【本編完結】レッドキャップ:ヴィランにTS転生した話 作:WhatSoon
僕がデートから抜け出して2時間ほど。
流石に喫茶店から移動していると思っていたけれど、携帯電話に連絡はなかった。
という事は、居座っているのだろうか?
時間は昼前、喫茶店もまだ混んでないのだろう。
喫茶店の近くに到着し、路地裏でスーツを脱いで着替えた僕は……喫茶店に飛び込んだ。
……ボックス席に、ミシェルの姿があった。
しょんぼりとした顔で、追加注文したであろうバニラアイスを食べている。
その姿に心臓が締め付けられるような気持ちになった僕は、慌てて近付き──
「ごめん、ミシェル!待たせちゃって──
……あれ?
誰かと相席してる。
いや、見覚えがあるけれど……居るはずのない二人だ。
「……あ」
グウェンとハリーだ。
今、気付いた。
ミシェルは僕が居なくなって寂しくて落ち込んでいた訳じゃない。
理由は分からないけど、この気まずい空気に辟易としていたのだ。
グウェンが……僕へ視線を向けた。
睨んでいる。
心の底からの敵意に……僕は、少し後ずさった。
そして、グウェンが口を開いた。
「……ミシェル、コイツがピーターよね?」
そうだ。
彼女は……ハリーも、僕の事を忘れているんだ。
初対面の筈なんだ。
ミシェルが申し訳なさそうな顔で僕を見た。
……これって今、どういう状況なのだろう?
ミシェルの代わりに、僕が返事をする。
「えっと、うん。僕がピーター・パーカー……です」
少し、丁寧な口調で話す。
今の彼女は友人じゃなくて他人だ……。
……うん、他人だ。
何でこんなに敵意を向けられているんだろう?
「……ふぅん?」
グウェンが訝しむような目で僕を……舐めるように見た。
品定め、のような……何というか、落ち着かない。
そして、グウェンが深く息を吐いた。
「……なんか、やっぱりパッとしないわね」
パッとしない。
思わず視線を逸らして、苦笑する。
というより「やっぱり」?
……あぁ、僕達のデートを尾行していたのは、この二人か。
ハリーは別として、グウェンは明らかに僕へ敵意を持ってるけど……彼女はシンビオートの宿主だ。
僕の
……敵意。
親しかった筈の友人から向けられる、敵意だ。
「取り敢えず、立ってないで座れば?」
そう促されて……ミシェルの隣に座る。
僕が座ろうとすると、彼女は申し訳なさそうな顔で僕を見上げた。
「ピーター、ごめん」
小声でボソりと呟いた。
何に対する謝罪かは分からないけれど、きっとこの状況に関してだろう。
「大丈夫だよ、ミシェル」
そう僕も小さく呟いて、彼女を安心させようとする。
肩を小さく叩いて、僕は隣に座った。
……そんな様子を見ていたグウェンは……何というか、不可思議な顔をしていた。
理解が出来ないっていうか、意味が分からないっていう顔だ。
「……私、よく分からないんだけどさ──
そして、グウェンが口を開いた。
「アンタ、ミシェルを殴ったのって本当?」
…………うん?
「え?」
よく分からなくて素っ頓狂な声を出してしまった。
それを誤魔化したのだと判断したのか、グウェンの目が鋭くなる。
「惚けたって無駄よ。ミシェルがアンタに暴力を振るわれたって──
グウェンがミシェルを一瞥した。
僕もミシェルに視線を向ける。
金属製のスプーンを咥えながら、ミシェルが僕に申し訳なさそうな顔をしていた。
……殴る?
暴力?
僕がミシェルにそんな事、する訳が──
「あっ」
思い当たる節があった。
そう、ミシェルがまだレッドキャップと呼ばれていた頃に……僕は彼女と殴り合った。
その時の事を、グウェンが変に察してしまって、話がややこしい事になってるんだ。
「ほら、やっぱり……ミシェル、こんなDV男とは別れた方がいいわよ」
我が意を得たり、と言わんばかりのグウェンがミシェルへ提案した。
……は、反論しないと。
「グ、グウェン、違うんだ!それは──
「は?何で私の名前を知ってるの?」
あ、ダメだ。
話がまたややこしくなる。
ミシェルが小さく手を上げて、口を開いた。
「それは私がピーターに話したから……」
「そ、そうだよ。ミシェルから聞いたんだ……!」
「……ふーん?」
グウェンが腕を組んで、ハリーを一瞥した。
……けど、ハリーはさっきから話していない。
自身の手で口を覆って、何か、考え事をしているように見えた。
……グウェンがため息を吐いて、僕を見た。
「それで?殴った理由は?理由を訊いても、私は許さないけど」
……殴った理由?
それは、スパイダーマン関連の話になる。
……話す、べきだろうか?
でも、だけど……。
別に、消えた記憶の話をする必要はない。
僕が昔からヒーロー活動をしていて、彼女と戦う機会があったのだと言うだけで良い。
でも、それでも。
……スパイダーマンに敵は多い。
正確には、多かった、だけど。
だけど、これから増えていくだろう。
前と同じように、数多の
後ろ盾のないヒーロー活動は、それ相応の対価を支払う事になる。
だからと言って、政府に所属すれば自由なヒーロー活動なんて出来なくなる。
街中で困ってる人を助けられるような、『親愛なる隣人』としての活動は難しくなる。
……分かってる。
これは僕の我儘だ。
僕がスパイダーマンであるという事を知られたくないのは……日常とヒーロー活動を切り分けたいと考えてしまっている僕の傲慢だ。
僕は……。
僕は。
「僕は、人助けをしてるんだ」
そんな我儘は捨てよう。
それに、彼女には過去、一度知られているのだから。
「……人助け?何の話?」
グウェンが訝しむような声で訊いてくる。
「人助けは人助けだよ。それで彼女と、戦う機会があったから……」
僕はそう言って、ミシェルを一瞥した。
グウェンは僕の分かり難い言動に眉を顰めて、少し悩んで、納得したような表情をして……それでも、眉を顰めたままだった。
「よく分からないのだけど──
グウェンが自身の頭を掻きながら、周りに意識を向けた。
……周りは会話に夢中で、誰も聞いていないだろう。
グウェンは声を抑えて、僕に質問を投げた。
「あなたって、所謂……ヒーローって奴なの?」
「……まぁ、そうかも。そんなに有名じゃないし、凄い事はできないけど」
そう謙遜すると、ミシェルが僕の顔を見た。
視線はじっとりしている。
そんな事はない、って言いたがってるように見えた。
……う、うーん?
ミシェルはスパイダーマンのファン、らしいからね。
贔屓目で見てるのだろうけど、僕のやってるヒーロー活動なんて大した事じゃないよ。
「僕は──
「スパイダーマン、だろう?」
ふと、ハリーが僕のヒーロー名を呼んだ。
思わず驚いて、ハリーを凝視する。
グウェンは小声で「誰?」って言ってたけど……そんな事を気にしてる場合じゃない。
「……どうして、知って──
記憶はない筈なのに。
誰も覚えていない筈なのに。
そう心の中を渦巻かせていると……ハリーが口を開いた。
「さっき、ニュースでテロの話があっただろう」
テロ……あっ、ビルの爆発ってテロリストの仕業だったんだ。
事件の後始末をトーチに任せたから知らなかった。
グウェンがハリーに視線を向けた。
「それがどうしたの?」
「二人のヒーローが救助活動をしていた。ヒューマントーチと……スパイダーマンだ」
ハリーが僕に向かって手を伸ばし……シャツの襟を捲った。
……あ、煤が付いてる。
「この煤は先程の火災の中で付いた煤だろう?ヒューマントーチは名前も顔も公表している……それなら、もう片方が君だ」
……思わず、ミシェルを見た。
彼女も驚いたような顔をしていた。
いや、でも、まぁ……当然の帰結、なのだろう。
僕が自分をヒーローだと認めたから……いや、違う。
ハリーはきっと、僕がその話をする前から気付いてたんだ。
そして、それが確信出来たから話したのだろう。
そんなハリーの視線が僕に向ける視線は……分からない。
彼は今、何を考えているのだろう。
僕は手汗が滲む手を握った。
「……そうだよ」
そして、肯定する。
ハリーは僕から視線を逸らさない。
視線が合ったまま……僕を見ていて──
机の下で、手が握られた。
小さく、細い指だ。
……ミシェル。
僕を安心させようと、勇気づけようとしてくれる。
僕がまた、口を開く。
「僕が……スパイダーマンだ」
そう言い切ると……ハリーの顔が少し、歪んだ気がした。
◇◆◇
スパイダーマン、か。
僕は目の前にいる男……ピーター・パーカーを見つめる。
その本性を、性質を見定めようとする。
スパイダーマンについては、僕も知っている。
数ヶ月前から現れた政府非公認のヒーロー……いや、
彼の登場するニュースが流れると、ミシェルは興味深そうに見ていたから……僕も、知っていた。
そうか。
彼氏の活躍だったから、気になっていたのか。
そう考えると、やはり納得がいく。
……だけど。
「君に……訊きたい事がある」
口にするべき言葉ではないのかも知れない。
それでも、どうしても……口にする。
「君は彼女の過去を知っているんだな?」
過去。
それは……レッドキャップだった頃の話だ。
僕の言葉にピーターは頷いた。
「知っているよ」
「どう思っている?」
それは端的で、複雑な問いだ。
彼女は
それに関して、僕は納得している。
知った上で、それでも彼女と友人のままでいようとしている。
それに対して、ピーターは──
「罪を償うべきだと思っている」
「……っ」
僕は息を呑んだ。
彼女を否定する言葉を口にするのかと──
「だからこそ僕は、彼女と一緒に……その罪が償えるように、努力していこうと思ってる」
「…………何?」
だから、想定外の言葉に戸惑った。
「犯した罪は消えないし、無視して生きる事は……ミシェルには出来ない」
思わず、ミシェルを一瞥した。
彼女は首を縦に振った。
……僕は反論する。
「待て。彼女の罪は立証されていない。この国の法では彼女は無罪の筈だ」
「それでも、ミシェルは罪を感じているし……裁かれないからと言って、平気じゃない性格なのは知ってるよね?」
「……いや、そうだとしても」
戸惑う。
確かにそうだ。
ミシェルは自身の感じている罪から、逃れようとする人間じゃない。
例え、周りから何を言われても……抱え込んでしまう少女だ。
……この、ピーターという男は──
「だから、一緒に償いたいんだ。僕に出来る事は、人助けだけ、だけど……それでも、少しでも──
理解している。
「彼女が幸せに生きられるように、僕も頑張るよ」
僕以上に、彼女を。
「……そうか」
理解しているんだ。
……人の器に勝ち負けがあるかは分からない。
だけど、それでも、きっと僕は……。
目の前にいる男の顔を見る。
尾行してた時も、ここに来た時も、頼りない男だと思っていた。
だけど今は……違う。
間違いない。
彼はヒーローだ。
ミシェルが好意を持つに相応しい人間だったんだ。
目を伏せて……息を深く吐く。
「……ハリー?」
ピーターから、声を掛けられる。
どうして僕の名前を知っているのか……と一瞬思ったけれど、きっとミシェルが話したのだろう。
その事に少し嬉しく思うけれど、それ以上の喪失感が胸を締めた。
大きく空いた心の穴。
好きな少女が、僕よりも逞しい人と恋仲だという。
……あぁ、祝福するべきだろう。
なのに、それでも……僕は、悔しいと思えてしまった。
閉じた口の中で、歯を食いしばって……顔を上げた。
……ミシェルは僕を、心配するような表情をしていた。
違う。
僕は好きな女の子に、そんな表情をさせたい訳じゃない。
僕はこの、ちっぽけなプライドを振り絞って、言葉を口にした。
「認めるよ、ピーター」
「……え?何を?」
「君は彼女に相応しい人間だ。僕が口を出すような話じゃなかった」
そう言って、また、視線を逸らした。
情けない言葉は吐きたくなかった。
カッコ付けたかった。
だって、愛した女性の前なのだから。
揺らぐ感情に蓋をして、僕は平然を取り繕う。
そんな僕を、グウェンが見て……少し、戸惑うような表情をした後、席を立った。
そして、グウェンはピーターとミシェルに視線を向けた。
「……私も業腹だけど、ちょっとは認めてあげる」
凄く、上から目線な言葉でピーターを批評して──
「デートの邪魔をして、悪かったわね。ほら、ハリー……行くわよ」
グウェンが僕の腕を引っ張って、立たせた。
ピーターは戸惑うような表情をした後……少し、表情を険しくして口を開いた。
「グウェン、安心して欲しい。彼女は僕が守るから」
「当然よ。彼女を守るのは彼氏の役目でしょ?傷付けたら……絶対、許さないから」
そう言って、グウェンが僕の腕を引っ張った。
席を立たされて、少しずつ彼等から離れて行く。
「グ、グウェン」
「ほら、行きましょ。私達、邪魔みたいだし」
口にしながら、グウェンは眉を顰めた。
喫茶店を出て、ニューヨークの街中を歩く。
「頭に来るわ」
「……グウェン」
「あんなに想い合ってたら……割り込む隙なんてないじゃない」
そして、弱音を吐いた。
彼女にしては珍しい弱音に……僕は戸惑って──
「悪かったわね、ハリー」
「……いや、何も迷惑なんか感じてないさ。それに──
首を振った。
そして、言葉を繋げる。
「少し、安心した。彼はきっと、僕よりも……彼女を、幸せ、に……出来、る」
息が、乱れる。
目頭が熱くなる。
「……ハリー」
手を握られた。
女性特有の手の硬さに、僕は戸惑った。
グウェンとの距離は近い。
彼女が、口を開いた。
「別に、辛いなら泣いても良いのよ」
「……いや、僕は──
「私の前で見栄なんて張らなくて良いから」
「……だけど──
「……ああもう、じれったい!」
グウェンが僕の頬を摘んだ。
万力のような握力で、引っ張られる。
「い、痛い、痛いって……」
頬が痛いからなのか、心が痛いからなのか……涙が溢れた。
……きっと、後者だろう。
僕の、失恋の痛みだ。
僕が涙を溢したのを見て、グウェンが笑った。
「辛い時は泣くものでしょ?」
「……だ、だからと言って、頬を引っ張る必要はあったか?」
「あるわよ。だって、ちゃんと泣けたし」
「……そう、かも知れないけど」
頬を摩っていると、彼女が一歩前に出て……伸びをした。
そして、僕へ振り返った。
「さ、失恋しちゃった感想はどう?」
「……それは、最悪の気分だな」
「でしょうね。まぁでも……立ち直らないと」
グウェンが手招きをして、僕は彼女の後ろを歩く。
彼女がニッと笑って、口を開いた。
「まだ午前中だし、これから『ハリーの失恋を慰める会』でも開く?」
「……何なんだ、それは」
「文字通りよ。美味しいものでも食べて、少しは元気を出しましょ?私も……なんというか、結構ショック感じてるし」
グウェンがふと、苦笑した。
……そうか。
僕は失恋だけど、彼女にとっても……親友が男に取られてしまったような気持ちなのだろう。
僕ばかりが辛い訳じゃない。
そう考えると……こうやって、落ち込んでいるのも違うような気がしてくる。
「……そうだな。グウェン、どこに行きたい?」
「前に行ったイタリアンが良いかも。あ、勿論、ハリーの奢りね」
「僕の失恋を慰めるんじゃなかったのか?」
「それとこれは別よ」
「……まぁ、良いけど」
「やった」
グウェンが満面の笑みを浮かべて、僕の側を歩く。
その笑みを見て……少し、複雑な気持ちになった。
彼女は僕の父の被害者だ。
僕は生涯を掛けて、彼女に償っていくつもりだ。
だから……こんな、気持ちを抱くのは良くない事じゃないかと思ってしまう。
それに、失恋して、直ぐに──
違う。
まるで、目移りをしてしまう軟派な男みたいじゃないか。
彼女がダメだったからと、別の女性に惹かれるなんて……僕は、恥知らずだ。
僕は自己嫌悪しながらも、彼女の後ろを追う。
この感情に、いつか名前が付く時まで……彼女の側で支えて行こう。
そう、思えた。
◇◆◇
「行ったね」
「……うん」
僕とミシェルは喫茶店から、嵐のように飛び出して行った二人を見ていた。
グウェンと、ハリー。
少しは二人に認められた……と、思いたい。
「……よかったね、ピーター」
「うん」
少しは関係も前進したと思いたい。
知らない他人から、親友の彼氏程度だけど。
それでも……ミシェルは自分の事のように嬉しそうに笑った。
「今回は偶然だったけど、今度、ネッドにも会ってみる?」
正直に言うと、僕は怯えていたんだ。
知っている筈の相手に、友人だった筈の相手に……嫌われたり、疑われたりする事を。
それでも──
「うん、お願いしても良いかな」
動き出さなきゃ、関係を近付ける事は出来ない。
当然の事だろう。
失った関係に怯え続けず、新しい関係を築いていくべきだ。
その勇気を、ミシェルが……ハリーが、グウェンが教えてくれた。
感謝しかない。
僕達は会計を済ませて、喫茶店を出る。
グウェンもハリーも、もう居なかった。
二人は何処に行ったのだろうか……なんて、考えても仕方ない。
ミシェルと手を繋げながら、ニューヨークの街を歩く。
「午前の映画は終わっちゃった」
ミシェルがそう言う。
「あ、あー……ごめんね?」
「気にしてないから大丈夫。午後の映画を──
ミシェルが手元の携帯端末を弄って、眉を顰めた。
「今日はあの映画、上映もう無いって」
「えぇ?それは、残念だな……」
「ん……また次のデートで観よ?」
ミシェルの眉尻が下がって、表情は萎れている。
「他に何か映画を観るかい?」
「他……昼過ぎの映画は──
携帯端末の液晶に、彼女の指が滑った。
「あ」
少し、驚いたような声をあげて……ミシェルが僕に携帯端末を見せた。
そこには──
「ミシェル……これって、前に見た映画の続編、だよね?」
一年近く前に彼女と見た、恋愛映画の続編だった。
あの……メチャクチャつまらない恋愛映画の。
山も谷もない、ただ男と女が恋愛するだけの……恋愛映画だ。
「ピーター、観る?」
「……うーん?」
手を顎に当てて、悩む。
前回の映画の記憶は……内容に関しては、つまらなかったという記憶しかない。
だけど、映画館で……ミシェルが泣いていた事を思い出した。
何故泣いていたのか、あの時は分からなかった。
だけど、今なら分かる。
……彼女は、自身が手に入れられない幸福を、羨ましいと思えてしまったのだろう。
ファンタジーな要素がない、リアリティのある恋愛映画だったからこそ……その気持ちは、尚更。
……だけど、きっと今は大丈夫だ。
「ミシェルは観たいの?」
「……少し」
「じゃあ、行こっか」
「……ん」
少なくとも、彼女は今……幸せ、だろう。
手を繋いで、朗らかな気持ちで歩く。
……僕は、素晴らしい友人に恵まれている。
恋人にも。
失った過去を惜しむ気持ちはあっても、後悔はしていない。
僕だって、今が幸せだからだ。
この幸せを手放すつもりはない。
手放したくない。
……繋いだ手の、指が絡まる。
離さないように、離れないように……。
互いに、掴み合って──
ミシェルが、後ろへ振り返った。
「ミシェル?」
「……また、誰かに見られた気がした」
「それって、グウェンとハリーじゃなかったの?」
「……気のせいかも」
ミシェルが首を傾げて、その仕草が可愛らしいと思いながら……僕も、ミシェルの視線の先を見る。
怪しい人間はいない。
ただ、ニューヨークらしく……雑踏が入り乱れていた。
◇◆◇
『やけに勘が鋭いなぁ』
私は一人、そう呟きながら……一人の少女を見下ろしていた。
『……やはり、『眼』の力かな?使い熟しているような形跡は見えなかったが』
窓ガラスに、自身の姿が反射している。
深い、深い黒緑色の鳥……カササギが映っていた。
『何にしても、これ以上の追跡は危ういか。男の方は気付いていないようだったが、直接的な争いになれば拙い』
私は羽を羽ばたかせて、屋根から飛び立つ。
『かと言っても、戦ったとして負けるとは思わないが。私に土を付けられるとすれば……兄上ぐらいだ』
黒い羽を散らして、少女から離れて行く。
『『
宙を自在に飛ぶ。
まるで『
『縛られた運命から、解き放つ事が出来るだろう』
嘲笑のような笑い声が、乾いた空に響いた。
◇◆◇
「それじゃあ、ミシェル……おやすみ」
「……ん、おやすみ」
一つのベッドで、二人、並んでいた。
デートの日の夜は……よく、彼女は僕の家に泊まりに来る。
だから、少し大きめのベッドに新調したぐらいだ。
……ミシェルが、僕の背中から手を伸ばして、抱きしめてくる。
心臓がバクバクと音を鳴らしている。
最近、彼女のアピールが激しい。
だけど、僕は何もしない。
例え、望まれているとしても……だ。
あくまで、健全な付き合いだ。
……というか、僕って今、無職だし。
ミシェルも……複雑な立場だし。
だから、『そういうこと』はしない。
モヤモヤとした感情のまま、目を閉じる。
……好きな女の子に抱きしめられながら、寝るんだ。
こんなに幸せな事はないだろう。
……でも、今はちょっと……抑えて欲しいかも。
頼む、僕の理性。
もう少し、強く、強く保ってくれ。
だって、僕だって若い男だ。
こ、こんなの、耐えるのは……うぅ。
それでも、彼女を傷付けないために耐えるしかない。
引きちぎられそうな理性で必死に耐えながら……僕は眠ろうとする。
「……好きだよ、ピーター」
……あぁ、全く、もう。
「僕もだよ、ミシェル」
意図的に何も考えないように気を付けて、意識を手放そうとする。
まぁでも、眠れる訳がなくて。
……ミシェルが泊まりに来た日の翌日は、少し寝不足になる。
いつまで経っても慣れはしない。
この事は、彼女には秘密だけどね。