星暦2139年の2月半ば。大統領令6609号、通称[有色種強制排斥令]が発令されてからちょうど半月が経過した。非白系種の86区への追放がほぼ完了し、ギアーデ帝国が開発し大陸全土にばらまいた自律型無人機動兵器、レギオンとの本格的な戦闘が始まるのもこの時期からである。
こうなれば多くの人間から怨みを買うのは当然だが、無論サンマグノリア共和国上層部も何の武装や訓練も無しに捨て駒である被差別民を前線に送り込むほど馬鹿な訳ではない。それでも被差別民に武器を持たせるということは反乱時のリスクが非常に大きいからには、反乱を起こし難くする処置をとるのは当然のことである。
「…………もう、あの住み慣れた街には戻れないんだな」
86区西方に作られた第071強制収容所にある収容棟の一室で、徐々に完成しつつある万里の長城を眺めながら日光種と極東黒種の混血、【チャコール・ストーヴ】が呟いた。
彼の癖のある長い赤毛は、沈みつつある赤い夕日の光を反射してきらきらと輝いているように感じられる。
「コール!手伝ってよ!またアボルが暴れて手に負えないんだ!いや今回はキールが悪いけど!」
チャコールが窓際の椅子に座ってうつらうつらとしていると、黄色い髪と瞳を持つ金穀種、【アインツェン・イースティ】がばたんと部屋の扉を開けて入って来た。
わざわざ姿を見ずとも、聞こえる息遣いの荒らさから相当に疲れていることがうかがえる。
「またか……このところ毎日頭突きをしてる気がする」
例の二人を一撃で伸すチャコールの石頭は凄まじく、万一力加減を間違えればアスファルトを粉砕するどころか鋼鉄の板を真っ二つに折ることさえ容易だ。
元来が温厚で面倒見が良い性格ながら腕っぷしの強さと頭突きの恐ろしさ故、この第071強制収容所においては彼を本気で怒らせることは死を意味する。
「なあ~頼むよ~。ちゃんと言い聞かせるからさ~」
チャコールにとって、アインツェンの印象は正直に言って最悪である。女好き、ヘタレ、泣き虫、更に臆病で意気地なし、かつ騙され易いという男としてどうかと思われるほどに悪いところだらけ。
しかし収容所内で割り当てられる仕事は真面目にそつなくこなし、まだ10歳に満たない子供たちの世話もきちんとするので、一概に悪く言うこともないのも事実。
「はあ…………分かった。すぐ行くから」
「落ち着けアボル!これ以上暴れるな!」
「うるせえ!離せ弱味噌が!こいつは一発殴らねぇと気が済まねぇんだよ!」
収容所内に設えられた申し訳程度の広場の中央で、黒と青のグラデーションがかかっている髪と翡翠色の瞳を持つ、いわゆる混血の少年【アボル・フラットビーク】が白系種の少年に殴りかかろうとしているのを、濃い金色の髪と緋色に輝く瞳を持つ青年【クラウス・ピリカ】が羽交い締めにしている。
「クラピカ!コールがそいつをおとなしくさせるまで、絶対に手を離すんじゃねえぞ!」
「分かっている!」
クラウスを独特なあだ名で呼ぶのは、自らをレオリオと称する黒青種の老け顔の青年【レオナルド・リオンソ】は、アボルに蹴り飛ばされた白系種の少年に応急処置を施している。
「痛ち……ちょっと舐めプしちった」
「キルア!何でわざわざ喧嘩売るのさ!」
キルアという愛称で呼ばれる少年、【キール・ゾディアック】が笑みを浮かべて呟くと、レオナルドとともにキールの傍に立つ【ゴンサレス・フリードスク】が怒りの表情を浮かべて彼を責めた。
そもそも喧嘩の発端となったのは、白系種による自分たちへの仕打ちへの不服をアボルが呟き、その呟きから見える憤怒を煽るようにキールが捲し立てたからである。もちろんここで止まる訳もなく、アボルが当然のような挑発にあっさり乗ってしまったことで今回の騒動が起きたのだ。
「そりゃお前!ただでさえ娯楽が無ーのにもうすぐ徴兵が始まるんだぜ!?喧嘩ぐらいしかストレスを発散できることが無ーだろうが!」
キールの辛辣な言葉は、その場にいる全ての86区民の心中に響く。思えば、自分たちは決して長くない期間ではあるが、この不潔で狭苦しい収容所で過ごしている。だが戦争の掟、最初に居なくなるのはいつも親の世代。つまり大人たちである。
「ふざけるな白豚のガキ!お前が……俺たちが前線に出るのはまだ先だ!」
「俺たちの親父やお袋が先に死ぬんだぞ!分かってんのか!」
二人の喧嘩から始まった重大かつ重篤な人種問題の波は広がりきってしまい、有色種の子供たちの非難の声がキール一人に殺到し、レオナルドたちが諌めても言葉を止めないほどに収拾が着かなくなっていた。
(オレたち一家に比べりゃ……お前らはずっと幸せ者だって分かんねぇだろうな)
だがキールは動じる様子がない。その目はまるで、間近で死を見てきたかのような、人間の闇を知っている目であった。
「お前らはまだ……戦ってすらないだろうが……」
キールの囁くような呟きは、静かに消えた。
「おらサルコウ!この弱味噌の手を離させろ!」
一方、アインツェンとともにようやく広場に降りて来たチャコールは、顔を合わせるなりクラウスの手からの解放を要求して来るアボルに呆れつつも、いつも通り説得を始める。
「アボルいい加減にしないか!確かに今回はキールが悪いけど暴れ過ぎだ!」
が、アボルはなおも食い下がろうとする。
「お前も分かるだろうがシャクル!白豚どもは殺さなきゃ気が済まねえんだよ!」
腕の中で暴れるアボルの動きに耐えかねたのか、クラウスはふうとため息を吐いてチャコールに言う。
「もう限界だ。頼む、チャコール」
クラウスの言葉にうんと頷くと、背後で子供たちの言い争う声、目の前で暴れるアボルの訴えを無視し、チャコールは自分の頭を振りかぶり、アボルの額目掛けて振り下ろした。