黒いモビルスーツ『イフリート・ナハト』が、モノアイでこちらを睥睨した。
相手はジオンの『グフもどき』だ。基本性能はかなり高く、地上用のジオン製モビルスーツの中では最強のシリーズだと聞いている。
相対するはRGM-79、普通のジムだ。以前使っていたH11仕様よりも全体的に鈍い。装備もマシンガンに大型のジムシールドと、際だったところがない。まともにやり合ったら性能差で押し切られるだろう。
勝ち筋を探るとすれば、あちらの装備だろうか。
あちらが何者かは不明だが(『サムライグフ』なんぞを知っていて扱えるということは、ジオン残党のそれなりにマニアックな部署の関係者だろう)、こんな変なマシンに熟達していたとは思えない。『イフリート』という機体がそもそも数が少ないと聞いているし、だとすればあちらも初乗りであると考えるのが妥当だ。
そして……。
『イフリート・ナハト』は、それ以上考える時間を与えてはくれなかった。
腰に付けたクナイを握ったかと思うと、次の瞬間には視界いっぱいを闇色の『イフリート』が埋め尽くしていた。
モノアイが殺意を滾らせて輝き、一瞬躊躇うように動きを止めたかと思うと、クナイを逆手に持って振り下ろす。
「ちぃっ!!」
だが、その動きは読めていた。というか、あちらにそれ以外の手はあり得ないだろうと推測していたが、それが的を射た形だ。『イフリート・ナハト』の加速力が想像以上だったために対応が遅れたが、一瞬躊躇ってくれたおかげでこちらも反応できる。
至近距離で、頭部機銃のトリガーを引いた。狙いは頭部、モノアイのあたり。
『イフリート』の動きが止まった。クナイの勢いが鈍り、そこを盾で打ち据える。あの手の刃物はスピードが乗っていなければ殺傷力がなく、盾をそのまま貫通できる威力もない。そして……。
左手で顔を庇った『イフリート』のコクピットを狙って、マシンガンを乱射する。狙いはいい加減だが、これだけ近ければ外すことはない。マズルフラッシュと着弾の閃光で、視界が白く染まった。
光が収まったとき、『イフリート』は大きく跳躍し、倉庫の奥に退いていた。予想通りの動きだ。
「そりゃ、大事だよな。命賭けて盗みに来た機体を、ぶっ壊す訳にはいかないもんな!!」
こちらの勝ち筋はこれだ。相手はモビルスーツを消費するわけにはいかない。何の目的かは知らないが、あの優男(と断定しておく)は、この高品位モビルスーツを奪い、何かの作戦に使用するつもりであろうと考えられる。なるほど、隠密作戦に優れたニンジャ・モビルスーツであれば、ジオン残党軍が使うにはおあつらえ向きと言えなくもないかも知れない。
しかし、この『イフリート・ナハト』には大きな欠点がある。
どう考えても――武器が補充できない。
以前、興味があって確認したのだ。この『イフリート・ナハト』が持つ専用のカタナは、以前キャリフォルニアベースに盗みに入ったとき、『パン屋』がへし折ったものと同一だ。少なくとも、目で見て違いがわかるものではない。
だとすれば、そうそう補給ができるものではないし、扱いを間違えると一発でへし折れるということでもある。
向こうにしてみれば雑魚同然のジム一機相手に、武器を消費したくはなかろう。しかし、あの機体で他に有効な武器は、腰にぶら下げたクナイしかない。腕の中にガトリング砲があると聞いたが、評価試験前に実包が入っている可能性は低いだろう。
一方、こちらは量産型の素のジムだ。どれだけ消耗しようと持ちこたえればなんとかなる。時間さえ稼げばオデッサの他の基地からの増援も来るだろうし、この基地の防衛部隊には戦車も『ジム』も『ガンタンク』も揃っている。少々の残党軍に壊滅させられることはないはずだ。
個別の性能に差があろうとも、物量に差があるというのはこういうことだ。
――とは、言ったものの。それは軍隊という組織の単位での話であって。
「問題は……どうやって俺が死なずに切り抜けるか、なんだよな」
再び、黒いモビルスーツが疾走した。
※
やはり、『イフリート・ナハト』はカタナを抜かなかった。
先ほどのクナイもそうだが、おそらくまだ自信がないのだろう。クナイやカタナのようなコールド・ブレードは、ヒートソードやビームサーベルと違い、スピードが乗って刃筋が合っていることが切断の大前提となる。
どこまでであれば、刃を壊さずに相手を仕留めることができるのか。それが体に染みて理解できなければ、あんなものを使いこなせるはずがない。そして、あの男は『イフリート・ナハト』に乗り込んでから、まだ五分と経過していない。
機体を信じるには、あまりにも時間が足りなすぎる。
だから、再度の突撃に対してこちらはバックステップして勢いを殺し、腕に固定された盾の後ろでビームサーベルをちらつかせる。これまた、あちらにとっては致命傷となるものだ。コールド・ブレードとビームサーベルが衝突したとき、刃は粒子剣によってどうなってしまうのか。まだ誰も試していないことだが、博打の掛け金に乗せるにはリスクが大きすぎるだろう。
だから、ビームサーベルを警戒して動きが鈍ったレア物に、右手のマシンガンからごく当たり前の100ミリ機銃を叩き込む。狙いはモノアイだ。コクピットの装甲は至近弾ですら貫通に至らなかったが、モノアイはそうもいかない。ナハトは再び左手で顔を庇いながら、サイドステップでこちらの背後に回り込もうと試みる。
――速い。下手をすると、機動力ではRX-78『ガンダム』以上かも知れない。
「くそ、いいもん持ってやがる!」
ジムの噴射機は、背中と足の裏にある。H11仕様ではふくらはぎにも搭載され、これと脚部内の蓄圧ダムがステップの瞬発力を産んでいたのだが、この普及品にはそんないいものはない。そのため、噴射からステップに至るまでの時間が長く、飛距離も小さい。
「アレがありゃ、なんとか動きを合わせるくらいはできたんだろうけどな……!!」
事実として、『イフリート・ナハト』と自分のジムでは、足の速さに倍半分の差がある。ていうか、あのニンジャ、あの足の細さで『スカート付き』まがいのホバリングまでしてないか。そういえば陸戦高機動型の『ザク』にもそういう性能があったと聞いたことがある。
『イフリート・ナハト』の狙いは、この戦域の脱出のはずだ。自分を撃墜することは二の次である。まさか単独でモビルスーツを盗みに来るような奴(階級的にも低く見積もっても大尉とみた)が、そのあたりの判断ができないはずがない。
あのスピードで逃げられたら、自分に追いつく手段はない。奴の戦術目標を考えれば、それがもっとも妥当な動きであろう。
だから――こちらも奴にとってもっとも嫌であろう場所を予測し、ステップを踏む。
黒いモビルスーツが脱出するのに最適なルートを射界に収め、マシンガンで牽制しながらビームサーベルをちらつかせる。これで味方の増援が到着するまで時間を稼げればこちらの勝ち――
という考えは、当然のように甘かった。
進路を塞ぎ、右手のマシンガンで揺さぶりをかけるが、突如モニターから『イフリート・ナハト』が消えた。
「んぐっ!?」
とっさに地面を蹴り、後方に退く。しかし、間に合わない、機体の右腕に衝撃が走り、警報が鳴り響いた。
見れば、ジムの右腕が、関節で綺麗に切り落とされ、マシンガンごと脱落している。
ナハトが、カタナを抜いたのだ。
「ああ、やばいな……柔い所狙える腕前かよ」
軽口が引き攣る。相手を軽く見積りすぎていた。あの『イフリート・ナハト』のパイロットは、不慣れな機体でもカタログスペック上問題ないレベルの斬撃を加え、相手の戦闘力を削ぎ落とす選択と、それを実現できる技量を備えている。
しかも、先ほどの踏み込み。一瞬、機体のセンサーが完全に相手を見失った。赤外線吸収装甲と、更に能動的に赤外線を撹乱する手段を備えているのだろう。ミノフスキー粒子の影響下では、相手と自分の彼我の距離を測るには、赤外線反射による測定とメインカメラの視差を用いるのが基本だ。しかし夜間迷彩によって視差は精度が低下し、かつ赤外線を撹乱されては、間合いを測ることができない。
しかもこの相手、赤外線撹乱をここぞと言うタイミングまで温存していやがった。撹乱されるとわかっていれば対処のしようもあるが、必殺の一撃と同時に披露されては、こちらになす術があろうはずもない。
「センサーのプライオリティを音響に。役に立つかはわからんが……」
音響センサーも、古来より重宝されていた測距技術の一つだ。しかし赤外線や視差に比べて信頼度に劣ることと、宇宙で利用できないためあまりモビルスーツでは重要視されていない。だが、重視されていないからこそ、対策が十分でない可能性がある。
そもそも論、本来目に見える、音波で測れる距離でのステルス性能など、ミノフスキー粒子がなければ重要視する必要もなかったのだ。
さて、こうなれば、ここから先は騙し討ちしかない。先ほどの斬撃の瞬間、安全装置が働いてサーベルが停止したのを確認しつつ、盾を翳して距離を置く。
「あちらさんも、雑魚に粘られて御機嫌斜めだろうからな……引っかかってくれよ!」
▼赤外線欺瞞装置
『イフリート・ナハト』に搭載された、赤外線反射を最小限に抑える、あるいは明後日の方向に散乱させることで、機体の特定を困難にする機能。ノイジー・フェアリー隊に配備された『イフリート・イェーガー』にも同様の機能が搭載されている。
熱源となる廃熱口を閉じ、更に赤外線吸収素材で機体表面をコーティングしていることで、赤外線測距とサーモグラフィに頼りがちなモビルスーツの敵機観測を阻害する。
一時的に廃熱を止めるわけであるから、もちろん長時間使用することはできない。しかし使用している間は、モビルスーツのOSの上ではほぼ消えたように見えるため、最適な間合いでカタナを振るう必要がある『イフリート・ナハト』にとっては必殺と言っていい機能である。
なお、熱を利用して敵機を欺瞞する機能としては、同種のものにサナリィのF91のMEPE現象がある。この機能の場合は剥離した表面コートが機体そのものを模したダミーとして機能するので、コンピュータ上では完全に機体が分身したように見える。