サイド6、バウアー施療院。
戦中までは、難民や戦傷の治療に力を尽くす、ただの民間医療機関であった。
しかし、戦後に突如莫大な技術パテントを登録、きわめて先進的かつ実用的なその技術は、戦傷で苦しむ人々に希望をもたらし、結果莫大な収益をあげた。
その資金をもとに、医療技術を中心とした技術開発支援を掲げる『バウアー財団』を立ち上げた――という曰く付きの施療院である。
その分院のひとつが、サイド6コロニー群のひとつ、リボーにあった。
急速に新技術を導入して拡大した関係で、施設はことごとくが新しく、従業員も若い。末端の看護士まで若く、しかしそれが数合わせにありがちなだらけた空気を纏わず、きちんとした訓練を受けていることが伺える物腰なのは、院の教育制度と何より報酬が豊かなのだろうと伺える。
(そんなところに目がいくのは、私が管理職として板に付いてきたということかな)
バウアー施療院を訪れた男は、そんなことを考えながら、施療院の自動扉をくぐった。
通路で、見覚えのある美人で若い看護士に出くわし、会釈する。
「あら、フーバーさん、いつもお疲れさまです」
そう呼ばれて、一瞬戸惑った。自分の名前だと認識できなかったためだ。偽名を名乗ってもう数年になるが、いくら何でも「foo bar」は適当が過ぎたかも知れない。
そんな惑いを、笑顔で誤魔化した。
「ああ、あいつが目覚めたと聞いたのだけどね」
「ええ、今朝目が覚めて、今は010号室です」
「ありがとう」
背中越しに手を振って、010号室に向かう。
スライドドアが開くと、ベッドの上で見知ったような見知らぬような顔が、憮然として顎を撫でていた。
見知らぬように感じたのは、その顔を覆っていた髭がそっくり剃り落とされていたためである。
そのような顔を見たのは、終戦直後以来だった。そのときはまだ顔が安定しておらず、歪な表情にとてつもない違和感を纏っていたのを覚えている。
それもこれも、元の顔がわからないような負傷のせいである。整形医療でどうにか体裁を整えたが、元の顔とどの程度同じなのかはもはや誰にもわからない。
本人の記憶も消し飛んでいるとなれば、なおさらだ。
「おはよう。さっぱりしたな、色男?」
ベッドの上の『顎髭』改め『色男』は、あからさまに憮然とした顔で会釈を返した。
「お陰様で、折角の髭がつるっつるですよ」
「顎が割れてたんだから仕方がない。傷が残らなかっただけ感謝しておくことだな」
「そこはありがたいことですがね……」
言葉の割に不満を湛えた表情からして、よほど顎髭を気に入っていたのだろうと思えた。
「正直に言わせて貰えば、お前は髭がない方が似合うと思うがね」
「むぅ……」
渋面で唸る『色男』を横目に寝台の側に椅子を出して、腰掛けた。
「それで、また記憶が飛んだって?」
それが、男がわざわざ見舞いにやってきた理由だった。後見人として、これだけは確認しておかなくてはならない。
「ええ、こう、『少尉』と一緒にGMで隕石迎撃に出たあたりまでは覚えてるんですがね」
額を押さえる。包帯を巻かれたそこの傷によって、戦闘の経緯などはすっかり頭から抜け落ちてしまったらしい。
男が把握している範囲では、ルナツーのプロジェクトZAMのチームは、ジオン残党の部隊を制圧後、GMクゥエル四機構成のティターンズ部隊と交戦になり、これを全て撃退せしめたという。
ルナツー側の記録が消去されているらしく、詳しい経緯は明らかになっていない。ティターンズも情報公開を拒否しているため、おそらくティターンズの手回しだろうと思われる。
だからこそ、当事者に確認する必要があったのだが。
「まあ、俺は素GM、あいつは試作機のZAMでしたから、あいつが落として回ったと考えるのが自然だと思いますがね」
それは、上の人間の感想と同じだった。そもそも、本来技量では埋め尽くせないのが数と性能の差である。技量だけで新型機四機を蹴散らせるなら、新型機を作る意味がない。
だが、男の直感はそうではないと告げていた。
それをやってのけたのは、目の前のやたら顎の綺麗な男なのだと。
そうであって欲しいという希望的観測が少なからず入り混じったものではあったが――。
「ウェイラインさん、検診です」
「おう……っと、邪魔だな。少し休憩所にでも出ているよ」
不意に背中から呼ばれて、思わず返事をしてしまった。もはやそれは男の名前ではなく、目の前の患者のものだ。
適当に誤魔化して、休憩所に足を向ける。少し考えを纏める時間が欲しかった。
それに。
「……すみません、ウェイライン氏の後見人の方ッスね?」
さっきからこっそりこちらを伺っていた男が、接触してくる隙を作る意味合いも、あった。
※
「どちら様かな?」
「プロジェクトZAMのチーフエンジニアをやってた者ッス」
そう名乗った男は、廃棄印の刻まれた軍の身分証を差し出してきた。なるほど、確かにルナツー所属の技術士官とある。プロジェクトZAMなどという名前を把握している段階で、少なくとも大嘘をついているわけではないだろう。その意味が無さすぎる。
だが、問題は。
「その元『技師』殿がどのような御用かな?」
「ウェイライン氏の行方を追ってきたッス。ほんとは、ZAMのパイロットの方を期待してたんスけど……」
なるほど、当事者が二人とも行方不明になっている状況であるから、とりあえず急患で担ぎ込まれた『色男』の様子を見に来たということなのだろう。
しかしことが起きてまだ数日、よくもこの短時間でリボーのバウアー施療院まで特定して見せたものである。エンジニアよりは、諜報員の方が向いているのではなかろうか。
「なるほど、それはアイツに代わって感謝しよう。まだ検診中のはずだから、後で顔出ししていくといい……」
「そうさせて貰うッスけど、まずはアンタッス」
そう言って、『技師』は懐に手を突っ込んだ。
ぴくり、と男の肩が震えた。あと半呼吸あれば、男は『技師』の腕をねじり上げていただろう。
『技師』がデータチップを取り出して見せなければ、そうしていた。
「……これは?」
「ウェイライン氏の、
それを差し出し、男の目を見据える。その振る舞いで、男は『技師』の意図するところを理解した。
「……実は諜報部所属とか言わないかね?」
「単なる技術オタクッス。ルナツーのデータは削除済み、GMとシャクルズからも消すよう指示してたんで、残ってるのはZAMとクゥエルん中と、これだけッス」
少し迷って、差し出されたチップを受け取る。
意図は理解した。データを消したのも、男にとって好都合だ。意味が分かる人間はごく僅かであろうが、わかる人間が『技師』のように追跡してきたら、厄介なことになるところではあった。
だがそうなると、都合が良すぎる。
「どういうつもり……」
「……彼は、『本人』ッスか?」
その問いで、腑に落ちた。
「なるほどね」
どうやら『技師』は、『同好の志』らしい。
消えた幻獣を、追い求める者達の。
だとすれば、言葉を交わす意味はそれほどもなく。
「こいつで、六割くらいかな」
それだけ交わして、『技師』とはそれきりになった。