ナンバ・オスカー少将が血涙による失血と脳血管の圧迫による貧血で倒れ、意識朦朧としている間にも着々と悪魔のような行いが始まろうとしている。
後にエイティシックスと呼ばれることになる有色種に銃を突き付けるのは、肌色・毛色・瞳孔と虹彩の色の大部分が白系統の色で占められている白系種の兵たちである。
「白金種の人たちが見えないっすね」
他の有色種とともに移送用のトラックに乗り、訝しげな表情を浮かべて外を見回す青年は白系種でありながら人口6万人に届かない、いわゆる少数派である深雪種という人種の生まれ。
名を【フェルベール・ウィディット】と言う。
「バル……あんたも物好きだな。86区に着いたらお前、こいつらに酷い目に遭わされるのも分かりきってるのに」
「……あの、俺が言ったこと分かってます?」
フェルベールの言葉にはさも興味がないとばかりに無関係な話題を切り出すでっぷりと太った中年の男。
フェルベールと同じく白系種の少数派、薄灰種のフェルディナンド・ティログマである。
「分かっているとも。誇り高い白金種が、哀れな被差別者である俺たちを見送りにさえ来ないことがおかしい……だろ?」
フェルディナンドは例え興味のない話題であろうとも聞き流すことは絶対にない。むしろ一度聞いたこと、見たことはまず忘れないし、なんなら出生直前の記憶さえもはっきりと覚えているほどに記憶能力が発達している。
「はい。白金種の国外脱出希望者は全人口の内99%近いはずなので、非軍属の人たちだけを最前線に追い出す……なんて……こと……は…………」
フェルベールがここまで言ったところであたかも溶けたアイスクリームのようにボタボタと冷や汗を流しながら、さながら立て付けの悪い扉のようにぎこちない動きで後ろを振り向く。
張り付いたような引きつりで象られた笑顔の彼の視線の先には、凄まじいほどにどす黒い気配を放ちながら自身を睨む有色種たちの姿があった。
「「「「「……………………」」」」」
無言の怒気から産まれる雰囲気は憎悪と言うよりは憤怒、憤怒と言うよりは苛立ち。どうやら白系種が自分たちの話をしているというのがこの上なく気に入らないらしい。
「分かったよ!分かりましたよ!黙ってろと言いたいんでしょう!?これ以上は何も言いませんから!黙ってますから!」
フェルベールはこう答えるしかない自分を恥じた。
時間は進み、数時間後。第4区の地下に設えられた地下建造物。
『あのバカ共には付き合いきれへん。糞や。人間やなくなっとるさかい』
軍総司令部の病室から掛けられている電話を挟み、ナンバ少将の声が真っ暗な地下室に響く。電話機に繋がれたスピーカーに、軍人だけが装備を許される軍服や戦闘服に身を包む白金種の共和国軍将兵たち、そしてこっそり職務を抜け出した議員たちが注目している。
『あの糞幕僚どもは口減らしとか抜かしよった。口減らししたけりゃちゃっちゃか徴兵せいや全く…………』
末端の兵の何人かが爪で掌から血が出るほどに拳を強く握り、将校たちは歯を食い縛っている。
「……過去の遺恨を棄てて共に歩もうという盟約は結局破られた……戦争において嘘と騙し討ちは常套手段だから当然だが」
誰かが呟く。
「もはや、この国に残る市民は人間ではない。生物ですらない。少なからず人間が居たとして、心が壊れるのも時間の問題だ」
また、誰かが言った。
『せやから、もうこの国を見捨てる他ないわ』
ナンバの言葉が地下室の将兵の耳に入り込む。
「まぁ…………まだ時間はある。この国への希望と期待を捨てず、共和国という畑の野菜として残るか。この土地を離れず誇りと信念を守り通すために86区民に成り下がるか……はたまた国を捨てて遊牧民になるか……」
全ての選択は同胞である白金種に委ねられる。政治や立法、軍事に関わる自分たちが強要する資格はない。
『ということは、例の嘆願は?』
ナンバは議員として活動する白金種の女性に尋ねた。問われた女性は力なく顔を横に振り、ナンバに偽りなく答える。
「結局─────」
────私たちが発した声は、愚かな同胞たちの耳に届くことはなかったわ────