「――父さん!!」
白いモビルスーツのハッチが閉じられた瞬間、かつて『若』と呼ばれた男は、聞こえるはずのない声を聞いた。
それは今際の際の願望が作り出した幻聴だろうか。おそらくそうなのだろう。彼は……息子は、自分を忘れていた。
無理もない。不倫の果てに生まれた幼い子供を、百年の呪縛の継承者たらしめんとした。そんな人間を父と認識できずとも不思議はない。
ましてこんな、彼にとっては縁もゆかりもないはずの場所で、父親と邂逅するなどと想像できるはずもないだろう。
(わかっている。これは幻聴だ)
万一彼が自分を父親だとわかったとしても、自分に……百年の呪縛と妄執に囚われ、血みどろの道を歩んできたような人間に。
心を通わせられなかった、心を通わせようともしなかった息子からの最後通牒で、臓器を撃ち抜かれるような人間に。
人とよりよくわかりあうというニュータイプの資質など、あろうはずもない。
――だが。それがたとえ、じゅくじゅくと疼く腹の熱に浮かされた幻聴だったとしても、彼にとってそれは救いだった。
息子の命を守るために。息子の望みを叶えるために。その可能性の道筋を照らすために。
己の人生の集大成ともいえる、白い獣を託すことができた。
それは、彼のエゴ以外の何物でもない。息子を地獄への道行きへと引きずり込む、悪魔のような行いだ。
だが、それでも。その行いによって、彼の人生は報われた。途絶えるはずだった道行きは、息子の手によって未来へと引き継がれる。
その上で、もし、息子とほんの僅かでも通じ合うことができたのであれば。
父として、それが喜びでないはずがない。
ああ、まったく度し難い。自分という人間は、どこまでエゴイズムの塊なのか。勝手に産み落とし、身勝手に育てようとして見放され。それでもなお、奇跡にすがって地獄に叩き落としながら、一方的に救ってやったと満足する。
――そういえば、昔。同じようなことがあった。何気ない行いで、彼の人生に呪いをかけた男。
”もしいつか同じようなことが起きたら、その時はあんたが、誰かを守ってやってください”
あの時は、身勝手な行いと憤慨した。一方的に恩義を押しつけ死んでいくなど、呪いをかけるのと違いはない。
だが、その呪いが蜘蛛の糸の逸話のように、彼の生き方に一筋の善性を強いた。あの行いと、あの時出会った『彼女』、そして『彼女』を失ったことが、この世の果てで蠢く魑魅魍魎のひとつでありながら、正しくあらんと欲するわずかな動機となったのだ。
そして原初の呪いによって救われた彼が、今度は呪いによって息子を救う。
(ああ、まったく我ながら、度し難い)
呪いは、息子に引き継がれるだろう。息子もまたいつか、誰かを救おうとするのだろうか。
――するだろう。この手に触れた息子には、そういう母親譲りの自然さと暖かさがあった。
『もう、ひどい人だ、あなたは』
炎の中に、息子によく似た 癖っ毛を踊らせる、懐かしい『彼女』の面影が見えた。
困ったように微笑む、彼がただ一人、心から愛した女性の姿が、見えた、気がした。
(仕方ないだろう――私は――本当に――――)
小さく微笑みすら浮かべた男の瞳は、息子の駆る白い獣が飛翔する様を映して――。
そして、炎によって虚無へと還元された。
▼感応現象
『若』にニュータイプの才能はなく、彼が目にしていたものはすべて、熱に浮かされた彼自身の願望と空想が入り混じった幻覚である。
しかし、ニュータイプの感応現象と呼ばれるものも、その多くは観るものの空想と願望、あるいは苦悩を投影したものである、と思われる。
では、幻覚に意味はないのか? ニュータイプ的なものであろうとなかろうと、共感力で得た情報をもとに紡がれた幻覚に、一片の真実も含まれてはいないのか? そんなことはないだろう、と思いたい。
幻覚であったとしても、それは見るものが感じ取ったものなのだから、それは見るものにとって大切なものを映しているに違いないのだから。
この”ユニコーンの日”を……あるいはアクシズの落ちた日を境に、ニュータイプは相互理解に優れた人間という定義から、時を超越する怪物へと変貌していく。
その歪んだ進化が修正されるまで、どのような物語が存在したのか。今はまだ、その片鱗しか見えない。