或るパイロットの年代記   作:DOH

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そして いつか どこかで

 男が目覚めたとき、世界は半分になっていた。

 

 原因が、右目ごと顔を覆う包帯によるものだとわかったのは、左手で顔に触れられたからで。

 

 わざわざ左手を使う羽目になったのは、右手がまるで動かない、反応がないからだった。

 

「…………」 

 

 声を出そうとしたが、喉も動かなかった。体のそこここがひどく衰弱しているのがわかった。

 

 まるで、芋虫にでもなったかのようだ。

 

 何とか身を起こして状況を確かめようとしたが、飛び込んできた看護士らしい誰かに押し止められた。

 

 (どうやら、自分は相当ひどいことになっているらしいぞ)と認識したのは、点滴の針が抜けていたことにも気づかず、それを再度刺し直されてもまるで痛みを感じなかったことによってだった。

 

 

 

 

 二日後、無理を言って麻酔を減らさせた。

 

 途端に、男の体は痛みを訴え始めた。顔が抉れ、右腕が千切れたことが、痛みによってようやく実感できた。骨もあちこち折れているようで、動かす度にあらぬところから激痛が走った。

 

 だが、生きていることは確信できた。

 

 そして、生きているからにはできることがあり、やらねばならないことがある。

 

「戦闘は、どうなった」

 

 看護士に、全部を説明する気力がなかったのでそれだけを尋ねた。

 

 看護士は意味が分からなかったようで、困ったように首を傾げて立ち去ってしまった。もう少し言いようがあっただろうかと思いはするが、喉がまだろくに機能しないのだから仕方がない。何しろ、まだ物を嚥下することもままならないのだ。

 

 回答が得られたのは、翌日だった。

 

「簡単に言えば、お前さん達の負けだ。こてんぱんにな」

 

 そう回答したのは医者でもなく看護師でもない、老齢の男性だった。

 

 右手の精巧な義手と、視力補助ゴーグルが特徴的な老人だった。馴染みの老人パイロットと似通った雰囲気を感じたので、同年代か、やや若いくらいだろうか。

 

(そして、爺さんと同じくらいの手練れだ)

 

 物腰から、そう判断した。

 

「誰だ、あんた」

「お前さんの命の恩人だ」

「どうして、俺を助けた?」

「ガンダムに乗ってるようなやつは、何かの意味を持ってやってる。なら、犬死にさせるべきじゃない」

 

 男は刮目した。男は確かにガンダムに乗っていたが、頭は破壊されていたはずだ。あの顔なしで、ガンダムをガンダムと見分けられる人間はほとんどいない。と言うよりも、あの角とツインアイは、連邦に売りつけるフラグシップ機に与える験担ぎのようなものだと、以前S.N.R.I.の技術者から聞いたことがある。

 

 結論として、知らなければそう識別できるものではない。

 

 だが、それについて問い詰める体力はなかった。

 

「今は休んで体力をつけろ。……それから悪いが勝手に右腕にRPDインプラントを付けさせてもらった。苦情は回復してからにしてくれ」

 

 そう言って立ち去った老人の言葉を男が理解したのは、翌日になってから。

 

 どうにか動くようになった肩から先の、軽い方を持ち上げた結果見えた、海賊船長よろしく棒が生えているだけの、己の右腕の有り様ゆえのことだった。

 

 

 

 

「もう起き上がるのか。大した体力だ」

 

 病室から出て隣室の扉を開くと、読書する老人が感嘆の声が出迎えた。

 

「昔から『不死身』の名前を背負うパイロットはいたもんだが、当代はお前さんこそが相応しいかもしれんな」

「やつらは、どうしてる」

 

 与太話を遮り、聞きたいことを聞いた。相変わらず細かい説明をする気力がなかったが、老人は概ね察したようで。

 

「今のところ動きはない。周回軌道上に輸送船が移動しているくらいだ」

「おそらく、そいつにMSが搭載されてる」

「フム……動くとしたら、どのタイミングだと思う?」

「監視衛星網を一気に叩ける瞬間」

「ふん、するともう、明日にも動くな」

 

 突飛な話をしているという自覚はあったのだが、老人は男の話を疑いもせず飲み込んだ。おそらくは、彼自身の予測と大差ない話だったのだろう。

 

「明日、か」

「……当然だが、まだ動けんぞ。今は準備の段階だし、何より」

 

 じろり、とゴーグルの向こうで隻眼が光り、

 

「お前さんが、壊れている」

 

 その視線が、男の右腕を示した。

 

「休め。そんなになってまで戦う必要はない。お前の役割は終わったんだ」

 

 労いの言葉だと、理解はしていた。

 

 しかし、男にとってその言葉は、不思議なくらいに重苦しく、臓腑の奥底に蟠った。

 

 

 

 

 翌日。体力は、歩くのに大きな支障がないくらいまで回復した。

 

 病棟の中を歩き回る余裕ができたので、リハビリがてら散歩してみる。

 

「これは、S.N.R.I.の附属病院か」

 

 自分で歩き回って気がついた。地上のどこのものかは判然としないが、建物のあちこちにS.N.R.I.のエンブレムが見て取れる。

 

(なら、工廠も近くにあるのでは?)

 

 ガンダムの状況を確認したかった。案内板を眺めると、どうやらこの病棟から数キロ離れた場所に工場区画があるらしい。ガンダムがあるとしたら、そこだろうか。

 

 もし見に行くなら、足が必要だ。どうすれば借りられるだろうか――と考えたところで、男は足を止めた。

 

(行ってどうなるというんだ?)

 

 自分の腕を見下ろす。海賊船長よろしく無造作に生えた棒が、右の二の腕あたりから伸びている。

 

 男の立場を考えれば、なんとも皮肉な有様である。

 

 顔は抉れ、腕は千切れ、全身の痛みも途切れることはない。痛みは誤魔化すことができるし、顔の傷は開かなければ戦闘に支障はないだろう。

 

 ――しかし、失われた腕だけは。

 

「……役割は終わった、か」

 

 屋上に上がり、空を見上げてぼやいた。

 

 そうかもしれない、と思った。戦うべき理由はまだ続いているが、男は自分が生きている間に全ての戦いの決着がつくなどと期待しているわけでもない。

 

 幸い、後継者には目処が付いている。まだまだ子供だが、男の代わりにガンダムを操れる程度には腕利きである。何より数々の逆境をはね除けて生き延びるバイタリティと、正しさを嗅ぎつける勘働きは、あれこそが『新しき者(ニュータイプ)』と呼ばれるべきものに思える――本人は嫌がりそうであるが。

 

 だから、ここで終わってしまってもいい。『彼女』に最後までついていくつもりではいたが、戦えなくなればその限りでもないだろう。

 

 『彼女』の夢――小さなパン屋を開くというささやかな望みに寄り添う約束も。

 

 何しろ、もう、パンを捏ねる腕がないのだ。

 

(いや、そもそもだ)

 

 正義の戦いのつもりで、多くの命を奪ってきた。多くの命を見送ってきた。あの陽気な友人が、嘘のように動かなくなったのを皮切りに。何年も、何年も、戦い続けてきた。

 

 いつか悪夢から覚める日が来ると信じて、期待していた。「全部冗談だったのだ」と、あの陽気な友人が死んだふりから起き上がり、一緒に全部笑い飛ばすような、未来が。

 

 ――来るわけないと、わかっていた。手に取る資格もないと、わかっていた。

 

 こんなにも血塗られた手で、命の糧に触れる資格など。

 

(相応の報いだったのかもしれないな)

 

 無愛想な棒を見て、嗤った。

 

 その時――。

 

「何か面白いことでもあったか?」

 

 義手の老人が、やってきた。

 

 

 

 

「探したぞ。よもやガンダムを奪いに行ったんじゃないかってな」

 

 老人は端末からどこかに連絡しつつ、男の隣に腰を下ろした。視線に気づいたのか、端末を振って「捜索願いの取り消しだよ」と笑う。

 

「それで、何の用です」

「ああ、その腕のソレに繋ぐ義手を持ってきた」

 

 義手の右腕で、箱の中の義手を見せつけてきた。

 

「リユース・サイコ・デバイス型の義手だ。慣れれば卵だって摘まんで運べるぞ」

 

 そう言って、自分の義手をわきわきと動かして見せる。手にした新品(?)の義手と同系の旧機種らしく、男向けに用意してきたものより無骨に見えた。

 

「卵、か」

 

 また、男は押し黙る。卵を運ぶと言えばマニピュレータの精度の高さを測る指標のひとつだが、男にとっては別の意味をも併せ持っていた。

 

 命の種であり、命の糧でもあるもの。それに触れるには、彼の腕は血にまみれ過ぎたし――。

 

「パンは捏ねられるかい?」

 

 それでも、女々しくも、そんな問いがこぼれ落ちた。

 

「パン……? んー、ダメそうな理由はいくつか思いつくが。何だ、本職はパン屋か?」

「いや、そういうわけじゃ……引退後の夢、というところかな」

「パイロットは引退したらパン屋をやりたくなるモンなのかね。わかった、後で技師に聞いておいてやるよ」

 

 「それはさておき腕を出せ」と促され、男は右腕を差し出した。

 

 二の腕あたりから生える棒……RPDインプラントのコネクタに、新品らしい義手を装着する。脳裏にチリッとする違和感が駆け抜けたと思うと、にわかに右腕の先が痒くなってきた。

 

「……これが幻肢痛(ファントム・ペイン)って奴か?」

「いんや、サイコミュ義手のマッチングエラーだ。待ってな、このくらいなら俺でも調整できる」

 

 どっかと腰を下ろして端末を繋ぎ、老人は何やら作業を始めた。男も電子機械にはそれなりに詳しく、おそらく自分でやった方が手早く終わりそうな気配は感じたものの、黙って老人の世話になることを選んだ。

 

 何しろ、当の右腕が満足に動かないのであるから。

 

 かわりに、雑談で邪魔をすることにした。

 

「あんたは暇なのか?」

「有り体に言うとそうだ。普通の仕事は全部若いのに取られてるし、今は宇宙から堕ちてくる間抜けもいないからな」

 

 間抜け扱いは、暇人呼ばわりの意趣返しであろう。

 

「仕事?」

「専ら海に落ちる哀れな遭難者を拾ってやるお仕事さ。国境なき救助隊ってな」

 

 なるほど。普段から救難活動をしているとなれば、男を拾い上げることもあるだろう。

 

 現在の地球連邦は勢力を衰えさせているが、その顕著な現れがインフラの衰弱だ。特に地球上においては「そもそも人間は特別区以外に居住していない」という建前ゆえに。

 

 つまりは、道路や上下水道の整備に医療の提供、警察機能などだ。ゴミの処理なども当然行われない。

 

 そんな環境下で、ジャンク屋や救助隊を名乗る便利屋は重宝されるだろう。S.N.R.I.の病院内に平気で出入りでき、高価な義肢が用意できるのも納得できる。

 

 だがその一方で――義手と義眼、半身に散りばめられた火傷と裂傷が、老人がただの救助隊ではないことを示している。

 

 かつて、どんな形であれ戦いの場に身を置いていた――戦士であったことを。

 

 視線で思考を察したのか、老人は自ら来歴を明かした。

 

「俺はこう見えて、最初のモビルスーツパイロットの生き残りでな」

「というと、ジオンの?」

「いや、連邦の方だ。第十一機械化混成部隊ってあってな」

「ああ、モビルスーツ名勝負十選の常連の、蒼い稲妻がいたっていう? 青いガンダムと二刀流のイフリートの対決は子供の頃に見たことがある」

「……最近はそんなことになってるのか? いや、俺もあの顛末は又聞きでしか知らないんだが」

 

 渋い顔をする老人は、その蒼い稲妻とも顔見知りのようだった。

 

「俺ほど長くモビルスーツパイロットをやってた奴は、もうほとんど残ってないだろう。そんな中で俺がなんでずっとパイロットやってられたのかと振り返ると、自分と、誰かを助けられる仕事をしたかったから……としか言いようがなかった」

 

 そんな曖昧な理由だが、そんな理由だからこそ、生涯続けられたのだと。

 

 そういうものだろうか。そういうものかもしれない。

 

 人類の半数が死に至らしめられたという、かの絶滅戦争。その中での「人を生かす」という行いには、今とは比べものにならないほど尊い価値があっただろう。

 

 しかし、だからこそ。その価値観に引きずられて生きていくのは、決して楽なものではなかっただろう、とも思った。

 

 戦うことで誰かを生かすということは、生かす命の選別を行っているということだ。

 

 多くの命を救うことが正しい。味方の命を救うのが正しい。生き延びられる命を救うのが正しい。

 

 ――そのために、自分と仲間の命を擲つことになったとしても。

 

「だが、人助けのつもりでも、すくいきれないものは幾つもあった。手段が暴力である限りは、どうしてもそうなる。そこを目を塞いだ結果、大を助けるつもりでとんでもない間違いを犯してしまった」

 

 自分の義手をじっと見つめる。その言葉は、そこにいない誰かに向けているように見えた。

 

「その時はそれしかないと思ったんだけどな」

 

 言い訳がましくぼやいて、笑った。

 

「間違えないよう気をつけろ、と?」

「そうできりゃそれに越したことはない。だがな。実際には、行動にはいつだって反作用と後悔が付きまとう。所詮人間のやることだし、よかれと思っても後になって意味が反転するのも珍しいことじゃない」

 

 獣と人の善が異なるように。人を襲う獣を駆逐せんとした者が、獣が滅びゆくに至りその振る舞いが変わるように。

 

 意味と価値は不変でなく、後悔がなくなることもない。

 

「なら、せめてやりたいことを貫いて、胸を張って後悔したいじゃないか」

 

 思わず男は噴き出して、肋骨の痛みに顔をしかめた。

 

「ん、悪い、ツボに入ったか」

「いや……しかし、胸を張って後悔、って」

「笑えるだろうが、結局それが俺の手に入れた哲学なんだよ」

 

 冗談めかして他人の腕を振る。その振る舞いから、言葉とは裏腹に老人は「胸を張ることができなかった」のであろうと、何となくわかった。

 

「どんなにしくじったとしても、どんなに罪深かったとしても、やり遂げたことがあれば、誇りを持って罰を受けられる。そういう話さ」

 

 まあ、俺は中途半端だったから、こうして愚痴愚痴と人助けをして誤魔化してるんだけどな、と老人は笑った。

 

 しかしその呵々とした笑顔の皺の奥に、いかなる罪と後悔が刻まれているのか。

 

「――お前は、やり遂げたかい?」

 

 その問いは、老人の皺に刻まれた後悔が発しているようだった。

 

「俺は……」

 

 瞑目する。

 

「まだ、やり遂げていない」

 

 それだけは、確かだった。

 

 確かに、生きている間に成し遂げられるとは限らない。正直、うまく行かない公算の方が高いだろう。

 

 だが、それは足を止める理由には、ならない。

 

 そして、もしやり遂げるつもりなら。

 

 今、立ち上がるしかない。今を逃せば、二度とあの場所に帰れない、顔向けができなくなる。

 

 そして何よりも、男は。

 

「彼女の隣に、いたいんだ」

 

 空を見上げて、望みを唱えたのだ。

 

 

 

 

 翌日。

 

 連邦の監視衛星網が、一斉に破壊された。

 

 それに伴い、地球上のあちこちで破壊活動が行われ、連邦軍はその機動力の全てを削ぎ落とされた。

 

 これに対抗し得る勢力は、元より外敵の――木星開発公社より発展し国家を名乗るに至った自称『木星帝国』――の地球侵攻に備えて活動していた『クロスボーン・バンガード(C.V)』とその支援勢力しかなく。

 

 先の掃討戦で散り散りとなったC.Vは、その残存勢力を集結し、再編しつつあった。

 

 そして、男はその海賊勢力の斬り込み隊長であり。

 

 傷ついた身体を省みることもなく、再び戦いに赴かんとしていた。

 

 男が今から向かう場所には、おそらく『敵』のエース部隊がいる。

 

 『彼女』たちがいるからだ。どんな巡り合わせか、彼らと彼らと仇なす者の最重要人物が、その場所に集まっている。

 

 『彼女』らの居場所は、男が意識を取り戻す前に把握されていた。それでも放置されていたのは、部隊を動かすには状況が整っておらず、不用意に保護を試みても敵を引き寄せるだけだと判断されたためだった。

 

 だが、事が動き出せば、そうも言っていられなくなる。敵が『彼女』らを確保に動くのは当然であり、そして。

 

 ――迎撃に動いて間に合い、敵のエースにあらがい得るのは、ガンダムをおいて他にはなかったのである。

 

「よくも、直したものだ」

 

 ガンダムを見上げると、男の喉から呆れ半分の声が漏れた。

 

 男が負傷した戦いからまだ二週間ほどしか経過していない。しかも、男のガンダムは頭部やコクピットハッチを喪失しており、部品を新造するにはとうてい時間が足りなかっただろう。

 

「フリントの部品はそれなりにあったからな。あんた、いいとこに落ちてきたよ」

 

 整備担当の技術者の男が、ガンダムの頭部ハッチを弄りながら語る。S.N.R.I.の社員のようで、男よりひと回り年上に見える技術者だ。

 

 フリントというのは、このガンダムの量産機らしい。ガンダムを作ったら(うまくいくかはさておき)量産化を試みるのは伝統ではある。

 

(そう言えば、こないだ戦った蒼い奴もガンダムの量産機か)

 

 今となってはもはや懐かしい機体の複製品は、なかなかどうして敵に回すと恐ろしいものだった。かつてあれを乗り回していた頃の男はただの勘の良い素人でしかなかったが、だからこそ相対した敵パイロットには同情するところもある。

 

「まあ、いいさ。お陰でまだ戦える。頼むぜ相棒」

 

 そうして見上げるガンダムが、唐突に『笑った』。

 

「うわっ……」

「ははは、放熱機構の試験はOKだな」

 

 仕掛け人のガンダムの担当技術者が、ガンダムの頭の陰から顔を出し、悪戯っぽく笑った。端末を見せびらかしながら画面を叩く度に、ガンダムのフェイスマスクが小気味良く開閉する。

 

「驚かせないでくれ、肋骨に響く」

「悪いな。だがこのくらいでガタピシ言ってるようじゃ、やめた方がいいんじゃないか? 何だったら俺が代わりに行ってやってもいいんだぜ。S.N.R.I.のガンダムなら乗り慣れてるからな」

 

 謝罪しながらも悪びれず、技術者は自らの胸とガンダムのヘルメットをコンコンと叩いた。何者なのか知らないが、ガンダムをほとんど一人で整備しているあたり、少なくとも機体に関する知識は本物なのだろう。

 

 だが。

 

「悪いが、譲る気はない」

 

 このガンダムのシートは、自分のものだ。それは男にとって義務であり、命を賭ける価値のある権利でもあった。

 

 技術者がきょとんとして、続いて深々と溜息を吐き出した。

 

「そうかい。まあ無理……はするだろうな。怪我……もどうせ開くし、ああもう!」

 

 閉じるハッチに苛立ちをまとめて叩きつけて、整備士は男に詰め寄る。どこか脳裏に焼き付く青い瞳が、男を真っ直ぐに見据えた。

 

「いいか! 折角のガンダムなんだ、死ぬなよ! 絶対生きて帰れ!」

 

 指を突きつけてまくし立て、整備士は男に資料を押しつけた。改修されたガンダムの仕様書である。

 

 ついでに引き渡しの傍ら、欠損した部位を修復するにあたってより実戦向きな装備(いくつか「実験用をこれ幸いに詰め込んではいないか?」というものが含まれていたが)に換装していた旨を、早口でざっと解説された。

 

 ステルス兼対ビームコートマントも全身分が用意され、装備だけで言うなら今までで最高の状態と言える。

 

「ありがとう、助かる」

「俺達のガンダムだ、当然だってぇの。だからこそきちんと持って帰れよな!」

 

 整備士がごつん、と拳で男の胸を叩く。痛いんだが、という男の抗議を背中で受け流して、整備士はそのまま立ち去った。

 

「おい、俺のフリントと、あと『大佐』の野郎どこ行った! ペンギンが来てるなら、いるんだろ!?」

 

 そんな罵声だけが、ハンガーに響いて聞こえてくる。

 

 男はひとつ、呆れを多分にブレンドしたため息を吐き出して、呼びかけた。

 

「――で、ご老人。何隠れん坊してるんだ?」

「ばれたか。さすがいい勘してるな」

 

 果たして、呼びかけに肩をひとつ震わせて、物陰からにじみ出るように義手の老人が姿を現した。

 

 

 

 

 整備士は気づいていなかったようだが、男は老人が、ガンダムが笑ったあたりから隠れているのを察していた。

 

「いやあ、あの若造とは顔を合わせづらくてな。いつか殴られてやると約束したんだが、この老体じゃそいつでポックリ逝きかねん」

 

 が、姿を見せている時は、無骨な視力補正ゴーグル越しにも人柄が滲み出る好々爺である。

 

「『大佐』というのは?」

「連邦の階級じゃないって言えばだいたいわかるだろう?」

「なるほど……」

 

 確か連邦のMS部隊にいたと言っていたはずだが、なんとも複雑な経歴の人物である。

 

(だが、それを言えば俺もだ)

 

 学生からそのまま海賊に転身した身で、他人の経歴をとやかく言える筋合いもない。

 

「それで、要件は?」

「ことさら何かある訳じゃないんだが、見送りのひとつもするつもりでね。義手の調子も気になったし」

「なるほど、感謝する。まあ、痒くはないしそれなりには動く――」

 

 言葉を証明すべく義手の右手で頭を掻こうとして、ごつんと指先を強打してしまった。顔には傷があるので、正直響いてかなり痛い。

 

「――つぅ、やっぱりうまく動かないな」

 

 指を動かそうとして痙攣する義手に顔をしかめ、男はぼやいた。操作ができるだけマシだが、緻密な反応は期待できそうもない。

 

「そいつは俺のと同じ教育型コンピュータ内臓のやつだからな。使い込めばどんな動きにも対応するんだが……」

 

 老人は少し考え込んだが、やがて自らの義手を取り外すと、男に投げ寄越した。

 

「これは?」

「代わりに使え。十年物だが、俺の操縦経験が詰まってる」

 

 教育型コンピュータを内蔵した義肢は、それ自体が脳波を受け取り、装着者の期待する動きを判断する。その動きの精度はサンプル数が多ければ多いほど高まり、つまり年季の入った義肢ほど安定して動作するということになる。

 

 だがそれは、老人から長年の相棒を奪うことに他ならず。

 

「いいのか?」

「やり遂げたとき、返しに来い。その時は、バターの香りの染み付いた特製のやつをくれてやる」

「バター?」

「技師に聞いてきた。調理器具向けに、機械油の代わりにバターオイルを使うやり方があるんだとよ。関節のシールドもきちんとすれば、パンを捏ねるくらい何とかなるそうだ」

 

 虚を突かれ、腑に落ちるのに時間がかかった。

 

 つまり、老人はこう言いたいのだ。

 

 ――「生きて帰って、パンを焼け」と。

 

「――――そうか」

 

 口元が、久々に笑みを形作った。

 

 ならば。

 

 やり遂げなくてはなるまい。男が目指す場所が、『彼女』の隣であるからには。

 

 新品の腕を取り外し、かわりに老人の腕を装着した。

 

「どうだ?」

「人差し指の斜め左あたりが痒い」

「我慢しろ、調整してる時間はない」

「わかっているさ」

 

 調整不足が故だろうが、このくらいの痒みはどうというほどでもない。指を動かしてみれば、びっくりするほど滑らかに男の意思に追従した。

 

「――大したものだ。こんなに違うのか」

「そうだろう? ――ふふ」

 

 視力補正ゴーグルの向こうで、隻眼が細められた。

 

「何か面白いのか?」

「ああ、昔を思い出したのさ。同じようなことが、あったんだ」

 

 その遠い視線は、遙かな過去の思い出に向けられたもので、若造である男にはにわかに聞くのも憚られることであったし。

 

「少しは返せた――いや、繋げられたのかね」

 

 老人の呟きを、けたたましいサイレンとS.N.R.I.の整備士達の怒号が覆い隠した。

 

「X-1、出撃準備完了!」

「木星軍デスゲイルズの降下を確認、プリンセスポイントに移動を開始!」

 

 ――立ち止まっていられる時間は、もう終わっていた。

 

「行ってくる」

 

 できる限り素っ気なく息を吐き出し、男はガンダムに足を向け、背中越しに右手を振った。

 

 

 そして、黒衣のガンダムが空を舞った。

 

 

 

 ――宇宙世紀0135年。

 

 後に木星戦役と呼ばれる、公には史上初めての地球外惑星国家組織による侵攻の、最終幕の始まりのことだった。

 




▼青いガンダムと二刀流のイフリートの対決

 モビルスーツ名勝負十選のようなメディア企画では、しばしばその時点の映像技術を駆使した再現映像が作られる。そしてその再現映像は時代や選者の採用した資料によって装備や機体、状況が異なることも多く、特に蒼い稲妻などと呼ばれる第十一機械化混成部隊のパイロットの戦闘は、情報が錯綜していることもあって様々なバージョンが存在する。
 UC0135時点でのもっとも新しい資料では、RX-80BD-1と呼ばれる機体を使用していることとなっている。RX-80の派生機にガンダムフェイス型が多いこともあって、ガンダム顔の蒼い機体として解釈される映像もあったようだ。

 なお、同様にバリエーションの多い勝負にRX-93とMSN-04の対決があり、永らくRX-93ν2とMSN-04IIの対決が決定版と言われていたが、近年の番組でロングレンジ・フィンファンネルやダブルホーン・ファンネルを搭載したバージョンの対決が作られ人気を博している。

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