【本編完結】レッドキャップ:ヴィランにTS転生した話 作:WhatSoon
ビジネススーツに仮面を付けた男、『デーモン』の構成員が歩いている。
右手には……黒いモヤがかった剣。
倉庫代わりにしている大部屋の入り口に立っていた彼は……奥の方から聞こえた物音に気付いたようだ。
警戒心を強めて、奥へと進む。
剣を握る手が、少し強くなっていた。
そうして、物音がした場所に辿り着き……崩れた段ボールを見つけた。
『……まったく、適当に載せやがって』
周りにも乱雑に積み上げられた段ボールがある。
几帳面さのカケラもないそれを見て、何かの拍子に崩れたのだと思ったのだろう。
警戒を緩めた──
その瞬間、僕は奴の頭上から……両肩に
『な──
両手を捻り、
天井スレスレに引っ張られ、マスクを剥がれた彼は……何が起こったのか理解していないようで、目を白黒とさせている。
『スパ──
窒息させないように注意しつつ、マスクを剥いで顔面に
口と目元を防がれた彼を、そのまま天井に貼り付けにする。
「これで五人目……」
辺りを見渡すと……天井には彼のように貼り付けになった奴らが沢山居た。
……これ以上は流石にバレるかな、場所を移動しよう。
天井に張り付いたまま、耳に入れているインカムを操作する。
咳払いして、声を少し低めにする。
「もしもし、こちらスパイディスパイ、応答せよ」
『……私はごっこ遊びに付き合うつもりはないからな』
「ごめん」
スパイダーマンとして活動してると、つい軽口が出てしまう。
それは恐怖であったり緊張であったり、そういったものを解す為に必要なんだ。
僕の根っこの部分は臆病だから。
『そこから出て、左の方向に二人。正面50メートル先に一人……だが、正面の方は遮蔽物に遮られている。立ち上がらなければ問題はないだろう』
「よし、じゃあ左の方から何とかするよ」
小声で返答した。
ミシェルはスーツに搭載している暗視、赤外線機能を通して敵の位置を特定している。
それを僕に伝えてサポートしてくれているんだ。
天井を這い、倉庫の外へ……なるほど、左に二名様。
視認しづらい細い
狙いは後ろを歩いている方だ。
「天井までご案内、っと」
『ん?何だ、こ──
天井に叩きつけた。
素早くエレクトリック・ウェブで意識を奪い、床に着地する。
瞬間、僕の気配を察したのか……もう一人が振り返り──
『貴様はっ──
「どうも」
地面に両手をついて、逆立ちのように跳ね上がる。
そのまま顔面を蹴り飛ばし……意識を奪う。
気を失った彼を
そのまま天井に固定して……OK、完璧。
区画内の『デーモン』を片付けた僕は……室内にあるコンテナを漁る。
突撃銃、青銅製の剣、槍っぽいの……狙いの物はここには無いみたいだ。
また、インカムを起動する。
「『
『『デビルズブレス』は全長1メートル程の大きなカプセルに入っている。それが入るような場所はそこ以外には一箇所しかない』
「……それって?」
『ミスター・ネガティヴ周辺だ』
僕は天井に胡座をかき、首の裏を撫でる。
ミスター・ネガティヴか。
何だか不気味な奴だし……あんまり近付きたくないけど。
「よし、ちょっと行ってくるよ」
『……危険を感じたら離脱しろ』
「はいはい、了解」
恋人からの心配は身に沁みるね。
彼女以外に、僕の心配してくれる人なんて居ないからね。
よし、
残量は……7%!
ちょとヤバいかも。
こんな事ならケチらずに、今朝、
貧乏学生にはキツい仕事だよ、ヒーロー活動は。
まぁ、辞めないけどね。
さて、天井を這って……よし、ミスター・ネガティヴに気付かれずに来たぞ。
しかし、本当に不気味な姿だ。
白黒のネガポジ反転された写真みたいな男が……大きな木箱を開けた。
……白い、大きなカプセル。
中心にあるガラス窓から、中に入っているのが赤い液体である事を確認した。
見つけた。
アレが『デビルズブレス』だ。
何で分かるって?
天井の入り組んだダクトに身を隠す。
下ではミスター・ネガティヴが部下に話をしてる。
『借りを返す時が来た。『マギア』に私達の怒りを思い知らせる時だ』
へぇ、演説とかやるタイプなんだ。
……でも『デビルズブレス』の前でやる事ないのに。
こっそり引っ張って持ち上げたら……うーん、流石にバレそう。
『これは罰だ。虐げられし者の正しき怒りにより──
瞬間、部屋の電灯が赤くなった。
と、同時にブザーが鳴り響く。
『……侵入者か』
な、何これ?
困惑していると、ミシェルの声が聞こえた。
『スパイダーマン、何者かが工場跡内の緊急通知ボタンを押した。今すぐ撤収しろ』
「ひ、退けって言われても……」
ここには天窓もない。
脱出するには入り口から抜け出さなきゃならない。
……もしくは、『デーモン』達が並んでる窓の──
「……あっ」
窓の外で、黒い影が走っていった。
……フェリシアだ。
彼女、何か目的のものを盗んで……『デーモン』にでも見つかったのだろうか。
いや、彼女がそんなミスをするとは思えない。
というか通報されるような状況から逃げ出したにしては、追手が居ないし……。
……緊急通知ボタンを押したのって、もしかしてフェリシア?
察した。
僕達に『デーモン』を押し付けて、安全に逃げるつもりだ!
去年も同じ方法でハメられたじゃないか、僕は……何も学んでない。
僕が顔を覆っていると……下でミスター・ネガティヴが首を捻った。
『招かれざる客……いや──
手首を摩りながら……視線を上げた、
『蜘蛛か?』
目があった。
……あ、これもう逃げられない感じだよね?
下で臨戦態勢になった『デーモン』達に手を振る。
「こんにちは……じゃなくて、こんばんは。配管工の工事をしてたんだ、気にせず続けて?」
各々が武器を取り出した。
剣、槍、ムチ……どれもこれも、黒いモヤモヤを纏ってる。
……当たったら痛い、じゃ済まないだろうね。
『奴を始末しろ、屍精鬼よ』
ムチが弾ける音がして……僕の方へ飛んできた。
「おぉっと……!」
咄嗟に、天井を蹴り、回避する。
天井のダクトが真っ二つ……思わず息を呑む。
床に着地した僕は、デーモン達に視線を向ける。
その内、二人の『デーモン』が『デビルズブレス』の入ったカプセルを持った。
『戦えば勝つが、危険を冒すつもりはない。さらばだ、スパイダーマン』
ミスター・ネガティヴが指示した。
カプセルを持った二人の『デーモン』を連れて離脱するつもりだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ!初めましてのお茶でもしな──
剣が振るわれた。
後ろに跳ねて回避し……壁に足を付ける。
「いっ!?まだ話してる途中なんだけど!」
槍を避けて、ムチも避ける。
余裕そうに避けているけど、実際はギリギリだ。
一発当たれば死に繋がる危険な一撃だからね。
ビービーと警告音が鳴り響く中、真っ赤に染まった視界の中で戦う。
『シャアアッ!』
雄叫びを上げなら『デーモン』が剣を振り下ろした。
半歩引いて回避しつつ、カウンターでパンチをお見舞い──
おっと、槍が飛んできたぞ。
これも数歩引いて回避。
……気付けば、敵対してる奴から距離が離れていた。
ミスター・ネガティヴの姿も見当たらない。
ちょっと、まずいかも。
「怪我したくなかったら通してくれない?」
脅してみたけれど、通してくれる素振りは──
『消え失せろ!』
『死ね!蜘蛛野郎!』
『薄汚いM$%#$F%#$rめ!』
ないね。
「みんな口悪くない!?」
叫び声を上げながら、『デーモン』達が突っ込んでくる。
反撃に移りたいけれど、避けても避けても攻撃が止まない。
『デーモン』達の猛攻は続く。
……あ、ヌンチャク持ってる奴までいる!
あと曲刀や、チャクラムまで!
「ここって武器の展覧会?『デーモン雑技団』に名前変えるのをオススメするよ!」
『減らず口を!』
剣が迫る。
槍が迫る。
同時に幾つもの武器が迫る。
このままじゃジリ貧だ。
多少ダメージを受けても、無理矢理ノックアウトしていかないと──
ガシャン!
と窓ガラスが割れた。
入ってきたのは黒いアーマーコスチューム……。
「ミ、ナイトキャップ!」
ミシェルだ。
僕のピンチを察知して、救援に来てくれたんだ。
『新手かっ!』
側に居た『デーモン』が即座に反応し、斧を振り上げ──
その手首を、ミシェルが掴んだ。
振り上げられた斧も、腕も……びくともしないようだ。
『邪魔だ』
ミシェルがそう言いながら、足払いをした。
普通の足払いじゃない。
超人血清で強化された身体能力によるローキック。
それはトラック一台の衝突に近しい力だ。
勿論、そんな威力の足払いを、まともに受けたら人はどうなるか。
『ぎゃ、あぁ!』
悶絶するような悲鳴を上げながら……掴まれた手を中心に、宙で三回転した。
両手足が地面に付かないレベルで浮いて……そのまま、壁に衝突した。
……昔、軽自動車に撥ねられた超人を見たことがある。
そんなレベルで吹き飛ばされたのだ。
『「『…………』」』
一瞬、周りが静かになった。
目の前の『デーモン』共も、先程の景色に息を呑んだようだ。
少し、間が空いて──
『ブチ殺す!』
正気に戻った『デーモン』がミシェルに剣を振るった。
咄嗟に、僕は背後から
強く引っ張ると前のめりに転けて……落ちる顔面にミシェルは膝を合わせた。
顔に膝が命中し、気絶した『デーモン』が地面に転がる。
僕はミシェルの側に移動して、並んで立つ。
「ナイスチームワーク」
『……援護は不要だったぞ』
「知ってるよ、でも咄嗟に出たんだから仕方ないよね」
僕一人を倒すのに『デーモン』達は手こずっていた。
それが二人になったんだ。
均衡は崩れ、一人、また一人と打ちのめして行く。
「ミスター・ネガティヴは!?」
僕はチャクラムを持った『デーモン』を殴り飛ばした。
『逃走中だ。既にここから離れている』
ミシェルが『デーモン』の腕を掴み、壁に叩きつけた。
「じゃあ、さっさと倒して……追いかけないと、ね!」
僕は『デーモン』を蹴った。
よろめいた所に──
『……いいや、ここまでだ』
ミシェルが『デーモン』の顔面に手の甲を叩き込んだ。
「え?」
僕が素っ頓狂な声を上げた時……既に『デーモン』達は全員地面に転がされていた。
全員、気絶している。
僕は足元の砂埃を払って、ミシェルに視線を向けた。
『今から追っても、闇雲に探すだけだ。この暗闇の中、奴等を見つけるのは至難だろう……無意味だ』
「で、でもっ──
何もせず待つなんて出来ない。
頑張って探せば追いつくかも知れないし……それに──
「もし『デビルズブレス』を使われたらっ──
『二日後、『マギア』幹部の誕生祭がある。奴等はファミリーの絆を重要視している……故に構成員も多く集まる』
ミシェルが指を立てた。
『『デビルズブレス』はカプセルの構成上、一度しか使用出来ない。奴等はバカではない……使い所は考える。猶予はある』
「だからって……何もしないだなんて、僕には出来ない……!」
僕はミシェルから離れて、外に出ようとする。
彼女が追いかけないのであれば、僕が追いかけるだけだ。
勝手にやらせて貰おう。
『待て』
「っ……!」
出ようとした瞬間……彼女に、腕を掴まれた。
「は、離してくれるかな……?」
『疲労困憊で、
彼女の言っている事は正しかった。
奴等は明後日まで、計画を実行しないだろう。
僕は今、身体に疲れが溜まっていて……
一度、装備の補充や、休息する方が良いかも知れない。
それでも──
「僕が傷を負ったとしても、誰かが傷つく可能性が少しでもあるのなら……僕は、止めなきゃならないんだ。だからっ──
『…………』
腕を引っ張られて、地面に転がされた。
『その自己犠牲精神は美徳だ。だが、悪癖でもある。少し頭を冷やせ』
随分と言うようになった。
昔は僕なんかよりも自分を顧みなかったのに……。
それは良い傾向だから喜ぶべきなんだろうけど、今は見逃して欲しかった。
僕は地面に手をついて、見下ろしてきているミシェルに顔を向ける。
「……退いてよ」
『断る』
僕は腕を構えて──
拳を──
殴れる、訳がない。
分かってる。
彼女の言葉は合理的で、僕を心配しているって事も。
そんな人を傷付ける事なんて、僕には出来ない。
ミシェルが息を深く、吐いた。
『それに無闇に追えば、追い詰められたネズミのように……『デビルズブレス』を使用するかも知れない。避難誘導も出来てない街中で、だ。多数の死者がでるぞ』
「……そ、っか」
もっともらしい理由に、僕は腕を下ろした。
どうしようもなく正しかったからだ。
「じゃあ、どうすれば……」
『……一度、帰って寝ろ。頭を冷やせ』
「……君は?」
『私は『S.H.I.E.L.D.』の引き継ぎがある。まだ現場に残る必要がある』
「……そっか、分かったよ。僕も──
『先に帰れ。お前が居ても、面倒な事にしかならない』
……そっか。
『S.H.I.E.L.D.』からしたら、僕は正体不明の超人になるから……警戒対象になるんだ。
僕は役立たずだ。
居るだけで邪魔なんだ。
気分を落としながら……窓枠に足を乗せる。
「……じゃあ、その……先に帰るね?」
『あぁ。そうしろ』
こちらに顔も向けず、腕を組んだままのミシェルから……顔を逸らした。
酷く、気まずかった。
僕は彼女の言葉を理解したし、正しい答えだと思えた。
それでも心の奥底で、僕は何か反論しようとしてる……の、かも知れない。
自分にも分からない。
彼女も……そんな僕の気持ちが分かっているのか、踏み込んでは来ない。
互いに譲れない物があるからこそ、折り合いを付けなければならない。
なのに、僕は自分の意見を曲げられなかった。
それが正しい事なのか、正しくない事なのか……分からない。
ただ、今分かる事として……彼女を不快にさせてしまった事だけが分かった。
彼女に背を向けて、僕は
壁を登って……屋上で、座り込む。
周りに人が居ない事を確認して、頭を抱え込む。
「……はぁ。ミシェル、怒ってたな……」
夜風に当たってると、自己嫌悪の気持ちが湧いてくる。
「やっちゃったなぁ……」
焦る気持ちは、既に霧散して……残ったのは後悔。
聞き分けのない子供を叱るような、ミシェルの言葉だ。
……僕は立ち上がり、
後ろ髪を引かれるような想いをしながら、麻薬工場跡に背を向けた。
数回スイングして、小さなアパートの天井に着地する。
足を投げ出して、屋上の縁に腰を下ろした。
夜風に当たって、少し落ち着きたかったんだ。
「…………」
無言で手を組む。
僕は昔から、身を削るように人助けを行なって来た。
身体も心もボロボロになりながら、無我夢中で人助けをしていた。
それが良い事なのだと、信じていたからだ。
だけど……ミシェルには……いや、ミシェルだけじゃない。
僕は僕が幸せになる方法を知らないと。
自罰的な感情で、身を砕いて人助けをする歪さがあると。
図星だ。
自分を大切にする事と、他人を守る事。
その両立は──
「……難しいな」
息を深く吐いた。
「何が、かしら?」
背後から、声が聞こえた。
僕は力なく、そちらに顔を向けた。
「……フェリシア」
黒いライダースーツに身を包んだ、ブラックキャット……フェリシア・ハーディが立っていた。
僕は少し眉を顰めて、首を傾げた。
先程の騒動……緊急通知が鳴り響く光景を思い出したからだ。
「君が……施設の警報を押したんだよね」
「あら、ごめんなさいね?逃げるのに必要だったの」
少し、カチンとくる。
だけど冷静に……熱のこもった息を吐いた。
彼女が警報を起動させなかったとしても、『デビルズブレス』を回収できたか……と言えば怪しい。
あの場には沢山の『デーモン』が居たからだ。
思考を振り払って、彼女に話しかける。
「それで?何の用なの?てっきり、もう逃げちゃったと思ってたんだけど」
「……少しぐらい、お話に付き合っても良いじゃない?」
彼女は自身の胸元に手を突っ込んだ。
思わぬ行動に僕は目を逸らして……視線を戻すと、彼女は手に小さな水色の液体が入ったアンプルを持っていた。
僕は、目を細める。
「……それは?」
「強力な毒薬を使う時は、必ず解毒薬を用意するものよ?自身の身に危険が及ばないように、ね」
それは、つまり──
「『デビルズブレス』の解毒剤……?」
僕の目はアンプルに引き寄せられる。
「正確には『デビルズブレス』と真逆の効能を持つ薬だけど。これ一つで汚染された患者を300人は助けられる……らしいわ」
「す、凄い……お手柄だよ、フェリシア!」
僕は思わず彼女に駆け寄ろうとして……一歩、引かれた。
「……フェリシア?」
「これは貴方には渡さない。今は、まだ」
……目を見開く。
「何で──
「私の目的は『お金』だって言ったでしょ?これは『マギア』に売るの」
「……待って。それじゃ、巻き込まれる人達の分は……!」
「そんなに薄情に見える?全部を『マギア』に売る訳じゃないわ。残った物は貴方にあげる」
僕はマスクの下で眉を顰めた。
「何で今、渡してくれないんだ……」
「だって今、貴方に渡したら『S.H.I.E.L.D.』に投げちゃうでしょ?そしたら、勝手に複製なり何なりして……価値が下がっちゃうじゃない」
図星だった。
誰かが危険に晒されるリスクを減らすために、僕ならそうする。
マフィアに売ろうだなんて、考えない。
「フェリシア……悪い事は言わないから、それを渡してくれ」
「スパイダー、悪い事は言わないわ。私が売るまで我慢しなさい」
互いに、視線が交差する点を中心に……ゆっくりと、回転するように歩く。
フェリシアは小さく笑った。
「失敗だったかしら。安心させようと善意で話してあげたのだけれど」
「……仇で返すような真似をして悪いとは思ってるよ。でも僕がこうするって事は、君には分かってた筈だ」
「……ふふ、それもそうね。でも──
フェリシアが、僕に何かを投げた。
それを手で受け取る。
……円盤状の小さなディスクだ。
これは──
「私、逃げ足には自信があるの」
バチン!
と身体に電撃が走った。
一瞬、視界が真っ白になって、立ってられなくて……膝をつく。
「それじゃあ、また会いましょ?スパイダー」
「ま、待、て……フェリシア……!」
「いやよ。猫は気まぐれなの」
白く点滅する視界の中で、フェリシアが走り出した。
そのまま飛び降りて……く、そっ!
僕は手に張り付いていたディスク型のスタンガンを引き剥がして、投げ捨てる。
「く、ぅっ……!」
まだ、身体は痺れてる。
でも、追わなきゃ!
僕も彼女に続いて走り出して……屋上から飛び降りる。
そして、
カシュッ。
カシュッ。
…………あれ?
視線をウェブシューターに向ける。
つまり、弾切れだ。
「あっ」
ミシェルが腕を組んで、怒ってる姿を幻視した。
ちゃんと
そのまま僕は自由落下して──
「うわぁっ!?」
アパートに備え付けられているコンテナ型のゴミ箱に、ダイブした。
まるで大きな雷が降り注いだかのような音を立てて、ゴミに沈む。
ゴミ袋が破れて、散らばった。
「
嫌な感触がした。
それなりの高さからの落下……ゴミがクッションになって怪我はないけれど……全身に鈍い痛みがあった。
……悪臭が、鼻につく。
頭の上に張り付いていた、バナナの皮を投げ捨てた。
上半身を立てて、コンテナから這い出る。
地面に転がって……僕はフェリシアが逃げて行った方向を見る。
……まいったな。
もう何処まで逃げたのか見当も付かない。
追いかけても、見つける事は困難だろう。
「……はぁ」
生ゴミの臭いに顔を顰めながら、立ち上がる。
ふらついて、壁にもたれ掛かった。
「こんなのだったら、真っ直ぐ帰っておけば良かったな……」
本当に、碌でもない。
悪人には逃げられるし、ミシェルとは気まずくなるし、フェリシアにも逃げられた。
今日の運勢はきっと最悪。
もしくは、全部、僕がミスをしたか。
……ミスター・ネガティヴはもっと僕が強ければ、逃さなかっただろう。
ミシェルとは、僕が彼女の意図に早く気付いて、折り合いを付けていれば怒らせなかっただろう。
フェリシアも、頭ごなしに否定せず、話を聞いてから説得すれば良かったんだ。
「……ヒーロー活動は絶好調だなぁ」
本日、何回目か数えきれないけどため息を吐いて……立ち上がった。
う、臭い。
スーツも洗わないと……。
とぼとぼと、行きとは違い……僕は自宅に向けて歩き出した。
◇◆◇
パルクールの要領で屋根から屋根へ飛び移り……自宅であるアパートの屋根に到着した。
ビルの隙間、壁に張り付いて自室の窓へと向かう。
頭の中は濃い霧がかかったようにモヤモヤしている。
ミスター・ネガティヴの事も悩ましいけれど……スパイダーマンとしての悩みじゃない。
ピーター・パーカーとしての悩みが頭を占めている。
恋人、ミシェル・ジェーンの事だ。
彼女は優しく、寛容だから……きっと、今日の僕のことだって許してくれる。
許してくれるだろうけど……不快な思いをさせたのは間違いない。
こうやって細かいすれ違いから、男女関係は破綻するのだと……過去にグウェンが言っていた。
彼女が気にしていようと、気にしていまいと、マイナスな感情にさせてしまったのは事実で、プラスの出来事で覆わなければならない。
つまり、埋め合わせだ。
しかし、何をするか。
壁に張り付きながら、考える。
ミシェルは甘いものが好きだ。
何かスイーツを買ってきて懐柔……う、うーん、いつもやってる事と変わらない。
デートする?それも、いつもやってる。
何かアクセサリーをプレゼントする?
行きたい場所に連れていく?
それとも──
……ダメだ。
考えがまとまらない。
自室の窓を外から開けて、中に入り込む。
マスクを脱いで……深く息を吐く。
……う、臭っ。
スーツも洗わないと……。
思わず、自室の中で座り込んで──
「はぁ……」
ため息を吐いた。
……ため息を吐くと、幸せが逃げるらしい。
でも、僕に幸運なんて今は無くて──
……人の気配。
リビングの方からだ。
僕は内心怯えつつ、ゆっくりと足を進めて……リビングに顔を出した。
真ん中に置いた安物だけど大きな机。
そこに一人の女性が座っていた。
僕に気付いて……振り返った。
「……遅い。寄り道してた?ピーター」
目下、悩みの対象になっている……僕の
……僕がフェリシアと会話していたり、歩いてニューヨークを横断している間に、彼女は先に到着していたのだろう。
しかし──
「……ミシェル?どうして、ここに?」
彼女がどうやって僕の部屋に入ったか……それは単純な話だ。
合鍵を持っているからだ。
だから、この『どうして』は理由が分からないからだ。
僕の言葉に、ミシェルが目を細めた。
「……夜食、食べる?」
僕の疑問に答えず、ミシェルは机に置いてあった箱を手に取った。
チーズ・マカロニ……温めて食べられる即席の食事だ。
「え?あ……うん、貰おうかな?」
「ん」
短く返事をすると、ミシェルは席から立ち上がり……皿にチーズ・マカロニを入れて──
「ピーター……その、さっきはゴメン」
謝罪された。
……何の謝罪だろうか、一瞬分からなかった。
だけど、先程の言い争いの事を言ってるのだろうと理解して、僕は首を振った。
「な、なんで謝るの?」
「……どっちが間違ってる、とかではなかったし。言い方、ちょっと厳しかったし」
ミシェルがチーズ・マカロニの入った皿を、電子レンジに入れる。
そして、僕の方へ振り返った。
「……その、ピーター?嫌いにならないで、欲しい……から、謝りたくて」
目線を逸らすように、申し訳なさそうにしている彼女に……思わず駆け寄った。
「僕が嫌いになる訳ないよ!さっきだって……僕の方が悪かったし……そのっ──
弁明していて、気付いた。
あぁ、きっと僕と同じ悩みを彼女も感じていたのだろうと。
自己評価が低いのも、自分を顧みない所も……まぁ、似たもの同士なのだ。
そう思うと、本当にくだらない悩みだったんだなぁって……苦笑した。
「ピーター?」
「ううん、僕も同じ事考えてたから」
「……私、ピーターを嫌いになんかならない」
彼女もそう言って……先程の僕の言葉の焼き増しだと気付いたのか、苦笑した。
僕の中にあった霧のようなモヤモヤは晴れて、今は清々しい気持ちだ。
彼女も、さっきまでの暗い表情を潜めて……いつも通りの笑みを浮かべていた。
「……僕、さっきゴミ箱に入ってたから、先にシャワー浴びてくるよ」
「……ゴミ箱に?何で?」
「後で話すよ。大丈夫、隠し事はしないから」
だって、彼女は……パートナーだから。
スパイダーマンとしても。
ピーター・パーカーとしても。
さっきまでの僕を殴りたいね。
ちゃんと、僕は幸せだから……幸運なのだから。
ため息はもう、吐かない。
次回は来週土曜日。