一時期、変なスイッチが入って
この過程で、自身の十界曼荼羅に八幡大菩薩の名を組み入れている日蓮の遺文を再検討し、彼が晩年の著作『
今八幡大菩薩は本地は
とあるように、自身と八幡神を同一視する論述をおこなっていたことを再発見した。
ここでボクの興味関心は、八幡神のルーツを探る研究と、日蓮はいつから自身を八幡神と同一視するようになったのだろうという疑問に分岐することとなり、本稿は後者について日蓮の主著『
読者諸兄におかれては既にこの時点で「なんじゃそりゃ?」だとは思うのだが、本日現在においてもこの立正安国論を……どのくらい本人たちが本気で考えているのか、そもそもちゃんと読んでいるのか知る由もないのであるが……奉じる政党が我が国の政権与党の一角を占めているのであるから、銘々の政治に対するコミット度合いはそれぞれ異なれども、日本人であればある程度は本書についての知識を持っていても罰は当たるまい、とは思っている。あぁ、いきなり剣呑なコト言ってるなぁ、秘すべし秘すべし。
とまれ、本稿を通読いただければ立正安国論について一家言ぶれる程度の知識は身につくと思う、それが何の役に立つかは別として。
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まず、書誌事項的な点をおさらいしておこう。
『立正安国論』は、西暦1260年(正元二年、文応元年)立教開宗から7年、三十八歳の日蓮が、元鎌倉幕府執権である北条時頼……1256年に幕府執権職を辞して出家したが、60年時点では事実上の最高権力者だった、なお日蓮より5歳ほど若い……に対して提出したとされる
千葉県法華経寺蔵の真蹟本……時頼に提出された現物、ではなく、日蓮自身の手になる1269年の写本……は国宝になっている。原文は、当時の支配階級における習慣に倣って漢文で書かれている。現在流通する諸本は書き下し文で示すのが普通なので、本稿でもそれに従う。
この、60年版の安国論は現在『
略本と広本には、普通に読み物として読む分には、気になるほどの差異はない。以下、必要に応じて前掲書から原文(厳密には書き下し文)を引用したり拙抄訳を載せたりするつもりだが、略本との差異がある部分については必ずその旨に言及するつもりでいる。
“読み物”と書いたが、立正安国論は体裁だけを論じればフィクション小説、文学作品の類に入ると言える。詳細は追って見て行くとして、全体を約して言えば十問九答の問答体で、“客”と“主人”として表記される架空の人物の対話形式で書かれている。答が一つ少ないのは、常に問う側に立つ“客”が、最後に自分の決意を述べ、これに対して“主人”が答えずに終わるからだ。
問答体、すなわち、書き手が想定される問いを立て、それに対する答えを自ら述べることで全体として自説を論じる文体、自体は、少なくとも漢訳経典・経論までは確実に遡ることのできる仏教文化の伝統としてよかろう。
賛同者を前提とした自問自答の教理問答の枠を超えて、具体的な論敵を想定した問答体の文章として有名なものには、日蓮が自身に先行する法華経の行者として認める伝教大師
一方で、安国論における客、主人、という登場人物は、現代の我々としてはそれがそれぞれ北条時頼と日蓮に見立てたものであると判じるのが容易であるが、略本執筆当時の感覚で言えば、実質的な最高権力者である時頼が、客として無名の乞食僧に過ぎない日蓮を主人とする庵を訪ねて問答し、あまつさえ最後には客が主人の主張に納得する……最後の問いに答えがないのは、コレがその理由である……という設定は、かなり無理のあるフィクションであり、大胆不敵、とすら言えるかも知れない。
この点が前述の最澄のケースと大きく異なる点で、そういう意味では、結果的に日蓮にとっては(仮想上の)論敵の一人となる、真言宗開祖弘法大師空海の手になる『
否、彼を仏教文化の系譜上のみで考えるのは、そもそも間違っているかも知れない。日蓮遺文を読むと、彼が仏典のみならず、日本の故実や大陸の漢籍から縦横無尽に知を引き出していることは明白である。次回、安国論冒頭部にその具体を見ることになると思うが、そこには確かに半面衒学的というか、自己粉飾の香がないでもないが、一方で、儒教的聖人の精神が彼の中に内在化していたであろうことも明らかであり、諫言としての安国論はその系譜上にあるということも出来よう。
ともあれ、以上を通じて何が言いたいか、というと、立正安国論の問答体自体は、鎌倉時代としても決して突飛でも新奇でもなかったはずだ、という点、と、それでもなお、自分に対する生殺与奪を
実際に精読に入っていく前に、本稿の視座、について述べておきたい。
安国論は、通俗的には宗教書としてではなく「蒙古襲来を的中させた予言の書」的に認識されているもの、と思う。実際、多くの歴史教科書にそのような記述が……少なくともボク自身の就学期には……なされているようである。現代的な感覚からすれば、これは極めて非科学的な見解である。また、ここから派生して「日蓮は国の存亡を憂えた愛国主義者である」的な言説や「神風を招来して蒙古を撃退せしめたのは日蓮の霊力である」的な妄言も氾濫しているように思う。まぁ、後者は当時の社寺仏閣がいろんな形で主張していることなので、日蓮……本人は実はそういうことは言ってなくて、一部の自称弟子が言っているだけなのだが……のみの問題でもないのではあるが。
これらについて、虚心坦懐に本人の自筆原稿が述べているところを読み取ってみたい、というのが第一にある。結論を一部先取りすると、日蓮自身がいわゆる“未来記”、すなわち、釈迦が自身の死後について種々の予言を遺していて、それはすべからく的中しているのだ、という枠組み……これは大乗非仏説の観点から決定的に間違っている……を信じていたことは疑いがないが、我々がそれに付き合わねばならない謂れはないし、そもそも彼の論理展開にはかなり無理がある。有り体に言えば、安国論は予言でもなんでもなくて、思い込みの激しいオッサンによって書かれた電波文の類でしかない。
一方で、彼の言説を通じて見えてくるもの、というものも確かにあるのであって、その辺りを、敢えて妄言であることを理解した上で素直に読む、ということをしてみたいと考えている。
第二に、これはおそらく達成されないだろう、と現時点で自分でも思っているのだが、八幡信仰との関連の探求である。広本改訂に当たり、日蓮は本文中に略本にはなかった“八幡”の名を加えているのあるが、これの意味するところを考えてみたい。
まだ詰め材を欠く直感に過ぎないのであるが、日蓮の語るところの八幡神は、現代日本人の宗教意識を考察していく上で非常に示唆に富んでいるとボクは考えていて、かつ、彼の八幡観が直接に現代の我々のそれにつながっているのではなく、思うに彼の八幡受容が中世日本における古代とは隔絶した新しい八幡観のひとつのモデルケースだったのではないか、などと妄想しているのであるが、その辺りに思いを馳せつつ読んでいこうというものである。繰り返すが、安国論自体は八幡信仰と直接の関係があるワケではない……とも言い切れない部分もあるのだが……ので、このテーマについては、おそらく消化不良で終わる。
以上の二点に加えて、楽しい何か、を探す。現時点では、それが何であるか、は不明であるが、精読していけば、きっと何か出てくるだろう。
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本稿は2015年10〜12月にかけて拙Weblogに連載していたものを、同Weblogのサービス終了に伴い、ハーメルン向けに再編集したものになる。贔屓目に見ても本稿は“小説”ではないが、曲がりなりにも真蹟が国宝になっている日本屈指の諫暁