【本編完結】レッドキャップ:ヴィランにTS転生した話   作:WhatSoon

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閑話です。
今年もよろしくお願いします。


#EX ドリーム・ビフォア・スリープ

時間は少し遡る。

 

私がブラック・ウィドウに、決意を話す前。

選択をする日……その前。

 

前日の夜。

 

クイーンズの公園、そこのベンチで二人語り合っている時。

 

そこまで遡る。

 

 

「まぁ、そんな感じで……えっと──

 

 

ピーターが言葉を紡ぐ。

 

私が知らない、私の話。

ピーターだけが知っている、私の思い出。

 

確かに、その場面に遭遇すれば私はそうするだろうと思える思い出。

疑う訳ではないが、ピーターの語る話は事実なのだと納得した。

 

そして、それは……凄く──

 

そう、私にとっては、凄く──

 

 

「……羨ましい」

 

 

羨ましく聞こえた。

 

 

「ミシェル?」

 

 

私が小声で呟いた言葉に反応して、ピーターが首を傾げた。

 

 

「……何でもない」

 

 

取り繕うように下手くそな笑みを浮かべて、首を振る。

 

誰を羨ましく感じるのか?

ピーターに対して、ではない。

 

私自身だ。

正確には、私の知らないピーターの記憶にいる私に対してだ。

 

私はピーターの顔を見る。

頬を掻いて、ピーターは不思議そうな顔をしている。

 

凛々しさと優しさの中に……ほんの少しの臆病。

 

陽気かと言えばそうではなく、大人しい性格。

 

彼の思い出話を聞けば対人関係に対しては臆病……だけど、誰かを助ける時は勇敢。

 

頼りないけど、本当は頼りになる。

矛盾した二つを兼ね備えた、そんな人だ。

 

 

「……ど、どうしたのかな?僕、変な事言った?」

 

 

そう言って慌てる様子を見ると、少し愉快な気持ちになる。

虐めて楽しいって訳ではない……だけど、その、愛おしく思えた。

 

こうやって彼の知らない表情を見ること、それが堪らなく嬉しい。

 

 

「ううん、大丈夫。もっと、話を聞かせて欲しい」

 

 

私は笑いながら、そう言った。

 

元々、スパイダーマン……いや、ピーター・パーカーに対して私は、好意を持っていた。

コミックのヒーローに対する好意だ。

 

だけど、こうして出会って……彼の献身を知り、私は彼が好き『だった』のだと確信した。

今も……記憶を失った今でさえ。

 

思い出話で……今の私自身も惹かれている。

 

前の私と、今の私。

記憶を失っても根本は変わらない。

 

どちらの私も彼が好き、なのだろう。

 

 

 

だからこそ、羨ましい。

私の知らない彼との出会い、出来事、全て。

 

自身の唇を、指でなぞる。

 

キスの感触も……私は覚えていない。

それが羨ましい。

 

 

そんな私の無意識の行動を見ていたのか、ピーターが顔を赤らめた。

……私も少し恥ずかしくなった。

 

 

しかし、記憶を失う前の私を羨ましいと思いつつも、一つだけ褒めるべき所がある。

 

それは──

 

 

 

 

彼の『恋人(ガールフレンド)』という立ち位置を手に入れている事だ。

 

ピーターの口から恋人だとか、そういう話は出てこなかったけれど……二度もキスしているのだ。

 

二度も。

 

間違いなく、付き合っていた。

何度もデートをしているし。

 

そうでなければ、お互いに奥手過ぎる。

流石に……ありえないだろう?

 

だから、私とピーターは付き合ってる。

間違いない。

 

 

「……うん」

 

 

私が一人、そう頷いていると……ピーターが何かに気付いたようにスマホをポケットから出した。

 

最新機種の二世代ぐらい前の型落ちしたスマホだ。

 

それのボタンを押すと、画面に時刻が表示された。

 

 

もう、日が変わる寸前だった。

 

 

「ミシェルってさ、今は何処に住んでるの?」

 

「……マンハッタン、だけど?」

 

 

そう、返す。

 

 

「この時間は……うん、送っていくよ。もう夜も遅いし、帰った方がいいよ」

 

 

そう言って、ピーターがベンチから立った。

確かに夜も遅い。

 

マンハッタンとクイーンズは隣と言えども、距離はそこそこある。

夜のニューヨークの治安を考えれば、送っていくのが正解だろう。

 

普通の女性に対してならば。

 

 

「私は一人で大丈夫、だけど?」

 

 

だが、私は超人だ。

夜間に婦女暴行を仕掛けてくる卑怯者程度には負けない。

 

それよりも、決して近くない距離を往復する事になってしまうピーターを労わりたい。

 

 

私の考えに気付いたようで、ピーターが苦笑した。

 

 

「いやいや、遠慮しなくても良いよ」

 

「……でも、ピーターの帰りが遅くなる」

 

「気にしないよ」

 

 

気にしない。

そう、ピーターが言っても……私は気にしてしまう。

 

 

だから、立ち上がったピーターの服……その裾を掴んだ。

 

 

「なら……ピーター」

 

「ミシェル……?」

 

「もう少しだけ、話したい」

 

「でも、もう遅いし……」

 

 

私は仄かに笑った。

 

 

「ピーターはクイーンズに住んでる。違う?」

 

「いや、そう……違わないけど……?」

 

 

想定通りだ。

だから、私は考えていた言葉を、口に出した。

 

 

「泊めてほしい」

 

「泊め……え?」

 

「今日、ピーターの家に……泊めてほしい」

 

 

普通の男性に対してなら、遠慮する。

変な事されないか心配だし。

相手も困ってしまうだろう。

 

だけど、ピーターは違う。

だって私達は『恋人』なのだ。

 

だから、一緒の部屋で寝るのも普通だ。

 

 

「あ、え、でも……」

 

 

しかし、ピーターが言い淀んだ。

私は目を細めた。

 

……急に誰かが泊まりにくるのは、流石に迷惑……なのかも知れない。

 

 

「……ごめん、無理言ったかも」

 

 

距離を測り損ねてしまった……だって、仕方ないだろう?

何も覚えていないのだから。

 

……ほんの少しの自己嫌悪。

心の中で自身を罵倒する言葉が反射する。

 

そう、反省していると──

 

 

「む、無理じゃないよ。うん、大丈夫……」

 

 

ピーターが私に対して、努めて笑った。

そして、言葉を繋いだ。

 

 

「泊まりに来て良いよ。僕は全く、迷惑じゃないからさ」

 

「……ん、ありがとう。嬉しい」

 

 

私は安堵の吐息を吐いた。

一瞬、ピーターを不快にさせてしまったかと思ったからだ。

 

だけど、彼は笑顔で許してくれた。

 

 

立ち上がっていたピーターの手が、私に触れた。

驚いて私は、反射的に引っ込めてしまった。

 

 

「あ……」

 

 

声を出したのは私か、彼か。

いいや、両方だ。

 

少し。

ほんの少し。

気まずく感じながら私は立ち上がり、ピーターに視線を合わせる。

 

ピーターは少し……視線を逸らした。

彼の手が私に触れた理由、それはきっと──

 

 

「ピーター」

 

 

私は彼の手を握った。

 

こういう事、なのだろう。

私達は普段から手を繋いでいた、のかも知れない。

恋人(ガールフレンド)』ならおかしくはない。

 

だから、私が手を引っ込めた事に、ピーターは少し傷付いたのだろう。

 

 

「……行こ?」

 

 

別に、ピーターと手を繋ぐ事は嫌じゃない。

寧ろ……いや、嬉しい……の、かも?

 

私自身の手とは違う、少し骨張った手。

ゴツゴツとしていて、それでも細い。

それが、優しく触れ合った。

 

 

「……うん、行こっか。ミシェル」

 

 

まるで壊れ物を扱うように、私の手を握り返した。

 

手が触れ合うだけで、これだけ幸福な気持ちになれるのだから……幸せとは本当に些細な物から感じられるらしい。

私の幸せは安上がりだ。

 

だけど、それで良い。

 

胸にできていた空白が埋まっていく。

そんな気がした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ニューヨーク。

クイーンズ。

ピーターの部屋。

 

ピーターが壁についている小さなレバー型のスイッチを跳ね上げた。

パチン、と音がして電気がついた。

 

壁は……少し黒い汚れが目立つ。

家具を擦った後だろうか?

 

所々、床を踏む場所によっては軋んだ音がなる。

 

頭上にある灯りは……LEDでもない、白熱電球だ。

 

 

「えっと……取り敢えず、ベッドにでも座っていいよ」

 

「う、ん……」

 

 

私は少し、思っていたよりも……その、見窄らしい部屋に驚いていた。

前に私が住んでいたアパートよりも……だ。

 

ピーターは隣室に住んでいたと言っていた。

つまり、住居の質は私と同じだった。

……だから、この様子なら間違いなく下がっている。

 

 

それは……私の所為だ。

胸元を抑える。

 

 

「……ミシェル?」

 

 

ピーターが心配そうに、私へ視線を向けた。

 

私が今、住んでいるのはスターク家が作ったマンションだ。

豪華……とは言えないが、かなり良い暮らしをさせて貰っている。

金銭も貰っている……仕事もしていないのに。

食事にも困って居ない……多少、無駄遣いしても問題ないほどに貰っている。

 

なのに。

 

ピーターは、この様子なら……あまり、良い暮らしではないだろう。

 

 

助けられた私が、何の苦労もなく生活して。

助けてくれた彼が、こんな暮らしをしている。

 

 

「…………」

 

 

心が軋む。

この部屋の床のように、音を立てて。

不協和音を奏でている。

 

こんなの、私は──

 

 

「ミシェル」

 

 

ピーターが肩に手を置いた。

正面から、私の顔を見ている。

 

 

「その、大丈夫?」

 

 

大丈夫か訊きたいのは私だ。

 

 

「ピーターこそ……その、辛くない?」

 

 

私の言葉にピーターは首を傾げた。

 

 

「えっと、何が……かな?」

 

「その……」

 

 

私が部屋を見渡すと、察したようでピーターが苦笑した。

 

 

「確かに、ちょっとボロいね」

 

「……ピーター、私は──

 

「でも、全然辛くないよ」

 

 

ピーターは否定した。

そんな筈、ないのに。

 

彼の頬が緩んだ。

 

思わず──

 

 

「……ピーター、ありがとう」

 

 

私は、感謝の言葉を告げた。

彼はきっと、私が罪悪感を抱く事を良しとしない。

だって、私のためを思って……この一ヶ月間、記憶のことを黙っていたのだから。

 

だから、私に出来るのは自身を責める事じゃない。

彼を思いやって、彼に幸福感を与えること……それだけだ。

 

 

そのためなら──

 

 

何でも。

 

 

私のあげられる物なら──

 

 

「ピーター、洗面台、借りても良い?」

 

「勿論」

 

 

私はベッドから腰を上げて、洗面台へ向かう。

ポーチを手に取って……化粧を落とす。

鏡の向こうの私は、少し……不安そうな顔をしている。

 

 

 

息を深く吐いて……洗面台に置かれたコップを見る。

白い、無地のコップ。

 

それには歯ブラシが一本、入っていた。

 

 

洗面台から離れて、ピーターに向かって顔を出す。

 

 

「ピーター……その、予備の歯ブラシ、とかある?」

 

「え?あー、うん。あるよ」

 

 

ベッドメイキングをしていたピーターが、洗面所まで来る。

 

ピーターが棚の上に手を伸ばして、開く。

すぐ側で背を伸ばす、彼。

 

私はピーターの顔を見上げていた。

……そう、見上げていた。

 

私よりも……10センチは高い。

ピーターは別に、身長が高い方ではない。

 

だけど、男女の違いというか……差を感じて。

私は少し圧倒されていた。

 

 

「はい、これ」

 

 

梱包された歯ブラシを開けて、私に手渡した。

 

 

「……ありがとう。お金は──

 

「いいよ。安物だから」

 

 

そう言って笑いながら、私から離れる。

私が恥ずかしく感じないように、洗面所から出ていったのだ。

 

歯ブラシを、手に取る。

背後のドアを見る。

 

 

コップに入っていた歯磨き粉を使って、歯を磨く。

コップを手に取り、縁に目を向ける。

 

ピーターの口元が脳裏に浮かんで……また、洗面台に戻す。

 

手で水を掬って口に含み、吐き出す。

 

 

手に持った歯ブラシを……少し迷って、コップの中に入れる。

 

色の異なる二つの歯ブラシが、寄り添うようにコップの中で収まった。

 

その姿に少し、頬を緩めて……背後のドアから出る。

 

 

「ありがとう、ピーター」

 

 

ベッドを整えていたピーターに、感謝の言葉を伝える。

 

 

「ん……?どういたしまして?」

 

 

当たり前だと思ってた事に感謝されたのが不思議なのか、ピーターは首を傾げながら頷いた。

 

その様子に、私は胸が温かくなった。

 

彼は優しい。

どうしようもない程に、優しい。

 

感謝の言葉を欲しがらない。

見返りを必要としない。

無償の優しさだ。

 

だけど……それでも、私は感謝の気持ちを返したい。

言葉として、態度として……返せる物なら、何でも。

 

 

私の行動で、心で……体でも。

 

 

鼓動が高鳴る。

 

 

ピーターがベッドから離れて、私の方を見た。

 

 

「今日はここで寝てもらって……その、ごめんね?少し……いや、かなりボロいけど」

 

「ううん、ありがとう」

 

 

私は上着を脱いで……ピーターがそれを自然に受け取った。

そのままハンガーに掛けて、タオルを持ってきた。

 

私がベッドに腰掛けると、ピーターは机の前にある、椅子に座った。

 

 

……私は首を傾げる。

 

 

「ピーターは、どこで寝るの?」

 

「え?ここ……だけど」

 

 

私は思わず、呆けてしまった。

 

 

「ベッドでは寝ないの?」

 

「だって一つしかないし……」

 

 

その言葉に、私はまた呆けた。

ベッドに誘導された時に、少し勘違いをしていたのだ。

 

 

「ピーターも、一緒に……寝ないの?」

 

 

ベッドの布団を、軽く手で叩く。

 

そう。

私は……その、ピーターと添い寝するつもりだったのだ。

だって、それは『恋人(ガールフレンド)』なら普通の事、だと思う。

前に恋愛映画で観たから、間違いない。

 

添い寝だけじゃなくても、もし求められるなら──

 

 

「……え?」

 

 

だから、ピーターが戸惑っている様子に、私は違和感を覚えた。

 

 

「ピーター?」

 

「そ、そんなの、良くないと思う、な」

 

 

ピーターが視線を宙に彷徨わせながら、そう言うから……私は首を傾げた。

 

 

「どうして?」

 

「どうしてって、そんなの……」

 

 

目を瞬く。

私は疑問を口にする。

 

 

「『恋人』なら普通の事、だと思う……けど?」

 

 

そう、言った。

 

 

ピーターの表情が固まった。

驚いたような表情で、固まった。

 

唇が震えて、かろうじてと言った様子で、言葉を紡ぎ始めた。

 

 

「あの、ミシェル?」

 

「……どうしたの?」

 

「誰と誰が……その『恋人』なの?」

 

「それは──

 

 

私は自信満々に答えた。

 

 

「ピーターと、私」

 

 

ピーターが咽せた。

そして、この距離からも見えるレベルで震えた。

 

顔を上げれば、困っているような表情をしていた。

 

 

「あ、あの、ミシェル?」

 

「なに?」

 

 

私はピーターが何を困っているのか分からなくて、首を傾げた。

 

 

「その……僕と、ミシェルは、その──

 

「私と、ピーターが……なに?」

 

 

少し迷ったような表情をピーターがして、息を深く吐いた。

 

そして──

 

 

「別に……『恋人』って訳じゃないんだ」

 

 

そう言った。

 

 

「え?」

 

 

脳の中に大量の疑問符が浮かぶ。

 

 

「だから、えっと……僕とミシェルは付き合ってないって事で……」

 

 

何?

 

え?何?

 

どういうこと?

 

心がぐちゃぐちゃになる。

思考回路が停止。

 

混乱している。

 

 

「で、でも、私とピーター、キ、キスしたって……」

 

「それでも……その、うん。違うんだよ」

 

 

徐々に頭が整理されてきて……同時に顔が熱くなっていく。

 

わ、わわ、私、別に付き合ってもない男の子にキスをした、の?

そんな、そん、そんな尻軽、だったの?

 

そう思いつつ、現状を客観的に見てみる。

 

 

 

彼氏でもない男の子の部屋に押しかけて。

ベッドに誘っている。

 

 

 

「ぅ、ぁ……」

 

 

とんでもない女だ。

 

恥ずかしい。

頬が熱くなる。

 

 

私が彼に抱いていた好意。

それが一方的なものだと思い知って……この場から逃げ出したくなる。

 

 

「ピ、ピーター。ごめん、ね。い、今から帰る、から」

 

 

フラフラと立ち上がろうとして──

 

 

「ちょ、ちょっとミシェル」

 

 

ピーター私の肩を掴んで、止めた。

心臓がバクバクと鳴っている。

 

恥と、愛おしさ。

入り混じって、顔を赤に染める。

 

 

「ピ、ピーター……」

 

 

自分でも驚くほど、情けない声が出た。

 

震えていて、か細くて、裏返っていた。

 

 

「ミシェル……」

 

「わ、私……凄く、恥ずかしい勘違いしてた……ごめん、ごめんね。その、迷惑になると思うし、私──

 

「迷惑じゃないよ」

 

 

視線を上げて、ピーターを見る。

さっきまでの困っていた表情では、なくなっていた。

 

少し、凛々しい表情だ。

 

自分の鼓動の音が、聞こえた気がした。

 

 

「ピーター……」

 

「僕は君の事を迷惑だなんて思った事、一度もないから」

 

 

私の記憶になくても。

 

彼の身体を傷つけたのに?

彼の心を引き裂いたのに?

彼の居場所を奪ったのに?

 

それでも──

 

 

「大丈夫だから、そんなに自分を責めないで」

 

 

ピーターの手が、私の手を握った。

……この感触、覚えてないけど……凄く、心地良かった。

安心できた。

 

 

「ほら、深呼吸して」

 

 

息を吸って……吐く。

震えていた喉が、緩んでいた涙腺が、少しずつ治まっていく。

 

 

「……ピーター」

 

 

もう、声は震えていない。

 

 

「私、ピーターのこと……す、す……好き、だから」

 

「……うん、僕もミシェルの事が好きだよ」

 

 

お互いの好意を確かめ合う。

 

 

「う、あ、えっと……私、ピーターと……えっと……その……」

 

 

次に口にする言葉は、言葉は、言葉……喉の奥から、出てこない。

 

そんな私の様子にピーターが薄く笑った。

 

 

「ミシェル?」

 

「は……はぃ」

 

 

変な返事をしてしまった。

だけど、ピーターは馬鹿にしなかった。

 

真剣な目で私を見ていた。

 

 

「僕はミシェルの事が好きだから……」

 

「う、うん」

 

「『恋人』扱いされた事だって……嬉しかったとしても、迷惑だなんて思わないんだ」

 

「……ぅ、うん」

 

 

視線が混じり合う。

ピーターの表情は穏やかだけど、少し緊張している様子だった。

 

 

「だから、言うよ。ミシェルに……お願いがあるんだ」

 

 

ピーターの瞳の中にいる私は、顔を赤くしてしる。

 

 

「僕を、君の……『恋人』にして欲しい」

 

 

それは、先程までの勘違いを真実にする言葉だった。

 

返事、返事を、返事をしないと。

 

 

「……ぅん」

 

 

小さく、本当に小さく、俯きながら返事をした。

聞こえなかったかもしれないと、そう後悔しながらもピーターを見ると……彼は安堵の表情をしていた。

 

そして、そのまま──

 

 

 

 

抱きしめられた。

 

 

優しく、だけど力強く。

 

ピーターの熱や、匂いが、固さが、鼓動が感じられた。

 

 

「ありがとう、ミシェル」

 

「……ピ、ピーター?」

 

 

どうして感謝されるのか分からなくて。

 

 

「ありがとう」

 

 

それでも、ピーターは感謝の言葉を繋げた。

 

 

私は……。

 

 

私も。

 

 

彼を抱き返す。

手を後ろに回して、密着する。

 

うん。

もっと、熱を感じられる。

もっと、鼓動を感じられる。

 

ここにいるって。

分かる。

 

 

 

少しして。

 

いつまでそうして居たかも分からないほど、抱き合って居て。

 

それでも、時間が過ぎて。

 

 

ピーターは手を解いて。

 

離れていく感触に、私は少し、未練を感じて。

 

 

ピーターはくしゃり、と笑った。

 

 

「……本当はもっと、雰囲気がある場所で告白したかったんだけどね」

 

 

その言葉に、私は眉尻を下げた。

 

 

「ご、ごめんね……」

 

「ううん、僕の我儘だから……良いんだよ。それに、どこで告白しても……きっと、この嬉しさは変わらないと思うから」

 

 

そう言って、笑った。

 

もう、帰るつもりはなかった。

ピーターに誘導されて、元々いたベッドに座らされた。

 

 

「……ピーターも」

 

「あ、えっと……うん」

 

 

ピーターが横に座った。

 

 

緊張感で、心臓が高鳴る。

今まで、命の危機を感じた時だって動悸はしていた。

 

だけど、この動悸は不快じゃない。

 

 

ドキドキと、脈打つ。

 

あぁ、恋愛漫画なんかで『ドキドキ』という擬音を見て大袈裟だと思っていた。

だけど、あれは本当だったんだ。

 

確かに、私の心臓は大きな音を立てて脈打っている。

 

 

 

ピーターの置いた手に、手を重ねる。

 

 

 

恋に浮かれて、思考が微睡む。

正常な判断はもう出来ない。

だけど、それで良い。

それが良い。

 

 

きっと素面なら、私はこんな事を出来ないから。

 

 

「ぼ、僕さ、寝巻きに着替えてくるから……」

 

 

居た堪れなくなったのか、ピーターが私から離れようとする。

 

 

「ピーター、私も……パジャマなんて、持ってきていないけど……大きめのシャツとかある?」

 

 

そう聞きながら、立ち上がる。

 

 

「あ、あるけど」

 

「借りてもいい?」

 

「……いいよ」

 

 

ピーターがクローゼットから出したシャツを手に取る。

それを私に手渡して、私はそれを見た。

 

 

三角、四角の図形が並んでいる。

 

ピタゴラスの定理。

それが図解されている白いシャツ。

……めちゃくちゃ、ダサい。

 

でも、確かに大きい。

ピーターがクローゼットを漁っている間に、それを着る事にする。

 

私は着ていた服のファスナーを下ろして、椅子に掛ける。

そんな布が擦れる音に、クローゼットを漁っているピーターの動きが固まった。

 

 

……あ。

私が着替えているのに気付き、振り返らないように気を付けているのだろう。

 

……別に見られたって、良いのに。

もう本当に……『恋人』なのだから。

 

 

シャツに頭を通すと……なるほど、大きい。

身丈だけで、まるでミニスカートになるほど。

 

……うん。

これなら、スカートも要らないだろう。

履いたまま寝て、折り目を崩したくないし。

 

私は履いていたスカートのボタンを外して、それも椅子に掛ける。

 

 

「ピーター、もう大丈夫」

 

 

私がそう声を掛けると、ピーターは安堵の息を吐いて振り返り──

 

 

私を見て、固まった。

 

 

「ミ、ミシェル、下、下は?」

 

 

下?

 

……あ、スカートの事か。

 

 

「大丈夫、下着は履いてる」

 

「そ、そうじゃなくてさ……え?僕がおかしいの?」

 

 

ピーターが困惑しながら、私から視線をずらした。

手を口元に当てて、視線を戻そうとしない。

 

 

「『恋人』なら、下着ぐらい見られても困らない……から」

 

 

何よりスカートに変な折り目が付く方が嫌だ。

これはグウェンに選んでもらった服なのだ。

 

 

「そ、そうなのかな……」

 

「うん」

 

「そっか……いや、そうかな?」

 

 

ぶつぶつと言ってるピーターを見て、私は微笑む。

 

 

結局、ピーターは観念して、それ以上何かを言う事はなかった。

だけど、私と話す時に視線を下げないように気を付けているようだった。

 

二人、パジャマに着替えて……ベッドに戻る。

灯りを消して、背を向け合って……布団に入った。

 

 

ピーターの部屋のベッドは、特別大きくはない。

一人で寝る事を想定しているベッドだ。

 

だから、二人で入ろうとすれば自然と密着する形になる。

 

示し合わせた訳ではないけれど、背中合わせになる。

互いに密着した状態で、寝顔を見るのが恥ずかしいからだ。

 

ベッドの中で、記憶を失う前の話を聞こうと思っていたけど……それどころではなかった。

ピーターも同じ考えらしい。

 

ただ、黙って……背中を付けて、横になっていた。

 

素足が触れ合って、ピーターがぴくり、と動いた。

 

小さな掛け布団を分かち合う。

引っ張らないように気を付けて……はみ出さないように、密着する。

 

ピーターの呼吸が聞こえる。

だから、私の呼吸音もきっとピーターに聞こえる。

 

 

 

 

……このまま、ずっとこうしていてもいい。

 

だけど、私は口を開いた。

 

 

「ピーター……もう少しだけ、お話ししても良い?」

 

 

そう、訊いた。

 

 

「……良いよ、ミシェルが話したいなら」

 

 

そう、返された。

 

 

私は安堵して……小さな声で話しかける。

 

 

「……私、ピーターには感謝してる」

 

「……そっか」

 

「助けてくれたから……命の恩人だから……」

 

「気にしなくて良いのに……」

 

 

本当に、なんて事ないと言った態度に私は苦笑した。

 

 

「……でも、私は……ピーターに恩を返したい」

 

「…………十分、返してもらってるよ」

 

「ピーターがそう思っていても、私は……もっと、返したい」

 

 

部屋に月灯りが入り込む。

薄く、白い、黄ばんだレースのカーテンでは光を防ぎきれない。

 

私は口を開く。

 

 

「ネッドやハリー、グウェンにも……貴方の事を紹介したい」

 

「……それは」

 

「過去の話を信じて貰えないと思うなら……私の友達だ、って紹介するから。新しく、また友達になればいい……」

 

「……ありがとう」

 

 

私の提案、ピーターはそれを呑んだ。

安堵して、深く息を吐いた。

 

そんな私に、ピーターが言葉を投げかける。

 

 

「ミシェルは……いつも、僕を助けてくれるね」

 

「……覚えてない、けど」

 

「それでも。きっと君の本質は変わらないから……」

 

「そうかな……」

 

「そうだよ……」

 

 

私の存在が助けになっているのであれば……それは、嬉しい事だ。

人に迷惑を掛けるだけの存在である私が──

 

 

「ピーター」

 

「うん」

 

「私、ずっと貴方に憧れていた……」

 

「……うん」

 

 

コミックのヒーローへの憧れ。

身を犠牲にしても誰かを助けられるヒーローへの憧れ。

強く、優しいヒーローへの憧れ。

 

私も、そうなれたら良いと……漠然と思っていた。

それはサッカー選手や野球選手、アイドルに対する憧れのような……どこか、他人行儀な憧れ方だった。

 

だけど──

 

 

「私、貴方の隣に立っても……相応しい人間になりたい」

 

「……相応しいよ、今でも」

 

「納得、できない。私が……だから──

 

 

ポツリ、と言葉を漏らした。

 

 

「私も、ヒーローに……心は難しくても、行動ぐらいには……責任を持って、人助けしたい」

 

「……そっか」

 

 

少し、静かになる。

否定されないか怖くて……目を、閉じる。

 

そして、ピーターが口を開いた。

 

 

「……応援、するよ」

 

「……ピーター」

 

「本当はもう、戦って欲しくないけど……君がやりたい事なら、僕は応援する」

 

 

そう、優しく言ってくれた。

涙腺が緩んで、目が潤む。

 

 

「……ピーター」

 

「……うん」

 

「……私、ね」

 

「うん」

 

 

涙で布団を濡らさないように、腕で拭う。

 

 

「この世界に生まれて来て……良かった」

 

 

やっと……そう、思えた。

 

辛い出来事が沢山あったけれど、今は本当に幸せだから。

 

 

「……僕も、ミシェルがいてくれて、嬉しいよ」

 

 

私は寝返りをうって、ピーターの背中に……手を伸ばした。

 

私よりも大きな背中を抱きしめる。

 

意識は微睡みの中に落ちていく。

穏やかな闇の中へ、沈んでいく。

 

今、ここで見ている事、触れている事。

眠ってしまっても無くならないように、抱きしめながら。

 

私は……この、幸せに身を任せて……意識を手放した。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

朝。

マンハッタン。

 

私の住んでいるマンション。

 

その、入り口。

 

 

共通で配られている鍵を使って、玄関の鍵を開ける。

 

吹通しの良い廊下で、風を感じながら……奥へと進む。

 

息を深く吸って、深く吐く。

 

スマホを開くと……連絡先には『ピーター・パーカー』の文字。

思わず、頬が緩む。

 

ポストが空の事を確認して、共有のキッチンの前を通る。

 

……少し、戻る。

 

誰かが居た。

 

小さな人影……いや、人ではないけど。

 

 

「コスモ?」

 

 

それは犬だ。

宇宙服を着た犬。

犬種は……レトリバー。

 

 

コスモ、という名前の犬が私へ振り返った。

 

 

『あ、ミシェル。丁度いい所に帰って来たね』

 

 

脳に直接、声変わり前のような声が聞こえた。

 

 

「どうかした?」

 

 

私はキッチンに入り込み、コスモの側に立つ。

 

 

コスモは……超能力を持った犬だ。

昔、人類が宇宙開発に躍起になっていた頃、宇宙に飛ばされて行方不明になってしまった犬。

宇宙のエネルギーを浴びせられたコスモは、超能力を身につけた。

 

そして、その力を使い……巨大な宇宙基地『ノーウェア』の警備主任となった。

結構偉い犬なのだ。

 

なのだが……今は、事情を知らないけれど、何故かここに住んでいる。

私と同じアパートに住む、住人……住犬なのだ。

 

 

『上の棚にあるシリアルを取って欲しいんだ』

 

「いいよ。でもテレキネシスで取れば良いのに」

 

 

棚を開き、シリアルの箱を手に取る。

 

コスモは人語を喋っている訳じゃない。

テレパシー能力で、直接脳に思考を飛ばして来ているのだ。

 

 

『だーって、面倒なんだもん』

 

「……別に、私は良いけど」

 

 

箱を開けて、ボウルを取り出し中に入れる。

 

 

「牛乳は?」

 

『お、気が利くね。勿論、いるよ』

 

 

牛乳を注ぎ、それを床に置く。

スプーンは入れない……だって、そのまま食べるから。

 

 

『やった、ありがとう』

 

「どういたしまして」

 

 

ガツガツと食べるコスモを見ながら、私もコップを取り出して牛乳を入れる。

 

それを口に含んで……飲み込む。

 

ちら、とコスモが私を見た。

 

 

『ミシェルは何処に行ってたの?』

 

「ん?えーっと……」

 

 

何と言えば良いのか分からなくて、返答に迷う。

すると、コスモは私に鼻を近付けて臭いを嗅いだ。

 

 

『……む、男の臭いだ』

 

「あ、うん。まぁ……彼氏の所、かな」

 

 

そう言うと、コスモは意外そうな顔をした。

 

 

『え?あんたって、(つがい)が居たんだ……へー』

 

 

そう脳内に直接飛んできて、私は苦笑した。

 

 

「……片付けは自分でしてね」

 

『うん、それぐらいは。自室に戻るの?』

 

「今日、予定があるから」

 

『予定?』

 

 

コスモが首を傾げた。

……思わず撫で回したくなる可愛さだ。

 

 

「『S.H.I.E.L.D.』と話があるから」

 

『……ミシェル、ここから出ていくの?』

 

 

くぅんと、鼻が鳴った。

 

 

「ううん。きっと、ここにはまだ、お世話になるから」

 

『なら良いや。僕の召使が減ると困るからね』

 

 

そう、冗談を言う。

私は笑いながら、キッチンを出た。

 

取り敢えず服を着替えて……それとシャワーも浴びないと。

 

 

私は自室に戻ろうと、足を進めた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ニューヨーク、マンハッタン。

マンションの合鍵を使って、中へ入る。

 

 

『あ、ハリー』

 

 

そう呼び止められて、僕は視線を下に下げた。

犬……いや、コスモだ。

 

 

「やぁ、コスモ」

 

『ミシェルに用事?』

 

 

そう聞いてくる。

 

 

「そうだよ、今日は彼女を『アベンジャーズ・タワー』までエスコートするんだ」

 

『ふーん?でも、今丁度、彼女は帰って来たばかりだよ』

 

 

その言葉に、僕は首を傾げた。

 

 

「帰って来た?朝に?」

 

『うん。彼氏の家に泊まってたらしいよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?」

 

 

僕は脳が破壊されるほどの衝撃を受けた。


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