日蓮『立正安国論広本』を読む   作:wash I/O

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第一問答 立正安国論に見る日蓮の世界観

 立正安国論  沙門 日蓮勘

 

 旅客来たりて歎いて曰く、近年より近日に至るまで、天変地夭・飢饉疫癘、遍く天下に満ち、広く地上に迸る。牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり。死を招くの輩既に大半を超え、悲しまざるの族敢えて一人も無し

(下線は引用者による)

 

 『立正安国論』の書き出しは上引用の通りである。

 

 下線を付した部分は、略本では嘆の字が用いられている。略本・広本の差異の多くは、このような、趣意に大きく影響しない用字の変化である。ここで例に挙げる嘆→歎もそうだが、多くの用字変更は概ね全篇に一貫している・・・・・・つまり、日蓮は単なる思い付きではなく、何らかの明確な意図でもって用字を変えたことが伺えるのだが、それが何であるか、は一見して判然としない。

 

 一方で、この書き出しから見て取れるのは、安国論が疑う余地なくかなり自覚的な“文学作品”である、ということのように思う。この短い一節の中に、近年/近日、天変地夭/飢饉疫癘、遍く天下に満ち/広く地上に迸る、牛馬巷に斃れ/骸骨路に充てり、~の輩既に大半を超え/~の族敢えて一人も無しと、いわゆる“対句”の修辞が、これでもか、と言わんばかりに盛り込まれているのがわかる。

 

 略本の対告衆であった北条時頼・・・・・・歴代北条執権の中でも特に仏教的識見に優れ、この時点で自身出家僧でもあった・・・・・・の立場から見たとき、略本上程時の日蓮は無名の遁世僧に過ぎなかった。この冒頭の対句の嵐は、その彼に対し、日蓮が自身を一目置くに足る知識人であることを示そうとする精一杯の示威行為だったのではないか。

 

 と言うのも、以下は広本ならではの事情になるが、そもそも日蓮が安国論の改訂をおこなったのは、時頼の嫡子であり、広本執筆時点で執権であった北条時宗に上程するためだったと考えられているからである。

 

 コレは結果的に果たされなかったらしいが、広本改訂以前のエピソードとなるが、たとえば今日『宿屋入道再御状』の名で知られる真蹟断簡(前掲書p.68)からは、日蓮が北条得宗家被官の信者を介してそれを試みていたこと、そして当の宿屋入道なる人物……彼こそが時頼に安国論を取り次いだ人物でもあるのだが……自身は、その試みに消極的であったことを伺い知ることが出来る。

 

 同状の中で日蓮は宿屋入道に対し「万が一、他国の兵がこの国を襲ったならば(注:本状執筆は1274年の文永の役以前であり、蒙古襲来はまだ実現していない)このことを知っていながら奏上しなかった貴方の罪になるのだ(趣意)」と恫喝しているのだが、どうも宿屋入道は遠くの蒙古よりも近くの主君の不興……善意で捉えれば、結果的に日蓮の立場がさらに悪化すること……の方を恐れたようである。まぁ、これから読んでいく安国論本文を見れば、宿屋入道がそう考えたことを責める気にもなれないのではあるが。

 

 ともあれ、略本上程直後には、その内容に立腹した念仏信者衆にあわや落命の襲撃を受けた……これは日蓮側の認識であり、史実性にいささか疑問があるがここでは捨ておく……にもかかわらず、日蓮は広本改訂時点で、先に例示したような、嘆→歎の用字の修正には気を配る一方で、時頼からは少なくとも門前払いにされ、念仏信者からは殺意を以って応じられた安国論の体裁を、改める必要性をまったく感じていなかった、ということになろう。つまり、彼は文学作品としての立正安国論の出来栄えに、存外満足していたのである。

 

 そして、その目的、すなわち北条時頼の回心に日蓮は失敗している……時頼は略本上程の3年後には夭折しているので、日蓮にその自覚がなかった可能性はある……にも関わらず、時宗への再提出を目的におこなわれたと思われる改定にあたっても、その基本構造に何の変化もみられず、一方で細部への一見どうでも良さ気な微修正が加えられているということは、日蓮は文学作品としての『立正安国論』に、言葉は悪いが、自惚れていたと言えるのではなかろうか。

 

 視点を転じて内容を見てみよう。

 

 安国論冒頭は、主人(日蓮)の元を訪ねて来た客……日蓮の言い回しで言えば“国主”、具体的には北条時頼……が「このところ災厄続きで皆悲しんでいる(趣意)」と歎くところから始まる。つまり、これが書き手、すなわち日蓮の時代認識ということになる。近年より近日はこのような按配で、その原因はかくかくしかじか、と続いていくのだが、よくよく考えてみると、こと日本に限ってみても牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てりの状況は、有史以来、第二次世界大戦後の高度経済成長が始まるまでは、ずっとそうだった、と言えなくもないような気がする。いや、確実にそうである。天変地夭をいうのであれば、平成になっても阪神大震災、東日本大震災を我々は経験した。

 

 現代日蓮筋の人はこれ以って「立正安国論の主旨は時代を超えて普遍的である」とするのであるが、一方で日蓮自身は、彼にとって現代的な現象(詳しくはこれから見ていく)に、その主張の妥当性はともかくとして、すべての災厄の原因を求めている。つまるところ、少なくとも立正安国論それ自身は、日蓮にとっては彼の現代の問題を論じたものであって、時代を超えた普遍性は意識されていない、とボクは考えている。

 

 続いて、客が「いろいろなことをやっているのに災厄が一向に収まらない(趣意)」的なことをボヤくのであるが、ここに列記される事柄がなかなか面白い。この部分も、前段に続いて漢文風の対句が意識されている……つまり現実の描写よりも文章表現の流麗さが優先されている……ので、どこまで現実に即しているか、という点には議論の余地があるが、日蓮の意図としては、これらを客の台詞として言わせているのであるから、当時の、少なくとも知識層以上の人にとっての一般常識であるという前提で書いたはずである。つまり、以下に紹介する事物は、彼自身が直接見聞きしたものかどうかはいささか怪しげで、いや、確実に耳学問によるものも中には含まれてはいるだろうが、日蓮主観においては「日本の“まつりごと”とはこのようなものである」と認識されていた世界、ということになろうか。

 

 或は利剣即是の文を専らにして西土教主の名を唱え、或は衆病悉除の願を持ちて東方如来の経を誦し

 

 原漢文では、しばしば漢訳経典にも見られる“或(あるい)(は)”の字を文頭に連ねて同類の例を列挙する文体が採られている。つまり、これらが客の口から語られるところの、近年近日の災厄を何とかすべく世の中で実施されている対策の最初の二例、である。

 

 第一例は西土教主の名、すなわち阿弥陀仏を唱えとあるから、本書で狭義の攻撃対象となっている称名念仏のことであるのがわかる。第二例で東方如来とあるのは、要するに薬師如来のことで、敢えてどちらも通りの良い仏の名を出していないのは、文学としてのフィクション性を意識してのことかも知れないが、おそらくは、やはり、自身の教養の十全足ることを示すべく、対句(西土教主/東方如来)が意識され続けているからではないか、と思う。

 

 ところで、ちょっと日蓮の認識が変だな、と思うのは、字義から現世利益がイメージされる薬師信仰はともかく、称名念仏は、当時も、そして現在も、それを実践する本人が死後の救済を願っておこなうものであって、今この瞬間生きている世界の改善を期しておこなうものではないはずである。

 

 実は、“或”で連ねられた例の最後は、万民百姓を哀んで国主・国宰の徳政を行う、これだけが連記された他と異なり現代的な感覚で言うところの“政治”になっていて、文字通り日蓮が“祭(まつりごと)”と“政(まつりごと)”をカテゴリとして区別していなかったことがわかるのであるが、同様に彼は、死後の救済と現世での救済を別個のものとは考えていなかったようである。これについては後日論じることもあろうかと思うので、ここでは深入りせずに続きを読む。

 

 或は病即消滅・不老不死の詞を仰いで、法華真実の妙文を崇め

 

 あれ、法華は日蓮が弘めたかったそれじゃないの?どうしてここで客の口から出てくるの?とか言わないように。別に法華経自体は日蓮の専売特許ではなく、聖徳太子以来日本で最重要経典として珍重されてきたものである。具体的には比叡山天台宗、特に密教寄りに変化したいわゆる台密のことを言っているのだろう。

 

 日蓮は、自分(と最澄)のみが法華経に秘められた真実に気付いたのだ、という立場を採っているので、ここで言われているのは、日蓮主観にとってみれば、言わば“空振りしている法華経”といったところである。この「私だけが真実に気付いたのだ」という現代トンデモさんにも通じるノリが諸悪の根源(ぉぃ)のような気がしないでもないが、本題ではないのでここでは捨て置く。

 

 或は七難即滅・七福即生の句を信じて、百座百講の儀を整え

 

 これは現代ではイメージしにくいものになるが、仁王経に依拠して奈良時代以来朝廷がおこなっていた国家鎮護儀式のことを言っている。余談になるが、ここでいう七福が現代にも残る七福神信仰(大黒様とか弁天様とか)の由来になる。現在では神社の添え物みたいな感もあるが、元来は仏教から派生したものなのだ。

 

 有は秘密真言の教に因て五瓶の水を灑ぎ、有は坐禅入定の儀を全して空観の月を澄まし

 

 一本調子を嫌ってか、ここから冒頭の一字が“有(ある)”に変わる。厳密には、“有る”特定の人は、的なニュアンスが加わり、ここまで列挙したものと比して特別な階層の人にのみ関わることを示しているようにも思うが、それはともかく、前者は真言宗、後者は禅宗を指している。

 

 若しくは七鬼神の号を書して千門に押し、若しくは五大力の形を図して万戸に懸け

 

 再び冒頭の字が変わる。意味は“或”とさして変らないとして良かろう。これらは現代は一般的に見られなくなっている信仰形態になる。いずれも仏教由来の呪符のようなものを各戸に張って災厄を防ごうとする民間信仰だったようだ。

 

 若しくは天神地祇を拝して四角四堺の祭祀を企て、若しくは万民百姓を哀んで国主・国宰の徳政を行う

 

 意外なことに、現代の我々が日本固有の伝統的な信仰と考えがちな神道のそれは、こうして最後に登場する。ここで言われている信仰形態は、個々人のいわゆる“お参り”ではない。四角四堺の祭祀というのは、たとえば『続日本紀』西暦770年(神護景雲四年、宝亀元年)の条にある六月甲寅。祭疫神於京師四隅。畿内十堺。すなわち称徳女帝が畿内の疫病を受けておこなったとされる祭祀のようなものを言っている。そして末尾に前述した“政治”が来る。

 

 以上の記述は、必ずしも百科全書的なものを目指したものではないだろうし、むしろ、日蓮が自身が国家を論じるに足る人物であることを立証すべく、漢文の見栄えを気にして書かれた可能性が濃厚であり、広本改訂にあたってこの部分は手が加わっていないこともそれを示しているように思う。ゆえに、以下のようなことを論じるのは不適切であるかも知れない、と断った上で話を進めたいのだが。

 

 まず一つ目に気になるのは、日蓮のスローガンであるところの、いわゆる“四箇(しか)の格言”の対象となる四宗派のうち、“国賊”と罵られた律宗に対する言及がここには見られない点である。七鬼神だの五大力などという民間信仰に触れているにもかかわらず、だ。

 

 日蓮があわや斬首されそうになった龍ノ口法難(1271年)は、直接的には律宗の忍性(にんしょう)(極楽寺良観(りょうかん))との揉め事に端を発している。その忍性が鎌倉で活動開始したのが1259年であり、ほぼ同時期に当たる略本執筆時点の日蓮が、よもや律宗の存在を知らなかった、とは思わないが、少なくともここに列挙するほどの存在感を覚えていなかったのではないか、と考えざるを得ない。

 

 また、広本改訂時点では、日蓮は龍ノ口の仇として明確に律宗を意識していたはずではあるが、ここに列挙された、日蓮主観における「実施しても意味がないか、あるいは害のあるまつりごと」の中に律宗が加えられることはなかったし、全体を通してみても律宗に関する言及はない。これも、本人に自覚があったかどうかはともかくとして、少なくとも安国論の冒頭部分については、論述内容と自身の思想の適合の厳密さよりは、見た目の流麗さを優先していたことの現れのように思う。

 

 もう一点は、ボク個人の関心事だからそう思うのだ、と言われればそれまでだが、いわゆる八幡信仰に対しても言及がないことである。無論、列挙部末尾の天神地祇を拝してに内包されてしまっているから、とするのも結構なのであるが、安国論の宛先である鎌倉幕府が、何はさておき鶴岡八幡宮を宗教祭祀の中心に据えていたことを考えると、違和感はぬぐえない。

 

 一方で、実は、次回に触れたいと思うが、次下の部分で八幡の名こそ登場しないものの、八幡神と関わりの深いあるキーワードがさらりと登場しもするのである。従って、この部分を執筆、あるいは改訂している日蓮の脳内には、疑いなく八幡神が念頭の片隅にはあったはずであり、でありながら、北条時頼を仮託した客は、世を憂いて試みる諸努力の一つに、八幡信仰を挙げないのである。

 

 結論は急ぐまいが、ここから考えられるのは、日蓮にとっては、八幡信仰はここに列記された諸々のまつりごととは別カテゴリだったのではないか、ということである。そもそも、ここで無分別に八幡“信仰”と書いてしまっているのが問題なのであって、いささか飛躍気味であることを承知の上で言うが、日蓮にとって八幡神は、この列記の中に、

 

 或は代始まりて已に久しく成りぬ天皇に忠義を尽くし

 

とは敢えて書かないのと同様なものとして認識されていたのではないか、とボクなどは考えるのであるが、これについては詰め材を欠くので、今のところは着想のみ備忘するに留めたい。

 

 客の独白が「いろいろやってみたが災いは一向に収まらない(趣意)」と続いた後に、問題のキーワードが登場する。

 

 三宝も世に在し、百王未だ窮まらざるに、此の世早く衰え、其の法何ぞ廃れたる。

(下線は引用者による)

 

「三宝(仏、法、僧)がこの世にあって、百(代目の)王にも至っていないのに、どうしてこうも世の中は衰え、法が廃れてしまうのだろうか」ほどの意か。下線を付した部分が問題の部分で、いわゆる“百王説”、つまり天皇が日本を統治する時代は百代で終わる、という終末観であり、神武から数えて90代目となる亀山天皇在世の当時としては、これも一種の予言になっている。

 

 この百王説の由来にはいくつかの系統がある。

 

 よく知られているのは『古事記』上巻序に寔に知る、鏡を懸け珠を吐きて百王相続し、剣を喫み蛇を切りて、萬神蕃息せしことを(原漢文、一部異字を改めた) とあるから、皇位の相続は百代までだ、とするもの。もう一つ、吉備真備が入唐した際、ときの皇帝玄宗に解読を命じられたとする『野馬台詩(やばたいし)』なる漢詩に東海姫氏の国、百世天工に代る(同じく) とあるからだとするもの。後者は何やらノストラダムスの予言ブームを想起させられ、嗚呼、千年経ってもボクらはちっとも進歩しないのね、な気分にもなろうというものだが、それはさておき。

 

 どうも、鎌倉時代当時はこの百王説が、さすがに天皇を憚って定説とまではされないものの、それなりに人口に膾炙していて、差し迫った百王に対し少なくない人が不安を感じていたようである。今日において有名なところでは、天台宗比叡山座主の慈円(じえん)が『愚管抄(ぐかんしょう)』(1220年成立とされる)において百王説を取り上げており、これは明言はされていないが古事記に依拠していたようで、かつ、リアルタイムで当時の知識人・支配階級の人々にかなり読まれていたらしい。慈円は日蓮が生まれた(1222年)3年後に死んでいるが、後に見ることになるが、おそらく日蓮も『愚管抄』を読んでいて、かつ、明言はされていないがその内容に反感を抱きつつも影響を受けている。

 

 さて、日蓮遺文中で言及される百王説は上記のいずれとも異なり、『諫暁八幡抄(かんぎょうはちまんしょう)』においても言及されたところの平城天皇の御宇に八幡の御託宣に云く「我は是れ日本の鎮守八幡大菩薩なり百王を守護せん誓願あり」等云云に拠っている。少なくとも彼自身は、古事記説や野馬台詩説には言及していない*1。

 

 なお、念のために確認しておくが、八幡託宣における百王は、元来は「八幡神は天皇=日本の国体を未来永劫に守護する」の意であり「百代までの天皇は守護する」という意味ではないはずである。が、日蓮は、この元来の意味に期待を抱きつつも、天皇が統治する日本が百代で(あるいはそれを待たずに)滅びるのではないか、という危機感を有していたように読める。

 

 つまり、冒頭引用文を独白する“客”のみならず、日蓮もまた、百王説を受容していたということだ。

 

 以下、根拠薄弱な私見であることをお断りした上で、これも一種の“神仏習合”なのではないか、と考えている。この時代の(厳密には平安後期以降の)終末論と言えば、何はさておき“末法思想”である。

 

 古事記に見える 百王相続 も、元来は八幡託宣同様に「永遠に王位は相続される」を意味していたのだと思うのだが、仏教由来の末法思想が人口に膾炙し既成事実化していく過程において「我が国古来の伝承にも同様のものがあるのではないか」との視線が古事記に注がれた結果、その意味が、末法思想との整合を図るべく「百代目の王までは相続される」に読み替えられていったのではないか。前述の慈円は、確実にこの線で理解していたように思われる。

 

 コレは、古代インドには釈迦なる聖人があった、いや、我が国にもいたはずだ、そう、八幡神の本地は釈迦如来であらせられる……と同じ思考方法のように思われる。つまり、神仏習合、そのものである。

 

 以上、たった一文からやたらと大風呂敷を広げてしまったが、一旦整理したい。

 

 まず、日蓮は自らを末法の法華経の行者(『聖人御難事』ほか)と自認していたのであるから、なにはさておき末法思想に立脚した終末観を有していたことは疑いない。同時代の多くの開祖たちがそうであったように、その切迫した危機感が、彼をしてこの安国論を書かしめたのである。

 

 念のためここで確認しておきたいのだが、末法思想はキリスト教的終末論とは異なり、この世の終わりを意味してはいない。従来の釈迦の教えの効力が失われるので新機軸が必要とされる、という意味においての終末論である。したがって前述の開祖たちは、もちろん危機感を抱きつつも、同時に、自身が末法の世における新たな救い主になるのだ、という自負心もまた、大なり小なり有していたに違いない。

 

 一方で、安国論において、客の台詞とはいえ、彼は「末法に入ってしまったから世は衰えるのでしょうか」とは言わせずに、「百王に至っていないのに世は衰えるのでしょうか」と言わせている点に注目したい。いや、むしろ客……繰り返すが、時の武士の長である北条時頼、あるいは時宗を想定している……の台詞であればこそ、末法思想ではなく百王説をこの一文に取り込んだのだ、ということも出来よう。

 

 百王説は末法思想とは異なり、それがイコールこの世の終わりであるかどうかは別として、少なくとも当時の人々にとって生の所与の前提であったところの「上一人の天皇を戴く秩序」の終焉を意味している。当時の人々が書き遺したものを読むと、現代人が想像するほど彼らは天皇を盲目的に信奉していたワケでは決してなく、社会秩序の安寧維持のために天皇あるいは治天の君が必要である、ということに自覚的であったように思う。

 

 鎌倉幕府に限って言えば、天皇権力は常に目の上のたんこぶではあるものの、同時に自分たちの権威の依って立つところであり、その後ろ盾なくしては御家人たりとも将軍の下知に従ったりしないことは、十分に理解されていた。後の世の足利義満のような、自身が“日本国王”にとって代わろうと考える野心家を除けば、末法思想のような明の側面はそこにはなく、漠然とした無秩序への不安だけがあったはずである。

 

 では、彼自身、安国論執筆時の日蓮、相次ぐ法難に打ちひしがれた諫暁八幡抄時点での彼ではなく、ある種の期待を胸に国主諫暁に望んだ日蓮は、この時点で百王説を受容していたのであろうか。一見どうでも良さ気な問いに思われるかも知れないが、ボクの読むところ、安国論における日蓮は、百代、あるいはそれを待たずに天皇家が滅びることを、どうも当然のことと考えていた節が見られるのであり、これが、いわゆる立正安国論の予言にも大きな影響を及ぼしているように思えるのである。

 

 是れ何なる禍に依り、是れ何なる誤りに由るや。

 

 “客”の第一問がここで終わる。この一文もやはり対句になっているが、是れ、すなわち種々の「まつりごと」を以ってしても改善されない世の有り様に対し、禍(わざわい)、すなわち、是れを受ける人間の側ではどうしようもない外部的な要因と、誤り、すなわち、不適切な人間の言動がそれを引き起こしているとする内部的な要因、のふたつが想定されていることがわかる。

 

 これに対して“主人”、つまり日蓮自身の考えが開陳され始めるのだが、やはり文章の流麗さを狙ったと思われる粉飾部分を削って、彼の見解のコアの部分を抽出すると、下引用部分が冒頭の問いに対する彼の答えということになろうか。

 

 聊か経文を披きたるに、世皆正に背き、人悉く(1)邪に帰す。故に善神は国を捨て(2)去り、聖人は所を辞して還りたまわず。是れを以て、魔来り、鬼来り、(3)災難並び起こる。

(付番、下線は引用者による)

 

 下線部はいずれも広本における改訂部分である。略本では(1)に“悪”の字が用いられ、(2)は去るの前に“相”の字が添えられていた。(3)は元は災起難起になっていて、直前の魔来鬼来とやはり、いささかくどい対句になっている。(2)については書写時の脱字の可能性もあるが、ここでも改訂時の日蓮の関心事の多くが、修辞のブラッシュアップ……結果的にそうなっているかどうかはさておき……に向けられていることがわかる。

 

 逆に言えばこれは、広本改訂時においても、日蓮は自身の基本論理になんら迷いも疑いも持っていなかった、ということでもある。ま、御坊のお人柄を偲べば当然、といえば当然の話なのではあるが。

 

 さて、この三文の意味するところはさほど突飛でもなければ独創でもなく、むしろ、多くの日本人、に限った話でもなかろうが、が漠然と同様の観念を無自覚なまま抱えているのではないか、と思う。よって、ここで労を惜しまずに詳細に読み解いても無駄にはならないだろう。

 

 冒頭の客の問いは、ままならぬこの世の悲惨さが何に依るのか、と問うに際し、禍と誤りを並置していた。対して主人の答えは、故にで接続していることからこの両者に主従関係があることがわかる。すなわち、誤り=人悉く邪に帰すが第一要因としてあって、これが禍=災難並び起こるにつながっているのだ、というのが基本ロジックである。正しくないことをする者には相応の報いがある、という考え方は、その適否はともかくとして、読者諸兄にも大なり小なり根付いていることと思う。

 

 余計なことかとは思うが「何を当たり前のことを」などとは思わないでいただきたい。素朴な感情としてのこのような“勧善懲悪観”はあって然りではあるが、これは現実世界の実相としては必ずしも真ではなく、むしろ、そうあって欲しいという願望である。これを自覚しておかないと、我々はしばしば容易に、たとえば「あの人が癌になったのは日頃のおこないの報いである」などといった、勧善懲悪観の暗黒面に堕ちるのであるから。

 

 それはさておき、日蓮が確信しているところの、誤り→禍の因果関係を、もう少し詳細に見てみよう。つまり引用文において原因と結果をつないでいるところの、善神は国を捨て去り、聖人は所を辞して還りたまわず。是れを以て、魔来り、鬼来りが何を意味するか、という話である。

 

 最も素朴な勧善懲悪観においては「悪に裁きが下る」といったような表現が用いられることが多い。これは、それがたとえば、アブラハムの宗教における唯一絶対的人格神のようなものによるのか、あるいはアジアの天道思想のようにそもそもこの世界はそのような内在的な力学に支配されているのだ、と考えるのかはともかくとして、我々人間の言動を逐一監視し、審判し、然るべき報いを与える何物か、の存在を前提としている。対して、日蓮がここで言っているのは、明らかにそのような発想とは異なるものである。

 

 まず、大前提として、善神(ぜんじん)、聖人(しょうにん)があるものとされている。詳細を論じだすとキリがないのでここでは大雑把に捉えておきたいと思うが、人間を護り慈しみ導くところの何物か、がいるとしておいてよかろう。かつ、それはただ一体あるのではなく、多種多様にあるのであって、八幡神もまた、日蓮にとってはその範疇にあるものの一つ、と理解されている。

 

 と書くと、日本的ないわゆる“八百万の神”を連想するのであるが、ここで日蓮が言っているのはそれとはまた似て非なるモノである。古代より日本で観念されていた神は、一方的に人間を護り慈しむような存在ではなく、むしろ人間側の都合などお構いなしに、勝手気ままに荒れ狂う何物か、であった。対して日蓮の言う善神は、その名の通り善なる何かを我々にもたらす反面、人間の誤りに応じて、我々を捨てたり、我々から去ったりするものと観念されている。

 

 そして、その善なる何物かが誤まてる我らを捨て去った結果、魔だの鬼だのと表現される、善なるそれとは逆に、我々を責め苦しませときに命まで奪うところの何物かが来るというのであるから、これは要するに、この世界には(人間から見て)好ましい力と好ましからざる力が拮抗している、と見る“善悪二元論”の世界観ということになる。

 

 しかし、やはり一般に言われる善悪二元論と少し異なるところがあって、たとえばキリスト教において観念される天使と悪魔は、人間の事情などお構いなしに、それぞれ手前勝手にバトルすると観念されるものであるが、ここで言われているそれはそうではなくて、人間が正につくか邪につくかに左右される、いささか受け身な存在と捉えられている。

 

 と、ここまで書いてふと思ったが、日蓮が広本において略本の“悪”の字を“邪”の字に改めたのは、善神と悪鬼の対比と、正ではない状態を示す“邪”を明確に区別する必要性を感じてのことだったのかも知れない。

 

 そして、正邪……これは“正”と“邪”の両極があるのではなく、正が全うされない状態が邪、ということになろうと思うが……が問題になるからには、その基準とされる何か、があるはずで、言うまでもなく日蓮にとってはこれが“法”、すなわち釈迦の仏法ということになる。だから、これは本人がそのように観念していたかどうかは知る由もないが、“法善悪三元論”の世界観、と呼ぶのが妥当ではないか、と思う。言うまでもなく、この観念は日蓮オリジナルのものではない。浅深の差はあれど、仏教伝来以来の神仏習合の結果として、当時の日本人に、いや、今日の日本人の間においても、幅広く受容されている観念でもある。

 

 ただ、以上のことを彼自身は聊か経文を披きたるにと断って述べているのであるから、これも何を今更ではあるが、日蓮は疑いなく“原理主義者”なのである。つまり、彼は以上に分析してきたような法善悪三元論を、巷間言われているからとか、現実の観察であるとか、何がしかの実験であるとか、超越絶対者からの託宣であるとか、自分自身の沈思黙考であるとか、そういうものから得たのではなく、ただただ仏典に書いてあるからそうなのだ……一部、謙遜になっていない謙遜が含まれているにせよ……という文献絶対主義の立場を採っていることになる。

 

 これも念のために申し添えておきたいが「そんなのは僧だったら当たり前なのでは」と思わないでいただきたい。この時代に限らず、仏教僧の主張の中には「仏様の言われること=経典は道理にかなっている、ありがたやありがたや」とするものが、実は多いのである。そして、そういう物言いをする僧に限って、ここでいう“道理”が自分と読み手・聞き手の間で共有されていることを純朴に“妄信”していたりするのだ。つまりこれは状況によって如何ようにも転じえる情緒主義的な見解なのであり、要するに「そんな気もする」と言っているのと同じなのである。

 

 対する日蓮の、文献に対する依存度……と敢えて言おう……は、決して唯一無二ではないにせよ、ちょっと常軌を逸しているところがある、とボクなどは見ている。これを以って、ボクは彼を真正の原理主義者と判じる次第で、これは褒めていると同時に貶してもいるのである。そして、彼の、何よりもまず第一に文献を重んじる態度と、彼の文献の用い方が適切であるか、そもそもその文献は正しいことを言っているのか、との間には何の相関関係もないのであって、文献に対する言及毎に、逐一の検討が必要であることは言うを待たない。と言うか、結論を先取りすれば、それはかなりイッてしまっている。

 

 ともかく、その上で次下に彼は猛々しくもこう宣言する。

 

 言わずんばある可からず、恐れずんばある可からず

 

 仏典の聖性を確信して疑わぬ、行動する原理主義者。これこそが日蓮の真骨頂である。そのような意味において、彼が自身を末法の法華経の行者と自認するのは、まったくもって正しいのである。もちろん、だからと言って、繰り返しになるが、彼が言っていることが正しいかというとそれはまったく別の問題なのであって、まぁ、要するにトンデモないのであるが、そのトンデモなさがボクを魅了して止まないのである。

 

 以上本稿では、第一問答を通して安国論全篇の大前提となる日蓮の世界観を読み解いてみた。そして蛇足ながら付け加えておくが、ボクの意図するところは、読者諸兄をしてこの日蓮の世界観に対し、正邪の裁きをしていただくことにあるワケではもちろんない。他ならぬ読者諸兄自身に「では皆さんはどのような世界観を抱いておいでで?」と問うためである。自身の世界観に無自覚な方は、これを機会に熟考してみることをお勧めしたい。日蓮のそれに近いのか、まったく異なるのか、そもそも何か表明可能なレベルのそれを持っているのか。その機会になってこそ、いや、そこのみにこそ、こういう読書の価値があるのだから。

 

*1:
 浅学なボクはいまもって上託宣の出典を未確認なのだが、部分真蹟が現存する『神国王御書』という日蓮遺文に 太神行教に付して云く我に百王守護の誓い有り等云云という一節がある。「太神=八幡神が行教(石清水八幡宮の開山)に百王守護を誓った」ほどの意であるが、ほぼ同主旨の記述が見られる『東大寺八幡大菩薩験記』そのものか、あるいは、それと日蓮の認識に共通する底本が存在したのではないか、などと妄想を広げつつある今日この頃。

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