客、色を作して曰く...
続く第三問は上記の書き出しで始まる。色を
日蓮自身の現状認識、つまり第二答に示されたところの(論理的には正しくないが)「災厄が続く、ゆえに、仏法が軽んじられている」という現状理解とは異なるところの、彼が想定していた客のそれは次下の通りとなる。
これは、今日の我々が鎌倉時代を振り返って思うところの理解とも一致している。中世ほど、日本において社寺勢力が隆盛を極めた時代はなく、その権勢は天皇を含む朝廷・公家、鎌倉幕府を中心とする武家、と拮抗していたと考えられている。いわゆる“権門体制論”であり、これについては日蓮自身もそのように認識していると考えてよい。
一方で、日蓮にとっては、社寺勢力の隆盛……一定の土地を専有しそこから上がる収益である程度の人員を継続的に養うことができる……が、即座に、仏法の隆盛とみなされているワケでないのは明白である。彼にとっては、それはあくまでも自身の法華経解釈が万人に受け入れられること、でなければならないのであって、かつ、その見解が安国論の読み手には受け入れ難いであろうとわかった上で第二答を示した、ということになろう。
と問うて第三問が終わる。第二問同様に、客に“証”を要求させておいて、仏典からの引用で応じる流れであることは一目瞭然である。では、続けて第三答で示されるそれを見ていこう。
主人は、確かに見た目上は仏教が敬われているように見えるけれども(趣意)と前置きした上で、
但し法師は
つまり、僧侶の心はねじ曲がっていて人々を惑わせるし、王も臣下もそのことに気付かず正邪の判断をおこなっていない、と応じる。その根拠は、やはり経典に求められることになる。最初に引用される、第二答にも登場した
諸の
略本では、下線部にさらに、是れ破仏破国の因縁と為すと続くのだが、広本ではこの部分が削除されている。思うに、削除部分は厳密には第二答で論じられた内容と重複するので、第三答の趣旨をより目立たせるために敢えて省略されたものだろうか。単なる脱文の可能性もなきにしもあらずではあるが、それはさておき、内容を読んでみよう。
まず、
続く部分は、さほど難読ではない。つまり、まず悪い僧がいる、と。それも、諸のとわざわざ添えられていることが示すように、単に一人だけタチの悪い坊主がいるのではなく、悪い「僧伽」が存在するとされる。そして、彼らは名誉と利益を求め、権力者に接近して、仏法や、ひいては国そのものを破壊するようなことを吹き込むのであり、また、権力者側も仏法に照らして彼らの主張を判断することをせず、盲信してしまうことによって国を滅ぼすのだ、ほどの意味になろうか。
以下、守護経、
以上の中でも、法華経勧持品からの引用がなかなか印象深い章句になっているので引いておきたい。
人里離れた静かな場所に、自分こそが真の仏道に通じているといいながら、町の人々を見下す連中……前引用の悪比丘のことを言っている……がいる。金や食い物に執着し、町の人のためにと称して法を説いて、まるで聖人のように尊敬される。また、彼らは常に一般大衆に向かって、我々(善なる比丘、といったところか)のことを「邪見の人だ、仏教ではないことを言っている」と非難する……といった意味になるが、やたらと具体的で、まるで見て来たようだ。
法華経の文脈上は、実は上引用部は、釈迦の弟子達が未来に起こる出来事を予測している体裁で語られる……ゆえに、日蓮もそのように理解している……のだが、どう考えても、これは2世紀頃に法華経を執筆した人々自身が、実際に体験した出来事としか思えない。
さて、ここから何がわかるだろうか。
第一に、これらの仏典が直接的に意味するのは、<仏教>の歴史上、立場や見解を異にするグループがしばしば存在し、一方がもう一方を非難するに際して、引用部のような表現を用いることが多かった、ということであり、また、これが、やはり成立時期・成立場所が異なる複数の経典に頻出するということは、<仏教>において、この頭の痛い内ゲバが日常茶飯事であった、ということである。本当にミもフタもない話になるが、そうとしか言いようがない。
第二に、そのような観点で読む限りにおいて、日蓮がそのような引用をどれだけ積み重ねても、客の第三問、つまり「あなたは今日において仏教が大切にされていない、と言うが、その証拠は?」との問いに対する答えにはなっていない、という点。強いて言えば「<仏教>は常にそうだったのであるから、今日もそうに違いないのである」と主張するのであれば、それはそれで筋は通るだろうが、そんなことを言って何になるのか。
もちろん、日蓮自身がそのような意味で引用していないことは、第三答の結句……やはり大量の引用の直後に唐突に宣言される……に、文に就て世を見るに、誠に以って然なり。悪侶を誡めずんば豈善事を成さんやと言い切っていることから明らかである。
百歩譲って、広本執筆時の日蓮、つまり各所へ流罪されたり他宗派の者に襲撃されたりあわや斬首になりかけた後の日蓮の立場であれば、その妥当性はともかくとして、彼の言いたいことはわからないでもない。つまり、彼は第三答で引用される経典中の「悪比丘に誹謗される我」と自分自身の境遇を重ね合わせているので、これらの経典が第三問に対する答えになり得ると確信している、と理解することは出来る。
が、以下の二点の疑問が生じる。
第一には、略本、すなわち1260年のオリジナル立正安国論を書いていた時点の日蓮は、まったく無名の遁世僧であったに過ぎず、従って、彼は誹謗されていないし、どちらかと言えば無視されていたのであって、前述したような自意識を持っていたとは思えないし、持っていたとしたら、それはどちらかというと病気である。
第二に、この有様を傍から見るとき、国主に向かって是れ邪見の人・外道の論議を説くと声高に叫んでいるのは、他ならぬ日蓮自身なのではないか、という疑問である。流石に日蓮はこれに気づかないほど阿呆ではないので、以降の問答でこの点に対する言及はあるにはあるのだが、詳しくはそこに至ったときに見ていこうと思うが、この問題に自覚があるワリには、彼の反論はいささか心許ないものになっている。
と、結果的に日蓮の主張の駄目な点ばかりを強調してしまったので、バランスを取るべく、逆の観点を示して本稿を閉じたい。
以上の論考にも十二分に含まれているが、古今東西、日蓮およびその門流に対する批判として「和を以って尊しとせず、ことさらに他者を論難するのが不届き千万である」というものがあるのは、今更述べるまでもないと思う。
が、前回の話にも通じるのであるが、傲岸不遜な日蓮の態度に目を瞑って虚心坦懐に考えるとき、この批判の前提であり、日蓮が踏みにじっている美徳とされるところの「和を以って尊し」が、絶対的に適正な価値基準であることは何ら証明されているワケではないのであって、むしろ、第三答の仏典引用で以って彼自身が「証明」して見せているように、日蓮の態度の方が<仏教>の伝統に忠実に従っている、と言うことは出来るのである、その良し悪しは別にして。
そして、いささか贔屓目に過ぎるとは我ながら思いつつも、結果論としての彼の主張にはまったく正しいところは見出だせないのではあるが、彼をそこに誘った思考過程、すなわち、何となくこれまでそうだった、とか、みんながやってるから、に流されることなく、原点となる根拠をとことん調べて、たとえ悪口合戦に陥ろうとも、正邪を決すまで議論しようぜ、という態度、しかも、その議論自体を楽しむ……ボクには、やはり安国論においても日蓮は筆が踊っているように見える……バイタリティは、現代日本人ならではこそ見習うべき点がないでもないように思うのであるが、諸兄は如何であろうか?