『諌暁八幡抄』などがまさにそうだが、特に晩年の日蓮の文章には、同一のモチーフに対する言及が、手を替え品を替え繰り返される傾向がある。この『神国王御書』でも、ここに至って再び源平合戦と承久の乱に立ち戻り、真言師たちが三三蔵より伝わる(日蓮主観において)誤った法を崇めた結果、
天照太神の内侍所も、八幡大菩薩の百王守護の御ちかいも、いかでか叶はせ給うべき。
となって天皇たちの悲劇を招いたのだ、と論じられる。
日蓮の手にかかると天照も八幡も、どうにも日本を統べる神としての威厳をあっさりと剥奪されてしまうようだ。ここでも、日蓮にとっての“神”がつまるところは便利な言葉に過ぎず、少なくとも信仰や崇拝の対象でないことを読み取ることができる。
さらに日蓮の筆は、再びいかに自分が罪なくして虐げられているかを主張するのであるが、その冒頭部分に少し引っかかる記述がある。
余此の由を且つ知りしより已来、一分の慈悲に催されて、粗随分の弟子にあらあら申せし程に、次第に増長して国主まで聞えぬ。
「このこと(ここまで論述されてきた内容)を知って以来、人々に対する慈悲の心から弟子に少しずつ教えてきたが、次第に広まって国主にまで届いた」ほどの意となる。これを言葉通り受け取ると、日蓮自身には国主諌暁などするつもりはなかったが、弟子たちに仏法を説いているうちに国主にまで聞こえるようになった(その結果、迫害を受けるようになった)ということになるが、これは今日の我々が知る彼の個人史とはいささか異なるものである。
日蓮が生地となる安房(現在の千葉県)で立宗を宣言した後、政治権力の中心地である鎌倉に居を移したのは明らかに彼自身の意思によるものであるし、かの『立正安国論』も、わざわざ北条時頼に近い自身の信徒である宿屋入道に仲介を願ってまで奉呈したものである。
穿った見方をすると、ここでの日蓮は自身が数々の難に遭ったのは弟子が至らぬ方法で彼の教説を広めたからだ、とでも言いたげであるが、ボクの見るところ、彼が幕府権力者の一部や鎌倉の有力な僧侶たちから嫌われるようになった直接の原因は、立正安国論で以って自身の思想が彼らにとって極めて危険なものであることを自ら喧伝したためだ。
それはともかく、どうもここら辺りまで書き進めて、日蓮の感情はついにピークに達したようであり、以降、怒涛の如くトンデモない論述が続くことになる。
日蓮が、二度の遠流、一度の頭に及ぶと彼自身回顧する生命の危機に見舞われたことは、半ば自業自得とは言えほぼ間違いのない歴史的事実であるし、また彼の政治権力や既存権威への働きかけが原則として言論によるものであることを思えば、その点については日蓮に同情しないでもない。が、続けて、
不軽菩薩が杖木をかをほりしも、限りあれば、此れにはよもすぎじ、とぞをぼへ候。
などと言われてしまうと、ちょっとそれは法華経の行者としてもいかがなものでしょうか、と思わなくもないのである。
言うまでもなく、不軽菩薩は妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十で説かれるところの常不軽菩薩のことである*1が、ここで日蓮は、かの菩薩が一切衆生に対する礼拝行をあだまれて杖木で殴られたりしたことも限りのあることだから、日蓮が今被っている苦難の方が凄いのだ、と言っている。
我々からすれば常不軽菩薩の物語はただの物語であるから、そりゃそうでしょう、と言ってしまえばそれまでなのだが、日蓮自身は法華経を含む仏典に書かれていることはどんなに荒唐無稽なことであろうともすべて真実である、という立場であるからして、彼が殉教精神からそのように主張するのは勝手ではあるものの、限りあればと言われた常不軽菩薩の殉難は、解釈の仕方にもよろうが法華経の字面に従う限り少なくとも二百万億那由他年にわたる話なのであり、かつ、常不軽菩薩は誰あろう教主釈尊の前世であるとされるのだから、それに対して自分の方が優っているというのは、なかなか大胆な発言である。
無論、これをもって現代の日蓮宗過激派諸兄が言うように、日蓮聖人は久遠仏であらせられるから釈迦仏に勝って当然なのである、と解釈するのもありだろう。が、その日蓮に本書を見る限り、自説に従わない人々に対して、常不軽菩薩のように我深敬汝等不敢軽慢と敬う気持ちが微塵も感じられないのは、いささか不整合ではなかろうか。
この居心地の悪さを念頭において、次下の日蓮の熱い主張を読むと、より味わい深いとボクなどは思うのである、我ながら妙な趣味だとは思うのであるが。
若し、百千にも一つ、日蓮法華経の行者にて候ならば、日本国の諸人、後生の無間地獄はしばらくをく。現身には国を失い、他国に取られん事、彼の徽宗、欽宗のごとく、優陀延王、訖利多王等に申せしがごとくならん。又其の外は、或は其の身は白癩黒癩、或は諸悪重病疑いなかるべきか。もし其の義なくば、又日蓮法華経の行者にあらじ。此の身、現身には白癩黒癩等の諸悪重病を受け取り、後生には提婆瞿伽利等がごとく無間大城に堕つべし。
百千にも一つとの書き出しは、書いている本人の意識としては謙遜なのだろうが、ここでは言葉通りに受け取ってよかろう。さて、もし万が一にも日蓮が法華経の行者であれば、それでどうなるか。まず、その日蓮を虐げる日本人は皆、死後(後生)は無間地獄行きだと断定した上で、それはともかく(しばらくをく)と話を進める。
国を失い、他国に取られんというのは、疑いなく蒙古襲来と、その果てに想定された日本の敗北、被征服を言っている。これを譬えて徽宗、欽宗……北宋滅亡時の皇帝父子……や
つまり、もし日蓮が正しく法華経の行者であるならば、『立正安国論』で示した警告に耳を傾けることなく、それどころか日蓮に対して迫害で応じた日本は蒙古に征服されて当然であり、またそうした日本人は死後は地獄へ堕ちるのだ、というのが引用前半部の意味するところだ。が、ご承知の通り、現実には天災にも助けられて、結果的に幕府御家人たちは元寇を撃退した。とすれば、この一文を以って、日蓮は自身の言説で以って自分が法華経の行者ではないことを立証してしまっていることになりはしないか。
続く後半部は、前段に見た善無畏に対する批判、すなわち無間地獄の前相、其の死骨に顕れ給いぬを受けての内容になっている。日蓮が法華経の行者であれば、日本人はみな白癩黒癩、すなわち永く業病として近代まで恐れられたらい病(ハンセン病)になるのであり、逆に、日蓮が法華経の行者でないならば、らい病になるのは自分であると言い切るばかりか、釈迦に反逆したとされる提婆達多まで引き合いに出して、自分は地獄へ堕ちるだろうと言っている。
大袈裟な言いようではあるが、これはある種のパラドックスを形成している言説である。地獄堕ちという客観的に検証不能なことはともかくとして、日本が蒙古に占領された事実はないし、当時の日本で大量のらい病患者が出たであるとか、日蓮自身がらい病になった、という事実もない。従って、日蓮は正しいことを言っているという命題と、日蓮は法華経の行者であるという命題は、決して同時には成立しないことになる。
善無畏の回心譚を彼の地獄堕ちの証拠として示す日蓮のことであるから、よもやこの論述を以って自身の論理破綻を指摘されても逆ギレはすまい、と思うのであるが、いくら高ぶる感情が書かせたものとは言え、このような物言いが自身の立ち位置を危うくするものであることに、まったく思いが至らないほど日蓮が阿呆だったとは思えないし、事実、この文脈においてですら彼は徽宗、欽宗らの名を示して自身の博識を誇示しているのであるが、それでもなお、このような論述を為さざるを得なかったことは、端的に、晩年の日蓮の追い詰められた心境を吐露したものだろう、とボクは思う。
もちろん、彼を追い詰めたのは彼に対する迫害ではない。拙稿中で繰り返し述べているように、彼を追い詰めているのは他ならぬ彼自身の思考様式である。端的に言い切ってしまえば、自分は何か間違っていたのではないか、と露も疑うことのできないその頑迷さが彼を追い詰めているのは一見して明らかである。が、これを以って、単に日蓮という個人がそういう愚か者だったのだ、と結論してしまうのでは底が浅かろう。
なぜ、彼は自分自身を疑うことができなかったのか。結論を先取りしてしまえば、たとえそれがどれほど我々から見て不合理極まりないことであるとしても、少なくとも彼自身にとっては、日蓮イコール法華経、法華経イコール日蓮であったから、である。日蓮にとって、自分自身に過ちがあるのではないかと疑うことは、法華経を疑うことと同一視されてしまっていた。日蓮にとって、自分が追い詰められているという認識は、法華経の真理性そのものが追い詰められているに等しかったのである。
上に見たパラドックスを含む極論も、彼が法華経の真理性が否定されるくらいならばすべてが灰燼に帰しても構わない、という思いの現れなのだ。ゆえに彼には、万が一にも幕府が元寇撃退に成功した際に備えてこういう極端な物言いは避けておこう、などという分別が働く余地が、清々しいまでに皆無なのである。
そして、日蓮は八幡神をその頭に宿すほどにとても正直なので、何を根拠に彼が自分自身と法華経を同一視するか、隠さずに次下で開陳してくれている。
*
『立正安国論』の略/広本の比較精読を通して、“人間日蓮”の在り方を決定付けたのは蒙古からの国書到来であるという結論を既に示した。この考えは、今も変わっていない。
が、よくよく考えてみれば、国書到来も蒙古襲来も日蓮自身が体験したことではなく、彼はそれを伝聞で知ったのみであるはずだ。現代であれば、テレビを通して劇的な何かを見たことが人生の原点になっている人がいてもさほど驚くには当たらないが、これは、ヴァーチャルがリアルを凌駕してしまっている今ならではの現象なのであって、鎌倉時代を生きた日蓮の原点が他人からの伝聞であり自身の生の体験ではないとするならば、これほど日蓮を愚弄する見解もないだろう。
本書『神国王御書』では、記紀神話から筆を起こして、天台法華教学視点から見た仏典解釈、日蓮にとっては直近の歴史となる源平合戦・承久の乱に至るまで、彼はすべて伝聞で知った事柄をベースに論を進めてきた。これは、彼主観においては、客観的事実を積み上げて自身の信念の正しさを証明せんとする企てであるから、当然と言えば当然なのである。
そして、本書執筆を通して彼の感情の高ぶりがピークに達した今、彼の極めて個人的な体験が語られることになる。
此れは教主釈尊、多宝、十方の諸仏の御使として世間には一分の失なき者を、一国の諸人にあだまするのみならず、両度の流罪に当てて日中に鎌倉の小路をわたす事、朝敵のごとし。其の外、小菴には釈尊を本尊とし一切経を安置したりし其の室を刎ねこぼちて、仏像、経巻を諸人にふまするのみならず、糞泥にふみ入れ、日蓮が懐中に法華経を入れまいらせて候いしを、とりいだして頭をさんざんに打ちさいなむ。此の事如何なる宿意もなし、当座の科もなし。ただ法華経を弘通する計りの大科なり。
上引用の冒頭は、ここまでの論述にも見えた主張の繰り返しである。日蓮は何ら世俗の罪を犯していないのに……少なくとも彼自身はそう思っている……二度も流罪になった。さらに、鎌倉の小路をわたすとあるのは、日蓮が斬首されかかった竜口法難において、鶴岡八幡宮前の道を晒し者のように引かれた出来事を指している。『諌暁八幡抄』にもこのエピソードを回想した記述があった。
おそらくは、この事件に自ら触れたことが日蓮を続く論述に誘ったのだと思うのであるが、本書中、彼自身の体験にもっとも詳細に触れた記述が上引用下線部となる。すなわち、
「小さな庵に釈迦像と仏典を収めていたが、これに押し入って仏像や経典を踏み荒らしたのみならず泥や糞に塗れさせ、日蓮が懐に収めていた法華経をとりだして、それで以って日蓮の頭をさんざんに打ち据えた。」
ほどの意となる。
これは、法華経勧持品の
本書においてここまで日蓮は、もちろん一部に仏教者とは思えない罵詈雑言が含まれることはいつものこととして、歴史と仏典に根拠を求めた極めて客観的な筆致に努めているように見える。その上で、自らの論述を通して高ぶった感情のピークに書かれたこの一節は、彼の偽らざる本心を吐露したものだと思われるのだ。
明らかに日蓮は、殉教の章とされる勧持品を含む法華経の巻物で殴られた、という体験を、深い意味のあるものだとして特別視しており、このエピソードを様々な文脈で遺文中に取り上げている。宗教体験というものは、得てしてそういうものだ、と言ってしまえばそれまでだが、頭を冷やして考えれば、主命で以って捕縛せんとする相手が懐に何か隠し持っていれば、武器と疑って取り上げるのは極々自然な行為であるし、これに日蓮が物理的にであれ言葉を以ってしてであれ抗えば、捕縛士が手に取った経巻で反撃するのもこれまた自然な行為である。
つまり、この事件は日蓮が懐に経巻を忍ばせてさえいればいつかは起こり得た何ら特別さのない事案であり、むしろ彼は、主命に従っただけの捕縛士に経巻で僧侶を殴るなどという(日蓮主観からすれば)重い罪を犯すことを誘発させてしまった自分自身を悔いるべきではないか、とすら思われるのであるが、無論、彼はそのような考え方はしていない。
ここにもやはり現代の奇人たちに通底するものを感じざるを得ないのであって、このような、視点を換えれば何でもない些細な個人的体験を特別視し、自身の信念の原点としているトンデモさんは、宗教分野に限らず例を挙げるのも面倒になるほどたくさんいる。このような、ある意味において秀でた感受性の高さが奇人の前提要件であるのか、あるいは、このような奇遇は一定の確率で誰にでも起こり得ることであり、その結果として奇人が生成されるのか、については俄かに判じ難いものがある。
かく言うボク自身にしても、たとえば八幡研究が昂じて訪ねた宇佐神宮の能楽殿前で、突如目前に現れたゆうに1mはあろうかと思われる蛇と烏のバトルに邂逅し、これは八幡神がボクに何か伝えようと目論んだ神変ではないのか!と危うく
まぁ、そういう冗談はさておき。
浅学不才なボクが反面教師にし得るほど類似のエピソードを知っている、ということは、このような事案が一定の支持者を得て語り継がれることが多々あることを示しており、同時に、語り継がれることすらなかった個人的なエピソードに至っては、人類史上に掃いて捨てるほど転がっていることを示唆している。つまり、これはただ日蓮という特殊な個人のみに起きた話なのではなく、他ならぬ我々自身の日常にもどことも知れず潜んでいる思考の陥穽なのだ。
むしろ、当時においては稀有に法華経に通暁していたがゆえにかの事件に特別な意味を日蓮が見出したことを思えば、二束三文の異世界転生譚が垂れ流されネットを介して容易に個々人の妄想が交換される今日の方が、そういった陥穽へ陥るリスクは目に見えて増していると言うべきだろう。
一方で、これを完全に忌避すべき、ともボクは思わないのであって、日蓮を生涯突き動かした熱量を思えば、そのような体験を得られることは、個人主観においては、実は幸福なことであるのかも知れないし、むしろ、それを待望している人が大多数ですらあるのではないか、と思えなくもないのではあるが。
閑話休題。
自身の体験を振り返って、改めて自らが法華経の行者であるとの確信を深めた日蓮は、でありながら現実が自分の思ったようにならないのは十方の諸仏が大音声を放ちて誓い給いしこと*3をちゃんとやっていないからだ、と異議を申し立てる。
なによりもなげかしき事は、梵と帝と日月と四天等の、南無妙法蓮華経の法華経の行者の大難に値をすてさせ給いて、現身に天の果報も尽きて花の大風に散るがごとく、雨の空より下るごとく、其の人命終入阿鼻獄と無間大城に堕ち給はん事こそ、あはれにはをぼへ候へ。
彼がいわゆる諸天善神と観念するところの梵すなわち大梵天王、帝すなわち帝釈天、日月すなわち太陽と月を神格化したところの日天・月天、四天すなわち四天王たちが、法華経の行者たる彼を大難から守らないがゆえに地獄に堕ちることが、あわれで嘆かわしい、と言っているワケだが、ここまで担保なき全能感を披瀝されると、呆れを超えてひたすら感心せざるを得ない。
かくして、本書現存部の最末尾は以下の通り。
設い彼の人人は三世十方の諸仏をかたうどとして知らぬよしのべ申し給うとも、日蓮は其の人人には強きかたきなり。若し仏の返頗をはせずば梵釈、日月、四天をば無間大城には必ずつけたてまつるべし。日蓮が眼をそろしくば、いそぎいそぎ仏前の誓いをばはたし給へ。日蓮が口(以下欠文)
ここで言われる彼の人人は、字面上は「人人」とあるが、文脈からすると前段で触れられた梵釈、日月、四天等の神々を指しているのは明らかだ。つまり、その神々が法華経の行者(日蓮のこと)の守護を怠ったことをいかに言い訳しようとも、オレがその罪をあげつらって必ず地獄へ落としてやる、と凄んでいることになる。ホント、どこから湧いてくるんだその自信?とか思うのであるが、その源泉こそがまさに本稿で触れた経巻殴打事件なのであり、そこに痺れるのである、憧れるのである。
それはともかく。そんなことをして何か意味があるのか、という根源的な問いは棚上げして、もちろん彼の主目的は、神々を地獄に落とすことにあるワケではない。そうされたくなければいそぎ仏前の誓いをばはたし給へ、すなわち、法華経の行者を守護するとともに、目下の国難である蒙古襲来を何とかしろ、というのが日蓮の言い分である。残念ながら現存する本書はこれ以降が欠文となっているのだが、まぁ、この後に何が書かれていたとしても、本書に対する評価がそう大きく変化するとは思えない、というのが正直な印象だ。
以上にて『神国王御書』を全文精読したことになる。次稿でまとめにならないまとめを書いて、本連載を締めくくる。