【本編完結】レッドキャップ:ヴィランにTS転生した話   作:WhatSoon

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#105 アメイジング・ファンタジー

僕は目を開いた。

 

パチパチと音を立てて、電球が光を放っている。

布団を手で払った。

 

欠伸を一つ。

 

壁にかけられた冬物の服だったり、絨毯だったり……拷問器具。

サッカーボールぐらいの大きさの目玉のホルマリン漬けとか……カチカチうるさいメトロノーム。

何かの動物の皮で出来た本、木の棒。

 

倉庫のようになっている部屋で僕は目を覚ました。

 

……匂いを嗅ぐ。

ちょっと臭いし、何かの薬草っぽい臭いもする。

 

埃っぽいソファから降りて、体を左右に振る。

バキバキと関節が鳴った。

 

歪んだメロディーを奏でる階段を登ると、広間に着いた。

 

 

「……もう、行くのか?ピーター」

 

 

階段の上に、薄手のコートを着たスティーヴンがいた。

手にはマグカップ……コーヒーだ。

 

 

……僕がメフィストとの契約で例外に選んだのは『スティーヴン・ストレンジ』だ。

 

グウェンやネッドを選ぶ事は出来なかった。

彼等を選べば、ミシェルに話が漏れてしまう可能性がある。

そうじゃなくても、嘘を吐く辛さを背負わせてしまう。

 

選ぶ『例外』とはつまり、僕と秘密を共有する共犯者を選ぶ事だった。

 

誰にするか……頭の中で色々な人の顔が思い浮かんだ。

 

……スティーヴンは『覚えておこう』と言っていた。

ミシェルには『話さない』と約束してくれた。

 

そして、彼とはそれほど……他の人よりは親しくない。

その日、出会ったばかりの人だからだ。

 

だからこそ、僕に必要以上に気負わないと思った。

 

……だから、スティーヴンを選んだ。

思い付いたきっかけは、彼が僕を『覚えておこう』と言った言葉だったけど。

 

結果的にこの選択は正しかった。

何故ならメフィストとの契約後、僕は地獄に精神を取り残されてしまったからだ。

 

奴はミシェルの魂は返したけれど、僕を現実世界へ帰らせるとは言ってなかった。

スティーヴンが覚えていて、僕を地獄から引き上げていなければ……どうなっていただろう?

 

少なくとも、今ここに立ってはいない。

 

 

「……でも、いつまでもここに居るのも……申し訳ないし」

 

 

階段の上を見上げる。

大きな円形の天窓は、魔法陣のようなマークが書いてある。

 

サンクタム・サンクトラム。

ニューヨークに存在するスティーヴンが住む拠点だ。

……拠点として以外にも、邪悪な存在を封じ込める結界の役割があるとか。

そういう意味でもスティーヴン以外の魔術師だってよく来る。

 

というか、スティーヴンは至高の魔術師(ソーサラー・スプリーム)という役職だから、カマー・タージ?って呼ばれてる遠い場所にある聖地の管理とかで忙しい。

 

僕がいつまでも、ここに居て良いとは思えない。

彼は多忙だ。

 

 

「別に迷惑ではない。そもそも、行く当てはあるのか?」

 

 

僕は視線を逸らした。

 

正直に言うと、無い。

そもそも、この世界に僕の居場所なんてないだろう。

 

前に住んでいたアパートの自室は、入居者募集中になっていた。

学校の在籍リストからも無くなっている。

……実家の、メイ叔母さんに挨拶しても「初めまして」と返されてしまった。

 

 

無くなってしまった。

家も、家族も……友人も。

何もかも、無くなった。

 

 

僕の顔を見て、スティーヴンはため息を吐いた。

 

 

「……君はまるで『幸福の王子』だな」

 

「何ですか?それ」

 

 

聞き覚えのない言葉に聞き返す。

 

 

「知らないのか?童話だ……昔、妹に読み聞かせた事がある」

 

 

スティーヴンは笑って、そう答えた。

 

 

「妹がいるんですか?」

 

「あぁ、妹がいたんだ……弟もだ」

 

 

しかし、その笑顔は少し薄暗い。

 

……いた、か。

今はもう、いないのだろう。

 

スティーヴンは僕の顔を見た。

 

 

「『幸福の王子』は金や宝石で出来た王子の像だ」

 

「……そんな大それた人間じゃないですよ、僕は」

 

 

僕の言葉を聞いて、スティーヴンが僕を鼻で笑った。

 

 

「王子の像は貧しい民のために、身体を構成する金や宝石を配り……見窄らしくなってしまう」

 

「…………」

 

「自らを顧みず、人の幸せを願う君に……似ていると思うが、どうかな」

 

 

目を、逸らした。

 

 

「……その王子の像はどうなるんですか?」

 

「助けていた筈の市民に、溶かされてしまう」

 

 

……酷い話だ。

そう思った。

 

 

「だが、最後は……あぁ、いや。それが本題ではない。内容のない雑談になってしまったな」

 

 

スティーヴンが指を鳴らした。

皮でできた財布が僕の手元に落ちてきた。

 

 

「当分はこれで生活すると良い」

 

「え?これ……」

 

「僅かばかりの金銭が入っている」

 

 

開けると……大量の紙幣が入っていた。

全然『僅か』じゃない。

はち切れそうな程入っていて……贅沢しなければ、半年は暮らせるお金だ。

 

 

「そんな、貰えないですよ!」

 

「安心しろ。それは魔法で作った物ではなく、私のポケットマネーだ」

 

「そういう訳じゃなくて……」

 

 

僕が受け取れないと言ってるのに、何故か呆れたようにため息を吐いた。

 

 

「なら貸しでいい。無利息で……私が死ぬまでに返してくれればいい」

 

 

だけど、それは実質──

 

もう、反論する事は諦めた。

数日間、スティーヴンと暮らして分かったけど彼は絶対に自分を曲げない。

スタークさん以上に頑固なんだ。

凄く、我が強い。

 

だからこそ、分からない事がある。

 

 

「……どうして、ここまでしてくれるんですか?」

 

 

スティーヴンと出会ったのは、数日前が初めてだ。

拠点に僕を泊まらせてくれて、勝手に出て行こうとする僕の生活費の工面までしてくれた。

 

それが何故か、分からない。

 

 

「君の『選択』を促したのは私だ。そして、その『選択』を共有したのも私だ」

 

「でも、それは僕が──

 

「選択には代償が伴う。そして、君の代償には私の責任が伴う。君なら分かるだろう?」

 

 

スティーヴンが仄かに笑った。

 

 

「君が他人を助ける事に躍起になるように、私も困っている人を見捨てられないだけだ」

 

「……スティーヴン」

 

「あまり自分を虐めてやるな、ピーター。君は良き行いをした……そして私は、助けたいと思った。単純な話だ」

 

 

……僕は、貰った財布を懐に入れた。

そもそも、今着ている服だってスティーヴンが用意してくれた服だ。

 

既に沢山の恩がある。

……きっと、一生返せないような大きな恩も。

 

 

「……ありがとうございます」

 

「いや、いい。気にするな」

 

 

スティーヴンが手元のコーヒーに口を付けた。

 

僕は踵を返して、玄関へと向かい……一つ、どうしても気掛かりがある事を思い出した。

 

ドアノブに手をのせて……スティーヴンへと振り返った。

 

 

「その……スティーヴン?」

 

「なんだ?」

 

 

気掛かりは……一人の、女の子の事だ。

 

 

「ミシェルは──

 

「彼女は昨日、目を覚ましたよ。健康体だ」

 

 

僕の守りたかった人。

全てを捨てても、助けたかった人。

 

……だから、目を覚ましたって聞いて。

心の底から安堵したんだ。

 

もう、大丈夫だ。

思い残す事はない。

 

 

「本当に感謝しても仕切れないや」

 

「……何か困った事があれば、いつでもサンクタムへ来い」

 

 

スティーヴンの言葉に頷いて、僕はドアを開いた。

 

ミシェルは生きている。

僕がいなくても……彼女にはグウェンやネッド、ハリーもいる。

 

道を違えても……例え、二度と交わらない道だとしても。

元気に、幸せに……その道を歩いてくれているのなら。

僕はそれだけで幸せなんだ。

 

 

そうだよ。

みんなに忘れられて……スパイダーマンという存在はなくなってしまった。

僕のヒーロー活動なんて誰も覚えてなんかいない。

 

なら、僕の今までは無駄なのか?

僕のやってきた事は意味がなかったのか?

 

いいや、違う。

助けた人が生きている。

守りたかったものは、ちゃんとそこにある。

僕の信念は……確かに、僕が助けられた全ての人が引き継いでくれる。

 

それだけで僕はまだ、立っていられる。

挫ける事はない。

 

僕は幸せ者だ。

 

 

後ろ手にドアを閉じる。

 

 

朝日と呼ぶには登りすぎていて、昼と呼ぶには太陽はまだ低い。

 

だとしても僕にとっては日の出だ。

新しい、僕の人生の日の出。

 

 

サンクタム・サンクトラムを後にして、僕は足を進める。

誰も僕の事を知らない、この街を……。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

「……行ったか」

 

 

私は手元にあるコーヒーを飲み切った。

ピーター・パーカー。

そして、スパイダーマン。

 

彼の存在を認知している者は……もう、私しかいない。

 

 

「……哀れだ」

 

 

視線は、彼が出ていったドアへ向いている。

 

 

「君は人を幸せにするが……自分を幸せにする方法を知らない」

 

 

手元にあったマグカップが光の粒子となって消えた。

 

 

瞳を瞑る。

思い返す。

 

 

胸元に存在する黄金の魔道具(アーティファクト)

それは『アガモットの眼』だ。

 

『アガモットの眼』は時間を司る、究極のアーティファクト。

至高の魔術師(ソーサラースプリーム)に代々受け継がれている証だ。

 

これは、彼女……ミシェル・ジェーンを助ける際にも使用した。

肉体の時を遡らせて、傷をなかった事にした。

 

その後……ピーターと会話している際に、幻覚でカバーしつつ、もう一度使用した。

 

その用途は……未来を予知する事。

数百、数千と分岐する未来を見て……その中で唯一、ピーターが生き延びる『選択』を見つけた。

 

あの忌まわしいメフィストによって現実改変が行われる際……ピーターは私を選ばなければならなかった。

 

だから、私は彼の精神に暗示を施した。

 

『君の事はせめて、覚えておこう』

 

それは彼の精神を無意識下に誘導した。

……そして、彼女の魂は戻り、彼は世界から忘れられてしまった。

 

 

「……柄ではないのだが」

 

 

確かに私は、ミシェル・ジェーンを見殺しにしようとした。

彼女を助ける道は一つしかなく、それによって起こる影響は計り知れない。

 

現実改変、時間の操作……それらは自然の法則を乱し、時空連続体に傷を付けてしまう。

無闇に使って良い物ではない。

 

だから、見捨てる事にしたのだ。

たった一人の人間と……この世界に住む全ての生命の安全を、秤に掛けた。

 

……だが、内心で私自身も納得していなかった。

感情に蓋をして、私は選択したのだ。

 

しかし、ピーターの言葉によって……私は、私も選ぶ事となった。

 

 

椅子に座り込む。

 

 

私は医者(ドクター)だ。

ドクター・ストレンジだ。

 

魔術師の長(マスター)である前に、医者(ドクター)なのだ。

 

 

医者になった時、私は全ての人を救う事が使命なのだと誓った。

だから……そう、彼の言葉に感化されて流された訳ではない。

 

納得し、私も『選択』した。

彼が私に負い目を感じるのは間違いだ。

 

 

息を深く吐いていると……背後で音がした。

振り返ると、黄金の火花が輪を作っていた。

スリング・リングの光だ。

 

空間を跳躍する魔術師の基礎技能……空間の裂け目から現れたのは見知った人物だった。

 

 

「ウォンか」

 

 

カマー・タージの司書であり……今はニューヨークを拠点としている私に代わって、管理をしてもらっている。

武術、魔術、双方に於いて熟達した頼れる男だ。

 

 

「ストレンジ、来てくれ」

 

「……良いぞ。行こう」

 

 

椅子から立ち上がり、着ていたコートに手を掛ける。

 

捻るように回せば……真っ赤なマントに姿を変えた。

それは浮遊マント……意思と浮遊能力を持つ魔道具(アーティファクト)だ。

 

ウォンが地下室のドアが開いていることに気付き、眉を顰めた。

 

 

「そういえば、あの少年は?」

 

 

少年……ピーターの事か。

 

 

「彼なら先程、出て行ったよ」

 

「そうか……礼儀正しい少年だった」

 

 

ウォンが神妙な顔で頷いた。

……きっと、カマー・タージに勧誘しようとしていたのだろう。

 

だが、それは叶わないと悟ったのだろう。

ウォンが首を捻って、口を開いた。

 

 

「しかし、あの少年は何者だったんだ?ストレンジ、お前とどんな接点が?」

 

 

そう、問われた。

 

……年齢は一回り以上違う。

ならば、ウォンが不思議に思うのも無理はない。

 

しかし、スパイダーマンという存在はもう、この世界に存在しない。

彼との出会いを説明する事も出来ない。

 

 

「彼は私の友人だ」

 

 

だから、そう答えた。

 

 

……しかし、ウォンは顔を強張らせた。

 

 

「お前に友人が居るとはな」

 

「どういう意味だ?」

 

「言葉通りの意味だ、驚いた」

 

「敬意が足りないんじゃないか?私は至高の魔術師(ソーサラー・スプリーム)だぞ」

 

 

私の言葉を無視して、ウォンが手招く。

 

私は至高の魔術師(ソーサラー・スプリーム)だが、ウォンの方が魔術師としては先輩だ。

……畏まられても困るが、少しは敬意を払うべきだ。

 

スリング・リングが作り出した時空の裂け目を渡り……遥か遠くに離れた巨大な寺院、カマー・タージに辿り着く。

 

 

「今回の騒動は?」

 

「バロン・モルドだ」

 

 

聞いた名前にため息を吐いた。

 

私の師、エンシェント・ワンの元・弟子だ。

兄弟子にあたる。

 

彼は力への願望に呑まれ、闇の魔術師となってしまった。

 

……奴が騒動を起こすのは今回だけではない。

幾度も戦ってきた……本当にしつこい奴だ。

 

 

「奴は邪神クトンの黒魔術を記した、禁じられた書物を盗み出した」

 

「カマー・タージからか?」

 

「そうだ」

 

「……警備会社でも雇うか?」

 

「馬鹿を言うな。カマー・タージは秘匿されなければならない……警備担当の魔術師にもっと鍛錬を積ませるべきなのだ」

 

「分かっている。今のは皮肉だ」

 

 

私はマントの襟を立てた。

 

この世界の秩序を守るために、私は戦わなければならない。

それを使命だと感じているからだ。

 

 

……だが、しかし。

少し気弱だが……途方もない責任感のある少年の顔を思い返した。

 

ピーター・パーカー。

私と同じく、人を救う事が使命だと感じている少年。

 

他人の幸せのために身を削る、少年。

 

だが、しかし……そうならば、誰が彼を幸せに出来るのか。

 

……願わくば、彼が幸せを見つけられる事を祈る。

 

私と似ている彼には、幸せを……大切な相手と共に居られる事を望んでいた。

 

彼を幸せにしてくれる誰かに……また、出会える事を祈って。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「ここだ。家賃の支払いは1日だ、遅れるなよ」

 

「……ありがとうございます」

 

 

大家の男に礼をして、僕はドアを開けた。

錆びついた鍵を机に置いて……小さなレバー式のボタンを上げれば電球が光を照らした。

 

ドアを閉じる。

 

お世辞にも綺麗とは言えない。

汚れの目立つ白い壁。

 

前に住んでいたアパートよりも、ボロい。

 

 

……だけど、ここが今日から、僕の家だ。

 

木が剥き出しになって、クッションすらないベッド。

小さなランプ。

 

油で汚れたキッチン。

 

 

「……掃除が必要かな」

 

 

僕は段ボールに詰められた荷物を、ボロい机に置いた。

 

 

まず、数冊の本。

これはスティーヴンがくれた、お下がりの参考書。

 

 

 

僕の過去はメフィストに消されてしまった。

だから、学歴なんてものはない。

 

大学に行くには、高校を卒業した認定が必要だ。

幸い、この国には高卒認定資格試験がある。

 

合格すれば、僕だって大学に行ける。

行きたかった、エンパイア・ステート大学に。

 

学費は少し心配だけど……奨学金がある。

セプテンバー資金奨学金。

 

スタークさんが設立した奨学金制度で……一定以上の学力があれば、無課税で支給される。

それは今の僕には必要な物だった。

 

スタークさんは「税金対策だ」なんて言ってたけれど、きっと照れ隠しだ。

彼の善意は……見知らぬ人となった僕を、今でも助けてくれている。

 

 

思わず頬が緩んだ。

 

 

他には小さなランプ。

安物のノート。

型落ちしたスマートフォン。

 

スティーヴンから借りたお金で買ったんだ。

現代に生きるならスマートフォンは生活必需品だ。

 

そして僕は……裁縫道具を机に置いた。

防水製で伸縮性のある、青と赤の生地。

 

ランプを付けて、机に向かう。

生地を裁断して、針に糸を通す。

 

手慣れた調子で生地に針を通していく。

 

 

「もっと派手にするべきかな」

 

 

赤い生地に黒のペンでラインを引く。

蜘蛛の巣のようなデザインだ。

 

 

「いいや、今まで通りでいいや」

 

 

買って来た白いサングラスのレンズを分解して、貼り付ける。

 

縫い付けて……形を整えれば……ほら、人型のスーツになった。

 

あぁ、あと最後に忘れちゃいけない。

胸に大きく、黒い蜘蛛のマークだ。

 

 

「よし、完璧」

 

 

肩を鳴らして……窓の外を見ると暗くなっていた。

すっかり、夜だ。

 

ミシンもないから時間が掛かってしまったみたい。

 

 

僕は買っていたパンを食べながら、ゴミ捨て場で拾って来た機械を弄る。

まだ使えるのに勿体無い……無線の受信機だ。

 

こうやって……弄れば……。

 

 

『……43番地で火災が発生、救急隊が──

 

『レッカー車と消防車を求む──

 

 

ほらね。

これも完璧だ。

 

 

スタークさんが作ってくれたナノマシンスーツはもうない。

アレはスタークさんが『僕のために』作ったスーツだから……現実改変に巻き込まれて消滅してしまった。

 

だから、スーツを作り直したんだ。

ハンドメイドのクラシック(古臭い)スーツをね。

 

 

 

僕は手首にウェブシューターをつける。

 

だけど、ウェブシューターは存在したままだ。

これは僕が1から作った物だから?

身に付けていたから……?

 

答えは分からないけど、とにかくここにあるんだ。

それでいい。

 

 

カートリッジの材料は市販のものを幾つか使ってる……少し、値段はするけど作れないわけじゃない。

 

補充して、カチリとはめた。

 

 

そして、さっきまで針を通していたスーツを着る。

ちょっとキツイかな、だけど伸縮性のある素材だから大丈夫。

 

 

高性能なAIも、防弾防刃機能もない。

ただの布で出来たスーツ。

だけど、これで十分だ。

 

高性能なスーツがなければ、ヒーローになれない訳じゃない。

これが僕の原点で……少し前までは、この格好で活動していたから。

 

大切なのは折れない心だけだ。

それさえあれば、誰だってヒーローになれる。

世界を救えなくても、誰かにとってのヒーローになれるんだ。

 

 

 

 

僕は窓を開けて……外に飛び出た。

 

 

 

屋上へ飛び乗り、走る。

ウェブシューターから(ウェブ)を射出して、ビルからビルへ。

 

より高く、より速く。

 

振り幅を大きくして、スイングする。

 

高所から落下してスピードを上げる。

その勢いを殺さないようにしつつ、またスイングする。

 

宙を舞い、生まれ育ったニューヨークの街を駆ける。

 

誰も覚えてない、誰も知らない。

だけど、僕はここにいる。

 

 

こんな事、やめた方がいいと言われるかもしれない。

 

大切なものを失った。

何度も打ちのめされた。

 

反省はするさ。

 

だけど、後悔はない。

 

僕は前に進む。

 

それが大いなる力を手にした、僕の責任だ。

 

止まらない。

挫けない。

 

何度負けても、何度失っても、倒れても……また立ち上がればいい。

 

 

例え、大切な人に忘れられても。

僕との繋がりが、断ち切られてしまったとしても。

 

 

前に進む。

足を止めない。

 

 

ここ(人助け)が、僕の居場所だ。

 

 

当然だ。

 

 

 

だって僕は……親愛なる隣人──

 

 

 

『スパイダーマン』だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

私は生クリームを口に含む。

砂糖と牛乳の甘味が口の中に広がる。

 

 

「美味しい?」

 

「ん……美味しい」

 

 

私は深く頷いた。

 

ここは、『S.H.I.E.L.D.』の基地……どこか分からないけど、病室。

 

机の上にはショートケーキ。

目の前のグウェンにはチョコケーキ。

 

 

そして……少し離れたところで、オレンジピールののったケーキを食べるハリーの姿があった。

 

 

「…………」

 

 

ケーキを持って来てくれたのはハリーだ。

見舞い品らしい。

 

でも、気を遣っているのか、何故か私から少し距離をとっている。

 

 

私の視線に気付いたグウェンが、ハリーの方を見た。

 

 

「ハリーもこっちに来なさいよ」

 

「……あぁ、でも邪魔したら悪い──

 

 

ハリーの言葉に、私は首を振った。

 

 

「別に、邪魔にならない」

 

「……そうか、すまないな」

 

 

そう言って、ハリーが皿を持って……グウェンの隣に座った。

 

 

少しぎこちない様子だ。

彼は……私がレッドキャップとして活動していた事を知っている。

 

だから、だろうか……私を嫌っているのだろうか?

……もし、そうならば、ケーキを買って来てくれないだろう。

 

内心では、どう思っているのだろう。

 

 

そう考えていると──

 

 

「ミシェル」

 

 

ハリーから声を掛けられた。

 

 

「……何?」

 

 

神妙な顔をして話す彼に、私はフォークを動かす手を止めた。

緊張が私達の間を通り抜けた。

 

そして、ハリーが口を開いた。

 

 

「……僕は君が過去に何をしていたとしても、君の味方だ」

 

 

……予想外の言葉に思わず驚いてしまった。

 

 

「で、でも……」

 

「崩れるビルから君が助けてくれた。その礼をまだ言ってなかった……ありがとう」

 

「え、えっと……」

 

 

私がグウェンに視線をズラすと、シンビオートにチョコケーキを食べさせていた。

 

 

「でも、私……」

 

 

言い淀んでいると、グウェンが口を開いた。

 

 

「ほら、ミシェル……ミシェルが思ってる以上に、みんな許してくれるって」

 

「……ごめんなさい」

 

「ごめんじゃなくて、ありがとうでいいよ」

 

 

私はハリーを見て……頭を下げた。

 

 

「ハリー、ありがとう」

 

「……僕こそ。君が生きていてくれて良かったよ」

 

 

そう言ってハリーが微笑んだ。

……ハリーはイケメンだから、凄く絵になる。

 

そして、グウェンがニコニコと笑いながら、口を開いた。

 

 

「ミシェル。今度、ネッドにも謝りに行こうね」

 

「……うん」

 

 

そうだ。

ネッドは死ななかったとは言え、私が直接撃ってしまったのだ。

 

思わず、落ち込みそうになる。

 

 

「大丈夫だって、ネッドは許してくれるって」

 

 

グウェンに肩を撫でられて……笑われた。

それを聞いてハリーが首を傾げた。

 

 

「でも、部外者に彼女が生きている事を伝えて良いのか?」

 

「良いのよ、もう言っちゃったし」

 

「……フューリーに許可は?」

 

「取ってないけど?」

 

 

思わずハリーが頭を抱えた。

グウェンは結構、破茶滅茶だ。

 

そんなグウェンと一緒にやっているハリーは……すごい。

 

 

そう、ハリーはすごい。

顔はカッコいいし、優しいし、お金持ちだし。

 

……そんな彼に、私は好意を向けられていた。

 

好きだと言われた。

だけど……私は首を横に振った。

 

私がレッドキャップである事を隠していた罪悪感があったからだ。

だけど、今は……そんなしがらみもない。

想いに応える事だって出来る。

 

だけど、どうしてだろう。

 

私は……彼の好意を受け取れないと思っていた。

心の奥底で、それを押し止めようとする心がある。

 

どうしても、彼に恋をする事は出来ない。

まるで一つしかない席に……誰かが座るのを待っているような……そんな感覚。

 

 

それを不思議に感じつつも、私は表情に出さないように努めた。

 

 

「ミシェル、テレビつけていい?」

 

「あ、うん……」

 

 

グウェンがテレビのリモコンを持って、ボタンを押した。

 

緊急ニュースの映像だ。

真っ赤に燃える建造物の姿があった。

 

 

『43番地で火事が発生中です!避難は殆ど完了していますが、逃げ遅れた子供が最上階に──

 

 

その映像に、グウェンが顔を顰めた。

今から向かったってどうしようもない。

 

私達に出来るのは消防隊員に祈るだけ──

 

そんな映像に……赤と青の『誰か』が飛び込んで来た。

 

 

『あ!何者かが、最上階に突入しました!』

 

 

それは一瞬しか見えなかったけど……何者か、分かってしまった。

 

 

「スパイダーマン……?」

 

 

脳に別世界の知識が流れ込んでくる。

 

スパイダーマン。

放射性の蜘蛛に噛まれた、スーパーヒーローだ。

 

スパイダーマンは……最上階から子供を救出して、救助隊に受け渡した。

 

 

スパイダーマン。

……スパイダーマン?

 

私は……私の、憧れだ。

最も好きなヒーロー?

そうだ、私の好きなヒーローだ。

 

あぁ、この世界にも居たんだ。

 

……あれ?

いや、何故?

 

一つ、重要なことを思い出した。

 

 

「え?何、ミシェル。あの全身タイツの人、知ってるの?」

 

 

グウェン・ステイシー。

ハリー・オズボーン。

ネッド・リーズ。

 

そして、ミッドタウン高校。

 

全て、スパイダーマンに関係する話だ。

なのに……何故、私達は知らなかった?

 

ハーマン……ショッカーも、スパイダーマンと関係のある悪役(ヴィラン)の筈だ。

 

なのに……どうして誰も、スパイダーマンの事を……ピーター・パーカーの事を知らないんだ?

 

 

「……会わなきゃ」

 

 

きっと、彼は何か知っている。

私の感じている違和感の正体を……この、心に感じている空虚さの正体を。

 

私が無くしてしまった物の正体を。

 

彼は知っている。

聞かなくてはならない。

 

 

「ミシェル?」

 

「……ううん、何でもない」

 

 

だけど、今ではない。

外出許可すら出ていない私には……彼に会う手段はない。

 

……今はまだ、だけど。

 

 

だけど、いつか彼に会って確かめなければならない。

 

私の心に空いてしまった、穴の正体について。


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