『地下鉄』への通路は、見たことのないくらいの人混みで埋め尽くされていた。
もちろん、コロニーのことであるから、『地下』ではなく『外壁』を走る鉄道である。そして彼らの行き先は、鉄道そのものではなく、その要所要所に設置された避難艇だった。
コロニーには、非常時に備えて居住者を脱出させる避難艇の設置が義務づけられている。そしてその避難艇へのアクセスが、『地下鉄』と兼用になっているのだ。
だから、女学生は他の人々に倣い、『地下鉄』に並ぶ行列に加わった。順当に行けば、順次避難艇に乗り移ることができるはずである。
(うまくいってれば、だけど)
自治体職員である母親の愚痴を思い出す。このコロニーは建造されてから大きな災厄もないまま七十年が経過しており、所有権や借地権も曖昧なまま利用されている区画が多い。
使われた試しのない避難経路などはその最たるもので、「まともに検査したら、半分くらいは使い物にならないんじゃないかしら」というのが、わかっていても対応できない行政側の観測である。
そして、それを裏付けるような、警察の会話が聞こえてきた。
「なんで列が進まないんだよ!」
「違法営業のラーメン屋のガス管が避難口を塞いでるらしい」
「はぁ!? なんで取締ってないんだよ」
「半世紀前に引き継いだ時から今のまんまだったんだと。経営者、違法店だってことすら知らなかったらしい」
「せめてガス止められないのかよ!」
「どこから供給されてるのかもわからんから、今追跡してるんだと」
「――間に合うのかよ」
「――間に合うといいんだがな」
案の定だった。この調子では、他の場所でも似たような話になっていることだろう。どこならば整然と避難できているのか、その情報を仕入れようにも、スマホは回線がパンクしているのか、通信系アプリのほとんどが反応していない。
――はずだったのだが、唐突にスマホが鳴った。
周囲の視線が集まる。女学生は曖昧な笑顔で誤魔化しながら、スマホを取り出した。見れば、メッセージアプリに着信している。
〈今どこ?〉
発信者は、自治体職員の母親だった。
〈新開発区の行列〉
〈避難できそう?〉
すこし迷う。状況は芳しくないが、しかしそれで自治体職員が何かできるかといえば――。
〈多分大丈夫〉
そう、返答した。求めることも心配をかけることも無駄だとわかるから、そこにコストをかける意味はない。
〈そう〉
〈お母さんのことは心配しないで〉
〈うまく避難しなさい〉
言うだけなら簡単だ――そんな煮沸する反発を飲み込む。
〈わかった〉
話を打ち切るつもりで、それだけの返答と、クラゲのスタンプを押した。
そして、数分。また、着信が届いた。
〈ごめんね〉
それだけの、一言。
脈絡のない、唐突な謝罪。何を謝っているのか。どういう意図なのか。確認しようにも、女学生から送るメッセージは、回線不良で発信できない。
(なんで私からは送れないんだ……!?)
何度か繰り返して、諦めた。
ただ、繰り返すうちに、何となくわかった。
これは、何かの断絶を、別れを告げる言葉であると。
(見捨てられた? それとも、諦められた?)
ざわざわと、背筋が疼く。足元から自分自身が崩れ落ちるような不安感。何か間違えたのか。このくらいの振る舞いで、関係が揺らぐことなどなかったのに。
(――いい。そんなことより、今は)
頭を振って焦燥を振り払った。
冷や汗で張り付くシャツの不快感を押し殺し、考える。このまま行列に並んでいて、無事に避難できるのに賭けるのは、あまり分がよいとは思えない。
(でも、それなら他に手は?)
唸る。避難艇はどこも満杯の可能性が高い。今から並び直しても、船に乗れなければ余所に行くことになる。すると、並び直しという選択肢は有効ではない。
では、他の手段は? 避難艇は他にはないか? いや、そもそも避難艇にこだわるべきではない。例えば母親は、政府機関の船に乗り込む可能性が高い。
他に船があるなら、それに飛び込めば良いのだ。
(だとしたら、宇宙港?)
狙いは、個人用の宇宙ヨットなどだ。最悪、ジャンク屋のランチでもいい。
とすれば、今すぐに動かなければ。一秒たりとも無駄にはできない――
――と、意を決して顔を上げた少女の目の前を。
車椅子が、駆け抜けた。
「――え?」
三秒ほど時間を浪費してから、視線で追いかけた。
エレカタイプの公道自走車椅子に見えた。格納された補助脚で階段も上がれる優れものだ。
ホビーロボットの『ハロ』の『顔』部分を取り外し、キャノピーにしたような形だが、そのキャノピーの中には、初老くらいの男性が座っていた。
……というより、『設置されている』という方が近いだろうか? いやに小さい体躯は、下半分がないのではないかと思える。
しかし仮に半身のみの身体であったとしても、彼が操る車椅子は何ひとつとして問題などないように、無人の――乗り捨てられた車が散らばる車道を爆走していた。
そして、その後を追って、少年が息を切らせて駆け込んできた。
「待て、待てって! おい、ジョン爺さ……げほっ!!」
呼吸が整わないままに大声を張り上げたせいか、咳き込んでうずくまる。
さすがに見て見ぬ振りをするのも気が引けた。
「あの、大丈夫、です?」
「だ、い、じょ…げほっげほっ」
気持ちだけは気丈だったが、体は正直なようだった。小さくため息をついて、バッグから飲料水を取り出す。飲みかけではあったが、我慢してもらうし、我慢することにする。
「はい、飲めます?」
「あ、ありがとう……助かった」
施されれば、少年は素直だった。
礼は求めないが、説明は求める。言外にその意図を込めて少年を見つめた。この少年なら、おそらくそれだけで意図を汲み取るだろうというのが、感じられた。
「僕は新開発区のジャンク屋でバイトしてるんだけど、さっきの車椅子の爺さんがオーナーでさ」
果たして少年は、ばつが悪そうに頭を掻いて、女学生の視線に促されるように話し始めた。
「あの爺さん、自分の船で出るって聞かなくて。あの車椅子、違法改造されてるし本人軽いからメチャクチャ速くてさ……」
「……確かに」
思い起こす。あの速度は尋常ではなかった。
そして、思い至る。
『自分の船』
『違法改造』
『関係者の少年』
これだけのカードが揃えば、できる『役』もある。
「あなた、名前は?」
聞いてから、先に自分が名乗る。すると少年ははっとした顔になってから、苦笑いした。
「なんか似た名前だな」
「そうだね」
少年に名乗られて、女学生も同意した。名字の雰囲気が近いし、名前のイニシャルも同じだ。何かの縁故があるのかも知れないが、少なくとも親戚筋にこんな同じ世代の少年がいるとは聞いていない。おそらくは偶然だろう。
だから、偶然に乗っかった。
「似た名前のよしみだし、手伝ってあげる」
返答は待たなかった。一気に畳みかけないといけない。そういう押しに対する弱さのようなものを感じたからだったが、これは女学生の直感力というよりは、女であればだいたい分かる話だったかもしれない。
周囲を見回し、使えるものを探す。そして狙いのものを見つけた少女は、人の悪い笑顔で少年に問うたのである。
「ハンドル握るのと、私の腰に掴まるの、どっちがいい?」
少年は覿面にうろたえた。
■ごめんね
女学生が知る由もなかったが、自治体職員はこの時点で志願者を残して避難を開始しており、母親は責任者として殿を努める覚悟を決めていた。
回線が使用できたのは、指揮管制用に優先的に割り振られたものを使用した結果であり、自治体職員の特権濫用によるものではある。
現場には誰一人として、死地に残った彼女のささやかな我が儘を責めるものはいなかったが。
■コロニー都市ガス
宇宙都市で可燃性のガスを使うのは正気の沙汰ではない、と思われがちだが、コロニークラスの規模ではさほど問題視されないし、使われているのは水素系の合成可燃ガスである。燃料だけでは二酸化炭素は発しない。