日蓮『立正安国論広本』を読む   作:wash I/O

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第4話 日蓮が自分は天皇だと思っていた説

 少し本文を遡る。

 

 其の上神は又、第一天照太神、第二八幡大菩薩、第三は山王等の三千余社、昼夜に我が国をまほり、朝夕に国家を見そなわし給う。

(適宜引用者が句読点を改めた、以下同)

 

 上引用は、前稿に引いた此の日本国は外道一人もなしの次下に続く一節となる。つまり、日蓮が日本国を八万の国にも超えたる国ぞと褒め称える下りの後半部なのだが、拙稿で繰り返し述べているように、日蓮はいわゆる日本の天神地祇に言及する際、何はさておき天照太神と八幡大菩薩を挙げることが多いのであるが、ここでもそれを見ることが出来る。

 

 ちなみに、三千余社の例として挙げられている山王とは、今日的には日吉権現と呼んだ方が通りが良いように思うが、伝教大師最澄が延暦寺開山に当たって勧請したとされる地祇である。面白いことに、ここで言われる三千余という神社の数は、『諌暁八幡抄』等で日蓮が言うところの三千一百三十二社と一致する。益々我が朝の山寺は十七万一千三十七所の謎が深まるのであるがそれはさておき。

 

 文脈からすると、日蓮は「天照太神と八幡大菩薩がいるから日本は凄いのだ」と言いたげだが、これはどう考えても法華経譲りの循環論法である。天照太神と八幡大菩薩が尊崇されるのは、これら二柱が日本第一、第二の神だから、に尽きるワケで。それもともかく、続く部分で彼は非常に興味深い見解を示している。

 

 其の上、天照太神は内侍所と申す明鏡にかげをうかべ内裏にあがめられ給い、八幡大菩薩は宝殿をすてて主上の頂を栖とし給うと申す。

 

 おわかりいただけるだろうか?

 

 ここで日蓮は天照太神と八幡大菩薩の所在について言及しているのだが、天照太神が内侍所と申す明鏡、すなわち天皇御所に秘された三種の神器の一つである八咫鏡で祀られているというのはまぁ良いとして、八幡大菩薩についてはエラいことがサラリと書かれている。主上の頂を栖とし給うというのは、言葉通りに受け取ると「天皇の頭に八幡神が住んでいる」の意になるからだ。

 

 八幡大菩薩の所在については、本書に先行して1269年頃に書かれた『法門可被申様之事』では八幡大菩薩は日蓮が頂をはなれさせ給いては、いづれの人の頂にかすみ給はん、1280年に書かれた『諫暁八幡抄』では此の大菩薩は宝殿をやきて天にのぼり給うとも、法華経の行者日本国に有るならば其の所に栖み給うべしと日蓮は述べている。

 

 これをボクは「オレが八幡だ」と半ば冗談で紹介し続けてきた。本書中にその認識を直接的に表明している箇所はないが、敢えて良識のフィルターを麻痺させてこれらの言明を統合すると、日蓮の頭に八幡大菩薩が住んでいて、かつ、八幡大菩薩が天皇の頭に住むものであるならば、必然的に日蓮が天皇になってしまう。

 

 「オレが八幡だ」どころの話ではない。「オレが天皇だ」とは日蓮も大きく出たものだ。しかしいくら日蓮とて、こんな無茶を主張したものだろうか。もう少し本文を読み進めてみよう。

 

 この後、前稿に引いた~或は鬼となり或は大地獄には堕ち給いしぞの剣呑な一節が来る。続いて彼は、日本のすべての寺社は日々天長地久玉体安穏を祈ってるんじゃないのか、と訴えている。やや話の展開が錯綜気味ではあるが、神仏が敬われているのに天皇が非業の最期を迎えるとは何事か、と問うている点ではブレはない。

 

 さて注目したいのは続く一節となる。

 

 其の上八幡大菩薩は、殊に天王守護の大願あり。人王第四十八代に高野天皇の玉体に入り給いて云く、我が国家開闢より以来臣を以て君と為すこと未だ有らざる事なり、天之日嗣必ず皇緒を立つ等云云。

 

 高野天皇というのは『続日本紀』が採用している称徳女帝の異称である。つまり、上引用の一節はいわゆる“宇佐八幡宮神託事件”についての言及になっている。この事件自体が真相不明の怪しい話であって、それに対する日蓮の認識を云々することにはあまり意味はないのであるが、それでも見逃せない不思議なことを彼は書いている。

 

 我が国家開闢より~の部分、すなわちこの事件において八幡大菩薩がもたらしたとされる神託は、和訓されていることを除けば続紀の記事と完全に一致しており日蓮のネタ元がその辺りであることは瞭然なのであるが、この言葉を発したのは、宇佐八幡宮にて八幡神の憑依を受けた女禰宜か、あるいはそれを称徳帝の御前で復命した和気清麻呂のはずである。

 

 が、ここで日蓮はこともあろうに高野天皇の玉体に入り給いて云くと言っている。これも書かれた通り素直に読むと、八幡大菩薩の霊魂だか何かがふわふわと遥か宇佐から奈良まで飛んで来て、高野天皇に取り憑いて「我が国家開闢より~」と喋った、という意味になる。いろいろ探してみたのだが、同じようなことを言っている伝承、つまり日蓮がこの話題の元ネタにした文献、をまだボクは見つけていない。

 

 不可解なことに、本書の後に書かれる『諌暁八幡抄』では、ちゃんとこの託宣は和気清麻呂が受けたことになっている。本書を書いた後に日蓮の本件に関する認識が変化したのだろうか。いや、そうではあるまい。件の託宣を八幡神が称徳帝に直接憑依して語ったのであればこの事件に際して和気清麻呂が登場する理由がなくなってしまうが、佐渡流罪の年(1271年)に書かれた『寺泊御書』には、やはりちゃんと和気清麻呂が首を切られかけた話……これは史実ではなく伝説の類になるが、清麻呂が八幡託宣を称徳帝に奏上したことが前提となる……が取り上げられている。従って、本書を書いた時点の日蓮には、それが史実であるがどうかはともかくとして、世間一般に知られている通りの宇佐八幡宮神託事件に関する知識があったはずである。

 

 とすると、日蓮主観におけるこの突飛な話題の存在理由は、前段で語られた八幡大菩薩は宝殿をすてて主上の頂を栖とし給うの実例として創話されたもの、と読まざるを得ない。要するに、この時点の日蓮が、本家道鏡もビックリの「オレが天皇だ」という考え、あるいはそれそのものでなくともそれに近い何か、を有し、かつ他人に主張しようとしていた、と疑わざるを得なくなる。ちょっとコレは流石のボクも驚かざるを得ない。

 

 本稿を書くにあたり、幾ばくかの今日の日蓮筋の人の手で書かれた『神国王御書』の註釈や要約にいくつか目を通しているのだが、皆が皆そろってこの下りについて、世間一般で知られる宇佐八幡宮神託事件のオーソドックスな概要を紹介するのみで、日蓮がここに書いていることの含意を真正面から扱っていなかった。こちらもちょっとショックである、こんなに面白いのに(ぉぃ)。

 

 とまれ、いろいろと衝撃を受けつつも、ボク個人は漸く数年越しのどうでもいい疑問に解を見出したとほくそ笑んだのである。ここでいう疑問とは「なぜ日蓮は自分を八幡とのみ同一視し、天照とは考えなかったのだろうか」という、本当にどうでもいい疑問である。つまり、日蓮が八幡を主上の頂を栖とし給う神であり、天照を明鏡にかげをうかべ内裏にあがめられ給う神だ、と考えていたのであれば、法華経の行者、日本国に有るならば其の所に栖み給う神は八幡だ、と結論したことだろう、という話である。いや、これもかなり突飛な話だが、とりあえず理屈としては整合する。

 

 が。

 

 日蓮はそう簡単にボクを解放(?)してはくれないのだ。と言うのも、本文に目を戻すと次下に以下に引くような下りがあるからだ。

 

 いかにとして、彼れ彼の四王は王位ををいをとされ、国をうばはるるのみならず、命を海にすて、身を島島に入れ給いけるやらむ。天照太神は玉体に入りかわり給はざりけるか。八幡大菩薩の百王の誓はいかにとなりぬるぞ。

 

 え、天照も玉体に入るのかよ!!

 

 まぁ、天照太神は玉体に入りかわり給はざりけるかは反語表現になっているから、日蓮は天照は天皇に憑依したりしない神だと観念した上で、敢えて四人の悲運の天皇が守られなかったことを強調したのだ、と強弁できないでもないが、どうにも決め手に欠く感があって納得がいかない。というワケで、まだしばらくボクはこの疑問から解放されないのであった、めでたしめでたし。

 

 それにしても、日蓮にとって結局のところ“神”とはどのようなものとして観念されていたのだろうか。前段では一見モダンな神観念を披瀝しつつ、ここで言われている玉体に入る神などというのは、要するに民間信仰の憑き物レベルの話であり、どう取り繕っても互いに整合しない。拙速な結論は避けるべきだとは思うが、個人的には、日蓮は“神”というものについて確たる信念を持っていたワケではなく、他者を説得する上で便利な“言葉”として扱っていただけ、のように見えなくもない。

 

 以上で本書の面白い部分はほとんど終わってしまったのであるが、本文はまだまだ続くし別の意味で面白いので、ここまできた勢いで全部読み切ってしまおう。

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