「やれやれ」と言うために 作:主人公は男
「やれやれ」
その言葉にどれほどの感動を覚えたか分からない。
それは、漫画のとある無口なキャラが喋る時に用いる口癖のようなものだった。
頼まれごとをしたとき、注意をされたとき、やられそうな主人公の前に立ったとき、彼は一言だけそう呟いた。
それは慈愛に満ちており、多様な喜怒哀楽を含ませ、スパイスという名の面倒くささを少しだけ混ぜ込ませた不思議なものだった。
この世にこれほど情緒に満ちた言葉があっただろうか。
僕は、彼の複雑な感情を見事に表した四文字に驚嘆した。
やれやれと 憂う心に 愛の花
これほど素晴らしいものはない。日本とはかように美しき文化であったか、と無条件にジャパンリスペクトをしてしまったほどだ。
しかし、それもまだ幼少の頃だ。
僕は周囲の大人たちと関わる中で気付いてしまった。
「やれやれ」と言う人があまりにも少ない。というか、厨二病を患った人しかいなかった。
これをやれやれと言わずに、何と言うのか。
詩をしたためる時代が過ぎ去った現代において、最早、言葉は形骸化してしまったのだろうか。
どれだけ探せども、含蓄のある言葉を言えるものはその手の専門家か、SNSに常時張り付いてる呟き廃人くらい。
時代の荒波に揉まれ擦れていく凡人のように、僕の心からジャパンリスペクトが反れていくのにそう時間はかからなかった、
ジャパニーズは最早廃れた人類なのかもしれない。
ならば、僕はこの日本の遺産を継承して、後世に伝えていこうと強く誓った。
何事もまずは形からだと、彼のように言葉数を減らすことにした。
無用な口数を減らし、一つ一つの単語を大切にするのだ。
口からまろび出そうな気持ちを無理矢理抑え、誰かに話しかけたいと思ってしまう邪心とひたすらに戦った。
彼は受け身な性格であった。ならば、僕も話しかけられるキャラでなければならない。そうでなければ、やれやれする意味もやれやれされる人の心情も薄いままだ。
口を閉じるためにマスクをし、何か言いたくなる度に飴を舐めたりガムを噛んだりすることで欲求を抑える。
人とは理性的な生き物である。本能を抑え込む理性が紡ぐものこそ、至上の価値がある。欲にまみれた獣の遠吠なぞいらない。
小学生で内なる獣を心に封じ、中学生で表情筋を支配下に置くことに成功した。
しかし、現実はそう甘くない。努力の結果できたのは、ただの陰キャだった。
やれやれ、と言う瞬間が一ミリもこない。というか、学校のテストで1位を取っても誰も話しかけにこないし、輝かしいはずの青春も来ない。修学旅行で歴史的に有名な寺や神社を訪れたというのに、僕の心は凪のように静かだった。
そのとき、僕は自身の変化に気付いた。
彼が発する「やれやれ』に常に複数の意味と感情があったというのに、僕の『やれやれ』はただ面倒くさいというだけにしかならくなっていた。
歌を歌わねば、現代の情緒代表たる歌を口ずさめば変わるだろうと、呼吸もままならぬままに口を開いた。
「ーーーー!!」
言葉が出ない。
それならばと過去の偉人の詩を引っ張り出して読もうとするが、言葉が出てこない。
中学最後の登校日、僕はやれやれすることも出来なくなっていた。
まあ、そんなこともある。
良くあるスランプのようなものだ。誰しも悩んでいる時は思ったようにいかないものである。
僕は心機一転として上京し、髪型も少しだけイカつくした。
高校デビューのような形になってしまったが、人とは移ろうモノ。場所が変わり、容姿が変われば、人の心も変わるのだ。
そして新たに幾つかのことを始めた。
一つは武道だ。
無口な彼は主人公が負けそうになったとき、スッと現れて主人公を助けていた。
普段ポケットに突っ込んでいた手を出して拳を固める。主人公は、幾度なく鍛錬を積んだようなゴツゴツとした手を見て思うのだ。
お前、本当は戦えるのか……!!
いや、これは僕が抱いた気持ちだった。
まあとにかく、このギャップが大事なのだ。ヒョロくて弱そうに見えるその服の中は一切の無駄なく鍛え上げられた肉体。
普段は無関心を貫くのに、主人公を助けるためだけに戦いの場に姿を見せる。そこに「やれやれ」という一言を付け足すことで、彼の苦悩と決意が滲むのだ。
自宅で筋トレをし続けたおかげで筋肉はある程度仕上がっているが、それも使えなければただの肉。
僕は、やっと本格的に始められたアルバイトで得た金を全て道場とジムに費やした。
変わらず声は出ないが、気にする必要もない。
真のやれやれは、大事な場面でこそ輝く。
来たるその時まで、僕は刃を研ぎ続けるのだ。
あっ、階段踏み外した。
路線はきっとシリアス