女が窮屈そうに被っていたヘルメットを脱ぐと、三つ編みにされた黒髪が宙を踊った。
「ふう、寒かった。何かあったかいもの、ない?」
そして、人なつっこい笑顔を浮かべた面差しが現れた。二十歳を過ぎたくらいであろうに東洋人の系譜にありがちな幼さと、どことない気品を併せ持っている。派手さはないが、そばに居てほっとする種類の美人というやつだ。
『山猫』と呼ばれる彼女は、現地の協力者……有り体に言えばジオンに潜入している内通者だった。食料の搬入を名目にキャリフォルニアベースに潜入し、基地内の情報を連邦に流している。戦争にはありがちな、食い詰めた民間人の行き着く果て、とも言える――彼女に関しては、”そういう仕事をしている“気配は不思議と感じなかったが。
「どうぞ、ボトルのレモネードですが」
「ありがとう。冬といっても南部なのに、冷えるわね」
「コロニー落としで舞い上がった粉塵がまだ滞留してますからね。爆風の影響も含めて、来年の収穫は厳しいことになるでしょう」
湯気を上げるカップを呷り、『山猫』は『優等生』と世間話を交わす。第四小隊の面々はもちろん、ホバートラックの支援部隊を含め、『山猫』は概ね全員から好意を向けられていた。流石に『パン屋』ほど助平根性丸出しの人間は、そういなかったが。
「帰還したならば、報告をして貰わなければ困るのだがね」
「あら、ミスタ・ジョンソン」
おそらく唯一の例外がこのジョンソン……ホバートラックから姿を見せて早速嫌味を吐いた、この仏頂面のブルーカラーだろう。
彼は、この作戦のオブザーバーとして派遣された人物だった。大手機器メーカーの人間という曖昧な立場しか知らされていない。まともに名乗るとまずいことでもあるのか、ジョンソンといういかにもな偽名を名乗っており、側近の護衛らしい男の呼び方から『若』と渾名を付けられている。(もちろん『パン屋』の仕業だ)
年齢としては四十歳過ぎくらいだろうが、立ち姿からも意志力が溢れだし、眼力のみならず眉毛の太さにまで及んでいる。どこから見ても軍人ではないが、一方で修羅場を潜った回数は自分よりも上かもしれない、と感じさせるオーラを纏っていた。
「ごめんなさい、すぐに顔を出すつもりだったのだけど、声が震えちゃいそうだから。これを飲み終わるまで待ってくれません?」
悪びれた様子もなく微笑みを返す『山猫』に、『若』はやや諦めたように息を吐き出した。不満はあるようだが、それでも一服の時間を邪魔しない程度には度量があるらしい。
『山猫』がレモネードを飲み干すまでのわずかな時間、奇妙な沈黙が場を閉ざした。
その場の誰もが穏やかな空気に割り込む野暮も、無駄に話しかけて『若』の不興を買う蛮勇も持ち合わせず、ただカップから漂う白い湯気の行方を見守るだけのひととき。
ただカップを両手に包んでいるだけだというのに、戦地にほっとした空気をもたらしている。それは『山猫』の天性の才覚と言わざるを得まい。
『山猫』がカップを空にして、ほうっと口元に白く霞を吐き出したのを見届けて――その目元にどことなく名残惜しさを感じたのは気のせいだろうか? ともあれ、『若』は口を開いた。
「それでは、聞かせてもらおう。――ジオンの『ビルダー』の状態は?」
それが、自分達がこの奇妙なジャブローの勅命で、火事場泥棒を働こうとしている目標の名前だった。
*
そもそもからして、それは奇妙な任務だった。
「諸君の任務は、キャリフォルニアベースにあるジオンの特殊工作機械『ビルダー』の奪取だ」
そう言ってH11の指揮官である『ハゲネズミ』によるブリーフィングが行われた時、自分達は『若』と引き合わされた。
H11はジャブロー直轄の実験部隊であるため、特殊性の高いミッションを与えられることが多い。第一小隊などは、最近まで『死神狩り』をさせられていたという噂も聞いている。どういう意味なのか、自分は詳しいことを知らされてはいないが。
特殊性が高いというのは、例えばザク泥棒なども含む。まだRX-79も出来上がっていなかった頃は、鹵獲ザクを用いて夜間にジオンの基地に潜入し、追加のザクを乗り逃げするなども日常茶飯事だった。
なので、火事場泥棒にはそこまで抵抗もなかったし、戦争するには必要なことだともわかってはいたが。
……それにしても、工作機械の強奪とは。
「ジオンの『ビルダー』は今後の産業を左右するかも知れないほどの重要なものだ。最低でもデータ、可能ならサーバー、さらには工場施設まで確保できるものなら確保したい」
その『若』のオーダーを聞けば、彼が軍ではない――おそらくはジャブローのモグラ族と結びつきの強い企業の人間であるということは想像がついた。
インターネットなどがそうであるように、軍事技術が民生に転用され、経済の起爆剤となった例は枚挙にいとまがない。特にジオンが秀でる技術……例えばミノフスキー粒子にまつわる様々な新技術は、(通信に関しては利便性を致命的に損なうようだが)小型核融合炉やミノフスキー・クラフト、フィールド・モーターなど、戦後の世界を一変させる可能性を秘めている。
これをいち早く確保し独占すれば、戦後の地球圏の経済を……ひいては地球圏そのものを牛耳ることができる可能性すら秘めている。大博打を打つに足る局面では、あるだろう。
つまるところ自分達は、政治家と癒着している企業の私的な工作に駆り出されているということだ。そこに思うところがないではなかったが、そもそも軍人である自分たちに作戦への拒否権があるわけでもない。
そもそも、H11は通常部隊に組み入れるには少々癖が強い。独立して補給線の攻撃や攪乱をする方が向いているだろう。宇宙に兵器や物資、人員を脱出させるHLVの足を止められるなら、宇宙で戦っている連邦軍に対する援護にもなる――例えばI13(Independent Team 13)……かのアムロ・レイのいる、第十三独立部隊への。
そう考えれば、モグラと金持ちの悪巧みの片棒を担がされる状況にも、我慢もできなくはない。まして、依頼するだけ依頼して基地に引きこもっているかと思われた『若』が、実際には護衛一人だけを連れてホバートラックに乗り込んできたのである。
そして本来の指揮官の『ハゲネズミ』が不在のところ、事実上の指揮官のように振る舞って見せた(そして明らかに『ハゲネズミ』より優秀だった)のだから、前線の兵士としては文句を言う道理もない。
かくして、クライアントを含めた自分たちH11第四小隊は、途中で情報屋の『山猫』と合流した後、本隊を囮にキャリフォルニアベースの裏手へと回り込んだのである。
そして、現在に至る。
*
「……基地の様子はこんな感じ。さっき言った通り、『ビルダー』は何かを作ってるみたいだったわ。さすがに八百屋の名義じゃ、引っ越しまで三日かかるってスタッフが愚痴ってたのを聞くのが精一杯だったわね」
「いや、ドナドナが三日後とわかりゃ十分だろ。さっすが『山猫』ちゃんだぜ」
ホバートラック前で行われたブリーフィングの『山猫』の報告に、『パン屋』が快哉を上げた。確かに、本日中には決着がつくと言われる攻略作戦であるから、それだけ余丁があってなお問題が起きている場合など、考えたくもない。
「『ビルダー』の形状や規模については何かわかりますか?」
『山猫』が説明した『ビルダー』の所在地をタブレットにメモしながら、『優等生』が質問する。確かに形状が変わっている、偽装されているなども考えられない話ではない。
「サーバーは見た感じ、さしわたし10メートルくらいあるラグビーボールみたいな感じだったわね。横にジオンマークが大きく書いてあるから一目でわかるわよ」
「なんでここぞというときにそういうセンスが飛び出すんだ、ジオン星人は……」
『パン屋』がぼやいた。彼の脳内には、あの前衛的極まる公国公邸などが思い浮かんでいるのだろう。兵士たちの間では、来るべきサイド3での決戦において、あの公邸が巨大要塞の艦橋になる説、巨大モビルスーツに変形する説、最終兵器ジオン砲の砲身になる説などが甲乙つけ難いまま飛び交っている。来月までには真相が明らかになるだろうか。なっているといいのだが。
「……概ね、引き出せる情報はこれが限度か。小隊長、どうする?」
『了解、それでは作戦は予定時刻に開始の見通しで待機だ。『山猫』、お疲れ様』
与太に心を奪われている間に、話は一段落していた。『若』の問いかけに、通信機がノイズまみれで『山猫』を労う。自分も聞き馴染んだ、第四小隊の指揮官の声だ。本隊との通信を中継するために、予定していたリレーポイントのどこかから通信をしているはずである。
「ありがとう。これで私のお仕事はおしまいよね?」
「そうなる。ここまでの協力に感謝する」
相変わらずの仏頂面で、『若』が頷いた。
護衛に目配せすると、護衛の強面がトランクケースを差し出した。おそらくあの中に報酬の現金が入っているのだろう。企業と軍の癒着に加え、スパイ行為という後ろ暗い仕事の報酬だから、振込などは避けたいというところだろうか。
「ここまでは順調だったが、ここからジオンにスパイが発覚しないとも限らない。数日は町で大人しく身を隠していることをお勧めする」
「心配ありがとう。意外と優しいのね、ミスタ・ジョンソン。でも大丈夫よ。ここまでバレずに済んでるんだから――」
それは、まさにフラグという奴だったのかもしれない。
『山猫』がにこやかに笑ってケースを掲げて見せた瞬間。
空から降ってきた爆弾が、自分達に、『山猫』が尾行されていた事を知らしめたのだ。