【本編完結】レッドキャップ:ヴィランにTS転生した話 作:WhatSoon
私はこの世界が好きだった。
だけど、嫌いだった。
死にたかった。
生きていたかった。
逃げたかった。
そこに居たかった。
愛している。
憎んでいる。
愛憎を抱いていた。
「……嘘だ」
だが、過去がどうであれ……滅んで欲しいと願った事はない。
愛している人が、好きな人達が生きている世界を……守りたいと願っていた。
「私は信じない……」
ロキの言葉を否定する。
彼は嘘吐きだ。
これは策略だ。
……だとしても、心の奥底で納得はしていた。
エンシェント・ワンが危険視する理由、なのに未だに流れ込んでくる別世界の記憶。
それが導き出す、答えに……気付いていた。
ロキは苦笑しつつ、足を組んだ。
「信じようと、信じまいと──
自身の顎を指で触った。
「私には君の、その力が必要なんだ」
「……っ!」
私は席を立った。
恐れから、後退る。
もし、先ほどの言葉が真実だとして……ロキは、私の記憶を使って何をするつもりだ?
いや、記憶が目的ではなく……この『
「ロキ、お前の目的は──
「そう恐れなくていい」
ロキが指を鳴らした。
パチン、と音がして──
また椅子に座っていた。
「…………うぷっ」
目眩がした。
吐き気もだ。
脳が痛む……これは、マインド・ストーンによる洗脳で……脳に負荷がかかっているのか?
「私の話を聞いてからでも遅くはない。安心していい、誰も不幸にならない……
「…………」
今の状況は万全とは言い難い。
少しでも身を、脳を休めなければならない。
「さて、君が先程訊いた質問。私の目的についてだが──
ロキは真剣な表情で、私を見た。
「運命に打ち勝つ為だ」
「…………?」
訝しむ。
随分と抽象的な言葉だったからだ。
そんな私を無視し、ロキは語る。
「私は生まれながら負け続ける事を定められている。兄上や、この世界に」
「……そう」
相槌を打ちながら、耳を傾ける。
傾けてしまった。
「私は敗者になるべく定められている。まるで道化のようだ。私の敗北を誰もが笑う」
「…………」
何が言いたいのか、何が目的なのか。
「私は
「……え?」
……思わず目を瞬く。
「君と同じさ。私は過去を精算し、素晴らしき未来のために乗り越えたい。だが、世界はそれを許さない」
「……ロキ」
同情なんかしない。
したら、それは奴の術中だ。
「世界は私に悪人として負け続ける事を定めている。運命として」
「…………」
「私は善人になれはしない。なろうとすれば、邪魔が入る」
「……それは──
ロキの話している言葉の意味が分かった。
彼は
そうあれ、と願われて生まれた『キャラクター』なのだ。
だから、その在り方を替えるのは……容易な事ではない。
「私が善人になれる世界を見たい。そして、それを模倣する……私を笑うか?」
「……いや」
「だろうな。君は私を笑う事は出来ない」
何故なら、同じだからだ。
過去を清算し、善人になろうとする……私と同じなのだ。
だから、馬鹿にする事なんて出来ない。
だけど──
「それがもし本当なら、だけど」
「本当だとも」
嘘だ。
きっと、嘘だ。
ロキは策略、策謀、虚実、嘘の神だ。
信じてはならない。
「話が二転三転してる。私を騙そうと……している」
私は彼を睨み……彼はため息で返した。
そして、椅子から立ち上がった。
「本当なのだが……まぁいい。それなら、感情ではなく実利の話をしよう」
彼が私へと足を進める。
私もまた、椅子から立ち上がった。
「実利……?」
「そう、何も
ロキが一歩足を進めて、私は一歩引いた。
背中に壁がぶつかった。
「私は何も要らない……今のままで、充分」
「現状維持にも対価が必要だろう?誰でも知っている法則だ」
一歩、一歩と私に近づく。
「だとしても、何も──
「君の中にある『
私の頭の横で、彼は壁に手をついた。
顔が近付く。
「…………っ」
そうだ。
確かに、それさえなければ……私は安心して生きている。
両手を振って、生きてもいいと己を肯定できる。
ロキは笑いながら口を開いた。
「動揺しているな?」
「……で、もっ、お前に……眼を渡す訳には──
「私も欲しくなんてない。今は必要だが、いずれは不要になる」
「……何?」
私は眉を顰める。
ロキは頬を釣り上げた。
「私はこの世界を滅ぼしたい訳じゃない。
「……信じられない」
「そうか、そうだとしても……君には魅力的な提案ではないかな?」
私の真横で壁についていた手を引き戻し、数歩離れた。
「君と私は素晴らしい友人になれる。だから、君の願いを言うんだ」
「……ロキ」
「生きていたいのだろう?誰にも迷惑をかけたくないのだろう?それなら、答えは分かっている筈だ」
「……でも──
「君に秘密を教えなかった人間達なんて気にしなくていい。彼らは君を信用しなかった。秘密にしたかったんだ」
「そん、な事は──
「ある。あるとも。世界を守るためならば、彼らは何でもする。だから、いずれ君を殺すつもりなのだ」
ロキは私の手を握った。
振り払えなかった。
「……ち、違う」
私より強い握力だからか。
それとも、私の心が弱いからか。
「君には分かる筈だ。君はもし、世界を危機に晒す人間がいればどうする?取り除こうとするだろう?」
「……い、いや」
「分かるだろう?理解しているだろう?正しいと感じただろう?」
「や、め……」
「私に協力すれば全てが解決する。悩みもなく、好きな恋人と共にいれる。さぁ、だから──
ロキの緑色の目が、輝く。
マインド・ストーンが視界に入った。
「私に、見せてくれ」
意識が曖昧になり……心の隙間に、滑り込まれた。
◇◆◇
「……容易いものだ」
そう、呟く。
この言葉は彼女に聞こえてはいない。
彼女の身体能力は凄まじい。
その身に宿している『眼』の力も恐ろしい物だ。
だが、その精神はただの人間でしかない。
ティーンエイジャーの小娘に過ぎない。
「……さて──
私は手に持ったセプターを……マインド・ストーンを使い、私と彼女の精神を直結する。
彼女は内心で、私が正しいと感じた。
感じてしまった。
警戒する人間の魂に入り込むのは難しいが、一度でも心を開いて仕舞えば……為すがままだ。
だから、会話が必要だった。
無理矢理、マインド・ストーンで繋げば……彼女の精神は私を弾き出していただろう。
だが、今なら──
赤と青と緑色が、視界に映り込む。
光が闇が、反射する。
私は地上に存在している身体を脱ぎ捨てて、精神を入り込ませる。
彼女の中に。
暗い世界の中で、泡のように浮き立つ景色。
それは彼女の記憶だ。
そんな物は私には不要だ。
必要なのは──
……あった。
『
「……これは取り除けないな」
彼女の中から持ち去る事は出来ないだろう。
無理に引き剥がせば……眼は崩れ去る。
彼女の精神も崩壊するだろう。
……まぁ、どうでもいい。
好き好んで無駄死にをさせる趣味はない。
約束を守るつもりはない。
これは彼女の問題だ。
兎にも角にも、私はその『眼』にかけられた封印を解く。
黄金色の鎖が砕ける。
既に綻んでいて、砕けるのも時間の問題だったのだろう。
少し早まっただけだ。
「では、借りさせてもらおう」
眼に触れる。
私はカウボーイだった。
私は大統領だった。
私は悪徳業者だった。
私は賞金首狩りだった。
私は宇宙人だった。
私は邪悪なる神だった。
私は子供だった。
私は罪人だった。
私は巨大なワニだった。
私は──
それでも、どの世界でも兄上に打ち負けていた。
驕り昂り、負けて恥をかく。
歯を食いしばり、嘲笑を身に受ける。
それが私だ。
ロキだ。
負ける事によって、誰かを満たす悪人だ。
違う。
違う、違う違う違う違う!
そうではない世界が何処かにある筈だ!
彷徨う。
さすらう。
精神世界では時間の概念などない。
無限に等しい探索は、僅か数秒の出来事でしかない。
無限に並べられた物語を読む。
「……く、そっ……何だ、これは?」
途方もない量の記憶を、物語を読んだ
だけど、それでも私は悪人だった。
打ち負かされる敗者だった。
何事も上手くいかない。
上手く行ったと思えば、破綻する。
それが道化である
「違う、どこかに私が、私が──
彷徨う。
幾つもの世界を見て──
見つけた。
「あ、あるじゃないか……」
私が子供の姿で、若きヒーローと共に戦う世界が。
真に仲間と呼べる物達と共に戦い、兄上に……認め、られ。
なのに──
過去の私が、子供の私を殺した。
善人になろうとする私が、善人である子供の私を殺し……精神を乗っ取った。
「違う……そうじゃない!」
過去の私は、小さな私を殺した罪悪感に苦しんでいる。
その罪悪感の正体を、兄上に知られ……罵倒され、打ちのめされた。
かつて仲間だった若きヒーロー達から、二度と埋まらない溝のような隔たりを作られた。
「そうじゃない……何故だ……何故……」
何もかも、上手くいかない。
私は『ロキ』である以上、敗北する事から逃れられない。
「私、は──
思わず、後ずさった。
精神を後退させた。
させてしまった。
『
私にも認識できない速度で、幾千、幾万もの記憶が濁流のように飽和した。
「しまっ──
見える。
聞こえる。
だが、分からない。
情報が数珠結びのように、繋がっていく。
無限に続く物語が、脳に叩き込まれる。
何千、何万という『
「ぐ、うっ──
バチン!
と、強い音がして、私は彼女の精神世界から吐き出された。
「はっ、はぁっ……!」
息を切らして、汗を滝のように流しながら……彼女に視線を戻した。
彼女は放心していた。
口を半開きにして、僅かに呼吸だけをしていた。
だがしかし、異常な姿だった。
目だ、目がおかしい。
青白く輝いていた。
目が光っていたのだ。
いや、あの光景は見た事がある。
過去にウアトゥを見た時に……眼を輝かせていた。
文字通り、本当に光っていたのだ。
それは世界を見渡す力を発揮した時に、見せた姿だ。
だが、確実にコントロール出来ていない。
彼女はただの人間だ。
「……これは、少し拙い事になったか?」
彼女の周りが歪む。
膨大な情報量が彼女の周りの空間を歪めた。
記憶は『重み』だ。
膨大な量の記憶は、本来存在しない質量を与えている。
それを無際限に……
……つまり、無限という事だ。
無限に『重み』が与えられ続ければ……引力が生まれる。
引力は異なる世界を引き寄せて──
「
異なる世界同士が衝突し、全てが崩壊する。
……それは少しだけ、愉快に思えた。
何も上手く行かないのであれば滅んでしまえば良いと、そう思った。
しかし、そう思ったのは一瞬だ。
私はセプターを構えた。
「……すまないな。こうするしかない」
その先端を槍の穂先とする。
これで彼女の……心臓を貫く。
暴走してしまった『
この記憶の本流を今すぐに止めなければと、そう思った。
彼女を殺す。
それしか道はない。
「……殺すつもりはなかった。だから、謝罪はしよう」
いや、言葉にしながらも……恨まれるだろうと分かっていた。
私だって、こんな事はしたくない。
だが、私は変われない。
この姿から、何も変わらない。
私はまだ悪人のままだった。
セプターを引き、彼女に、突き刺そうと──
火花のような音が聞こえた。
そちらに視線を向けると、
光の、輪が……宙に浮かんでいた。
「……何だ?」
それはまるで、別の空間に繋がっているようで──
瞬間、顔面に何かが……見覚えのある『ハンマー』が直撃した。
◇◆◇
あらゆる物が見えた。
あらゆる世界が見えた。
あらゆる物語が見えた。
それらは私の脳のキャパシティを超えて、莫大な情報量が脳を焼く。
やめて。
もう見たくない。
なのに、無理矢理に眼を開かされて、見させられる。
私がコップだとしたら、水はとうに溢れていた。
なのに、そこに水が注ぎ込まれ続けている。
溢れる。
溢れる。
元あった水を必死に溢れないように、耐えて。
耐えて、耐えて、耐えて。
もう限界だと、何度も思って。
それでも、耐えて。
そして──
「戻ってこい。君の居場所は此処だろう?」
金色の光が、私の視線を遮る。
あまりにも眩しくて、目が眩み……そして、物語は見えなくなった。
眩んだ目が、次に見せたのは……現実だった。
赤いマントを着た、魔術師。
「ドク、ター……ストレンジ?」
ドクター・ストレンジだ。
先程までの状況が何だったかは分からない。
私はまだ混乱していて、酷く頭が痛む。
「そうだ。見えるか?指は何本だ?」
ストレンジが私の目の前で、手を開いた。
「……3本?」
「よし、見えているな」
ストレンジのもう片方の手を見る。
そこには、金色の石……マインド・ストーンが握られていた。
少しずつ、現状を理解し始める。
私がどうなっていたのか、何が起こったのか。
「……っ、ロキ、は!?」
周りを見渡すと、ロキは顔面を抑えて蹲っていた。
そして、それと相対しているのは──
「流石に度が過ぎているぞ。ロキ」
赤いマントに、銀色の鎧。
筋肉質な身体の美丈夫。
その手にはハンマー……『ムジョルニア』。
「……ソー?」
ロキの兄、雷神、ソーだ。
アスガルドの王子にして、キャプテン・アメリカ、アイアンマンと並ぶアベンジャーズのBIG3。
そんな彼が、ここに居た。
「ぐ、ぅ、兄上……随分な登場だな」
ロキは鼻を抑えて……ボキリ、と鳴らした。
そして、口から血を吐く。
痛みに悶えながらも、不可解そうな顔でソーを見た。
「兄上、どうしてここが分かった?」
「それは私が説明してやろう、ロキ」
ドクターが私の側から立ち上がる。
その顔は……酷く、不機嫌そうだった。
ロキはそんなドクターを不愉快そうに見た。
「何だ、
「違う、
視線がぶつかる。
「このニューヨークは
「……厄介な」
ロキの手に、杖は握られていない。
よく見ると……足元に折れた杖、セプターがあった。
ソーのムジョルニアによってへし折られたのか……その先端にあったマインド・ストーンはストレンジが持っている。
私は自身の胸元を撫でる。
先程の情報の奔流は『
だとすれば、今は……ストレンジが再度、封印したのだろうか?
彼の師匠であるエンシェント・ワンが可能だったのだから、彼に出来ても不思議ではない。
ソーが手に持ったハンマー、『ムジョルニア』を構えた。
「呆れて何も言えん。世界を滅ぼそうと画策するなど──
「違う。兄上……それは誤解だ」
ロキが動揺しながら、後退る。
その目は揺れていた。
……見た事のある目だ。
どこで見たか……。
「嘘は不要だ」
「私はっ、そんな事をするために……こんな」
あぁ、分かった。
鏡だ。
過去に鏡で見た。
誰かに失望される事を恐れる目だ。
ロキは自身の兄であるソーに失望される事を恐れているのだ。
しかし、それにソーは気付いていない。
「……もう、何も言うまい。アスガルドの牢獄で、永遠に反省するがいい」
「兄上……!」
ロキの手に、いつの間にか
それを振りかぶり……短い動作で、投擲した。
それをソーは──
「ふん!」
ムジョルニアを回転させ、弾いた。
凄まじい風が発生して、思わず私は目を瞑った。
そして、開いた瞬間には──
ソーはロキに肉薄していた。
そのまま、筋肉の付いた太い腕で……ロキの頭を掴み、床へ叩き付けた。
「があっ!?」
「今回は流石に頭に来たぞ」
メキメキと、木の板で出来た床が砕ける。
ロキは苦しそうに呻き、声を掠れさせた。
その様子を見て、ソーは更に眉を顰めた。
「先日、俺に対して話した言葉も嘘だったという訳だ」
「……ち、違っ──
「善人になると、相応しき者になると語ったではなないか」
ムジョルニアをロキの身体に置いた。
それだけで、ロキは悶絶するような顔をした。
ムジョルニアは高潔な魂を持つ者にしか持てない武器だ。
ロキからすれば、決して退ける事の出来ない重りを乗せられているような物だ。
「ロキ、それがどうした?地上で少女を誑かし、世界を滅ぼそうなど──
「違う、兄上……わ、私は本当に──
「お前の嘘はもう聞き飽きた!弟と言えど、許せん事はある!」
ロキは歯を食いしばり、苦悶の声をあげた。
嘘吐きな悪人にふさわしい、無様な姿だと……道化のようだと、嘲笑うべきなのか。
違う。
笑えない。
笑ってはならない。
笑わせたくなかった。
「違う……」
声が漏れて……ストレンジが私を見た。
ソーが私を一瞥した。
ロキが信じられないような者を見る目で、私を見た。
「……ソー・オーディンソン」
「何だ?」
ソーは眉を顰めて、私を見た。
兄弟間に入ってくるな、と言いたいのだろうか。
だが、それでも──
「ロキの、話している事はきっと……本当の事、だから……」
私は庇わなければならなかった。
ロキが悪人だとしても、その『善人になろうとする意志』を否定して欲しくなかった。
「何故分かる?ロキは大嘘吐きだ。俺は過去に何度も騙されている」
「そうだとしても……身から出た錆だとしても……信じて、あげて欲しい」
ロキが縋るような目から……私を訝しむような顔をした。
何故、私が自分を庇うのか分からないのだろう。
「……もう一度、騙されろと言うのか?」
「ううん、もう一度、信じて欲しいだけ」
私がそう言うと、ソーは腕を組み……悩むような仕草をした。
私はまた、口を開く。
「私はさっき、ロキと……精神で繋がったから、分かる。彼の願いは本物で……こう、なってしまったのは、偶然」
「偶然?」
「悪気は……ないとは言えないけれど、ほんの少しだけ」
私の心に僅かに残っている、ロキの残留思念。
褒められたい、崇められたいという自己顕示欲。
そして、何よりも自身の兄に……認められたいと、願うその心。
その気持ちは分かる。
高潔でないとしても、邪悪ではない。
人並みの願いだ。
「だから──
私が声を振り絞り……瞬間、酷い頭痛がした。
「く、うっ」
吐き気、疲弊、昏倒しそうだ。
マインド・ストーンによる脳の負荷と、
二つが合わさり、私のバイタルは最低値になっている。
「……君は──
ロキが困惑したまま、私に声を掛ける。
「何故だ?何故、私を信じようとする……殺そうとしたんだぞ?」
彼の言葉に、ソーもストレンジも顔を顰めた。
そうか……彼は私を殺そうとしたのか。
きっと、『
それは……理解できる。
私も、その瞬間が目の前で起きれば殺していただろう。
そういう意味でも──
「似てると、思ったから……」
私の言葉に、ソーが眉を顰めた。
「……似ているだと?君と、弟が?」
私は首を縦に振る。
「私には他人事とは思えないから……うぷっ」
頭がくらくらとして、疲弊が限界になった私はバランスを崩して倒れた。
慌てて、ストレンジが私を抱き止めた。
「ごめんなさ、い……ストレンジ……」
「無理はするな……」
「でも……」
私が渋ると、ソーが深く息を吐いた。
そして、ロキに乗せていたムジョルニアを持ち上げた。
「良いだろう。彼女に免じて、もう一度だけ信じてやる」
「兄上……」
「だが、これで最後だ」
ソーがロキの肩を掴んで、無理矢理立ち上がらせた。
数歩よろけて、戦闘の余波で壊れた机に背中をぶつけた。
「そして、幾つか訊きたい事もある。あの杖の事もだ。だから、アスガルドには帰って来てもらうぞ」
「……う、ぐ……仕方、あるまい」
ロキは苦悶の表情を浮かべながらも、どこか嬉しそうに頬を緩めた。
項垂れて椅子に座ったロキから、ソーは視線を外し……私に目を向けた。
そして、歩み寄り──
「感謝しよう」
礼を言った。
ストレンジの腕の中で横たわりながら、私は疑問を口にする。
「……感謝?」
「アレでも俺の弟だ。君の言葉がなければ信じる事など出来なかった」
「そんな、事は……」
「感謝は素直に受け取っておくべきだ。俺も……もう少し、アイツを信じてみよう」
大きな手で、私の頭を乱暴に撫でた。
髪の毛がぐちゃぐちゃになった。
ソーはそのまま、ロキの肩を掴み……ムジョルニアを天に向けた。
その姿を見たストレンジが口を開いた。
「帰るのか?」
「そうだ。お前にも礼を言っておこう、
「……ドクター・ストレンジだ」
「そうか。では、その杖の管理は任せる。さらばだ、
ソーが再度、ムジョルニアを天に向けると──
大きな音がして、ソーとロキの身体を……頭上から虹が貫いた。
そのまま光は轟音を伴い……消失した時、その場にソーとロキは居なかった。
……彼らはアスガルドへ帰ったのだろう。
にしても──
「全く、迷惑な神様どもだ」
ストレンジが吐き捨てた。
虹の架け橋は頭上から落ちて来た。
つまり、私達が居た建物の天井をぶち壊してしまった。
焼け焦げた木屑が砕けた床に降り注ぎ、焦げた匂いが鼻に染みた。
「……ストレンジ」
「何だ?」
「私が生きていれば、この世界を滅ぼすかも知れないって……本当?」
ロキの言葉を思い出し、ストレンジに訊く。
私はロキの言葉を疑ってはいない。
もう、既に確信している。
私という存在の危険性を。
ストレンジは少し目を閉じてから、私を見た。
「本当だ。君の中にある『
「……そ、っか」
私は目を閉じる。
私は、この世界が好きだ。
好きになった。
物語としてだけじゃない。
この世界に生きる人間として、友人と、恋人と、尊敬する人達と出会えた。
……だから、私が生きている事で、もし──
「だが、それがどうした?」
「……え?」
ストレンジは深刻そうな顔もせず、私の言葉を笑った。
思わず、訊き返す。
「だって、私が生きていると世界に危機が──
「それは君が居ても、居なくても大して変わりはない」
抱き抱えられたまま、会話を続ける。
ストレンジは……
なのに、何故──
「ミシェル・ジェーン……あぁ、あとワトソンだったな。君の懸念は分かる」
「だったら、何で……」
「何もなくとも、この
ストレンジがマントを……浮遊マントで私を包んだ。
ハンモックのような寝心地だ。
そして、指を立てた。
「宇宙人、異界からの侵略者、邪悪な魔術師、悪戯の神、悪い天才科学者、巨人、ドラゴン……それらの脅威は君と関係なく訪れた」
「…………」
「だが、この世界は滅んだか?」
ストレンジは地面を指差した。
「滅んでなどいない。危機を退ける者達が居たからだ」
彼が指を弾くと、金色の光が人形を作り出した。
私が敬愛するヒーロー達の姿だ。
「世界の危機なんて、そうそう騒ぐ事ではない。その為に私達がいる」
「……ストレンジ」
私の存在を肯定する言葉に、思わず涙が溢れた。
生きていいのだと、そう肯定してくれる。
「君は自分の存在によって訪れる危機を危険視している。それは正しい。だが、君の死を誰が望む?」
ストレンジが首を振った。
「だから、君に必要なのは死の覚悟じゃない。生きて明日を迎える為に戦う覚悟だ」
ストレンジが笑った。
「……ありがとう」
「患者のメンタルケアも医者の仕事だ」
捻くれた返答に私は苦笑して……浮遊マントに身を任せた。
ゆらり、ゆらりと揺れている。
まるで揺籠のようだと……私は、意識を手放した。
◇◆◇
すやすやと寝息を立てる少女をマントに乗せて、私はスリングリングで門を作り出した。
行き先は、アベンジャーズタワーの医務室だ。
「次から次へと厄介事がやってくるな」
一人、そう悪態を吐きながら彼女をベッドに転がした。
後でニック・フューリーに連絡しておかなければならないな。
私は手に握っているマインド・ストーンを光に翳す。
物質そのものが光を放ち、瞬く。
ミシェル・ジェーン=ワトソン。
彼女の中に存在する『
私一人では困難だったが、運の良い事にマインド・ストーンがあった。
私の魔術師としての技能と、マインド・ストーンの力。
それらが合わさる事で、封印出来たのだ。
たった一人で封印を施した師の技量には驚くばかりだが。
まぁ、いい。
「しかし、世界の脅威か」
私は自分の力だけで、如何なる脅威も跳ね除ける事ができるとは思っていない。
そこまで自惚れてはいない。
『
いや、キャプテンとトニー・スタークも何とは知らなくとも、彼女の危険性ぐらいは知っているか。
私はベッドに横たわり、寝息をたてる少女を見た。
『
正確には、完全な封印など不可能という話なのだが。
アレは内からも、外からも異界に干渉する。
私が封印を外からかけたとして、いずれ干渉されて強引に紐解かれる。
「……それに──
今回のように、誰かの手によって封印が解かれる危険性もある。
彼女の言った通り、我が師の言葉の通り、彼女を生かしておく事は危険なのだ。
「だが、それでも……」
彼女は、生きたいと願った。
やっとだ。
やっと生きたいと願えるようになった。
人並みの願いだ。
私が助けてきた患者も抱いていた、普遍的で原始的な願い。
だが、だからこそ。
彼女がやっと、それを口に出来た事を私は喜んでいた。
「彼もよくやっている」
脳裏に浮かぶのはピーター・パーカーの顔だ。
彼女の恋人として、随分、彼女の在り方に干渉している。
より良い方にだ。
私はスリングリングの光から、小さな箱を取り出す。
その箱を開けて、手元にあるマインド・ストーンを入れた。
瞬間、独りでに箱が動き、カシャカシャと音を立てて表面の模様を動かした。
魔術的な施錠だ。
破る事は困難、手当たり次第では絶対に解けない。
それをまた、光の中に収納する。
収納先はサンクタムの中だ。
「さて、と……」
見下ろす。
幸せそうな顔で眠る少女の姿を。
せめて、夢の中ぐらい心配もなく、安心して寝ていて欲しい。
私はそう、願わずにはいられなかった。
……しかし。
「何故、ロキがマインド・ストーンを持っていたんだ?」
顎に手を当てて、医務室の椅子に座る。
「何故、彼女の持つ『
……分からない。
だが、彼女の呼び寄せた脅威が……迫って来ている事に、私は気付いた。
だが、後悔はない。
彼女を生かした事を、反省などしない。
少女を生贄に捧げなければ世界が滅ぶのなら、それは少女ではなく世界が悪い。
「……フューリーに相談するか」
力がいる。
仲間がいる。
強大な敵に打ち勝つ、暗闇を照らす希望の光が。
次回、『ノー・ノーマル』
普通では、いられない。