【本編完結】レッドキャップ:ヴィランにTS転生した話   作:WhatSoon

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#7 ファインド・マイ・フェアアバウツ

真っ白な部屋。

電灯のみが輝いていて、足元も壁も、特殊プラスチックのパネルに覆われている。

 

……少し、過去を思い出して眉を顰めて……振り払い、一人の女性と対峙する。

 

今の私の格好は普段着ではない。

ラバーのような特殊素材で出来たスーツを着ている。

少々、自由が利かないが……代わりに、衝撃をある程度吸収してくれるそうだ。

 

視線を上げる。

 

目の前にいるのは……赤髪の女性だ。

彼女も黒いライダースーツを着ているが……ベルトには赤い砂時計のマーク。

 

クロゴケグモ(ブラック・ウィドウ)のシンボルマークだ。

 

言葉を発さず、私は姿勢を低くして……曲げた足で地面を蹴った。

 

低空で這うように飛び込み、ウィドウに接近する。

手を突き上げて、彼女の足首を掴もうとして……するりと、避けられた。

 

 

「……チッ」

 

 

私は突き出した手で床のパネルの縁を掴み、足を振るう。

しかし、それも身を捩り、紙一重で避けられた。

 

ギリギリ、ではない。

明らかに見切られている。

 

……私はどこか遠慮していたのかも知れない。

相手は最強のスパイ、ブラック・ウィドウだ。

手加減なんて烏滸がましい事はするべきじゃない。

 

私はそのまま逆立ちして、足を開き……回転する。

 

彼女も想定外だったのか、咄嗟に腕で防御されるが──

 

 

取った。

 

 

私は、足を絡めて地面へと引き摺り倒す。

全身の体重を足に乗せて、そのまま捻ろうとして──

 

ウィドウが、私の脹脛に肘を挟んだ。

 

 

「……っ」

 

 

拘束を無理矢理こじ開けられ……そのまま、抜けられて、逆に首を絞められる。

両腕と、肘を巧みに使い引き剥がせないように組み上げて──

 

 

解かれた。

 

そしてウィドウ……ナターシャ・ロマノフが頬を緩めた。

 

 

「はい。これで終わりね」

 

 

私は呼吸を整えながら、頷く。

 

 

「……ありがとう、ございました」

 

 

礼をしながら、立ち上がる。

 

……肩と、膝、腰の関節が外れている。

私が寝技を掛けた瞬間に、彼女は身体を捩じ込んで力を出ないようにしたのか。

だから……完全に極まったと思っていたのに、抜けられたのだろう。

 

 

「治療班を呼んでくるから少し待って──

 

 

私は無理矢理関節を戻す。

 

ぱきり、ぱきょり、と嫌な音がして……少々痛むが問題はない。

 

 

「……そういうのは医者に診てもらうべきじゃないかしら?」

 

「私には必要ない、です」

 

 

確かに、こんなに無理矢理繋いだら靭帯に悪影響があるだろう。

だが、私には治癒因子(ヒーリングファクター)がある。

多少の怪我は数分で治る。

 

 

「……まぁ良いわ。さっきの訓練で、明確に悪かったところが一つあるけど、分かる?」

 

 

訓練。

 

ついに、『S.H.I.E.L.D.』の正式なエージェント候補生となった私は、彼女に指導を受けている。

 

ブラック・ウィドウ、ナターシャ・ロマノフ。

身体能力に優れ、判断に優れ、技術に優れ、隠密に優れる……この国、いや世界で最高のスパイだ。

 

身体能力だけならば私の方が上だが、純粋な技能ならば……流石に、彼女の方が上だ。

ヴィブラニウムのスーツがあれば私の方が優勢だろうが、生身ならば私には勝てない相手だ。

 

そんな彼女に、私は教えを受けているのだ。

エージェントとしての心構えや、必要な技能などを。

 

 

「明確に悪かった所……」

 

「そう。貴方の戦い方には致命的な欠点があるわ」

 

 

私は自分の顎に手を当てて──

 

ナターシャが指を立てた。

 

 

「『殺意』がこもり過ぎている」

 

「……『殺意』?」

 

「そう。『S.H.I.E.L.D.』の仕事では、相手を殺さず無力化する事も必要になるわ。無闇矢鱈に人体を破壊したらいけないのよ」

 

 

私は頷く。

当然の話だ。

 

 

「……ごめんなさい」

 

「責めている訳じゃないの。今までの経歴上、仕方のない話でもあるから……それでも、人を殺さず無力化する技量は必要よ」

 

 

同意して、頷く。

もう、好き勝手に相手を殺すような仕事はしないだろう。

 

『S.H.I.E.L.D.』のエージェントとして、正しい事を行うならば……なるべく、人は殺さない方が良い。

 

ナターシャが息を軽く吐いた。

 

 

「さっきのだって、普通の人間にあんな技を行使すれば、人体に障害が残るわよ」

 

「……はい」

 

「手加減って実は難しいのよ。手を抜くだけではダメ……全力で、手を抜かずに……的確に無力化するの」

 

 

頷くと、彼女が私の側に近寄った。

 

私は今まで『人を殺すための技術』を学習して、行使してきた。

……人を傷つけず無力化する事は苦手だった。

 

今までは必要のなかった技術。

だけど、これからは最も必要な技術だ。

 

 

「肩のここを強く押し込んで、捻る」

 

「……ん」

 

「後は肘や膝とか硬い部位を、ここに押し込めば関節が綺麗に外れるから──

 

 

ウィドウに文字通り、手取り足取り教えて貰いながら……私は学んでいく。

 

殺すための技術ではない。

誰かを守るための技術を……。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ざぁざぁと、シャワーを浴びながら……私は息を深く吐いた。

 

熱のこもっていた身体が冷えていく。

蛇口を捻って、水を止める。

 

白い肌に水滴が流れて、ぽたぽたと滴り落ちる。

水で濡れたプラチナブロンドの前髪を払って、背後の……胸元より少し高い位置にある仕切り、そこにかけていたタオルで髪を拭く。

 

ここはアベンジャーズ・タワーの訓練室……に備え付けられている女子シャワールームだ。

幸い、私以外の人はいない。

……いや、別にコミュ障ではないのだが、こんな場所で誰かと会うのも気まずい。

 

身体をタオルで拭いて……シャワールームを出る。

共有の洗濯籠にタオルを入れて、服を入れておいたロッカーを開ける。

 

折り畳んでいた下着を身につけて、シャツと、短パンを履く。

少し長めの靴下を履いて、スリッパから靴に履き替える。

 

備え付けのドライヤーで髪を乾かしながら、鏡の中の自分を見る。

……化粧ポーチを取り出す。

 

 

こうやって、すっぴんを晒しているのに不安を感じるようになってしまったと……一年前の自分に言っても信じてもらえないだろうな。

 

あの頃はまだ、自分の性別を中途半端に認識していたし。

 

今は……まぁ……どうだろう?

きっと、女だ。

多分。

 

 

……更衣室から出て、廊下を歩く。

 

 

少し、喉が乾いたな。

水分補給はしたけれども、足りなかったようだ。

糖分も欲しい。

 

アベンジャーズ・タワー内の食堂で、何か貰おう。

少し、昼食には早いけれど……今日はもう、訓練もセラピーも無いし。

 

 

廊下を歩いていると、『S.H.I.E.L.D.』の制服を着た人とすれ違う。

会釈をすると、会釈を返される。

 

……彼等は、私が過去に『S.H.I.E.L.D.』のエージェントを何人も殺してきた悪人(ヴィラン)だという事は知らない。

ニック・フューリーによる緘口令の所為だ。

 

言わない方が、互いに上手く馴染めるだろうと……その考えは理解出来る。

 

しかし、騙しているような気分がして……いや、実際騙しているのだろう。

罪悪感を感じてしまうのは確かだ。

 

すれ違って、私は食堂へと向かう。

 

 

トレーニング施設のある階層から離れると、人混みは増えて……雑多になって行く。

 

ガラス張りの部屋を横切って──

 

 

「ねぇ、ちょっと良い?」

 

 

誰かに、呼び止められた。

私は振り返り……心臓が止まるかと言うほど、驚いた。

 

 

「ニック・フューリーに会いたいんだけど……何処にいるか知らない?」

 

 

そう言ってきた相手は……黒いタンクトップに、ジーパンというラフな格好をした黒髪の女性だった。

X-23、ローラ・キニーがそこに居た。

 

私は極度の緊張を感じつつも、首を振る。

 

 

「……今日は出張。当分は帰って来ない」

 

「あー……そっか」

 

 

両手を水平にあげて、彼女はやれやれ、といった顔をした。

 

ローラ・キニー。

一度、いや……三度、殺し合った仲の少女だ。

ウルヴァリンと呼ばれるミュータントのクローン体であり、私を遥かに凌ぐ治癒因子(ヒーリング・ファクター)とアダマンチウム製の爪を持っている。

 

そして、何より──

 

 

「ところで、貴女、何者?なんで私服姿なの?」

 

 

私は、彼女の母親を殺した。

彼女の母親の仇なのだ、私は。

 

口の中が、乾く。

 

 

「私は──

 

 

少し、悩む。

ここで……打ち明けるべきか。

……少し、目を閉じて、開いた。

 

 

「ミシェル・ジェーン=ワトソン。エージェント候補生」

 

 

少し、怯えてしまった。

面と向かって罵倒されるべきだと言うのに。

 

そんな私を訝しむ事もなく、彼女が口を開いた。

 

 

「私はローラ・キニー。ローラって呼んでくれて良いわ」

 

 

伸ばされた手は、宙を彷徨っていた私の手を握った。

 

 

「……私の事も、ミシェルでいい」

 

「よろしくね、ミシェル」

 

「よろしく、ローラ」

 

 

こんな自己紹介をしている場合じゃない。

ここで言わなければ……騙しているような物だ。

 

 

「……ん?ミシェル?どこかで聞いたような……」

 

 

言うんだ。

言うべきだ。

言わなければ。

 

 

「ローラ。私は──

 

 

口を、開いて──

 

 

「あー、二人とも!」

 

 

別方向から声が掛かった。

そちらの方に視線をずらすと、金髪の上に黒いカチューシャを乗せた女性が走り寄って来ていた。

 

 

「「グウェン……」」

 

 

思わず、彼女を呼ぶ声が被ってしまって……ローラと視線が合った。

……彼女は私の顔に、見覚えを感じたのか……注意深く、視線を向けて──

 

 

「奇遇ね、ローラ。ミシェルと知り合いだったの?」

 

 

グウェンの溌剌とした態度に、私は言おうとしていた言葉を飲み込んだ。

 

 

「いや?今、初めて会ったばかりね」

 

「そうなの?」

 

「えぇ。というか、貴女の知り合いだとも知らなかったわ」

 

「え?前に説明したじゃない」

 

 

何の話か分からず、私は耳を傾ける。

 

 

「あー、貴女の親友ってこの子?」

 

「そうよ、前に写真見せてあげたでしょ?」

 

「……そうだっけ?」

 

 

どうやら私の知らない所で、勝手に紹介されていたらしい。

いや、別に嫌な訳じゃ無いけれど……。

 

ローラが興味深そうに私の顔を覗き込んだ。

……後退り、しそうになった。

 

そんな様子の私を見て、ローラが愉快そうに笑った。

 

 

「小動物みたい」

 

 

え?小動物?

いや、私は今はもう立派な女性だ。

 

 

「そんな事ない」

 

 

小さな動物に例えられるような謂れはない。

そう抗議すると……グウェンが頬を緩めた。

 

 

「分かってるわね、ローラ」

 

「確かに。この感じはこう……幼い感じ?」

 

 

グウェンとローラが好き勝手な事を言う。

 

 

「私は別に幼くない」

 

 

そう否定すると……ローラが苦笑した。

何故、苦笑するのだろうか。

 

グウェンが私を微笑ましそうに見て……ローラを一瞥した。

 

 

「そういえば、今日は何の予定なの?」

 

「予定?あー、それはね──

 

 

ローラが頬を吊り上げて、露骨に笑った。

 

 

「レッドキャップをブン殴りに来たのよ」

 

 

……あぁ、どうやら、彼女は私を殴りに来たらしい。

少し、冷や汗をかいた。

 

グウェンもちょっと、困惑した顔で……私をチラチラと見ていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

アベンジャーズ・タワーの食堂は、エージェント候補生を含む『S.H.I.E.L.D.』構成員なら無料で利用出来る。

 

更に、美味しい。

 

福利厚生という奴だ。

 

 

ビュッフェ形式なので好き勝手に取ってきたが──

 

 

「ミシェル、野菜も食べないと」

 

「…………」

 

 

私の机の上には緑黄色野菜のサラダが置かれていた。

グウェンが勝手に取ってきて、追加で置いた物だ。

 

思わず、顔を窄める。

 

余計なお世話……とは言わない。

彼女なりの心配から来る行動なのだからと……フォークを突き刺して、ピーマンを齧る。

 

うぐっ。

 

 

そんな私の様子を見て、ローラが笑った。

 

 

「ふふ、好き嫌いしてると身長伸びないわよ?」

 

「そういうローラこそ、肉ばっかり」

 

「私は良いのよ」

 

 

横暴だ。

確かにローラは……大きい。

身長は私より大きいし、スタイルも良い。

 

眉を顰めながら、ブロッコリーを頬張る。

 

ローラは『S.H.I.E.L.D.』の構成員ではないが、申請してゲストカードを発行して貰ったらしい。

つまり、歴とした客人扱いであり、食堂の利用も可能だったらしい。

 

食堂の隅っこ、白くて丸いテーブルを三人で囲む。

私、グウェン、ローラの三人だ。

 

少し、胃が痛む。

これは野菜が原因ではなく、緊張が原因だ。

 

グウェンが私を一瞥し……ローラに視線を戻した。

 

 

「ローラ、さっきの話だけど……」

 

「さっき?」

 

「あの……ミ、レッドキャップを殴るって話」

 

「あー、それ?」

 

 

ローラがステーキに勢いよく、フォークを突き刺した。

 

 

「私の父親が一時期アベンジャーズに入ってたのって、知ってる?」

 

「初耳だけど?」

 

 

グウェンが首を傾げる。

父親……というより、ローラの遺伝子元……ウルヴァリンの事か。

今はミュータントチーム、X-MENのメンバーだった筈……まだフューリーと交流があったのか。

 

 

「まぁ、それ経由で『S.H.I.E.L.D.』とも連絡が取れてね、レッドキャップが投降したってのを聞いて…………あ、グウェン、この話は機密情報だから秘密ね?」

 

「…………はは」

 

 

グウェンが苦笑しながら、また私を一瞥した。

……私は今、全力でポーカーフェイスを遂行していた。

 

 

「というか、グウェンはそもそも『レッドキャップ』って知ってるの?」

 

「……えぇ、まぁ。会った事もあるわ」

 

 

嘘は言ってない。

現在進行形で会っている最中だが。

 

 

「へぇ。素顔は見たの?」

 

「……えぇ」

 

「どんなのだった?」

 

 

グウェンがまた、私を一瞥した。

責めるような視線ではなく、ただただ、どうしたら良いか分からない困惑したような顔だった。

 

彼女が私の正体を曝け出すのは……無理だろう。

私が言うしかない。

 

だが、タイミングを逃していて……逃し続けていて、私も困っている。

 

 

グウェンは黙っている私に引き攣った笑みを浮かべながら、口を開いた。

 

 

「えっと……まぁ、普通だったわ」

 

「普通?」

 

「えぇ……どこにでもいる、普通の女の子って感じ」

 

「……ふーん?」

 

 

あんまり納得していないような顔で、ローラが頷いた。

そして、私を一瞥した。

 

 

「ミシェルは?」

 

「え?」

 

「レッドキャップって知ってるの?」

 

 

…………知っているとも。

他の誰よりも、詳しい。

 

 

「……うん」

 

 

私は小さく頷いた。

グウェンが視界の隅で落ち着きもなく慌てていた。

 

 

「知り合い?」

 

「……まぁ、そんな所」

 

 

今、言うべきだ。

自分が『レッドキャップ』なのだと。

お前の母親を殺したのは私だと、言うべきなのだ。

 

 

「ローラ……」

 

「何?」

 

 

ローラは気楽な表情で、コップに入った水を飲み始めた。

 

 

「私がその、『レッドキャップ』……だから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ、げほっ、ごほっ、は!?」

 

 

ローラが咽せて、咳き込む。

私とグウェンが慌てて、彼女の背中を摩る。

 

結構、大きな声を出したが……周りに人はいない。

態々、食堂の奥の方に座っているからだ。

時間も昼過ぎで、ピークは過ぎ去っている故に人も少なかった。

 

息を深く吐いて……ローラが困惑した顔で私を見た。

 

その表情は怒りではなく、困惑だった。

 

 

「あ、あー、え?あれ?タチの悪い冗談?」

 

 

ローラが助けを求めるようにグウェンに視線を向ける。

しかし、彼女は本当だと首を横に振った。

 

 

「……ローラ、話すのが遅くなって、申し訳ない」

 

「……あ、これってマジなやつ?」

 

 

私が謝罪するも、彼女は飲み込めていないようで……両腕を組んで頭を捻った。

ブツブツと何かを呟いて……私に視線を戻した。

 

 

「……えーっと、久しぶりになる、のかしら?」

 

「……マドリプール以来」

 

「そ、そうね?……って──

 

 

ローラが首を横に振った。

 

 

「私の知っている奴と全然違うんだけど……!?」

 

 

……あぁ、そうだ。

あのマスクを被っている時の私は仕事モードだ。

口調や雰囲気も、仕事がし易いように切り替えている。

 

結び付かなくて当然だ。

 

 

「仕事中はちょっと、威圧的になってる……かも」

 

「ちょっとじゃなくない?」

 

 

ローラがグウェンを一瞥した。

彼女も肯定の意味を込めて頷いていた。

 

 

「それでも、私が『レッドキャップ』。貴女の──

 

 

震える唇で、言葉を口にする。

 

 

「母親を、キニー博士を殺したのは……私」

 

 

キッチンテーブルを囲んで、沈黙が場を支配した。

グウェンは私とローラの関係を知らなかったようで、驚いた顔でローラを見て……心配するような顔で私を見た。

 

ローラは……少し、眉を顰めて、頷いた。

 

 

「そう、アンタが」

 

「……うん」

 

 

服の裾を掴む。

 

私は自身の『罪』から逃げないと誓った。

黙っていれば、なんて出来ない。

 

 

「……ちょっと、立って」

 

 

ローラに促されて、私は立ち上がった。

続けて、ローラも立ち上がって向き合う。

 

 

「ちょっ、と、ローラ」

 

「ごめん、グウェン。これだけはちょっと譲れないから」

 

 

グウェンが私を心配そうに見る。

それに対して、大丈夫だと頷く。

 

 

「今からブン殴るわ」

 

「……気が済むまでで良い」

 

 

そのやり取りにグウェンが制止しようと口を開いて──

 

ローラが手を振り上げて──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぺちり。

 

 

と私の頬を軽く叩いた。

 

 

…………あれ?

 

 

「はい、終わり。これでチャラにしてあげるわ」

 

「え、えっと、ローラ?殴るって──

 

「殴ったでしょ?顔を」

 

「い、いや……」

 

 

そうじゃないだろう。

私は彼女の母親を殺したのに、こんな……。

 

ローラが椅子を引いて、座りながら口を開いた。

 

 

「元々、アンタの事はそんなに恨んでなかったの」

 

「……どうして」

 

「マドリプールで話したでしょ?アンタも……レッドキャップも被害者だったってのはよく分かったから」

 

「……だが」

 

「ランチが冷めちゃうから、取り敢えず座らない?」

 

 

そう言われて……私は渋々、椅子に座った。

 

 

「アンタがもっと、ふてぶてしかったら全力で殴ったけど……そんな顔をされちゃあね」

 

「……顔?」

 

 

私は自分の顔を手で撫でる。

よく分からなかった。

 

 

「自分を責めてる人間を、そんな申し訳なさそうにしている女の子を殴れるほど、私は暴力的じゃないのよ」

 

「……そう、ごめん」

 

「いいの。元々、こうやって『レッドキャップ』だった人と話したくて……ここに来たから」

 

 

その言葉に、私は目を伏せた。

 

ローラ・キニーは……復讐よりも、自身の善性に従う事を選んだのだ。

その決意は生半可な自制心では出来ないだろう。

 

彼女は争う時、『クズリ(ウルヴァリン)』のような凶暴さを見せていたが……それ以上に、強靭な精神力も兼ね備えていたのだ。

 

敵わないな。

そう、思った。

 

 

直後、黙っていたグウェンが口を開いた。

 

 

「ちょっと、二人とも……驚かせないでよ」

 

「ん……ごめん」

 

「えー?良いじゃん、丸く収まったし」

 

 

ローラのぞんざいな返事に、グウェンがキレた。

 

 

「そういう訳じゃなくて!さっき、メチャクチャ怖かったんだから、そういうのやめてよね!」

 

 

グウェンは終始、ハラハラしていたのだろう。

胸を撫で下ろして安心した拍子に、色々と言いたい抗議が溢れてきたのだ。

 

ギャイギャイと騒ぐグウェン。

それを微風のように受け流すローラ。

 

私は、そんな二人を見て……頬が緩んだ。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

少しして。

食事も終了して、食後のコーヒーを飲みながら談話をしていると──

 

 

「おい、ローラ。そろそろ帰るぞ」

 

 

ふと、そんな声が聞こえた。

私の背後……振り返ると──

 

 

「あ」

 

 

決して大きくはないが、大きく見える男が立っていた。

 

身長は大きくない。

私より少し大きい程度だ。

 

だが、全身の筋肉は発達しており……それが身体を何倍もの威圧感を生み出していた。

 

強面で、髭も濃い。

黒く、無造作に伸ばされた髭はもみあげと繋がっていて……毛深い。

 

ファーの付いた茶色のコートをきた男性だ。

 

 

「あー、ごめん。二人とも。じゃあ私帰るから」

 

 

ローラがコーヒーを一気に飲んで、立ち上がった。

 

私の背後に立っていた男は片眉を上げて、私とグウェンを一瞥した。

 

 

「二人はローラの友人か?」

 

 

グウェンが頷いて……私も、一応、頷いた。

友人、というには烏滸がましいかも知れないけれど。

 

そんな私達の様子に、男は頬を緩ませた。

 

 

「そうか。ローラが世話になったな。コイツは友人が少なくて俺も心配を──

 

「もう、もう!良いから!」

 

 

ローラが男の背を押して……無理矢理、机から引き剥がそうとする。

 

 

「な、ちょっとぐらい話しても良いだろう?」

 

「恥ずかしいから辞めてって!」

 

 

女子大学生ぐらいの、歳頃のローラはこうやって世話を焼かれるのが嫌らしい。

……いや、私は世話を焼いてくれる保護者なんて居ないから、気持ちは分からないけれど。

 

……しかし、目の前の男。

何となく、誰なのか……分かっているが、確証は持てない。

 

気付いていないフリをしよう。

そうしよう。

 

 

「それじゃあ、二人とも。またね」

 

「えぇ、またね」

 

「うん、また……」

 

 

私が手を振ると……ローラは手を振り返してくれた。

少なくとも、彼女は私のことを嫌っていないだろう。

……なんとも、ありがたくて、申し訳ない話だけど。

 

『さよなら』じゃなくて『またね』か。

確かに、また会えたら……きっと、嬉しいだろう。

 

 

「ね、ミシェル。さっきのってローラのお父さんかな?」

 

 

そんな中、グウェンが私に質問を投げてきた。

 

 

「多分そうだと思う」

 

 

冷めて砂糖が分離してしまったコーヒーに、マドラーを突っ込み掻き回した。

ぐるぐると渦巻くコーヒーを、私は視線を落とした。

 

 

 

私は後悔していた。

 

 

 

追加でミルクや、砂糖を貰えば良かったと。

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