宇宙世紀0085年。
試作機ZAMを喪失し、ティターンズに対し意図せずながら牙を剥く結果となった『不倫男』は、『栄転』する事となった。
ティターンズの開発拠点である、『グリーン・ノア』にて、新型機開発の責任者に就任したのである。
しかし、ティターンズ自身の新型機開発は、主導権を握るバスク・オムの意向により、性能よりも心理的、政治的な意味合いが強いものだった。
ザクのリバースエンジニアリング機である『ハイザック』の主力運用などは、その最たるものである。性能面では「カタログスペックは高いが運用に難がある」とされ、安定性ではGMII の方がよほど優れている機体であるが。
そんなものを重用するのは、彼らがジオン及びスペースノイドへの心理的圧力をこそ重視していることの証左であった。
そんな職場で、『不倫男』に与えられた職務は。
「『ガンダム』を、作れ」
そのような内容だった。
しかも、新機軸の機構は原則導入せず、見ただけで『ガンダム』であるとわかる機体が求められた。
『ガンダム』であることこそが重要であり、性能は二の次であるという態度が明らかであった。
それはつまり、最先端を目指す『不倫男』に、「テム・レイのデッドコピーを作れ」と命じているに他ならず。
ティターンズの権勢に飲み込まれた『不倫男』に、その命令に抗う力など、あるはずもなかった。
※
その日は、彼と妻の結婚記念日であり。
プロジェクトZAMの完全な解体と、ガンダム開発計画への転属日でもあった。
『不倫男』の勤務地は『グリーン・ノア』に移転し、必然的に移住を強いられた。
ルナツーに買った自宅から、家族総出での引っ越しである。
息子と妻は、方針が決まった段階で一足先に移住した。もっとも妻も『不倫男』自身も仕事の虫であるから、妻も帰宅は稀、彼自身にいたってはまだ自宅を見たことがない有り様であった。
息子自身は、隣家の家族に世話になりつつ、親が不在の自由を謳歌しているようであったが。
(――そんなことより)
目の前のモニターに意識を戻す。そこには、RX-84の最終データが表示されていた。
最後に収集したテレメトリによれば、ZAMはその中枢ドラムフレームの電磁ブレーキが破損し、その衝撃で制御不能になったようだった。早い話、関節が緩んで姿勢の固定ができなくなったのである。
「ぎっくり腰とはお粗末なことだな」
とは、競合機(次世代の主力と目される可変機)開発スタッフの揶揄であった。
「……もっと強靭な素材があれば!!」
無数の対策を施していたが、使われなければどうにもならない。そして、起こした事故は取り返しがつかない。
コマンドを呼び出す。『全削除』の確認ダイアログが画面に現れる。
あとは、ENTERを押すだけで、彼の夢、彼の栄光となるはずだったマシンが消滅する。
――携帯端末が、鳴った。
妻からのメールだった。
「結婚記念日でもあるし、家に帰って来て欲しい、話したいことがある」
妻らしい、簡潔な内容だった。
(なにを今更だ――)
もう、妻の顔を一年以上見ていない。引っ越しの連絡もすべてメール越しだ。
夢のためにかなぐり捨ててきたものに、背中から追いすがられている気分だった。
すべての夢は砕け散った。今更合わせる顔などありはしない。
『不倫男』は、妻のメールを削除し、そして。
その勢いで、RX-84計画のすべてを、削除した。
そして、『不倫男』を『不倫男』たらしめる女にメールを送った。
今夜は、若い肉体に溺れたい気分だった。
※
女の端末が、鳴った。
上司の前でも鳴るように設定されているのは、その相手との連絡が、彼女の『業務』に関わる事だからである。
「フランクリン・ビダンかね」
ベッドの上にトドの類のように横たわった上司が問う。さんざん聞かせているだけに、上司にはどの着信音がどの男のものなのかまで把握されている。
否、把握されているのは相手だけではない。
「また、睦事の誘いか」
内容まで、すべてが検閲されている。
甘言、愚痴、艶事の趣向まで。
「そのようです。今日は結婚記念日だったと記憶していますが」
身体から情事の跡を拭いながら、答える。
女は仕事柄、相手の個人情報を事細かに把握している。家族構成と年齢、各種記念日などはすべて。本人も知らない家族、友人関係の現状まで。
結婚記念日に情女を誘うとは、救いようのない『不倫男』と言える。
「まあ、精々優しくしてやるがいい。プロジェクトはもう、TR班に全て移行した」
自分はもう満足したとばかりに大の字になる。
『不倫男』のプロジェクトのデータは、全てが上司――ゴーグルの男の派閥に取り込まれた。軍閥政治を目指す彼の派閥にとって、惑星間侵攻作戦まで視野に入った『不倫男』のプロジェクトの価値は大きい。
『不倫男』本人の価値を超えて。
「飼い主の手を噛んだ犬には仕置きが必要だろう」
上司はそう言って、楽しげに裸の胸を揺らした。
この男は、雄としても武官としても一級品だが、いかんせん私情を優先し過ぎるし、悪趣味が過ぎる。
そして、これからその愚犬に抱かれにゆく女としては、面白くはない。
その悪趣味から生まれる恨み辛みを受け止めるのは女自身であったのだから。
だが一方で、自らの行いで幾人もの男が破滅していく様を眺めるのは、女としても至極背徳的な悦びであり。
その意味において、上司と女はほぼほぼ同類と言えた。
※
グリーン・ノアコロニー、住宅街。
ミラーの調整で作られたコロニーの宵闇を、少年は歩いていた。
端正で繊細な面もちながら、カラテで鍛えられた体躯を持つ彼は、『不倫男』の息子である。
次の通りの角を曲がった先にある真新しい一軒家が、少年の住処だった。
部活動に熱中した上、嫌らしく絡んでくるクラスメート(などと親しげな呼称で呼びたくもないが)をあしらっている間に、すっかり日が暮れてしまった。コロニー内の日没は一律に決まっているので、これは単純に少年の放蕩が故であった。
少年が角を曲がろうとしたとき、ちょうど入れ替わりで、見覚えのあるエレカが右折してきた。
(あれは、お袋の?)
滅多に帰ることはなかったが、このグリーン・ノアに引っ越してから新調したエレカのはずだった。母一人で選択した車で、買い出しの際にまるで荷物が積み込めなくて辟易した記憶がある。
(荷物でも取りに戻ったのかな)
宵闇に埋もれていたとはいえ、息子の顔くらい気づいても良さそうなものだが、少年の母はそういう人間である。
父に劣らず仕事の虫である母は、父親に引きずられながらもグリーン・ノアで研究に明け暮れていた。家事の真似事をすることもろくになく、帰宅することすら週の半分に満たない。
素材系の仕事と聞いているが、少年の興味を惹くにはいささか地味すぎたし、その結果、少年の母親そのものへの興味も希薄化するに至ったのである。
どちらかと言えば、母親と言われてイメージするのは隣家の母親であり、ついでにその愛娘であった。
(夕食は、おばさんの作り置きがあったな)
外食できる程度の小遣いはあるが、わずかでも趣味に回したいのが今の少年の境遇である。
彼は、プチモビルスーツの学生対抗競技に参加していた。
モビルスーツの普及が戦中、プチモビへの発展が翌年であり、まだまだ新しいジャンルである。
新しいという事は、未開拓であり、研究の余地が大きいということでもある。
故に、学生競技といっても、企業の提供する、軍事機密を除いた技術や部品、ソフトウェアを使用したバラックを競わせているのが現状だ。
しかし、昨年の優勝校はアナハイム・エレクトロニクスの強いバックアップを受けており、そのままでは彼の学校に勝ち目はなかった。
勝ち目は、なかったから。
(これは当然の権利と努力だ)
そう自らに唱えながら、少年は自宅のドアを潜った。
目指すは、未だ主の訪れたことのない父の書斎である。
荷解きをして、書斎を書斎の体裁に整えたのは少年の仕事である。その当然の対価として、少年は父の仕事道具のパスワードを一通り把握していた。
少年には動機と、倫理観の未成熟と、軍事機密が無造作に転がっている自宅という状況が備わっていたから、当然のようにこれを盗み出していたのである。
その成果が、革新的なプチモビの制御系と、本戦への出場であった。
その事実はとうの昔にゴーグルの武官に把握され、必要なときに『不倫男』の首を跳ねる材料としてストックされていたのだが。
良くも悪くも純朴な少年が、そのような汚れた大人の仕組みに気が回ろうはずもなかった。
ともあれ、父の書斎に忍び込んだ少年は、先客が出入りしていた痕跡を見つけた。
机の上が、不自然に整頓されている。
部屋の中に残る強めの香水は、母のものであろうと思えた。
(そう言えば、今日は結婚記念日だったか)
だから、母は父を待っていたのかも知れない。残った香りの強さからして、結構な時間を待っていたようにも思える。
だが、結婚記念日くらいであの父が帰宅するとも思えないし。
子供の顔も見ずに消えた母親も、概ね同罪である。
失望のため息をひとつだけ吐き出し、少年は父のパソコンにパスワードを……まさに両親の結婚記念日を入力し、必要なデータの検索を開始した。
少年は、それきり母に興味を失ったから、ゴミ箱の中にへし折られたデータチップが入っていることに気がつかなかったし。
その上に、『ガンダリウムγによる筐体の予測強度』と題された書類が真っ二つに引き裂かれ突っ込まれているなど、想像もつかなかった。
※
宇宙世紀0087――。
(どうしてこうなった!?)
A.U.E.G.の新型モビルスーツ『リック・ディアス』を走らせながら、『不倫男』はもはや幾度目かもわからない自問を唱えた。
『リック・ディアス』は彼の求めたモビルスーツそのものだった。厳密には、それに使用されているガンダリウムγが、である。
だから、所詮ガンダムのデッドコピーに過ぎない(ただし、近代化と最適化について一切手は抜いていない)ガンダムMk-IIなどとは違う、本物の次世代MSの素材足り得るマシンだった。
だが、必要なのは素材の精製手段であり、完成品を持ち出したところでさほどの意味はない。
それがわかっていても、『不倫男』はその赤いマシンを盗み出すしかなかった。
もはや錯乱していたと言って良い。
(どうしてこうなった!?)
自問をもうひとつ、重ねる。
崩壊の始まりは、ガンダムMk-IIがA.U.E.G.に奪われた事からだった。
機体の情報収集に来ただけのはずのA.U.E.G.の部隊が、行きがけの駄賃に機体ごと持ち出したのである。
それだけなら、まだ良かった。
最悪だったのは、その機体を奪ってA.U.E.G.に流したのが、『不倫男』の息子だったということだ。
挙げ句、そのままガンダムを乗りこなし、A.U.E.G.のパイロットとして戦闘に参加する始末である。
当然、『不倫男』にはダース単位で疑惑が降り注いだ。技術漏洩に横領、虚偽報告。いったいどうやって調べ上げたのか、過去の息子のプチモビ競技会における軍用技術盗用の疑惑まで引っ張り出されてきた。
そして、疑惑に矢衾にされている間にも、状況は進行する。
白く塗られてA.U.E.G.の象徴機のような体裁を見せつけ始めたガンダムMk-IIは、『不倫男』の自負を嫌と言うほど証明して見せた。
ティターンズを含めた連邦軍の、エリートと言えるはずの部隊をあしらい、撃退せしめたのである。
新機軸が盛り込まれていなかろうと、完成度そのものは極めて高いマシンに仕上げた自負はあったし、テム・レイのガンダムを相手にしても、勝率九割以上をキープできる確信もあった。
果たして、新たな白いガンダムを駆る少年は、瞬く間に「アムロ・レイの再来」などと呼ばれることになったのである。
すべては、『不倫男』の目論見通りとも言えた。
――息子がテロリストに参加し、父親に敵対するに至ったという、ただひとつの致命傷を除いて!!
「何やってるんだよ、親父!!」
通信越しに、罵声が飛び込む。
この狂乱の元凶とも言えるドラ息子が、ガンダムで追いすがってくる。
(私が聞きたいくらいだ!!)
『不倫男』は悲鳴を上げた。理性では、この行いに何の意味もないことを理解している。
しかし、動かずにいられなかった。
心のブレーキは、あの瞬間に壊れていた。
彼の前に息子が現れ、「お袋が死んだ」と告げたその瞬間。
振り返った彼が見た、ゴーグルの武官の嫌らしい笑いと、「清算ができて良かったのではないかね」という台詞。
息子からの軽蔑の視線と、頭を揺らす事実が、『不倫男』の心に決定的な亀裂を刻んだ。
妻を憎んでいたわけでなく、疎んでいたわけでもない。いつか来る栄光のために一時の不義理を働くことは、少なくとも当初は了解の上の事だったのだ。
だが、年月を重ねるにつれ、妻の顔を真っ直ぐ見ることができなくなっていたのも、紛れもない事実で。
いつか、彼が求める場所にたどり着いたとき、土下座をしてでも不義理の清算を果たすつもりであったのだ。
その身勝手な展望が打ち砕かれた。
罪を購う機会は、永遠に失われた。
そして、己の身勝手を糾弾するように。
彼の、不本意ながら生み出した白いガンダムと、ネグレクトの果てに憤激に燃える息子が、追いすがってくる。
「父親に銃を向けるのか!!」
それは、息子に向けてか、ガンダムに向けてのものだったか。
どちらであれ、錯乱した男に、もはや戻る場所も正すべき道もなく。
正気を失ったまま乱射するリック・ディアスのビームは、息子とガンダムにかすりもせず。
(どうしてこうなった!? どうしてこうなった!? どうしてこうなった!?)
頭の中に響く言葉は、ただその一言ばかり。
――そこで見放して放逐すれば、『不倫男』はティターンズであれ、連邦であれ、A.U.E.G.であれ、いずれにしても全ての栄光を剥奪された上で投獄、あるいは銃殺されたことだろう。
それは、『不倫男』の正気は理解していたし。
不幸にも、息子もそれを察していた。
そして、息子は。
手を下さないという選択は、あったはずなのに。
照準を、コクピットのあるリック・ディアスの頭部に定めて。
そして。
(どうしてこうなった!? どうしてこうなった!? どうしてこうなった!? どうしてこうなった!? どうしてこうなった!? どうしてこうなった!? ど
ガンダムの光が貫いて、父の憎悪と悔恨を御破算にした。
彼の息子は、不義に囲まれてなお、優しすぎた。
■昨年の優勝校
アナハイム高等技術専門学校。未来においてジオン工科大学を凌駕する名門となる、サイド7のインダストリアル・セブンに開校された、新しい学校である。
『不倫男』の息子が参戦した後、90年代に至るまでグリーン・ウォーター校との対決を激化させ、その対決は全系で人気のイベントとなった。
そしてその対決に参戦することを目的にアナハイム高専に入学した少年が、何の因果か連邦軍のネェル・アーガマ部隊に参加することとなり、伝説的な寄せ集め装備のフルアーマーユニコーンガンダムを組み立てることになるのだが、それは無関係な縁の物語である。
■改修したプチモビ
その年、少年が改修したプチモビは、準決勝まで勝ち進む快進撃を見せつけた。
しかし、決勝戦前に施した修正で股関節部の可変機構が暴走してフレームが破損し、不戦敗となった。
翌年、リベンジとばかりに強化したフレームを繰り出した結果、少年の学校は競技会で優勝を成し遂げ、その際の記念写真が公式記録にも残されている。
■親の不在を謳歌
両親は息子に生活費、遊興費については申し分ない程度に与えていたが、女性俳優に所以する名前と繊細なルックスにより、息子が陰湿ないじめの対象になっていることには、完全に無頓着であった。
■開発番号の再編
生産拠点、プラン、用途によって細かい差異がありつつ、大半をRGM-79でまとめていたツケの精算である。
基本的には生産拠点をベースにナンバリングされたが、例によってゴーグルのティターンズのごり押しによって、「新しいガンダムがRX-178を得られる」ように採番ルールを調整された。
■起こした事故は取り返しがつかない
これは根本的にテストパイロット運がなかったとも言える。
『少尉』はその後も無数の機体を乱暴な操縦で破壊せしめており、『破壊魔』などと揶揄されることになる。
彼が搭乗して破損した機体は、わかっているだけでもザニー、GM、ZAM、ネモ、ジムIII、ジェガン、重装型グフ、アンクシャ、ギャプラン、マーズ・バーザム、MSZ-006PM、F90IIなどが列挙できる。