途中から何でこんなことやってんだろ?と思わないでもなかった日蓮著『神国王御書』の精読なのであるが、まとめにならないまとめを書いて適当に結びとしたい。
序においても述べたように、本書が実際のところ何を目的に書かれたのかはよくわからないが、ここに書かれたことを真に受ければ……後半部に見えた筆者の感情の昂ぶりを思えば、日蓮が冷徹かつ意図的に、読者を彼の真意とは異なる方向へ誘導しようとしたとは到底考えにくいのであるが……ここには彼の国家観、歴史観、世界観、神観が凝縮されている、と言ってよいように思う。
それらは、手放しに首肯できるような類のものでは決してなかったが、法華経原理主義を軸にそれなりに整合はしているので、なるほど日蓮はそのように考えていたのか、と、とりあえずは納得できる代物ではあった。
が、私見であることを断った上で敢えてここにひとつの疑問を投げかけてみたい。本書における日蓮の主張を改めてザッと要約してみよう。
(1) 日本は神代より続く天皇の支配する国である。
(2) その神や天皇は、娑婆世界の主宰者たる釈迦からその地位を与えられてそこにいる。
(3) 安徳天皇が壇ノ浦に沈んだり、後鳥羽上皇一派が島流しになったのは、彼らが真言を重用し釈迦に敵対したからである。
(4) 真言を退け法華経に帰依しなければ、日本は蒙古に滅ぼされるだろう。
真偽命題として捉えればいずれも明白に偽のそれであるから、それぞれについて吟味するには値しない。ここで問いたいのは、彼の筆の勢いに任せて隠されてしまっている“書かれていないこと”の方である。まず注目すべきは上記の(3)だ。
心理的に追い詰められた晩年の日蓮が、その思いをぶつける相手に真言宗を選んで好んで難癖していることは既に述べた通りである。(3)の主張もその一種であると言えばそれまでなのだが、本書では曲がりなりにもこれが国史の一節を借りて述べられているがゆえに、以下に述べることを問いたくなるのだ。
安徳天皇を結果的に自死に追い込んだのは、本州の西端まで平家軍を追い詰めた源氏一党、つきつめれば源頼朝である。後鳥羽上皇一派を配流し、明治の時代に至るまで諡号を得なかった仲恭天皇、いわゆる九条廃帝を強制退位させたのは鎌倉幕府、すなわち北条義時である。百歩譲って背後にどのような宗教的魔力が働いているにせよ、実行犯は実行犯であるはずだ。
日蓮が命題(1)(2)を心の底から信じ、自ら仄めかすような忠義報国の士であるならば、これらの天皇の末路の責を問うべき相手は、まずは頼朝や義時ではないのか、真言宗ではなくて?
ところがである。
本書における日蓮の筆は、明らかに頼朝と義時に対して好意的であり、特に義時については憶測を交えた怪しげな理屈で以って免責さえしようと試みた感すらある。なぜ日蓮は、三上皇を島流しにし後継した天皇を無理矢理廃位さえした義時にここまで義理立てする必要があるのか。
『諌暁八幡抄』にも、同様の疑念を抱かざるを得ない不自然に義時を持ち上げる記述があった。同書には、やはり釈尊御領観をベースに頼朝の平家討伐に肯定的に触れている下りがあった。このあたりの記述を総じて考えると、日蓮は鎌倉幕府を八幡神の権威を後ろ盾とした日本の正統権力と見ている。日蓮遺文中、北条一門の実権者が“国主”と書かれることもこれを裏付ける。
ここには大きな自己矛盾がある。その鎌倉幕府こそが日蓮の進言を聞き入れることなく、あわや斬首の憂き目に遭わせた上、佐渡への配流をおこなった張本人なのである。だから、日蓮は北条一門の祖先である義時に義理立てする理由など本来的にはないのであって、むしろ得意の放言で口汚く罵ってもいいくらいなのだ。蒙古襲来が現実化したのも、鎌倉幕府の重ねた悪手によるところ大なのだから。が、ついぞ日蓮の口(筆)からは、そもそも鎌倉幕府の存在が、北条一門の政り事が、我が国の有り様からして根本的に間違っているのだ、という主張は現れない。上記命題(1)(2)がそれを含意しているにもかかわらず、である。
これは何を意味しているのだろうか。改めて、以下は極めて私的な妄言であることを断った上で話を進める。
ここまで、日蓮がその晩年において真言宗を積極的に論難している動機について、追い詰められた彼が目に見える敵を欲したからだと論じてきた。が、これはちょっと読みが浅いのかも知れない。主著『立正安国論』において、日蓮は鎌倉幕府に物申す体で、実際には幕府の専修念仏排斥を追認するとともに、そこに理論的背景を与え得る自身の売り込みを目論んでいたのではないか、というのがボクの自説なのであるが、晩年の日蓮も、一見厭世に陥っているように見えて、その実は安国論の時点の野心(?)を抱えたままだったのではなかろうか。
つまりはこういうことである。
ともすれば日蓮は反権力的な僧として認識されがちなのであるが、よくよく考えてみると、本書に見えた無理繰りの北条義時擁護(こんな擁護をされたって本人は嬉しくも何ともなかろうけれども)にも表れているように、現時点の権力保持者、またそれを象徴する人物(義時がそれ)自身を批判することは、実はやっていない。
安国論では、日蓮は北条時頼に向かって、彼に言われるまでもなく幕府も快く思っていなかった専修念仏一派を指差し「あいつらが諸悪の根源です」と言っていたワケだが、『神国王御書』が幕府関係者に宛てられたものでないことは末尾の寄進に対する謝辞からはっきりしているものの、展開されている論理はまったく同じである。「日本は天皇の国です。天皇から実権を奪った幕府は国主です。しかして、諸々の悲劇の原因は真言宗です。」と彼は言っているに過ぎない。
そこで、日蓮が生きていた当時、鎌倉幕府と真言宗の関係はどうであったか、というところに関心がいくのであるが、詳細を論じだすとキリがないので大雑把な物言いにならざるを得ないのであるが、基本的に真言宗(厳密にいえば東寺)、さらには日蓮にその密教化を批判されている天台宗(比叡山延暦寺)は朝廷側の勢力なのであり、幕府にとっては仮想敵の一つだった。事実、時頼の時分から、それまで天台系と真言系から順に招かれるのが慣例になっていた鶴岡八幡宮の別当職から真言系が排除されるというようなことも起こっている。同職が東寺出身者の独占物になるのは鎌倉幕府滅亡後の話だ。
この観点からすると、実は日蓮は反権力でもなんでもなくて、幕府が潜在的に疎ましく思っている真言宗を指差して「あいつらが諸悪の根源です」と言っているだけなのであり、安国論において専修念仏に対してやったことと同じことをしているということになる。その動機は、あわよくば権力機構に登用され、幕府の真言宗に対する敵意を宗教論理において裏付ける仕事をすること、以外にないではないか。
仮にそうだとしても(ボクの空想する)日蓮のこの思考は、もちろん捕らぬ狸の皮算用なのであって、未だその権威付が不明瞭であった頼朝の開幕時点ならば露知らず、承久の乱の勝利体験を既に有していた日蓮在世の鎌倉幕府は、自分たちの言動を宗教権威で裏付ける必要性など最早感じてはいなかったはずである。これが、北条時頼が安国論を黙殺した理由であり、佐渡赦免以降の日蓮が時宗周辺からも基本的には無視されていた理由でもある。要するに日蓮は幕府の欲するところを読み違えているのであって、幕府側は、決して大きくはないが無視もできない日蓮一派が、背中から刺してさえこなければ、それ以上のことは何も望んではいなかったのだろう。
つきつめれば、本人にその自覚があったかどうかはともかく……多分、自覚はしていないと思う……日蓮の言動は傍からみる限りは、何とかして既存の権力に参加したい、けれど無視されているので、何とか反応してもらいたくて言葉が過激になっていく、という典型的なツンデレ状態なのである。さらには、彼は決して権力そのものやその庇護を望んでいたワケではなく……それが目的ならば、佐渡赦免の時点で幕府と適当に手打ちをする機会はいくらでもあったが、日蓮はこれを一蹴している……自分が政権運営に参加したら法華経の力によって、何だかわからないし具体的な方策もないけれどもとにかく日本が良くなるのだ、と本気で信じているのだ。
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我田引水ながら、関連して触れておきたいことがある。
先ず世間の上下万人云く、八幡大菩薩は正直の頂にやどり給い、別のすみかなし等云云、世間に正直の人なければ、大菩薩のすみかましまさず、又仏法の中に法華経計りこそ正直の御経にてはおはしませ、法華経の行者なければ大菩薩の御すみかおはせざるか
これは真蹟が現存する日蓮遺文中で「オレが八幡だ」が明言されている最初の例となるもので、末尾の法華経の行者なければ大菩薩の御すみかおはせざるかがそれに当たる。
ここで注目したいのはその部分ではなく、それを導く枕としてさらりと書き飛ばされている八幡大菩薩は正直の頂にやどり給い、別のすみかなしだ。続いて等云云とあることからこれが何らかの先行文献から引かれたものであることがわかるが、原典はいわゆる八幡託宣になる。
大神吾は、銅の火村を飯と食へども、意穢き人の物をば受けず。銅の火村を座と為すとも、穢き人の物は受けずとして、正直の人の頂を栖とす。諂曲の人をば、稟けずと云々。
日蓮はこの託宣を『諌暁八幡抄』でも引いているのだが、八幡神は正直な人を守護する、という意図で用いている。一方、原典の方は、これは西暦769年の託宣とされていることからわかるように、道鏡事件に関連して、諂曲の人である道鏡に買収されて八幡神が偽託宣を下すというようなことはないのだ、ゆえに道鏡に譲位せよとした神託は八幡神が下したのではなく他の邪神の介入によるものである、とする、おそらくは宇佐神宮の自己保身を目的として過去に遡って捏造された託宣である。
少なくとも、原典原意の解釈という意味においては、日蓮の言いは間違っている。一方で『法門』の引用冒頭に世間の上下万人云くとあるように、鎌倉時代辺りから“正直”というものに高い価値を見出す傾向が日本社会に生じ、これを後付で説明する権威の一つとしてこの八幡託宣が用いられたのはどうやら確かであるらしい。つまり、日蓮の言説は決して孤立したものではなく、確かに世間の上下万人云くを受けてのものなのだ。
では、ここで言う“正直”とは、具体的に何なのだろうか、というのを考える上で、これまた牽強付会であることを承知の上で、日蓮とある人物の関係について考えてみたい。
日蓮は浄土宗の開祖である法然を目の敵にしていたのであるが、二人は同時代人ではない。法然は1212年に没しており、日蓮は1222年に生まれている。対して、日蓮が目の敵にした同時代人として、1217年生まれの忍性、極楽寺良観とも呼ばれる律宗の僧がいる。日蓮側の記録では、日蓮があわや斬首となりかけた竜口法難のきっかけを幕府に讒訴したのがこの人だ、ということになってる。
この忍性であるが、律宗が現代においては宗教としての存在感をほとんど失っているため、知名度でははるかに法然に劣るが、当時としては日蓮よりもよほど有名で、かつ生き仏的な尊崇を集めていた人物である。というのも、この忍性は、現代で言うところの貧民救済事業のようなことにその生涯を捧げた人だからである。では、なぜそういう人物を日蓮は目の敵にしていたのか、ということになるのだが、単純に考えれば、生き仏として崇め奉られる忍性に対する嫉妬も少なからずあった、とは思うのだが……
極楽寺の良観上人は、上一人より下万民に至るまで生身の如来と是を仰ぎ奉る。彼の行儀を見るに実に以て爾なり。飯嶋の津にて六浦の関米を取つては諸国の道を作り、七道に木戸をかまへて人別の銭を取つては諸河に橋を渡す。慈悲は如来に斉しく徳行は先達に越えたり。
日蓮はエラく嫌味っぽく書いているのだが「極楽寺の良観(=忍性)さんは生き仏扱いされてるけど、関所の通行料を取っては道を作り、さらにその通行料を取っては川に橋を作る、まことに仏様の慈悲だ」ほどの意味になろうか。
これは何を言っているかというと、忍性の真意やその良否は別として、彼には明らかに事業家としての側面があり、ときの権力者を上手く説得して資金源を提供させ、その資金を投資してまた新たな資金源とする、ということをやっていたワケである。と書くと、急に忍性が何やら悪玉のようにも見えてこなくもない。が、繰り返すが彼の真意がいずこにあるかはわからない、が、結果的にこの事業に雇用された人が生活を持ち直したり、余剰利益を転用した貧民・らい患者救済が可能になり、その結果生じた彼の名声がさらなる事業拡大を促したワケで、至極立派な話なのである。
ここで注目すべきは、現代の我々ですら「権力者から資金を得、その資金を投資してまた新たな資金源とする」と聞くと何やら胡散臭く感じてしまう、その事実である。が、この胡散臭さ、というのは、忍性の行為が絶対的に胡散臭いから、ではなく、この時代にこういった事業活動を胡散臭いものと見做す感性が日本人の中に芽生え、それを現代の我々が大なり小なり受け継いでいるからなのであって、実は、その感性の根底にあるものこそが八幡大菩薩は正直の頂にやどり給いという言葉に象徴されているのではないか、というお話である。
つまり、ここに見られる忍性の活動、一般化して言えば、篤信の人から浄財を集めて回るといったような個々人の善意の積み重ねだけでは実現不可能な規模の継続的事業を投資と経営によって賄う活動、は、もちろん忍性の専売特許だったワケではなく、この時代に同時多発的に起こったムーブメントだったと考えられるのであるが、この、ある意味において中世的でない、極めて現代的なあり方を理解できなかった当時の(おそらくは多数派の)人から見たとき、これはまさに胡散臭いものだったのであって、ボク個人は忍性という人は本当に善意でやっていたと思う、と言うか、思いたいのであるが、一方で、まさにそういった善意を隠れ蓑にして利ザヤを稼いでいた人が少なからずいたであろうこともまた、疑いようがないのである。
日蓮の忍性に対する態度のみに限って言えば、これは嫉妬を後付の理屈で正当化したものの可能性が高いようにも思うのであるが、このような心象の持ち方が日蓮のみに固有のものであったはずもなく、こういった事業をドライブする側に立たなかった人、立てなかった人、立ちたかった人が、自身の無知や未成熟を棚上げして、このような新しい時代の潮流に対して、日蓮が忍性に対して抱いたような、あるいは、それ以上の憎悪とも言ってよい感情を有していたことは想像に難くない。
とは言え、普通の人間の精神は、嫉妬に由来する憎悪をそうと自覚したまま抱え込むにはあまりに弱過ぎるので、これをポジティブな方向に正当化する何か、が必要とされる。丁度、現代日本の一部の人々が、何でもかんでも憲法第九条を持ち出して騒ぐ……すべてが無意味、とは思っていないが、大半はナンセンス・コメディだと思う……のと同様に、である。そして、この間隙を埋めるべく、ああいう胡散臭いやり方は良くないよね、人間は愚直に生きるのが一番だよね、という思いを託されて人口に膾炙したもの(の1つ)が八幡大菩薩は正直の頂にやどり給いという言葉ではないか、というのが、言いたいことである。
言い方を換えると、これは生身の人間が操るところの政治・経済・権力、というものの存在を認めるか否かの対立である、とも言える。正直にやどる八幡、というのは、裏を返せば、そういう泥臭い現実を否応なく背負った人間、ではなく、清廉潔白な神様に支配されたいという、実際には非現実的な願望でもあるのだ。法華経の真理性と天神地祇の加護に期待する日蓮もそういったある種の純粋性を追い求めていたのであり、逆に、極めて泥臭い仕事をこなした忍性が、極端に理想化されて“生き仏”として語り継がれたのも同根の発想に拠るのかも知れない。
一方で、願望はあくまでも願望なのであって、どのような信仰を持つかは個々人の自由であるにせよ、現実には、常に政治・経済・権力は、誰か生身の人間が地道にときに手を汚しつつ処理していかざるを得ない難題なのであって、実際、誰かがやってきたのである。この、ある意味において不毛な対立項から我々が学ぶべきは、この自分ではない誰かの仕事自体の良否善悪を判じるのではなく、仕事をしたこと自体を悪と断じて自分自身から切断する操作と、正直にやどる八幡、という標語は、実は表裏一体なのだ、という点だ。
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正しい教えを知っている私にスポットライトを当ててくれる社会は良い社会だ。
乱暴に言い切ってしまえば、このセカイ系文学だかなんだかよくわからない主張が日蓮の思想の根幹である、としても、そう的は外していまい。そして、当の本人には社会運営の泥臭い仕事に関する具体的な着想は何もないのである……とまで断言するのは早計かとは思うが、少なくとも、政治レベルにおいては日蓮に法華経以外の一家言があったとは到底思えない。
繰り返し提起してきた「なぜ日蓮は自身と八幡神を同一視する物言いをしたのだろう」という問いの答えもその辺りにあるのだろう。彼は、鎌倉幕府が八幡神の権威を必要としていると誤認しているがゆえに「オレが八幡だ」と彼らに迫るのであり、迫られる鎌倉幕府側は既に八幡神の権威どころか、天皇の権威すら半ば必要性よりは副作用の方を疎んじつつあったのである。彼らがたちまちに欲していたのは、正しい言葉、ではなく、目前の難題をどのような形であれ実際に解決してくれる辣腕、ただそれだけだったのであり、日蓮ほどそこからほど遠い人も他にあるまい。
で、ここからが剣呑なオチになるのだが。
ここに述べた日蓮のスタンスを、日蓮遺文を真面目に学んでいるように思えないにも関わらず偶然か必然か見事に体現している人たちが、「オレが真に法華経の行者であれば日本滅亡間違いなし」と大見得を切りつつもついに権力への参加が叶わず死んでしまった日蓮とは異なり、今日において政権与党にちゃんと(?)加わっている、というのは、何とも面白い時代を我々は生きているんだなぁ、ということが言いたかった。
何が面白いか、ということまで書き出すと怖い話になりそうだし、そろそろ飽きてきたので、ここで一旦お開きとしたい。