さて、先日私はリーマスの授業を代理で引き受けるという原作にもあった一場面をなぞった。この説明に語弊があるかどうかはさておき、皆はお気づきだろうか。
ハロウィンにリーマスの部屋に薬を持っていった際にハリーに出会い、そしてその夜にシリウスがホグワーツ城に侵入する、リーマスは満月に向けて体調を壊し、私が授業代理を行い、その後にハッフルパフとグリフィンドールのクィディッチ戦が行われたのだが…。
実はハロウィンからクィディッチまでの期間はほぼ一週間。つまり、ここしばらく私たちはロミオとジュリエット並みの短期間の超高速劇を繰り広げていたこととなる。体調最悪な時にこれをやられたリーマスにはさすがに同情するぞ。
そしてなぜクィディッチのことまで話題に入れたかというと……私が死ぬほどディメンターが嫌いだからだ。
大荒れの天気の中、クィディッチ競技場と城壁までの広い敷地で、私は一人仁王立ちでホグズミードの方を睨んでいる。視線の先ではもちろんあの黒い何かのお呼びでない連中が隙あらば侵入しようとしている様が見てわかる状態であった。この雨の中でも私にも試合の歓声がしっかりと届いているので。奴らにとってはとっておきの餌場にしか見えないのだろうな。だが私の可愛い教え子たちに近づいてみろ。目にものを見せてくれる。
このときの私の状態だが、杖で訓練済みの魔法使いにしては珍しいことに地味に感情で魔力がただ漏れ状態になっていた。比喩でもなく「怒髪、天を衝く」状態だったらしく、それを聞いてしばらく経ったのちの感想は「私はスーパー〇イヤ人か」である。人の感情を読めるディメンターも私から一種の危険を感じるなにかを察していたからか、まさに私が睨みをきかせて留めていた。
…そう、私はディメンターを侵入させないため、どうせクィディッチも観戦できないので一人でそんなことをしていたのだ。だと言うのに私の外見を第三者として観察したものがここに存在している。
ディメンターがついに諦めて己の持ち場まで退散し始めた時、私のすぐそばには黒い犬が立っていて、雨に濡れた黒い鼻先をペロッと舐めていた。
後に私に色々と感想を述べることができる黒い犬など、1匹いれば十分だ。
「身の程を知れ、肉球野郎」
淡々と私が放った言葉に空気が凍った。そんな私はあきれを最大限に込めて三白眼をしているのだが、周囲からすればいつもの私と大差ないのだろう。
もろに斜め上の罵倒を食らったシリウスはびっくりした顔をしているが、いくら数日前のことだと言っても心当たりがあるであろう。
「なんだ?機嫌が悪いのか、スネイク?」
「スネイプだ」
「スナック?」
「スネーイプ。リピートアフターミー」
「スナップ?」
その直後の記憶はない。リーマスからのお小言によると、私はシリウスの襟首をつかんで見事なヘッドバッドをお見舞いしたらしい。どおりで、額が痛いわけだ。
「まったく、セブルス!どうして君は名前だけにはそんなに異常に反応するんだ!?」
「スナップだけは許さん。絶対に許さん」
「どうしたんだ?」
「発音が似すぎているのだ!!」
だんっと激しくテーブルを叩く。手の平が痛い。私の言っている意味が分からないものは、英語でゆっくりと疑問符をつけて「スナップ?」と言ってみるがいい。ただしそれを私の呼び名としたら次はヘッドロックをくらわす。
私は思いっきりため息をつき、ソファーで額を冷やすシリウスにビッと手を挙げた。
「まあ、そんなわけで…の身の程知らずの
「さっきからなんなのだ!!」
「「なんだ」とはなんだ!ハリーの飛ぶ姿が見たいからホグワーツにクィディッチを見に来るとか馬鹿か!この、バーカバーカ!!」
「お前は罵倒が罵倒すぎるぞ、このバカ!!」
「君たち二人は子供か!!」
「肉球相手に言葉を捻るのもバカバカしい!指で捻った方が百倍マシだ!」
「みなさーん、喧嘩はだめですよ~~」
私たち三人が言い争いになっているのにびっくりしたのか、ギルがおろおろしながら仲裁に入った。温厚な彼は困ったような顔をしたが、突然、名案というかのように顔を輝かせて手を叩いた。
「そうだ、おやつにラスクを用意してるんですが、ヌテラとクレイジーソルト、どっちがおいしいでしょうか~~?」
多分、話題を変えようとしてくれたのだろうが、その比較があまりにも遠すぎて全員が止まってしまった。ヌテラと言えばあのパンに塗っておいしいナッツ入りチョコレートスプレッド。クレイジーソルトと言えばチョコとアイス以外にはなんにでも合うといわれる、ハーブとスパイスの配合が絶妙で肉料理にかけると最高の塩だ。その対極を並べられたのでうっかり想像したのはチョコレートソースにハーブソルトがまぶせられたものである。
混ぜるな危険。思わず考えてしまい、冷静になると個別なのでどちらも普通に美味そうだということに気付いた。
「…クレイジーソルトで…」
「私はヌテラかな…」
「コーヒーにはヌテラがいいが、紅茶ならクレイジーソルトで…」
「じゃあ、両方作りますね~」
たのしみですーと言いながらギルはルンルン気分で部屋から出て行った。
うむ。本来ならあの口出しの時点でギルまで巻き込まれてもおかしくはなかったのだが、さすがに気のいい青年を悪く言うことは誰にもできないのだ。というか、彼の家に押しかけているというのに気まで使わせてしまったのでどうしようもない。
現在、私が訪れているのはピーターとシリウスの隠れ家だ。夏にリーマスの家を探すためにフクロウとの意思疎通をやってくれたギルはその性質のためか動物が好きで、犬猫の保護活動もしている。その中でギルが個人的に引きとった猫たちの世話するための部屋を知り合いから借りていて、シリウスとピーターはその手伝いをする代わりに置かせてもらっていた。
部屋代のいくらかと二人の生活費はおおむね私が立て替えているが、金のあるはずのシリウスからは近々請求するつもりだ。そうでもしなければ禁じられた森に蜘蛛の毒を取りに行って売らなくてはならなくなる。
私たちが言い争っているうちに部屋の入り口にはピーターが来ていた。出て行くギルを見送った彼は、私たちにお茶を持ってきてくれる。その後ろから猫が一匹ついてきていた。顔に傷のあるとても強そうな猫だ。
「……ギルに空気を読ませるって相当じゃないかな…」
「言うな、ピーター。…ありがとう、私は後でいただく」
思わず額に手を当てながらピーターに礼を言った。確かに、あの天然君に突っ込まれるのは相当大人げなかったということなのだ。
シリウスがピーターに対して首を突っ込むなと言いたげに睨む。そのせいですぐに部屋から出て行こうとする彼に声をかけて急いで止める羽目にもなった。ため息をついてやれやれと首を振ってからシリウスに向き直り再び真正面から視線を向ける。
「とにかくだ、シリウス。こんな危険で勝手な真似をするな!自分が指名手配中の極悪犯だということを忘れたか。ディメンターに見つかったら問答無用で魂が抜かれるぞ。そうなったら私は真っ先にお前を殺すからな。アズカバンで虚無の惰眠生活など期待するなよ」
「そんな薄ら暗い人生など願い下げだ」
ぶつぶつ言い始めたシリウスの両肩をガッツリと掴み、声を低めた。
「私に『二度』同じことをさせるなと言っている」
私の一撃必殺にシリウスの顔色がサーと引いた。ふむ、完全にオーバーキルだな。周囲の空気ごと凍っている。
「今度こんな馬鹿な真似をしてみろ。顔まわりと手足、尻尾の先以外はバリカンで剃ってライオンカットにするからな」
シリウスがわずかに息をふきかえした。空気が少し温まっているな。
いつもの調子に戻り身を引いた私に、シリウスは冷や汗を流しながらもまだぶつぶつ言っていたが、彼が心の中では反省しているが感情の方はまだ抑えが利かない時のぶつぶつに代わっていたので大目に見ることにした。とばっちりで凍っていたリーマスもほとんど表情がこわばっていたが、呆れ声をできるだけ穏やかな響きになるように務めて声をかけてくる。
「セブルス、君が怒るのは最もだ。だが、今日の本題は喧嘩をしに来たわけじゃないだろ」
「ああ、そうだ」
それはそうなので、さっさと認めてから話題を変えた。
「先日、私が牽制していたとはいえディメンターは自らの領域を超えていた。もともと奴らの配置に反対だったダンブルドアもなかなかご立腹だ。それにこの肉球はまた似たようなことをやりかねん。もういっそ、ダンブルドアにシリウスたちのことを話してしまおうと思ってな」
リーマスが飲みかけの紅茶を噴きだした。汚いぞ。
「シリウスの目撃情報がホグワーツから遠のけば、ディメンターを追い出すことが出来るかもしれない。しかし、単純にシリウス・ブラックがホグワーツから遠ざかったからと言っても魔法省と校長、両方がすぐに安全だと判断するとは思えない」
「…シリウス・ブラックが危険でないとダンブルドアが知れば…魔法省のことをよく知っていて発言力もあるダンブルドアは上手く丸め込んでくれるかもしれない、ということだね?」
「一回侵入しようとして失敗している。警備が強化されたホグワーツを前に諦めた、または目的を変えたと認識するかもしれん」
「さすがにそれは甘い考えだ」
「戻ってくると思うかもしれない…」
リーマスと話していたところにシリウスとピーターがほとんど同時に言った。立場上、ついみんなが見てしまったのはピーターで、彼は手にしていたトレイに隠れるように身を縮めた。
「ピーターの言うとおりだ。ならば、他に目的があって達成したと思わせる…か。ハリーをねらったのはついでだと。ホグワーツに用があるとすれば…二重スパイの私に用があったとするのが妥当か。何か死喰い人として重要なものを渡されていて、それを盗み出したとか…」
「私はお前がホグワーツにいることに驚いたというのに?」
「こっちはシリウスからそれを聞いて驚いた。知っていたということにしておいても問題あるまい」
「そんなもの、『なぜダンブルドアに渡していなかった』という話にならないか?」
「リーマス、ダンブルドアは12年前から闇の帝王が戻ってくると考えている。再び潜入させるためにある程度死喰い人としての役割を果たさせておくだろう。いまだに私のクローゼットには死喰い人の衣装が入ったままになっているのだぞ───シリウス、それを持っていくか?」
聞いてみたところ物凄く嫌そうな顔をされた。ふうむ。ついそちらに話が進んでしまったがこれは後の問題だ。つい廻ろうとする思考と話の流れを止めるために片手をひらひらと振った。
「話を戻そう。とにかく私はあの連中が学校周りをうろつくのは我慢ならん。それに、今後の計画にも支障が出るかもしれない…。ゆえに、ダンブルドアにはシリウスの危険性の無さを知ってもらって協力を仰ぎたいのだ」
「…ダンブルドアは信じてくれると思うかい?」
「…おそらくは」
原作ではハリーたちの言葉を信じていたからな。そこに賭けている部分もある。
「それに私たちは決して闇の帝王の信者ではない。ならば、ダンブルドアの味方だと宣言をしておいて何ら問題はないだろう?もちろん、私たちがアニメーガスの研究を行って、三人が無許可のままその魔法を利用していたこと、ピーターが生きていることは伝えねばならん」
「私のことも、話すのかい?セブルス…」
おびえたような声でピーターが問いかける。彼を驚かさないよう、私は真剣な表情でゆっくりと頷く。
「ああ。だが、君を魔法省に引き渡すようなことはしない」
「どうするんですか~?」
おやつを取りに行っていたギルがトレイを持って戻ってきたところだった。ピーターの話はさすがに彼も気になるらしい。
「ピーターに直接会ってもらうのが確実ではあるが…さすがに彼の安全が保障できん。シリウス、罰則の時にジェームズとやり取りをしていた“両面鏡”があっただろう?それを借りられるか?」
「あれか。探しに行く必要はあるが」
「箒と杖は用意してあるから使ってくれ。ただし、終わったらギルに戻すように。マグルの猫に余計なことを覚えられるとかなわん」
まあ、これはピーターにまだ杖を渡したくないというのが一番強い理由だが。ピーターは自分がダンブルドアの前に引っ張り出されないと知ってほっとしたような顔をした。ギルが彼に対して微笑みを返しているが、リーマスとシリウスはほとんどピーターを見ないようにしている。彼らの確執をどうにかするのには、やはり時間がかかりそうだな。もともと彼の裏切りを事前に知っていた私の方がずれているのだ。
「だが、シリウス。私は君が直接ダンブルドアと話した方がいいと思っている。実際に指名手配を食らっているのは君なのだから話し合いには来てもらうぞ。ダンブルドアの正面に立つ覚悟はできているだろうな」
「……大丈夫だ」
シリウスがしっかりと答えたので私は頷いた。
「分かった。だが、私は事前に君の弁明をしたりしない。話し合いの場は用意するが説明はしないぞ」
「セブルス!?いったい何を…」
「リーマス、君もだ」
それを聞いたシリウスの顔がこわばった。ふむ、やっぱり私が話を通すと思っていたか。
「だいたい、私たちが彼を連れて行ってもどうやっても警戒させるだろう。もともと仲が良かったのだ。おまけに私はそれで一回騒ぎも起こしている。なんなら──私がシリウスに首輪つけていけばいいのか?適当に言ってみただけだがなんだか逆に成功しそうだな…」
「それだけはやめてあげなよ」
「なら、誠意を見せるためにもガッチガチに緊張していけ」
ギルが持ってきてくれたヌテラ味のラスクを食べる。紅茶ならクレイジーソルトと応えはしたが、目前に来ると食べたいものはこちらだった。
「セブルス、いくら何でもシリウスには危険すぎる。せめてどちらかが話をつけておくべきだ」
「シリウスが誰かに守ってもらうとかいうキャラか?──ただ、一つだけ私も手を貸す予定だ」
黙ったリーマスとシリウスを前に、私は計画を話した。と言っても、別にそんなに策略めいたものではない。実際は策略を込めていたのだが、それを匂わせてしまうと二人から反対される可能性があったからだ。リーマスが「それなら…」と心配のこもる言葉で認め、シリウスもそれを納得した。
「分かった。お前の言うそれでやってみよう」
待ちに待ったホグズミードの日。この日になると生徒、教員共に学校から減るため、シリウスを呼びつけるにはもってこいだった。ただし、一方で学校への出入りに関してはいつもより強化されるので例のお犬様には前日よりふもとの村一番のホラースポットに滞在していただくこととなった。
そして本日、私はシリウスをホグワーツの中に案内し、目的地まで首の綱を引いてやったのだ。脱獄をした凶悪犯を無垢な子供たちの学び舎に招き入れ、さらに大事な生徒と共に校長室へと送り込む。聖人の中でもこれほどまでに善の心を信じられるものがいるだろうか。
主よ、私を赦したまへ。私は自らの信じるままに行動したのです。
……お許しください。御名を汚すつもりではなく、哀れな子羊のただの戯言でございます。主がわたくしにお怒りだというのならばその罰をこの場でお与えください。
誰もいないホグワーツの暗い廊下の片隅、私はいつ天罰が下されてもいいように表情を引き締めてしばらく突っ立っていた。………これほど経っても何もないということは、寛大な神は私のつまらぬことに対して気には留めていないようだ。
暇というものはくだらない考えまで引き起こすのだから良くないものだ。しかもそれなりに今後の展開に緊張をしている私には待ち時間がとても長く感じられる。…仕方がない。体を動かしながら待つとするか。
15分ほどが経ってから校長室の螺旋階段から人影が現れた。時間を計っていたわけではないが、有意義に時間を潰すためにしていた日本人の多くが子ども時代の夏にたしなむ某体操が一日分の運動量を丁度カバーしたところだったからだ。
とても良い姿勢で立っていた私を見て、ハリーが目をぱちくりさせていた。それもすぐに何かを察したような呆れた目になったのだが。
「やー、戻ってきたのかパッドフット。行儀よくしていたか?」
出てきた大きなモフモフをわしゃわしゃしてやろうと屈むがワンコは私を見ずに走り去り、二メートル先まで行ってからこっちをチラッと振り向いた。猛ダッシュしようとする素振りを見せるとバッと距離が開きその間約10メートルにまで達する。
「…ハリー、やはり犬より鶏がいいな」
「………僕は、フクロウ派なので」
「…そうか、実のところ私はヤギが好きだ」
ハリーが何とも形容しがたい表情で私を見てきた。どう考えても生徒が教師に向けるような面ではないぞ、それは。
「ふざけるのはこれぐらいにして…先生、ダンブルドア先生は受け入れてくれました」
「そうか」
ハリーの報告に私はゆっくりと頷いた。シリウスは遠くでしっぽを足の間に入れてこっちを見ているが、彼の問題はこれで一つ片付いたようだ。
「校長は君の話を信じてくれただろう」
「はい。けれど…本当に僕でよかったのでしょうか」
ハリーは不安そうに私を見上げてきた。
私としてはシリウスに対してもともと好意的な感情を持っていなかったはずのハリーが話を通す方が私やリーマスより説得力があるであろうと考えていた。また、原作でもダンブルドアがハリーの話を信じたわけだが──その明確な理由が分からなかったからこそ賭けてみたかった部分はある。
もしかすればダンブルドアもシリウスを信じたかったとか、かつてピーターの行動に違和感を覚えていたのかもしれない。単純にハリーを信じたか、会話の中で開心術を使えるその技術かもしれない。彼のように百歳ぐらい魔法使いやれば多少はあの老齢の知恵が得られるだろうか。いや、期待は外見だけにしておこう。目指せ、マーリンのひげ。
「そういえば、ダンブルドア先生がスネイプ先生とお話したいことがあるそうです」
「すぐにか?」
「はい」
ハリーは真剣な表情をしてまっすぐに答える。彼の緑の目を見据えた後、私におびえて遠くで固まっている可愛い可愛いパッドフットをちらりと見た。
「分かった。では向かうとしよう。ハリーとパティーはリーマスの部屋で待っていてくれないか」
「はい…え?ぱてぃー?」
「じゃあな、パティー!」
可愛い名前を付けて呼んでやると、ぼさぼさの小汚い野良犬は遠くから歯をむき出してうなってきた。二日ほどあの埃だらけの家で過ごしていたのだからな。帰ったらダニ除けの犬用シャンプーで洗ってやろう。
後の楽しみを一つ心に決め、私は嫌々な心を押しとどめて校長室の入り口のガーゴイルに向かったのだった。
正直、真面目な話は苦手だ。大人になっても真剣に聞く姿勢になるまでに気が重くて仕方がない。
校長室への階段を上り、扉を開くまでにひしひしとそのことを自覚させられた。どうせ表情は変わらないので脳内では自由を謳歌してみようか。いいや、ここは…いい大人代表として数十分ほどは我慢してみよう。
心を落ち着けて扉をノックし、校長室へと入る。何事か思案するように肖像画たちに向かっていたダンブルドアがこちらを振り向いた。
「よく来てくれたのう、セブルス」
「いえ。こちらこそ、…ポッター君たちの件でお時間いただきありがとうございました」
見ていただきたい。私がとても身なりにふさわしいことをしている。しかも短髪のさわやかタイプのスネイプ教授なのでより一層、様になっているぞ。中へ進み、来客用の椅子へと座る。ダンブルドアも校長机に戻り席に着くと半月眼鏡越しに青い目で見透かしてきた。
「先ほど、ハリーからシリウス・ブラックとピーター・ペティグリューのことを聞かせてもらった。シリウスは秘密の守人を別の人間にしていたそうじゃ。君が、12年前に予想していた通りに」
「恐ろしいことに、頭がおかしくなっていた者が正しいことを言う事もあるという証明ができてしまったようです」
おっと、そんなつもりではなかったが皮肉っぽい言い方になってしまった。この頃リーマスの物言いを敢えて誘って楽しんでいたからかもしれない。
「失礼。私自身が他の者にとって信じられるような状態でなかったということを、今では自覚しているとお伝えしたかっただけです」
「……君は昔から不思議なところがあった」
ダンブルドアの言い方はどこか悲しみが含まれているようでもあった。
「飄々としているにもかかわらず破滅願望があるように見えた。奥方の処刑が決まった時の行動はそれを確信させるものじゃった。リリーとジェームズの秘密の守人の相談──シリウスが無罪だという話をしている時にも見えていた。それゆえにわしは君の言葉を聞き入れることが出来なかった──それが間違いであったようじゃ」
ダンブルドアの言葉には思わず背筋がヒュッとなった。なるほど、長年生きていて人を見る目が養われているであろう彼が言うのであればそうなのかもしれない。
若いころ、私は一応ポッター夫妻が狙われないようにとは動いていたのだが、それはつまりヴォルデモートが敗れる事件を防いでいたことにもつながる。身近な者だけを救い、魔法界が闇に進むかもしれないことを知りつつ、そちらは知らぬ未来だからと目を閉じて受け入れる考えであった。たとえ、どんな暗黒な世界が待っていようとも──指摘されるととんでもないな。
「過ぎた話はよしましょう。シリウスのことを信じて下さったのです。ディメンターを追い出すことはできそうですか?」
「シリウスから君たちの案も聞いておる。先日のクィディッチの件もあるのでな。説得してみよう」
ほっとして気が抜けたのもつかぬ間、ダンブルドアは油断のない声で続けた。
「ピーター・ペティグリューとシリウス・ブラックをともに魔法省に出頭させればもっと話は単純じゃが」
「できません」
思わず即答してしまった。ダンブルドアは無言だが、眼鏡の奥から覗き込むような目は理由を問いかけているようである。
「ピーターにはやってもらいたいことがあります。それに、彼のように抜け目のない者を追い詰めればまた逃亡を許すことになるでしょう。そして、彼が向かう先は一つしかない──ヴォルデモートにまた、クィリナスのような手駒を与えてしまいます」
「君はペティグリューを逃がさない自信があると?もし彼が姿を消せばシリウスの無実を証明するは非常に難しい──」
「貴方との会話の中で、ピーターは言い訳をしなかったのでは?ピーターの側には彼が殺したマグルの遺族がいました。ピーターは今、その者に許され、匿われています。彼にとって、最も安全な逃げ先は今やその者です。その者もまた、犯罪者の子孫で、ピーターを許す代わりにこの魔法界が道を誤ったものをやり直させることが出来るか見定めようとしています──一方で、ピーターが逃げようとすれば失望してなんとしても阻止しようとするでしょう。そして、私はその者の執念深さを知っています」
「考えを変えるつもりはないと?」
「確かに、絶対に逃げられない保証はありません。現在、私は他の者の心に頼っている部分も大きい。しかし、そうまでしてもピーターの協力が不可欠だと思っています」
ダンブルドアは変わらずこちらをじっと見ている。私が珍しく真面目に話をしているが──いや、珍しくそうしているからかもしれない。信用されているか、されていないのかさっぱりだった。年の差約80歳もあるのだぞ。生まれた子供が、ひ孫がいてもおかしくない年になるのである。例えがほぼそのままだ。
「セブルス、君は変わった」
ダンブルドアの声は静かで物柔らかであった。
「君はずっと何かを知りつつも口を閉ざしているようなところがあった。この二年間はもちろん、君がリリーとジェームズを救いたいとわしを頼ったときでさえも。──あれはたしかに君の本心であったじゃろう。しかし、わしには君がすでに諦めているようにも見えた…」
ううむ、やはりダンブルドアは苦手だ。物言いか、視線か、心を見透かされているような気分になる。大きな秘密を抱えている身としてはなおさらだ。しかも、ダンブルドア大先生なら頼れば何とかしてくれそうな気がして頼りたくなるのが恐ろしいのだ。
「かつての君は本当の意味で誰かを頼ることはなかった。最も困難で、最も苦痛な選択さえ己だけで選び──大きな間違いに打ち砕かれた。──君が奥方との面会を望み、助けを請うた時、後わずかでも話を聞けていればと何度考えたか──」
結局は、私はダンブルドアが誰をどのように動かし、どんな未来をもたらすか──その、闇とも違う方向の、全く予想できない道を選ぶことはできなかったのだがな。
「そのような君が今はピーターを、シリウスを…ハリーやリーマス、そして、このわしを信用し、頼ってくれているということじゃろう」
──ああ、なるほど。そう繋がるのか。
しかし、ダンブルドアがなぜこのような言い方をしたのがイマイチ理解できなかった。しばらく考え、やっと気づいた。この賢者が、意外にも情に厚く、個人を見ているということに。そして、自分がこの老人の権威しか見ていなかったということにもだ。
まいったな。『マーリン勲章勲一等』『大魔法使い』『魔法戦士隊長』『最上級独立魔法使い』…”グリンデルバルドを倒した英雄””闇の帝王が最も恐れた魔法使い”生きる伝説であり、ホグワーツで何人もの生徒を教え、送り出してきた人物だ。彼を前に、自分は多数いる何かの一片であると勝手に考えていたらしい。
これでも私は彼と同業者だ。最短1年、最長7年間関り、教え、守って来た生徒らは担当外の寮であったとしても、かかわりが少なかったとしても、たった数歳しか変わらなかったとしても、たとえ年月で名前を忘れてしまったとしても…一人一人が良い道を進んで欲しいと願っている。他の教員たちもおおむね同じように考えていることは日常から感じていた。──多くの人々から尊敬され、愛されたこの大先輩も同じだとなぜ思わなかったのだろうな。
私はダンブルドア校長にどのようにメリットを示し、弱みを隠し、納得させようかとばかり考えていた。しかし、恩師が今見ているのは…教え子である私の変化であるらしい。そして、彼はそれを妨げないようにとしてくれている。それに対して私が示すべきものは──これしかないだろうな。
本当の意味では誰も信じず、誰にも本心を語らなかった私は──背筋を伸ばし、ダンブルドアを見つめた。
「お願いします。どうか、ピーターのことを…今は見逃してください。私は彼の助けを必要としています」
ダンブルドアの青い目がじっと見つめてくる。それを瞬きもせずに受け止めた。もうよけいな言い訳などせず、誠心誠意を込めた懇願に──ダンブルドアは頷いた。
安堵に肩の力が抜けそうになった。思いっきりため息をついて緊張をほぐしたいところだがそうするわけにもいかない。「ありがとうございます」と謝礼を述べた。
「ただし、ピーターが逃亡した時にはすぐにわしにも知らせるように。そうなれば彼は魔法省にも知られない誰よりも自由に動くことが出来る死喰い人となる。そして君は…旧友や協力者たちから責められる立場となるじゃろう」
「承知の上です。皆には無理を言って納得してもらっているのですから」
「よろしい」というかのようにダンブルドアは頷く。今回の件の話はこれでひとまずは終わりでいいだろう。シリウスも待たせてしまっていることだしな。
しかし、私が言うべき切り上げの言葉を黙っているせいでしばらくの沈黙が続いた。短くため息をついて覚悟を決め、再び顔を上げる。
「ダンブルドア校長。私があなたに相談すべきだと考えていることを、私は貴方に相談しなくてもよかったとさえ思っています」
そう、老教師が気にかけてくれていたらしい過去のことを切り出した。
「私は確かに選択を間違えて大きなものを失いました。あの時にはもう、すべてを救うことはできなかったのです。しかし──それをあなたのせいにして憎み続けるようなことからは逃れることが出来ました」
「…そうじゃったか」
「はい」
互いに短い返答をして私は席を立った。どのように受け入れられたかは分からないが、伝えないよりはましだっただろう。
「後日、改めてお時間をください。校長にお伝えしたいことと、教えていただきたいことがございます。シリウスの件以外にも、私には貴方の助けが必要です」
「いいじゃろう。フクロウで知らせよう」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
一礼をしてから挨拶をして退室しようとする。ふと、ダンブルドアに言っておきたいことを思い出して振り返った。ホグワーツ校校長は未だに校長席から私の方をじっと見ていた。
「その素敵なおひげのお手入れの方法、ぜひ、お元気なうちにご教示ください」
「私は貴方の他にそんなに立派なものを見たことがありませんので」とも付け足す。現代のマーリンのようなその人は、半月眼鏡の奥の目をキラキラと輝かせ、微笑んだのだった。
この後、私が計画を巡らせるのはしばらく経ってからのことである。