嵐を伴った夜が来た。この世界においては、とても珍しいことだ。
窓に打ち付ける雨粒は、耳を伏せたくなるようなやかましい音を立てている。
ゴー、ゴー、と唸る嵐は狩人の住む家を薙ぎ払わんばかりの勢い。
その家には一人の狩人がいた。
年は十代後半に見える。身にまとっているのは古めかしい意匠が凝らしたインナーと緑のスカート。そして、獣の耳を生やしている。
一人で住むには些か広いと言えるこの家に狩人は居た。
狩人は窓の外を見ている。真っ暗で、何も見えない。雨粒が窓を埋め尽くしているだけである。
それでも、狩人は窓の外を見る。別に何が見えるか、何が見えないかは、たいした問題ではない。
窓の外を見る。その行為は、生前からの習慣になっている、それだけなのだ。
狩人は待っている。
誰かが帰ってくるのをいつまでも待っている。
窓の外を見るのは、もしかしたら、という淡い希望に過ぎない。
結局、待ち人は現れず、それで終わり。
その日もそのはずだった。
“コン、コン“
玄関扉を叩く軽い音。どうやら何者かが訪ねてきたらしい。
狩人の時間が止まった。
聞き間違いか、と身構える。しかし、再び叩かれる扉。
外からは嵐の轟音に遮られているものの、中に入れてくれと言っているようだった。
——————私は、このドアを開けてもいいのだろうか
少し時間を置いてから狩人は玄関へと向かった。
扉を開けるのは大変だった。外の風が強すぎるのだ。まるで開けさせてなるものかと、誰かが、扉を押し返そうとしているを錯覚するほどだった。
人ひとりがようやく入れるほどの隙間が開いた時、音の主が転がり込んできた。一緒に突風と大量の雨粒が入ってきた。そのせいで家の中が酷く荒れてしまう。
『ありがとう、助かったよ』とその者はまとっていた黒いローブを脱ぐ。
見た目は狩人と同じく十代後半といったところだろうか。
黒く輝く髪に目がいく。まるで夜の闇がそのままやってきたと思うほど、綺麗だった。
中性的な見た目だった。一見すれば女か男か判断できない。だが、狩人は男だと判っている。彼は雨風に長い間晒されたのだろう。唇は酷く紫がかっていた。
『ごめんね、こんな夜に扉を不躾に叩いてしまって』
申し訳なさそうに男は答えた。
それを横目に狩人は言った。
『ここに他人が来るのは珍しい』
男のことなど、まるで知らないような口ぶり。
男は苦笑しながら『そうだろうね』と返した。
『なにか拭くものと...着替えを用意しよう。そこに暖炉がある。暖まるといい』
男は礼を言った。
狩人は体を拭ける布と、家に残されていた男物の服を持って、部屋に戻ってきた。男はまとっていた衣服を脱いで暖炉のそばに座っていた。衣服は蛇の抜け殻のように放ってある。
軽く身を隠すように布を羽織りながら男は微笑んだ。
『見苦しいものを見せてごめんね。でも許しておくれ。雨を吸った服はどうにも気持ち悪くてね。体に張り付いて、さらに重いんだ』
布と服を渡して、狩人は言う。
『私は...構わないが。随分と無防備だな』
『ふふっ、別に襲われはしまい。それとも君が僕を襲うのかしら?』
悪戯な笑みを男は浮かべる。
狩人は目を細め、
『...私は汝の正体を知っている』
暖炉の横に掛けてあった弓を取り、言った。
男は目を伏せ、
『そうだね、———僕は“黒き怪物“。星に忌み嫌われ、神々を喰らったもの...だった』
だった、と男は言う。
それはつまり、今は違うということだろうか。
『だから、君が弓を放つ必要はない。勿論のこと、君に危害を加えるつもりはないし、こちらの用が済めばすぐに出ていくさ。反撃する力だって持ち合わせていないとも。
今の僕は、人として死んだ怪物の残滓にすぎないのだから』
『人として...?』
『うん。あれから色々あったんだ』
男と狩人の時間は違う。
もう二度と重なることはないのだ。
狩人が住んでいるのは俗世間とは切り離された場所。
ただ、愛した男を待つだけの場所。
『まあ君は知らなくて当然だね』
男は再び苦笑した。
そして、窓を見る。
『日が登るころには、嵐は過ぎ去るだろうか?』
『どうだろうな。ここまで荒れたのは初めてのことだから、私が答えることはできない』
嵐は相変わらず吹き荒れている。
きっとこの時だけが、男に許された奇跡なのだ。
『汝がここに来られたのは、奇跡だ。その奇跡がこの家で、暖をとることを許している』
狩人は男に向かい合って座り、そして、少し時間を空けて言った。
『もしよければ、汝の話を聞かせてはくれないか』
狩人は男を見る。
『彼を待っている時間の暇つぶしにはなるだろうからな』
『...待っている?』
『ああ、愛した彼を待っているんだ。
なんだか、汝を見ていると彼の事を鮮明に思い出してしまう』
と狩人は答える。
男は目を伏せ、
『それは、その、つまり』
『ん? ああ、誤解するな。まだ生きているさ。きっとどこかで。まあ、私のことなど忘れてしまっているだろうがな』
『忘れていて欲しい』、と狩人は言った。
男の正体をわかっていてなお、狩人はそう言った。それが、目の前の現実を認めたくないという悪あがきなのかどうかは、彼女にしか判らない。
しばしの沈黙。
男は口を開けなかったし、狩人もこれ以上続ける気はなかった。
『面白い話じゃなけど、いいかな?』
『...残念だが、仕方ないな』
男はしばらく黙っていたが、覚悟を決めたように話し始めた。
『...僕は悪だ。人をたくさん殺し、喰らった。罪を問わず、善悪から目を背け、謀り、愚かな行為を繰り返した。それは全て自分のため。一つの約束のためにだ。...後悔はない。この場所に辿り着いた今でもね』
これから話すのは、
男にとっては、かつて愛したものへ向けた懺悔であり
狩人にとっては、耳を塞ぎたいほどの醜聞である。
『———たとえ、やり直しができたとしても、僕は同じ道を歩む』
そして、男は自身の最期を語り始めた。
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