私は、自分が人より特別とか凄い能力を持っているとかそういう事を言われてもイマイチぴんとこない。
私にとって、人の顔を覚える事も、他国の言語を覚える事も、円周率を十万桁覚える事も何一つ変わりはしない。
そういう風に設計されたのだから、当たり前だ。
けれど、どうしても理解できない状況というのが私にも存在する。一度でも通った道は忘れるはずがないし、そもそも森の中へと入った記憶はない。
「何処でしょうね……この森は」
見渡す限りに広がる若緑の光景と、それを囁くように真丸のお月様から月光が差す。
夜空に浮かぶ星はあれども、どれも私の膨大な記憶の中にある星座と一致することはない。
まるで誰かによって意図的に造られた世界のようだ。
私こと、宮藤伽宮夜は生まれて初めて"迷子"になってしまった。
◇ ◇ ◇
「だいたいこの辺りだな……よっと!」
薄暗くじめじめとした地へと箒から飛び降りる。
(ったく……。昨日は散々な目に会ったぜ。まさか霊夢までぶっ倒れるとはな)
昨日、久しぶりに幻想郷に住む妖怪たちと博麗神社で宴会を開いた。初めは一人で酒を煽るのが飽きてきた萃香の提案だったため、霊夢も博麗神社を一晩貸す程度の、軽い気持ちで賛成した。
しかし、予想以上に妖怪たちが集まり、思いのほか大人数の宴会場となってしまったのだ。
誰の仕業かは既に分かりきっているけどな。
『文文。新聞』
くしゃりという音を鳴らしながら、そう名前が書かれた新聞を握りしめる。
見出しにはデカデカと『博麗の巫女、遂に妖怪の下に敗れ去る。』とあり、霊夢が空のジョッキを右手に持ち、麻雀卓へと突っ伏している白黒の画像が映し出されている。
平になった霊夢の背には、氷の妖精であるチルノがゲラゲラとした笑い声が聞こえそうなほど、口元を大きく歪ませながら座っている。
実際にはチルノが麻雀をしたわけではないし、ただ霊夢が酔い潰れている姿を見て、調子に乗ってお尻を背中に乗せて大笑いしていただけなのだが、この写真と見出しでは、霊夢がチルノに負けているような絵で、少々苛立たしい気分になる。
(て言っても、霊夢がさとりに負けたのは事実だしな。まさか霊夢が酔い潰れて、普段なら目もくれなような勝負を受けるとはな。私も大概だけど、我が親友ながら霊夢の煽り耐性のなさには呆れるぜっ)
「っと、そんな事してる考えてる場合じゃなかった。さぁて、お目当てのモノはあるかなぁ」
皺ができ、くしゃくしゃの球体になった紙くずを放り投げ、夜の魔法の森を探索する。
二日酔いが酷く、座敷の布団の中から一歩も出ることのできない親友のため、酔いに良く効くキノコを探しにきたのだ。
『あたしの賽銭箱がーっ…今月分のお金がーっ…』と寝具に包まり、独りげにボソボソと呟き泣く霊夢の姿を見て痛々しく感じたのもあるが、ともかくそういうわけで、私はここまでやって来た。
「けど、酔いに良く効くキノコなんて知らないしな……。いつも通り適当に摘んで後で調合するか」
手際良く自生するキノコを摘み取りながら、浮いている箒にかけてある籠へと入れ始める。
(何度か来てるけど、種類が多すぎてやっぱり覚えられねーな。えぇと、この白いぶつぶつしてるのがテング……なんだっけ。まぁ、いいか。取り敢えず持ち帰ろう)
いつもしている事のように、得体の知れないキノコの根にナイフで切れ込みを入れ、素早く刈り取っていく。
しかしその途中で私の耳元に、草木がザッと揺れる音が鳴り、瞬時に常備しているミニ八卦路を片手に構える。
心臓がビクンと飛び跳ねる。
「だ、誰だっ!?」
私の頓狂の声は、静かな魔法の森へと響き渡り、静かに消えていった。
(人も妖怪も滅多に居ないはずだぜ……。アリスなら私が叫ぶ前に現れてくるはずだし、まさか妖精か?)
沈黙の時間が続くが、一向に変化は訪れてこない。
辺りを見回せど、それらしき人の姿が見えなかったので、私はただの風かと安堵して、再びキノコの方へと目線を移そうとした、その刹那。
月光が斜めから差し込み、薄暗い森の中に私以外の一つの人影がほんのりと地面へ映し出される。
「動くと撃つ! ……間違えた。撃つと動くだ。今すぐ動く」
ミニ八卦路を人らしきものが潜む木へと向けながら、そろりそろりと木の裏側が見える辺りまで移動する。
(妖怪か? 人間か? まあ、どっちだっていいさ。弾幕勝負なら受けて立つぜ)
私が覚悟を決めて相手と対峙しようと試みると、思いもよらぬ人物が、徐に木の影から姿を現した。
腰より長い黒髪と、淡く光る紅い瞳、そして誰もが見惚れてしまいそうなほどの美しさを持つ人物……。
「って輝夜じゃねぇか! びっくりさせるなよー、なんでたってこんな所で一人で突っ立ってるんだ?」
そこには、月人である蓬莱山輝夜が私を訝しむように見つめて立っていた。
「永琳はいないのか? というか昨日永遠亭に帰っていっただろ。それにお前、その服……」
輝夜の服はいつも着ている赤を基調とした衣ではなく、薄いグレーのブレザーと膝丈ほどの白いスカートを身に纏っていた。
(おかしい。まるで外来人みたいな服装だ。何やら様子も変だし……)
「それ、テングダケですよ。猛毒です」
「え?」
私の疑心とは裏腹に、輝夜はゆったりとした口調で、籠を指差しながら話しかけてきた。
「他にも、ツキヨタケ、オオワライタケ、クサウラベニタケ、全部毒キノコです。あぁ、これはスギヒラタケですね。急性脳症を発症する可能性があるので、口にしない方が宜しいかと」
「お、おい……」
聞き覚えのある単語ばかりで、私の脳は急速に回転し始める。
(そんな馬鹿なっ!? 輝夜の方が……私よりキノコの知識があるだって!?)
輝夜がこの森へ来ることなんて滅多にないし、仮にあったとしても無数に自生しているキノコを判別出来るなんて、そんな芸当とてもじゃないが信じられない。
それに、私とてキノコと共に過ごし始めて数年以上が経過している。もうキノコのプロフェッショナルと名乗っていてもいい頃合いだ。
(さっき毒キノコを集めてたのは、魔法の研究材料のためだし……決して何のキノコか分からなかった訳じゃないぜ、うん)
「えぇと、えいりーんですか?」
急速回転し始めた脳へに、輝夜の可愛らしく首を傾げた声が聞こえてきた。
私は考えるのをやめて、輝夜の方へと向き直る。
「あれ? なんか伸ばす位置がおかしいぜ。まぁ、いいか。えぇと、そう。永琳は一緒じゃないのか?」
「えいりーんなら……」
(うん。やっぱり伸ばす所がおかしいな。敬語を使ってるのも輝夜っぽくないし……)
輝夜は自身のスカートのポケットに手を入れたり、ブレザーの中へと手を突っ込んだりし始める。
「……どうやら無くしてしまったようです。気に入っていたのですが」
「えぇと、はぐれたって事でいいのか?」
「まぁ、そのような感じですね」
重なり合っていないようなどうにも煮詰まらない会話が続く。
鈍い空気感を変えようと、私は咄嗟に話題をそらした。
「えぇと、そんなにキノコに詳しいならさ。私の薬の調合を手伝ってくれないか。昨日の霊夢を見ただろ、酔いがまだ続いてるらしくて薬を作ってやろうと……って、何してんだよお前」
私の会話を一方的に聞き流すように、輝夜はキノコが入った籠の中に手を入れて、その中から紫と黄が交互に入れ混じったキノコを取り出す。
それを見て、輝夜は驚愕するように目を見開いた。
「なんですか、このキノコ」
それはポカポカダケだった。食べたら身体がポカポカしてくるから、ポカポカダケ。
図鑑には乗っていないが、私が初めて見つけたものなんだから、私が名付けてもいいだろう。
「それはな、ポカポカダケって言うんだ」
「ポカポ……カ……ダケ?」
「そうだ。なんだ輝夜、知らなかったのか?」
キノコ通である輝夜にも知らないキノコが存在し、なおかつそれを私が知っているという状況に優越感を抱く。
「あ、ありえません。私が知らないキノコなんて、あるはずが……!」
「ちっちっち、甘いな輝夜。キノコの道はそんなに平坦な道のりじゃないぜ。鋭く尖った山みたいに、そう妖怪の山のように険しいんだぜ」
悲嘆のあまりに目を見開いたまま、口をパクパクとさせる輝夜の手を引いて、私は箒に跨る。
「まあとにかく人手が欲しかったんだ。私ほどじゃないけどキノコに詳しいらしいし、調合手伝ってくれよ」
踊る心に身を任せて顔をにやけさせ、放心状態の輝夜を背に乗せながら、夜の魔法の森の上を駆け出した。
目指すは我が家、霧雨魔法店!