【本編完結】レッドキャップ:ヴィランにTS転生した話 作:WhatSoon
シールドを投擲し、ロボットの首を刎ねる。
バイクのアクセルを捻り、加速する。
手を上げて、反射されたシールドを回収しつつ、速度は落とさない。
頭上でミサイルが炸裂する。
爆発音が聞こえる。
……まるで戦場のようだ。
懐かしく思えるが、好ましい訳ではない。
平和は素晴らしい物だ。
争い事は……好きではない。
ただ、守るべき物を守るために、戦う必要がある。
それが兵士には必要だということ。
そして、そうやって戦い続けられる者を、人は
私はヒーローと呼ばれている。
ならば、責務を果たさなければならない。
レッドキャップ。
そう呼ばれている少女を救うために、彼女の兄は
その彼は……もう、亡くなってしまったと、スパイダーマンの友人から連絡を受けた。
……この世を去ってしまった者の願いは、そこで終わるのか?
いいや、違う。
その願いを引き継いで、押し進める人がいる限り……止まりはしない。
彼の願いは、私達が引き継ぐ。
故郷に掛かる橋を走り……超人血清によって強化された動体視力で、二人の少年少女を見た。
二人は抱き合っていた。
少女は泣いていた。
黒いアーマースーツに身を包み……血塗られたマスクを持ちながらも……ただの、ティーンエイジャーのように泣いている。
それを赤いスーツ……スパイダーマンが抱き締めていた。
素顔のまま、安心させようと背を撫でながら……二人は抱き合っていた。
「……良かった」
思わず、声が漏れる。
バイクは減速させなかった。
だから、この声は聞こえなかっただろう。
だが、『良かった』のだ。
彼女を助けるために、彼は苦心していたと聞いた。
彼女のプライベートを共有する友人だったとも。
だから、救えて良かったと……心の底から、『良い』と思えた。
喜べたのだ。
しかし、足は止めない。
バイクは止まらない。
彼女を傷付けた……そして、他の人間も傷付ける者。
これからも誰かを傷付ける悪人。
それらを許せる訳がない。
これ以上、彼女のような人間を生み出させない為にも、悪を討つ。
彼女の背を摩るのは、彼の仕事だ。
私達の仕事は……大人の仕事は、よりよい社会を作ることだ。
奴らに、この国を生きる場所など無い。
跨っているバイクを見る。
……トニー・スタークが整備したバイクだ。
と言ってもハイテクノロジーという訳ではない。
寧ろ、ヴィンテージ物だ。
アベンジャーズタワーは昔、スターク社の本社だった。
地下に幾つか、彼の趣味の車やバイクがあった。
その中から一台、借りたのだ。
勿論、許可は得ている。
まぁ、『もし壊したら弁償させるからな』と指差されたが。
シールドを再度、投げる。
反射して、頭上にいるロボットの胸部を貫いた。
橋を抜けて、そのまま街を疾走する。
目に映ったのは煉瓦で組まれた廃墟のような倉庫。
そこが……
……こんな都会の中に、彼等の施設があったなんて、正気を疑う。
バイクを停めて、辺りを警戒する。
……トニーは既に中に居るのか?
それにしては物音が聞こえない。
視線を少し上げると……砕けた窓ガラスが見えた。
トニーはあそこから入ったか。
私は扉の前に立ち……シールドで錠前を切断した。
そして、ドアを押す。
ギシギシと、錆びて軋む音が聞こえた。
中を覗き……薄汚れて、剥き出しになったコンクリートの床や壁を見る。
誰もいない。
「……クリア」
盾を構えて警戒しつつ、先へ進む。
足元の汚れ……そこから、普段誰かが通っているであろう道が分かる。
「…………」
声も息も、足音も殺し……素早く進む。
そうして、ドアノブがひしゃげたドアが見えた。
半開きになっているドアを押して、中に入る。
中に入れば……床がまるで鋭利過ぎるカッターで斬られたように、四角く穴が空いていた。
「……トニーか」
警戒を少し解いて、ため息を吐く。
元々、敵の施設には少数で入ると決めていた。
ティンカラーがリークした情報の中には、『センチネル』と呼ばれている破壊兵器があった。
アベンジャーズの他メンバーは、奴らを止めるために呼んだのだ。
だから、想定内だ。
アイアンマンとキャプテン・アメリカ。
二人で施設に侵入すると決めていた。
私は四角く切り取られた穴から、下に降りる。
思ったよりも深く、数メートル落下し……シールドを地面に向けて着地した。
ヴィブラニウム製のシールドは衝撃を吸収し、私は落下による衝撃を受けなかった。
……見渡す。
「また地下か……」
このニューヨークの地下に、無数に地下通路があると知った時は驚いた。
悪人は地下を好むのだろうか。
……人目につかないという点であれば、確かに正解だ。
……耳を澄ます。
金属の擦れる音。
トニーのアーマースーツの音だ。
そちらに向かって走り出す。
途中、所々に破壊された機械類が見えた。
機関銃のようなもの……タレット型のドローンだ。
そのまま走り……青白い光が見えた。
「トニー!」
シールドを投擲する。
振り返ったトニーの横を素通りし、人型のロボットを破壊した。
地上にいるロボットよりも低性能なようだ。
『キャプテン……あまり、驚かさないでくれるか?』
「いや、しかし──
じゃあ、どうすれば良かったのかと思ったが……ここは口論している場合ではない。
素直に折れることにした。
「……善処しよう」
『そうしてくれ』
トニーが片手を上げて……光を放った。
私の背後から迫っていたロボットを吹き飛ばし、破壊した。
……音を殺していたようだが、気付いては居た。
しかし、スタークが対処するだろうからと黙っていた。
『これで貸し借りは無しだ』
トニー・スタークは他人に借りを作られる事を嫌う。
だから、これは円滑なコミュニケーションのために必要な『見過ごし』だ。
……まぁ、トニーも私の考えには気付いているだろうが……本心を言わないのも、大人同士のコミュニケーションなのだ。
「……先へ行こう」
『あぁ、言われなくても』
トニーがアーマーから光を放ち、飛行する。
その背後を私は走る。
時折、起動する罠を破壊しつつ先へ、先へ。
「トニー、
『既に、この施設全体を
シールドを振りかぶり、ロボットへ叩きつけた。
トニーが光を放ち、追撃する。
「……コイツら、地上にいるロボットとは質が違うな」
『『センチネル』だったか?アレを作るのは大変なんじゃないか?』
トニーが蹴り飛ばしたロボットを、私はシールドで切り裂いた。
『センチネル』……ティンカラーから伝えられた情報に載っていたロボットだ。
曰く、一体で街を滅ぼせるほど凶悪な兵器。
それを何体も作っているのだから……やはり、
それに、未成年の少年少女に人体実験を施す、倫理観の無さ……それも危うい。
「もしくは、『材料』か?」
『なるほど、そういう観点は悪くない。あの意味の分からない
そうして……幾つかのスクラップを作り、大部屋のドアの前に辿り着いた。
私は中の様子を伺おうと──
『下がってくれ、キャプテン』
「何を──
瞬間、アーマーの肩が開き、ミサイルが射出された。
超小型のマイクロミサイルだ。
それはドアに直撃し、吹き飛ばした。
私はシールドで爆風を防ぎ……トニーを睨んだ。
「やるならやると、言ってくれないか?」
『言っただろう?』
悪びれる様子のないトニーにため息を吐く。
恐らく、私が反応できると確信を持ってやっているのだろうが……心臓に悪い。
トニーが焼けて歪んだドアを蹴飛ばし、私も中へ入る。
中は──
『壮観だな』
「あぁ」
機械に疎い私にも分かる。
現代の科学力を遥かに逸している機械の数々が壁に埋め込まれていた。
一目見ても分からない数字の羅列に、謎のグラフ。
目線をズラして……この部屋の主に目を向ける。
ソイツは、椅子に座っていた。
入口とは対極に位置する場所に座っている。
紫色の宗教観を思わせるマントに、緑色の服を着ていた。
未来人と聞いていた割には、時代錯誤な古い服装に見えた。
しかし、それは頭を見るまでだ。
紫色の円柱のような物を被っている男だ。
金属製でメタリックな艶がある。
それは6つの目のようなものがあり、黄色く鈍く輝いている。
『それ』は私達を確認した瞬間、足を組み替えた。
「よく来たな、アイアンマン。そして、キャプテ──
光が、その男の顔面に直撃した。
「トニー!?」
私は、攻撃した仲間へ目を向ける。
スーツの下でどんな顔をしているかは分からないが……私の方へ顔を向けず、口を開いた。
『茶番はいい。それは、お前の本体ではない筈だ』
「本体……?」
再び、男の方へ目を向けた。
頭は、なくなっている。
だが、切断された首からは……血は流れていない。
「……
『そういう事だ、キャプテン……本当に、舐めた真似をしてくる奴だ』
トニーが一歩、前に進んだ。
直後、周りを囲んでいたモニターが紫色に染まった。
……簡易化された人の顔のような物が映っている。
『酷い奴だな、アイアンマン』
どこからか……いや、周り全体から声が聞こえた。
それは男の声だ……先程と、同じ声だ。
『そう思うなら、姿を現したらどうだ?』
スタークが苛立った声を上げた。
『見せただろう?その姿は私が生身だった頃のものなのに』
「……生身、だった?」
私は訝しんだ。
そんな私に、声は語りかけてくる。
『キャプテン・アメリカ……簡単な話だ。今、君達がいるこの場所が……私、そのものだ』
目を細める。
『アーニム・ゾラ』のようなものか。
己の精神を機械に移し、不老不死を得た科学者……前例として、私は知っていた。
トニーは……何やら周りの機械へ目を移している。
……少し、時間を稼ぐか。
「お前は、何者だ?」
『ふむ、何者か……その問いは些か哲学的だな』
悩むような声が四方から聞こえる。
『人は私を『神』、『統べる者』、『ラマ・タト』、『
私は眉を顰めた。
『そうだな、『ナサニエル・リチャーズ』とでも呼んでくれ』
「……それがお前の名前か?」
『遠い昔はそう呼ぶ者もいた』
話していて、頭が痛くなるような奴だ。
今すぐに、この施設にある機械を全て壊して回りたい。
『しかし……君達も容赦がない』
「悪人に容赦などしない」
『うん?私の事ではない……彼女達の事だ』
「彼女、達?」
彼女達……まさか、組織にいるレッドキャップ以外のエージェントの事か?
彼女達を傷つけてなど……いや、待て。
何故、そもそも出会わなかった?
組織に存在する筈の構成員は……何故、誰一人としても出会わなかった?
嫌な、予感がした。
『ふむ、気付いてなかったのか。君達が戦っていた『バイオ・センチネル』……アレは未来世界で量産されている対ミュータント兵器を改良したものだ』
……
機械に対しては、不釣り合いな言葉だ。
ただの『センチネル』ではないのか?
疑惑は、より深くなる。
「それが、一体──
『まぁ、焦るな。最後まで聞け』
嘲るような笑いが聞こえた。
『君達が『ここ』に来る事は早い段階で知っていた……私は、組織の構成員にとある薬を投与した』
目前のモニターに映像が映し出された。
……若い子供が、何かを投与されている。
「アレは……」
『君達が必死に助けようしている、彼女にも使った『超人血清』の改善版だ』
注射を撃たれた子供は白目を剥いて、泡を吹いた。
私は目を見開き、モニターを注視する。
『まぁ、気にするな、キャプテン・アメリカ。もう既に終わった出来事でしかない』
倒れた子供を大人が引きずり、別室へと運ぶ。
『アレは本来、人間の持つ潜在能力を引き出し、後天性の
……非道な人体実験の成果を、さも誇るように語る。
『彼女が
「……それが、なんだと言うんだ」
『改良した薬は凄いぞ?どんな人間でも『ミューテイツ』に作り替える……脳を破壊し、思考力を奪う代わりにな』
「……何?」
『感情や
「……このっ!」
私はシールドを、モニターへと投擲した。
砕けて、スパークする音が聞こえる。
『案外、理知的ではないんだな。キャプテン・アメリカ……まぁ、良い。話を戻すか』
直後、モニターに映ったのは……先程、投薬された子供が手術台に乗せられている映像だ。
先程の会話内容が……脳裏に過ぎる。
彼女達。
脳のキャパシティを、特殊な能力へ。
『バイオ』センチネル。
「……まさか」
『やっと気付いたか?ミューテイツの脳を媒体とした、特殊な能力を行使する戦闘兵器……それが『バイオ・センチネル』だ』
直後、映像内で……頭を切り裂かれる子供の映像が流れた。
思わず、目を逸らした。
『この組織にある『生物的な資源』は全て使用済みだ。残っているのは私ぐらいか?あぁ、いや、私は生物ではなかったか』
「お前はっ──
『科学に犠牲は付き物だ。そうだろう?アイアンマン』
会話を振られたトニーが……首を振った。
『いいや?その考え方は三流だ。一流は犠牲なんて生み出さなくても、最高の発明が出来る』
『ハハハハ……しかし、私の解析には時間が掛かっているようだが?』
その言葉にトニーは返事をしなかった。
トニーの企みはバレていた……だが、奴が追い詰められているのは事実の筈だ。
「何が目的でこんな事を──
『数多の
「……マルチ、バース?」
聞き覚えのない単語に、トニーを見る。
……トニーも首を振った。
マルチバース。
多元宇宙論か?
しかし、そんなのは……御伽噺のような物の筈だ。
『力が必要だった……だから、私はこの時代で実験を行なっていた。そして、目標は果たした』
「……目標?」
『後天的に
……前半は分かる。
だが、後半は何を言っているのか分からなかった。
そんな私達を見て、モニターから嘲る声が聞こえた。
『知らずに助けようとしていたのか?お前達が助けようとしている女は……神にも等しい『目』を持っている。それは
陰謀論のような、信じられない言葉が幾つも飛び出してくる。
コイツは……何なんだ?
彼女は……何を背負わされている?
『私は彼女の脳を盗み見た……実に素晴らしく、実りある記憶だった。全ての生物がゾンビと化した宇宙があるのを知っているか?滑稽だったぞ?』
分からない。
だが、一つだけ分かるのは……コイツが、彼女の人生を狂わせているという事だけだ。
『しかし、もう用済みだ。……あの記憶は、お前達の手には余る代物。処分しなければ、ならない』
その言葉に、トニーが反応した。
『無駄だ。爆弾の起動は停止している……僕達の勝ちだ』
そう言い切ると……モニターが点滅を始めた。
『フ、ハハハハ、ハハ、案外、愚かなんだな?アイアンマン』
『何がおかしい?』
『フフ、あぁ、これならDr.ドゥームの方が幾分か頭が良いだろう』
苛立ったトニーが腕を上げた。
『答えろ。何がおかしい……何を間違ったと言ってるんだ』
『あぁ、良いだろう。答え合わせだ』
モニターの一つに、設計図が現れる。
それは彼女の心臓に埋め込まれていて……トニーが参考にした設計図だ。
『これは確かに、私がエージェントへ埋め込んでいた爆弾だ』
……その設計図を指し示すと言う事は、つまり。
トニーがこれを止める装置を作る事を想定していたという事だ。
『電波の受信機は私の手製だ。先程、話していた薬物のプロトタイプによって作られた、テレパスのミューテイツの脳を組み込んだ装置によって起動される』
『だが、その電波は既に遮断した筈だ』
『そうだな。アイアンマン。お前なら、そうすると思っていた』
モニターにもう一つ、設計図が映る。
それは先程の設計図に似ていて……少し、異なる。
『……これは』
『気付いたか?時限式だ……アナログな手段だが、堅実で強固だろう?』
その言葉に……私は、彼女の姿を思い出した。
同年代の少年と抱き合い……涙を流す、救われた筈の少女を。
瞬間、私はトニーへと口を開いた。
「トニー!今すぐ、救援を──
『もう既に送っている!』
焦るような声が聞こえて、頷いた。
そんな私達を他所に、周りから声が聞こえる。
『1時間前に既に起動しておいた……そして、爆弾のタイムリミットは1時間……さて?この意味が分かるか?』
「……このっ!」
私は怒りに身を任せて、シールドをモニターへと投げつけた。
だが、それは本体ではない……意味はない。
『ハハ、ハ……アイアンマン。お前はいずれ、私に感謝する事になるぞ?』
『何を言ってるんだ?お前のような奴に、僕が感謝する訳ないだろ』
『いいや、感謝する。あの時、殺しておいて良かったと……自身のミスで死なせて良かったと、お前は──
トニーが光を頭上に放った。
それは一見すると何でもないような部分に着弾した……だが。
辺りのモニターにノイズが走る。
『お前の本体は既に解析済みだ。ポンコツめ』
『イ、イイ。狙いダ……だが、もウ既に、情報は未来へト、送られテ、イル……異なル、時間軸の、私へト』
『あぁ、そうか。またこの時代に来い……その時も、また同じように打ちのめしてやる』
トニーの背中のジェットユニットが開いた。
それは、花弁のように変形し、正面へと向いた。
「待てっ、ト──
トニーの胸部。
両腕。
花弁のようなユニット。
それらが一つの砲台になるように合体した。
いつか、彼が自慢げに話していた……『プロトン・キャノン』だ。
全ての出力ユニットを結合する事によって生まれる、砲台。
それは大気を巻き込み、光を収束させ、竜巻のように全てを破壊する。
光が、解き放たれた。
光の奔流がモニターや、奴の
あまりの高エネルギーに金属は融解し、ガラスも黒く染まる。
私は地面に屈み、シールドで余波を防ぐ。
私に向けて撃たれている訳でもないのに、凄いエネルギーだ。
そして……。
上空、数十メートル。
「撃つ前に……少しは声を掛けられないのか?」
『それどころじゃないから、仕方ないだろ』
崩れる建物を、トニーに掴まれている私は見下ろした。
支柱が砕けたのか、決壊して崩れていく。
……後で、事後処理の調査が大変になるだけだ。
だが、トニーの気持ちは分かる……故に、怒れない。
『キャプテン、僕は今すぐピーターの所へ向かう』
ピーター?
……あぁ、あの少年、スパイダーマンの事か?
私は頭上のトニーに対して頷いた。
「分かった、すぐに降ろしてくれて構わない」
人を一人抱えていては、彼も最高速度を出せない。
いや、正確には最高速度を出せば生身の私にダメージが入ってしまう。
足手纏いになるつもりはない。
そう思って言ったのだが──
『すまないな、キャプテン。後でブリトーを奢る』
そう言い切った瞬間、私は手放された。
高度、数十メートルで、だ。
……急ぐ気持ちは分かる。
だから、文句は言わない。
彼女を助ける事を優先して欲しい。
だから、間違いではない。
しかし……やはり、言葉が足りない。
風に身を打たれながら、シールドを地面へ構える。
姿勢を整え、落下する。
そして、轟音を立てて、着地した。
いいや、墜落か。
「ぐ、うっ……!」
全身に軋むような感触があった。
流石に、この高さは、堪える、な……!
そう思いながら、ひび割れたコンクリートのクレーターから……這いずり出る。
……橋へ向けて、トニーが加速していく様子が見えた。
泣いていた少女の事を思い出す。
まだ、若い……未来ある少女の姿だった。
大人達の下らない考え、支配欲のために自由を奪われる事は……許されない。
私は、例え無意味だとしても止まっては居られなかった。
トニーを追って、走り始めていた。
◇◆◇
「く、ぷ、はぁっ……はっ……!」
川から這い出て……ミシェルを、川沿いへと引き上げる。
「げほっ……ごほっ……」
彼女が咳き込むと……飲んでしまったであろう川の水と、血が混ざっていた。
明らかな重傷だ。
少しでも手当が遅れたら死んでしまうような、そんな儚さを感じた。
分かってしまう。
ヒーロー活動をしていて……助けられなくて死んでしまった人達を見たから……わかるんだ。
この傷では……長くは持たないって事が。
「ミ、シェル……い、今すぐ、誰か助けを呼んで来るからっ!」
だけど、認めたくなかった。
僕は彼女から離れようとして……腕を掴まれた。
軽く……か細い力で……無意識に振り払えてしまえそうな程の、弱さで。
僕はミシェルへと向き直る。
彼女の口が、動いた。
「行か……ない、で……」
虚な、光のない目で、僕を見ていた。
僕の腕を掴んでいた手を、握り返す。
……川から上がった瞬間に、救難信号は出しておいた。
だから、誰かが来てくれる。
きっと助けてくれる筈だ。
「大丈夫だよ、ミシェル……大丈夫だから……」
ミシェルの手を、両手で握る。
僕の声は無意識の間に、震えていた。
◇◆◇
霞んだ視界で、よく聞き取れない耳で、動かない四肢で……ピーターを感じている。
もっと、見たいのに。
もっと、聴きたいのに。
もっと、触れたいのに。
なのに、得られる情報は全て、朧げだ。
……でも、きっと……悲しんでいる、かも。
ううん、悲しんでる。
彼は優しいから。
優しすぎるから。
……胸が痛い。
きっと、爆弾が爆発したんだ。
大丈夫だって言ってたけど……世の中、あんまり上手くいく事って少ないから。
私の人生、みたいに。
ゆっくりと、死に近付いてるのが分かった。
だから、言葉を話せる今のうちに……言いたい事があった。
言おうと思っていたのに、言えなかった。
私の気持ち。
「ピー、ター……」
一言、喋る度に傷口が痛む。
凄く辛い。
私の言葉に、ピーターが耳を傾けてくれた。
顔が見えるほどに、近くに来てくれた。
……私の好きという気持ちを伝えたい。
死ぬ前に……伝えたい。
私は──
ピーターの事が──
「ごめん、ね……」
言える訳がない。
好きだなんて、言えない。
今から死ぬ人間が、好きだなんて。
「ごめ、ん、ね……」
言ってしまったら、彼の重みになってしまう。
ピーターは優しいから、きっと気に病んでしまう。
「ご、めん……」
これから、彼が恋をした時に……障害になってしまう。
私の気持ちは、彼に遺せない。
ピーターを不幸にしたくない。
「……私の、こと……忘れ、て、いいから……」
この世界はピーターに対して、厳し過ぎる。
せめて、私ぐらいは彼を……彼の苦悩を理解してあげたかった。
彼を幸せにしたかった。
なのに。
「忘れ、て……お願、い……」
私は彼の不幸そのものだ。
これからの苦悩になってしまった。
死んで、尚……彼を不幸にしてしまう。
嫌だ。
嫌だよ……。
私、ピーターを不幸にしたくない。
ピーターの顔が近づいて、耳元で囁かれる。
「……絶対に忘れたりしない」
……その言葉は、私の望んでいる言葉じゃない。
なのに、嬉しく感じてしまうのは……私が浅ましいからだ。
本当に、私……最悪だ。
「ミシェル……僕は、君と出会えて良かったと思ってるから」
……そんな優しい言葉を掛けないで欲しい。
「だから、忘れない……それに、これからも一緒にいるんだから……ここで終わりだなんて言わないで欲しいよ」
……優しくしないで。
そんなの、だって。
生きたくなってしまうから。
これから死ぬのに……嫌だよ。
死にたくない。
死にたくないなぁ。
まだ、一緒に居たいよ。
私も。
まだ……一緒に。
この世界を見ていたい。
貴方となら、きっと楽しい。
だから。
死にたくない。
だけど。
もう。
◇◆◇
ミシェルの耳元から顔を離すと……目が、僕の方へ向いた。
「ピー、ター……」
名前を呼ばれる。
か細く……悲しげに。
「ど、こ……?」
「居るよ……僕は、ここに居るから……!」
抱き締めるだけでは……気付いてくれない。
もう四肢の感触がないのだろう。
辛うじて、話せるだけだ。
口を動かせて、息をするだけ……。
それなら。
僕は顔を近づけて、唇を重ねた。
一度目のキスは……彼女からだった。
背中に注射器を刺されて痛かった。
二度目のキスは……血の味がした。
彼女の命がこぼれ落ちていくのを感じてしまった。
僕達のキスは……なんで、こんなに悲しいのだろう。
……唇を離すと……ミシェルは頬を緩めた。
「……あり、がと……ピー、ター……」
謝罪ではなくて……感謝の言葉が聞こえた。
それは嬉しくて……でも、悲しくて。
「ミシェル……?」
彼女の瞼が、ゆっくりと閉じて。
「そんなっ……」
言葉を話さなくなって。
「待ってよ……」
吐息が、無くなって。
「まだ、話したい事が……沢山あるのに……」
動かなくなった。
まるで、死んでしまうみたいじゃないか。
死ぬ……ミシェルが?
死んでしまう?
「だ、誰か……!」
周りを見渡す。
誰もいない。
ニューヨークは避難命令が出てるらしいから。
本当に誰もいない。
「誰でもいいから……!」
涙が止まらない。
「助けてよ……ミシェルを……誰か……!」
冷たくなっていく彼女を抱きしめて……僕は……声を振り絞った。
静寂の中に、僕の声が……虚しく響いていた。
流れ出る血を止められない。
僕の中の大切な思い出が、血で汚れていく。
幸せだった思い出の最後に、彼女の死という耐え難い事実が付け加えられる。
そんなの嫌だ。
嫌だ。
僕は……。
『ピーター!』
名前を呼ばれて、そちらを見た。
駆け寄って来たのは……シンビオートを身に纏った、グウェンだった。