうやらバドレックスはフィオに何かしらの使命を課したのだろう。だが、彼女は王の信仰者であるとはいえ、なんら特別な力*3を持たない十二歳の女の子である。神からの与えられた使命となれば、古今東西それは過酷なもの*4であると相場が決まっている。そんなものを断りも無く自身の大切な孫に課したという事実に、憤りを覚えないかと言われればウソになるだろう。だが、神というものは往々にして理不尽な存在。それは慈悲深きかの王とて例外ではない。
そして何より、フィオ自身の意志もある。先ほど見せたあの決意に満ちた表情。昔から我儘一つ言わない素直な子であったが、あの表情を浮かべた時だけはどうあっても自らの意思を曲げることは無かった……ああ見えて頑固なのだ、あの子は。
あの表情を見せたということは、既に彼女の中で使命を果たすことは決定事項なのだろう。例え誰が何と言おうともそれを貫き通すに違いない。
ならば最早、自分が口を出す意味はない。自分に出来ることはせめて、彼女が危険な目に遭わないよう祈ることぐらいであろう。
(はあ、全く以って口惜しい。私がもう少し若く、そしてポケモンの実力があったのならば……いや、悩んだところで詮無きことですか)
残念ながら、今更どれほど嘆いたところで状況は変わらない。
(『豊穣の王』よ。いと慈悲深き我らが主よ。どうか、どうかあの子を守ってくだされ)
誰もいない食卓で、祖父は一人そう祈るのであった。
◆
数日後、フィオがジムチャレンジへと出発する日。
フィオは荷物の入った大きなリュックサックを背負い、村の境界――『滑り出し雪原』側の入り口に立っていた。そんな彼女を見送ろうと、祖父も含めた大勢の村人たちも集まっている。
「フィオちゃん。体に気を付けて、元気でね」
「ありがとうございます! ですが心配はご無用! わたし、健康には自信がございますので!」
「ジムチャレンジ頑張っての。儂らも村から応援しとるからの」
「応援ありがとうございます! そして見ていてください! フィオは必ずやフリーズ村をガラル中に知らしめてみせますので!」
口々に激励を、気遣いの言葉をフィオへと送る村人たち。フィオもまたそんな彼ら一人一人に礼を述べ、決意を込めて返答していく。
「あっ! もうこんな時間!」
と、そうこうしている内に電車の時間が迫って来た。村からカンムリ雪原駅までは歩きだ、そこまでの距離を考えればもうそろそろ出発した方がよいだろう。
「それではフリーズ村の皆々様! 行ってまいります!」
見送る村人たちにペコリと一礼し、フィオ『滑り出し雪原』へと歩きだそうとする。
「――フィオ」
その時、彼女の名前を呼ぶ誰かの声が響いた。
「おじいさま……?」
聞き慣れた良く通るその声は紛れもなく祖父のもの。一体どうしたのかと振り返ったフィオへ、祖父はただ一言告げた。
「行ってらっしゃい」
たった一言の短い、されど幾重にも思いを込められた言葉。そんな祖父の言葉に込められた思いを感じ取ったフィオは、自身もまた強い決意を込めて言葉を返す。
「――はい! 行って参ります!」
そしてフィオは身を翻し、振り返ること無く走り出す。その小さな背に幾つもの思いを載せて。
フィオを見送り、坂の向こうへとその後ろ姿が見えなくなるまで手を振り続けていた村人たち。やがて彼女の姿が消えれば、一人、また一人と各々の生活へと戻っていく。
そんな中でフィオの祖父――フリーズ村村長は一人、村の中心・『豊穣の王』の木像へと向かう。今朝もまたフィオの手で丁寧に磨き上げられたであろう像は汚れ一つなく、降り注ぐ朝日を浴びて神々しい輝きを放っていた。
村長は王の像の許へとたどり着くと、御前にて跪き祈る。
(どうかあの子が無事戻ってきてくれますよう。くれぐれもお頼み申しますぞ、王よ)
慈悲深き我らが主。遥か
どうかどうか、
あの子が無事、
――『任せるである』
祈り続ける村長の耳にどこからかそんな声が聞こえた気がした。
◆
さくさく、さくさくと降り積もった雪を踏みしめながら、フィオは歩みを進める。天気は快晴、気候も穏やか、今日は絶好の旅立ち日和だ。既にフリーズ村の景色は見えず、駅までは後半分といったところであった。
周囲に村人の姿はなし、ここならば丁度よいだろう。そう思った彼女は一時歩みを止め、祈る。すると――
『ウム、村人たちと別れは済ませたようであるな』
「――王さま!」
刹那、空よりフワリと影が降り立つ。青き燐光を纏い浮遊しながら現れたそのポケモンは、『豊穣の王』バドレックス。奉ずる神の姿を見た途端、フィオは嬉し気な声を上げて彼の王の許へと走り寄り、跪いて礼を取る。
『数日振りであるな、我が
「はい! 王さまに再び見えるこの日を、フィオは一日千秋の思いで待ちわびておりました!」
『カラ、カラ、カラ……! そうであるか、そうであるか。ウム、ヨもオヌシと再会する時を楽しみにしておったぞ』
「なんと! 王さまもまたわたしと同じお気持ちで!? このフィオ、身に余る光栄でございます!」
奉ずる神と再び見えたことに喜ぶフィオ。そんな彼女の様子を見て、バドレックスもまた顔を綻ばせる。
『ウム、息災そうでなによりであるな。……ところで
と、そこでフィオの姿勢が相変わらず最上の礼を維持したままであることに気が付いたバドレックス。その姿勢のままでは辛いだろうと、彼はフィオに姿勢を解き楽にしてよいと告げる。
「いえいえ、王さまの御前とあらば、最上の礼を以て臨むことが当然。どうして辛いなどと思えましょうか!」
しかし、フィオからの返答は"王の御前にて最上の礼を取るのは当然のこと、辛いなどとは全く思わない"というものであった。そんなフィオの一点の曇りも無い回答にバドレックス若干面喰らう。
『お、おう、そうであるか。――ま、まあ、オヌシの信仰と献身はヨもよーく知っておるし、常に崇拝の意を以て接さんとするその姿勢は好ましいものではある……のだが、そう常に畏まられてしまうとヨとしては少々疲れてしまうである』
バドレックスは言う、四六時中そのような態度では疲れてしまう、と。
『オヌシはヨに仕える
「むむむ……。王さまをお相手にして、"気安く"など畏れ多いことですが……しかし、王さまがおっしゃられるならばそれに従うのが
『ウ、ウム。そうしてくれるとありがたいである』
「はい!」
そう力強く返事をするフィオに、バドレックスは本当に伝わっているのか若干不安になった。彼としては肩肘を張らずもう少し気安く接して欲しいだけなのだが……。当代の
とはいえ、祈りの姿勢を崩し立ち上がったところを見るに最低限意図は伝わったようだ。……恐らく彼女は長年信仰し続けた神と出会ったことで、舞い上がっているのだろう。まあ、これからの旅路でその辺りはおいおい落ち着かせていけばよいか。と、バドレックスはそこまでで考えを切り上げる。
『オッホン。では、落ち着いたところでそろそろ出発するとしよう。――いやはや、
「はい、王さま! 参りましょう!」
バドレックスが最後にカンムリ雪原を離れたのは実に三千年も前のこと。今の人里は一体どうなっていることやらと、バドレックスは少しワクワクした様子で歩み出す。フィオもまた彼に追従するように歩き出し、
「あっ!」
『ムィ!?』
そこであることをハタと思い出し、思わず声を上げた。
そうだ。王さまに再会して舞い上がってしまいすっかり忘れていたが、彼女には王さまと再会した際にやるべきことがあったのだ。
『いきなりどうしたであるか、
「申し訳ありません、王さま! 王さまに一つお願いしなければならないことが……。少々、お待ちください!」
そう言うとフィオは背負っていた大きなリュックサックを降ろし、中身をゴソゴソと漁りだす。
「ええと、確かこの辺りに仕舞っておいた筈……あった!」
リュック内を探すこと少し、彼女が取り出したものは紅白二色のカプセルが組み合わさった手のひら大の球体。それはこの世界において知らぬものはいないであろう、ポケモンを捕獲するための道具――モンスターボールであった。
『ム?
「王さま、こちらはモンスターボールと申しまして、今の世において広く使われているポケモンを小さくして持ち運ぶための道具です」
『なんと!? ポケモンを小さくし持ち運ぶ道具とな!? ――ムム、確かにそのような道具があれば大勢のポケモンを連れていても楽に旅をすることが出来るである……。いやはや、こんなものを自らの手で作りだすとは、人間の力も常に進化しているのであるな』
どんなに大きなポケモンであろうとも手のひら大の大きさまで縮小し、持ち運ぶことが出来るというボールの存在に、人間たちも進化しているのだなと感心するバドレックス。
「はい、その通りでございます、王さま。そして今の世において
『フムフム』
「……それでその、大変恐れ多いことなのですが、今の世の法に於いて王さまはわたしのポケモンとして扱われることとなりまして……。なので、御無礼を承知で、王さまにはこちらのボールに収まっていただきたくお願い申し上げます……」
そう言って、モンスターボールを恐る恐るバドレックスへと差し出すフィオ。自らの信奉する神を窮屈なボールに押し込めるなどとてつもない不敬であるが、ジムチャレンジ出場に当たってボール登録は避けて通れないこと。無礼を承知の上、決死の思いで頼み込む。
『フム、そういうことであるか。――相分かった、
だがそんなフィオの決死の思いに反して、当のバドレックスはあっさりとその頼みを承諾する。
「え……あ、ありがとうございます! ですが、その……そんなにあっさりお受けいただいてしまってよろしいのでしょうか?」
バドレックスが不敬とも言える自らの頼みにあっさりと承諾したことで拍子抜けし、思わずそれでよいのかと問うてしまうフィオ。だがバドレックスはカラ、カラ朗らかに笑い――
『何、
と、自らの
『それにヨは人界より離れて久しい身。今の世についてはオヌシの方がずっと良く知っておる故な』
バドレックスが人の世を離れてから既に幾星霜。今の人界のことなど知りえない以上、自分より良く知っている人物の言うことに従うのは当然であると、そう言った。
「王さま……」
バドレックスから寄せられる全幅の信頼。フィオは嬉しく思うと同時に決意する。このまま胡坐を掻くことなく、寄せられる信頼に応えられるよう精一杯努めていかねば、と。
内心でそんな決意を抱きつつ、フィオはあらためてボールを差し出した。
「それでは王さま、こちらに」
『ウム。……この丸い部分に触れればよいであるか?』
「はい、そちら触れていただければ結構です」
フィオからの返答を聞いたバドレックス。フムと頷いて手を伸ばし、ボールの中央部へと触れた――次の瞬間。
『カムイッ!?』
パシュン、という音と共にモンスターボールが開き、バドレックスの体が内へと吸い込まれる。
「ッ……!」
――ピコン、ピコン……
そしてボールが二、三度左右に揺れた後。
――カチッ!
何かが閉まるような音と共に、捕獲が完了した。
「……ふぅ」
その様子を固唾を呑んで見守っていたフィオは、無事捕獲できたことにホッと息を撫で下ろす。何せ、彼女が持っているボールはこれ一つだけだったのだ。フリーズ村でモンスターボールを手に入れるには、たまに訪れる行商人から購入する他なく*5。さらに需要の少なさからボール自体入荷することは稀で、それも結構な値段となる*6。このボールはそんな中、フィオが乏しい小遣いを貯めて買った特別なボールなのだ。人生で初めて捕まえる特別なポケモンに使おうと大切に保管しておいたのだが……奇しくもそれが捕獲したのは本当に
捕獲が完了したことを確認したフィオは、急いでボールの開閉スイッチを押して中のバドレックスを解放する。いつまでも王さまを狭いボールの中に閉じ込めている訳にはいかなかったからだ。
「王さま! 大丈夫ですか!?」
光に包まれ外に飛び出したバドレックス。最初は驚いた表情を浮かべていたものの、すぐにいつもの顔へと戻る。
『ムイ!? ……おおう、外であるか。いきなり景色が変わったので驚いたである』
「大変申し訳ありません、王さま。その、御気分の方は……?」
『ウム、ボールに触れた途端いきなり暗くなった時は少々驚いたが――慣れれば中々に快適であるな』
「左様でございましたか、ご不快で無いようでしたら何よりです。……普段はボールより出てお過ごしいただいて結構なのですが、どうしてもそれが出来ない場合はこちらに入っていただくことになります。王さまにはご不便をお掛けしますが、なにとぞ……」
『何、気に病む必要は無い。この程度のことお安い御用である。それに"郷に入っては郷に従え"という言葉もある、人の世に入る以上は人の世の理に従うのが当然よ』
そう言って気にするなと言わんばかりにカラ、カラと笑うバドレックス。そんな王の姿に釣られて、フィオも笑み浮かべるのであった。
◆
『では、
一頻り笑い合い、和やかな空気が流れた後、バドレックスはキリと表情を真剣なものに変える。王の雰囲気が変わったことを感じ取り、フィオもまた気を引き締め王の言葉を待つ。
「――はい、王さま」
『あらためて問おう。――我らの旅の目的は何ぞや?』
「はっ! 来るべき「
『然り! ――ならば、如何にして取り戻すか?』
「数多くの民にその力を見せつけ、その御威光を知らしめること!」
『然り! ――では、我が威光を
「並み居る
『然り然り!
「――イエス、マイロード!」
たなびく外套を翻し、『豊穣の王』は歩み
白銀の巫女を供として、黒き災厄を打ち払わんがために。
斯くて道は定まった。
破滅の未来を防ぐため、
己がチカラと信仰を取り戻すため、
『豊穣の王』と巫女の
「あっ、王さま! 大変です、もうすぐ電車が来ちゃいます!」
『ムイッ!?』
ちょっとだけ締まらないのは、ご愛嬌。