【本編完結】レッドキャップ:ヴィランにTS転生した話 作:WhatSoon
……目の前で、ソファにちょこんと座っている少女を見る。
視線を宙に漂わせ、部屋の内装をチェックしているようで……なんつーか、家主としては居心地が悪い。
プラチナブロンドの髪が、揺れた。
思わず、オレは口を開いた。
「……何しに来たんだ?」
さっぱり分からない。
少女……今は、ミシェルと呼ばれてる女がオレを見た。
「まだ、礼を言ってなかった」
「……あぁ?」
「ハーマン、入院した後、挨拶もせずに勝手に出て行ったから……」
その言葉に、オレは手を顔面に当てた。
別に借りが欲しかった訳じゃねぇ。
見返りなんて必要ねぇ。
感謝が欲しかった訳じゃねぇ。
ただ、約束したから、助けただけだ。
助けられた事があるから、助けただけだ。
助けなかったら後悔するって思ったから、助けただけだ。
だから──
「礼なんて、別に要らねぇよ」
そう、ぶっきらぼうに応えた。
視線を少女から逸らした。
どうにも、何とも、居心地が悪い。
「……ハーマン」
オレを呼ぶ声が聞こえる。
綺麗な……何も悪い事は知らなさそうな、優しい声だ。
良い家に産まれて、良い環境で育って、人並みに優しい性格をした可愛らしい普通の少女のようだ。
だが、実際は違う。
ロクでもねぇ所でガキの時代を過ごして、好きでもねぇ殺しをさせられてた……オレと、仲間だった奴の声だ。
ようやく優しい中で生きられてるんだ。
その目や声、性根に相応しい光の中で生きている……。
だけど、オレなんかと関わっちまったら──
「どうして目を合わせてくれない?」
そう、溢れた言葉に……オレは視線を戻した。
縋るような視線が、オレの視線とぶつかった。
あぁ、クソだ。
何がクソかって?
オレがクソだ。
オレの目はこんなに綺麗じゃねぇ。
少女の目は、透き通る海のような色だった。
オレの目は、腐ったドブ川みてぇな色だ。
違う。
決定的に。
心の奥底で、違う。
「……なぁ」
「なに?」
「何でオレなんかに関わろうとするんだ?」
お前は……オレみたいな、
未来のある少女と、人生の袋小路に立たされたクソ。
オレに関わったって、何も良い事は──
「ハーマンは私にとって……仲間だから」
……仲間、か。
友人でもねぇ、家族でもねぇ。
ただの、仲間だ。
仕事を一緒に熟しただけの、仲間だ。
オレの思考を他所に、少女はオレを見ている。
曇りなき瞳で、オレを。
「私を助けてくれたように、私も……貴方が困っているなら、助けたい」
その言葉は、オレが困っている事を見通してる発言だった。
……癪に触る。
だけど、少し胸が温かくなった。
そんな心地良さを感じてるオレへ、余計に苛立つ。
「別に、困ってねぇよ」
「嘘」
「嘘じゃねぇよ」
「分かってる」
短い言葉のやり取りで、オレの苛立ちはピークに達した。
「何も分かってねぇよ!何が分かるんだよ!」
声を荒らげて。
粗暴に振る舞って。
オレなんかに構う価値はないのだと。
そう思って欲しくて。
それで彼女は明日から、オレの事なんか忘れて……明るい日常に生きていけたらと。
「分かっているんだ、ハーマン」
しかし、返ってきた言葉は、オレの欲しい言葉じゃなかった。
「……何が──
少女が前髪を払った。
心なしか、目付きは鋭くなっていた。
「今まで、裏切り者を殺して来たのは私だ。ハーマン」
その言葉に……オレは絶句した。
考えないようにしていたが、確かにオレは知っていた。
キングピン、ウィルソン・フィスクが裏切り者を殺す時に重宝していた殺し屋は誰だ?
知っている。
オレは、知っていた。
赤い、マスクの──
「私はウィルソン・フィスクを裏切った者を何人も殺した。彼を裏切った者は元々が屑だったからと……そう、言い聞かせて罪悪感も感じず、ただ命じられるがままに殺してきた」
冷たい視線がオレを貫く。
先程までの優しげな目じゃねぇ。
オレと同じように濁った瞳だ。
先程までの優しい口調じゃねぇ。
オレと同じように威圧するような口調だ。
少女は……まだ、忘れていない。
オレと同じ、クズだった頃の振る舞いを。
「ハーマン、今のお前のような人間を殺してきたのは私だ。だから、分かる」
「…………」
「分かってしまうんだ」
そう、断定された。
オレは下唇を噛んだ。
ちげぇよ。
オレは……この少女に、こんな振る舞いをして欲しくて、助けた訳じゃねぇ。
過去の
オレも。
コイツの、兄も。
「……だとしても、関係ねぇだろ」
「ある。私は、お前の仲間だ」
「仲間なんかじゃねぇよ」
否定する。
違う。
違うんだ。
「オレと、お前は違う」
好き好んで悪人になったオレと、悪人にならざるを得なかったお前。
違うんだ。
だから──
「違うとしても。お前が何と言おうと、私は今でも……仲間だと、思っている」
……どれだけ否定しても、目の前の少女は折れない。
「私の過去は変わらない。無くなりはしない。犯してきた罪も……お前との、繋がりも」
あぁでも、そうだな。
その芯の強さをオレはよく知っていた。
容姿は変わっても、あの頃と……そこは変わらない。
「だから、ハーマン……」
縋るような目でオレを見る。
思わず下唇を噛んで……ため息を吐いた。
「……なんつー頑固さだ」
「褒めているのか?」
「ちげぇよ、呆れてんだよ」
もう一度、ため息を吐いた。
どうやら、目の前の少女は……オレの望むようには生きてくれねぇらしい。
そして、少女自身も望んでねぇらしい。
……あぁ、そうだ。
オレの価値観を押し付けてるだけだった。
優しい世界で生きてくれと、もう二度と戦わなくて済むようにと、そんな願いを押し付けていた。
彼女の意思を無視していた。
「……はぁ、クソだ」
オレは気付かない内にカウンセリングの講師と同じ事をしていた。
視線を少女へ、ミシェルへと戻す。
「それで?何か案はあるのか?」
「……これを──
ミシェルが懐から何かを取り出そうとして──
チャイムが鳴った。
なんつーか……間が悪い。
「……ハーマン」
彼女は顎で、ドアを指し示した。
取り出そうとしていた何かは、懐に戻していた。
「チッ、マジで誰だよ」
今度こそ、ハイドロマン……モリスだろうか?
オレはソファから立ち上がりつつ、ミシェルへ視線を向ける。
「そこで大人しくしてろよ」
「……私は子供ではない」
「もうちっと身長伸ばしてから言え」
抗議の言葉を聞き流しつつ、玄関へ向かう。
そして、ドアノブに手をかけて、捻った。
そこにいたのは──
「よぉ、ショッカー!」
ドアを閉じた。
「ちょ、ちょっと待て!閉めるな!バカ!」
「バカはお前だろうが!何しに来たんだクソ野郎!」
茶髪、短髪の無精髭の中年……と言うには少し若いか。
名前はフレッド。
フレッド・マイヤーズだ。
いや、
オレの仕事仲間だ……元な。
そう、元、仕事仲間だ。
通称は……『ブーメラン』。
まんまだろ?
今はスーツを着てないが、スーツもまんまだ。
ブーメランっぽい見た目をしてる。
しょーもない悪人だ。
「待て待て待て!儲け話を持ってきた!」
「オレは経過観察中なんだよ!次、何かしたらムショに逆戻りだ!」
「黙ってればバレないから!」
「そういう問題じゃねぇ!」
「え!?いつからそんなに臆病になっちまったんだ!俺は悲しいぜ……」
「勝手に悲しんでろ!クソが!」
玄関のドアノブを持って引っ張り合う。
『ブーメラン』、コイツはクソだ。
とびきりのクソだ。
アホだ。
間抜けだ。
虚言癖の裏切り魔だ。
だが、それなりの特技を持っている。
ブーメランを投げるのがメチャクチャ上手い。
以上。
いやいや、案外バカには出来ない。
狙った所に百発百中。
そして絶対、手元に帰ってくる。
そこだけは評価していい。
だが、それ以外はクソだ。
性格も、生き方も……オレみたいなクソ野郎だ。
フレッド……いや、ブーメランがドアノブを引っ張り、ドアの間から覗き込んできた。
「仲間も揃ってる!また、俺達でデカい山を当てよう!」
「また?どこに成功した事例があるんだよ!?」
「は!?それは……どうでもいいだろ!これから頑張るんだよ!」
「クソ野郎!」
ドア前で、デカい声を上げながら攻防を繰り広げる。
「チーム名も決まってる!新生シニスター・シックスだ!」
「は!?何言ってんだ?つーか、誰が居るんだよ!?」
「俺とお前、ビートル、スピードデーモン、オーバードライブだ!」
聞き覚えのある名前。
全員、面識があった。
……が、しかし。
「……あ?てめぇ、全員で5人じゃねぇか!何が『シックス』だ!足し算出来ねぇのか!?」
「メンバーは募集中なんだよ!取り敢えず、お前が来れば5人に──
「ハーマン?」
突如、後ろから少女の声が聞こえた。
……あぁ、クソ、ソファに座ってろって言っただろうが!
いや、言ってなかったか?
だとしても、こっちに来れば──
「ショッカー、誰だ!?女の声が聞こえたぞ!」
「う、るせぇ!帰れ!」
ほら見ろ、ややこしい事になっちまった。
ミシェルに気を取られてる隙に、ブーメランがドアを開けようとしやがる。
オレが慌てて閉めようと……したが、間に合わなかった。
ドアの間から、ブーメランが入り込んで来やがった。
不法侵入だ。
「お邪魔する……ぞっ、とな」
黙れ。
入ってくるなり、視線を目の前の少女に向けた。
ミシェルに、だ。
「……なぁ、ショッカー。これ、お前のコレか?」
小指を立てて訊いてくる。
殴りてぇ。
「違ぇよ」
「ハーマン、彼は誰だ?」
ミシェルが声に出した。
マジでややこしくなるから黙っててくれ。
頼む、マジで頼む。
「初めまして、お嬢さん。俺の名前はフレッド・マイヤーズだ。よろしく」
「はぁ……?」
やめろやめろ、握手なんかするな。
見ろ!
ブーメランがキショい笑い方してるだろうが!
触んな!
「しかし、ショッカー。お前……犯罪だぞ」
「何がだよ」
「年齢的にまずいだろ」
死ね!
あまりにもキショい勘違いに出そうになった暴言を、無理やり喉で押さえ込んだ。
セーフだ。
「死ね!クソ野郎!」
ダメだった。
我慢出来ずに声に出ちまった。
「照れるなよ」
ニヤついた顔で笑いやがって。
苛立っていると、ミシェルがオレに顔を寄せて来た。
そして、小声で話しかけてくる。
「コイツ、殴ってもいいか?」
ダメに決まってるだろ。
そうやって、すぐに暴力で解決しようとするな。
オレとミシェルがこそこそと話していると、ブーメランが顔を突っ込んできやがった。
「何の話をしてんだ?俺も混ぜ──
「ふんっ」
ドスン!
と、鈍い音がした。
ミシェルの拳が、ブーメランの腹に突き刺さっていた。
……ブーメランが白目剥いて、泡吹いて倒れた。
どこを殴って、どこの内臓にダメージが入ったらこんな失神の仕方するんだ?
芸術的な暴力だ、無駄がねぇ。
すげぇ。
……って、感心してる場合じゃねぇよ。
「おまっ、何で殴ったんだよ!?」
「コイツ、今、私の尻を触った」
……目を細めて、足元で泡吹いているバカを見下す。
「あー……そっか」
「そうだ」
「……なら仕方ねぇな」
「あぁ、仕方ない」
二人で頷いて、オレはブーメランを踏み付けた。
結局、コイツの言ってたデカい山ってのは何だったんだ?
いや、別に参加するつもりはねぇけど、気になるは気になるし。
「あぁ、そうだ。ハーマン、邪魔が入ったが……」
足元で倒れてるバカは無視して、ミシェルが懐から封筒を取り出した。
それをオレに手渡した。
「……何だコレ?」
「私のコネで手に入れた招待状だ」
「コネ?」
「……私のメンタルケアをしてるセラピストに頭を下げたら、用意してくれた招待状だ」
「……セラピスト?」
「ウィンター・ソルジャーだ」
「……お、おう?」
封筒は糊付けもされていなかった。
バカを跨いで、ソファの前に立ち……中から紙を取り出す。
そして、目を通した。
眉間を揉む。
「……なぁ?」
「何だ」
「これマジで言ってんのか?」
手紙に視線を向ける。
「私は本気だ」
「つか、招待状じゃなくて……招集状だろ」
「似たような物だろう?」
「ちげぇよ……催し事って感じの穏やかさがねぇんだよ」
また、視線を落とす。
『サンダーボルツ』。
政府直属の……元犯罪者が集まったヒーローチームだ。
つっても、メインのチームじゃなくて、その派生チームみてぇだが。
それの招集状。
宛先は勿論、ハーマン・シュルツ。
オレの名前だ。
「オレにヒーローやれって言うのか?」
「大きなヒーローチームに所属していれば、おいそれと手は出せないだろう?」
心底、嫌だ。
マジで嫌だ。
だが……しかし。
オレはため息を吐いた。
「……まぁ、あんがとよ」
オレは感謝を述べた。
他の誰かに誘われたら、他の誰かに来いって言われたら……こんな招集状、破って捨ててただろうな。
だが……目の前の、少女を見る。
オレの事を本気で心配して、必死に考えて、頭を下げて来たんだろう。
それが分かっちまう。
分かってしまうから……無下には出来ねぇ。
そもそも、合理的に考えりゃ悪い話じゃねぇ。
ヒーローチームに入りたくねぇ、ヒーロー業なんかしたくねぇってのは……オレの意地の話だ。
それで、オレの意地なんかよりも……よほど、少女の献身の方が……比べるまでもなく、オレの中では重要だった。
オレが紙を受け取ったのを見て、少女は顰めていた眉を緩めて、年相応の少女らしい表情に戻った。
そして──
「良かった」
と、呟いた。
何で助けられてる側よりも、助ける側の人間の方が嬉しそうなんだよ。
そう思いながらも……結局、オレとコイツの貸し借りは続いていくようだな、と思った。
ずっとそうだった。
助けて、助けられて、助けて、助けられて。
その繰り返しだ。
前回はオレが助けたから、今回は助けられたって事だ。
「……わりぃな」
あぁ、そうだな。
そうだったな。
コイツは守られてるだけのガキじゃない。
オレと対等で、お互いに助け合う……仲間、だったな。
立場が変わろうが、変わらねぇ物もある。
オレ達の関係性もそうだったって事だ。
だがまぁ……ティンカラーは気に食わなさそうな顔してんだろうな。
アイツは、ミシェルに普通の女の子になって欲しかったみてぇだから。
オレも、その気持ちは分かるが。
今度、墓参りにでも行くか。
何が好物だったかも知らねぇけど、花ぐらいは添えてやるよ。
昔、オレが貰った花と、同じ花を。
「ハーマン、コイツ、どうすればいい?」
ミシェルがしゃがんで、足元で泡を吹いてるバカを指差した。
「廊下に捨てとけ」
オレはそう、答えた。
◇◆◇
私、グウェン・ステイシーは目の前で項垂れている男を見た。
で、視線を逸らして手元のコーヒーを飲む。
皿に盛られたチョコクッキーを手に取って、膝の間に落とす。
地面には落ちず、食べカスが溢れた。
グウェノムが食べたからだ。
また、視線を目の前の男に戻す。
「ハリー、何かあったの?」
ここ数日、彼の様子がおかしい。
普段は自信満々で、イケイケな感じなのに、今はなんというか……負け犬?って感じだ。
私の声にハリーが乾いた笑みを浮かべた。
「何か……いや、何も」
「嘘ね、絶対に何かあった」
私が追求すると、視線を下げた。
本当に……どうかしている。
いつものハリーはもっと……こう……まぁ、世間一般的にはカッコいい、筈なのだが。
「……グウェン、ミシェルの事についてなんだ」
「あー、そう」
ハリーはミシェルが好きだ。
自身を男性として、ミシェルを女性として。
しかし、以前、一度振られている。
彼女が『レッドキャップ』だと発覚する前の話だ。
だから、振ったと言っても、彼女自身の問題が原因だと思っていた。
まぁ、普通に考えて。
容姿が良くて、性格が良くて、お金持ちの若いイケメンに告白されて、靡かない女は少数派だと思う。
だから、仕方のない理由が原因で振っただけで、今なら……と、思っていた。
なのに、ハリーはこんな……情けない顔をしている。
告白が成功したって顔ではない。
「……振られたの?」
「いや、違うけど……」
ハリーが首を振った。
「え?じゃあ成功したの?」
「いや、それも違う……」
ハリーがまた、首を振った。
私は腕を組んで、苛立ちながら追求する。
「じゃあ何?何が原因で落ち込んでんのよ」
「それは……」
歯切れ悪そうに、ハリーが唸った。
そして、迷った様子のまま口を開いた。
「……ミシェルに、恋人がいたらどう思う?」
出て来た言葉は、理解不能な言葉だった。
「はぁ?あんたとネッドの他に親しい男なんていないでしょ、ミシェルに」
「仮定だよ……居たとしたら?僕らが知らない男が彼氏だとしたら?」
私は鼻で笑った。
「ありえないでしょ。そんなの」
「そう、だよね……そう……」
私はそこで、ハリーの様子がおかしい事に気付いた。
……まさか、今の話は……本当の話?
「……いるの?」
「いや……いる、みたいなんだ。コスモが言っていた」
私は腕を組んで、考え込む。
確かに。
確かにミシェルは最近……どこか、明るくなった。
必要以上に謙遜しなくなったし、笑う事も多くなったように見える。
表すとしたら「浮かれてる」って言葉が正しい。
別に悪いことではないが。
「……じゃあ、誰なの?」
「知らないよ」
二人で顔を突き合わせて、唸る。
ミシェルが……ミシェルに……恋人?
だめだ。
全くイメージが湧かない。
私の中で彼女は小動物的な可愛さがある。
そんな彼女に……男が?
「訊いても答えてくれなさそうね」
もし、彼氏が出来たのなら私に言いに来る筈だ。
それぐらいは仲が良い自覚はある。
なのに言わないのは……何故か?
私は眉を顰めた。
「……ハリー、私達で暴くわよ」
「あばっ……いや、良くない。彼女のプライベートを勝手に──
情けない事をいうハリーを睨む。
「私は以前、そうやってミシェルの話したがらない事を見過ごして……結果、彼女が苦しんでいる事を見過ごしたわ」
「……グウェン」
「もう、あんな思いはしたくないの」
私は自分の手を強く握る。
ハリーがそんな様子の私を見て、息を呑んで……頷いた。
「分かった。僕も何とかする」
「そう来なくちゃ……それじゃあ……そうね……私はそれとなく色々、訊いてみるわ」
「訊く?」
「遠回しにね、ボロを出すかもしれないし」
「……なるほど」
二人で計画を練る。
私が提案して、ハリーが指摘して、考案する。
「もし、デートか何かする日が分かったら……追跡するわよ」
「追跡……それって、ストーカーじゃあ──
「あんたはミシェルが何処の誰かも知らない奴の毒牙にかかって良い訳?」
「毒、毒牙……い、いや、よくない。良い訳ない……けど」
「なら、やるしかないわ。私達で……誰か知らないけど、ミシェルに手を出そうとしてる奴を……ブチのめしてやるわ」
私が手を開いて、関節を鳴らすと……ハリーは少し引いたような顔をしていた。
「ま、まだ悪人と決まった訳じゃないけど……」
その言葉は、私の耳に入って来なかった。
◇◆◇
──って事がありました』
『へぇ、ハーマンが……少し意外だね』
『彼も思う所があるのだと思います。私は嬉しいです』
暗闇の中で、携帯端末の画面が光っている。
『僕の方は……特に面白い事はなかったよ』
『それでも、聞かせて欲しいです』
『うん、いいよ。今日、僕はまず──
メッセージが飛び交う。
私はそれを見ながら、頬を緩める。
眠る前に、私はピーターとメッセージのやり取りをしている。
何があったか、互いに話して……会えない時間も、共有していく。
そうしていると、胸が温かくなってくる。
彼は私の事を愛してくれているのだと、安心できる。
ピーターは……特に何もなかったと言いながら、今日行った人助けの話をしてくれる。
高所でペンキ塗りをしている人の手助けをしてタコスを奢って貰ったとか、年老いた女性が道路を渡るのを手助けしたとか、そんな話だ。
誰にでも出来る人助けだ。
だけど、『出来る』のと実際に『行う』のでは全く違う。
彼は誰よりも優しく、行動力があるのだ。
そんな彼の事が誇らしくなって、私は嬉しくなる。
胸の奥から温かくなる。
……でも、だからこそ。
少し、怖くなる。
「…………」
携帯端末を手に持って掲げる。
ベッドの上で、私は仰向けになって……画面から顔を離す。
ピーターは良い人だ。
カッコいいし、優しいし、頼りになるし。
最高の彼氏だ。
だけど……だからこそ。
本当に……私が彼女で良いのかと、悩む時がある。
私は嫌ではない。
ピーターとずっと一緒にいたい……そう思っている。
でも、もし、ピーターが私より好きな女性が出来たら……どうする?
ピーターはきっと、優しくて義理堅いから……私の事を優先してくれると思う。
だけど──
『明日が楽しみだね、ミシェル』
端末に、そう表示される。
明日は……週に二回の、ピーターとデートする日だ。
一緒にご飯を食べて……明日は映画も観に行く。
それを楽しみだと、ピーターは言ってくれている。
心の奥底でドロドロと濁っていた不安が解けて、私は笑えていた。
『私も楽しみです』
そう返して……もう一度、端末に指を振れる。
『夜も遅くなって来たので先に寝ます』
『うん。おやすみ、ミシェル』
そして……ハートをあしらった、スタンプが飛んで来た。
ピーターは私に『好き』とあまり言わない。
私もピーターに『好き』とあまり言わない。
お互い奥手……いや、臆病なのだ。
だからこうやって……ピーターは照れ隠しでスタンプを送って来たりする。
これは彼の精一杯の『好き』というアピールなのだ。
私は端末を抱きしめて、布団に転がる。
「……やっぱり、好き」
当たり前のことを自覚して、私は携帯端末を抱きしめる。
そこにピーターは居ないけれど、とても大切な気がして……抱きしめる。
心の底から安心して、明日からも生きていける。
「ピーター……」
特に意味もなく、ただ名前を呼んで……私は布団を抱きしめる。
そのまま意識は微睡んでいく。
少しずつ、眠りの世界へ。
落ちていく。
私は、夢を見ない。
穏やかな中に生きていたとしても、夢は見ない。
良い夢も、悪い夢も見ない。
見えるのは過去の記憶だけ。
私は夢を見れない。
見る事が出来ない。
あり得たはずの未来なんてない。
この世界だけが、私の唯一の世界なのだろう。
愛する人と、共に居られる世界だ。
幸せな現実なのだ。
私はそれを噛み締めて、眠る。
暗闇の中に、意識が落ちていく。
夢なんか、見られなくても良いから、と。
◇◆◇
僕はスマートフォンを閉じて、ベッドに転がる。
軋んだ音が耳に響いた。
隙間風が、部屋に染み込んで寒い。
目を閉じれば……脳裏に浮かぶのはミシェルの笑顔だ。
彼女は最近、穏やかに笑えるようになって来た。
記憶を失う前と変わらず、彼女は彼女だった。
少しずつ、失った記憶を取り戻すように、新しい記憶を作り上げていく。
少しずつ、恋人らしい事も出来ている気がする。
ほつれたタオルケットを握る。
最近、夢を見る。
そこにはグウェンやネッド、ハリーの側に僕が居て……記憶を失う前の生活が続いている。
だけど、ミシェルは居ない。
良い夢なんかじゃない、悪夢だ。
彼女の居ない世界で、僕は笑っている。
……羨ましいなんて、少しも思わない。
今の方が遥かに幸せなんだ。
なのに、何故、こんな夢を見てしまうのか。
心の奥底で、僕は薄情なのだろうか?
違うと……信じたい。
何度も、夢を見る。
僕が社長になってる夢。
僕がゲームプログラマーになってる夢。
僕が知らない女性と家庭を築いてる夢。
僕が死んでしまう夢。
きっと、可能性の世界だ。
僕に存在する、可能性の夢だ。
だけど、どこにもミシェルは居ない。
そんなの嫌だ。
僕は……他に何を失ったとしても、もう二度と、彼女を失いたくなかった。
僕は夢を見ている。
彼女の居ない、あり得た筈の世界の夢を。
そんなの、僕は……要らない。
僕が欲しいものは……もう、持ってる。
だから、それが失われないように。
僕が。
…………。
不安を押し殺して、僕は見たくもない夢の中へ、落ちていく。