【本編完結】レッドキャップ:ヴィランにTS転生した話 作:WhatSoon
夜、暗闇の中。
携帯電話の明かりだけが私の目に入る。
マンションの自室で、ベッドに横たわり……メッセージアプリを開いていた。
宛先は……ピーター・パーカー。
恋人の名前だ。
……そう思っているのは、自分だけだったのだろうか?
いいや、ピーターはそんな人じゃない。
不貞を働くような人じゃない。
だけど、私は──
私は、自分の事を信じられない。
彼に愛してもらえる資格はあるのか、信じる事は出来ない。
……震える指で、文字を打ち込む。
『ピーター、今日のバイトはどうでしたか?』
真っ直ぐには、訊けない。
浮気しているのか、なんて。
他に好きな人がいるのか、なんて。
もし、本当に『そう』だったとしたら私は──
小さく電子音が鳴って、返信が来る。
『凄く大変だったよ』
……大変?
誰か知らない女の子と手を繋いで……それが?
胸の中でモヤモヤと立ち込めるのは嫉妬か、それとも悲しみか。
……後者だ。
嫉妬できるほど、私は自惚れていない。
『何のバイトでしたか?』
『デイリー・ビューグルだよ。事務所の模様替えだか何だかで……ジェイムソンが業者を呼ぶのを渋ったんだ』
……片付けの模様替え?
『今日はずっとデイリー・ビューグルに居ましたか?』
『そうだよ。凄く埃まみれになっちゃって、参ったよ』
指が止まる。
口が乾く。
デイリー・ビューグルがある場所と、私がピーターを見かけた場所は……少し距離がある。
嘘?
どうして?
……震える手で、携帯電話を握る。
訊けばいい。
訊くだけでいい。
他の女性といたか、誰かと手を握っていたかと、そう訊けばいい。
酷く、動悸をしながら……文字を打った。
『ピーターは最近、誰か女性と親しくなった?』
あ、あ、ダメだ。
取り消そう。
こんなの、疑っているような物だと──
『いいや?僕ってモテないからね。ミシェルだけだよ、親しいって呼べるのは』
手が、止まる。
瞬きも忘れて、息も止めた。
ほんの少し、だけど永く感じられる苦痛の時間に……深く、息を吐いた。
「……ピーター」
溢れた名前。
滴る涙。
渦巻く悲しみ。
「私……」
携帯電話を枕元に置いて、布団の中で蹲る。
「そんなに、ダメだったかな……」
枕を濡らす。
枕元に置いてあるクマのぬいぐるみを、強く抱きしめた。
「面倒な恋人だったかな……」
ピーターは私以外に好きな人がいるのだろう。
そして、その密会を邪魔されたくないから……私に、嘘を?
「重かったのかな……」
違う。
ピーターはそんな事しない。
そんな、不義理な事はしない筈だ。
だけど、どうして。
自分が見た景色を疑う事は出来ない。
アレは紛れもなく現実だった。
「……う、うぅ」
ぬいぐるみを抱きしめる。
だけど、抱き返してはこない。
ピーターは……私を、抱きしめてくれたのに。
「……ピーター」
未練がましく、そう呟きながら……まるで擦り傷を負ったかのようにズキズキと痛む心を、押さえつける。
体の傷は『
だけど、心の傷は……決して、癒えはしない。
「…………ひ、ぐっ」
涙でぐちゃぐちゃに潰れながら、私は布団の中で小さく、縮こまった。
私は無力で、小さな生き物だった。
……携帯電話でコール音が聞こえたけれど、無視をした。
今はただ、彼と向き合う事が怖かった。
これ以上、進むことも、下がることも怖かった。
このまま、恋人という立場に甘えて……ずっと、このままで。
関係を変えずに、少しでも長く。
彼の側に居たかった。
◇◆◇
「……どうしたのだろう」
僕は携帯電話に表示される『応答なし』の表示を眺める。
心配になってかけたけれど、もう寝てしまったのか……出てくれなかった。
「……ミシェル」
先程の会話の内容、僕の浮気を疑うような言葉。
……浮気?
する訳がない。
そもそも、ミシェル以外に親しい女性なんていない。
居たとしても、浮気なんてしないけれど。
僕は彼女が好きだ。
他の誰よりも、僕の中で優先するべき女性だ。
自分に中に全てを投げ打っても、彼女を助けたいと思える程に。
それなのに。
「……なんで」
今日は話した通り、デイリー・ビューグルでバイトしていた。
重い荷物の持ち運びは僕にとっては簡単な事だけれど、ジェイムソンが1ミリ単位で拘って何度も移動させられた時は参ってしまった。
そうして夕方までバイトして……スーツを着て、ちょっと人助けして、今に至る。
誰か別の女性と親しくするような時間はない。
そもそも、する気はないけど。
「…………大丈夫かな」
疑われた事はちょっとショックだった。
だけど、それ以上にミシェルが心配だった。
彼女は……自己肯定感が低い。
僕に捨てられるかも、なんて考えてるのかも知れない。
……いいや、それなら僕が捨てられるかもって疑うべきなのに。
だけど、僕はそんなネガティブな考えは持たない。
ミシェルが僕に、僕の事が好きなのだとアピールしてくれてるから──
「……でも」
僕は?
ミシェルには好きだって、口にしてる。
だけど、それでも……彼女を少し、遠くに置いているんじゃないだろうか。
それを、寂しいと思ってるのだとしたら。
……僕は。
「……ちゃんと、会話しよう。何か誤解があったんだって、言わないと」
僕は彼女が好きだ。
だけど、この気持ちが伝わっていないなら……僕は、どうしたら良いのだろう。
どう、好意を伝えたら良いのだろう。
……僕は布団の中で、ミシェルの顔を思い出していた。
僕に、出来る事は。
◇◆◇
「……ミシェル?」
「え……ぁ、はい」
机の向こう側で、キャプテンが眉を顰めた。
今日も、昨日に引き続いて面談だ。
そして、この後はナターシャとの訓練。
なのに、こんな……呆けていたら相手に失礼だ。
「ごめんなさい、キャプテン」
私が謝ると、キャプテンは少し……悩むような仕草をした。
「何か、嫌な事があったのか?」
「……う、えっと、まぁ……はい」
頷きながらも、こんな事をキャプテンに話せる訳がないと……そう思った。
朝、ピーターから着信がまたあった。
だけど、怖くて……私はそれに出られなかった。
メッセージで『大丈夫?』と来たけれど、それも無視してしまった。
私は最低だ。
心の中だけでもなく、行動も最悪だ。
自己嫌悪しながらも、それでも彼と向き合えなかった。
俯く私の様子に……キャプテンが口を開いた。
「今日の面談はここまでにしよう」
「……え」
キャプテンが立ち上がりながら、手元の端末に何かを打ち込んだ。
「そんな状態では訓練も出来ないだろうから……午後の訓練も中止だな」
「ま、待って……下さい。その、私は──
あまりにも身勝手な理由で、私は人に迷惑をかけている。
その事実に怯えて、遮ろうと立ち上がった。
けれど。
「大丈夫だ。面談も訓練も、君のためにやっている……だから、君が本調子ではないなら優先度は下がるんだ」
「……でも」
「残念だが、私には話せない事なのだろう?別の講師を呼んでいるから……その人と話すと良い」
キャプテンは努めて笑って、私の肩を軽く叩いた。
申し訳なさ、情けなさに……私は頭を下げた。
「……ごめんなさい」
「謝らなくて良いさ。私の方こそ、力になれなくてすまない」
逆に謝られて、下唇を噛んだ。
……キャプテンが席を立って、ドアを開けた。
「少しだけ、待っていてくれないか?直ぐに別の人が来る」
「……はい」
ドアが閉まり、私は椅子に腰掛けた。
誰が来るのだろう。
疑問符で頭を埋めながらも、自身の二の腕を握った。
爪が食い込むほど、強く握る。
私は人に迷惑をかけてばかりだ。
人助けに全身全霊を捧げる彼とは、やはり……。
一人になると自身を責める幻聴が聞こえる。
私は、私は……私なんて。
自分を詰りながら、その言葉に傷付いて、心を苦しめて。
人は落ち込む時、一気に落ち込むものだ。
悪感情に思い出が引き摺られ、後悔が生まれていく。
あの時、あぁしていれば良かったのに。
あの時、こうしていれば良かったのかな。
なんて──
……誰かの足音が聞こえる。
歩いている……いや、小走りで誰かが来ている。
強化された聴覚が、その『誰か』の正体を教えてくれる。
ドアが勢いよく開いた。
「ミシェル……!」
「……グウェン」
さっきまで訓練していたであろう、汗をかいたグウェンがそこに居た。
キャプテンは彼女を呼んだのか……訓練を中断してまで……呼んだんだ。
また、人に迷惑をかけてしまった。
彼女は私の顔を見て、ギョッとした。
「何があったの?」
冷静ではないのだろう。
だけど、冷静を装って……私の前に座った。
彼女の顔には『心配』という言葉が出ていた。
「……た、大した事じゃないから」
「そんな訳ないじゃない……!」
そう遮られて……グウェンは張り詰めた表情で、机を乗り出した。
「もう、そういうのは無しなんじゃないの……!?」
「そういうの……」
……グウェンは、私の隠し事を極端に嫌っている。
私が彼女に黙って
……私は、観念して口を開いた。
知らない女性と手を繋いでいた事を。
そして、それを隠していた事を。
グウェンは険しい顔をしながら、黙って聞いていた。
……そして、怒りで眉を顰めて口を開いた。
「……バカね」
私は……机の下で指を組んだ。
こんな事を話してしまったら、グウェンはピーターを──
「ミシェル、貴女はバカよ」
「……え?」
違う。
彼女が怒っていたのは、私に対してだった。
「そりゃあ私も、あのピーターってのは気に入らないけど……でも──
グウェンは怒った表情で、腕を組んだ。
「アイツが口にした言葉は信用しているの。ミシェルが幸せになれるように、頑張るって言ってたでしょ?」
「……うん」
「それはきっと本当よ」
諭すように、私に言葉を投げかける。
「確かに頼りないし、ちょっとどうかと思うけど……でも、そんな事をするような奴じゃないわ」
「……グウェン」
想像よりも、ピーターに対する評価の高かったグウェンに、私は驚いた。
そして、彼女は私の頭を……優しく叩いた。
「うっ」
「貴女が信じなくてどうするのよ。どうしてそう、浮気されるかもって思ってしまうの?」
「だって、私は……私なんて──
俯いて、目を伏せる。
ネガティブな言葉が幾つも浮かんで、それを口にしようとして──
「もう!」
また頭を叩かれた。
今度は少し、強めだ。
「グウェン……?」
「ほんっと、に……もう……根っこの部分は治ってないのね」
ボソリと、グウェンは呟いて……また、私に視線を向けた。
「ピーターとは話したの?」
「え、えと……」
私は携帯電話に、ピーターからの着信があった事を思い出した。
そして、その着信を無視した事も。
「……して、ない」
「一度、会って話しなさい」
「……でも、私──
「怖くても、ちゃんと勇気を持って向き合わないとダメよ。自分の本音で、話し合うの」
グウェンがまた、腕を組んで頷いた。
そして、口を開いた。
「ピーターはそんな事するような奴なの?」
「……ううん」
「もう分かってるんでしょ?」
「……うん」
そうだ。
そうだった。
私が「どうであろうと」、ピーターは浮気なんかするような人じゃない。
どうしてこんな事も分からなかったのだろう。
「……グウェン、私……ピーターと会ってくる」
「そうね」
「会って、ちゃんと話してくる」
「えぇ、そうしなさい。それがベストよ」
私は席を立って、部屋から駆け出ようとして……グウェンの方へ振り返った。
「……ごめんなさい、グウェン。迷惑かけ──
「気にしてないわよ。友達なんだから、迷惑なんて思ってないわ」
彼女が親指を立てて、私は頬を緩めた。
「ありがと、グウェン」
感謝の言葉を吐いて、面談室から出た。
エレベーターに乗って、一階に。
受付の前を通って、アベンジャーズタワーの外へ。
快晴だ。
青空の下で、私は深く息を吸って……吐いた。
ピーターは今日、休みだった筈だ。
家にいる、のだろうか。
あぁ、そうだ。
電話だ。
電話にちゃんと、折り返さないと。
懐から携帯電話を出す。
着信履歴が……朝から一件増えている。
……心配、かけてる。
「……うっ」
ごめんなさい、ピーター。
私は携帯電話の発信ボタンを押して、電話を──
ピロピロピロ。
着信音が聞こえた。
私の携帯電話からじゃない。
だって今、発信したところだから。
ふと、音の聴こえた方を見ると……アベンジャーズ・タワーの前で──
「あっ」
ベンチに腰掛けているピーターの姿があった。
まだ、私に気付いてはいないみたいだけれど……慌てて、携帯電話を取り出しているのが見えた。
『も、もしもし!ミシェル!?えっと──
「……ピーター、そこで何してるの?」
そう言うと……ピーターは辺りを見渡して……出口の側にいる、私に気付いたようだ。
携帯電話の通話を切って、私の側に駆け寄ってきた。
「いや、ちょっと、ごめん。心配で……その、来ちゃったって奴、なんだけど……」
少し、汗をかいていた。
疲れていたからじゃないだろう。
焦っていたからだ。
「ごめん、ピーター。電話に……出なくて」
「い、いいよ。それは気にしてないから、それよりも、その──
ピーターは少し、言葉を選んで──
「大丈夫?」
出てきたのは心配の言葉で、私を責める言葉ではなかった。
そして、何があったのかと問い正すような質問でもなかった。
ただ、単純に……彼は、私を心配していたのだ。
そう思うと……昨日と、今朝の自分を責めたくなった。
「ピーター……その、話したい事があって」
「うん、いいよ。何でも言ってよ、何でも聞くから」
食い気味に頷くピーターに……少し、頬を緩める。
それと同時に、やはり罪悪感が湧いてしまった。
「今から、その……ピーターの部屋に行ってもいい?」
「うん、ここで話せない事なら……話しやすい場所で良いからさ」
ピーターに手を握られて、先導される。
……私はその手を、恐る恐る握り返した。
強く繋ぎ合う。
……どうして、疑ってしまったのだろう。
酷く後悔しながら、それでも。
彼の優しさに、私は……ボロボロになっていた心が癒やされていくのを感じてしまった。
どうかこの浅はかな羞恥心に、気付かれないように。
そう願いながら、私は手を引かれて……歩き出した。
◇◆◇
記憶を失った後、何度も通った一室。
ピーターの部屋で……私はベッドに腰掛けていた。
手元にはマグカップ。
彼の部屋に置いてある私用のマグカップは、湯気を出していた。
ホットミルクだ。
ピーターが落ち着けるようにと、入れて温めてくれた。
それを口に含む。
優しい甘さと、温かさに……少し、落ち着く。
息を吐くと……自分のしでかしてしまった事に、向き合わなければならないと、そう実感した。
「ピーター……」
「うん」
隣にピーターが座った。
両手を、膝の上で組んで……私の側で、私の顔を見てくれる。
今はただ、全身で私と向き合ってくれていた。
「その、私ね──
ぽつり、ぽつりと。
不安を、恐怖を、考えてしまった事を口にする。
ピーターが知らない女性と居た所を見てしまった事を。
捨てられるかもしれないと考えてしまった事を。
それをピーターは時々、相槌を打ちながら……聞いてくれた。
そして──
「ミシェル」
「……は、い」
ピーターの呼びかけに、身を縮こめた。
私の感じた不安は、ピーターに対する不信感だった。
それはピーターからすれば面白くない話だろう。
「まずはその、ごめん」
「……え?」
何の謝罪なのか、心臓が早鐘のように脈打つ。
「ミシェルを不安にさせてしまって」
「……う、あ、えっ、ううん。私、が悪い……から」
安心して……安心してしまった自分の浅はかさに嫌になった。
マグカップに中で真っ白なホットミルクが……渦巻いた。
「……その、昨日?知らない女性と一緒にいる所を見たって話だけど──
「……うん」
「それは多分、僕じゃないと思う」
ピーターの言葉に、私は首を傾げそうになる。
違う?
でもあれは確かに、ピーターだった筈だ。
見間違い、なんかじゃ──
「君がいるのに、他の女性と手を繋いだりなんかしないよ。そこはその……僕を、信じて欲しい」
真摯な瞳が、私を見つめている。
やましい所はない、そう言っている目だ。
……信じて欲しい、か。
「……うん、分かった」
信じていなかったのは……私が、私が悪い。
本当にどうかしている。
いくら私であろうとも、ピーターは捨てたりしない。
それは分かっていた筈なのに。
震える唇を、私は開く。
「ごめんね、ピーター」
「……いいや、僕の方こそ」
「ううん。私、最低だった……勝手に、こんな……事……迷惑、かけて。その、私……」
震える。
マグカップの中のミルクが揺れる。
怯える。
恥ずかしい。
怖い。
情けない。
目を強く瞑れば、小さく涙が──
「ミシェル」
ピーターが私の名前を呼んで……マグカップを持つ私の手を、上から覆った。
それは少し力強くて、優しくて……心地よかった。
◇◆◇
ミシェルは……今回の件はもう、納得してくれている。
不幸な勘違いが原因だったのだと、何か見間違いが原因だったのだろうと……納得している。
僕の事も信用してくれている。
解決?
……いいや、違う。
根本的には何も解決していない。
「ミシェル」
彼女の手をマグカップの上から覆う。
触れた瞬間、少し震えて……少しずつ治っていく。
振り払う事もなく、僕の手を受け入れた。
「ピーター、わ、私……私は──
自己を責めるような言葉を口にしようとして──
「ミシェル、僕はね」
遮った。
「僕はミシェルに、自分を好きになって欲しいんだ」
僕の……願いを口にする。
今回、こうも拗れてしまったのは……きっと、今までの僕の態度も原因かも知れないけれど、一番の要因は……彼女の自己肯定感の低さが原因だ。
僕に対する信頼よりも、自分自身に対する不信感が勝ってしまった。
「でも、私、なんか……」
彼女は自分を好きになれない。
信じられない。
それは、ずっと行っていた凶行の為か。
人を殺して生き延びてしまった故の、罪悪感からだ。
……驕らないのも、謙遜するのも美点だ。
だけど、限度がある。
彼女のそれは精神に対する自傷行為だ。
己を罵倒して傷付ける事で、罪の意識を和らげている。
分かっている。
だから、口にしなければならない。
「ミシェルは……自分の事を、信じられない……よね?」
「……うん」
「それなら──
自分を信じられないなら。
「そんなミシェルを好きになった僕を、信じて欲しいんだ」
僕を信じて欲しい。
「……ピーターを?」
「僕じゃなくても良い。グウェンや、ハリー、ネッド……他の人達だってそうだ。みんな、ミシェルの事が好きなんだ。幸せになって欲しいと思ってる」
僕の言葉に……ミシェルは否定しなかった。
彼女は他人の善意に気付いている。
その善意の源は──
「人が良くしてくれているのは、君が良い人だからだよ」
「私が……」
「そう。ミシェルを助けたいと、幸せになって欲しいって……そう思うのは、君が良い人だからだ」
言葉を選びながら、彼女の怯える瞳を見つめる。
僕は目を逸らさない。
彼女も目を逸らさなかった。
「自分を卑下しないで欲しいんだ。僕達が好きになった君を……少しは、信用して、好きになって欲しいんだ」
「……ピーター」
僕がそう言うと……ミシェルは少し眉を顰めて、口を小さく開いて閉じて、目を逸らして……戻した。
「……ごめんなさい」
「ミシェル……」
ダメ、だったのだろうか──
「あと、ありがとう」
いいや、少しは期待して良いのだろうか。
「……ミシェル」
「分かってる……もう、大丈夫」
ミシェルは空になったマグカップを机の上に置いた。
揺れていた瞳は元に戻って、震えていた唇には色が戻っていた。
いつもの彼女、ミシェル・ジェーン=ワトソンに戻っていた。
「ありがとう、ピーター。私、努力するから」
「……そっか」
何の努力を、とは訊かない。
分かっている。
自分を好きになるための努力なのだろう。
「私、みんなの好意を後ろめたいと思ってた」
「……うん」
「だけどもう、そう、思わない……ようにする」
彼女の自己肯定感の低さは、筋金入りだ。
それでも、それを直そうとする意思は……確かに、彼女に芽生えていた。
今は『そう』じゃなかったとしても、『そう』なれるように努力していくこと。
それは、努力していない時とは……天と地の差がある。
彼女は今、一歩を踏み出したんだ。
「私、向けられる好意を……少しは誇らしいと思えるように……なりたい」
「うん、それは良いね」
肯定して頷く。
ミシェルが小さく、本当に小さく笑った。
「ピーター、ありがとう。いつも」
「良いよ。僕だって、ミシェルに助けられてるから」
僕だって、時々、夜……暗闇の中で独り寝ていると……どうしようもなく、自分の事が情けなく思える時がある。
僕も、僕に対する自信はない。
そこは僕だって同じだ。
似たもの同士と言ってもいい。
それでも、僕が孤独を感じないのは……ミシェルがいるからだ。
僕の事を好きだと、そう言ってくれる彼女の存在が……僕の自尊心を奮い立たせてくれる。
……だけど、そんな事を知らないミシェルは首を傾げた。
「でも、私……ピーターの手助けなんて──
「一緒にいるだけで僕は救われてるよ。こうして、側にいてくれるだけで……僕は凄く、幸せだから」
そう言うと、ミシェルは目を細めた。
眉尻を下げて、頬を緩めて……笑った。
「私も、ピーターと一緒にいられて幸せ」
「うん……そうか、そうだね。ありがとう」
「私の方こそ……ずっと、感謝してる」
笑い合って……少し、視線を下げた。
少しの間そうして。
黙って二人で側にいて。
小さなボロいアパートの一室だけど。
それでも、凄く幸せな空間だった。
とても、幸せだった。
時間が経って、どれほどそうしていたのか……分からなかったけれど。
ミシェルが僕を見た。
その表情は意を決していて、張り詰めた表情だった。
僕は少し待って。
彼女が口を開いた。
「ピ、ピーターは──
声は、震えていた。
「その、どうして私の、えっと──
怯えている、というよりは恥ずかしそうにしていた。
「私と、しないの?」
しない?
する。
しない。
つまりえっと、『そういう』事だろう。
心臓の音が大きくなる。
彼女の唇が、艶やかに見える。
彼女の直接的なアピールに、僕は目が離せなくなった。
頬の赤みにドキリとして、それでも──
「だって今は……その、忙しいよね?お互いに」
「……ピーター」
「僕ってまだ、学生ですらないし……責任を持てないから──
幾つも理由を探して。
しない理由を見つけて。
ふと、ミシェルの顔を見た。
悲しそうに、していた。
酷く、悲しそうに。
「あっ」
そうか、そうだ。
ミシェルがこうも僕の好意を疑ってしまったのは……彼女のアピールを僕が無下にしてしまっていたからだ。
自身の魅力を疑って、僕の好意を疑うには十分な理由だった。
僕は彼女を傷付けていたんだ。
僕は、口を閉じた。
自分を恥じた。
「……ピーター?」
そうだ。
彼女だって、大きな決意を持って、僕に……その、アピールをしていたのだろう。
恥ずかしかった筈だ。
勇気が必要だった筈だ。
僕を喜ばせようと、色々……してくれていたのに。
なのに、僕は逃げていたんだ。
彼女の好意から。
理由も告げずに、一方的に。
最低だ。
「……ごめん、ミシェル」
小さく、そう呟いて。
「その……もう逃げないから」
「……ピーター」
心臓は高鳴る。
将来の心配だとか、そういったものは……今はただ、横に置いておこう。
今、僕にできる事は──
「……ミシェル」
愛しているのだと、強く……そう教える事だった。
彼女の肩に手を乗せて……もう、何度もしてきた口付けを……した。
だけど、いつものとは違う。
何倍も、何十倍もドキドキした。
それはきっと、ミシェルも同じだ。
唾液が、混じる。
絡まる。
いつもと同じ、だけど少しだけ違うキスをして……唇を離した。
互いの唇が糸を引いた。
「ぅ……ピ、ピーター?」
彼女は頬を赤らめて、そして……この行為の意味に気付いた。
そして、これからの行為を……予感したのだろう。
少し驚いたような表情をして、顔を強張らせた。
僕は……口を開いた。
「い、いいかな?」
緊張でカチコチに固まってしまっている僕は、辛うじて……そう訊いた。
「……う、うん。お願い、ピーター」
ミシェルは同意して──
そして──
その日、僕は彼女を抱いた。