【本編完結】レッドキャップ:ヴィランにTS転生した話   作:WhatSoon

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祝・111話


#3 ライブ・ウィズアウト・フィアー

厳かな雰囲気を醸し出す裁判所。

そこで、一人の男が立っていた。

 

カツン、カツンと音が鳴る。

 

 

「本件に関しては、どうか俯瞰して、物事を広く見て欲しい」

 

 

カツン、カツンと、一定の規則性を持って音がなる。

 

何の音か?

『白杖』の音だ。

 

 

「依頼人が人を殺傷したのは事実です。ですが、それは断れない立場の上で命じられたから……つまり、意思はなく凶器と同じ立場だったのです」

 

 

『白杖』は盲目の視覚障害者が使用する杖だ。

足元に障害物がないか、段差がないか探るために使用する。

 

……もっとも。

彼には必要のないものだが。

 

 

「貴方達はナイフを握った加害者を責めるでしょう。ですが、ナイフ自体を責めるでしょうか?いいえ、誰も責めません」

 

 

白杖が地面を叩く音が止まる。

サングラスを掛けた男が……私の座る席と、反対の方を見た。

 

 

「大切なのは倫理観です。何故なら、倫理観こそが人を人たらしめるからです。ですが、その倫理観は時として、大きな力によって捻じ曲げられる儚いものでもあります」

 

 

男は弁護士だ。

 

名前は……『マシュー・マット・マードック』。

別名、『デアデビル』だ。

 

今の姿は、表の弁護士事務所『ネルソン&マードック』の『マット・マードック』の姿だが。

 

 

「命を脅かすこと、それは許されざる事です。ですが、共に彼女も脅かされて来ました……精神的にも肉体的にも苦痛を強いる環境、幼い彼女に抗う事は出来たのでしょうか?」

 

 

彼は弁護人として今、被告の弁護を行なっている。

 

 

「依頼人は殺人を強要されていた被害者であり、既に反省もしています。必要なのは拘束でなく、贖罪の機会です」

 

 

罪に問われている誰かを、救うために……彼は聴衆に語りかけているのだ。

 

では……コレは、誰の裁判なのか?

 

 

それは──

 

 

「以上で、ミシェル・ジェーン=ワトソンの最終弁論を締め括らせて頂きます」

 

 

私の、裁判だ。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

時間は遡って、三日前。

 

日課のメンタルケアを受けた後、ニック・フューリーに呼び出された。

 

 

「面倒な事になった」

 

 

会って早々、強面の顔を顰めてフューリーはそう言った。

 

 

「……何があった?」

 

 

私も眉を顰めて、そう訊き返す。

……仕事向けの口調で、だ。

 

ブラックウィドウであるナターシャや、ウィンターソルジャーであるバッキーに対しては、『ミシェル』として話せるようになった。

心を許せるからだ。

 

だが、どうしても……フューリーに対しては、少し、私も強張ってしまう。

彼も私を助けるために尽力してくれた恩人なのだが……どうしても、どこか、心を許せない。

一線を引いてしまう。

 

嫌いな訳ではない。

ただ、気安い関係になれる気はしなかった。

 

 

「この国の国務長官殿が、君が自由に出歩いている事に難色を示している」

 

「…………そうか」

 

 

確かに……私は罪人だ。

本来であれば、友人と会う事も許されない。

ましてや、外を出歩いて恋人と──

 

 

「言っておくが、これは不当だ。君は否定していい。君を投獄し、拘束する謂れはない」

 

「……だが──

 

「サディアス・ロスはただ、君を手駒にしたいだけだ」

 

 

私は顎に手を当てる。

 

サディアス・ロス国務長官。

この国を第一に考える、ヒーロー嫌いの冷血漢。

ヒーローやヴィランを純粋な『兵器』として管理しようとしている老人。

ただ、純粋に悪人という訳ではなく無辜の人々を守るため、国の利権のために尽力できる人だ。

良い意味でも悪い意味でも善悪に対する価値観が真っ当なのだ。

 

そして彼は、元悪人を集めたヒーローチーム……『サンダーボルツ』を結成させた経歴がある。

 

……つまり。

 

 

「私を起訴し、犯罪者として『サンダーボルツ』に組み込むつもりか?」

 

「そうだ」

 

 

『サンダーボルツ』には、ハーマンもいる。

別に……嫌な訳ではない。

 

元々、私も幾度も罪を犯してきた人間だ。

納得する。

何も、おかしな事はない。

 

 

「もし、君が敗訴すれば超能力者(スーパーパワー持ち)用の刑務所である『ラフト』に収容され、何らかの軍事作戦の場合のみ外に出されるようになる」

 

「それは……仕方のない事ではないか?」

 

 

そうだ。

私は納得していた。

贖罪は……どこに所属していても出来る。

『S.H.I.E.L.D.』でなくても『サンダーボルツ』でも。

 

……しかし、一つ心残りがあるとすれば。

 

 

「そうなれば、君は友人とは会えなくなる。一年か、三年か……いいや、十年は堅いな」

 

「…………そうだな」

 

 

面会として会う事は出来るだろうが……茶会なんて出来ないだろう。

 

それに、グウェンやハリーは関係者としてまだしも……一般人であるネッドとピーターは?

会う事も儘ならない。

 

彼等は優しいから、きっと傷付いてしまう。

 

私はいい。

だけど、友人達が傷付くのは……嫌だ。

 

服の裾を掴む。

 

そんな私の様子を見て、フューリーが深く息を吐いた。

そして、口を開いた。

 

 

「罪や罰は誰が決めると思う?」

 

 

視線を、フューリーに戻す。

 

 

「フューリー、それは……被害者だ」

 

 

私が殺してしまった人達、傷付けた人々。

それらの苦しみに対して、私は──

 

 

「いいや、違う。それを決めるのは──

 

 

しかし、フューリーが首を振った。

 

 

「法だ。君の行ってきた悪行は消えないが、それらを罪とするのも、罰を定めるのも法だ」

 

「……だが──

 

「この国は司法国家だ。不特定多数のあやふやな感情だけでは、罰は決まらない。法があり、判断を下す人間がいる。そこに委ねる」

 

「法に?」

 

「つまり、法廷で白黒付けようという話だ」

 

 

フューリーは席を立ち、不敵に笑った。

 

 

「裁判は三日後に、非公開で行われる。だが、安心してくれて良い……良い弁護士を知っている」

 

「フューリー……」

 

「良い機会だ、ミシェル・ジェーン。客観的に自分の罪を見つめ直すといい」

 

 

そういって、フューリーは部屋から出ていった。

 

 

 

それが、三日前の出来事だ。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

私は超能力(スーパーパワー)を持っている悪人(ヴィラン)だ。

私が暴れても取り押さえられるよう、法廷も厳重な警戒体制の中……裁判は進んで行った。

 

罪状が読み上げられ、尋問が行われて……。

 

そして、先ほどの弁論が行われた。

 

結果として、陪審員からの評決は──

 

 

「全員一致の『無罪』となります」

 

 

心神喪失による責任無能力による無罪。

 

 

……胸を撫で下ろした。

そして、撫で下ろしてしまった自分を恥じる。

 

法の下で裁かれたいと思いながらも、私は心のどこかで……友人達と別れる事を恐れていたのだろう。

 

思わず、唇を噛んで視線を下げる。

なんと、浅はかな人間だろうか。

 

そんな私の様子に、弁護人であるマット・マードックは視線を向けていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

「良かったですね、ミシェル・ジェーン=ワトソンさん」

 

 

白塗りの部屋で、私とマット・マードックは机を隔てて対角線上に座っていた。

 

 

「…………」

 

「貴方の『無罪』は証明されました。これまでの件に関しては、刑事罰には問われず、再審の可能性もないでしょう」

 

 

目前で、サングラスを掛けた男が話す。

 

ここは『S.H.I.E.L.D.』の管理する施設の中だ。

裁判後、彼から説明を受けている。

 

私は視線を泳がして……マット・マードックは少し、険しい顔をした。

 

 

「何か、ご不満があるのでしょうか?」

 

「……不満?」

 

 

裁判に対して、不満はない。

これは必要な行程だったと理解している。

 

サディアス・ロスが私を危険視するのも理解できるし、ニック・フューリーが私を勝たせたいのも理解できる。

 

そして、私は……法的に『無罪』とされてしまった。

されて、しまったのだ。

 

 

「……マット・マードック」

 

「はい、何でしょう」

 

 

穏やかな口調で話す彼に、私は少し疑問を抱いていた。

 

 

「貴方は私が……憎くない、の?」

 

 

その言葉に、彼は口を噤んだ。

 

マット、彼は……『デアデビル』だ。

夜のニューヨーク、ヘルズキッチンを守るクライム・ファイターだ。

ウィルソン・フィスクと敵対している彼とは、何度も対峙している。

 

そして、何度も戦い……彼の目の前で組織の裏切り者を殺してきた。

 

だから、憎い筈だ。

それなのに……どうして?

 

彼が、遠慮気味に口を開いた。

 

 

「……君は僕の正体を分かっている、という事かな?」

 

「…………」

 

 

私は、無言で頷いた。

 

 

「……まいったな。今日はただの弁護士として、会うつもりだったのだけれど──

 

 

マットが苦笑して、手を顎に当てた。

 

 

「先程の問い、君が憎いか……それに関してはいいえ(ノー)だ。憎くなんかないさ」

 

「……何で?」

 

 

口調が気安くなる。

私に対する弁護士としての立場から、幾度も殺し合った相手……よく知った仲に対する態度になった。

 

 

「僕はね、不当な立場に押し込められた弱者を助けたくて弁護士になったんだ」

 

「…………」

 

「少し、昔話をしよう」

 

 

白杖を机に立てかけて、マットは両肘を机についた。

 

 

「僕の父はボクサーだった。と言っても、それほど有名じゃなかったけどね」

 

 

私は黙って、耳を傾ける。

 

 

「父はギャングに脅されてね、八百長試合を持ちかけられていた。もちろん、悪い事だ」

 

 

マットの目は見えていなくとも、過去を眺めているように見えた。

 

 

「命が惜しかった父は何度も八百長試合を行い、金銭を得ていた……誰にも相談できなかった」

 

 

眉を、顰めた。

 

 

「……法を犯さなければ生きていけなかった者は、一度でも法を犯せば……二度と、誰からも助けを求めてはならないのか?」

 

 

マットは首を振った。

 

 

「それは違う。いつだって更生する機会は与えられるべきだ。しかし、父にはその機会は与えられなかった。誰も味方が居なかったからだ」

 

 

両手を組んで、寂しそうに笑った。

 

 

「父は暗い泥沼のような世界から抜け出そうと、一度、本気で試合をした。結果……試合には勝ったが、翌日には死体となって見つかった」

 

 

話を締めくくり、マットは私へ顔を向けた。

 

 

「僕は君のような人間の助けになりたくて、弁護士になったんだ。だから、助けたいと思っても……憎いと思う訳がないだろう?」

 

 

私は、口を開いて反論しようとして……口を閉じた。

ここで否定して仕舞えば、彼の信念を踏み躙ってしまうと私が思ったからだ。

 

そんな私の様子を見て、マットは頬を緩めた。

 

 

「君は優しいな」

 

「……そんな事はない」

 

 

思わず首を振った。

 

 

「僕は君の罪悪感も、罰を求める心も否定するつもりはない。だけど、他人が君に罰を与える事は許さない」

 

「……どうして?」

 

「僕が弁護士だからだ。君は『無罪』と判決された……法廷で隠した罪も存在しない」

 

「…………」

 

「全てを曝け出して、その上で『無罪』なんだ。だから、第三者がそれを覆そうとするのは法に対する侮辱だ」

 

 

マットはそう語り、私は……頷いた。

 

 

「ありがとう、マット・マードック」

 

「『マット』で構わない。これからも関わって……いいや、弁護士が必要になる事はない方が良いかな」

 

 

笑いながら、マットは机の上に置かれた書類をファイルにまとめた。

 

 

「……それと、ごめんなさい」

 

「ん?何に対してかな?」

 

「えっと、沢山、殴ったから……」

 

 

彼の骨を折ったのは一回や二回ではない。

比喩表現じゃなくて、本当に骨を折ってるのだ。

 

申し訳ないと思うのも、当然だ。

 

しかし、マットは少し複雑そうな顔をした。

 

 

「いいや、僕の方こそ。君と出会って何度も戦った……なのに、君の声すら知らなかった」

 

「……マット」

 

「知っているかもしれないけど、僕は耳が良い。なのに、君の心の亀裂を聞くことすら出来なかった」

 

 

私が罪悪感を感じているように、マットも罪悪感を感じているようだった。

 

……あぁ、全く。

 

私の周りにいる人間は、人が良過ぎる。

 

 

「だけど、こうして今。素顔で話せている事を嬉しく思えるよ」

 

「……私も。貴方とは一度、こうして話をしてみたかった」

 

「そうかい?それは嬉しいな」

 

 

マットが笑って、私もつられて頬を緩めた。

そして……私は少し、眉尻を下げた。

 

 

「私、貴方のこと……好きだから」

 

 

デアデビル……この脳裏にある記憶から、彼の事は尊敬していた。

泥臭くも、誰かを守るために尽力できるクライムファイターの姿に、私は胸を躍らせていた。

 

……しばし、彼は無言になった。

 

不可解に思って、マットの顔を見ると……彼は困った顔をしていた。

 

 

「いや、困ったな。申し訳ないけど、君の好意は受け取れない」

 

 

……そこで、何か大きな勘違いをしている事に気付いた。

私は眉を顰める。

 

 

「……そういう意味じゃない」

 

「……あぁ、そうか。すまない。いや、恥ずかしい勘違いをしてしまったな、全く」

 

 

マットが慌てて弁解する。

心なしか顔は赤い。

 

私の言葉足らずが原因だが……好きでもない人間にフラれるのは中々に堪える。

 

 

「……私、恋人いるし」

 

 

心の奥底が痛んで、私は恥を隠そうと強がりを小さく口にした。

……口にしてから、あまりの情けなさに言葉を撤回したくなったが。

 

しかし──

 

 

「……そうか、それは良かった」

 

 

それを聞いたマットは……嬉しそうに頬を緩めた。

思っていた反応と違って、私は首を傾げる。

 

……私は彼と違って、心音から感情を読み取る事は出来ない。

疑問に思いながらも、話題を変える事にした。

 

 

「……一つ、頼みたい事があるのだけれど、良い?」

 

「勿論だとも。何でも頼ってくれて構わないさ」

 

 

机の上から裁判の書類は消え、一つの分厚いファイルが出来ていた。

 

 

「それは──

 

 

私の言葉に、マットは少し驚いて……納得したように、頷いた。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ニューヨーク、ヘルズキッチン。

『エイリアス探偵事務所』。

 

そこで私……ジェシカ・ジョーンズは眉を顰めていた。

 

机に置かれた大量の依頼書類を眺める。

 

『レッドキャップ』によってへし折られた骨や、傷口は完治した。

もう探偵業をしても何の問題もないレベルだ。

 

だがしかし、入院中に受けられなかった依頼が溜まっていたのだ。

それを机の上に並べている。

 

 

「…………」

 

 

正直に言えば、私が対処する必要のないものが多い。

それでも、私を頼ってきてくれた相手を無碍にする事は出来ない。

 

 

「まず、浮気調査からか……」

 

 

そう言いながら、書類を捲り──

 

チャイムが鳴った。

視線を事務所の入り口に向ける。

 

 

「今、既存の依頼だけで手一杯だってのに」

 

 

私は書類を引き出しに入れる。

守秘義務から他人に見せてはならないからだ。

 

 

「新しい依頼なら断ろうかしら」

 

 

そう言いながらも、相手の話を聞く気はあった。

何故なら、やはり……自分を頼るような人間はもう後が残されてないような依頼人ばかりだからだ。

 

私は入り口へ向かい、ドアを開けた。

 

……そして、チャイムを鳴らしていた男を見て眉を顰めた。

 

 

「あのさ、『CLOSED』って書いてると思うのだけど?」

 

「残念だけど、僕には見えなかったな」

 

 

そう言うのは盲目の弁護士、マット・マードックだ。

 

 

「指で分かるように凹凸のある看板を立ててるわ」

 

「おっと、それは申し訳ないね」

 

 

憎まれ口を叩きながら、私は事務所のドアを全開にし……マットの後ろに、人影がある事に気付いた。

 

 

「……ちょっと、後ろの彼女は?誰?」

 

 

色素の薄いプラチナブロンドに、整った目鼻立ち。

あまりにも、マットの側にいるには珍しいタイプの女性……いや、女の子か。

 

 

「うん?僕の依頼主だ」

 

「……何の?」

 

「弁護と、道案内かな」

 

 

弁護……という事は、彼女、何か訳アリなのかしら?

 

二人を事務所の中に招くと、マットが勝手に椅子に座った。

その様子を見て、彼女は私を一瞥し……隣に座った。

 

 

「で?私に用なの?」

 

「そうなるね」

 

「ふーん……」

 

 

私は冷蔵庫を開ける。

 

右から酒、酒、酒、酒、酒……。

二段目も酒、酒、酒、酒……。

三段目にあった水割り用のミネラルウォーターを取り出す。

 

 

「紅茶、切らしてるから……水しかないけど良い?」

 

「おかまいなく」

 

「アンタに訊いてないわよ、後ろの女の子よ」

 

 

マットから視線を逸らして、背後の少女を見る。

……どこか、不安そうで、緊張している表情。

 

彼女のように、若い女性が私を頼る事は少なくない。

警察も頼れないような物事には探偵が一番だ。

 

そして、同性であれば、それだけで心を許し易い。

 

自分で言うのも何だが、女の探偵は需要があるのだ。

 

 

「……えっと──

 

 

返事を待たず、グラスに水を入れて彼女の前に置いた。

私とグラスに視線を往復し……口を開いた。

 

 

「ありがとう、ございます」

 

「どういたしまして」

 

 

そのままグラスに口を付けて、ちびちびと飲み始めた。

……何だか、借りてきた猫……いや、小動物のようだ。

 

何も悪い事なんて出来なさそうな……大人しい様子に私は頬を緩めた。

 

ここにくる依頼者は切羽詰まって、怒鳴ったり、暴れたりするような奴も多いからだ。

 

 

「それで?困り事って?ストーカー被害にでもあった?」

 

 

そう訊きながら……ふと、疑問が脳裏に過ぎった。

 

マットは彼女の弁護をしている、と言った。

それは彼女が被害者ではなく、加害者である事を示しているのだ。

 

……しかし、目の前の少女がそんな……何か、悪い事など。

冤罪とか?

 

何やら面倒ごとのような気がしてくる。

私は眉を顰めて……その様子を見たマットが口を開いた。

 

 

「ジェシカ、彼女は君に謝りたいそうだ」

 

「私に?」

 

 

腕を組んで、机にもたれ掛かる。

首を傾げながら、記憶を反芻する。

 

初対面の少女だ。

謝れるような覚えなどない。

 

そう思っていると、少女が口を開いた。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

そう、ポツリと謝った。

 

私は彼女に害された記憶がない。

それでも、彼女のその仕草には……心の底からの後悔と、反省を感じられた。

 

だから思わず、問い掛けた。

 

 

「何を謝ってるの?」

 

 

その謝罪に対して、私も真摯に向き合わなければならないと感じたからだ。

 

 

「……殴ったり、蹴ったりしたから」

 

「誰を?」

 

「貴女を」

 

 

また、首を傾げる。

 

私を殴った?

蹴った?

 

私が困惑しているのを他所に、彼女は言葉を繋げる。

 

 

「私は貴女に暴力を振るい……大怪我を負わせて、入院までさせて……」

 

 

目を、瞬かせる。

 

入院、大怪我……少女。

 

 

「……ちょ、ちょっと待って」

 

 

脳の中にあるフォルダをひっくり返し、一枚の人物情報を引き出す。

 

状況から、確実に誰かは判別できた。

しかし、納得するかは別だ。

 

目の前の小さな、細身の、儚げな少女が──

 

 

「……貴女、もしかして『レッドキャップ』、なの?」

 

 

そう、私と殴り合ったあの、赤いマスクの悪人だなんて。

 

否定して欲しい。

何かの冗談であって欲しい。

 

そう思っていても、彼女は頷いた。

肯定されてしまった。

 

ちら、とマットの方を見れば……彼も頷いた。

 

 

「……そう」

 

 

私は手で、目頭を揉んだ。

目を閉じて、開く。

 

 

「…………」

 

 

目の前の少女……『レッドキャップ』と呼ばれていた少女が俯いた表情で、怯えていた。

 

確かに、私は大怪我をした。

何度も殴られたし、蹴られたし、撃たれもした。

 

でも──

 

 

「ま、いいわ」

 

「……いい、って?」

 

「許してあげるって事よ」

 

 

深く息を吐いて、しゃがみ込む。

目線を椅子に座っている少女より下げる。

 

 

「ジェシカ……」

 

「大なり小なり、人は脛に傷を負って生きてくものよ。私だってね」

 

 

彼女は自身の服の裾を掴んだ。

私はその手を、両手で覆う。

 

 

「潔白である事は素晴らしい事だけど、潔白でなければならない訳じゃないの」

 

「…………」

 

「重要なのは今の行い。過去の過ちを認めて、前に進んで行けるなら……私に恨む道理はないわ」

 

「……ありがとう」

 

 

眼を潤ませながら、彼女は感謝の言葉を述べた。

私は頬を緩めて、立ち上がり……頭を撫でた。

 

 

「子供の悪さを許すのが大人よ。胸を借りるつもりで生きれば良いわ」

 

 

……髪、凄いサラサラね。

(シルク)で出来てんの……ってぐらい。

 

年相応の幼さと、少女らしい可愛げのある風貌。

 

そんな彼女が……あんな、裏稼業をさせられていたなんて。

 

 

「それに、生傷を負うのも慣れてるし。私、貴女が思っている数倍は丈夫なの。気にしなくて良いわ」

 

 

手を引いて、立ち上がらせる。

 

 

「それと……」

 

 

戸惑う彼女に手を伸ばして……抱き締める。

 

 

「あ、ジェ、ジェシカ……?」

 

「無事で良かったわ。それと、助けに行けなくて、ごめんなさいね」

 

 

彼女が窮地に陥り、ディフェンダーズが総出で助けに向かった時……私は入院したままだった。

 

だから、負い目を感じていた。

 

少しの間、抱きしめていると……背中に、彼女の手が当たった。

遠慮がちに抱きしめ返されたのに気付き、私は心が軽くなった。

 

 

 

……少しして、手を解き……彼女から、離れた。

マットは私達の様子を見て、嬉しそうに頬を緩めていた。

 

……恥ずかしくなって、少し苛立った。

 

 

「見せ物じゃないけど?」

 

「いや、すまない。つい目で追ってしまった」

 

 

馬鹿にするような素振りではない。

ただ、心の底から「良かった」と思っているのだろう。

 

……まぁ、私も逆の立場なら、嬉しくなるだろう。

あまり強くは言えなかった。

 

ふと、一つ疑問が湧いた。

 

 

「貴女、名前は?」

 

 

そうだ。

 

彼女はもう『レッドキャップ』ではない。

だから、別の名前がある筈だと……そう訊いた。

 

そして──

 

 

「私は、ミシェル。ミシェル・ジェーン=ワトソン」

 

 

そう名乗った。

 

名前の響きを咀嚼し、私は飲み込む。

 

 

「良い名前ね」

 

 

そう褒めると……彼女、ミシェルは心底、嬉しそうに頬を緩めた。

 

 

「ありがとう。嬉しい。兄が……付けてくれた名前だから」

 

 

そう言った彼女の瞳は、少しの寂しさを含んでいた。

詳細は知らない。

 

 

「そうなのね……」

 

 

だけど、悲しいだけの記憶ではない事は察せられた。

彼女の兄はもう、この世には居ないのだろう。

 

しかし、兄と過ごした記憶を「悲しい」という感情だけで捉えずに、「掛け替えのないもの」として感じているようだった。

 

 

……私は、口を開いた。

 

 

「で?私に対する用事ってのは、謝罪だけなの?」

 

「う、ぇ、あ、えっと、はい。ごめんなさい」

 

「ふふ、責めてる訳じゃないわ」

 

 

確かに、今、私は忙しい。

忙しい原因を作ったのは彼女の暴力だ。

 

それでも責めるつもりはないけれど。

 

 

「私だけじゃなくて……彼女、他の人にも謝っていくつもりなの?」

 

 

マットに顔を向けた。

彼は手を組んで頷いた。

 

 

「あぁ、そうだ」

 

「ルークとダニーにも会いに行くの?」

 

 

ミシェルの方へ眼を向ける。

こくり、と頷かれた。

 

一瞬、不安に思ったけれど……ルークとダニーなら、厳しく責めたりはしないだろう。

 

私は頬を緩めて、また彼女の頭を撫でた。

 

 

「え、あの、撫でないで」

 

 

そう抗議するけど、撫で心地が良いのだから止めるつもりはない。

 

 

「撫でやすい位置に頭があるのが悪いのよ」

 

「……べ、別に、小さくないし」

 

 

いや、客観的に見れば小さいだろう。

そう思っても、気にしているようなら口に出さない方が良いだろう。

 

数ヶ月前までは、彼女とこんな関係になれるとは思っていなかった。

顔も合わせた事はなかったし、殺し合った仲だけど……それでも、そんな事が些細な事に感じられた。

 

今ここにある少女の笑みに比べれば……。

 

 

「それにしても、随分と話し方が違うのね?」

 

「あぁ、それは確かに僕も気になるね」

 

 

私の言葉にマットが同意を示した。

ミシェルを一瞥すると、慌てたような仕草をした。

 

 

「う、えっと……その、仕事中はこう、スイッチが入っちゃって」

 

 

そうして、私の知らなかった彼女の話を訊いていく。

マットも知らなかったのか、興味深そうに耳を傾ける。

 

……いつか。

 

彼女が償いを終えた時、安心して昔話が出来る時が来る事を……私は願っていた。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

夜、マンハッタンにあるマンションの……自室。

 

携帯電話に指を走らせて、メッセージのやり取りを行う。

 

ピーターと、情報を交換していく。

 

 

私は……自身には勿体無い程の優しさを貰って生きている。

 

今日出会ったマットも、ジェシカも。

誰も私を責めなかった。

何度も殺し合ったというのに、それでも。

 

ピーターとのやり取りを終えて、携帯電話を机の上の充電器に置く。

 

消灯して暗い部屋で、私は息を深く吐いた。

 

私は罪人だ。

しかし、法は私を罰してくれない。

被害者も私を罰してくれない。

 

この身に背負う十字架は、安易な刑罰で軽くさせてはくれない。

 

罪悪感を抱えて、私は生きている。

それもまた、私に対する罰なのだろうか。

 

人助けをしたいと、そう決意したのに。

私は誰かに助けられて生きている。

 

……いつか、この手に貰った優しさを、他の誰かに分け与えられるように……私はなりたい。

 

 

「……ありがとう」

 

 

私は感謝の言葉を溢した。

無意識のうちに、小さく。

 

……私は、ベッドの端にいる大きな熊のぬいぐるみを引き寄せる。

これは、私の寝相が悪過ぎる事を心配したグウェンからプレゼントされた抱き枕だ。

 

それを引っ張って抱きしめる。

 

大きくて、抱きしめているのに抱きしめられているかのような感触だ。

 

強く、だけど壊れないように抱きしめる。

 

 

「……ピーター」

 

 

思わず、名前を溢した。

 

ピーターは忙しい。

ヒーロー業も、高卒認定を取るための勉強も、生活費を得るためのアルバイトも。

 

だから、毎日のように会ってはならない。

互いのためにならない。

 

だから、我慢によって生まれる心のモヤモヤを、ぬいぐるみを抱きしめる事で発散していた。

 

 

「…………」

 

 

ピーターに抱きしめられた時のことを思い出し、頬が熱くなる。

 

私は意識を微睡ませて、眠りにつく。

 

明日は何をしようか。

何をするべきか。

 

そんな事……少し前までは考えられなかったのに。

 

ただ、ゆっくりと意識を手放して……私は眠る。

明日も目覚めるために。

 

 

夢は見ない。

 

 

未だに、夢だけは見れなかった。


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