【本編完結】レッドキャップ:ヴィランにTS転生した話   作:WhatSoon

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#107 アメイジング・スパイダーマン part2

「ピーター……?」

 

 

僕は名前を呼ばれて……振り返った。

 

 

「あっ──

 

 

思わず、彼女の名前が喉まで出かかる。

だけど、無理矢理に飲み込んだ。

 

僕は彼女の名前を知らない筈だ。

知っている筈のない相手なんだ。

知らない相手の名前を呼ぶ事は出来ない。

 

お互いに……。

 

そう、互いに名前は知らない筈だ。

呼び合う事は出来ない。

今までのように。

 

 

それなのに──

 

 

「どうして……僕の、名前を?」

 

 

何故、僕の名前を呼べたのか?

 

一瞬、彼女が僕のことを覚えてるのかと、そう思った。

だけど、違う。

違う筈なんだ。

 

消された記憶は戻らない。

スティーヴンだって言っていた。

 

失ったものは取り戻せない。

不可逆なんだ。

僕だって、それは身に染みるほど知っている。

ずっと……この力を手にした時から。

 

だから、違う。

 

違う、筈なのに……ほんの少し、喜んでしまった。

 

彼女は覚えていない方が幸せなのに……それでも、僕を覚えていてくれたらと……そう考えてしまう自分の浅ましさが、憎い。

 

 

僕が視線を向けると、ミシェルは目を細めていた。

 

 

「やっぱり……貴方は、ピーター・パーカー?」

 

 

……どうやら、確信はなかったみたいだ。

僕の様子を見て、彼女は確信を得たらしい。

 

 

「そう、だけど……?」

 

 

でも、大丈夫。

何も分からないフリをして……気付かないフリをするんだ。

 

最も隠さなきゃならない事には、まだ気付いていない。

僕が口に出さなければ気付かれる事もない。

 

……ミシェルの視線が、僕に突き刺さる。

夜のニューヨーク、クイーンズで……街灯に照らされる。

薄い雲が空を覆って、月の光を遮っていた。

 

コバルトブルーの瞳が揺らめく。

意を決したのか、彼女がゆっくりと口を開いた。

 

 

「……貴方にこれから……変な事を訊く、と思う」

 

「変な……こと?」

 

 

思わず、後ずさった。

後ろめたいからだ。

 

僕は……ミシェルから目が離せなかった。

 

 

「貴方は……私と、友達だった?」

 

 

……心臓が跳ねた。

不安そうな表情だけど……僕のことを見ていた。

目を逸らさずに。

 

その言葉は……否定しなければならない言葉だ。

 

僕はメフィストと契約し、全てを失った……その理由がミシェルの為だったと知られたくない。

知られてはならない。

 

優しい彼女の事だから、絶対に気に病んでしまう。

彼女は『今が幸せだ』と言っていた。

 

だったら、良いんだ。

僕が居なくても、みんな幸せに生きていられるなら。

その幸せに……ほんの少しの陰りも要らない。

 

 

 

だから、否定した。

僕は首を振った。

 

 

「ううん……初対面だよ。知らない人同士だ」

 

 

……これで良い。

 

彼女の人生に、僕は必要ない。

これからも、この世界で生きていく彼女には──

 

 

「違う……」

 

 

ミシェルが僕へ、一歩近付いた。

 

 

「えっと……?」

 

「私、貴方のことを何も覚えてない……けど」

 

 

胸が痛んだ。

 

二人で遊んだことも、食事をしたことも、映画を見たことも、色んな場所に出掛けた事も、色んなことを共有した事も……傷付けた事も、傷つけられた事も、好きだと言った事も。

 

 

全部。

 

 

良い思い出も、悪い思い出も……何も覚えてない。

 

 

「それでも……」

 

 

僕は彼女の目を見た。

彼女は僕の目を見た。

 

視線が混じり合う。

 

ミシェルの瞳はもう、揺らいでいなかった。

揺らいでいるのは……僕の心だ。

 

 

「だけど、それでも……覚えてなくても……私は……知ってる」

 

 

ミシェルの言葉が小さくなっていく。

 

 

……そうか。

ミシェルはこの世界のことをコミックとして知っているんだ。

だから……スパイダーマンや、僕についての知識があるんだ。

 

消えたのは彼女達の記憶。

そして、この世界の痕跡。

 

だから例え、彼女の記憶から僕を消されても……別世界の記憶をもう一度読み直せばいいだけだ。

 

彼女は……疑惑だけで、僕まで辿り着いてしまったんだ。

 

俯いていたミシェルが、僕へ視線を戻した。

 

 

「教えて……ピーター。どうして、私は……私達は貴方のことを忘れているの?」

 

「……何の話かな?僕にはサッパリ分からないよ」

 

 

真っ直ぐなコバルトブルーの瞳から逃げたくて、僕は目線を逸らした。

 

 

「どうして否定するの?」

 

「否定、なんて……何の話か分からないだけだよ」

 

 

顔を合わせるのが怖くて……視線は逸らしたままだ。

彼女は決して責めるつもりはないだろう……それでも僕は、責められているような気がしてしまうんだ。

 

そして……ほんの少しの時間が空いて、彼女は口を開いた。

 

 

「……もし、私が悪いのなら謝るから──

 

「そんなこと、ない……」

 

 

思わず口から漏れた。

 

ミシェルが悪い訳じゃない。

 

グウェン、ネッド、ハリー、スタークさん、メイ叔母さんも。

 

誰も悪くない。

みんなには、幸せになって欲しいんだ。

 

 

「ピーター……」

 

 

だけど……その否定は失言だ。

彼女の言葉を暗に認めてしまっている。

 

……そんな失言に、ミシェルが口を開いた。

 

 

「……なら、どうして?」

 

 

答えられない。

黙ったまま……彼女から離れようとする。

 

もう、どうしたら良いか分からなくて。

僕の内心はメチャクチャになっていて。

 

逃げだしたかった。

このまま話していれば、決意が揺らいでしまう。

諦めていた物を、拾ってしまう。

 

それで誰かを傷付けるのなら……僕は、要らないのに。

 

顔を逸らして、足を後ろに引いて──

 

 

「待って」

 

 

踵を返した時、彼女に手を掴まれた。

指が絡まる。

 

思わず彼女のことを見た。

 

 

「そんな勝手に……どこかに、行かないで……」

 

 

 

彼女は……泣いていた。

涙が頬を伝っている。

 

 

 

「…………」

 

 

息を呑んだ。

 

 

彼女を泣かせたくないから、黙っているのに。

その所為で……また、泣かせてしまった。

 

胸が痛い。

苦しい。

 

なのに心臓の音が、耳にまで届く。

 

 

僕は彼女に問いかける。

 

 

「君は……何で、泣いてるの……?」

 

 

「……ピーターも、泣いてる」

 

 

理由は教えてくれなかった。

代わりに……僕自身も気付いていなかった事を指摘された。

 

 

じくり、じくりと。

 

 

まるでナイフに刺されたかのような胸の痛みに、僕は……無意識のうちに泣いていたみたいだ。

 

……手で拭う。

 

 

「……はは、カッコ悪いな」

 

 

格好付けたくて、彼女に嘘を吐いている訳じゃない。

見栄を張りたい訳じゃない。

 

ただ、彼女を守りたいだけだ。

それなのに……僕は、僕の感情に折り合いを付けられず……泣いて……。

 

僕は、未熟だ。

 

 

「お願い、ピーター……私に教えて……?」

 

 

そう、言った。

 

だけど……僕は──

 

 

「言えないよ」

 

「どうして?」

 

「それも、言えない」

 

 

僕は首を振って……彼女はまた、悲しそうな顔をした。

 

ミシェルの手が僕の手を握った。

手の甲に、彼女の手のひらが触れる。

 

 

「私は……この温かさ、貴方の熱を……知らない」

 

「……そっか」

 

「だけど、ピーターは……私の手の感触を、知ってる?」

 

 

柔らかな感触。

細くて、滑らかな指。

 

熱。

命の……生きている温かさ。

優しさ。

 

 

「だとしても──

 

 

僕は、手を握りながらも……その未練を振り払った。

 

 

「僕の事なんか、気にしないで……いいから」

 

「ピーター……」

 

 

擦れた声が耳に響く。

 

 

「君にとって僕は……初対面の筈、だよね。だから、僕なんか──

 

「ううん、覚えてなくても……」

 

 

ミシェルの手に力が込められた。

 

彼女の顔が近い。

吐息を感じる。

 

 

「それでも、私は知っている。この一年間で……私は沢山、変わる事が出来た」

 

「…………」

 

「人を殺す事に忌避感を覚えて……傷付ける事にも。出来ない事が増えて、私はきっと弱くなった……」

 

 

彼女が俯いて、涙がぼろぼろと溢れた。

 

 

「だけど、それは良い事だった……弱くなっても……私は、人として大事な事を知った……命の大切さを知った……変わらなきゃって思えたから」

 

 

手を握る力は強く……離さないようにと。

 

 

「それに……誰かを好きになる事も出来るようになった……」

 

 

握られた手が、震える。

 

 

「誰を好きになったのかはもう、覚えてないけど……きっと、貴方が変えてくれた……私を」

 

 

ミシェルが顔を上げた。

 

普段の表情に乏しい顔じゃない。

彼女は……泣いていた。

 

彼女の正体を知ってから沢山見た……見てしまった、彼女の泣き顔。

 

……違う。

僕は、そんな顔がして欲しくて……助けた訳じゃない。

僕はただ、君に笑って欲しかっただけなんだ。

 

 

「何も分からないし……何も覚えてなくても。私を変えてくれた……私を暗闇から助けてくれた貴方が……苦しんでるのなら……」

 

 

その瞳には、僕が映っていた。

 

 

「私に貴方を……助けさせて欲しい……」

 

 

あぁ。

 

その言葉は……もう、彼女は忘れてしまっているだろうけど……僕が、君に言った言葉だ。

 

例え、全ての思い出が失われても。

握った手の温かさは変わらない。

 

心のあり方も。

その、優しさも。

 

 

「……ミシェル」

 

「…………お願い、だから」

 

 

震えていた心が……ゆっくりと、戻ってくる。

 

そう……そうだった。

君の感じている不安や、罪悪感も分かち合うって言ったから。

勝手に居なくなったら……ダメだ。

約束は守らないと。

 

彼女が今、泣いているのなら……もう、知らないフリなんて僕には出来ない。

 

 

だから──

 

 

「分かったよ」

 

「……ピーター?」

 

 

手を握り返す。

しっかりと正面から向き合って……口を開く。

 

 

「きっと……知らない方が、ミシェルは気楽に生きられると思う」

 

「……それでも。教えて欲しい」

 

 

視線が、ぶつかり合った。

 

 

「うん……話すよ」

 

 

 

公園のベンチに座って──

 

暗くなったクイーンズで──

 

真夜中、二人で──

 

 

僕は話した。

溢れ出しそうな内心を抑えつつ、少しずつ……彼女に話した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女を助けようとした事を。

 

 

 

 

 

心臓の爆弾が爆発した事を。

 

 

 

 

 

助けられなかった事を。

 

 

 

 

 

メフィストとの契約を。

 

 

 

 

 

 

 

 

全て、嘘偽りなく……話した。

 

彼女は黙って聞いていた。

驚いた様子はない。

 

どこか……予感していたのだと思う。

だから、これは答え合わせなんだ。

 

 

話し終えて……僕は、息を深く吐いた。

 

 

「これが事の顛末……だから、知られたくなかったんだ」

 

 

ふと、ミシェルの顔を見た。

辛そうな顔をしている。

 

 

「……ばか」

 

「……まぁ、確かに。もっと上手い方法とか、あったかも──

 

 

ぽすっ。

 

と音がした。

 

僕の胸からだ。

彼女の拳が、僕に優しく当たった音だ。

 

 

「ホントに……ばか」

 

 

もう一度、優しく叩かれた。

これは彼女なりの抗議なのだろう。

 

 

「は、はは……そんなにかな」

 

「うん……ばか。確かに……私、絶対に気にしちゃうけど……貴方が不幸になるぐらいなら……ちゃんと、受け止めるから」

 

 

……彼女は、僕が想像していたよりも、ずっと強かった。

 

僕が勝手に選んだ選択肢は……きっと、間違いだったのかも知れない。

 

 

「……でも、ありがとう」

 

 

だけど、遠回りだったけど……やっと、僕はミシェルに心の内を曝け出す事が出来た。

酷い話だけど……清々しい気持ちだった。

 

この一ヶ月で一番……晴れやかな気持ちだ。

 

 

「私を助けてくれて、ありがとう」

 

 

……違うよ。

感謝したいのは……僕の方なんだ。

 

忘れても……僕の事を探してくれた、君にこそ。

諦めていた僕を助けに来てくれた、君にこそ。

僕は感謝しているんだ。

 

 

「でも、ピーター……どうして、そこまでしてくれるの?」

 

 

……その言葉も、前に一度、言われたな。

 

 

「それは……その、僕が君を好きだからだよ」

 

 

だから、今度もそう返した。

全く同じ内容で、同じ気持ちで……返事をした。

 

 

僕の言葉にミシェルは……驚いたように口を小さく開き。

噛み締めるようにして、頷いた。

 

 

「そっか……そうなんだ……」

 

 

頬は少し、赤くなっていた。

彼女も、僕も。

 

 

静かなクイーンズの公園で、二人でベンチに座って……顔も合わせず、ただ絡まった指の感触と熱を感じていた。

 

彼女にとって僕は、初対面の筈なのに。

どうしてここまで……僕に気を許してくれるのだろう。

 

……僕は口を開いた。

 

 

「……ミシェルもさ、どうして気を許してくれてるの?だって、僕のことは何も覚えてないのに」

 

 

そう、訊いた。

 

彼女が目を瞬いた。

僕は言葉を繋いだ。

 

 

「僕が、スパイダーマンが……君の好きなコミックのキャラクターだから?」

 

 

そうだ。

ミシェルは……別世界でコミックのヒーローとしてのスパイダーマンが好きだと言っていた。

それなら、それが理由で──

 

 

「違う」

 

 

だけど、返ってきたのは否定の言葉だった。

ミシェルは首を振っていた。

 

 

「……違う?」

 

「うん……それも、少しはあるかも知れないけど……一番は……えっと、なんて言ったら……」

 

 

ミシェルの視線が揺らいだ。

 

 

「……初めて会った時から……ずっと、さっきまで話してたら……その、私も……ええっと……」

 

 

言葉を濁して。

 

 

「私も……そう、貴方のことを……信じられると思ったから……」

 

 

その言葉に、耳まで熱くなった。

 

 

「私がこの一年で得た感情の理由が……貴方だと分かったから……」

 

 

抽象的な言葉だった。

 

 

「きっと私が好きだったのは……貴方だったって……思ったから」

 

 

僕の記憶を全て失っても……僕が彼女の心に与えた影響は変わらない。

それらが、僕に紐付いて……。

 

 

「……それは、嬉しいな」

 

 

辛うじて、そう言えた。

 

照れ臭くて、心臓が大きな音を立てて鳴っている。

ミシェルもきっと、そうだ。

 

 

でも、だけど……そっか。

 

記憶を失う前も、ミシェルの好意は感じていた。

彼女は決して『好き』と直接言ってくれなかったけど……今、ようやく言えたんだ。

 

それはきっと、彼女の事を縛っていた後ろめたさが……少しは減ったって事だろう。

 

それが堪らなく、嬉しい。

 

 

きっと、彼女も自分の事が……少しは、許せたのだろう。

 

 

夜風が頬を撫でた。

雲は晴れて、月が出ていた。

 

 

「……ピーター」

 

 

「うん」

 

 

「一つだけ、お願いしても良い?」

 

 

「うん、いいよ……一つだけじゃなくても」

 

 

「ピーターと私の思い出を教えて欲しい」

 

 

「……少し、長くなるよ?」

 

 

「いい。だって、時間は沢山あるから」

 

 

「……うーん、どこから話そうかな」

 

 

「最初から、が良いな」

 

 

「じゃあ、最初から……もう一度だけ、話そっか。僕は──

 

 

 

 

生まれ育った街で。

 

 

僕が守ってきた街で。

 

 

月明かりと街灯が照らす夜の下で。

 

 

何かに怯える事もなく。

 

 

穏やかに。

 

 

言葉を交わす。

 

 

無くなった思い出は、戻ってこない。

だけど、新しく作る事は出来る。

 

一つずつ、積み上げていくんだ。

 

今日の出来事も、きっと……数年後には「そんな事があったね」って懐かしんで、笑い合えるようになるよ。

 

 

君が自分を好きになれるまで、僕が君を好きでいよう。

 

君が好きになってくれた僕も……僕自身が好きになれるように、努力するから。

 

 

君が笑って。

僕が照れて。

 

君が疑って。

僕が慌てて。

 

怒って、笑って、泣いて、微笑んで。

 

 

そうやって……少しずつ、また積み上げていこう。

 

 

これから、僕達はどうなって行くのか。

それはまだ、分からない。

 

 

きっと、晴れた日ばかりではないと思う。

雨の日だって沢山あるだろう。

 

 

それでも良い。

良い事も、悪い事も積み上げて……君と作っていきたいんだ。

 

 

思い出を。

 

 

僕と君で……そして、みんなと。

 

 

 

 

だから、今日の決断を後悔する事はない。

あの日、初めて会って……君と話そうとした決断も。

 

例え、どんな事があったとしても……後悔だけはしない。

 

 

きっと、乗り越えていける筈だと……今は、そう思えたんだ。

 

 

 

無くなってしまった思い出。

死んでしまった人。

帰れなくなった居場所。

 

それらは無駄にならない。

影響されて……与えられた心が、想いを推し進める限り……きっと。

 

 

続いていく。

 

 

ずっと……ずっと……。

 

 

寄り添いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

アベンジャーズタワー。

そこで私は少女と相対していた。

 

窓の外を見れば、日光が照り付けていた。

 

 

目前にいるのは薄い金髪に青い眼を持った……ミシェル・ジェーン=ワトソンという少女。

 

彼女が口を開いた。

 

 

「ナターシャ・ロマノフ、さん。来てくれてありがとう……ござい、ます」

 

 

今日の彼女は大人しかった。

まるで別人のように。

 

普段、私と会話する時はもっと刺々しい物だった。

 

言うならば『レッドキャップ』らしい、威圧的な話し方だ。

しかし、今は違う。

 

それでも、彼女の口調に違和感はあれども驚きはしない。

 

元々、グウェン・ステイシーと彼女が会話している時の様子を知っている。

 

そう、ニック・フューリーから貰った情報と照らし合わせる。

この少女は何かしらの原因で、別次元の人間の記憶を持っている。

 

 

その所為で元来の少女らしい思考回路と、攻撃性の強い思考回路が両立している。

二重人格とかではなく、ただ思考回路を切り替えられるだけだ。

 

彼女もセラピストに話していた。

仕事中……つまり、戦闘中や警戒中は気分が高揚し、口調も変わると。

 

記憶は共有しているし、根本的には同一の人格。

どちらも彼女自身だ。

 

 

そして、今の彼女は……仕事中ではない方という事か。

 

……以前まで、私は警戒されており、攻撃性の強い状態で会話していたのだろう。

 

少しは信頼してくれている、という事だろう。

 

 

「用があると聞いたわ、その要件は?」

 

 

私は『S.H.I.E.L.D.』のエージェントとして……『ブラック・ウィドウ』として、ここに来ている。

 

彼女の友人であるグウェン・ステイシーは私の後輩だ。

まだ彼女は訓練生であるため、私が指導する事もある。

 

 

「以前、ニック・フューリーに話された『選択』についての回答を」

 

 

私は……彼女には真摯に、向き合わなければならない。

 

彼女と戦った者として、グウェン・ステイシーの先輩として、『S.H.I.E.L.D.』のエージェントとして。

 

そして、何より……似た者同士として。

 

 

「そう。それで……一般人に戻るの?それとも……」

 

 

私は『レッドルーム』という諜報機関で、彼女のように虐待染みた訓練を受けていた。

幼い頃からスパイとして活動していた。

 

……彼女の辛さは、人よりも理解出来る。

でも、私と違って彼女は若い。

 

まだ、新たな人生を歩む事が出来る。

普通の女の子として、『ミシェル・ジェーン』として。

 

 

しかし──

 

 

「……私は、誰かを助けられるようになりたい」

 

 

彼女の回答は、異なっていた。

 

人並みに生きる事を捨てて、『S.H.I.E.L.D.』のエージェントとして生きる事を選んだのだ。

 

私は目を軽く、閉じた。

 

 

「貴女が罪悪感を感じて、その選択をしているのなら……気にしなくて良いわ。法的にも罪に問われないし」

 

「…………」

 

 

彼女は罪悪感を感じている。

彼女は悪意を振り払えるほど強くはなかったが、人並みの善性を持っていた。

 

それに苦しめられている。

 

だから、そのような選択をしたのかと疑った。

 

 

「……それでも、かしら?」

 

 

だが、その目には怯えは見えなかった。

 

……確かに罪悪感もあるだろう。

だが、別の何かもあるように見えた。

 

 

「……私は、今まで沢山の人を殺してきた」

 

 

知っている。

崩壊した組織(アンシリー・コート)の基地から、幾つものデータをサルベージしたからだ。

 

 

「欲しくもなかった力で、悪事を働いていた」

 

 

彼女は被害者だ。

イカれた未来人の人体実験によって、超人的な力を得た。

心と身体を擦り減らし、一流の戦闘員となった。

 

彼女自身は、それを望んではいなかっただろうに。

 

 

「そして、ずっと現実から目を逸らして……逃げていた」

 

 

超人的な力があっても、彼女の性根は普通の人間だ。

だから、組織に反抗する事もできず、逃げる事も出来なかった。

 

……それを責めるつもりはない。

 

 

「でも、望まない力であっても……責任からもう逃げたくない」

 

「……責任?」

 

 

彼女の言葉に口を挟んだ。

 

 

「力を持つ者は、その力を正しい事に使う責任がある……」

 

 

それは一般的な価値観だが……綺麗事だと吐き捨てられるような理屈だ。

 

恵まれた者は、恵まれない者を助けなければならない。

それは確かに理想だ。

 

だが、自身がその『恵まれた者』になった時……誰かを助けられるか?

 

 

……それが出来る人間は、少ない。

 

 

そんな理想主義を彼女が口にした事に驚いた。

現実主義者(リアリスト)のように見えていたからだ。

 

 

「……誰かの受け売り?」

 

 

だから、彼女が思い付いた訳ではないだろう。

誰かの言葉で、誰かの価値観だ。

 

 

「……私の憧れの人が、そう言っていた」

 

 

憧れ、か。

彼女はこの世界をコミックと認識しており、ヒーローに憧れていたと聞いていた。

 

 

「私も変わらなきゃならない。『憧れ』ているだけじゃなくて……この力に相応しい人間になりたい」

 

 

そして、そう言った。

 

表情は険しいが……己を責め続け、逃げていた表情は鳴りを潜めていた。

 

 

だが、今ならば──

 

 

 

「……良いわ、フューリーには言っておく」

 

 

何か、良い変化があったのだろう。

彼女を変える、変えようとしてくれる『何か』。

もしくは『誰か』か。

 

どちらでも良い。

 

ふと、頬が緩んだ。

 

 

「ありがとう……ござい、ます」

 

「でもまだ今は、しっかりと休んで」

 

「私はもう、大丈夫で──

 

「一ヶ月前に死にかけたのよ?心も身体も、もう少し休んで……誰も貴女を責めないから」

 

 

私は笑って、席をたった。

 

不服そうにしている彼女の事を見て、少し笑った。

 

グウェン・ステイシーは……彼女は、優しくて可愛らしい年相応な少女だと言っていた。

そう言われても、思えなかったが……今なら分かる。

 

 

 

そのまま扉を開けて、会議室を出れば──

 

 

「盗み聞き?感心しないわね」

 

「君を待っていただけだ」

 

 

眼帯を付けた強面の男……ニック・フューリーが居た。

私が歩き出すと共に、フューリーは私の横に付いて歩いた。

 

何か話があるのだろう。

 

そう思って、フューリーの顔を軽く見ると……彼が口を開いた。

 

 

「彼女はどちらを『選択』した?」

 

「エージェントになるって言ってるわ」

 

「そうか」

 

 

フューリーが薄く笑いながら、頷いた。

随分と嬉しそうだ。

 

 

「正直、私は反対よ。彼女をこれ以上、戦わせるのは」

 

「しかし、選んだのは本人だ。それに……彼女に償いは必要だ」

 

 

思わず、眉を顰めた。

 

 

「償う必要があるかしら?彼女は──

 

「償いは被害者の為だけにある訳ではない。彼女自身の心を救うために必要だ」

 

 

そう言われて……私は頷いた。

 

ミシェル・ジェーン=ワトソン。

彼女の精神面は、人を殺し悪事を働いたとは言え、一般人に過ぎない。

 

自分の罪を無視できるほど悪人ではない。

そして、罪悪感を感じられる善性も持っている。

 

そんな彼女は……少々、病んでいると言って良い。

随分とマシになったが、ここに運び込まれて来た時は随分と荒れていた。

 

暴れている訳ではなく、ただ自分を蔑んでいた。

 

だから……そんな罪悪感を和らげるために、善行を積ませようという考えには納得した。

 

 

「……それにしても、フューリー。これも貴方の想定通り?」

 

「まさかな。私は未来予知できる訳ではない。ただ、そうなれば良いと考えていただけに過ぎない」

 

 

フューリーがタブレットを操作して、何かのリストを開いた。

それには人名が書き込まれている。

グウェン・ステイシーや、ハリー・オズボーンの名前もあった。

 

そして、そこに彼女の名前を追加した。

 

 

「……それは?」

 

「リストだな」

 

「何の、かしら?」

 

 

要領を得ない回答に、眉を顰める。

 

するとフューリーは笑いながら、タブレットをこちらに向けた。

 

 

「新たなる“希望”だ」

 

 

彼がリストを閉じれば、ファイルの名前が表示される。

 

 

 

 

そこには──

 

 

 

 

 

『ヤング・アベンジャーズ』と表示されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

サンクタム・サンクトラムの天窓から見える空は暗い。

月の明かりが魔法陣を模した窓を貫き、足元を照らす。

 

書庫で浮遊マントを壁に掛けて、真っ赤なソファに座る。

 

腕時計を見る。

時計の短針は9つを指し示している。

 

 

 

……ピーターを送り出した翌日。

ミシェル・ジェーン=ワトソンが『S.H.I.E.L.D.』に入ったと聞き、私は安堵のため息を吐いた。

 

 

 

風もない部屋で浮遊マントがはためく。

 

 

自己を愛せない少女。

己を顧みない少年。

 

二人の事を想い、馳せる。

 

 

 

『アガモットの眼』を使用して、私は未来を見た。

タイムストーンは近しい未来ならば予知すら可能だ。

 

ただ、自然の法則を乱し過ぎれば……予想外の反動が起きる。

良き事を引き寄せれば、それと同様の悪しき事をも引き寄せる。

 

だから、あまり使用してはならない。

運命を歪める事はそれだけ危険なのだ。

 

 

だが、そうだとしても……今回だけは。

 

 

机の引き出しを開ける。

文字盤ごと砕けた腕時計があった。

 

私は過去に、外科医だった。

神の手などと呼ばれていた。

富も名声も、恋人も……何でも持っていた。

 

 

だが、ある日……私は交通事故によって全てを失った。

 

辛く、苦しい日々だった。

 

だが……何もかも無くしても、そこから這い上がった。

 

魔術を手にした私は、今も信念を貫き続けられている。

『人を救う』、ただそれだけの信念を。

 

 

だから、全てを失った彼が……私と同様に失った彼が、諦めている事を許せなかった。

納得出来なかった。

出来るはずがなかった。

 

だから、引き合わせた。

 

 

確かに、私は彼と『彼女には真相を話さない』と約束した。

 

だが──

 

 

「約束は守っただろう?」

 

 

きっと、真相を話したのは彼自身だ。

私は話していない。

 

浮遊マントが震えた。

 

 

私は引き出しを閉じた。

 

そのまま……振り返り……ふと、書庫の奥で何かが淡く輝いていることに気付いた。

 

 

「……なんだ?」

 

 

私は至高の魔術師(ソーサラー・スプリーム)だ。

このサンクタムの書庫にある全てを知っている。

 

筈だ。

 

だから、知らない物体がある筈がない。

 

 

しかし──

 

 

「……随分と派手なセキュリティだ」

 

 

宙に浮かぶ、鎖で雁字搦めになった本を見て苦笑した。

 

どこからか来たのか?

いいや、サンクタムに許可なく入る事は不可能だ。

 

元からあったのか?

そんな訳がないだろう。

 

では……どうして今更、見つけたのか。

 

 

鍵の形状を見て……察した。

 

 

私は両手を交差して、魔法陣を作り出す。

それはアガモットの眼を開くための魔法陣……だが、対象はアガモットの眼ではない。

 

目の前にある本の鍵だ。

複雑に絡み合う円を分解すれば……本を縛っていた鎖が地面に落ちた。

 

 

「……やはり、師か」

 

 

アガモットの眼の開錠構造、それを知っている者は少ない。

そして、このアーティファクトは至高の魔術師(ソーサラースプリーム)が代々受け継ぐ物。

 

 

つまり、鍵を用意したのは先代の至高の魔術師(ソーサラースプリーム)……エンシェント・ワンだ。

 

恐らく、本自身に魔術を掛けて……時空を跳躍させたのだ。

今、この瞬間にここに来るように、未来を予知して。

 

目を少し、下げる。

 

アガモットの眼、そこの内部にある石……それは時間を操る『タイム・ストーン』と呼ばれる物だ。

 

 

「時間の操作……それほどまでに、この書物を私に見せる必要があるのか」

 

 

時空連続体へのダメージを顧みても、無闇に時間への干渉はするべきではない。

それはエンシェント・ワンだって知っている筈だ。

 

彼女は迫り来る巨大な脅威を、未然に防ぐ事に身を捧げていた。

だから、これは……この書物は、それだけ重要だと言う事だ。

 

 

果たして、何の予言書か。

または、封印せざるを得なかった強大な魔術か。

 

 

私は宙に浮かぶ本を手に取り、開く。

 

 

「………なに?」

 

 

しかし、そこに書かれていたのは……たった一人の少女についての話だ。

エンシェント・ワンが体験した記憶、それが転写されている。

 

少女の名は書かれていない。

だが、読み取れるエンシェント・ワンの残留思念……それらは、彼女の事を指し示していた。

 

 

ミシェル・ジェーン=ワトソン。

私が助けた少女の名前だ。

 

 

過去にエンシェント・ワンは彼女の記憶を抹消した事がある……らしい。

 

それは、彼女の持つ記憶……そして、その記憶の源を危惧してのこと。

 

 

「…………」

 

 

ページを捲る。

 

エンシェント・ワンは時空の歪みを探知し、原因がラトベリアの戦争孤児の記憶だと知った。

だから、彼女の記憶を消し、原因を取り払おうとした。

 

だが、しかし……エンシェント・ワンも、その原因について詳しくは知らなかった。

別世界の記憶を覗き見れる何かが……何なのかを。

 

エンシェント・ワンは彼女の中にある『何か』を見た時……その存在を知れば、この世界は波乱で溢れかえると悟った。

 

しかし、罪のない少女の命を奪う事に……彼女は躊躇してしまった。

 

だから、封印処理を掛けた。

思い出せないようにと……だが、それでも、エンシェント・ワンですらも完全には封印出来ていなかった 。

 

彼女が記憶を別世界から読み取る為に使っている『何か』。

 

 

その『何か』とは。

 

 

それは──

 

 

「ウアトゥの眼……」

 

 

観測者(ウォッチャー)、ウアトゥ。

彼は月に住む、生きる超常現象だ。

 

全ての時空を見渡し、全ての世界を観測する宇宙的存在……人智を越える上位種族、それが観測者(ウォッチャー)という種族だ。

 

ウアトゥはその、観測者(ウォッチャー)の一人である。

 

 

その、彼の瞳。

 

 

 

 

つまり──

 

 

 

「…………」

 

 

私は立ち上がり、本棚へ向かう。

特定の順序で本を引き抜けば……ポータルが開き、手元に通信機が落ちてきた。

 

魔術の聖地に相応しくない、近代的な通信機器だ。

 

 

 

 

彼女の持つ『眼』、それは危険だ。

それに、この世界の観測者(ウォッチャー)、ウアトゥの眼がここにあるという事は……彼が既に死んでいるという事だ。

観測者(ウォッチャー)を殺した何者かが存在するという事なのだ。

 

そして、ウアトゥの眼を封印する事は師にも出来なかった……彼女より経験の浅い私には、尚更だ。

 

 

幾つもの不安要素。

魔術師としての知識。

合理的な判断。

 

 

それらが私に『彼女は、この世界から消した方が良い』という結論を導こうとする。

 

 

 

通信機の電源を入れる。

 

 

これは、トニー・スタークが作った機械で……極秘回線に繋がっている。

『S.H.I.E.L.D.』も『アベンジャーズ』すらも知れない秘密の集まりに。

 

 

ディスプレイに連絡先が表示された。

 

 

 

最強のヒーローチーム、『アベンジャーズ』の中核を担う天才発明家。

トニー・スターク。

 

天才科学者にして、最高と名高いヒーローチーム『ファンタスティック・フォー』のリーダー。

リード・リチャーズ。

 

月に存在する『アティラン』という国家、そこに住む超人種族『インヒューマンズ』の王。

ブラック・ボルト。

 

ミュータントを統率する最強のテレパス能力者にして、『Xメン』を統率する者。

プロフェッサーX。

 

海底都市、『アトランティス』の王子。

この世界で初めて人類の前に現れた『最初のミュータント』。

ネイモア。

 

そして、至高の魔術師(ソーサラー・スプリーム)である私。

スティーヴン・ストレンジ。

 

 

6人のチーム。

国にも、アベンジャーズにも知られていない秘密結社。

 

 

『イルミナティ』

 

 

それは、この世界の脅威を事前に排除してきた者達の名だ。

 

アベンジャーズや『S.H.I.E.L.D.』では対処の難しい物を……秘密裏に、非合法に、時には道徳も捻じ曲げて対処してきたのだ。

 

 

脅威が迫った時、我々は結集してきた。

 

だから、今が……その時だろう。

 

 

 

 

しかし、私は──

 

 

 

 

「私は……貴女のように、無慈悲で寛容にはなれない」

 

 

端末の電源を切り、師の顔を思い出す。

 

エンシェント・ワン。

永く……途轍もない時間を生きて、彼女は世界から脅威を取り除いていた。

 

手段は選んでいられない。

時には命を奪う事もあっただろう。

 

 

だが、私には……無理だ。

 

 

魔術師(ソーサラー)である前に、医者(ドクター)である私には。

 

 

「……もう、良いだろう?幾つもの苦しみを乗り越えたんだ……彼女と、彼は」

 

 

椅子に深く座り込み、本は机の上へ。

 

 

 

「だから、ハッピーエンドで良い……」

 

 

 

自分に言い聞かせるように、そう呟いた。




応援ありがとうございました。
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