日蓮『立正安国論広本』を読む   作:wash I/O

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第七問答 本当は怖い大乗仏教

 古来、立正安国論の十問九答の構成については、第五問答を折り返し点として、一旦は席を立とうとする客、すなわち対話が破綻する寸前までいくけれども、以降の問答を通して主人と客が見解を同じくしていくという流れがあること、が指摘されてきた。確かに、表面上はそうである。

 

 が、繰り返し言うが、立正安国論はあくまでも文学作品、フィクションである。純粋に創作物として考えた場合、このドラマティックな構成は、俄かに鎌倉時代に一介の遁世僧によって書かれたとは思えないほどよく出来ている、ということは認めよう。

 

 が、現実には日蓮は本書を用いての国主の説得に失敗している。

 

 前話で触れたように、私見ではあるが、日蓮自身は略本執筆時点では自説が北条時頼、ひいては鎌倉幕府にすんなり受け入れられるものと考えていた節があり、そのような意味において、古来言われていたこととは異なり、第六問答までは、根っこの部分のズレはあるものの、専修念仏を野放しに出来ないという一点においては、日蓮と幕府の認識の間にはさほど溝はない。

 

 むしろ、以下に見ていく第七問答以降、つまり、ではその問題視される専修念仏、広くは日蓮から見て法華経に違背していると考えられている諸宗派に対し、具体的にどうしていくのか、ということが語られる段になって、文面上の主人と客との融和とは裏腹に、日蓮と幕府の思惑は乖離し始めるようにボクには読める。そしてその背景には、大乗仏教が<仏教>史を通して図らずも、あるいは、必然的に抱え込んでしまった“闇”があるように思えるのである。

 

 客、則ち和ぎて曰く……

 

 第七問の冒頭は上引用の通りで、言うまでもなく、日蓮主観においては、第六問答までの論理が幕府をして日蓮を重用するに足る賢僧であることの証明に成功していると考えている証しであろう。無論、実際に証明できているか否か、は別の話であるが、少なくともここまでの話であれば……特に念仏以外の諸宗派への当てこすりを欠く略本であれば……たとえば北条時頼が真面目に安国論を読み通したとして、ほほぉ、なかなか面白いことを言う御坊じゃの、程度には感じたのではないか。

 

 しかし、第七問の半ばから、これが怪しくなってくる。

 

 所詮天下泰平・国土安穏は君臣の楽う所土民の思う所也。夫れ国は法に依って昌え、法は人に因つて貴し。

 

 ここで言われているのは、いわゆる仏法王法相依論である。そのこと自体の是非はともかくとして、仏法(聖)の権威と王法(俗)の権力が車の両輪の如く協調してこそ社会の安寧秩序がもたらされる、とする考え方は、鎌倉時代の支配階級の人々の間では半ば常識化していたものである。無論、これはそのような理想が先行していたのではなく、権門体制下の日本では、それを前提としないと現実の“まつりごと”……何某かの権力を奮い得る者たちの間の利害調整を経ての意思決定……は不可能であった、というのが実態なのではあるが。

 

 これは日蓮が書いている客の台詞なのであるから、要するに日蓮が理想とする国主像の反映なのである。そして、この仏法王法相依論の受容を日蓮の側から暗に国主に要求している不遜さを除けば、ここまでであれば日蓮と幕府の考え方にはさほどのズレはない。

 

 最初の亀裂が走るのは第七問末尾の一文ということになろうか。

 

 若し災を消し難を止むるの術有らば聞かんと欲す。

 

 文面としては、天下安穏を願い仏法王法相依論を奉る客が、僧である主人の見識を問うているのであるから、ある意味とても理想的な関係であるしサラッと読み流してしまいそうな一文なのではあるが、こと現実的な観点から考えると、ここには日蓮と、幕府ひいては当時の王法権力全般が相容れなかった分厚い壁が潜んでいる。

 

 賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなはぬもの。

 

は、いわゆる天下三不如意として知られる『平家物語』の一節である。無論、これもフィクションであるから史実であるかはわからない。が、平家勃興前夜、絶大な権力を誇った白河法皇(上皇)が「山法師=比叡山延暦寺の僧だけは思いのままにならない」と愚痴る様にリアリティがあったからこそ、永く物語中に謳い継がれたものである。

 

 このリアリティ、すなわち、宗教権威者が“祭(まつりごと)”の領域を超えて“政(まつりごと)”に口を出してくることに対する忌避感は、白河院の時代から200年を経た北条執権下の鎌倉幕府にも共有されていた。むしろ、幕府がもっとも警戒していた宗教勢力は、少数異端に過ぎない専修念仏ではなく、この時代も変らずしばしば強訴に打って出た比叡山延暦寺であった。

 

 対する日蓮は、自身に伝教大師最澄以来初めて法華経の真意を汲み取った賢者、という強烈な自負があったがゆえか、この幕府側の警戒心を丸っと無視して、王法権力が仏法権威に災を消し難を止むるの術について教えを請うのが当然、という態度をここで示している。つまり、日蓮は、現実の仏法と王法の対立緊張関係を理解していなかったか、あるいは意図的に無視して、建前理想論としての仏法王法相依論を振り翳していることになる。

 

 そして、ここに生じた亀裂を知ってか知らずか、日蓮は続く第七答において、安国論において引用される仏典中、最も危険な思想を内包した引用を得々と披瀝することになる。キーワードは、一闡提(いっせんだい)である。

 

 さて、一闡提とは何であるか。その定義が第七答で引用される涅槃経に見えるので以下に引いてみよう。

 

 仏言く、純陀、若し比丘及び比丘尼・優婆塞・優婆夷有つて、麤悪の言を発し正法を誹謗し、是の重業を造つて永く改悔せず、心に懺悔無らん。是くの如き人を名けて一闡提の道に趣向すと為す。

 

 仏言くとあるから、例によって釈迦が語った体裁で綴られているが、涅槃経は一部パーリ語原典に遡る内容を含むとされるものの、引用部を含む『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)一切大衆所問品(いっさいだいしゅしょもんぼん)』は4世紀頃に成立したと考えられている大乗経典である。続く純陀(じゅんだ)は人名であり、つまり、釈迦が純陀なる弟子に語った、という形式になっている。

 

 比丘(びく)及び比丘尼(びくに)・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)のうち、比丘については既に触れた。以下は順に女性出家者、在家男性信者、在家女性信者を指すサンスクリット語を音写したものである。これらがここで連記されているのは、続く内容が、出家か在家か、男か女かを問わず、仏教の名の下に集う人々の間では普遍的であること、を表す修辞であり、ここでは、一闡提は、出家にも在家にも男にも女にも存在し得る、という意味になる。

 

 以降を字義通りに解釈すれば、出家在家男女を問わず、正法に対して悪口を言ったり批判したりする罪を犯しても、これをまったく反省も後悔もしない人、が一闡提の道に趣向している、として非難されていることになる。ちなみに、一闡提というのはやはり音写であり、原語ではイッチャンテカがこれに当たるそうだ。意訳された漢訳経典では“断善根”や“信不具足”、つまり、自ら善の根を断った人、信じる心を具えない人、とされることもあるが、元々の意味は“欲しがる人”らしい。

 

 ここで言われる正法が、突き詰めれば、この経典を釈迦に仮託して偽作した人たち自身が正しいと信じていた考え、に過ぎないことを思えば、要するにこれは、涅槃経を成立させた一派が自派に賛同しない人々に対して貼ったレッテルであることは明らかである。つまり彼らは、自身の対立勢力を、釈迦の言葉を騙って「欲深な連中め」と罵ったのである。

 

 ここまでは、まぁいい。類似の現象は洋の東西を問わず、普遍的に見られる現象といって差し支えあるまい。問題は、こうして定義された一闡提に対して、続いてどのような言説がなされるか、であり、これをボクは“危険思想”である、と言うのである。

 

 

                    *

 

 

 ここで少し脱線するが、ボクはこの一闡提という言葉に少なからぬ思い入れがある。と言うのも、ボク自身が他人の言を鵜呑みにせず、自身の頭で仏典の言葉を解釈しようと考えるようになったそもそものキッカケが、高校生の時分に知ったこの言葉だからである。

 

 但し一闡提人と申て、謗法の者計り、地獄守に留られたりき。彼等がうみひろげて、今の世の日本国の一切衆生となれるなり。

(佐渡御書)

 

 上記が、ボクが始めて一闡提という言葉を知った日蓮遺文の一節である。この見慣れぬ言葉を仏教事典で引いて、正確にどのように書かれていたかはもう覚えていないが、とにかく「絶対に成仏できない、救済されない人々」みたいな説明がなされていたのを読んだとき、すべての人間が仏になれるとする法華経の主張……と、当時は理解していた……に矛盾してるじゃないか、との疑問を抱き、これを整合させる解釈を自身で見出したい、と考えたのが、今思えばボクがこの趣味の世界に没入した発端なのだ。我ながら変な十六歳だったとは思うが、そういうヤツだったのだから仕方がない。むしろ、よくもまぁ今日、普通の人間として暮らせているものだ、と感心する(ぉぃ)。

 

 ちなみに、上引用部のみ読むと、佐渡に流された日蓮……佐渡で陳述されたから佐渡御書なのである……が、一切合切の日本人を逆恨みして「おまえたちは決して救われない人間なのだ」と嘯いているように見えてしまうかも知れないので、日蓮の名誉のために次下の一句を示しておくと、日蓮も過去の種子已に謗法の者なればと彼自身もまた一闡提であると認めた上で、ゆえに今世において流罪を含む種々の困難に立ち向かわねばならないのだ、と言っている。まぁ、ここでも「私も過去は念仏の信者で、法華経を笑った罪で今こうして島流しになっているのだ」と遠回しに法然の専修念仏に因縁をつけているのが、彼らしいのではあるけれども。

 

 

                    *

 

 

 以前『本当は怖い~』みたいな本が流行ったことがあったように思うが、ここから取り上げる立正安国論第七答は、差し詰め“本当は怖い<仏教>”といった感じである。

 

 主人の曰く、余は是頑愚にして敢て賢を存せず。唯経文に就いて聊か所存を述べん。

 

 以上の謙遜で第七答は始まる。例によって例の如く、真正の原理主義者である日蓮は、あくまでも経文がこう言っているのだ、と引用を進めていくのであるが、謙遜気味に始めておいて言うことがコレか、的な怖さがそのうち漂ってくるはずである。

 

 仏の言く、唯一人を除いて余の一切に施さば皆賛嘆す可し。純陀問うて言わく、云何なるをか名けて唯除一人と為すや。

 

 上記は、一闡提の定義を含む涅槃経引用の冒頭部である。ここで言われている唯除一人、すなわち、この人のみを除いて他のあらゆる人に施しをおこなうのであれば釈迦に賛嘆されるだろう、とされている例外中の例外こそが、一闡提であることは言うまでもあるまい。平たく言えば、涅槃経の作者は、自身に対する批判者だけは村八分にせよ、と言っている。

 

 これだけでも、十二分に我々が漠然と思い浮かべる<仏教>のイメージと随分異なることを言っているのであるが、これはまだ序の口、第七答に示される同種の引用の中では最もソフトな部類になる。

 

 ちなみに、涅槃経の当該部は、一般在家信者を代表する登場人物としての純陀が、釈迦に何度も何度も食い下がって「よくわかりません、どういう輩を除くのですか?」と繰り返し尋ねた挙句に、件の一闡提の定義が示される、という趣向になっている。この、釈迦に何度も問いかけてより詳細な説明を引き出していく演出は仏典では一般的な修辞ではある(要するに<仏教>における問答体の伝統である)のだが、これを記した涅槃経偽作者の心中を想像すると、敵対者に対する執念地味た憎悪がひたひたと伝わってきて空恐ろしい。

 

 以下、いささか冗長になることを覚悟の上で、一闡提の扱いについて言及する涅槃経からの引用を見ていくことにしよう。

 

 続いて引用されるのは、我往昔を念うに、閻浮提に於て大国の王と作れりで始まる、体裁上は釈迦の前世の因縁話である。大乗経典では、釈迦が自身の前世での行いを語り、以って現世に釈迦として生まれたのであると論じることで、究極の善なる行いを示そうとする修辞が頻出する。これもその様式に則っているのであるが。

 

 婆羅門の方等を誹謗するを聞き、聞き已つて即時に其の命根を断ず。善男子、是の因縁を以って是に従り已来地獄に堕せず。

 

 いきなりコレだ。

 

 まず、いくつか見慣れない語について補足しておこう。婆羅門(ばらもん)は仏教以外の教え……仏典はこれを“外道(げどう)”と呼ぶ……を説く識者、方等(ほうどう)はこの文脈では“仏教”の同義語と考えて差し支えない。善男子(ぜんなんし)は釈迦が弟子全般に呼びかける際に用いられる語で、ladies and gentlemen 程度の意味……まぁ、普通釈迦の説法の場に女性の同席は想定されていないのではあるが……だと考えればよい。

 

 すなわち「仏教を非難する人=一闡提がいたので、即座に殺した。諸君、このお陰で私は以来地獄に堕ちることがなくなったのだ」と釈迦に言わせているのである。

 

 しかも、単に殺した、ではなくて命根を断ず、つまり命の根を断った、と言っているのであるから、これは輪廻転生説を前提として、その転生の可能性すら奪った、ほどの意味まで込められている。言葉の上でのこととは言え、尋常ではない殺しっぷりである。

 

 しかも、これでもまだましな方なのである。

 

 次に紹介する引用部はあまりに長いので、拙抄訳を以って代えたい。曰く……

 

 殺す、という行為には上・中・下の三種類がある。下殺は虫や動物を殺すことであり、その報いとして下の苦しみを受ける。動物といえどわずかに善なる要素があるからである。中殺は普通の人を殺すことであり、その報いとして中の苦しみを受ける。上殺は父母や仏菩薩を殺すことであり、その報いとして阿鼻大地獄へ堕ちる。諸君、もし一闡提を殺しても、これら三種の殺しには当たらない。諸君、あの婆羅門どもは皆一闡提なのである……と。

 

 もう完全に民族浄化主義者のアジ演説である。虫を殺しても罪にはなるが、一闡提を殺しても罪にはならない、と言うのであるから、涅槃経の偽作者たちの自身の教説に従わない勢力に対する憎悪は、想像を絶するものだったのであろう。この人たちが、同じ筆で“一切衆生(いっさいしゅじょう)悉有仏性(しつうぶっしょう)”すなわち、すべての生きとし生けるすべてのものには仏となる可能性がある、と書いているのだから頭が痛い*1。

 

 やや毛色が異なるが、次のような一節も引かれている。まず、釈迦が死んだ後、世の中が乱れて来て、ただ食を得るためだけに出家する者が出てくるだろう、と言われる。これを経典中では禿人(とくにん)と呼んでいて、要するに「ハゲ頭野郎」ということになるが、是の禿人の輩、正法を護持するを見て駆逐して出さ令め、若しは殺し、若しは害せんと続くから、ここで言う禿人が一闡提とほぼ同義語であることがわかる。

 

 そして、本来正しい出家者は、戒律に従い武器を手に取るべきではないこと、を前提とした上で、以下のように続く。

 

 我今、持戒の人、諸の白衣の刀杖を持つ者に依って、以って伴侶と為すことを聴す。刀杖を持すと雖も、我是れ等を説いて名けて持戒と曰わん。

 

 白衣とは在家信者のこと。つまり、前述の禿人が攻撃を仕掛けてくるに違いないから、武装した在家信者でもって出家者が護衛されたとしても戒律を犯したことにはならない、と、我、すなわち、釈迦が特別に許す(聴す)、と言っている。比叡山の武装僧兵に頭を悩ませていた鎌倉幕府としては、最も聞きたくない内容の経文だったのではないか。

 

 興味深いことには、略本ではこの後もう一文、刀杖を持すと雖も命を断ずべからず、つまり、武装は許すがたとえけしからんハゲ頭野郎であっても殺生まではするな、という引用が続くのであるが、広本ではこの部分が削除されている。これについては、第八問答の検討に際して再び触れることになろう。

 

 同じ涅槃経でありながら、一方は一闡提の殺害を教唆し、一方は禿人の殺害を厳に戒めていて矛盾するのであるが、これはおそらくそれぞれの執筆者が異なるからだろう。一闡提/禿人の用語の違いもこれを裏付けているが、思うに、涅槃経を編んだグループも必ずしも一枚岩ではなく、敵対者の扱いについて温度差があったことの反映ではなかろうか。

 

 この後主人は、夫れ経文顕然なり。私の詞何ぞ加えんと言いつつも、原典紙面の半葉に渡って、ここまでに引いた経文の要約を一闡提=専修念仏に当てはめつつ繰り返す。加えてるじゃん私の詞、とか思うのであるが、ここまでほとんどの仏典引用を投げっ放しにしていた日蓮が敢えて自分の言葉を後に連ねるのは、ここにこそ彼の主張したい力点があったからに違いあるまい。いや、仮にそうでなかったとしても、読み手、すなわち北条時頼はそう思ったはずである。

 

 さて、一旦整理しよう。

 

 一見、客と主人が一触即発ムードとなる第五問答を含めて、およそ第六問答までは、専修念仏を野放しにはできない、という一点において、日蓮と鎌倉幕府の見解は実は一致している。が、そもそも鎌倉幕府が専修念仏を好まなかった理由は、その信者が他の神仏の権威を無視する余り種々の治安上の問題を引き起こすからだったのであって、日蓮の原理主義的なそれとは趣が異なっている。

 

 そして、この第七問答を鎌倉幕府の立場で読めば、日蓮が専修念仏と同じか、場合によってはよりタチの悪い治安上の不安要因になることは明白である。文面を素直に読む限りにおいて、日蓮は専修念仏者を殺せ、と言っているし、しかもそれを権力者に要求するのみならず、自らも刀杖を持してやってやる、と宣言しているようにしか読めない。しかも、専修念仏を含む仏教諸派の正邪は、幕府が判じるのではなく「日蓮に聞け」ときている。いくら専修念仏排斥を是と考えていても、日蓮のこの物騒な宣言を歓迎するほど幕府も時頼も脳天気ではあるまい。

 

 これが冒頭において「文面上の主人と客との融和とは裏腹に、日蓮と幕府の思惑は乖離し始める」と述べた理由である。そして、文面上は以降、主人と客は見解を対立させることなく終わるのであるから、書いている日蓮自身はこのズレっぷりにまったく気付いていないことになる。これもある意味、怖い。

 

 ここで少し脇道に逸れるが、現代的な感覚で言えば、第七答に見える日蓮の態度は、傲岸不遜な独裁者のそれであるように見えるかも知れない。ボクもそれは否定しない。一方で、日蓮という個人がそのような特殊な個人か、と問うと、それは少し違うように思う。これは<仏教>が長い歴史の中で溜め込んだ膿のようなものが、日蓮という個性を通じて表出したものである、とボクは見る。

 

 以下、論証するには詰め材を欠く私見であることを断った上で言うが、そもそも日蓮がここに引いた涅槃経が何故ここまで敵対者に辛辣であったか、ということを考えると、そこには同経が“一切衆生悉有仏性”という相反することを訴えていることが、無関係でないように思われる。

 

 つまり、元来は釈迦という突出した個性が、個々人が現世の苦しみを超克して生きる術の一端を示したに過ぎなかった原始仏教が、社会秩序の一翼を担う<仏教>へと肥大化していく中で、その一つの極大点として「仏とは歴史上の釈迦のみを指すものではなく、生きとし生けるものすべてが辿り着くことが出来る理想の境地なのである」という思想が生まれるのであるが、これは現代の我々からすると、理想論に過ぎるのはともかくとしてさほど違和感のない見解ではあるが、たとえば涅槃経が成立した紀元4世紀頃のインドや中国大陸の状況に思いを馳せれば、必ずしも万人が受容できるものではなかったはずだ。

 

 むしろ「そのような言説は仏の権威を汚すものである」と憤慨する人だっていたはずで、実際、涅槃経を含む大乗仏教派の人々は、そういう人々を「自分だけの悟りを目指す奴等だ」と蔑んで“小乗仏教”と呼ぶようになったのである。そして彼らの、自分たちこそが釈迦の目指した境地へ至りつつあるのだ、という強い自負心が、その反動として、自分たちの教説に対する敵対者への殺害すら容認する態度を生じさせているのである。「万人の仏性を否定する奴等など生かしてはおけない」というワケで、これは、しばしば今日においても見られる「差別主義者など殺してしまえ」というアンビバレンツな言説と、根は同じなのである。

 

 日蓮は、世を救う術を学びたいと欲すれば、何はさておき仏典を学ぶ他なかった時代に生を受け、実際に学び尽くして、そのような<仏教>を一身に体現して見せたのであって、一切衆生悉有仏性を認めない奴等は殺しても構わない、とまで思い詰めた涅槃経偽作者らの熱さもまた継承しているのだ、とボクは理解している。

 

 そういう意味において、ボクは彼の言説の字面上の意味には一切共感できないが、その熱さだけには共感するのである。まぁ、根が怠惰だから、共感するだけで自身は特に何もしないんだけども。どっちかというと現世に何も期待しなかった法然の方が、ボクは近いのかも。好きではないんだけどね浄土思想、なんか陰鬱だから。

 

*1:
 <仏教>史全般を見渡したとき、流石にこの一闡提に対する言及は評判が悪く、とは言え、表面上は釈迦の言説ということになっているから俄かに否定できないので、後世の注釈者によって種々の中和の試みがおこなわれている。従って、この一節のみをもって「仏教はトンデモない思想だ」とするのは適切ではない。が、<仏教>の流れの中にこのような言説をした人々が確かに存在したこと、それが長く釈迦自身の言説と見做され続けたこと、そして、日蓮もその系譜上にあり、原理主義的に文字通りの意味でこの経文を受容していたこと、は決して否定できないし、この事実から目を逸らすべきではない、とボクは思う。

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