九州の人間にとって、福岡の地は他の都市と一線を画した輝きを放っている
たとえ自身の学園の母港が、自身の故郷が、自身の通う学園艦がどれほど栄えようとも
福岡の天神のバスターミナルには九州各地からのバスが訪れ、多くの人を吐き出す
中洲、大名、天神の街には夜遅くにも多くの人が集まり、市街地には昼と変わらぬ灯りが広がる
そしてその灯りに群がるのは、学園艦に乗る民も例外ではない
その巨体を揺らす学園艦は、博多湾の周辺に留まる
博多港に入るタンカーなどの大型船舶を塞がないように、新宮、野北、深江、唐津などに停泊する
そこから停泊した港から上陸が許されるだけではない
その港から博多港までの直行便が出るのが常だ。そしてその船は、大概の学園艦において混雑する
それではこの西住流と手を組んで、その精神性にも影響されている黒森峰の学生は、というと……
「今度の寄港、予定ある〜?」
「化粧類の追加しときたい。口紅とファンデーション」
「私も化粧水の補充」
「バックの買い替え。持ってるのの取手が弱ってて」
「美容院福岡のオキニのとこ行ってくる」
女子高生らしく相応の欲はある
彼女らもまたこの学園艦の檻からの解放の象徴としてあの街を捉え、福岡中心部の繁華街に繰り出す
まぁ私も福岡に寄港した時は上陸する予定だ。しかも福岡の中心部の繁華街に
授業が終わり、そして奇跡的に戦車道関連の用事がない日
そして福岡寄港日
このフリーな午後の時間
課題などが残っていようと、この自由を無碍にするわけにはいかない
私、赤星小梅は16時発のフェリーを目指し、レンガ作りの学園艦を駆け回っていた
5時前にスロープを降り、築港から博多駅方面のバスに
定員ギリギリの立ち乗りだが気にするほどでもない
こういう時は仕方ないこと
バスの系統はやたらと多い町だが、乗る系統さえ決めてしまえば意外となんとかなる
もっとも実際博多駅の方に行く便を何本か逃したりはしてるのだろう
だが下手に行き先がよくわからないバスに乗ると、いつの間にか都市高に乗ってたりするので、許容範囲だ
降りるのは祇園町のバス停
ビルも立ち並び、早めに仕事を終えたサラリーマンが繰り出し始める
そこに学生服姿のまま降り立ち、歩き始める
街の人の視線は、時折自分の方を向く
私自身はそこまで有名でなくとも、この服を着た人間となると、九州内で知名度はあるものだ
どこの港町に行ってもそうだが、福岡ではその見てくる人間の母数が違う
その視線が有るからこそ、品格ある行動を取れ品格ある行動を取れ、と私たちは口酸っぱく指導される
コンビニ数軒の前を通り過ぎつつ幅の広い道を降ると、川を手前にして工事のフェンスが立っている場所に出る
そこを左に少し行くと、目的の場所だ
ウェルビー福岡
上に行くほど狭く、天井も低くなる石積みの階段を登り、2階のフロアへ
受付は上がってすぐ、直線的な空間の左側にある
まだまだ時間としては空いている方。カギの刺さった靴箱の一つを借りる
端末でチェックインを済ませ、受付で靴箱の鍵とロッカーの鍵を交換
受付からカーペットの上を奥へ奥へと進んでいくと、分岐を左折してすぐ左側にロッカーが並ぶようになる
ロッカーの幅は黒森峰の部室と比べたらかなり狭い。鞄も小さいものでないとそもそもスペースに入らない
そして通路も狭く、混み合う時は本当に着替えすら困難になるほどだ
今はこの通路にはあと2人だけ。これくらいなら流石に余裕はあるが
ここの時点で身につけているものは、ロッカーの上に置かれていた薄茶の上下の館内着のみ
荷物もバスタオルと、サウナハットを持ってる人は持って行くくらいだろう
自分も髪の毛保護用に持っていく
手前には日帰り用、奥には宿泊用のロッカーがある
木目調とはいえ平坦な日帰り用と違い、宿泊用は焦茶の桐箪笥のように豪勢な装いを見せる
幅も少々そちらが太くも見える
こっちを使えるのはいつになるかと考えるが、高校生のサイフでは今回の1500円も決して安くない
そこを過ぎて右折。さらに奥の扉を開けると、もう浴室の一歩手前だ
ここの透明のロッカーにバスタオルなどを詰めて鍵をかけ、積み上げられたミニタオルを1枚受け取って向かう
浴室は広い
正面はタイル敷の広場のようになっており、右と正面奥に扉、その間に階段の付いた水風呂がある
薄暗い荒涼とした砂漠、初めて来た時の印象はそんな感じだったと思う
そしてそこから左奥に向かえばシャワーが並んでいる
そこのシャワーで身体を洗うところから全てが始まる
混み始める前に、と少し急ぎながらだが
入り口脇にぶら下げていたサウナハットを回収
まずは入り口右のドライサウナから
重い扉を開いて右側の空間は、少々上の方に広がっている
木製の2段。その段差にはところどころに隙間が空いており、段の下からの光が漏れてくる
その姿は周囲が無機質なこともあってか、夕暮れの教会を思い起こさせる
ステンドグラスですらも色が纏まって薄ぼんやりとしてくる、あの空間を
コの字型に整った段差の突き当たり、一番奥の上の段に陣取る
天井はかなり低く、自分でも少し背中を丸めて座る
その方が膝に肘を付けられるので、行儀は多少悪いが好きな体勢だ
高い湿度を受けて、身体から汗が絶え間なく流れ出す
そしてまもなく、私は目を閉じる
闇
その中で他の諸器官からの情報を増幅させていく
木材の硬さ
肌を流れる汗の粒
なんだか透き通るような香り
手の指、足の指の曲げ伸ばし
不規則に鳴るハープのような調べ
そして頭をよぎるもの、全てを受け入れる
戦車道のこと
勉強のこと
将来のこと
知っている人のこと
家族のこと
日々の波にのまれない時だからこそ、その思考に全てを費やすことができる
血流が激しくなり、その脈も自分の神経を研ぎ澄まさせる
この感覚は、アレに近い
夏場の戦車の中
密閉に近い空間に人が詰め込まれる時
アレはここと比べてすら暑苦しい域にあるが、自分はそれを求めてここまでやってきてしまう
よく思うのだが、体格の小さな女性が乗っててあの狭さなのだから、男性があの中に乗って動き回っていた、というのは俄かに信じがたいものだ
そんなこの暑苦しい空間から出るタイミング。普通は喉の渇きとかが指標となる
ただ、私にとってはそれも重要だが、もう一つ重要な点がある
他の人がこのサウナを出て、1分以上間が空いていることだ
もちろん出たいタイミングで連続して人が出て行く時もある
だがそこは耐える。また次の時が来るまで耐える
それくらい黒森峰の人間には容易なことだ
その理由はサウナから出て、全身を水で洗った後にある
私は、湯船が苦手だ
いや、湯船というより水が蓄えられているものが苦手だ
そこに浸かるのは尚更恐怖だ
それはあの時、あの坂から滑り落ちた時以来、私の体と心に纏わりつく鎖となっている
サウナといえば水風呂、場合によっては水風呂こそがサウナの全て、そう言う人までいるらしい
私には土台無理な話だが
代わりに私は扉を挟んで反対側、その辺りに転がっているサンダルに両足をそれぞれ突っ込む
これがあるということは、そのサンダルの先にある木の扉の奥に誰もいないことを指している
扉を背にして正面と右は毛皮に囲まれている
そしてその毛皮らは、全て木の壁に引っ掛けられている
アイスサウナ
その名の通り、先ほどの熱気とは程遠い冷気が肌を刺す
入れるのは一人だけ。その代わり、その冷気を全身で、隈なく感じ取ることができる
ただ、苦しくなることはない
纏った熱気を剥がし、呼吸で体内の熱を抜く
左の壁際に近づけば、冷気の風も浴びる
冷え方が一層強まる
周りは木材に毛皮。自分はタオルとサウナハットを持つ以外ほぼ全裸
自然のまま、この四方を塞がれた密室の中にいる
ここに入れば他の人に左右されない
たとえ扉の向こうに人が並んでいたとしても、こちらからは見えない
自分の意志、自分の感覚だけで、この部屋から出るかどうか決められる
その感覚があるから、私はここに足を運ぶのかもしれない
黒森峰は良いところだが、それだけは欠ける場所だから
気の向いた時に出たら、シャワーのさらに奥で一休み
そうしたら次はその道中にあった、シャワーの近くにある暖簾を確認する
暖簾が左側に寄っていて扉が出ていれば、中に人がいない合図だ
そう、扉の上の案内に書いてある
暖簾の奥は先ほどよりもさらに天井が低い
高床になっているから、身を屈めないと動くこともままならない
そして中は畳のようなシートがひかれた、2畳ほどのスペース
そしてその室内でやることも、焼石の入った甕の中に、隣の壷の中の水を注ぐこと
自分が全裸なこと、そして注ぐ度に増していく熱の圧力、そして暖簾をしたことで外も内も光がほとんど入らないことを除けば、まさに古くからの茶室のような趣きがある
一度水を注げば、焼ける音が室内にしばらく響き続ける
そして今度はその音に自分の感覚の全てを預ける
今度は、無
ここの3つのサウナのうち2つにしか入らないが、その2つを私はそのように使い分けている
足を組み、背筋を伸ばし、そしてただ待つ
ここもまた、どこまで留まるかは自分の意志次第
耳以外の感覚が、自分を刺激する
香り
これは
ほうじ茶か
久しぶりすぎて、思い出すまでに時間をかけてしまった
飲み物結構な割合がノンアルビールだから、ウチ
畳敷きの床は、長く座っていても辛くならない。強いて言うならもうちょっと湿度高い方が好みだが、水を注ぐにも間を空けないと焼ける音がしない
こちらは多少外を気遣いつつも、結局は自分の好きなタイミングで出る
そしてまた、アイスサウナに篭る
ここが並ばずに入れるかは毎回運だが、今回は上手く行った
時間的にもここまで
残り一つサウナがあるが、あそこは個人的にあまり好かない
出てからは館内着に着替え、休憩スペースで椅子に座って息を落ち着かせる
それを時間までに済ませれば、私の贅沢は終わりだ
時間はそこそこ経ったが、並ぶ建物はなお一層明るく街並みを照らす
火照りも落ち着き、ただスッキリとした心のみを持つ
行き交う人は増え、離れていく私はその流れに逆らっていく
この街はよく変わる。来るたびに道中どこかの店は入れ替わっている
まるで変化のない、煉瓦造りの残り続ける学園艦に慣れると、その変化に毎度毎度驚かされる
いや、変化はある
私を助けた人、そして私の上に立つ人によって
あの単騎で丘を駆け上る様
以前の姿からは考えられない変化に、手を引かれた時のように魅せられたのだ
変わらないと思っていたものも、それを揺り動かすような性質を持つ人間によって変わっていく
流行のようにコロコロとアテもなく変わるのはそんな学園生故か、なんだか性に合わない
だが変わらないからこそ、いざ変わる時はいい方向になるのかもしれない
夕飯代と自分の財布を天秤にかけながら、港までの道中のんびりまた考えた