黒霧の乙女達と同時進行で書いていきたいと思っています。
よろしくお願いします。
中学三年生の夏。
女の子にとっては少し酷な35度の熱気がグランドを包み込んでいた。
「ゆっこ!あと一人!踏ん張れ!」
打者から見たら二塁ベースの左側、遊撃手のポジションから味方に声をかける。
それに興じたのかほかのポジションを守る選手たちも声をかける。
最終回、カウントは二死。走者は二、三塁。点差は一点リード。勝てば全国大会。
まるで漫画のようなシチュエーションに私含め全員が緊張していた。
「かずちゃん!打たせるよ!」
私の声掛けの返事をグランドで一番高いところにいる投手、西口裕子がグローブで私を指しながら声を張る。
それから打者へと投じた一球目、打者が打った打球は宣言通り私のところへ飛んできた。何の変哲もないただのショートゴロだった。難なく捕球まではよかった。
一塁手へ投じたボールははるか頭上を通り越し右翼手のほうへと転がっていった。
結果はサヨナラ負け。
ボールを投げたあの瞬間から家のつくまでの記憶が曖昧であまり覚えていないのだが、グランドで膝をつきながら涙を流す裕子、私のすぐ横で涙を流す二塁手の顔が一生頭から離れなくなった。
監督やほかの選手たちからも
『かずちゃんは悪くない』とか『ここまでこれたのはあなたのおかげ』
誰も私を責めなかった。
責めてくれたほうがいくらか気分が楽になったのかは分からない。
帰宅した後、ずっと野球を教えてくれた父に無言で頭を叩かれた。
いつもはミスをしたら怒鳴り散らかすような野球に厳しい父が目尻に涙をためながら優しく、優しく頭を叩いた。
「負けたのはお前のせいだ。でもな、これが最後じゃねぇ。この悔しさ忘れんじゃねぇぞ」
いつもみたいに怒鳴ってほしかったのか、それとも優しい言葉を聞いたからなのか。
理由はごちゃごちゃしていたがおそらく後にも先にも無いくらい号泣した。お母さんも一緒になって泣いた。
この時私は改めて両親のありがたみを知り、高校生になったら絶対に甲子園に連れて行くって決めた瞬間でもあった。
そう決めた一週間後、お父さんが亡くなった。職場での事故だったらしい。
部下をかばってという話だ。
病室で泣き崩れる母と呆然と立ち尽くす私。
私の心を折るには十分すぎた。
父が灰になっても私の目から涙はこぼれなかった。
未だに現実が受け止められなかっただけなのだろうか、私には分からなかった。
それからはもともと母が一人で切り盛りしていた小さい喫茶店の手伝いを始めた。そうでもしないと私を保っていられなかった。
そして、あれだけ好きだった野球をやめた。
母の喫茶店を手伝うという建前で野球をやめた。
父との思い出が詰まった野球をやめた。
それから約半年、私はごく普通の県立高校へと進学した。
県立前橋西華高校。選んだ理由は家から徒歩五分で通えるからというだけである。
中学の時のメンバーは散り散りになり、県内の強豪校に行ったものもいる。
唯一同じ高校へと進んだのは私と二遊間を組んでいた幼馴染の源田紗枝だけである。
「あんたなら強豪から声かかってたでしょ」
「かずちゃんがいないのにやってもつまらないもん」
二人で慣れてきた通学路を歩く。入学から二週間。桜も散ってきたころ。
再び野球を始めるとは全く知らない私たちは春の陽気にのんびりしていた。