【本編完結】レッドキャップ:ヴィランにTS転生した話 作:WhatSoon
じゃあ、もう一度だけ説明しようか。
僕の名前はピーター・パーカー。
3年前、放射線を浴びた蜘蛛に噛まれた時から、この世にたった一人の「スパイダーマン」だ。
大切な人を失ったけど、もっと多くの人を救った。
街も救った。
何度も、何度も、何度も。
……まぁ、誰も覚えていないんだけどね。
大切な人を救うために、僕は世界から記憶と記録、両方を奪われてしまった。
だから、僕に取っては3年前からだけど──
他の人にとっては、一ヶ月前からだ。
世界から忘れられてから一ヶ月が経った。
今はクイーンズに住んでるんだ。
借りた新しい新居は……隙間風は通るし、掃除しても取れない汚れがある。
『イマイチ』かな、僕と大体一緒だ。
そうそう、アルバイトを始めたんだ。
カメラマンの仕事と、ピザの宅配だ。
デイリービューグルは、例え一度忘れていても……スパイダーマンが現れれば、バッシング記事を書き始めたんだ。
だから、スパイダーマンの写真は高く買ってくれる。
嬉しいような、悲しいような……?
それで、もう一つ、ピザの配達の仕事だけど……どうやら、クビになりそうなんだ。
何故かって?
それは──
「忌々しい蜘蛛男め!無事に帰れると思ったら大間違いだぞ!」
僕の目の前にいる緑色の生地に、火花のような黄色いマークを付けた……この変な男のせいかな。
バリバリと音を鳴らし、ピカピカと光ってる喧しい奴。
コイツの名前は──
「エレクトロ、今どきそんな大道芸は流行らないよ。大人しく電気工事の仕事に戻った方がいいんじゃないかな?」
そう、エレクトロだ。
雷を操る能力を持った元電気工事士だ。
確か……稲妻に打たれて目覚めたんだっけ?
何だか昔、聞いた事がある。
訊いてもないのに、勝手に話してたんだ。
エレクトロはもう覚えてない出来事だろうけど。
全く、本当に……。
みーんな僕のことを忘れていても、関係なし。
「ほざけ!」
両手がバチバチと光る。
あれは雷の発射兆候だ。
……僕は
「よっ、と……!」
地面を蹴って跳躍し、雷を避ける。
そのまま宙で捻りながら引っ張る。
「ぬぁあ!?」
エレクトロがバランスを崩して、地面に倒れた。
顔面から行った。
痛そう。
滑って転んだ隙に、僕はエレクトロに接近し──
おっと、
流石に光の速度で飛んでくる雷は避けられないけど、撃とうとしてくる場所が分かれば……撃つ前に避けるだけだ。
「これ以上、お前に邪魔されてたまるか!」
急に立ち上がって、雷を発射してくる。
まぁ、もうそこには居ないんだけどね。
バチン!と音がして、僕のいた場所の地面が爆ぜた。
「なぁっ!?」
避けられた事に気付いて慌てるエレクトロ。
「不意打ちする時は黙ってやった方がいいよ」
そのまま近寄って、顔面に──
「ぶぐぁっ!?」
ストレート、そしてノックアウト。
エレクトロは気を失って、地面に倒れた。
鼻が折れて血が出てる。
手加減したつもりだったけど……まぁ、自業自得だよね。
「よし、一件落着かな」
昔に比べて、危なげのない戦いだ。
そう、ずっと前にエレクトロと戦った時とは一味違う。
沢山の死戦を超えて、僕は強くなっていた。
まぁ、だって、この一年間……殺しの技を磨いていた殺し屋と戦ったからね。
ナイフや近接戦闘のプロと戦ったんだ……多少は学べてると思いたい。
……その殺し屋の正体は、僕の好きな女の子だったけど。
うん。
……この話はよそう。
とにかく、気絶したエレクトロを
「
軽口を叩きつつ、電灯に縛り上げる。
気絶してるし、聞いてないと思うけどね。
後は勝手に警察が捕まえてくれる。
今度は二度と脱走しないように、もっと厳重な刑務所に入れておいて欲しいね。
聞いた話によると、ライノもまた脱走したらしいし。
嫌になるよ。
内心で愚痴りつつ、
思いっきり引っ張って、スイング。
そのまま、その場を後にする。
それで──
「お前はクビだ!」
冷めたピザを届けて、僕はクビになってしまった。
ごめんね、ピザを頼んだ人。
悪いのは店長でもなくて……僕とエレクトロだ。
でも責任の全部が10としたら、僕が3でエレクトロが7ぐらいだ。
本当に勘弁して欲しいよ。
数時間前、ピザの宅配中にバリバリ音を出してる銀行強盗を見つけて……流石に僕も眉間に皺が寄ってしまった。
僕からしたら大した事ないけど、一般人や普通の警察では太刀打ち出来ない。
万が一にも電撃が命中すれば、感電死する人も出るかも知れないし。
……僕がやらなきゃなって。
せめて、僕が休日の時にやって欲しい。
……いや、休日でもダメだよ。
何もせずに真っ当に仕事してくれ。
スーパーヴィランなんて引退してさ。
僕は古着屋で買った服に袖を通して、クイーンズを歩く。
ついてない。
「また新しいバイト探さないとなぁ……」
良い事ばかりじゃない。
上手くいかないことの方が多い。
ちょっと、挫けそうだ。
一年前までも、こんな事ばかりだったのに。
上手くいかないのは、いつも通り。
マスクを脱げば冴えないピーター・パーカー。
昔からずっとそうだ。
だから、何も変わらない筈なのに。
「はぁ……」
だけど、どうしてこんなに気分が落ち込むのか。
きっと友達も、家族も居ないからだ。
僕を慰めてくれる人はいない。
目を閉じると……今でも、あの温かさと柔らかさを思い出せそうで……余計に辛い。
脳裏に映るのは……最後に見た、悲しそうに笑う彼女の顔だ。
……ふと、電光掲示板を見る。
『スパイダーメナスは正体を現せ!法を守らぬ自警団気取りに鉄槌を!』
白髪の生えた男性。
新聞社デイリービューグルの社長だ。
「……元気だなぁ、ジェイムソンは……羨ましいよ」
苦笑しつつ、街を歩く。
僕にとっては歩き慣れた道だ。
周りの人から見れば、僕は余所者って感じだけど。
まぁ、それはともかく。
生まれ育ったクイーンズ。
歩いていると──
「…………」
寂しさと、物悲しさを感じられた。
前と同じ景色だけど……いいや、同じ景色だから虚しいのかもね。
気分が少しでも落ち込むと、そのまま真っ逆さまに転がり落ちて行く……ドミノ倒しみたいに。
気を付けないと。
よーし、元気を出そう。
晩御飯は美味しいものでも食べようかな。
祝・バイトクビ記念って事で。
何も、めでたくないけど。
ふと、型落ちしたスマホが振動した。
……スティーヴンからの電話だ。
ちょっと前に連絡先を交換したんだ。
魔術の聖地にも電話回線やフリーWi-Fiが飛んでるらしい。
……Wi-Fiのパスワードも魔法の呪文みたいにオシャレなのかな?
僕は部外者だから聞けないけど……気になる。
おっと、電話に出ないと。
通話ボタンを押して、電話に出る。
「もしもし、スティーヴン?」
『……ピーター、サンクタムまで来てくれないか?』
「え?急ぎですか?」
用事はない。
というか無くなった。
宅配バイトはクビになっちゃったから。
だけど、新しくバイトを探さなきゃならない……今すぐって用事でもないけど。
『急ぎだ』
「あー、うん、すぐに向かいます」
僕は通話を切って、バックパックにスマホを仕舞う。
そのまま路地裏へ行って……シャツとズボンも脱ぐ。
中に着込んでいたスーツ……そして、頭にマスクを被れば……。
いつもの赤と青のコスチューム。
スパイダーマンだ。
電車やタクシーに乗れば良いって?
それもそうだけど、スティーヴンは急ぎだって言ってたからね。
こっちの方が早いんだ……最短距離で行けるから。
でも、1日に何度も着替えてる気がする。
スタークさんの作ったナノマシンスーツなら着替えも直ぐなんだけど……こうやって、ビルの裏に隠れてスリル満タンの早着替えもしなくて済むのに。
ガラスに反射された赤と青の残像が、跳ね上がる。
スパイダーマンもピーター・パーカーも大忙し。
これが僕の新しい生活。
だけど、忙しいのに……正直、この忙しさに助かってる。
落ち込んでる時間がないってのは、それはそれで良いんだ。
涙を流さないように。
悲しくならないように。
嘆かないように。
だから、僕は……今はただ、目を逸らしていた。
僕自身が感じている寂しさから。
◇◆◇
私は木製のドアの横……チャイムを鳴らし、コートに手を突っ込む。
靴のつま先で床のタイルを軽く叩き、見渡す。
整えられた芝生、幹の太い木。
理想的な庭と……白い壁。
小さな傷は時代を感じさせる……年代物の一軒家だ。
ここはニューヨーク。
クイーンズ、フォレストヒルズ。
静かな住宅街だ。
そして、私の名前は……ミシェル・ジェーン=ワトソン。
ヒーロー達に助けられてから、そう名乗っている。
一ヶ月前まで、ミシェル・ジェーンという名前は偽名だった。
本当の名前は『レッドキャップ』だった。
しかし、私の所属していた組織は壊滅した。
私を『レッドキャップ』と呼ぶ人間はもう居ない。
そして、ニック・フューリーによって作られたIDには『ミシェル・ジェーン=ワトソン』と書かれている。
だから、これが私の本名だ。
もう……何処かに向かう度に名前を変える必要はない。
『S.H.I.E.L.D.』に保護されてから、一ヶ月経った。
当初は病室から出して貰えなかったが……二週間程で、別の場所に移された。
ニューヨーク、マンハッタンにある大きなマンションだ。
元はトニー・スタークの父、ハワード・スタークによって作られたマンションらしいが……トニー・スタークが受け継いだ後、『S.H.I.E.L.D.』へ寄贈したらしい。
そこには私のような訳アリの人間が沢山住んでいる。
狼女とか、元スパイとか、人語を話す犬とか。
ニック・フューリーは私が『選択』するまで、そこで自由に過ごして良いと言ってくれた。
『選択』とは、つまり……。
普通の人間として社会で生きていくか、『S.H.I.E.L.D.』に協力してエージェントとして生きていくか。
その二つに一つだ。
私は……普通の人間として生きていけるとは思っていない。
いや、生きてはならない。
誰かが許しても……私は、私を許せない。
なら、『S.H.I.E.L.D.』のエージェントとして生きるのか?
正義の味方として?
……出来る気がしない。
私は今まで、大した信念もなく流されて生きてきた。
そんな私が、ヒーローとしての責任を負う?
……自信がない。
私のような人間が、人のために生きられるのだろうか。
人を傷付けてしまわないだろうか。
大きなミスを犯し……誰かを不幸にしてしまわないだろうか。
そう思うと怖くて……踏み出せない。
人を殺す事よりも、何かを『選択』し『責任』を持つことの方が怖い。
……私の持つ、他人にはない紛い物の大いなる力。
それに対して……大いなる責任を持てないのだ。
ヒーローは誰でもなれる訳じゃない。
善性と……途方もない責任感が必要なのだ。
だから……私には無理だ。
答えは出ない。
返答を先延ばしにしても、彼等は許してくれた。
ニック・フューリーも、キャプテンも、トニー・スタークも……誰も、彼もが、私を被害者だと思っている。
そうではない。
そう言っても、誰も取り合ってくれない。
みんな、私が立ち直るのを待ってくれている。
違う。
私は……そんな、誰かに期待されるような人間ではない。
そう思いながら……私は未だ、『選択』も出来ず……今は、まだマンハッタンのマンションに住んでいる。
週に一度、アベンジャーズタワーへ赴き……メンタルケアなんかをしながら。
一人暮らしをしている。
何不自由なく。
……何も失わず。
兎に角、外出の許可を得た私は、一つ、どうしてもやりたい事があった。
いや、知りたい事か。
頭の奥底にある違和感を探る事だ。
私が私らしくない行動をしている記憶があり……それの原因を突き止める事だ。
クイーンズのフォレストヒルズに来たのも、それが目的だ。
チャイムの音にドアが開き……一人の熟年の女性が現れた。
この家の、家主だ。
「あら……貴女は?」
そう聞かれて、私は頭を下げた。
「初めまして……メイ・パーカーさん。私はミシェル・ジェーン、です」
メイ・パーカー。
私が探している相手……スパイダーマン。
その正体、ピーター・パーカーの叔母だ。
両親の居ない彼の、育ての親だ。
「あらあら……?何か、ご用なの?」
メイ・パーカーは私に警戒心を抱いていない。
彼女にある底抜けの善性がそうさせるのか……それとも、私の容姿が女の子供だからか……。
どちらも、だろう。
ほんの少し、目を瞑り……彼女に質問する。
「ピーター・パーカーという名前を……ご存知、ですか?」
この世界にスパイダーマンがいるのなら……ピーター・パーカーがいるのなら。
彼女の甥で──
「いいえ?知らないわ……でも、
その返答に、私は驚き……目を瞬いた。
知らない?
そんなバカな……。
「…………」
「えっと、その……どうかしたの?」
ハッとして、再びメイ・パーカーの顔を見る。
思わず放心してしまっていたようだ。
違和感の手掛かりを掴んだ筈が……余計に大きな違和感を掴まされてしまったからだ。
「いえ……その、ピーター・パーカーという名前の人を探しているので……」
嘘を吐く理由もなく、そう述べる。
「あら……お力になれなくて、ごめんなさいね」
しかし、メイ・パーカーは謝罪の言葉を述べた。
何も悪くないのに……その顔を見れば、本当に申し訳なさそうにしていた。
「……こちらこそ、急に押しかけて、ごめんなさい」
そう謝って……その場を後にした。
この世界に……ピーター・パーカーが存在しない?
そんな筈はない。
テレビで見たスパイダーマンの姿は、私がよく知るものだった。
赤と青の……黒い、蜘蛛のマークが入ったスパイダーマンだ。
だから……居る筈だ。
女でもなく、豚でもない、ゾンビでもない……ピーター・パーカーが。
それなのに、メイ・パーカーは知らないと答えた。
関わってすらいないと……そう言っているのだ。
分からない。
脳がぐるぐると回る。
この胸にある違和感……喪失感。
それは一体何なんだ?
クイーンズ、フォレストヒルズの住所が書かれたメモ用紙を握り潰した。
そのまま、道沿いにあったゴミ箱に投げ入れれば……からからと音を立てた。
アレは住んでいるマンションの一階にあるコンピューターで調べた情報だ。
無駄足に終わったが。
……目的を失った私は、そのままフォレストヒルズを後にし……別の場所へ向かった。
今日は行く予定なんて無かったが……想像よりも早く終わってしまった。
ならば、ついでにと……NY科学館へ来た。
そこもクイーンズにある施設で……態々、マンハッタンから足を運んだのだから行く事にしたのだ。
……大きな白いドームのような施設。
記憶通りだ。
私は以前、ここに『一人』で来た。
そう、一人でだ。
私が?
科学館に?
一人で?
ありえないだろう。
……誰かに誘われたのだと思う。
だが、その誰かは何処にも居ない。
少なくとも、記憶の中には。
安い入場料を払って、中に入る。
前に見た時と展示物が異なっている。
以前来た時は……何もかもが目新しく見えて……そして……嬉しかったのだ。
何が、嬉しかったのか。
それは分からない。
……疑惑は、確信へと変わっていく。
私はきっと『誰か』と共に、ここへ来たのだ。
親しい『誰か』と……この記憶を共有した。
私はきっと、その誰かの好きを知れた事が嬉しかったのだ。
一歩、一歩、奥へ進む。
そして……大きな、機械の展示物があった。
「……これは」
知っている。
これは放射線照射装置だ。
昔、公開実験にも使っていたらしい。
展示された資料を見て……眉を顰めた。
公開実験についての情報は……存在しない。
それなら、誰が私に言ったのか?
『誰か』だろう。
大きな機械を見上げる。
3メートルほどの……放射線照射装置。
そして、公開実験。
……放射線。
放射性の血。
そして、クモ。
無意識のうちに、目を見開いていた。
視線を……少しずつ下げる。
ピーター・パーカーは放射線を浴びたクモに噛まれて、スパイダーマンになった。
作品によって、設定は多少ズレたとしても……それは変わらない。
その放射線……そして、この目の前にある機械は、放射線照射装置。
記載されていないのに、何故か知っている公開実験の話。
私と共に来ていた筈の『誰か』。
一ヶ月前、急に現れたスパイダーマンの存在。
メイ・パーカーも知らない『ピーター・パーカー』という名前。
パズルのピースが埋まって行く。
……スパイダーマン、ピーター・パーカー。
彼は昔から存在していて……私の友人であり……それを、みんなが忘れている?
推測でしかない……それも思い込みの混じった結論。
だが、一度そう考えてしまえば……それが正しい答えだと思い込んでしまっていた。
「……ピーター・パーカー」
コミックには……現実を意のままに操る『現実改変能力』を持つ者が存在する。
スカーレットウィッチ、モレキュールマン、ジェイミー・ブラドック、メフィスト……他にも。
能力の範囲や性能は異なるが……しかし、世界中から彼の記憶や存在を消す事だって……可能な者もいる。
ドクター・ストレンジだって出来るだろう。
何かが原因で、彼の記憶と記録がこの世界から抹消されたとしたら?
……もし、そうならば……辻褄が合う。
私の違和感の正体も分かる。
しかし、誰かが操った結果なのだとしたら……何故、操ったのか。
そして、どうしてスパイダーマンは誰にも話さないのか。
……何より。
ピーター・パーカーが私や、グウェン、ネッドの友人なのだとしたら。
世界中の誰からも……友人からも忘れられているのだとしたら。
それは、とても……。
「悲しい……」
誰からも忘れさられて、それでも生きていかなければならないとしたら……それは悲し過ぎる。
胸元のアクセサリーを弄る。
ツギハギになった青と白のバラのアクセサリー。
病室で……接着剤を使って、修復した見窄らしい砕けたバラ。
……それを手で包む。
アクセサリーを贈られるほど、私は親しかったのだろうか。
なのに……どうして?
どうして、スパイダーマンは……ピーター・パーカーは私やグウェンに話をしに来ない?
記憶を失った理由を教えてくれない?
……どうして、孤独でいる事に納得している?
探さなきゃ。
会わなきゃ。
会いたい。
確かめたい。
胸にある空いてしまった穴。
今はもう、それを埋める事に躍起になっていない。
それよりも、私の考察が正しいのであれば……今、ピーター・パーカーは苦しんでいる筈だ。
……その苦しみの理由を、私は知りたい。
私は、未だ会った事もない人に……想いを馳せていた。
◇◆◇
サンクタム・サンクトラム。
見た目は少し古臭い……いや、風情のある煉瓦作りの施設だ。
外からも天窓が……魔法陣みたいな形になっているのが見える。
ドアの前まで来て、チャイムを押そうとして……ドアが勝手に開いた。
「うわ、自動ドアだ」
サンクタムの中に入りながら振り返ると、ドアが閉まった。
少なくとも電気式ではなさそう。
魔術式自動ドア?
というか……あれ?
何だか寒いな。
春も過ぎて、夏に向かっているのに。
室内を見る。
雪だ。
雪が積もってる。
「……え?」
ぐるりと見渡すと……サンクタムの中は雪まみれだ。
まるで部屋の中で吹雪が発生したかのような……。
「よく来たな、ピーター」
広間の階段を降りてきたのは……コートを着たスティーヴン・ストレンジだ。
「あの、スティーヴン?何……?これ」
「あぁ、雪か?」
スティーヴンが指を鳴らすと、足元の雪が波打ち、僕らの足元から離れて行く。
「サンクタムには様々な場所に繋がっている次元の扉があってね。山脈の頂上に繋がっている物もある。メンテナンスを怠った結果──
手で、雪まみれの辺りを指し示した。
「ご覧の有様だ」
「……手伝います?」
なるほど。
スティーヴンが呼び出したのは、この雪を──
「いや、手伝わなくていい」
どうやら違うみたい。
「じゃあ、何をすれば──
「特に何も?」
スティーヴンが笑いながら答えた。
……え?
急ぎじゃなかったっけ?
首を傾げる。
「何か用事があって呼んだんじゃないんですか?」
「いいや?特に用事などない」
スティーヴンが指を鳴らすと、足元の雪が薄緑色に変化した。
それらは蝶となって宙を舞い、やがて空中で粒子となって消えた。
「片付けに手を借りる必要はない」
「え?じゃあ何のために……」
「あぁ、君をここに呼び出すのが目的だった。そういう意味では既に目的は達成しているな」
あまりにも不可解な事を言うから、困ってしまう。
スティーヴンはいつもそうだ。
会話してるとIQトレーニングをしているような気持ちがする。
「……ふむ」
スティーヴンが自分の腕を見た。
高級そうな腕時計が巻いてある。
「……少し雑談でもするか。最近、調子はどうだ?ピーター」
「調子?うん、バッチリ。絶好調」
嘘だ。
バイトをクビになったばかりだ。
それを見抜いたのかスティーヴンは顔を顰めた。
「ピーター、辛い時は辛いと言っていいんだぞ?」
「大丈夫ですよ、僕は」
確かに……失った事は辛い。
家族も友達も……尊敬する人も。
最初から持っていなかったのなら、納得は出来た。
だけど、持っていた物を落としてしまった時……それが一番、辛いんだ。
だけど、これは僕が選んだ選択だ。
この辛さから逃れるために、全てを台無しにするつもりはない。
スティーヴンがため息を吐いた。
そして、顎に手を当てた。
「……君は幸せになる事が怖いのか?」
その質問に、思わず首を傾げた。
「そんなつもりは、ないですけど……」
「だろうな。無意識か」
彼が額に指を当てて、揉んだ。
「ピーター、君は自分を許すべきだ」
「……許す?」
「己が感じている罪悪感に押し潰されてはならない」
スティーヴンは僕より一回り……二回り、歳上だ。
年の功、と言うべきか。
僕を導こうとしてくれている。
「そんな、罪悪感なんて……」
「君はもう十分に苦しんでいる。救われてもいい筈だ」
僕の言葉を無視して、彼は言い切った。
無意識のうちに感じている罪悪感?
そんなの……僕だって、分かってる。
……今でも時々、夢に見るんだ。
叔父さんが死んだ日。
僕が強盗を見逃した日。
リアルな夢だ。
どれだけ体を動かそうとしても……動かない。
僕は悪人を見逃して……背負うべき責任を放棄した。
そして──
「ピーター」
スティーヴンが声を掛けてきた。
「もっと自分勝手になれ」
肩に手を置かれた。
「君が感じている責任は……君だけの物ではない。誰かも感じている物だ。一人だけで背負おうとするな」
「…………わかりました」
僕が頷くと、スティーヴンがまた、ため息を吐いた。
「分かってないな……だが、今日は別に説教をしたい訳ではない」
「十分、説教みたいだったんですけど……」
そう反論すると、スティーヴンが眉を顰めた。
そして、腕時計を見た。
「……まぁ、いい。もう帰ると良い……人と会う約束があるんだ」
「人と?誰かが来るんですか?」
「いや、会うのは私ではない」
……また、難解な事を言う。
魔術師ってみんな、こうなのかな?
でも、ウォンって人はそうでもなかったし……。
兎に角、時計を見てるって事は時間が来たって事なんだろう。
「……それじゃ、僕もう帰りますね」
「あぁ、偶には近況の連絡をして来ると良い」
スティーヴンに手を振って、肌寒いサンクタムを出ようとした。
……一つ、思い出して振り返る。
「僕の借金なんですけど、まだちょっと返せなくて──
「良い。寧ろ、君はもっと私に迷惑を掛けるべきだ」
よく分からない言葉に、僕は首を傾げる。
「……すみません?」
「……さっさと、帰れ」
思わず謝ってしまうと、スティーヴンは手をひらひらと振り返してきた。
頭を下げながら扉を閉じて……僕はサンクタムを後にした。
外に出れば……空はもう、赤くなっていた。
ここから自宅のあるクイーンズに帰る頃には夜になってるかも。
今からスパイダーマンのスーツに着替えて──
袖をまくり、
原液はもう少ないみたい。
帰りにもし、スパイダーマンの出番が来れば……と考えると使えないな。
ちょっと、遠いけど歩いて帰ろう。
あぁ、それと……今日の晩御飯を何処かで食べないと。
これだけ遅くなったら、ご飯屋を探すのだって面倒に感じちゃうな。
この辺、詳しくないし高そうだし……クイーンズに帰ってから食べようかな。
あの辺なら、僕も詳しいし。
僕は晩御飯の事を考えながら、生まれ育った街へ歩き出した。
◇◆◇
NY科学館から出た後、私はクイーンズを歩いていた。
空は赤く染まっている。
時計の短針は真下を指していた。
……あまり、クイーンズを出歩くのは良くないかも知れない。
私の偽装した死体を見た人間がいるかも知れない。
と言っても、私が死んだ事を知っているのは学校の同級生ぐらいか?
ニューヨークの人口は多い。
ばったりと出会わなければ、人混みの中で私に気付く事もないだろう。
きっと杞憂だ。
だが……そろそろ、マンハッタンに戻るべきか。
……腹を撫でる。
私は空腹を感じていた。
どこかで食事をしてから帰ろう。
私の住んでいるマンションは寮ではない。
食事は各々で用意しなければならない。
だから、ここで食べて帰るべきなのだ。
幸い、お金は持っている。
トニー・スタークから押し付けられた、お小遣いだ。
要らないと言ったのに……。
断ったら更に大きな額を押し付けられた。
お陰で黙る事しか出来なくなった。
また断ったら余計に大きな額を押し付けられそうだからだ。
ヒーローはお節介焼きだ。
それは好ましいが……お節介を焼く相手は選んだ方が良いと思う。
何処で食べるか。
クイーンズの食事処には、そこそこ詳しい。
ここに住んでいた時には、毎日外食していたからだ。
……私は、足を止めた。
あぁ、そうだ。
あそこにしよう。
私は踵を返して、よく行っていた場所へと足を進めた。
少し歩いて……空も少し暗くなって来た。
ニューヨークの治安は悪い。
あまり、夜遅くまで出歩くのは良くない。
……まぁ、暴漢に絡まれても負けはしないが。
それでも無意味なトラブルは避けるべきだ。
私の目に『サンドイッチ』の絵が描かれた看板が映った。
今日はここにするつもりだった。
私はドアに手を掛けて、中に入る。
ドアには鈴が付いており、耳心地の良い音がした。
年季の感じる店内には、欠伸をしている店主のデルマーがいる。
カウンターはそこそこ広く、五つほど椅子が並べてある。
「ん、あぁ……嬢ちゃん、久しぶりだな」
そう声を掛けてきてくれるぐらいには、私は常連だった。
しかし……何というか、いつも以上に店内は静かだった。
本当に潰れていないのが不思議に思えるほどに。
「何か、変わった事はあった?」
そう世間話をする。
「あ、あぁ……えっとな……結構前になるんだけど、近所で事件があってな」
「近所?」
耳を傾ける。
「そこの裏で、何かヤバい死体が見つかったらしいんだよ」
……あれ?
「……へ、へぇ」
思い出してしまった。
兄……ティンカラーが私の
別に場所を指定しては居なかったのだが……当時、住んでいた場所の周辺に捨てたと言っていた。
……もしかして、私の死体なのか?
「だから、商売上がったりでよ……嬢ちゃんもそういう話で、ここに来なくなったんじゃなかったのか?」
「あ、いや……私は遠くに引っ越してたから……」
目を逸らしながらそう言って、カウンターに座った。
「そうか……で、注文は?」
「いつもの」
「ショートケーキね、あいよ」
メニューも見ずに答えて、店主のデルマーは頷いた。
少しすると、目の前にクリームとイチゴの入ったサンドイッチが出された。
皿の上に乗っているそれを手に取り、齧る。
美味しい。
生クリームの甘みが身に染みる。
ライ麦の控えめな甘さと、イチゴの酸味がクリームを引き立てている。
前に食べた時と変わらない……いつも通りの、美味しさだ。
なのに……何か、物足りなく感じていた。
もう一度、口に入れる。
変わらない味だ。
味覚と嗅覚は、全く変わっていないと答えている。
……何が、足りないのだろう。
いや、本当は分かっている。
きっと、私はここにも『誰か』……きっと『ピーター・パーカー』と来ていたのだ。
私にとって彼は……それだけ重要な存在だったのだろう……か。
チリン、と鈴が鳴った。
慌てて手についたクリームを舐め取り、紙ナプキンで拭き取った。
そして、視線を横にずらすと……私と同年代の少年……いや、青年が居た。
彼は私を見て……少し、驚いたような表情をした。
そして、私に見られている事に気付いたのか、慌てて目を逸らした。
髪は茶髪で……少し、疲れたような覇気のない顔をしている。
目鼻は整ってるけど、少し幼く見える。
そんな青年だ。
「注文は?」
店主のデルマーに声を掛けられて、青年はデルマーの顔を見た。
「5番のBLTを……あ、出来ればピクルスも入れて、ペッチャンコに潰して欲しいかな」
「……あいよ」
不思議な注文をするんだなって、そう思った。
彼もこの店の常連なのだろうか?
一度も見た事はないけれど。
私はショートケーキのサンドイッチに視線を戻す。
そして、また口にする。
視線を感じる。
……さっきの、青年からだ。
「……どうかした?」
顔をそちらに向ける。
すると彼は……少し驚いたような顔をして、目線を泳がせた。
「な、何でもないよ」
「……そう?」
彼は頬を掻いて、苦笑した。
よくわからない奴だ。
黙々とショートケーキのサンドイッチを食べる。
彼はそわそわと……私に視線を向けないように、天井を見たりしている。
少し、気まずかった。
だけど、不思議と不快には感じなかった。
寧ろ……どこか、心地良さを感じていた。
少しして、デルマーさんが戻って来た。
手には押し潰されて薄くなったサンドイッチがあった。
「ほいよ、坊主。4ドルだ」
「あ、どうも……ありがとう、おじさん」
彼は店主へ、お金を渡して……また、私の方を見た。
「あの……ちょっと、良いかな」
私はサンドイッチを食べ終えて……手を紙で拭いた。
「……何?」
「その……えっと……」
彼は必死に言葉を選んでいるように見えた。
私は、そんな彼の姿を見つめている。
「さっき食べてたサンドイッチって美味しかった?」
「……うん。美味しい。オススメ」
「そっか……」
何が聞きたいのか……どんな意図があるのか、分からなくて、私は首を傾げた。
彼はそのまま両手を組んで……悩むような素振りをして、また口を開いた。
「えっと……今、その……幸せ?」
本当に変な質問だった。
その質問の意図は分からないけど……幸せ、か。
大切な友人に囲まれて。
人を殺さずに生きていられて。
穏やかな毎日を過ごしている。
それは凄く……私にとって──
「うん、今は幸せ、だと思う」
私はそう答えた。
「そっか……良かった」
彼は、その返答を噛み締める様にして……踵を返した。
「それじゃあ、その……さよなら」
ドアに手を掛けて……開けた。
「……うん、さよなら」
心地よい鈴が鳴って、ドアが閉じる。
彼はサンドイッチ屋から出て行った。
さよなら……さよなら、か。
その言葉は、私は嫌いだった。
どうしてかは私にも分からないけど……さよならは、嫌だった。
またね、とかそういう言葉の方が好きだ。
キッチンに入っていたデルマーがカウンターに戻って来た。
私は財布を取り出して、お金を払う。
そして──
「さっきの男の人……彼も、常連?」
そう聞いた。
サンドイッチを潰す、ピクルスを入れる……何だか、詳しく知っているイメージがあったからだ。
だが、帰ってきた答えは違った。
「いいや?だが、BLTを潰すってのは悪くない発想だな」
その否定の言葉に……私は、眉を顰めた。
そして……一つの、予想が脳裏に浮かんだ。
彼は常連……だったのに、忘れられているんじゃないか?
そして、それはきっと──
私は慌てて、サンドイッチ屋から出た。
外はもう暗くなっていた。
左右を見渡しても……彼はもう、居ない。
後ろでデルマーの困惑するような声が聞こえた。
……だけど、立ち止まっては居られなかった。
私は……彼を探して、走り出していた。
きっと彼は……恐らく……私がよく知っていた人だ。
私が感じている喪失感の正体だ。
私と一緒にいてくれた『誰か』だ。
だから……だから、見つけなければ。
だって、彼はきっと……。
彼の名前は……。
「ピーター……?」
少し走って……暗くなったニューヨークの街灯の下で、彼を見つけた。
私が呼んだ事に気付いて……驚いた様子で振り返った。